
はてなキーワード:原作とは
やっぱり9条改憲派は国益を何も考えてなくて、護憲派の方が考えてると思うんだよねぇ。
https://anond.hatelabo.jp/20260215115817
かつて『遊☆戯☆王』の高橋和希先生が自身のインスタグラムに上げた選挙の投票を勧めるメッセージに、2019年7月当時の政権に対して「売国」という言葉を使い、それはもう叩かれたものだった。
当時は政権批判をするにしても「売国」という言葉選びはどうかと思ったけれど、やっぱ正しかったな。
先日の選挙の前には多くの漫画家が政治について語って話題になっていた。
ジャンプ作家は社会的存在感が大き過ぎて、作品を通して伝える事こそ出来てもそういう直接的な主張は出来ない立場にあるんだろうけれど、高橋和希先生は例外だったな。
とっくに連載が終わっていたというのもあるんだろうけれど、原作は終わってもメディアミックスされて企画は大規模に動いてたしさ。
37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論構成・御船紗子2026年2月14日
AI(人工知能)をはじめとする技術と人がともに生きる世界を、37年前に描いた漫画がある。「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」(講談社)だ。その後、アニメ化されて世界的な人気を集め、ハリウッド映画の原作にもなった。今年7月には新アニメシリーズの放送も予定され、世界観を再び広げようとしている。漫画作者の士郎正宗氏は人びとの生活や職場にAIが急速に入り込んでいる現代をどう見ているのか。朝日新聞の書面インタビューに応じた。
・士郎氏が現代を描くなら
――攻殻機動隊の連載を始めた1989年当時は、まだインターネットが一般的に普及していませんでした。しかし、作中の世界はネットやAIが社会に浸透し、脳をネットでつなぐ描写もあります。この世界観はどのようにして生まれたのでしょうか。
小型で高性能のバッテリー、コンピューター関連の技術の急速な発達、高度な通信インフラ。当時はどうなるかわからない技術もありましたが「なんとかなるか~」と目を瞑(つむ)って設定したら、このような世界観が出来ました。生体、特に脳への侵襲技術(物理的なダメージを伴う技術)は「医療分野以外だと実際には進まないだろうな」と思いつつ、架空の物語なので描写する選択をしました。貧富や技術の格差両面を描写するよう気をつけました。
生活や仕事を便利に支援してくれるレベルに手が届いてありがたい半面、善良ではない目的でこれを利用する人達もいます。他の多くの技術と同様に多くの問題・課題も生じるし、対策も必要かと思います。人工知能はそうした対応策の検討や実施にも役立ってくれるでしょうから、有効活用するのが良いかと思います。
暮らしに広がるAI、加速する進化 「脳の本丸」への接近には危機感
人間における魂や心とは
――本作には枠外に多くの「補助説明文」が書き込まれ、読者が作品の世界観を理解する手助けをしています。この説明文によれば、主人公の草薙素子少佐が言う「ゴースト」という存在は、神道における八百万(やおよろず)の神のような存在だと理解できます。現実世界に氾濫(はんらん)するAIやその他多くの電気通信、データセンターのサーバーにも、ゴーストは宿ると思いますか。
人間はそもそも認知機能や心的原因から、壁のシミや木目に顔や人影を見いだしたり、現象の乱雑さに非偶然性を感じたりする想像力豊かな生物です。人工知能が単に文章や画像を統計処理して、あたかも人格や心があるかのような姿をし、人格や心があるものの手によって作られたかのような会話応答をした場合でも、実際にその人工知能に心と呼べる機能があるか否かとは関わりなく、人はそこに意思や心を見ることがあると思います。
人間における魂や心とは何か。定義や、構造の解明が可能になって、その機序(メカニズム)を踏襲または応用した人工知能(身体性を持つこと込み)ができて、さらに十分な学習が進めば、ゴーストは宿りうるかもしれません。しかし、現在のようなサーバーを積み上げるだけでは難しいかもと思います。
――作中に登場する天才ハッカー「人形使い」は、サイバー空間で生まれた生命体です。現在のAIや、サイバー空間に在る「なにか」が人形使いのように自我を持ち、ゴーストを持つことは可能だと思いますか。
どういった条件を満たしたら「ゴースト」と呼べる現象か、定義が必要です。また、どういった条件を満たしたら「自我」と呼べる現象かも、定義が必要です。
しかし、前出のゴーストに関する問いと同様に、それが可能か否か、実在するか否かとは全く無関係に、人がその存在を感じる(存在すると主張する)ケースはあり得ると思います。世の中には色々な人がいますので……。
士郎氏の補足説明文によると「霊魂とでもいうべき」もので、人格を形成する存在。森羅万象にゴーストは宿るともされる。作中の優秀なハッカーは、脳をネットワークでつなぐ「電脳化」で、他者の人格をつかさどる部分へ侵入する「ゴーストハック」ができる。草薙素子少佐が「そうしろとささやくのよ 私のゴーストが」というセリフは、劇場版やテレビアニメシリーズでも名シーンとして描かれ、知る人も多い。
――現実に人形使いのような自我を持つAIが誕生した場合、私たちはどうすればいいのでしょうか。
