
はてなキーワード:即売会とは
奇声おばさん(通称ttrgm、キチガイドス)は原ネ申、崩壊:スタ○レイル、グラ○ル、V系などのジャンルで悪名を轟かせているヤバい人で、今日も神戸のHoYoverseのイベントに出没して暴れてスタッフに取り押さえられたらしい
↓その時の動画
https://video.twimg.com/amplify_video/1981581758773575680/vid/avc1/720x1280/xfJgALviuadHCyFy.mp4
精神障害者だから逮捕できないとしても措置入院させられてもいいはずなのに、どうして野放しにされてるんだろう
頒布物を購入してくれた方のスケッチブックに、サークル側がイラストを描くこと。
自分が絵を描き、即売会にも出る人間なので頼まれることも多い。
最近、頒布物ではなくスケブ自体が目的の一般参加者が増えた気がする。
スケッチブックを何冊も持ち込み、複数の作家にどんどん依頼をしていく一般参加者が多い。
頒布物は購入してくれるが、そちらがついでのように感じる。
「スケブを受け付けてくれるのなら、あなたのスペースに行く」「スケブ受付可能リストにあなたのことが載っていたからスペースに来た」と言われたこともある。リストはそういった仲間内で作っているものらしい。
もちろん自分のファンでスケブ依頼をしてくださる方は嬉しく、ぜひ描かせてもらいたい。
自分もかつて、ファンの作家さまにスケブを描いていただき嬉しく、今でも宝物にしている。
「いつか一緒に売れるゲームを作ろう」って。
文化祭でもゲームの展示をし、シナリオはあなた、イラストとプログラムは私だったね。
すごく面白いって校内で話題になった。文化祭の展示部門で入賞した。
もっと実力を積もうって大学はお互いに脚本やシナリオ、映像が学べる大学に受かったね。
あなたは夢を語ったね。
「一緒にゲームを作って、ずっとゲームを作り続けたい。私は社長になるよ!」
そして成人になって「即売会に出よう」って私はあなたを誘ったね。
「いや、まだまだ人様に出せるものじゃない」ってあなたは断ったね。
私は出たかったから出展した。イラスト、漫画、小説と物を増やしながら色々なイベントに出展した。
当初は当然売れなかった。悔しかったのでディスプレイや宣伝方法を勉強し始めた。
あなたは「会社設立するからさ!広告担当にでもになってもらおうかな!」なんて言って一緒に笑い合ったね。
あなたは「今、シナリオ書いているんだ」っていつも連絡してくれたね。
「頑張れ!資料集めならついて行くよ」と私は言ったが、完成報告は一度もない。
あなたと中学の頃から集まっていたファミレスで食事に行くと、あなたは夢を語るね。
「一緒にゲームを作って、ずっとゲームを作り続けたい。絶対会社を立ち上げるんだ」
でも高校卒業以来、あなたはシナリオを一本も完成させていない。
私はしびれを切らして、自分でシナリオを作り、イラストを描き、プログラムをしてゲームを作り始めたよ。
「その行動力が大事だよね!やっぱ勢いで作品を完成させなきゃいけない」
ってあなたは感心していたね。
コンテストで賞を取った時、あなたは「私も早く追いつかないと」と言っていたね。
私は「頑張れ。手伝えることなら何でも言って」と言った。本音は「早く一本でもいいから書き上げなよ」だった。
言ったことはある。だけど、あなたはあーだこーだ言いながら結局完成させない。
「でも納得いかなくて進められない」
「もっと上手くならないと見てもらえない」
途中まで書いているところは見たが、完成はない。授業で提出したものだけだ。
「授業で作れと言われるのはつまらない。もっと自由に作りたい」
そう言うが、高校卒業後、彼女の完成したシナリオ・小説は0本だ。
私が使っていたゲームエンジンが知りたいというから、小さなゲームができるまで教えたことがある。
1週間も彼女の大学に出向いて教えたのだが、以降触っていないと言う。
理由は聞いていないが「作品が完結していないから評価しようがないと言われた」と言っていた。
「外国の人の感性を学ばないと売れないからね」と私に外国の大切さを説いた。
留学する前までに書き上げると言っていたシナリオと小説は結局完成しなかったね。
「あれはゲームデザインがブレている」
200円程のドリンクバーの前で、そう私に諭してくる。
5,6本ほどゲームを作った私に言ったね。
私を貶そうとしている人間でない事はわかっている。
これを反面教師にしてゲームを作れば、最高なものが当然できがあると本気で思っている。
中高の時、彼女と一緒にゲームを作りたいと思ったその目と気持ちを否定できない。
その夢を聞き続けてもう十年以上経った。
あなたは留学が終わってから翻訳系の正社員になったが、ゲーム作りが諦められず仕事を辞めた
「なら今度の〇月のイベントに向けて作ろう。完璧じゃなくてもいいから」
それでも私はあなたと一緒にゲームが作りたい。それを伝えたつもりだったんだ。
『プツン』と最後の一本が切れた音がした。
誘いも「今、イベントに向けて忙しい」と断っている。
SNSで相互フォローではあるが、彼女はまだ一度も何かを完成させてはいない。
