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はてなキーワード:友達とは

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2026-02-16

デートで「鳥貴族」に誘われた35歳女性

僕は友達サイゼリアに誘われました。

Permalink |記事への反応(0) | 07:46

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恋愛アドバイスが欲しい

前提
生い立ち

男子校男子校から予後悪いみたいな言説は信じてなくて、環境よりも個人問題だと思っている

今でもよく会う友達もいるし楽しく過ごしてた

中学まで運動部だったけど、高校文化部のんびり過ごしていた

ややコミュ障ではあると思う。EQ低め。

無意識自虐が多くなってしまう。

大学

大学は不幸にも理系に進んだ

男子校がもう4年と友達にふざけて言っていた

実際ほぼ男子校だった

ただサークルでは学部関係なく学生が集まっていたので男女比は1:1程度だった

サークルは2個入っていて、どちらもたまに同期などで集まったりする

一応どちらのサークルでも役職についていたりもした

社会人一年目が終わろうとしている

2,3個上の先輩はなんか結婚していたりするし、なんだかなぁと思っている

恋愛経験

ほぼない

1. 2回生の春くらいにマッチングアプリ出会った同い年の子と付き合った

ただ半年後に何がしたいのか分からない思い血迷って別れてしまった

今でも何がしたかたかからない

2. 3回生の冬頃にサークルの後輩と仲良くなり、何回か出かけた

一緒に映画見に行ったりご飯食べたり、飲んだりしていた。

バレンタイン手作りチョコをもらったが、なんかそれ以降気持ちがついていかず疎遠になってしまった

僕が悪いと思う

共通の知人にいまだに問い詰められるけど、明確な答えを返せず申し訳ないと思っている

以上。そこまで人の好き嫌いはないけど、そもそも人とたくさん時間を過ごすのが苦手で一人でいる方が心地よく感じてしまう。

まとめ

全く別の界隈の友人にこれを話したらお前は回避型だから諦めろと言われました。そうなのかも。

好かれるよりも嫌われたくないという気持ちの方が強い。

同じ相手長期間付き合ったことないので、将来に不安がある。できるなら結婚したい。

あと他の普通の人と違うんだろうなという点として

Permalink |記事への反応(2) | 07:01

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anond:20260216022945

文化祭の時、ひとり教室スマホいじってた俺には、教室に戻ってきた陽キャ女子に手伝わされて、一枚の新しい段ボール看板を作った思い出がある。

偏差値高い高校だとみんな受け入れてくれるもんだよ。みんな大人だった。ガチ陰キャの俺にも優しくしてくれた。

まぁ、向こうから歩み寄ってきてくれた時は俺も頑張ったからな。友達いたらもっとしかったんだろうけど、高校空気感レベルが高くて俺には合わなかった。

今でも勇気出して、誰かにしかけてアニメ雑談とかしてみればよかったと後悔してる。

Permalink |記事への反応(0) | 02:43

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2026-02-15

孤独って自律の完成形だから

anond:20260215215420

「人は支え合う生き物」という言葉を聞いたことがあるはず。

しかし、恋人いたこともなく友達もいない、たった一人で生きている、となると

あいつスゴ」

となる。

自律を極めた形が孤独なのよ。

最後まで一人で生きぬくってなかなか出来ない。

Permalink |記事への反応(0) | 22:07

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「行けたら行くわ」のコミュニケーション理解できない

ネット上で「『行けたら行く』は絶対来ないし、行きたくないとき言い訳だ」のような言説があるが、

今までの人生で「行けたら行く」なんて言ったことも言われたこともない

 

私にとって誰かと出かけるというのは、やりたいことや行きたい場所がある前提で人を誘うものであり、相手が来ないならば成り立たないイベントなのである

ゆえにそもそも「行けたら行く」などという選択肢存在しない

来てくれるなら行先に予約を入れるし、来ないなら延期するか、イベント自体がなかったことになるから

 