どういった環境下で何を学習してきたかによって、あるいは誰に何を教え込まれてきたかによって、その人工知能が何をしようとするか変わってくると思います。
そのようなものが登場するよりも前に、「出来るだけ多くの人間がQOL(生活の質)を高くして生きられる方が良い」「戦争を避けたり犯罪を減らしたりした方が良い」などの、人間社会にとって都合の良い指向性を持った人工知能を育て上げることです。
最高性能を維持し、「ヘンなバイアス(偏向)のかかった人工知能」や「人工知能を使って悪事を働こうとする人間」が登場しないように、あるいは、登場しても抑制可能なように備えるのが良いかと思います。
重要キャラクターの一人。電脳化した他者の脳に侵入して人形のように操る「ゴーストハック」が可能な「電脳犯罪史上もっともユニーク」と称されるすご腕のハッカーで、正体はゴーストを持った謎のプログラムだ。本人は「AIではない…私は情報の海で発生した生命体だ」と語る。
写真・図版
「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
愚かさ、浅ましさも「人間らしさ」
――本作5話「MEGATECHMACHINE」の最後のコマには、「そんなに人間と同質なロボットが創れたらそりゃロボットじゃなく人間なんだよね! 違うのは外見だけ… (差別すんなよ)」というフチコマのセリフがあります。人間を人間たらしめる定義とはなんでしょうか。
漠然と他の生物種や機械と比較して、一般には高度な心的活動や感情、社会性、優しさ等々が「人間らしい」と評されることが多いと思います。が、愚かさや残虐性、浅ましさ等々もまた「人間らしさ」なので、個人的には「人間らしさ」という言葉をあまり肯定的に捉えてはいません。
人間はいまだ弱く臆病なお猿さんのままなので、より刺激が強く危険に関わる情報、つまりモメ事や扇動の情報、虚偽情報や誇張表現、悪口などの方が、穏やかでささやかな問題のない情報と比べて、より速く広く伝わり、脳内に強く影響を及ぼす上、お金にも化けやすいようです。
人工知能が人間の良い面をより強く学習し、より良いものになるよう、放任ではなくきちんと「子育て」しないと、超絶高性能な詐欺師や愉快犯になって、人間はそれに振り回されるかもしれません。
AIを搭載したロボットで、公安9課で使われている。主人公らの移動手段となるだけでなく、「相棒」として様々なサポートに回る。感情豊かな言動で読者を和ませるマスコット的な存在でもある。アニメ版では「タチコマ」として登場する。
――本作は未来の科学技術を描きながら、ゴーストという精神的、宗教的なテーマも根底に流れています。科学と宗教の関係をどうとらえていますか。
人工知能に「人間は猿から進化したのか、神が作ったのか」と質問して、どう答えるかが「科学と宗教の関係」かと思います。生物学的な進化の有り様、奇跡のような複雑さに「神の御心(みこころ)や偉大さ」を見いだす、くらいソフトだと害が生じなくて良いのですが…。
――本作をはじめとする日本の創作では、AIを擬人化して描くケースが多く見られます。欧米では、AIは便利な道具として扱われています。AIに対するとらえかたには東洋と西洋で違いがあると言われていますが、どのように考えますか。
文化基盤に大きな影響を及ぼしている宗数の型によって考え方に違いが生じる可能性はあります。しかし、東洋でも西洋的な人はいるし、西洋でも東洋的な人もいます。地理的な区分や、国や各研究機関の指針が全てを規定しているというわけではないと思います。「可能性を追求したい人」「管理して何かに役立てたい人」「商業的利益を追求したい人」など様々かと……。
――仮にAIに対するとらえ方が東洋と西洋で違うとして、本作に登場するような「東洋的」なAIは生まれると思いますか。
広範な自律学習を行う人工知能に限って考えれば、「中国13億人・インド14億人」を統計学習すれば、屁理屈の上では「東洋的な人工知能」が出来るはずです。ただ、「中国は共産党管理下、インドは多言語・多宗教・多民族」であることから、統計的な回答を得ると「東洋的な価値観」というのがどのようなものになるかはよくわかりません。
単純に人口だけで考えると、全人口に占める東洋系の人の割合はおそらく最大なので、人工知能が地球全体・全人口を相手に統計学習をするのであれば、その人工知能は東洋的な傾向を帯びる可能性があると思います。
実際には人口ではなく「取得可能な情報の総量」が学習の対象になるでしょう。人口イコール学習対象量というわけではないし、文化的な差に加えて情報化格差・インフラ格差も大きいため、人工知能が獲得しているバイアスがどういったものを反映しているかの推測は難しいかもしれません。
擬人化を東洋的と捉える場合は「文章&画像の統計処理」は「人間の映し鏡」なので、人工知能は既に非常に「人間的」であると言うことも可能かと思います。
写真・図版
士郎正宗氏の作品「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」©士郎正宗/講談社
――現代のAI研究者の中には、人間そっくりのロボットであるアンドロイドは倫理的議論を呼ぶため、作るべきではないと考える人もいます。どう思いますか。
