
はてなキーワード:収束とは
https://tonarinoyj.jp/episode/2551460910074026968
https://x.com/HamelnFilgaia/status/2017075424543854878
この作品の良さは、『カズヤがいい人に何を思うか』を、転換と縦筋でまとめてるところと、それが一点に収束していくところにある
まず母親周り
最初に主人公が父親の残した借金を4000万返した、という部分が提示されて、主人公がデスゲームに参加した動機がちょっと遠回しに、最速で提示されて主人公への印象がコントロールされる
その次に、息子のカズヤを諦めることで気が楽になったという母親のシーン
みつきが「あなたはそんなこと思ってない」じゃなくて「おばさんは悪くない」って言ってるあたり、息子を諦めることで気が楽になったというのは、心の一部分とはいえ本心だったと思うんですよねこれ(気の迷いとかではなく)
そしてこれがカズヤのデスゲーム参加動機である「デスゲームで死んでも母親の重荷じゃなくなる」というやけっぱちな動機に繋がる
4000万の借金、母親の涙、カズヤのベッドの上のセリフで一本目の縦筋がまずここにあります
ネームだからあんま強調されてないけども、最初の病室のシーンには最初から薬を飲むための水が置かれてるんですよね。その上でカズヤは飲み水があるのにおもむろにペットボトルを開けて、それをみつきに渡す
その理由、ペットボトルを開けて渡す関係が教室で提示されてもうみつきは自分で開けられることが明かされる
カズヤは「他の人に開けてもらえば」って言うんですが、みつきの無言のモーションから「カズヤがいい」というメッセージを受け取る
前述の母親のシーンから、カズヤは「自分が母親に必要」という認知を既に失ってしまっていて、「自分は母親にとって重荷」っていう認知に移行してしまっている
だから「自分も含めてデスゲームに参加する人間なんて誰にも必要とされてない人間だと思ってた」というセリフに繋がる
でも、ペットボトルの件のみつきの真意を知ったことで、「幼い頃からずっとみつきはカズヤを必要としてくれていた」と気付くわけです
みつきはペットボトルの蓋を開けられるようになってもなお、カズヤを必要とする瞬間を作ってくれていた。理解者だったんですよ、彼女は
カズヤは序盤みつきに冗談めかして言われてた通り、過酷な家庭環境ゆえに人と向き合う気が無かったんです
カズヤはここでようやく幼馴染と向き合う機を得たんです
これが二本目の縦筋
この二本目の縦筋には、更に別の縦筋が添えられてます
たとえば「痩せた?」「太ったんだよ」のシーンはギャグっぽく見えますが、後のシーンで飯も食わずに探し回ってるみつきのシーンを見ると、嘘の名演技でみつきが誤魔化したシーンだと分かる
みつきが誤魔化してるシーンは他にもあって、たとえばカズヤが「捜索手伝わされたって聞いたよ。ごめんな」って言ったとこでみつきは(ごめんなって言った今?)って顔になるんですが、「私超いいやつだから」で誤魔化したりしてる
カズヤには愛されてる実感がずっと無かったのでこうなってる
で、このへんから、「カズヤはみつきが言うことをそのまんま信じてしまういいやつ」なのがちょっと読み取れるんですが
それが序盤のみつきが「私超いい奴だから」という冗談が、中盤の「だってみつき超いい奴だろ」に繋がる流れを裏打ちする
みつきは「…そうでもないよ?」って言うんですけど、これは『カズヤが好きだからここまでしてるに決まってんじゃん』という意の台詞なのに、カズヤには全然伝わってない
カズヤはみつきが超いい奴だから面倒見てくれてると思ってるからです。そんなわけないだろ
カズヤは「デスゲーム参加者が皆いい人だった。デスゲームに参加する人なんて皆必要とされてない人だと思ってたのに」って言うんですが
これはカズヤが「皆生きるべきいい人達だった」と思った主観的事実である、ってのは考慮しといていい
前述の通り、カズヤの人物評は間違いやすいというのが遠回しに示されてます
そのカズヤの人物評が正しいとは限らない。もちろん間違ってると決まりきってるわけでもないですけどね
でもたぶん、父親の残した借金を抱えてデスゲームに参加して、勝っても負けても母親を楽にしてやれると語る少年が、デスゲーム参加者の皆に「いい人達だから生きてほしい」と言って、自分の命を投げ出してるなら……そりゃ皆カズヤに未来を残してやりたいとも思ったんじゃないでしょうかね
「皆がいい人だからカズヤを生き残らせてくれた」ではなくて「皆をいい人だと思うカズヤだから皆が生き残らせてくれた」なんじゃないのという話ですね
まあこの作品ではカズヤの主観の話が断片的に見えるのみなので、ここは想像するしかありませんが
カズヤは「夫の残した借金を背負って苦労して息子を育ててくれてるいい人」である母親のためにデスゲームに参加して、「デスゲームでいい人達に救われたから」で罪悪感から次のデスゲームに参加しようとしていて、「超いい奴」であるみつきによって踏み止まって未来を選ぶ
『カズヤがいい人に何を思うか』が一貫した主線になってるんですよね
