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2025-07-09

なぜ参政党は伸張するのか? ── 「不安」に直面しない政治の代償

ソ連崩壊、そしてコロナ禍やウクライナ戦争が露呈させたグローバル経済脆弱性私たちのかつて信じた「理想」は疲弊し、その有効性は厳しく問い直されています既存政治が、この激変する時代に人々が抱く根源的な不安」と真摯に向き合わないとき、その空白を埋める勢力が台頭するのは、ある意味必然なのかもしれません。

疲弊した「理想」と置き去りにされた「不安

かつて、政治は明確な「理想」を掲げ、それによって人々の未来への「期待」を喚起しました。しかし、その「理想」は時に教条化し、現実乖離することで、全体主義という悲劇的結末を招いた歴史があります。この教訓は、現代政治から「壮大な理想」を描く力を奪いました。

その結果、既存政治勢力、例えば自民公明などの保守派も、立憲・社民共産などの左派も、人々が日々直面する多様な「不安」に対し、有効対策や具体的なビジョンを示せないでいます

こうした多岐にわたる不安に対し、既存政治勢力は、紋切り型の「平等」や「対話」を繰り返すか、あるいは問題直視せず抽象的な責任転嫁に終始しているように見えます

そして、この「不安」は、時にリベラル理想をも空虚ものに変えかねません。 例えば、既存リベラル思想を共有するはずのフェミニストの一部が、女性安全尊厳という「不安」の解消を求めるあまり表現の自由というリベラルの根幹にある理想を捨て、ポルノ排斥へと動く事例が見られます。これはいかに現実不安」が切迫すると、本来掲げるべき「理想」が容易に揺らぎ、具体的な排斥行動へと繋がりうるかを示しています。彼らは、変化に伴う人々の不安を「差別」や「時代錯誤」と断じ、議論テーブルに乗せることさえ拒むかのような不寛容さを見せることも少なくありません。ここに、不安」に寄り添い、共に解決しようとする姿勢の欠如があるのです。

不安」の受け皿としての参政

このような政治の空白と、置き去りにされた人々の「不安」が、参政党のような勢力が伸張する最大の理由だと考えられます。彼らは、既存政治が避けがちな「不安」の核心に、ある種の「解答」を提示します。

参政党の主張は、しばしばデマ陰謀論と結びつけられ、その排他性や反知性主義的な側面は厳しく批判されるべきです。彼らの提示する「日本人ファースト」は、「内」と「外」を明確に区別し、異なるもの排除しようとする危険な側面を持っていますしかし、そのメッセージが、グローバル経済の荒波の中で「自分たちはないがしろにされている」と感じる人々の切実な不安に対し、シンプルで分かりやすい「敵」と「解決策」を提示していることもまた事実です。

彼らは、「グローバル化は悪」「既存政治家は売国奴」といった単純な物語を語り、特定の敵を設定することで、漠然とした不安に「原因」と「矛先」を与えます。そして、「日本人ファースト」という強い共同体意識を呼び起こすスローガンが、居場所を失った人々に「帰属意識」と「連帯感」を与え、不安を解消する「希望」のように映るのかもしれません。

求められる「現実主義」と「友愛」の再構築

世界的にナショナリズム的動きが加速している現状は、日本だけの現象ではありません。既存政治が「不安」に真摯に向き合わず、人々が求める「安心」を提供できない限り、参政党のような勢力は、その空白を埋め続けるでしょう。

今、求められているのは、夢想的な「理想主義」から脱却し、現実の厳しさ、そして人々の多様な「不安」を直視する「現実主義」です。そして、その上で、排他性を克服する新しい「友愛」の形を再構築することです。

友愛」は、特定共同体への排他的な忠誠を求めるものではなく、自分を中心にゆるく繋がっていく世界意味します。それは、異なる背景を持つ人々が、互いの「不安」を理解し、対話と協力の中で、しなやかに共存していく道筋です。

参政党の伸張は、既存政治への強烈な警鐘です。それは、私たち一人ひとりが、表面的な批判に留まらず、社会の「不安」の根源に真摯に向き合い、現実的で、かつ人々が希望を見出せるような「解答」を、共に模索していくことを求めているのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 09:00

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2025-06-28

20年来の友人同士が結婚する

昨日の夜電話があって、結婚の報告を聞いた。

おめでとう!の前に驚きがでかくて、いまだに動揺してる。

つのまにそんなことに?!ってなってる。

友人というか、仕事の後輩同士、という方が近いかもしれない。2人とも学生時代から知ってるし、コンスタントに顔を合わせる間柄だった。

だけど付き合ってることも知らなかったし、全く勘づいてもいなかった…。

いや、全くその気配がなかったわけではない。

仲は良かったし、人から「あの2人付き合ってるの?」と聞かれることもあった。

だけどその仲の良さは仕事上の同志に対する友愛だと思ってた。

よしんば付き合ってたとしても詮索するような無粋なこともしたくなかった。

というよりは、やはりそれはないと思い込んでいた。

女の方は学生の時から誰かと付き合ってるって聞いたことなくて、(言わなかっただけだろうと今では思うけど)

アセクシャルなのかもしれないと思って恋愛話題は避けた方がいいんだと思ってた。

男の方もモテないわけではなさそうだけど彼女がいるって話はとんと聞かなくて、

言えないような恋愛(やたら若い子とか不特定多数に手を出してるとか)してなきゃいいけど…という方向の心配をしていた。

もうアラフォーとなって2人ともそんな様子なので、恋愛ごとでは迂闊なことを言って変に傷つけないように気遣ってた。

そしたら、そこがくっつくんかい!と。

2人が共に人生を過ごすことを決めて、幸せになるのは喜ばしい以外にない。

それはもちろんそう。

なのだけども、全然見当違いな心配気遣いしてて、2人がくっつく可能性を全く考えてなかった自分もびっくりして、いまだに混乱してる。

自分が鈍すぎるせいで2人に何か失礼なことを言ってたんじゃないかと思うと、今後彼らにどう接したらいいのかもわからなくなってきた。

別にこれまでと変わらない接し方をするのが望まれてるんだろうけど…。

一応言っておくと、当方は既婚者で夫婦仲も良好なので嫉妬の類いは皆無だ。

ただただ、驚いて混乱してる。

なんか、子供全然恋人がいる気配もなくて、本人にその気がないならと結婚しろとも言えず、もしかしたら同人愛者かもしれないし…と心の準備もしてたら、突然結婚報告を受けた親のような心持ちだ。