「行けたら行く」という言葉は、集団の内において自分一人が参加しなくてもイベントが成り立つ前提があった上での回答に他ならない

さらに言えばディズニーのような特別イベントではなく、カラオケ、街ぶら、誰々の家に集合など、雑に集まれ関係であることも示唆している

 

何が言いたいかというと、「行けたら行く」のコミュニケーションができる集団にいる時点で交友関係カースト上位であり、

数少ない友達ひとりひとりを大切に1件ずつ予定を組んでいる私などとは一線を画す上澄みな存在である自分の状況を自覚しろということだ

 

そんな広い交友関係の中で「行けたら行くとかいうやつ信用できないわー」とかほざくな羨ましい

どうして私にはそんな交友関係がないんだ

こうやって僻んでるようじゃ無理か

ははっ

Permalink |記事への反応(1) | 19:56

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anond:20260213002708

独身だけど友達居るから動けないときはその輪で助け合ってるわ。

そもそも友達いないのが異常なんだからそんな異常者を助けるやつなんておらんだろ

Permalink |記事への反応(0) | 16:54

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23区一人暮らししながら親の仕送り生活してる

この生活して5年以上経って気付いたが、これ23区にこだわらず地方都市ですらない地方でもいいんじゃないかと思うようになってきた。

起きてる時間は常に暇。普通の人なら外に出て飯食ったり街ブラとかのレジャー楽しんだりするんだろうけど、自分は「自宅外で丸一日過ごす」ような外出を一ヶ月に一回もしていないことに気がついた。

一応、自宅から五反田新橋品川あたりなら電車で乗り換え無し20分弱で行ける場所に住んでるのに。

席で電子タバコ吸えるカフェがそこかしこにあるとかなら外で丸一日過ごすのもやぶさかではないんだけど、都心ほどそういうカフェ全然ない。

上野国立科学博物館美術館行ったりしてガッツリ外出してやろうかなとも思ったが、自分は夜暗くなっても自宅から離れた場所にいる状態にかなり不安を覚える謎の体質であり、そうなると日が短い秋冬なんかは午前9時には自宅を出発していないといけなくなるので、「今日もう遅すぎて都心行けねえわ」と諦めることになる。ほとんど毎日

そうなると、タバコ自由に吸えて好きなときオナニーできて夏涼しくて冬暖かい自室でいいじゃん、ということになり結局部屋に引きこもり、(大好きな)セブンイレブン食事調達してまた部屋に戻って夜に寝るという暮らしが自ずと通常運転になる。

から「これ別に地方でもいいじゃん」と思った。別に地方都市部から離れたエリアでも徒歩圏にセブンイレブンある場所はいくらでもあるだろうし。

自分と同じように働かず親の仕送り一人暮らししてる人って結構いるらしく、ネット空間限定友達すらいない俺でもSNS上で簡単に何人か見つけることができたほどなんだが、彼らはみんな世捨て人弱者・社不を自称している割には「外で遊ばないと死んじゃう!」みたいに随分と社会性が高くて、高円寺中野阿佐ヶ谷落合あたりに定住してやたら評価の高い個人経営カレー屋や洒落飲み屋に幾度となく繰り出し、こんな便利で楽しく刺激的な東京暮らし絶対に捨て難いと固い決意をしていた。自分とはまるっきり別人種だった。

俺、仕送りが相変わらずという条件付きなら釧路でも松山でも宮崎でも今と同じ快適さで暮らしていける気がするんだよなあ。

本当に出不精な体質なんだと思う。車だって持っててわざわざ月極駐車場契約してるのに週1回も使ってないからな。しかも使うとき絶対都心に行かず逆に山梨とか南房総を目指すという。