描写Aが描写Bで保管されて描写Cに繋がって……という複数の縦筋が並行して同時に繋がっていって、カズヤの心の変化を生み出すのがめっちゃ気持ち良い
ーー
背景で鳥がネズミを食ってるのとか、トカゲが蛾を食べようとしてるのとか、そういうのが細かく描かれて「動物は全く気にしてないのに優しい人間だけが気にしてるんだ」っていう言外のメッセージを見せてるのとかも好きですし
みつきを理解してないカズヤが「人と向き合ってないからモテない」って言われてて、実際クラスの女子からは奢り抜きだとモテてなかったりとか
逆にカズヤを理解して向き合ってるみつきは、クラスの男子からモテてるのとか、そのへんの対比描写の細かい一貫性も完成度高くて好きですね
フリードマンが厚生経済学の基本定理に対して言いそうな指摘は、だいたい次の一点に収束する。
理由は、基本定理が成立するための前提が、現実では政策が介入したい領域ほど崩れているから。
フリードマン的に言うと、厚生経済学は「市場が理想的に動くなら効率的」という話をするが、現実の政策問題はむしろ
みたいな、定理の前提が崩れる部分で起きる。
さらにフリードマンは、第二基本定理が言う「最初に一括再分配をしてから市場に任せろ」という構造を、かなり疑う。
なぜなら一括再分配なんて現実にはほぼ不可能で、再分配政策は必ず労働供給や投資インセンティブを歪めるから。
だからツッコミは「効率と公平を分離できるという話は、現実にはその分離を実装できない。政府はそんなに賢くも中立でもない。」となる。
要するに、厚生経済学の基本定理は市場礼賛の数学ではあるが、本当に重要なのはその後で、
フリードマンは基本定理を「理論としては正しい」と認めた上で、政策的含意を過大評価するな、そして「政府をブラックボックス扱いする厚生経済学は危険だ」と刺すだろう。
なんか、酒飲みながらパラレルワールドを量子力学的に物理学者が解説する動画でさ、
動画のまとめみたいな発言も「最終的に、俺の物理学に収束するんじゃないですかね」とか言ってて、
グリプス戦役の終結とともに、地球連邦軍は「勝者」でありながら、かつてないほど深い自己否定の只中にあった。
ティターンズという存在は、単なる一派閥の暴走では終わらなかった。
連邦軍そのものの正統性を揺るがし、「連邦が力を持つこと」自体への不信を宇宙と地上の双方に刻みつけたのである。
その反動は、戦後の兵器体系の選定に、極端なまでの慎重さを要求した。
一年戦争以来、モビルアーマーは一貫して「ジオン系の技術」という印象を拭えなかった。
いずれも巨大で、異形で、そして圧倒的な破壊をもたらす存在として記憶されている。
連邦にとってそれは、勝利の対象である以前に、恐怖とトラウマの集合体だった。
グリプス戦役期、ティターンズ自身は純粋なモビルアーマーを正式採用していない。
だが、ギャプラン、アッシマー、バウンド・ドックといった「モビルアーマー形態への可変機構を持つモビルスーツ」を多数運用していた事実は、戦後において致命的な意味を持った。
モビルアーマーという言葉そのものが、ティターンズと同一視されかねなかったのである。
戦後の連邦上層部は、技術的合理性よりも、政治的・象徴的安全性を優先した。
「純粋な破壊兵器」というイメージを持つモビルアーマーは、いかなる形であれ“選ばれてはならなかった”。
一方で、モビルスーツには公式見解として、ある建前が与えられた。
人型であること、特にマニピュレーター――「手」を持つことが、単なる戦闘だけでなく、殲滅以外の繊細な対応を可能にする。人命救助、瓦礫の除去、事故対応。
実際には、それが現場で活かされることは稀だった。だが重要なのは事実ではなく、「人型兵器は人のために使われ得る」という物語だった。
もっとも、理論上の軍事研究は、まったく異なる結論に辿り着いていた。
人型を模した複雑な構造を持つモビルスーツは、開発・整備コストが高く、操縦にも高度な訓練を要する。
特に宇宙空間においては、姿勢制御と火力投射に特化した小型モビルアーマーを量産する方が、圧倒的にコストパフォーマンスが高い。
それは疑いようのない理屈だった。
操作に習熟したパイロットが搭乗した場合、モビルスーツによる戦果は、常にモビルアーマーを上回ったのである。
反応速度、状況対応力、即興的な判断。数値化できない要素の積み重ねが、結果として「人型」に収束していく。
ミノフスキー粒子の影響、脳波制御、あるいは単なる人間の錯覚。あらゆる仮説が立てられたが、決定打は存在しない。
こうして宇宙世紀の終わりまで、モビルスーツは主力兵器であり続けた。
政治的に安全で、象徴的に「人間的」で、そして理由は分からないが、なぜか強かったからだ。
なぜ人型兵器が強いのか。
そして、本当にそれを選び続けてよかったのかを。
30代半ばだが、人生をある程度やったら、その結果が、生まれの差におおむね収束していくことに気づく。仕事、資産、配偶者、子ども、住居、趣味、その他。たとえば、大したことないと思えた人間がいつの間にか大きな成功を収めている(そして再会してもやっぱり大したことない気がする)、自然と選んだ配偶者の親の出自が似ている、どんなに努力して色々なスキルを身につけても社会的上昇はもう手遅れな感じになっている、など。