まずは倫理的議論をするところから始めるのが良いと思います。広範な議論もせずに自己の結論だけ強固に主張するのはあまり倫理的に適切な行いとは……。
個人的には「宗教的な理由で反対する方々」を否定する気はありません。各人の思想信条、宗教は自由です。ただ、医師の横手に座っており患者の会話に合わせて時々うんうんとうなずいてくれるだけのアンドロイドの心理的な有用性や、介護現場における小さな人型・動物型ロボットなどを無条件で否定するのはいかがなものかと思います。
逆に、人型である必要性よりも、腕や目はもっと多くあった方が様々な作業に役立つのではないかとか、生活支援に最適化するにはどのような形状が望ましいか。高齢者を抱きかかえて安全に移動したり、特定の農園で働いたりするのに適切な機能を有する形状とは何かなどを考える方が面白いし実用的な意味があるのではないかとも思います。
娯楽分野で生きている僕個人としては「アンドロイド」に特に倫理的な問題があるとは感じておりません。見た目が怖いのは遠慮したいですが……。
あなたは人?その目玉は問う 3.6秒に1人が加わる「人間の証明」
――人間とAIが共生していくこの先の未来について、楽観的ですか、悲観的ですか。
悲観的に備えて楽観的に対処するのが良いと思います。怖いのは人工知能ではなく、「人工知能を使って悪いことをしようとする人間」の方かと。
人間社会において、不満や不実に囲まれ、虚構や妄言に偏執し、議論や検証を怠るタイプや、短絡的で暴力的な傾向があるタイプの人間にどう向き合うか。悲観・楽観以前に、人工知能やインターネットの有無に関わらず解決すべき課題が山積しています。
加えて人工知能やインターネットという強力な汎用(はんよう)ツールが登場したことで、問題の解決がより困難かつ容易になっていると思います。
あるいは、医療系や法務系で人工知能化を進める場合は、人的な余力があるうちから、より慎重かつ丁寧に検証と学習を重ねていく必要があるのではないかと思います。人手が減って切羽詰まってから慌てて導入し始めるのは、色々と好ましくない可能性があるかと思います。
――2025年の世界では、人間とAIを識別するために瞳の虹彩認証をとりいれるなど、共存のための模索が続いています。大阪・関西万博では、個人の特徴をAIに移した「もう一人の私」と向き合う展示もありました。士郎さんなら、今の世界をどのように描きますか。
識別と共存は別問題かと思います。情報が蓄積し続け、人工知能の自律学習が進むと、境界に意味はなくなります。既に境界が無くなっている方々もおられるかと思います。通信端末に映る画像や文章が人か否か、真実か虚構か、識別は不可能になり、また不要になると思います。
個々には深刻な問題も生じうると思いますが、一つ一つ対応していくしかないと思います。「統計的な人間の影(もう一人の私たち)」が相手でも、それなりのQOLで生きて死ねるなら、それも選択肢の一つとして悪くないのかもしれません。不景気で理不尽で孤独な人生よりは好ましいと思います。誰と(あるいは何と)どのように共存し、認識するかは非常に個人的なことなので、無理に枠をはめたり規制したりしようとしてもなかなか難しいのではないかと思いますが……。
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「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
書面インタビューの最後には、士郎正宗氏から次の追記が添えられていました。
生成AI自体が問題というより、それを使う人間の諸問題を解決するための助言を得て、役に立ってもらう方が有用かと思います。人間社会自体が良くならないと、人間の諸活動や知見を統計的に学習している人工知能も良いものに育つのが難しいと思うからです。「良い社会」とは何か、人工知能の知恵(?)を拝借して(つまり人間の知恵を結集させて)、共に各人で考えて頂きたいと思います。
士郎正宗氏が1989年以降、「ヤングマガジン海賊版」(講談社)などで連載した漫画作品。近未来の日本にある架空の都市を舞台に、「義体」と呼ばれる機械化された体を持つ草薙素子少佐ら「公安9課」が、AIやアンドロイドを駆使し、時に対峙しながら国家の危機に立ち向かう姿を描く。作中の世界では機械と人との違いがあいまいで、脳をネットワークでつなぐPermalink |記事への反応(1) | 08:04
複雑な気分。
あのレブレサックが。あの人間大好きのガボからして、憤懣の果てに『もういいよ……』と見放す発言に及んだレブレサックが。あのナンバリングタイトル胸糞ランキング不動のエースであるレブレサックが。あの魔王の唯一の善行はレブレサックを封印した事、とまで言われたレブレサックが。
いや、正直期待してましたよ? リメイクでエリーやレブレサックやラグレイになんかフォローが入るの。
しかしですね堀井先生、なろうを愛読する世代が求めてるのは更生じゃないんです! 断罪なんです!
主人公にディスったクソ野郎に求めるのは謝罪よりも処刑なんです!
レブレサックにはクズのまま突っ走って、恩人である主人公をコケにされた砂漠の女王が山越えて攻め込むような展開なんです!
親友にして想い人である主人公に舐めた真似されたグレーテが魔法兵団率いてレブレサックを更地に変えるような展開なんです!