Permalink |記事への反応(2) | 15:29

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小6の時先生死ねって言い続けてた先生が死んだ

F先生若い女性だった。よく笑う人だった。色白で目の充血が目立った。学年全体の合唱練習の時、ノリノリでみんなの前でマイクを持って歌う人だった。小柄でよく人にぶつかり、児童の足を踏むことがたびたびあった。要領が悪くて生徒を苛立たせたり、少しヒス気味だったりするところはあっても、F先生の特徴はそれぐらいだ。極端に嫌われる理由先生にはなかった。私たちははけ口を欲していた。F先生でなくても誰でもよかったと思う。娯楽だった。

私は友人に混じって、毎日F先生を「デメキン」「早く死ね」と陰で笑って罵っていた。

F先生個人的な恨みがあったわけではない。

心の底から笑っていた。呼吸困難になるほど爆笑していた。友達と笑い転げている時、罪悪感は全くなかった。

F先生なら罵っていい。そういう空気があった。

死ね」「消えろ」という言葉は、笑いが止まらなくなる娯楽だった。

数年後、父の転勤に伴い私は地元を離れた。しばらくして小学校時代友達A子に再会した。

私たち高校生になっていた。

A子は元6年✕組だ。まさにF先生の受け持ちのクラスにいたA子は、特にF先生嫌悪していた。私が最もF先生中傷爆笑し、毎日のように盛り上がっていた友人がA子だった。

A子は激変していた。見ていて不安になるほど痩せ細っていた。小学校時代に受けたいじめが原因で、高校で心を病んだという。不登校になり留年をしたが、薬と食事療法回復した。

母校の同級生たちの近況を詳しく教えてくれた。最後にA子は言った。

F先生、去年亡くなったって」

A子が語ったF先生情報はそれだけだった。

その言葉には小6の時の憎悪は込められていなかった。ただ懐かしんでいた。

え、そうなんだ。

私もそれしか言えなかった。

それ以上聞けなかった。

以来、私は折に触れてF先生の死を思い出している。

私の「F先生デメキン、早く死ね」が、先生を死に追いやった。

そう思う。

そうとしか思えない。

本人の前で言ったわけじゃない、陰で仲間と盛り上がっただけだ、とか、そういう問題ではない。私は言葉によってF先生を殺した。F先生を死に追いやった無数のナイフの1本になった。

ナイフを刺された人間はその痛みを忘れない。ナイフで刺した人間はあっけなくそんなこと忘れる。挙句、刺された人間からぶつけられる恨みや憎しみを「そんなこと早く忘れろ、みっともない」とさえ言う。

なぜ被害者人生をめちゃくちゃにした加害者がのうのうと生きているのだろう。

私の母は、実の両親(私の祖父母にあたる)から虐待を受けて育った。そうして40過ぎに精神病み、家から出られなくなった人だ。

母が病み始めたのは、ちょうどF先生が亡くなった知らせを聞いて一年くらいたった後だった。

私は祖父母を恨んだ。心から恨んだ。なぜ被害者人生をめちゃくちゃにした加害者が、謝罪一つなく、のうのうと生きているのだろう。

早く死ねばいいのに。同じ苦しみを味わえばいいのに。

そう思った時、F先生のことを思い出した。

ずっと忘れていたF先生のことを。

私の恨みや憎しみが、そのまま自分に返ってきていた。

どうして私は生きてるんだろう。

同じ苦しみを味わい、早く死ぬべきだ。

私は人見知りだった。人の顔色を窺いまくるというか。自分申し訳ない、と思うことに耐えられない。毎日F先生のことを思い出すわけではいし、むしろ忘れている時間の方が多い。

あれから、私には親しい友達がいない。誰かと仲良くなっても、ずっと心の底では恐ろしい。私は頑張って笑っている。謝ってばかりいる。ギャグ一つ言えない。

F先生のことがあったからかもしれないし、私のもともとの人見知りのせいなのかもしれない。

とにかく、私はあれから人を信じられずにいる。

母のことさえ、恨んでいる。

転校した高校で親しくしてくれた女の子がいた。馴染めずにいた私と手を繋いでくれた。刻名した万年筆をくれた。私が彼女を信じられずにこちから裏切るような最悪な真似をして、喧嘩別れした。