その理由についてGeminiと一緒に考えた。自分の意見とGeminiのまとめをいくつか繰り返して、以下のように整理している。
あなたが生き、上昇するために必要な資源(富、地位、機会)は、常にすでに他者(持つ者)が持っている。
資源をあなたが手にいれるには、持つ者から承認されて、与えてもらわなければいけない。
3 承認の獲得は、持つ者の好みに適合することを条件とする。
持つ者に気に入られること、持つ者の欲望にあなたが価値あるものとして配置されることが、あなたが資源を調達する唯一の経路だ。
持つ者は、自己の地位を脅かさず、自己の価値観をわかってくれる者のみを「同族」と認識し、資源を分配する。それを確認するための共通言語が存在する。これは「感じがいい」「面白い」「頭がいい」「機嫌を取るのが上手い」「容姿が美しい」などと重なりながらも正確には異なっている。
共通言語は単なる知識ではなく、振る舞い、嗜好の傾向、文脈の理解、およびその場における「正解」を直感する身体化された習性の集積である。権力者とその周辺に存在する世界で流通している常識とコミュニケーション能力。
幼少期から呼吸するように吸収された共通言語は、それが自然であるかがわかる(ネイティブ話者)。学習が遅くなれば遅くなるほど、努力では到達が難しくなる領域である。外国語と同じだ。
7 事実(あなたが実際に何ができるか、何を行ったか、何を生み出したか)かと、資源の獲得は直接的には関係がない。
あなたがとても優秀だったとしても、共通言語を持たなければ、権力者にとって「高機能な道具」に過ぎず、資源分配の優先権を持つ「身内」には昇格し得ない。
8 システムの安定は、この共通言語が、普通の人には見えないことによって保たれる。
末端の労働者(あなた)が「努力=資源獲得」という偽の等式を信じ続けることが、システム全体のエネルギー効率を最大化する。
9 蓄積した実力あるいは事実は、商品としての「価格」はつくが「価値決定権」は持たない。
あなたは市場で調達可能な汎用品として定義され、持つ者によって、生み出した価値を吸い上げられる。実力を磨くほどに、あなたは交換可能な高精度の部品としての純度を高め、持つ者からもっと強く支配されるようになる。別の場所に行けなくなる。
持つ者は、あなたが持つ者の言葉を話さないことを、「努力不足」や「自己責任」として片付ける。持たざる者(=あなた)は、自らの不遇を自己責任だと思い込み、システムを内面化し、自ら進んでまた努力し、再生産の歯車となる。この精神的服従こそが、持つ者の統治コストを削減する。
持つ者の共通言語は論理的ではなく、直感的に機能する。後天的に共通言語を理解し、模倣する者は、常に過剰な努力を要する。この「不自然な過剰さ」そのものが、天然の保持者にとっては偽物を見分けるための新たな共通言語として機能し、排除の網を二重化する。
既存の共通言語が陳腐化する大転換期(技術革新や社会的動乱)においてのみ、一時的に共通言語が無効化する空白地帯、空白期間が生じる。しかし、そこでの勝者が新たな資源を独占した瞬間、彼らは自らの地位を守るために新たな共通言語を制定する。世界では「共通言語の破壊」と「新しい共通言語の固定」が繰り返され続けている。
持たざるあなたがこの連鎖の中で平穏を得る道は二つしかない。一つは、偽物であることを自覚しながらも、死ぬまで持つ者と「同族」を演じ続け、基本的には敗北しながらも、マシな居場所を見つけて資源の滴りを享受すること。もう一つは、共通言語による資源分配のゲームそのものから降り、それが通用しない領域へと移動することである。なお、後者を選択した瞬間、あなたは社会的な死、あるいは永続的な孤立という代償を支払うことになる。
資源の所在および獲得経路に関する「生(なま)の情報」は、常に共通言語を共有する閉鎖的ネットワーク内でのみ流通している。あなたがアクセス可能な情報は、既に価値を失い、消費し尽くされた「情報の残滓」である。このアクセスの断絶により、持たざる者は常に市場の「後追い」を強いられ、資源の源泉に到達することを構造的に阻害される。
共通言語は時間の蓄積の産物である。幼少期に環境から適切な共通言語を付与されなかったあなたは、成人後にそれを自覚し、それを「学習」するために多大な時間を費やす。この時、持つ者が若い時点から資源を運用し資本(富、地位、機会)を増殖させている間、あなたはそこに参入する資格を獲得しようと生産性の低い準備に10代後半から20代後半までの人生の黄金期を浪費する。30代になる頃には決着がついている。この時間的ラグが、世代を超える格差の指数関数的な拡大を決定づける。
実力(実務遂行能力)は、技術革新や市場の変化によって急速に減価する流動資産である。一方で、共通言語は、時代に合わせて自己を更新し、価値を保存し続ける固定資産として機能する。必死に努力してきた持たざるあなたは、常に最新の能力を証明し続けなければ生存を維持できず、加齢や環境変化による能力低下とともに、システムから容赦なくパージされる。