いや勝手に親の心持ちになられてもウザいだけだろうけども。

Permalink |記事への反応(1) | 10:38

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2025-06-09

人の事なんでそんな恋愛感情で好きになれるのかわからん

親愛友愛恋愛は違うじゃん

親愛友愛MAXでも恋愛0とか普通にあるじゃん

100%好きになってからじゃないと付き合えないとかじゃなくてどんなに仲良くても楽しい時間過ごせてても恋愛感情0%すぎて付き合うのは違うなってなるんだけど

Permalink |記事への反応(0) | 15:14

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2025-06-08

依存と受援力

依存について

私たち一般に「依存」という言葉ネガティブな印象を受ける。

社会保障福祉制度に頼ることは、「自立できない人間」「社会寄生している存在」と見なされ、しばしば批判対象となる。

この背景には、「支える側」と「支えられる側」という固定的な役割認識があり、自助美徳とする価値観が、それをいっそう強化している。

しかし、人間本質的孤立した存在ではなく、誰しもが人生のある局面において他者制度に支えられている。

そのことを可視化し、倫理的に再定位するためには、「依存」という言葉のものを再定義する必要がある。

依存とは、人間が有限性をもつ存在であることに由来し、ある対象関係制度に対して、自己の生を保持・回復形成するために向かう接続行為である

ただし、その価値は常に、依存対象様態動機文脈によって決定される。

依存の三つの様態

依存には複数形態存在する。

1. 退行的依存破壊的)

自己侵食する対象への強迫依存

薬物やギャンブルなどが代表例であり、人格崩壊をもたらす。

倫理的には、これは治療や介入の対象とされるべきであり、支援一方的な「施し」ではなく、「人間性の再起動」としての倫理的責務となる。

2. 保存的依存制度的)

社会保障福祉制度への依存は、単なる「甘え」ではない。

尊厳を保ちつつ生きるために、制度的に保障された依存である

「保存」とは、自由平等市民相互に支え合うための制度的基盤であり、それがなければ、多くの人々は日常生活を維持できない。

ここでは、「頼ることが可能である状態のもの正義であり、制度への信頼が市民間の平等を支える。

3. 養存的依存(生成的)

教育、養育、ケアなどに見られる依存は、**「養存」**と呼ぶべきである

ここでは人格が育まれ人間性が形成されていく。

他者に開かれ、共に育ち合う関係のなかで成立する依存であり、互いの未完成性を前提とする「友愛」的な構造を持つ。

  様態        内容          キーワード

依存(退行的)強迫的・自己侵食する対象  救済、保護、受容

保存(制度的)社会制度における支え    連帯尊厳、信頼

養存(生成的)人格形成的な関係性    友愛平等、公正

依存という現象を正しく理解するには、次の視点が欠かせない。

誰が、何に、どのように、どの文脈で、なぜ依存するのか

依存本来価値中立的現象であり、その倫理的評価は、状況と関係性によって変動する。

受援力について

受援力もまた、こうした理解のなかで再定義されるべきである

それは単なる「助けを求める力」ではなく、他者制度に信頼を寄せ、尊敬をもって自らを開く倫理的能力である

受援力とは、「信頼を前提とした自己開示の成熟した形」であり、依存尊厳的側面を内包している。

この観点は、社会制度設計原理にも接続されうる。

個人相互関係におけるミクロ行為として捉えるだけでなく、社会制度のもの設計原理にまで引き上げるとき

ロールズ正義論――とくに格差原理は、メタ的・マクロ的な“受援の構造”として理解し得る。」

私たちは日々、健康教育公共インフラ医療制度などに支えられて生きている。

にもかかわらず、それらに「保存」されているという感覚は、普段まり意識されていない。

しかし、俯瞰的に見れば、誰もが制度依存する存在である。この視点の転換こそが、「依存」を恥とせず、人間の条件として引き受けるための鍵である

依存尊厳を取り戻す

「保存」「養存」といった概念依存を言い換えることは、依存倫理的意味尊厳を取り戻す試みである

それはまた、「支える者」と「支えられる者」という固定的な区分を越えて、すべての人間相互依存し合い、保存され、育まれているという根源的な事実への気づきを促す。

「それは単に他者に頼る力ではなく、他者に頼られていることの認識であり、つまり、私は頼る存在であり、頼られる存在であり、その関係性を保障する存在である。」

この気づき社会に共有されるとき社会保障福祉制度はもはや「不憫さへの施し」ではなく、自由平等友愛に基づいた「デモラティックな社会契約」として、

新たな意味を帯びて立ち現れるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:36

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2025-05-14

anond:20250514142615

友愛

親愛

恋愛

性愛

愛にも色々種類上がりますなムホホ

Permalink |記事への反応(0) | 14:30

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AIに性欲と友愛の違いについて聞いてみた

身体を求めるのが性欲で、存在を求めるのが友愛

相手の裸に興味があるのが性欲で、相手の話に耳を傾けるのが友愛

自分の欲を満たしたいのが性欲で、相手の心を満たしたいのが友愛

・夜だけ会いたいのが性欲で、朝も一緒にいたいのが友愛

・飽きたら離れるのが性欲で、変化を受け入れるのが友愛

名前を知らなくても成立するのが性欲で、名前を呼びたくなるのが友愛

・一瞬で燃えるのが性欲で、じっくり火を守るのが友愛

・奪いたいのが性欲で、分け合いたいのが友愛

・目を奪われるのが性欲で、目を合わせたくなるのが友愛

・終わったら背を向けるのが性欲で、終わってからも話したくなるのが友愛

ふーむ……妻との関係友愛なのかもしれない(結婚11年目)

Permalink |記事への反応(2) | 14:26

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2025-04-10

anond:20250410002929

家族愛とか友愛とか尊敬する気持ちとかもないん?