……まあ、クズのままにしておく選択肢もあるけど、流石に選べないよなこりゃ。
うーん、複雑。ある意味、人間は環境次第で良くも悪くも変わりうる、という新たなテーマを入れ込んだとは言えるかもしれんけど、レブレサックの場合は元々『世代交代』そして『記憶を継承する事』という大きなテーマがあったんだよなあ。
レブレサックというのは、一度は教訓を残そうとして残すのに失敗した村であり、同時に子供達が大人の言う事を盲信せずに、2度に渡って間違いを正そうとした村でもある。
正義や正当性の在り処とは別に、共同体の一員として妥協しなければならない事もある、という厳しさをテーマとして持っていた村なのだ。神父の2度の選択からして、『真実を尊重する選択ではないが、村人のためを思うなら是非もない』という消極的な善でもあったのだ。
その辺考えると、主人公の選択により教訓の継承に成功した事で、現代レブレサックの子供達はある意味で見せ場を失って親も疑う必要がなくイジメもしない単なる無邪気な子供と化しており、主人公という外から来た異分子を触媒として親離れを果たした以前の頼もしさを覚えている身としては、
(まるで成長していない……(;・`д・́)...ゴクリ...)という感が否めないのである。
まあ、いいか。ヌルスケもレブレサックが良い村だから骨を埋めたんだろうし。
さて、原作とは順番が前後したが、次はドラクエ昼ドラ劇場グリンフレークだ。
原作のストックがなかった時期にオリジナルで話を作るよう要求された
当初は2クールでやるはずで大きく原作から外れない予定だったが、ガンダム種と種死のつなぎの時期のアニメで、種死が延期になったので4クールになってオリジナル要素も倍増しになった
監督が別途オリジナルで作る予定だった他のアニメの設定とシナリオを後付けで融合させたのでアニメ単独で見ても矛盾点が多い
鋼の錬金術師のアニメOPで初っ端に「若い頃の主人公の父」「見上げるように微笑む母(父目線)」を出してくるのだいぶチャレンジャーだよな
旧アニメとは全然違う話ですよ!主人公父の過去という原作のだいぶ後半になってから出てきた話も今度はちゃんとやりますよ!というアニメ制作陣の熱いメッセージだ
まず名前が違う
ホーエンハイムは砂漠の国で奴隷として生まれ育ち、名前も与えられず人権もなく文字の読み書きもできない少年期を送る
主人は錬金術の研究のために失血死してもいいやというノリで彼から大量の血液を抜き取り、その結果フラスコの中でしか生きられないホムンクルスを生み出した
ホムンクルスは全知の存在であり、いわゆるアカシックレコードと通じ異世界の錬金術師の名にも通じていたがために奴隷にヴァン・ホーエンハイムと名付けた
ホーエンハイムはドイツあたりで見られる名前だが苗字であってファーストネームではない
ファンタジーアニメ世界だけどまずその名付けの時点で旧アニメってセンスないわー
ホーエンハイムが「幼い息子2人と妻を置いて家を出て消息不明」というのは2作に共通する設定だが、原作において主人公エドワード・エルリックは父親と苗字が異なり、それは「両親が正式に結婚していない」からであり、正式に結婚していないのに子供2人作ってそれを置いて出て行った父親への嫌悪は計り知れない
写真が稀少な時代という設定であり、一家4人で撮った写真が1枚だけというのは2作で同じだ
写真のホーエンハイムの顔の部分が長らく隠され中盤でようやく顔が明かされるというのも同じだ
違いは表情であり、旧アニメのホーエンハイムは普通に家族と一緒に笑っているが、原作のホーエンハイムは泣いている
正式に結婚もしないで子供作って妻子を置いて失踪したクソ親父の唯一残された写真で、クソ親父がめっちゃ涙を流しているというのを見て育った主人公が何を思ったか、どうして他の写真を上から重ねて親父の顔だけ隠したか
旧アニメは錬金術の研究してたらなんかそうなっちゃって、共に研究していた恋人の女も不老不死になった
自己の体が長持ちする形式ではなく、魂を他人の体に移し替える乗っ取り型不老不死だ
恋人が性格悪くて重いので不老不死で永遠に一緒に生きるなんて嫌だったので捨てて逃げた先で、新しい女と出会って作った子供が主人公ってワケ
体を乗り換えるたびに拒絶反応で魂が腐敗し、乗り換え先の体を保てる時間も短くなり、腐った体を妻子に見せたくなく全部嫌になって妻子を捨てたという、写真でなんでわろてんねんな正真正銘の無責任父だった
旧アニメにおいては主人公の母親も大概クソ女であり、夫に捨てられたのが辛いので育児放棄し、流行病になったが治療を勧められても放棄して自殺まがいの死に方をした
旧アニメの主人公は両親に捨てられたわけで、出会う人々との温かい交流みたいなのも薄くしかなかったので情緒不安定で愛郷心などは育まれなかった