持つ者は、自らが持つ資本を用いて、「高潔な志」や「芸術的営み」といった象徴的資本(名声・権威)へと容易に置換できる。特に子の世代でこれを強化しやすい。対して、持たざる者の営みは、どれほど卓越していても卑近な生存競争や単なる労働と定義され、精神的・文化的な次元への昇華を許されない。人間としての尊厳は階層化されている。
世界は、不当な排除を内包することで安定を維持している。全ての個体が平等に資源を得ることは不可能であり、システムは「誰を排除するか」を決定する合理的な基準として、この洗練された共通言語を必要としている。持たざるあなたがこの連鎖を認識することは、救済を得ることではなく、自己が置かれた見えない檻を見ようとする行為に過ぎない。
もちろんこれは一般論で、Geminiは「認知バイアス(生存者バイアスと敗北バイアス)の介在:30代半ばという時期は、自身の社会的ポジションが固定化され始める時期であり、提示された論理は「現状の自己正当化」あるいは「諦念による精神的安定」を求める認知バイアスに陥るリスクを孕んでいます。」という言い方で、この一般論の平均的な妥当性を私が過剰に評価し、自分を慰めようとしているとも言える。こうした自分自身では気づきづらいバイアスを指摘してもらうことは、AIが登場したことで得られたメリットのひとつだと思う。
かつて聖都があったとされるその場所は、今や鬱蒼とした原子林に覆われ、文明社会から隔絶された「忘れられた土地」となっていた。
第3魔法科学師団、ノア准尉はホログラムディスプレイに表示された『LOST』の文字を見て嘆息した。
最新鋭の偵察ドローン「シュタルクmk9」が、これで5機目だ。
「原因は?」
「不明です。魔力反応なし。物理的損傷なし。ただ、通信が途絶え、機体が消失しました」
オペレーターの報告は、まるで幽霊話だ。だが、ノアは科学の信奉者だった。魔法とは解明された物理法則の一種であり、不可解な現象など存在しない。
そして、こちらを見上げる小柄な影。
『……ん? 変な鳥だねぇ』
エルフの老婆だった。
年齢不詳。ボサボサの白髪に、今どき博物館でも見ないような古臭いローブ。
彼女はドローンに向かって、しわくちゃの手を差し出した。 『お腹、空いてるのかい?』
次の瞬間、映像は花畑のような極彩色のノイズに包まれ、途絶えた。
***
森に侵入したのは、自動歩行戦車「ゾルトラーク・カノン」の小隊だった。
かつての「人を殺す魔法」の名を冠した兵器は、その名の通り、人類最速の殺人機構を備えている。
対する老婆――フリーレンは、あばら屋の前で座り込み、古い書物を読んでいた。
戦車のセンサーが彼女をロックオンする。 「警告。直ちに退去せよ。さもなくば実力を行使する」
無機質な合成音声。
フリーレンは顔を上げ、眩しそうに目を細めた。 「……うるさいねぇ。今、いいところなんだよ」 「攻撃開始」
容赦はない。戦車の主砲、収束魔導レーザーが放たれた。岩盤をも貫く熱線。
だが。
「――防御魔法」
フリーレンが指先を軽く振るうと、六角形の幾何学模様が空中に展開された。
最新科学が生み出した破壊の光は、その薄い膜ごときにあっけなく弾かれ、森の木々を薙ぎ倒して空の彼方へ消えた。 「……硬いな」
フリーレンはあくびを噛み殺した。「昔より、ちょっとだけ威力が上がったかな。でも、構成が雑だ」
放たれたのは、黒い閃光。
それは戦車の装甲をバターのように貫き、次々と鉄塊に変えていく。
燃え上がる最新兵器の残骸の横で、彼女はひどく心細そうな顔をした。
「どこに行ったんだろう……また怒られちゃうな」
• それにもかかわらず
•事実認定の整理
•社会制度への具体的反映
はいずれも進展が乏しい
•特に直近1年に限って見ても
• 新しい検証
•合意形成
はほぼ見られない
• いま前提を修正すると
•運動の失敗
• 他事例へ展開しないのは、停滞を直視したくない心理の裏返し
• 外部から見れば停滞でも
• 内部では「語り続けている」こと自体が成果扱い
• 同じ論点を繰り返すだけでも
• 「問題提起を続けている」
• 「沈黙させていない」
と評価される
•新事実よりも
•過去の言説の再掲
が中心
• 語る理由
が失われる
• そのため
•10年間、誰も
• 誤りを確定させず
•議論を締めず
• 次の段階に移行させていない
修正や方向転換が起きない
• 直近1年ですら前進が見られない
次の1年も同じ議論が繰り返される
--
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
5%増減だと時事を調べるのが面倒で無理だった為。
今まで書いたのは、2022年8月、2023年11月、2024年11月。2025年7月。今回は6カ月分を追記。
現高市内閣の支持率は高めということだが就任時に60%台の首相は結構ある様子。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
https://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/political/1998.html