母の心の病で学校に徐々に行けなくなっていた私を、熱心に支えてくれた恋人がいた。不安定な私は彼を信じられず、重荷に感じるようになり、別れた。

高校卒業して、母と揉めるようになり、私は母を見捨てた。一人暮らしを始めた。

私は介護施設で働いた。高齢者の介助では自分が救われるような心地を覚えた。だが、新人の私は仕事の覚えが悪く、遅かった。馴染めなかった。先輩たちに認められずにいる状況に耐えられなかった。私は私を責め続けて、半年もたたずに辞めた。

私には最も好きだった友人がいた。彼女といると心がずっと動いていた。涙が出ることもあった。就職を機に一緒にルームシェアをして住み始めた。

私は最も好きな友人と一緒にいることに耐えられなくなった。好きだから耐えられなかった。耐えられなかった。介護施設を辞めて転職したことを機に、ルームシェアを解消した。

幸い、母は回復した。

から出て働けるようになった。行政福祉手当を受けて就労支援に通い、職を得た。

私は地元から離れた場所で、一人で暮らしている。友人も恋人もいない。

光田秀『眠れる予言者エドガー・ケイシー』によれば、憎しみを憎しみで返してはいけない。業(カルマ)は愛と忍耐によって克服できるからだ。憎悪は良縁に変えられる。神は人間に克服できない業を与えない、と記してあった。

私の「デメキン、早く死ね」は一体何によって償えるのだろう。

母は「あの人たち(両親)が早く死ねば私は楽になれるのに」と繰り返し零していた。

母は両親と縁を切っている。

私も少なからずそう思う。だが、母は心の底では本当は、「お前、そんなに辛かったのか。本当に悪かった。謝って許されることではないが、謝らせてくれ」と両親が母に寄り添うことを望んでいるのだと、私にはわかる。

F先生は何を望むんだろう。

龍が如くや悪役ざまぁみたいや路線でいけば、恐らく、自分馬鹿にした子供らが大人になり幸福を知り、その幸福の頂点で転落し、ドン底の絶望を味わい救われることなく死んでいくのを望むのかもしれない。私は恐れている。

でも、そう思うこと自体F先生に対する冒涜なのではないかとも感じる。

5年生のキャンプファイヤーでは、ファイヤーパフォーマンスサプライズがあった。

5年生たちがぐるりと囲む焚き火の前にたった一人、小柄な女性が現れた。なんとF先生だった。

両手に長いトーチを持っていた。明るく燃えさかる炎を、F先生ジャグリングのように振り回して踊った。かっこよかった。私たち最後、興奮して拍手を送った。

キャンプファイヤーが終わる。ぞろぞろと列をなしてテントに戻った。

私は火の消えた松明を持っていた。まだ楽しい気分が続いていた。松明はまだ熱く、先から煙がたなびくのがおもしろくて、振り回して遊んで歩いていた。「危ないよ!誰かに当たったらどうするの」と後ろから肩を叩かれた。F先生だった。

「もー、駄目だよ。あなた何組?」

混んでいる暗い山道だったから、F先生は私の顔がわからないみたいだった。どきどきして、怒られるのが怖かった。私は人波に流されるようにしてなんとかF先生から離れた。

私とF先生が話したのはそれきりだ。

あの日の思い出から逃げられない

Permalink |記事への反応(2) | 15:20

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anond:20260215141859

そんな理屈世間じゃ通用しないよ?

大谷翔平に対して「まぁ、野球やってる人間の中でいちばん上手いだけだよね」とか言ってると友達無くすよ?