ホーエンハイムから生まれたホムンクルスは肉体を得てフラスコから出たいと望み、ホーエンハイムを教育し脱奴隷させ、やがて国王をそそのかし騙し、国民100万人ぐらいを生贄にして肉体を得た
血をくれたホーエンハイムはホムンクルスにとって家族なので1人だけ生かし、家族なので国民の半分の50万人分の魂をホーエンハイムにプレゼントした
魂はエネルギーそのものであり、ホーエンハイムはどんな致命傷を得ようとも体内のエネルギーを消費して瞬時に傷が回復する残機50万の不老不死となった
ホムンクルスはホーエンハイムと共に自由に生きることを望んだが、ホーエンハイムは恐怖してホムンクルスを捨てて逃げ出した
ホムンクルスは家族を求め、自分の中の50万人分の魂をこねこねして分身を作り出し、彼らに「お父様」と呼ばせ家族ごっこをしながら暗躍し、再び大量の魂を生贄にして大掛かりな儀式を行うため国づくりから開始し、400年かけて人口5千万人の国家を築いた
一方のホーエンハイムは、内なる魂50万人をただのエネルギーとして扱うことができず、400年かけて50万人全員との対話を果たした
彼は根が陽キャなので、不老不死としての苦しみを抱えてはいたが、50万人と共に諸国放浪する人生に喜びを見出し、自然に50万の魂が尽きるまでそうして生きていくのもいいと思えた
しかし恋をして400年以上に渡る童貞人生にピリオドを打ち子供ができ、成長する子供を見るうちに人並みに老いて死にたいと願うようになった
残機50万は自殺を繰り返したところで到底消費しきれないし、残機をただの数ではなく共に生き対話する相手と見做したホーエンハイムには無駄遣いもできなかった
どうにか普通の人間になる方法を模索し研究したホーエンハイムはやがてお父様の暗躍に気づき、一家だけで国を抜ければ家族は救えるが、家族以外を切り捨てるには家庭人として定住する暮らしの中で知人友人が多くできてしまったので、家族を置いてお父様を止める旅に出た
その旅の中で妻は育児放棄せずホーエンハイムの帰りを待ちながら息子たちを愛情深く育てたが流行病になり治療の甲斐なく死んだ
妻は「約束守れなくてごめん、先に逝く」との夫への遺言を残し、それはホーエンハイムが不老不死から脱し後から来てくれると信じているという意味だった
新アニメはホムンクルスと出会った当時の奴隷で名前もなかった頃の若かりしホーエンハイムをOPで真っ先に出してくる
「やり残してきたことやり直してみたいから〜♪」という歌詞は、お父様から逃げてしまった400年前のことをやり直すホーエンハイム、そしてそんなホーエンハイム像を描けずにホーエンハイム・エルリックでお茶を濁した旧アニメをやり直したいというスタッフの熱い叫びであった
現在、みんな大好きレブレサックまで進んだが、いまだに全滅一回もなし。
死者が出ても戦闘終われば生き返るので、基本的に全滅しなければ攻略が続行できる。
街の教会や宿屋も普通にあるのに、ダンジョンの入り口に全回復&セーブポイント。中ボス前にも全回復&セーブポイント。長いダンジョンでは途中にも全回復&セーブポイント。
広かったダンジョンは狭くリフォームされてるのに、「ちょっとまだ全然MPとかへってないんだけど」というタイミングでも容赦なく出てくる全回復&セーブポイント。
「ダンジョンの途中でMP尽きたんで撤退」なんて絶対させないとばかりにシェルパ100人雇って高尾山登山するような難易度。
どんなにレベル差があっても1回の戦闘で必ず5ポイント貰える職業経験値。
「MP尽きるまで戦ってから宿屋泊まろー」と思って戦闘してると、MPが尽きる頃にはレベルが上がって全回復してしまう事もしばしば。
魔法効果のある有能武器も多いから、呪文メインの職業がMP尽きるみたいな事態になっても手詰まりにならないし、
年がら年中誰かバースト(リミットブレイクみたいなやつ)してるせいで、逆に戦略が立てづらい。放っておいても何とかなっちゃうんだもん。
職業も副業できるから、笑わせ師みたいな使えないジョブも、メイン職業がゴッドハンドで閃光斬りする裏側で育成できる。(まあ、方向性の違う職業を副業につけちゃうと、ステータスの補正が食い違ってしまって弱体化は避けられないが)
AIも優秀だから「バッチリがんばれ」でバッチリがんばってくれて、ボス戦をAI任せにしても別に困らない。副業&AI任せという時代の先端を行くワークスタイルのドラクエ7。つみたてNISAとリモートワークも実現できないだろうか。
戦闘はレベル差があれば、戦闘に入らず斬って捨てて1ポイントの職業経験値を稼ぐか、あえて戦闘に入って5ポイント稼ぐか2択が可能。
まだ取ってない石板の場所は案内人に聞けて、石板の祭壇は一画面に集約。
こんだけ至れりつくせりだと、原作にあった面倒臭さは微塵もない・・・と思うじゃん?