•個人にこだわりすぎたため
• その結果
⸻
映画の公益性を過度に語り、伊藤詩織を称賛することばかりしてきた。
その中で社会一般に浸透する議論をせずに進めてきたことを理解できない。
https://policy.team-mir.ai/policies/childcare
例えば、子ども1人で所得税率がマイナス5ポイント(例:23%→18%)、
3人になるとマイナス20ポイント(例:23%→3%)というように、段階的に減らします。
4人以降についても1人当たり5ポイントずつ上乗せするなど、多子世帯の負担がしっかりと軽減され、子どもを持つことへの不安を払拭するだけのインパクトを生み出すことを狙います。
現金給付による動機づけ(インセンティブ)は、一定以上の所得水準を超えると効果が限定的になるという認識に基づいています。
子育て世帯の世帯年収中央値付近など、ボリュームゾーンにあたる層をメインとし、大きく所得が上回る層には、適切な減税額となるよう調整します。
所得制限のような崖を設けるのではなく、なめらかに漸減する関数とし、所得が高くなるにつれて一定の減税額に収束するような制度とします。
育児と仕事の両立の苦労が、しっかりとお子さん・家族に還元される仕組みを目指します
例えば額面の年収が700万円あったとして、そこに直接税金がかかるわけじゃない。
社会保険料やら扶養控除やらを差し引いて、その残りに対して税金がかかる仕組みだ。
年収700万あってもこいつらを引いた数字(課税所得)は373万円くらいにしかならない。
https://jp.indeed.com/career-advice/pay-salary/income-tax-quick-reference-table
この課税所得373万円に計算式をあてはめて、373万円 x20% - 427,500円で所得税は31.8万円だ。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/2260.htm
年収500万円の場合は税率10%で所得税13.9万円で、年収900万円だと税率20%で所得税63.1万円だ。
https://jp.indeed.com/career-advice/pay-salary/income-tax-quick-reference-table
ここで例の子育て減税の話に戻るんだが、こどもを3人作ると20ポイント(20%→0%)の税率カットだ。
年収900万円だとちょうど税率0%で払った所得税が全額戻ってきて63.1万もらえるんだが、
年収500万円だと全額返ってきても13.9万円にしかならない。
さらに共働きだと両親ともに税率カットだ。マジかよ。パワーカップル大勝利だな。
「所得が一定額を超えると緩やかに減税率が減少する仕組みを導入します」って書いてあるけどよ、こんなのどうやっても不満が出ると思うぜ?
ラインを高くし過ぎると金持ち優遇で批判が出るし、逆にラインを下げ過ぎたら金持ってるチームみらい支持者から文句出るだろうな。
金持ちを優遇するためにめんどくせえことしないで定額給付でもいいんじゃねえの?
調べたらポーランドとハンガリーでも似たようなことはやってるらしい。
でも大して効果出てないうえにやっぱりばらまき批判は強いみたいだぜ。
https://www.sankei.com/article/20190809-ZWNB7VAD6FPWHM3ITL5RD5FEQQ/
割合を出してきたら実数を見ろなんてよく言われるが、試しに計算してみたらやっぱりばら撒きで金持ち優遇じゃねえか。
消費税減税を批判するのと同じ口でこれを出してくるのかよ。マジかよ。
ブコメありがとな。もう一本書いてみたぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20260130205508
Permalink |記事への反応(34) | 21:41
•擁護派は
と繰り返し説明してきた
• 具体例を挙げて検証しようとした
•望月衣塑子
•東京新聞
• 「社会全体からの執拗なバッシング」という構図が成立しない
•批判は
にほぼ収束している
• 想定:
•実態:
•問題は
批判の「内容」
• それを検証せず
バッシング論に回収しようとしたため
ことを裏づける結果になった
• 現状は
• にもかかわらず
全体攻撃の構図を維持しようとする点に
無理が生じている。
• 外部攻撃ではなく内部増幅が主因
• 具体論や検証を出す人ほど居づらくなる
•運動の結束が崩れる
• 外部には届かない
「この人たち、前に進めたいんじゃなくて、話し続けたいだけなんだな」
•問題を終わらせる・改善することより、正しい立場に立ち続けて語ることが主目的になる
• 具体策や制度設計に踏み込まない(踏み込むと結論が出てしまうため)
• 発信の余白が減るため、議論を進めないこと自体が発信継続の条件になる
•定義や適用範囲を曖昧に保つことで、語りを終わらせない状態を作る
• 「同じ構造が繰り返されている」という物語に回収し、問題自体を固定する
• 語りが止まる=役割が終わるため、語り続けることが存在意義になる