Permalink |記事への反応(1) | 14:22

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2026-02-14

anond:20260214230700

アメリカ友達から

Permalink |記事への反応(1) | 23:12

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年上女性の魅力に気付いてしまった

自分

ミドサー、都内外在住、Fラン卒、エンジニアで平均年収は超えてる、奨学金借りてた

相手

アラフォー都内在住、高学歴年収専門職実家太い

チアプで知り合ったいわゆるハイスペ女性みたいな人と初めてデートしたんだが、都会のハイスペ女性ってあんなに品があって、綺麗な人いるんだね。田舎者はびっくりしました。

あっちの方が倍くらい年収ありそうなんだけど、一応お食事奢りました。

帰りの電車で他のデート相手の話された。

相手「今度ロブション行くんだ」

私「ロブション?誰と?」

相手アプリで知り合った人。今度会うの3回目」

私「3回目のデート?」

相手デート?うーん、まぁそうかなぁ?笑 いつも割り勘だけど。ロブションも私が予約取ったんだ」

私はロブション行ったことないし、一緒に行こうと言われても尻込みしてしまいそうな人間なんだけど、どうにか頑張りたい。

でもこの会話されるってどういうことなの?脈はないよね?友達コース

Permalink |記事への反応(1) | 21:11

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年収1000万だけど終わってる

32歳童貞彼女いない歴=年齢。友達いない。声優ガチ恋キモオタ

僕ってどうしたらいいですか?

Permalink |記事への反応(2) | 20:31

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anond:20260214124845

2000年代くらいなら、殴り合ってまぁ相手意見も一理はあるなって環境があったけど、今ならお友達同士であいつはおかしい!で終わってるからめちゃくちゃ退化してる感あるわ

Permalink |記事への反応(0) | 12:55

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anond:20260214103438

東京金持ち家出身でおちぶれたものだが

学生時代友達とか地方人間も多いで

首相とかも山口県?みたいな人も多いじゃん

大体そういうやつは家行くと東京ではありえないような千坪ある日本庭園でししおどしがカッポーンってなってるような家

君が多分地元で関わりないだけ

Permalink |記事への反応(0) | 10:40

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自転車のない生活想像できなかった

俺は東京23区と市の境界あたりで生まれ育った。

この辺りに住んでると自転車生活の一部だ。

ほどほどの距離生活必要な店は揃っているので、車がないと生きていけないということはない。

さりとて、都心のように商業施設が犇めいているというわけでもなく、駅前の店が固まっているエリアには歩いても行けなくはないが自転車があった方がやはり便利だ。

小さい頃に親から自転車の乗り方を習い、子供だけで出掛けられる年になってから友達皆で自転車に乗って遊びに行き、駅から離れた住宅街に住んでいたので高校生になって電車通学になってからも駅までは自転車で通っていた。

から子供の頃、俺は自転車に乗らない生活というモノがイメージできなかった。


高校自転車に乗れないという言う女子に初めて会った時はカルチャーショックを受けた。率直に言えば、コイツは今までどうやって生きてきたんだと思った。

また、高校生になってインターネットに触れるようになって、どうも所謂ネット民的な層の間で自転車バカにして良いモノ枠みたいになっていることを知って、衝撃を受けた。

なんでコイツ等は"生活の一部"をバカにしているのだろうと。

そして俺は、コイツ等はおそらく都心一等地に住んでいるハイパー金持ち……はネットの掃き溜めにはほぼいないハズなので、ド田舎者か、引きこもりなのだろうと考えるようになった。

流石に高校生くらいの歳になると、それまでの人生で、お出かけで都心に行ったり、家族旅行学校行事田舎の方に行ったりで、自転車では暮らし難い土地があるということは知識としては知っていた。

だが、それはあくま特殊なケースという認識だった。

大人になって自分の知る世界が広がっていくと、むしろここまで自転車暮らしに特化していた自分の方がレアケースなのではないかということに気付くようになった。

まず、車がなくても生活で困らないのは都市部に限るということを知った。

また、駅チカに住んでいる人はそこまで高頻度で自転車に乗らないらしい。

車が生活の中心になっている人達もいる。

自身実家を出て、まだ自転車生活圏内だが、それでも実家に比べると都心寄り・駅チカに住むようになって、比例するように自転車に乗る頻度は減った。

一時期、メンタルを壊して、療養で1ヶ月くらい実家に帰っていた時があったのだが、その時は一人暮らしの家に自転車を置いてきていたので、実家自転車がない状態だったが、それでも意外と生きていけることを知った。