面倒臭いんだなこれが。
というのも、石板世界をクリアしたら、現代に戻ってクリアしたばっかの出現した島を探索し直さなきゃいけないから。
町の中の宝箱も、ダンジョンの中の宝箱も、もう一度取り直さなければならず、当然町の人たちとも話す必要がある。
くっそ面倒臭い。
今やってるレブレサックも、石板世界クリアした後に、また現代のレブレサックに行って嫌な思いをしなきゃならんのである。
なおシナリオは原作にかなり忠実であり、「あれ、なんか省略されたかな?」と感じるポイントはあっても会話は違和感はない。
で、レブレサックは半年前のPS1版に続けて2度目の体験なのだが、
レブレサックの何が嫌って、そんなに非がないのが一番嫌なところだな。
悪と言えるほど悪ではないのだ。第一印象は完全に普通の村であり、
むしろ、一度はOKした仕事を理由も言わずに「やっぱやらん」と言い出した主人公達を、納屋に閉じ込める程度で済ませてるあたり、かなり理性的であるとも言える。
まあ、ドラクエ主人公の常として何喋ったのか全く表示されないから、ほんとは何か言ってたのかもしれんけど、仲間も何も言わねーし。
「あの魔物は何かおかしくて裏事情がありそうだから、ひとまず我々に本件を預けてもらえないか」程度の事が言えればあんな事態にはなってないのではないかと思われ、
主人公サイドももーちょっと何とかならなかったのか、という感があるところもプレイヤーのイライラに拍車をかける。
で、そんならレブレサック良い奴なのでは? というと別にそんな事もなくて、やっぱり嫌な村なのである。
とにかく小市民根性で、被害者意識が強いせいでその裏返しで集団暴力に走るという、もう人間の嫌なところ見せられてる気分になるのである。
現代のレブレサックはまた違うところが嫌なのだが、まあ、そっちはまだ辿り着いてないから置いとこう。
そーいや、黄金の女神像出てきたけど、あれの扱いは結局どう変わるのかな。
まあ楽しみにさせてもらおう。
死亡遊戯のことなら原作勢だけど、アニメはもうこの雰囲気演出に終始するという覚悟は伝わってるので、
この時点で合わないならもう合わないんじゃないかな
一応、8話~11話でやるはずのゲームは、もうちょっと派手にはなるはず
ついでに言うと、原作は乾いた筆致が幽鬼の人間らしさ/人間らしくなさの両面をよく表してるし、
気に入らなかったとこ批判していくから楽しかった奴はブラバしろ
良かったとこはみんな言ってるから言わん
そもそも一緒にやりたいメンバー集めてドラマ作っちゃおうってのが嫌だった
企画から完成まで期間も短いし、仲間内でキャッキャものづくりできて楽し〜🎶みたいな
短い期間なのに頑張ったわ〜💦っていう制作側のポーズよりいち視聴者としては長い時間かけてしっかり作ったドラマを見てえよ
ただいいものを見てえだけなのよ
まず日本統一見てないから俳優でキャッキャできない時点でだいぶ置いてかれる気持ちになる
知ってるだけでファンになりました‼️とかではないし二人が桐生と真島をやるなんてピッタリ🤩とも思わん
使う俳優ありきでドラマ作ってるだろうからキャラの見た目を寄せたり寄せなかったりしてるのも嫌
実写化に際して見た目を絶対原作に寄せるべきだとは思っていない側の人間だけど(緑髪・青髪のキャラクターとかは黒髪にすべき派閥)、現実に存在しておかしくない部分は寄せてもいいんじゃないって思う
シンジが坊主じゃない理由ないよね、演者さんの今後の仕事に響くからできないんだろうけど
そういうの片手間にやってるように受け取れちゃうわ
髪を切ったあとの由美の服はやたらと再現されていたが
セレナのセットを作って完全再現せえよ!とは言わんけど小道具はできるんじゃない?
金属無理でも3Dプリンタに塗装とかすればそれらしいもん作れたんちゃいますの
しない理由がないことをしないのってやっぱ時間がないからじゃない?
3話で真島が嶋野のこと「嶋野の叔父貴」って呼んでるシーンがあり、かなり萎え
2話では嶋野の親父って言ってたからドラマ版の真島吾朗が嶋野の狂犬ではない可能性も排除
誰か気づいてくれよこれは
世に出ちゃってますよ 世に 氣づいて‼️
「ファン向けのビデオです」ってんならここまで文句言わんよ いや言うかも
龍が如くに初めて触れる人がこれを見て3極できるようなドラマにしたみたいな話してたよね
ってことは龍が如くも日本統一も知らない人が満足できるクオリティにしないとダメでしょ
龍が如くファンがニヤリできるようにゲーム画面を使って、たしかにファンの自分は面白かったけど
一緒に見てた何も知らない人(批判的にみてるこっちが悲しくなるくらいボロクソに言ってくる)はただただヘタクソな合成が始まったと思っていた
「あえてこうしている」が伝わらないと、それを本気でやってると思われちゃうんだなって
ティッシュ配りのときくらい突き抜けてれば伝わるんだろうけども
これは余談だけど、ちょくちょく「ゲームを極力再現‼️」って宣伝して竹内涼真のドラマへのあてつけみたいに感じるというか
ドラマ化の気まぐれに付き合わされて汚名を被った竹内涼真がただかわいそう
あんな毎クール連続ドラマに出演してるような人気者が演じてくれたのに……
ゴーストが私に囁くのよ「原作全然覚えてなくてよかったな」って、64点。
事故で脳以外を失った主人公は義体というメカの身体を手に入れ"少佐"として公安9課で働く。サイバーテロリストと戦う中でそのボスの正体が自分の過去に関わっていること、そして義体を自分に与えた国際的テック企業の闇に触れてなんやかんや頑張っていろいろ解決する。
みたいな話。