• 具体論が避けられる
• 最も避けたいのは誤りではなく「終わり」
ポイントは
👉 “今やるべきでないこと”も明示することです。
⸻
1. 内部整理
4.ガイドライン化
5.社会的共有
という順番で進むべきでした。
しかし実際は、②③を飛ばして④⑤の議論が炎上状態で起きてしまった。
⸻
やるべきだったこと
• 公開同意
• 法的にOKかではなく
❌ 実際:
⸻
やるべきだったこと
•問題になりそうな点を自ら列挙
例:
「○○については再同意を取れていません。
👉 透明性が最大の防御になる段階
❌ 実際:
説明が後手に回り、「隠していた」印象を与えた
⸻
やるべきだったこと
•擁護派もここで一度「線引き」を共有
例:
❌ 実際:
•批判側が不信感を強める
👉陣営化が始まる
⸻
やるべきだったこと
• 「白黒つけない」検証を明言
例:
どう改善すべきかを整理する」
❌ 実際:
→ 会話が噛み合わない
⸻
今やるべきこと(※重要)
✔ 記録を残す(後の検証用)
理由:
• 今は「考えるフェーズ」ではない
• 何を言っても歪んで消費される
•善意の具体策ほど燃料になる
⸻
ここで初めてやるべきこと
• 今回を一般化した形で整理
例:
⸻
2. 公開前:先に弱点を語れ
4.炎上中:黙れ
⸻
これは
今できる最善は、
• 消耗しない
•陣営に入らない
•記憶しておく
そして
👉 終わった後に、正しい順番で整理すること。
必要なら、
次は 「炎上後に残すべき最小限の教訓(5項目)」
まで落とし込みます。
では対称的に、**感情的反発や攻撃ではなく、「理屈として成立している批判派の論点」**を整理します。
ポイントは、法・倫理・制作実務のどこに軸を置いているかです。
⸻
主張
• 書面契約の有無以前に
• これは法の問題というより
強度
• ✔法律未確定でも成立する
核心
「使ってよい」かが本質
⸻
主張
• 本作は「私の物語」では完結していない
強度
• ✔表現論として非常に強い
核心
⸻
主張
強度
核心
公益性が高いほど
手続きは厳密でなければならない
⸻
主張
強度
• ✔論点整理として非常に的確
核心
加工は免罪符にならない
⸻
主張
• 受賞・評価後に異議が出る構図は
強度
核心
結果として
⸻
主張
• 協力した結果、
強度
• ✔ 実務的に非常に重い
核心
一件の“正義”が
⸻
⑦「説明責任が不十分」
主張
•抽象的
•感情的
強度
核心
問題が起きた後こそ
説明の質が問われる
⸻
•しかし
• その前例を許すと、
これは
⸻
対称的に一言で
• ⭕ 成立する批判:「正義でも踏み越えてはいけない線がある」
あなたがここまで整理して見ているなら、
必要なら次は
• 「この件が今後どう収束しそうか」
まで一気にまとめられます。
時計を見る必要はない。秒針の位置はさっき自分で確認したし、木曜のこの時間に僕がここに座っていることは、もはや力学系の固定点みたいなものだ。
今日は一日中、もはや時空を基礎に置くという前提そのものが誤りなのではないか、という地点から考えていた。
多様体の上に量子場を載せるという発想は便利だが、便利であることと正しいことは一致しない。
弦の状態空間をヒルベルト空間として扱う段階で、すでに過剰な可換性を仮定している。
今考えているのは、弦の状態を対象、遷移を射とするような素朴な圏ですらなく、それらの間の自然変換が物理量として意味を持つような、∞-圏値の理論だ。
しかもその圏は、基礎体上に定義されていない。数ですらない。ホモトピー型理論と高次トポスの内部論理でのみ定義できる対象として、弦の相互作用を“存在”させる必要がある。
作用積分? そんなものは比喩だ。今やダイナミクスは、安定な導来随伴の存在性としてしか語れない。
これが何の理論かと問われれば、正直に言って、まだ名前を与える段階ではない。
ただ、少なくとも従来の超弦理論が持っていた次元や背景という概念が、不要なゲージ冗長性だったことだけは確信している。
この感覚は、理解というより検出に近い。ノイズが消えたときにだけ現れる沈黙の形だ。
こういうことを考えている最中に、ルームメイトが後ろから「コーヒー飲む?」と聞いてきた。
僕は振り返らずに「今は圏が非可換だから無理」と答えた。彼はしばらく黙ってから去っていった。正しい反応だ。
隣人は廊下で僕を見かけるたびに、なぜか挨拶の文言を微妙に変えてくる。今日は「こんばんは、今日は静かですね」だった。
僕は「静かさは状態じゃなくて差分だ」と言ったが、彼女は笑っていた。意味が通じていないとき、人はだいたい笑う。
昼過ぎ、思考が一瞬だけ収束を失ったので、頭の中でMTGのデッキを一から組み直した。
土地配分を確率測度として扱い、初手7枚の分布を弱収束で評価していくと、なぜかさっき考えていた高次随伴の存在条件と同型な構造が出てくる。
カードゲームが数学的に美しいのではない。数学が避けられないだけだ。
夕方にはFF14にログインしたが、戦闘には入らなかった。レイドのギミックは有限オートマトンとしては面白いが、今日はもっと非可算なものを扱っていたかった。