だけど、それでもやはり自分の中で自転車生活の一部だ。

車社会田舎でも、駐輪場もろくにない都心でも生きていける気がしない。

個人的に今、気になったいるのは、地方都市とか言われているエリアだとどのくらい自転車生活に馴染んでいるのかだ。

Permalink |記事への反応(3) | 09:50

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anond:20260213124536

めんどくさWWWW友達いなそう職場で使うのはまあ引くけど死ぬほどかわいい!とかと近い意味合い自分に対して使うしぬと他人から向けられる死んでが一緒な訳無いでしょ

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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anond:20260214033514

上司の方が頭おかしくてしぬ

そんなんだから友達なし独り身なんじゃない?仕事辞めたい〜とかい雑談にじゃあ辞めれば?ってマジレスするタイプ

まともな会社ならコンプラ的に一発アウトなことを言ってしまうのが"上司"という時点でその程度の職場じゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 07:11

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anond:20260213124536

ええ女子ってみんな中学生の時とか笑い死ぬwwwwwwって友達毎日言ってると思ってた 

それの延長としか思わないんだが

SNSで大爆笑した時ははすぐしぬって言うわ私、友達とかと大爆笑した時もしwwwwwwってなる

仕事場ではそりゃ友達SNSと違うから言うわけないけど、嫌なんか?これ

ひねくれてんなー

Permalink |記事への反応(0) | 07:09

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anond:20260213124536

しぬがネットミームって言われてるけどマジで今の若い子言わない方が珍しいかミーム扱いされてるの違和感ある

友達いない人がそういうの嫌ってるイメージ

Permalink |記事への反応(1) | 07:07

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anond:20260214070254

ただの時代遅れおじおばで神

友達少なそうだし高校時代体育祭嫌いそう

Permalink |記事への反応(0) | 07:05

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たまに口臭とか気になるんだよな〜ってレベル友達を新居に泊めたらありえないぐらい部屋が臭くなった

いやありえないぐらい臭い 何これ

泊めた次の日の朝起きたとき異臭すごかった

なんだろう?うまく表現できないけど、生乾きの洗濯物みたいな にんにくとか食べ物臭いじゃない すごい嫌な臭い

の子が寝てたベッドのシーツとかも全部臭い

部屋換気してファブリーズかけたらマシになるかと思ったけど全然取れない!

寝室が臭くなったから今仕方なくリビングソファで寝てる なんだこれ

Permalink |記事への反応(1) | 03:32

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なんでもや

木曜の夜、僕は渋谷マークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託デザイナーとの打ち合わせで、サイトワイヤーフレーム修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。

自分の話をする。

僕は今、大学四年生で、二年の終わりくらいかウェブマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態フリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアント十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。

大学生にしてはすごいね

この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。

---

インターン先の話をする。大学三年のとき半年だけ、あるスタートアップインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。

先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケ責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告レポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。

三十秒。

僕は自分の二時間川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。

川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアント電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。

僕にはあれがない。

あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。

---

ここで白状しなければならないことがある。

僕がビジネスを始めたのは、見返したかたからだ。

中学とき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなもの想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。

いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。

僕はそれを自分に向けた。

高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分会社を作った。それは全部、中学教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。

復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。

でも最近、その復讐の燃料が、切れかけている。

なぜなら、上を見てしまたから。

川島さんや柴田さんのような人間を見てしまたから。僕が中学教室透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまたから。

世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生自分会社を持っていて、クライアント十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。