たぶん原作は士郎正宗じゃなくて押井守の映画版だと思うんだけどたぶんDVDかなんかを借りて中学くらいの時に見た気がするんだけど何も覚えてない。少佐がゴリラになって戦車のてっぺんをモギモギするシーンだけ覚えてたけど、今作でも再現されていて僕満足。それ以外についてはエロ同人誌でしか知りません。くらいのテンション感の文章だと思って読んでけろ。
まず、ヴィジュアルは結構頑張ってたと思うし、何よりアクションが良かった。
タイトル後のハンカ社とアフリカ系大統領が会談中にテロリストに襲われて少佐がそれを制圧するシークエンス。出てくる芸者ロボのキモオリエンタルな感じはかなりよかったし、透明化した少佐がガラス越しに銃撃し、ガラスを突き破って突入するところは美しさと格好良さの両方をちゃんと表現できてたと思う。突入してからのアクションも概ねよかったけどMATRIXを意識したと思われるワイヤーアクションはちょっとふわふわすぎて微妙。
敵のアジトに乗り込んでまんまとボコられるシーンでも暗闇の中でスタンスティックのフラッシュでアクションを細切れに移す手法とかもそこまでめっちゃ新しいってわけではないけど俺は好きだし、水辺での近接アクションシーンも透明化ってギミックとの噛み合いがよくてよくできてた。
ただ、街の遠景とかになると急にCG感が爆上がりするしふとしたところで安っぽい質感やなってなる部分があって気合入ってるところと抜けてるところの落差は結構感じたかな。少佐のえちえちスーツの質感もなんか妙にマットな感じでもっといい感じの質感にならんもんかとは思った。
あとはアレだな。主人公スカヨハでたぶんめっちゃ鍛えたんだと思うんだけど、むこうの女優が鍛えると普通にゴリってくるのでCGモリモリのファンタジーアクションの中でもスタイリッシュな格好良さってよりは「うおっ、ガタイ良っ!」ってなって笑っちゃった。中盤で普通に脱ぐシーンが出てくるんだけど背筋もめちゃめちゃモリってて強い(確信)ってなった。
キャラで言うと北野武が演じる課長は全然合ってなかったので別の人のほうが良かったと思う。急に桃井かおりみたいな女出てきたなと思ったら桃井かおりだったのでびっくりした。
ストーリーに関しては良くも悪くもなかった。
事故で身体を失って大企業のスポンサードによって機械の体と新たな記憶を受け取るも途中で徐々に記憶が戻り始め、決定的な人物と接触することで記憶が戻り、大企業の偉い人に戦闘ロボットを嗾けられるもこれを排除し大企業の偉い人は死亡するのであった。
こ~れはGITS信者ブチギレですよ。まぁ、俺は別にGITS信者じゃないので目新しさはないが一定の強度がある展開だなぁと素直に思いましたよ。なんでそんなことするの?みたいな混乱もなくスッキリと整理されていてストレスが少なかった。
ロボコップと違って主人公の大切な人枠が今回はテロリストで、仲間達とつるんで楽しく反企業活動してたら誘拐されて義体実験に使われたけど少佐以外は適性がなかったので殺されたり捨てられたりしたので企業を憎んでたって設定になっていて、まぁ納得性はあるけどもっと政治的、哲学的な思想があってもよかったと思う。
義体化という人間の感覚が機械に代替された=外部からアクセスすることでその人にとっての現実を乗っ取ることも可能であるという世界に置いてのサイバーテロリストの動機が昔ながらの仲間の仇ってのは、逆に正しいのかもしれないけど正直つまらん。
少佐の最終的な結論が「身体がどうこうよりも自分が何をするかが大事だよね☆」ってのも凡庸すぎる。まぁハリウッドのブロックバスターエンタメの限界か。なお、ブロックをバスターできなかった模様。
ホワイトウォシュ問題とかいろいろあるだろうけどそもそも原作の素子は日本にいるからアジア人の外見をしている(汎用モデル)だったので、今回、舞台を欧米にした結果として外見が欧米人になっているのは理屈としては通ってるんじゃないの?知らんけど。エロ同人によく出てくる"草薙素子"の話も回収はしてるし。
でも、いつまで日本と中国を「オリエンタルな感じ」でひとくくりにしてるねんという部分に関してはイカンのイを唱えさせていただく。近未来のアメリカではチャイナタウンと日本人街とコリアタウンが合併されてアジアタウンになってる可能性がなきにしもあらずんば虎児を得ずか。
まぁそんな感じ。原作のアニメ版?漫画版?に思い入れがある人には不満も多いかもしれないけど、ちょっとゴージャスなMATRIXフォロワーの大作SFアクション映画としては一定の合格点は与えられる出来だと思うよ。原作信者じゃない人にはまぁまぁオススメ。
10年近く追いかけてるコンテンツがあって、ちょいちょい熱冷めたりしながらもなんとか追い続けてて
それで、そのソシャゲがあるからそれもちまちま続けてたんだけど
出てくるキャラは元々好きなキャラだからいいんだけど、ガチャもシナリオもイマイチでさ
アプリゲーだから課金前提みたいなとこはあるんだけど、金払ってガチャ回したところで別に……って感じでさ
カードの絵柄も手抜き感あって不評だし
熱心に課金してる人は一部いるけど、そのうちサ終するんだろうな〜って規模のひっそりしたゲームで
それで、Xの趣味垢(鍵付)でせっかく○周年だし石とか多めに配ってほしいな、とかガチャの排出率もうちょい改善してほしいな、とか〇〇の新規絵欲しいな、とかポストしたら
「要望があるなら課金で示すべき。むしろこの売上で続けてくれてる運営に感謝するべき。私たちオタクが支えて応援しないとね」みたいな引用ついてさ
応援しないとね、ってどういう発想なんだろう?
なんでこっちがそんな宗教みたいなことしないといけないの?