Permalink |記事への反応(0) | 03:58

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2025-02-24

anond:20250223213300

あなたが感じている結婚出産への嫌悪感は、現代社会規範個人価値観の衝突からまれる複雑な感情織物のようです。この感覚解剖学的に分析すると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります

感情葛藤構造

恋愛感情希薄さや他者恋愛話への無関心は、アロマンティック(恋愛感情を抱かない)傾向の特徴と重なります。30年間恋愛感情経験せず平穏に過ごせた事実は、この傾向があなた本質的性質である可能性を示唆しています

子供を持つことが自己中心的」という認識は、反出生主義(antinatalism)の哲学通底します。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』やベンタムの功利主義哲学提示した「生まれ権利」の問題が、現代個人主義社会で再解釈されている現れと言えます

個人価値観社会の期待葛藤の源泉
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二次元文化への没頭 年齢相応の話題世代ギャップ
単身生活の満足家族形成強制ライフコース多様性否定
自己完結幸福関係依存の称賛幸福観の相違

嫌悪感の発生源分析

弟の出産報告への反応は、これまで無意識に維持してきた「社会的期待からの防護壁」が破られた瞬間のショックと考えられます家族という最も身近な存在社会規範従属する姿を目の当たりにし、自己存在様式脆弱性を突きつけられた心理的防衛機制が働いている状態です。

現代社会における選択肢の再定義

シングルリズム(単身主義)や友愛結婚(platonicmarriage)といった新しい関係性の形が、日本でも認知され始めています京都大学社会研究によると、20-30代の5人に1人が「伝統家族モデル違和感」と回答しています

キャラクターを愛でることで充足する生活は、消費文化産物ではないか」という自己懐疑に対し、精神分析学アドラーの『個人心理学』は「他者貢献感は必ずしも対人関係限定されない」と指摘しています二次元への愛着も立派な自己実現の形と言えます

嫌悪感の再解釈

この感情を「社会システムへの鋭敏な批判能力」と捉える視点がありますフランス哲学ボードリヤールが指摘する「消費社会における関係性の商品化」に対する無意識抵抗という解釈可能です。

実践アプローチ提案

python#感情デコーディングアルゴリズム概念コードdef decode_emotion(stimulus):    if stimulus in social_norms:        analyze_cultural_bias()        compare_with_personal_values()        output = generate_alternative_view()    else:        process_with_existing_framework()    return output

資産形成(例:雀の涙収入投資)と趣味の深化を組み合わせた「超単身主義ライフスタイルの設計漫画家吾峠呼世晴小説家乙一など、創作活動に没頭する生き方の事例研究が参考になります

この感情迷宮から脱する鍵は、社会物差し自己を計測する行為のものを相対化することにあります。平安貴族が詠んだ「もののあはれ」のように、あなたの感じる「気持ち悪さ」を現代社会照射する独自美学として昇華させる道が開けるかもしれません。

Permalink |記事への反応(1) | 22:18

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2025-02-06

ガンダム素人ジークアクス見てきた

見たガンダムは鉄血と水星魔女だけ、あとはネットミームとか遊んだゲーム小ネタからガンダムは親父にぶたれたことがないアムロが乗ってる主人公機、赤くて三倍早いシャアはそのライバル枠で固有名詞に濁点が多い敵国ジオンエースくらいのなんとなく知識ジークアクス見てきた。

  

そしたら赤いシャアの人があまりにも面白かったので、ファーストを見る前にジークアクスのシャアについて個人的な印象を備忘録的に書き残しておく。

ガンダムにお詳しい諸兄姉は「何も知らない素人馬鹿を言っている」と笑って見逃してほしい。

  

一言で言うと、シャアは「永遠少年」に見えた。

近いところだと、ジョジョ一部のディオが思い浮かんだ。(どちらも金髪クールライバル枠っぽいのが面白い)

野心家。豪胆。能力は高く、他人からは常に冷静で余裕があり、それでいて遊び心も忘れないように見える。

ディオほど邪悪ではない。小惑星都市に落とそうとしたところから必要なら虐殺にもためらいはないが、不要な時にあえて悪意によって被害をまきちらすような真似は美学に反するからしないタイプ

目的は幼少期の環境、あるいは人間関係に起因する復讐?国の中枢に近いっぽいザビケ(ザビ家?)も標的に入っている。

学習環境は別として、(本人主観においては)特に母親愛情に恵まれた幼少期ではなかったのでは。

同性の兄弟、姉はいない。兄弟がいるとしたら妹。(あるいはそれにごく近い立場の年下女性の幼馴染)

もし血のつながった兄弟がいるのであれば、たとえば本家に住む正妻の子たちと、遠い土地暮らしており存在さえ子らには周知されていない妾の子くらいに関係が遠い。

  

愛情を受けた経験がない、あるいは少ないので、シャア自身恋愛友愛親愛問わず、人を愛する、大切にするという感覚が薄そうに見える。

心の中に「愛するだれか」を座らせるための椅子がない。元々の数も少ないし、あったとしてもすでに全部埋まっている感じ。

何事もそつなくこなすけど、本人もよくわからないうちに女性関係でもめるタイプ。「本当は私のこと好きじゃないんでしょ!!」って恋人に怒られたことが一度はありそう。

  