でもそれは同世代の話だ。同世代トップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。

オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。

そう思うと、怖い。

今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと

もっと

---

でも。

---

でも、と僕は思う

木曜の夜の渋谷エスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う

僕は、楽しんだことがあるだろうか。

人生を。

中学とき、透明だった。高校とき復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。

友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。

二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。

旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。

大学生って、たぶん、もっと楽しいものなんじゃないだろうか。

Twitterを開けば、同い年のやつらがサークル合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレーム修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。

僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。

でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。

僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。

もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。

でも中身を入れに行く方法がわからない。

友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。

から僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアント課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。

でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。

からない。

もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷エスカレーターの上で立ち止まっている。

ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。

こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人いるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。

おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。

---

金曜の朝。

特に何があったわけでもない朝だった。

はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分ちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。

メール確認する。Slack確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件レポートへの反応だった。

さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分アクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告設計と、LP改善と、SNS運用方針を整理することだった。

その人からメールには、こう書いてあった。

「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます

僕はそのメールを読んだ。

二回読んだ。

三回読んだ。

そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。

「はじめて知らない方からの注文がありました」。

それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。

でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。

僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップ広告なんか、川島さんの世界には存在しない。

でも、僕の世界には存在する。

僕はなんでもやだ。

マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザイン方向性も考えるし、クライアント愚痴も聞くし、請求書自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在

でも。

あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。

なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。

月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端から中途半端場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。

それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。

僕にはこの仕事がある。

---

これが何かの答えだとは思わない。

川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷エスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。

ワークの問題解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学教室の透明な僕に戻ってしまう。

ライフ問題もっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっとしまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。

全部、中途半端だ。

全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。

この恥ずかしさの連鎖を、どこで断ち切ればいいのか、僕にはまだわからない。

Permalink |記事への反応(2) | 01:26

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受験とか勉強とかの話

娘の進学について、もし自分と似た所があったら何を助言できるかなぁと考えて過去を整理したので、ここに書き留めておくことにする。

小学生の頃、ふんわり勉強したいと思い塾に通い始めた。

中学受験コースに通い四科目の勉強を始めた。途中から社会勉強がつまらなくて(楽しんで覚えられなくて)、二科目コースに移った。すると受けられる学校の幅が狭くなり、その中には強く行きたいと思う学校も無かったので、嫌になって中学受験コースから学校サポートコースみたいなコース編入した。

サポートコース受験コースと比べると当然易しい内容で、簡単すぎると感じることもあった。

中学に上がると流石に高校受験を目指すコースになったが、そこでは上位クラスキープできた。小学校の頃の助走があったこと、最初から三科目で行くと割り切っていたことも大きかったと思う。五科目で理科社会をやっていたら潰れていたか結果的総合的な偏差値を下げていたと思う。(社会は相変わらず覚えられなかったので……)

夏期講習や夜遅くまでの授業、正月特訓などを経て、無事に高校受験には成功した。

さすがに塾に通うことにはうんざりしていたので、絶対予備校なんて行かない、大学付属校に行くぞという気持ち付属校ばかりを受けまくり、五校のうち四校に合格した。

高校ではその後、色々な点で苦しみながらも、友達趣味に恵まれそれなりによい思い出を持った状態卒業することができた。

苦しみについて補足すると、学校の授業で学び、家で宿題をするという当たり前の習慣に馴染めなかった。要するに勉強するモチベーションが沸かなかった。鬱に近い状態であったと思う。

勉強しなくてもちゃんと成績が取れる、という世界線を望んでいたのだと思われる。しか自分はそのような天才ではなかったので、普通に悪い点を取ってはしょげてた。

それを認識した上でも、まだ勉強することに面白みを見いだせない時期が続いた。勉強は苦しみであった。もしも、目的意識がある、学問領域としての面白さに気付く、得意な科目で無双する、楽しんで競争する、といったことが出来ていたら、また違ったのかもなぁと思う。