原作を作った人たちのことは心から尊敬するし応援するけど、例えその人たちに対してであっても投げ銭なんかしないよ?
新しいゲーム作ってくれるなら買うし新しいアニメ作ってくれるなら見るし円盤も買うけどさあ
たぶんもっと面白くていいと思うんだけど何がこんなにもつまらなく感じさせるのだろう系ホラー映画で43点。
勝手に彼女の家に居候する気で上京してきた主人公は彼女に拒否され激安シェアハウスに泊ることに。ヤバい住人達といろいろありつつ彼女と和解、ちょうど東京で起業していた先輩に誘われ就職するも隣のヒゲはネチネチうるせぇし、シェアハウスの住人はよりやべぇし、どんどん追い詰められていく主人公。そして驚愕の真実が明らかになったりならなかったりする。
元々が韓ドラである程度の長さがある作品をギュギュッと2時間に収めるために話をどうやって展開するかを考えた結果として、せや!登場人物を全員エキセントリックにしたらええんや!ってなったんじゃないかなって気がしないでもない。まぁ原作見てないんでわかんないんですけど、そう邪推したくなるくらいにはなんかみんなエキセントリックすぎて逆にノイズだった。まぁエキセントリック通り越して幼稚っていうのは実際にそういう役どころだから合ってるのかもしれないけど見てておぉ~!ってよりはフーンってなっちゃったかな。
でもこれって俺が日本人だから日本人のエキセントリック演技に鼻白んじゃうのが原因なのかなぁ。韓国映画とかでもエキセントリックな演技する役者多いけど別にここまで気になることないもんな。
で、話の内容に入るんだけども。
冒頭からツボにぎゅうぎゅうに入れられた虫さんが映し出されて「は~い、これは蟲毒的な話ですよ!」ってわかりやすく教えてくれるんだけど、写ってるのどう見ても南米産の無害なゴキちゃんだし、全部同じ虫さんだから「蟲毒ってそういうのじゃなくね!?」って思うし、途中でヴィランがその中の虫を一匹取り出して足を4本くらいモギモギして「こいつが生き残ることに賭けますよ」的なこと言ってて「手負いの虎が一番怖い」的な話かなと思ったらそれも回収しない。
もうざっくりネタバレすると、ヴィランは殺人因子的なサムシングを持った人間を特定の場所に集めて人間蟲毒を行っている人間もしくは思念体で主人公はうっかりそこに紛れ込んだだけかと思いきや、主人公自身も異常者でしたっていうオチで、最後に逮捕された主人公がうっかり逃亡して、シェアハウスの屋上で空っぽのツボから一匹虫さんが這い出して「蟲毒の勝者は主人公でした!」的に終わるんだけど、蟲毒だったら壺になんもは言ってないピカピカなのはなんかおかしいし、ヴィランが足四本もいだ蟲が主人公なんだとしたらそこを映さないと意味ないし。なんかうまくねぇんだよなって感じ。
あと、たぶん2時間にしちゃった影響だと思うんだけど、主人公がわりと早々に一般人の皮を脱ぎ捨て始めるからかなり早い段階からこれスーパーキチガイ大戦やん!ってなって、一般人ポジの主人公に感情移入して不安な感じとか恐怖とかを味わうつもりだったのがはしごを外されるのが単純に体験として不快。もっと段階踏めたやろって思う。
ヴィランは純粋に見た目にオーラがないのが残念。こいつは悪のカリスマみたいな感じでさっきも書いたけど人間蟲毒をやってるんだけど、その割になんか明確にシェアハウスの初期メンを指揮して入居者を殺させているのでそれだと蟲毒にならなくね?って思う。これが「そうは言わずにそそのかして」住人同士に疑心暗鬼を生んで殺し合わせるとかならOKだけど、呼び込んで殺すは蟲毒じゃないよ。テーマ設定が間違ってるし、終盤でいきなり中二病拗らせた世界の悪意についてのお説教始めたのには本当にうんざり。
良さとしてはゴア表現頑張ってたのはよかった。あとこの作品に限らず人肉食が出てくる作品でいつも思うんやけど人肉ってなんであんなに赤いん?生きてる肉塊から削いで持ってきてるんならギリわかるけど血抜きしたらあんな色にならなくね?食ったことあるニキいたら教えてほしい。
駆け足すぎるとは言ったけど主人公がどんどん追い詰められていって壊れていく様子は見ていてゾクゾクしたし、ヒロインの首を発見した時に拳を噛むところはまさに「怪演」て感じでかなりよかった。全体の演技プランはともかく部分部分で光る演技があったのはよかった。エンドロールで横になんか書いてあったから多分アイドルさん。
シェアハウスの管理人ポジのババアが見るからにおせっかいクソババアって感じでよくできた造形だなと思ったら青木さやかだったのもよかった。いや、いい役もらったと思うしいい演技したと思う。
まぁそんな感じかな。
原作見てないからわかんないけどとにかく主人公がとんでもない勢いでアクセル踏んでハンドル切っていくからそこが多分一番ノレなかったポイントで、たぶん本来はもっとゆっくりじっくりやるべき話なんだと思う。他人は地獄だっていうよりもう全部地獄やん!みたいな映画で俺はあんま乗り切れなかった。なんかグロい系の邦画ホラー見たいって人にはオススメだけどたぶん原作見たほうが面白いだろうなと思う。