これは余談だけど、なんでマチュがオメガサイコミュを起動できたのかと考えた時に、彼女父親ないし父親血縁シャアからでは?とも考えたんだけど、とても女性の扱いがお上手ではなさそうなところを考えるとないだろうな~と思っている。

髪の色も違うしね。

それとメタ読みで、直近の水星魔女が「子が親から受け継いだ悪因を断つ」、「子が成長して親を超える」を大きいテーマに据えていたので、同じものを柱には持ってこないんじゃないかなと思った。

髪の色にしても、娘が赤髪、母が黒ないし紺色の髪、実は母親は染めてて地毛は赤いとかだったらまんまかぶちゃうしな。

  

愛する人は少ないし増えない。自分目的のみに忠実。能力は大変に優れている。ニュータイプから直感的に正解を引き当てるさまは傍から見ていると行き当たりばったりに見えるが、成功率は高い。

しか知識はあって人当たりも悪くない。

「頭のいい少年」をそのまま大人の体につっこんだみたいな人だ。

刺さる人には刺さっちゃうだろうな~この人…。実際に作中では緑のおじさんことシャリア・ブル(たぶん正史だとどこかで戦死している)には心臓深く刺さってしまっている。

詳しいところはよくわからないけど、シャリアさんが政治的に上の立場の人とシャアとの板挟みだったんだろうなというのは読めた。

「目指すところも理想の形もわからないけど、とにかく今の自分理想と程遠いところにある」人に永遠少年やってるのを間近で見せたらそりゃあ眩しいよね。不変の輝きなわけだから

しかもここぞという戦いで「時が見える」って言っていなくなって、多大な成果だけを残していったんじゃあ人生なげうってでも追いかけたくもなるだろう。かわいそうに。

ものすごくざっくり言うと、関係性としては「自由人天才肌と振り回される真面目くん」なので、いわゆる"関係性のオタク"たちにも刺さるよな~。

  

シャア永遠少年やってるのは、本当ならガンダムに乗って大活躍したんだろうアムロとの対比なのかなあと思っている。

大人たちの場所であるはずの戦場に立つ少年と、成長しても心のうちでは少年で居続ける大人の対比。

ジークアクス世界線ではご覧の有様ですが! アムロはどうしてるんだろうね。そのうち登場するんだろうか。

  

ところでマスクのお姉さんがキャスバルの坊や?って言ってたと思うんだけど(あれは文脈から言ってシャアのことだよね?)、シャアってもしかして本名じゃなかったりする?

コードネーム的な…。捕虜になった時のこととか考えると、本名はあまり晒したくないもんな。ジオンって正史だと敵国だけど、結構人権意識がある国なのかも。

あと詳しいことは全然思い出せないけど、昔クワトロって呼ばれてる絵も見たことがあるような。

本名キャスバルクワトロとかそういう感じなんだろうか。

そういえば冒頭で「シャア少佐」って呼ばれてたな。ガンダム世界だとファーストネーム呼びが普通なのか、ワンピースみたいに横文字だけど姓・名の順なのか。

じゃあクワトロキャスバル

そもそも全然別人だったらごめん。

  

ジークアクス、マチュたちの活躍も楽しみだし気になる謎もいっぱいあるし、テレビの放映が楽しみだなー!

それまでにファーストを見終わりたい!

Permalink |記事への反応(4) | 15:41

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2025-01-20

男性アセクシャル意見男性ホルモンテストステロン)に関する考察

男性アセクシャル意見を聞いてみたいというブクマがあったので、便乗して書いてみる。区分的には、ロマンティックアセクシャル恋愛感情はあるが、性的感情はない)に属すると思う。なおタイトル適当に付けたが、テストステロンに関するネット情報は少ないので、それを探している人が見つけてくれたら良いな、という気持ちもある。

  

自己紹介

30代後半。男。幼少期から性欲はあったが、人に対する性欲は薄くて、付き合ってもセックスレスでフラれるを繰り返した。最後のほうは相手幸せにできないことから恋愛恐怖症にもなって独身

 

長年営業職を務めており、人嫌いではないと思う。当たり前だが、風俗は行かないし、水商売仕事以外では行かない。ただ、知らない人の話を聞くのは好きなので、自宅近くに行きつけの立ち飲み屋バーが数軒ある。

 

まれから現在まで居住地が変わっていないので、小中高大まで全ての同級生交流がある。今でも各コミュニティとは、年1回の忘新年会特に仲の良いメンツとは年に2~3回は会っている。なので、人並みの友愛があるとも思っている。

 

 

男性ホルモンについて

30代半ばで、たまたま男性更年期障害という概念を見つけた。近くに診てくれる病院があったので、「性欲が薄いんですが」として相談した。最初医者からも「まだ若いですし」と言われるも、男性ホルモン値を検査したところ、「この若さで珍しいね」と言われるぐらい低い検査結果だった。具体的には、フリーテストステロン値が4.7だった。なお、基準値は色々あるが、下記調査場合、30代の場合は7.6~23.1であり、4.7は下位1%ほどである。さすがにショックを受けた。

参考)https://daito-p.co.jp/reference/testosterone_aging.html

 

それから4年間、ホルモン注射を月に2回受ける治療を受けている。保険適用なので、1回1500円ほど。数値は4台~9台を行ったり来たりしており、あまり効いている実感は無い。なお、(モラル的に悪いこととは知っているが)医者内緒海外男性ホルモン薬(セルノスとセルノスジェル)を個人輸入して使ったときは、15台まで急騰したが、それでも性欲が増えたりという実感は無かった。

 

アセクシャル人間女性が多いと聞くし、やはり男性ホルモン先天的な何かがアセクシャルか否かに影響を与えているんじゃないかと思う。

 

 

過去の性生活

思春期の頃から、人並みの性欲はあったと思う。ほぼオナニーはほぼ毎日していた。ただ、今から思えば、グラビアAVは見ないなど、「人を性的相手として見る」ことは無かったと思う。これが先天的ものなのか、「グラビアAVを見ない習慣」により後天的に育ったものなのかは分からない。