そういう意味では情報の授業では割と無双してHTMLJavaをやっていたかもしれない。

あとは、試験勉強友達学校ファミレスでやるというのも、楽しかったな。それに、そこで救われていたとも思う。

その反省も踏まえ、エスカレーターで進学した大学ではこの勉強が次にどう繋がっていくか、ということを少しは考えていたと思う。

B1は学部内で学科が分かれずに、B2で振り分けがあるタイプだったので、行きたい学科に行くためにはよい成績を取らなければならない、しかもこの学習B2の基礎になるはずだ……とまでは考えたのかは覚えていないが、それなりに頑張ったと思う。

学科への振り分けも決まると、ようやく勉強職業との繋がりが見えるようになってきて、学んでおきたいというモチベーションは増えた。またB3では研究室配属があるため、行きたい人気の研究室に入るためには良い成績を取らないとなぁという観点でも、諦めたりすることは無かった。

また、サークルに参加したのも良かったし、普段から内部進学の友達やB1でクラスが一緒だった友達とつるんでいたのも良かった。サークル活動に励んだり、喋ったりご飯を食べたりするのは楽しかったし、必然的情報交換をして、頑張ろ〜なのかやんなきゃ〜なのか分からないけど、勉強モチベーションになっていたのかもしれない。

サークル活動が専攻の内容ともリンクしていたことも価値があったと思う。これってどういうことだ?という疑問がサークル活動の遊びの中から生じて、別に宿題でも何でもないけど図書館に行って調べたり、活動成果物を作るためにあれこれやったりしていた。

この頃は結構成績も良くなってきて、専門科目は一部を除いて良くできていた気がする。

そんなこんなで気になっていた研究室にも入ることが出来て、やりたい分野の企業にも就職することができた。今の仕事にも満足している。

勉強の苦い経験というのは、成長しているということであり、多かれ少なかれ苦しむことになると思う。その時に折れないで頑張れるかどうかは、自分経験では目的意識と交友関係大事だったのだと思う。

それと、親からの機会の提供金銭的な支援奨学金ですね。

娘には、色々な事に興味を持てるといいね、仲間と一緒に遊んだ勉強したり色々やれるといいね、という方向性提示していきたい。

機会の提供という親の責務の果たし方については、これから考えをまとめていきたい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:38

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2026-02-13

何かと希死念慮出してくる母がムカつく

中年あるあるの軽度鬱なのかネガティブ発言が増えた母

この先、生きていても楽しみがない、もう後は死ぬだけだから等の発言を事あるごとに伝えてきてウザい

知らねーよって感じ

まぁ孫とか産まなくてごめんとか思うけど、自分人生自分でどうにかしてくれ

こないだコモドドラゴン見に行きたい話の流れで毒を持っていると伝えると「じゃあ私それで死んじゃうわ笑」とか言われ適当に流したけど、今さら思い返したら意味がわからないし喧しすぎるし何なん???

なんでわざわざ娘に伝えてくるん??

こっちだって1人で頑張って生きてんだけど

そっちはまだ父もいて働いてて、自分は働いてなくてずっと家にいて、たまに旅行連れてってもらったりしていいじゃん。いい暮らししてんじゃん。何わがまま言ってんの?甘えてんの?

充分じゃん、結婚して子供たくさん産んでずっと家庭に入っててママ友もいて最高じゃん。つまらないなら自分で何か探せよ。

こっちは友達恋人もおらず30年必死に生きてまだ死ぬまで50年くらいあんだよ。人生なめんなよ。

自分人生楽しむコンテンツがなくなったら自分で探せよ。環境依存するな。

死にたいを匂わせていたら死ねば?って言いたくなっちゃうぞ(言わないけど)

Permalink |記事への反応(0) | 22:37

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anond:20260213002708

まあ、友達、って奴が必要になるワケよな…

歳とるとそうもいかないけどな

そもそも独身であるならば独りが好きって可能性も高い

Permalink |記事への反応(0) | 21:49

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