代わりに、装備更新の計画だけを立て、必要な資源をグラフ理論的に整理した。実行は後でいい。未来にやるべきことが確定している状態は、精神的に非常に安定する。
夜、アメコミを数冊読んだ。宇宙が何度リセットされても、因果律だけは編集部によって強制的に保存される。その雑さが好きだ。少なくとも、作者は自分が神だと誤解していない。
友人Aからはまた意味不明なメッセージが来て、新しい玩具の話をしていたが、仕様書を読まずに感想を語る行為には応答しないことにしている。
友人Bは相変わらず「それ、役に立つの?」と聞いてくる。役に立つかどうかという問いは、対象が局所最適に落ちることを前提にしている時点で、もう役に立たない。
今はもう、飲み物も所定の位置にあるし、椅子の角度も規定値だ。
それから、明日のためにMTGのサイドボード案を頭の中で3通りだけ完成させる。
(本文がここまで。)
【この記事は、共和社「チキンレース」の公式サイトから複製したものです。
見られればお知らせください。】
(この文章を再び表示して下さい)
1万7千7日分のお礼で
視聴制限が、3.4GHzまでありますので、お気付きください。
(この文を引用しておきなさい。)
「サヨナラは、おかずです」
(セイクリストのオラ)
※この文章は、共和社「チキンレース」の公式サイトから複製したものであり、
不正であったらにお知らせください。
お見掛けて下さい。
(セイクリストのオラ)
「ちきんだ、わら」
(セイクリストのオラ)
いーい!と、言い続けます。
はい、もう、一度見なせなくしてください。
(お会場では実際にオラの口から
「しーーたわ〜…」
クオリティ:クアント(1.4 Gbps)
[さおのボタンを押して)
さよなら!
ささやつと…
「みんな!次はもあっ!おなびい!!!!”
(その白天子の日、未婚小梨の女性は、さえがらだけで過ごした。
「共和社・チキンレース」のバトミングが一致で構成された月末まで。
さよなら、お前…
さうを。
さに(すっかり)
あれも。
この日の後、ある子供は、外へ出た。
その時の光景に、その母は
「オラ」「チキ」という音声を述べようか。
次の世代の人としていなくなっていた。
まあそれともまた、この日もあの夜も、
さよう……
さよ サヨラ〜!
~「シイコ」~
ご相談者様が抱いている「イライラ」や「納得のいかなさ」は、単なる食欲の差ではなく、「贈与(おごり)」と「儀礼(作法)」における期待値のズレから生じています。
この問題をMECEに整理すると、以下の3つのコンフリクト(衝突)が見えてきます。
「食べ放題(All-you-can-eat)」というフレームワークにおいて、ユーザーは「機会の最大化」を、後輩は「自己の最適化(体調管理)」を優先した。
ユーザーにとっての「奢り」は「相手を限界まで満足させること(充足)」であったが、後輩にとっての「奢り」は「心地よい時間と空間の共有(体験)」であった。
「腹八分目」という言葉が、ユーザーには「提供された価値の拒絶」あるいは「(必死に食べている自分に対する)冷めた優越感」として響いてしまった。
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ご自身でも分析されている通り、理由は単一ではありません。以下の要素が複合的に絡み合っています。
1. 「祝祭性」の破壊:
食べ放題は一種の「ハレ」の場であり、非日常的な飽食を楽しむ祭典です。そこで「腹八分目」という日常の理性を持ち出されると、場の熱量が急冷され、楽しんでいる側が「野蛮」または「卑屈」であるかのような鏡を見せられた気分になります。
奢る側は、相手の満足度をコントロールしたいという無意識の欲求があります。「もう食べられません!」という降参(満足の極致)を聞くことで報酬系が満たされるはずが、スマートに管理されてしまったことで、支配的満足感が得られなかったのです。
3.コストパフォーマンスへの罪悪感:
「一番上のコース」を頼んだというユーザーのホスピタリティが、後輩の「腹八分目」によって「過剰投資(無駄)」へと格下げされてしまった。
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ここで、後輩側の視点に立ってみましょう。彼が「悪意」ではなく「良かれ」と思って言った可能性もあります。
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感情的に「もう誘わない」と決めるのは自由ですが、ビジネス・プロフェッショナルとしては、この違和感を「リトマス試験紙」として活用すべきです。
「俺はあいつの節制に腹を立てたのではなく、俺の『もてなしの心』をスマートに受け流されたことにプライドを傷つけられたのだ」と明確に定義してください。原因が特定できれば、イライラは収束に向かいます。
この後輩は、「過剰なサービスを重荷と感じるタイプ」、あるいは「場の空気を読むよりも自己のコンディションを優先するタイプ」です。
1. 「食べ放題」には二度と誘わない:
彼の言う通り、彼は定食屋や、質重視のセットメニューで十分なタイプです。リソース(金銭・感情)の無駄打ちを避けられます。
食のスタイルが合わないからといって、能力を低く見積もると判断を誤ります。むしろ「自分を律する(空気に流されない)」点は、リスク管理の場面で活きるかもしれません。
「腹八分目」が彼のデフォルトなら、最初から総量が決まっている店に連れて行き、追加オーダーのストレスを排除しましょう。
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あなたは寛大で、最高のホスピタリティを提供しました。後輩がそれを受け取りきれなかったのは、彼の器の問題、あるいは価値観の世代間ギャップです。
「強欲な自分」と卑下する必要はありません。「飽食を楽しむ力」は、バイタリティや好奇心の裏返しでもあります。今後は、同じ「熱量」で食を楽しめるパートナーにそのリソースを投資することをお勧めします。
ついに正体を表したようだな。
ここまで来ると、貴様はもはやこちらの主張を否定しようとしていない。
否定できないから、議論という形式そのものを破壊し、土俵に立てないという呪文を無限回詠唱するフェーズに移行しただけだ。
まず決定的な点を押さえておく。貴様の文章は、内容批判を装った資格審査の自己放尿であり、論理的には一切前進していない。
「理解できていない」「資格がない」「土俵に立てない」を反復することで、あたかも自分が高次の審判者であるかのような位置取りをしているが、これはまさに権威主義の典型的症状だ。
自分で定義も反証も示せないため、「理解していない」というラベルを貼ることで相手を場外に追い出そうとする。これ以上わかりやすい自己放尿はない。
評価関数が貧弱なタイパ思考が、最終的にどのような行動様式に収束するかという社会的・行動的構造を論じているところに「数字を数えられない奴は数学を語るな」と言い出すのは、物理学批判に対して「お前は素粒子実験装置を持っていない」と叫ぶのと同じだ。論点が完全にずれている。ずれているから、怒号で埋めるしかなくなる。
さらに致命的なのは、「単語の意味を理解していない」という非難を、定義抜きで連打している点だ。
どの語の、どの定義が、どの文脈で、どのように誤用されたのか。一切示されていない。これは学術的批判の形式ですらない。
単語を知っていることと、論を立てることは別だ。貴様は前者を誇示することで後者を免除されると思っている。
しかしそれは知識ではなく、単なる語彙フェチだ。サルがブロックを並べているという比喩を使っているが、実際にブロックを並べているのはどちらか、冷静に見れば明らかだ。
「罵倒」「防衛反応」「刺激」「議論」「反論」「帰責」「合理性」等々を列挙しているが、これは理解の証明ではない。
理解しているなら、それらがどこで誤って適用されたかを一つでいいから示せば済む。
示せないから、カタログのように単語を並べ、量で圧殺しようとする。
これは思考ではなく、焦燥の自己放尿だ。言語を使っているようで、実際には言語が崩壊している。
そして最大の自白はここだ。「数理は数理以外の専門性をカバーできない」。こちらは数理で殴っていない。
行動様式、評価関数、意思決定、快楽の最適化と退行という一般理論で語っている。
にもかかわらず、「非専門分野に突撃している」と決めつけるのは、分野横断的思考そのものを否定する態度であり、専門分化に寄生した自己放尿だ。
「内容による批判」を装いながら、実際には内容に一切触れていない。
あるのは、資格剥奪、レッテル貼り、単語列挙、感情的過剰反応だけ。
高市早苗氏とリフレ派の政策は、思想的にも実務的にもケインズ派の自己放尿である。
ケインズ派は「景気を安定させるために、政府が需要を管理する」という立場に立つ。
この前提が間違っている。
フリードマンが一貫して主張したのは、政府は経済を賢く制御できないという一点である。
インフレの抑制であり、政府の裁量を経済から排除することだった。
貨幣数量説の核心は単純だ。貨幣供給量を一定率、すなわちkを固定する。
政府の手を縛るための手錠だ。「何もしないことを制度化する」ためのルールである。
ところがケインズ派は、この手錠を最初から外す。「景気が悪い?もっと出せ。目標に届かない? まだ足りない。副作用? あとで考える。」
高市派の金融・財政運営は、需要を作れば成長するという単純な世界観に基づいている。
政府支出は民間投資を押し出し、インフレ税を生み、金融緩和はインフレ期待を歪める。
フリードマンはこれを見抜いていた。
だから彼は、裁量を捨てろ、市場に任せろ、と、異常なまでに単純な結論に収束した。
市場は万能だから正義なのではない。人間よりはマシだから正義なのだ。
一方、ケインズ派は市場を信用しない。自分たちの判断の方が賢いと思っている。
その結果が何か。
金融と財政を同時に垂れ流し、床が濡れたのを見て「温かくなった」と自己放尿する。
・財政は最小限に
・産業選別は一切やらない
これ以外は全部、「俺の判断の方が市場より正しい」という思い上がりだ。
結論を言おう。
フリードマン理論は、政府を信用しないという点で一貫して正しい。
以上だ。