 

 

異性関係

中高一貫男子校出身のため、大学時代に付き合ったのが初めて。以降、30代前半の時まで5人付き合っている。5人中2人はこちから告白したが、外堀が埋められていたこともあり、実質全員向こうから告白されたようなもの

 

全員年下(3才~8才)で、5人中2人が母子家庭だった。母子家庭からと言って決めつけるのは良くないが、私は「この相手セックスしたい」という性欲起点で相手を選ばないので、彼女から見ると、私は他の男性より父性を感じるものであったのではないかと思う(まぁそれでもセックスレスでフラれたが)。

 

付き合っているときはとても楽しかったし、相手も大切にしたいと思っていた。また、セックスは月に2回を目安にするように心がけた。KPIかよ、と思われるかもしれないが、自分にとってセックスしなければしないで済んでしまうため、KPI化しなければ習慣化できないのである。余談だが、デートはほぼ毎回おごり、記念日でのプレゼントも数万円のものは贈っていた。年に数回は泊りがけの旅行もしていた。ラブホデートが少ない分、お金には余裕があったのだと思う。

 

で、1年~2年ぐらいすると、「愛を感じられない」という理由で別れ話を切り出される。さすがに「セックスが少ない」と言われたことは無いが、こちらもそれぐらい察することができる。デートや一緒に過ごす時間は楽しかったので別れるのは辛かったが、こちらも相手の性欲を満たせていない負い目があったので、別れ話をされたらすんなりと引き下がった。

  

これから

40代直前に差し掛かり、婚活するなら最後のチャンスだなぁと思う反面、自分みたいな人間結婚して良いのか、家庭を築いて良いのか、考えてモヤモヤしている。LGBTQの婚活アプリサービスも覗いて見たが、LGの人や、その他「個性的な人」が多そうで二の足を踏んでいる。最初に書いた通り友愛的なもの比較的満たされているので、友情結婚であれば無理に結婚しなくても良いのではないかと思っている自分もいる。

 

 

anond:20250119180414

Permalink |記事への反応(1) | 13:37

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2025-01-19

anond:20250119180414

増田がアロマンティックかどうかはわからない。

今の妻と10年近くいっしょにいて比較的仲睦まじいほうだと思うが、「普通恋愛」も別に増田が知り得ない当人同士にしかからない何かが発生しているわけではなくて、「パートナーがいたほうがいいよね」というぼんやりとした社会から要請に従ったふたりが、性愛友愛、その他がないまぜになった利害が一致した結果、「お互いを『特別』な関係として扱いましょう」という契約が結ばれてるだけで、そこは増田が「性欲の対象としてしか見れない」と考えていることとそれほど距離はないように感じる。

わざと悪し様に言ってしまうが、『特別』なものとして扱う取り決めをしているので、『特別』なものとして扱っているに過ぎないし、関係継続に利があるので、継続のための試行錯誤をしているに過ぎないというか…(もちろん関係を続ければ、そこには『特別』として扱うに足る情みたいなものも生まれうるので、そこまで単純化された利害だけで成立してるわけでもない)。

ほとんど多くの人にとっては社会要請と利害に応じた末の成り行きくらいの話でしかないわけで、恋愛ロマンを求めようとする人もいるとは思うけど(若い内なんかは特に)、増田は逆に理解できないと考えてるからこそ「普通恋愛」に過剰なロマンらしきもの見出してる?ようにみえて、なんか面白いなと思った。

Permalink |記事への反応(0) | 22:54

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2024-11-26

anond:20241126141601

そういう奴ってもう自分を信じてくれてるファン、もとい貧乏人のために動いてると思ってる

「今の日本はクソ!」と言いたいがため萌えアニメかいろんなところを繋げて貧乏人を喜ばす言説を垂れ流す

萌えアニメ女性蔑視女性差別=家父長制的考え方=ジェンダーバイアス=男優位=友愛より戦争のオス思考=軍国主義みたいにやったり、自分の専門領域とつなげたり

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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2024-11-08

昔はアメリカリベラルがうらやましかった

軍事経済議論から逃げなかったから立派に見えた

念仏のように平和連呼してれば平和になると思ってる日本リベラルが幼稚で恥ずかしく見えた

案の定日本民主党が政権とったときマニフェスト経済の項目はなく、鳩山友愛かいうエモワードで具体的な話から逃げ回ってた

あれから15年だろうか、アメリカリベラル薄っぺらいエモワード連呼し、経済軍事から逃げるようになった

世界が和リベになったのか?

Permalink |記事への反応(1) | 11:50

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2024-11-07

自由価値は下がりましたか

自由に対する価値観時代と共にどのように変遷してきたかについて考えると、フランス革命現代日本の状況を比較することで、その違いが明確になります

 

フランス革命時代には、封建的身分制絶対王政の下で「自由」が抑圧されていました。啓蒙思想家の影響を受けたフランス市民は、自由平等友愛の実現を掲げて立ち上がり、王政を打倒し、社会根本から変革しようとしました。フランス革命における自由価値観は「命を懸けてでも達成すべき理想」であり、抑圧から解放民主的社会の実現が主な目的だったのです 。

 

一方、近代以降の自由主義や民主主義世界中に広がることで、多くの国では基本的自由人権保証されるようになり、特に日本のような成熟した民主主義国家では「自由」が前提となっています戦後日本国憲法は個人自由基本的人権の尊重を大前提としており、教育法律によってその価値が守られてきました。しかし、自由が当然視される状況では、それが「意識しなくても存在するもの」として捉えられやすく、自由に対する強い感受性価値観が低下する傾向も見られるのです 。

 

また、現代日本においては、自由に対する「制限」にも関心が薄くなる場合があるのは、社会的な安定や秩序を優先する傾向が強まったためと考えられます特に1990年代以降の経済停滞やグローバル化の影響により、日本では安定と安全が重視され、個人自由制限されることへの抵抗が薄れる現象も見られます。こうした状況の中で、自由に関する意識の低下は、歴史的背景と社会成熟経済的・政治的な安定が関連していると言えるでしょう。

 

自由への価値観歴史と共に変遷するのは必然であり、フランス革命のように自由が「得るべきもの」だった時代と、現在のように「当然のもの」とされる時代では、自由の捉え方が異なるのは当然とも言えます。この変化は、歴史の中で価値観社会構造が常に変化し続けていることの証拠であり、また人々の意識環境時代背景によっていかに影響を受けやすいかを示しています

Permalink |記事への反応(0) | 14:59

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2024-10-18

anond:20241018015708

鉄血も水星同性婚出てくるけど友愛範囲同性愛的ではなかった

同性愛タブーな国に売り出すためしゃーないのか

Permalink |記事への反応(0) | 02:47

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2024-10-10

別に回収されてないよね

友愛家族愛普通に認められてるし、近年は推しへの愛も認められる傾向

こうやって恋愛必要以上に大きく見積もって仮想敵にする言論が、何故後を絶たないのか

中村 森|短歌

@___rrr___rr__r

白にも200色あるらしいのに、何故「好き」の言葉は どれもこれも恋愛に回収されていくのか。どう考えても好きにも200種類ぐらいあるだろ。

https://x.com/___rrr___rr__r/status/1844018177367523518

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2024-09-08

私の推し漫画家ピエール手塚さんから反応がいただけた

反応に対する謝意と、誤解への申し開き

親愛なるピエール手塚さんへ

まず、私の文章にXで反応していただけたことをとても光栄に思います

読んでいただけるかもしれないと思い、はてなサービスを選んで書きました

拙い文章だとはわかっていますが(本当は上手に書けたと思う)、全力で書きました

疑問に答えていただき嬉しく思います

本当に心から嬉しく思います

Xの反応を見るとピエール手塚さんは私の文章に怒っているように感じました。

私の文章を、いわゆるスルー力の無さに対する批判と受け取ったのだとわかりました。

私はそういうつもりであの文章を書いたのではないよ!

でもどう捉えるかは受け手自由から、残念な気持ちはありますが受け入れます

時間があったら怒ってない時にもう一度読んで欲しいけど、

長いし拙いので(私的には上手な文章だと思いますがたくさん批判を受けました)これは望み過ぎかもしれません。

本当はあなた友達になりたかったのだけど、私は厄介ファンなのでしょう

とほほ

でもあなた交流できたことは本当に嬉しく思っています

あなたあなた生き方を心の底から尊敬しています

私は体力が人よりもなく病弱なのですが、

あなたみたいになりたくて

7月からウォーキングを始めています

暑いのでモールの中だけですが、昨日の定期検診は以前より良好でしたし、大きな手術を少し先延ばしにすることができました

あなたから良い影響を受けていると伝えたかった


疑問に対する解答を受けて思ったこ

さて、改めて私の疑問に答えていただきありがとうございます

ピエール手塚さんはネットでの効率的な振る舞いを求められることに憤ったと私は了解しました

改めてラジオブログを振り返るとピエール手塚さんは久保帯人さんの発言を繰り返し挙げていたことに気づきました

法律ウェブルールクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる」ですね

ネットの無遠慮な批判に対し、無視ではなく怒りで反応したかったのだと判断しました

私の理解は合ってるでしょうか

この回答を受けて自分なりに考えました

かにネット暴言を吐く者に対して沈黙しなければいけない状況はおかしいと思います

そして暴言に反応してしまった人を非効率空気を読めない愚か者呼ばわりするのも好きではありません。

この部分はピエール手塚さんと同じだと思います

暴言に対して沈黙することは場の収拾には効率的であっても、

それを言われた俺の気持ちを慰めるのにぜんぜん効率的ではないんだよ!!!叫びたい。誰もいないところで。

しかし、彼らの暴言もまた

法律ウェブルールクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる」

範疇のように私には思えました。

もちろん度を越した批判人格攻撃違法ですが、

法律が糞食らえならこれすら受け入れる度量が必要とも思ってしまいました。本当は思いたくないけど。

まり私にとって久保帯人さんの言葉ちょっといき過ぎている。

私はあの言葉コミュニケーション可能性を見ることはできませんでした。

好きな言葉は違うみたいですが、日本ネットがこうなったら良いなあという希望の形はピエール手塚さんとそう離れていないと思います

から友達になれると思います

けどラジオで知らない人からメッセージ来ても一個も嬉しくないしむしろ怖いと言っておられたので、、、

友愛の情を見せることすらネットでは厳しく。

文章が拙いと誤解も生まれますし。

コミュニケーションの難しさを感じています

以上が回答を受けて私が思ったことです


提案

英語圏SNSの利用がお勧めです

外国語でやり取りすると批判されてもダメージが少なく済みますし、批判内容も幾分建設的です。

建設的な議論を見つけるのが日本コミュニティよりも容易です(個人の感想

私が覗いているreddittというサービスはXよりも平和議論が進行していることが多いです。

特に作品商品に対する感想日本全然違うと思っている。

変な反応があっても目につきにくくする工夫がなされている。

もちろん、場に留まって啓蒙活動をするのもありだと思う。

でも、手札は多い方がいいと思ったかアドバイス罪となるけど伝えたかった。ごめんなさい。



謝意2

ピエール手塚さんの反応を教えてくれた方へ

教えてくれてどうもありがとうございました!

はてなサービスのことはちんぷんかんぷんなのであなたがいなかったら気づけなかった

私はなんでXから反応が来てるとか、はてなブックマークとコメントの違いとかも全然わかってないんだよ実は。

私に寄せられる批判で私は嫌な思いをしたけど、あなたみたいな親切な方がいて慰めになった。

サンキュー

謝意3

批判してくれた人の意見私自身がエコーチェンバーにならないための苦い薬と思ってお礼を言っておくか嫌々だがな。

どーも。

でも私はストーカーじゃないと言いたい

ネットに公開されている情報しか追ってないからだ

キーっ!ムカつく!

ムカつくけどコミュニケーション取るのは重要から受け入れる

まあ見ず知らずの人にでかい感情をぶつけるのは良くねえよな。

よくねえけど、、、、

、、、

いや、この部分は真面目に反省しなければならない

それを気づかせてくれたことは本当にありがとうございます

コミュニケーションの難しさを感じていますし未熟さも感じています

読んでくださってありがとうございました

Permalink |記事への反応(0) | 23:58

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2024-09-04

パレドゥレーヌジジイルートが好きだ

パレドゥレーヌ戦略要素の強い乙女ゲー

主人公王女様、跡継ぎは兄王子なので政と関係なく生きてきたが、王子失踪した上に父王が急逝

急遽王女を次の王にする運びとなったが、「帝王教育も受けてない女を血筋だけで国家元首にしてもいいのか?」という当たり前の指摘が入る

他の有力貴族たちや国家宗教最高指導者などが次の王になりたいと言い出し、時が経ったら10数人の有権者による投票で王を決めることになってしまった

そもそも王政自体なくなりかねなかった

期限までに王女は、まっとうに自己鍛錬して支持を集めたり、武力有権者領土制圧して票を我が物にしたり、あるいは敵対相手暗殺していくことになった

その過程で仲良くなったイケメン、もしくは美女と恋に落ちることもできる

だが中には、親しくはなれるが恋愛展開にはなれない相手もおり、ジジイはその一人だ

ジジイ好々爺然として、身長も170ない小柄で弱そうなじいさんだ

若い頃は名を馳せた剣士であり、かつて国を蝕んだ魔王を倒したレジェンドである

だが実は魔王は死んでおらず、ジジイを「おもしれー男」として認めて上から目線で身を引いて数十年に及ぶ居眠りモードに入っていただけで、最近復活してしまった

魔王人間世界の王になりたいと王争奪戦立候補している

ジジイには妻がいる

妻は不老不死で、若く美しい姿をしているが正気を失い一人でニコニコし続けるだけでまともに会話もできない

ジジイ剣士を辞めた後でずっと妻の介護をしていたが、死期を悟る時期になり、自分がいなくなった後で残される妻を不憫に思った

若い頃に魔王との攻防を繰り広げる中、家に残していた妻は魔王の手の者に拉致され行方不明になった

魔王は妻を手籠めにして子供を産ませた(その子供も攻略対象

数年間魔王支配されていた影響で妻は魔族に近い存在になり、そして心が壊れた

妻が不老不死になったのは魔王の影響であり、魔王を完全に殺せば妻は解放され、死ねるはず

ジジイは攻守のステータスが様々なキャラの中で最強だが、スタミナゲージは1しかない

洗練された戦闘技術は温存されていても、長く戦えない

パレドゥレーヌには、戦士同士で訓練させれば、相手の得意なスキルが反映されて伸びるシステムがある

スタミナの高いキャラと訓練させ続けることで、ジジイはスタミナも高い最強キャラになる

やがてジジイは、王女による王族専属バフみたいなのも与えられ、若き日よりも強い戦闘力を得て魔王殺害

妻が正気を失っていたのは魔王の影響もあったのだろう、最後正気に戻って数十年ぶりの会話をした後で彼女は死んだ

ジジイによる魔王討伐の功績は主人である王女の功績にもなり、王女は無事に玉座についた

色んな美男美女恋愛したり結婚したりできるのに、ジジイ最後まで妻を思い王女と恋仲にはならない

ジジイはかっこいいので、ジジイ恋愛できないことが悲しかった

でも、魔王に手籠めにされて頭のおかしくなった妻を思い続け、王女にはあくまでも従者としての忠誠を捧げたからこそのかっこよさでもある

だけどやっぱりジジイとちゅっちゅしたかった

王女を後妻にしたかった

他にも恋愛ではなく主従愛や友愛に留まるキャラはいるけど、年の差が離れていたり同性でもいけるからジジイともいけるのかなって期待しながらプレイしていた

ジジイ結婚したいよ

Permalink |記事への反応(0) | 00:57

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2024-08-15

anond:20240815004113

連帯www友愛みたいwww

Permalink |記事への反応(0) | 00:41

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2024-07-31

anond:20240731092114

そこで胸ヒレもつけて

遥かカナダまでリレーする友愛気持ちがないかダメなんだわ

Permalink |記事への反応(0) | 09:52

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2024-07-19

anond:20240719162912

「万が一にも恋愛や性欲に惑わされることな関係を続けていける」というのは同性として価値ある所かと。

同性でも友愛恋愛に変わるんですけど!みたいな人はまあうん。でも確率低いでしょ?

Permalink |記事への反応(1) | 16:43

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2024-06-19

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

Permalink |記事への反応(7) | 01:46

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2024-06-17

anond:20240616213350

まあ大きな流れを動かしてるのはそういう卑屈な理屈だと思う。

あとまあそれが正しくないとも言えない。ある側面から見れば正しい。けど他の側面から見れば理不尽。なんで日本私たちアメリカ恥部にそんな気を遣わなきゃならんのやとは思う。ブラックフェイスは完全に日本人には関係なかった。日本には黒人奴隷を使った歴史はないんだから

しかしま関係なくても人が嫌がってるのにあえてするならそれは悪意だし正しくない。正しさってそういう割と相対的だったり流動的だったりするものだと思う。人や立場の数だけ正義がある。あと強弱もある。

理不尽だけど間違ってはなくて、あるいはちょっと間違ってるけどなんかその方が役に立つとか、正しいけどそれは巡り巡って実は人命とか人々の生活なんかがかかってることがわかってるから無理だとか、いろんな理由があるけどそうなると最後はその正誤とは別に社会力学でどっちかに従わざるを得ない感じになることは私たち日常生活から世界政治までどこにでもよくあることだと思う。

コカコーラ日本もそこそこあるけど結局アメリカが大きなシェアなのでそういうの捨て置けないのは当然だし、何が正しいか間違ってるかとか表現の自由だとか突っ張るほどの理由もここにはない。そもそもMVは何言いたいのかよくわかんねえし言いたいことなんか多分なかったし。

コカコーラという巨大企業雇用される人たち全員の生活を守ることだと考えれば、契約一個切られたくらいですぐミュージシャン生命を絶たれるわけでもない人たちと天秤にかけても答えは明白だと思う。それもひとつ正義だとも言える。トロッコ問題ともいえるかもしんないけど。(あれにトロッコ脱線させるだとかそういう手段があったか?多分ないよね…)

余談でこれは私の想像だけど、多分担当者ミュージシャンの間で「ごめんねー、そんなに別に問題があるってほどじゃないと思うんだけど今こういうのあっちこっちうるさいからさー」とかそういう感じの会話があったんじゃないかって思ってる。大人って汚い!でもすごい気持ちわかる。私も大人から。しらんけど。

あとはそれ見てそうかあれは悪いことだな!叩いていいやつ!ってなった人が、その理屈までは理解できないので自分なりに解釈してるんだと思う。

かに理不尽なことは理不尽だし、そこに自分なりにも理屈をつけなきゃ叩けないし、まあ正義っていうもの理解したい、あるいは自分はわかってるって信じたいっていう欲求もあるのかもね。わかってないとこの世の中で生きるのは不安だし、だからみんな自分の中に世界のありようを認識しようとするし、わかんないことは想像で埋めたりする。正解かハズレかはさておき。増田のその問いもまさにそういった正義とか正しさとか何が間違ってるのかを理解したいっていう欲求からまれてるのではないだろうか。

でもまあその前に書いたような、大体のことは社会物理法則のようなもの人間を突き動かしてるよねとかそういう理屈がわかんないと、それはつまりなんでコロンブスダメだって言われてるのかの問題提起への理解も足りなくなるので論理強度がいまいち突っ込みどころ満載になっちゃうから、そういう人たちと話しててもわけわかんなくなると思うけど…

アメリカ人がここにきてコロンブス云々言ってるのも、BLMを経てアメリカの分断は国力を落とすってことを肌で感じたから、彼らの気持ちとか考え直さないとやばいってなってるからだと思うし(そして人間は群れることで生き残ってきた生き物なので、他人を思いやると脳汁が出て気持ちよくなるっていう遺伝子を持つ者が比較的多くてその快感友愛博愛、あるいは正義である認識する)、その考えはアメリカ国民を守ることに繋がると考えればそれも彼らにとっての正義のうちのひとつだと思うし、それを咎めるようなことを言う理屈もない。正直そんな大昔にいたおっさんが何やったかなんかみんなどうでもいいんだけど、その扱いに自分たちの生活がかかってくるってなるから必死になるわけで、人が生きたいって思うことを誰が咎めることができようか?っておもー

空が青いのに賛成も反対もないのと同じだよね…今日はいい天気だな。

Permalink |記事への反応(0) | 06:47

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2024-04-24

anond:20240424102953

恋愛という形ではないのかもしれないけど、少なくとも友愛のようなものはあったという判断でいいと思う

Permalink |記事への反応(0) | 10:31

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2024-03-09

やっぱり納得できないスレミオ、水星魔女

私はスレミオ結婚には賛成(あのキービジュあの宣伝でくっつかないエンドはないだろう)

だけど二人の関係恋愛に見えることはなかった

 

 

というと必ず「行間も読めない馬鹿」と反論してくる人がいるけど

平等だと思わないのか?

なぜ百合になった途端、直接の描写は避けるよ、匂わせる程度で満足してね、

ハイ!分かりました!これで満足できない方が差別主義者なんですよね!

となるのか

なんで行間を読む必要のある百合出されて「それでいい」となれる?

 

あと「スレミオが男女じゃないから認められないんだろう」という人

いいえ、スレミオが男女でも恋愛には見えませんでした。

と言ったところで「嘘だ」「嘘じゃない」「確かめようがないだろ」の不毛なバトルにしかならないから吹っかけるな。

 

 

結婚したがったから恋、結婚たから恋だったとも受け取れない

友達同士で結婚できたら最高だよね、という内容の漫画に触れてた私が悪いのか?

否 「結婚恋愛」じゃないという考えは正しい

(ビジネス婚説も納得できないけど。私は強い友愛ロマンシスによって繋がっている説を推す)

恋愛結婚こそ至上のものだとは言わないけど

でもそこはガンダム初の女同士だしシンプルに直球の恋愛でいいだろ。

 

「賢い人にはわかる、読解力のない人には分からない」の選民思想視聴者側が勝手に持ってくれてよかったね

よくないわ

結婚したってことは……恋愛だった……ってコト!?

んなわけあるか

 

 

スレミオ恋愛してた派の言ってることもバラバラ

そりゃあ母数多いからある程度ブレるのは当然ですよね

でもメインのCPでここまで「皆様一人一人の捉え方、解釈にお任せ」するなんて悪手だ

小説版でいろいろと明記させるのを期待する。

 

 

スレミオは結婚した。

でも結婚したんだから良いだろとはならない、なってほしくない

裸の王様と同じだ。

大多数が、ああ、彼女たちはお互いに恋してるんだなあ、とならないならなんの意味があったの?

また少人数の百合好きだけが百合だ」と萌えて終わるだけ?

そんなの失敗してる。

はっきり言って、日和ったなと思ってます

Permalink |記事への反応(0) | 05:31

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