仮に彼女がこれから素晴らしい作品を作り上げたとして…そんな期待すら今はもう湧かない。
高市早苗がワークライフバランスを捨てると言った事でなぜか本当に落ち込んで鬱スイッチが入ってしまった。
今の日本を見ていて、正直本当に子供を持たなくてよかったと思っている。
今の社会でもし子供がうまく育つタイプではなく障害持ちだったりしたら成人するまで充分な環境で育てて守り切れた自信がない。
金銭的にもだが、何より社会がもう五体満足で心身共に強い男じゃないとまともに生きていけないような方向に曲がりすぎてる。
コロナ禍で鬱が進み社会からドロップアウトして40代に突入した。
現在は週3日たまたま雇ってもらえたアルバイト先で働くのが限界の状態が続いている。
妻の収入と合わせてなんとかやっていけてはいるが、老後を考えると暗い気持ちになる。
今の高齢者バッシングの流れが続くと自分が高齢者になる頃には高齢者は殺処分という事になっていそうだ。
30代に突入する前後、世間一般のみなさんと同じように焦りがあり子供を持つ事について考えた時期があったが、
当時まさにワークライフバランスが崩れかけていた自分たち夫婦はどちらも消極的だった。
この状態では子供なんてまともに育てられなかっただろう。本当に持たなくてよかった。
これまでの人生色々判断ミスったなということはあったがこれだけはナイスな判断だったと思う。
出生率回復のため、社会に一人でも働き手を増やすために妻に産ませておけばよかったのにという
幻聴が脳内に響いたこともあったが、今は心底この社会に子供を増やさなくてよかったと思う。
この社会に生まれてくるのはほぼ確で不幸だ。少なくとも自分は今この社会で生きていくことを幸せだと思えない。
それこそワークライフバランスのライフの中に幸せのかけらを見つけることはできても、
働いて働いて働いて成長して成長して成長していく社会についていく事は自分にはもう無理だ。
そしてその社会に巻き込まれる人間をもうひとり増やす事が全く良い事だと思えない。
本当に社会は五体満足で心身共に強い男を基準にしてつくられすぎている。
そして世の中のほとんどの男はアクシデントで大きな転倒でもしなければ
自分が心身ともに健康で強い側の男だと信じている。かつての自分のように。
心身共に健康で強い(と思っている)人間にはそうでない人間の姿は見えない。
大学生から20代の間冷笑してきた数々のトピックの中に今の自分が当事者となっているもの、
それらが達成されていれば間接的にでも今の自分を助けたかもしれないもの、
そういったものがたくさんあっただろうと思うけど時間は巻き戻らないし、
戻ったところで社会の突き進む道は同じだっただろうとも思う。
自分が弱る前は偽善だの甘えだのと思っていたみんなに優しい社会という言葉がどれだけ目指すべき社会の姿なのか、今になってよくわかった。
でも世の中の大半の人間はどうやらみんなに優しい社会なんか求めてないらしいという確信だけが日々強まっていく。
ちなみに自分のワークライフバランスにおけるライフの部分に宿る喜びは趣味だった。
コロナ禍で即売会が中止延期続きだったことで趣味が制限されたのが鬱悪化の原因のひとつだと思っているのだけど、
そもそもそれより以前、30代突入の頃からワークに追い回されて
思うように趣味活動に時間を割けなかった時点で鬱傾向だったんだからどうしようもない。
若い頃は働いて働いて働き詰めて成長して成長してそういう社会に適合して、
そうしていればワークライフバランスのライフだって自然と満喫できると思い込んでいたが、
これは仕事で疲れ果てて趣味にまで体力が回せなかった身体を持って生まれた事が悪いんだろうか?
それとも趣味を楽しめる程度の働き方でいい仕事に就くことに頭が回らなかった知能の低さが悪いのか?
それともいい年して趣味を、生活を、ワークとバランスを取りたいと願ってしまった事が失敗なのか?
どこが間違いで失敗だったのか何年も考えているけどここ最近の結論は生まれたのが失敗という結論で終わる。
やはり子供は持たなくてよかった。
自分がこうしている間にも奈良ではへずまりゅうが議員報酬を得ているらしい。
もしかして日本ってずっとへずまりゅうみたいな生き方が正解の国だったのか?
生きるって、働くってなんでしょうね。
ワークライフバランスってライフってなんですか。
Permalink |記事への反応(43) | 19:58
住田町の種山ヶ原から国道397号をちょっと西に行くと奥州市に入る。まあ奥州市観光にこのルートを取る人はたぶんほとんどいない。通る人がいたとしても帰り道だ。奥州市は水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村が合併して出来た自治体で、大抵は花巻・北上方面から南下するか、一関・平泉方面から北上して入ってくる。
5つの市町村が合併しているけど、まあ中心部は水沢、それから江刺という感じ。この中でもこのへんは盛岡に負けず劣らずの"偉人の産地"ということをPRしていて、実は奥州市には偉人の記念館が山程あるという特徴がある。問題はその偉人が"その分野を知っている人には有名"くらいの有名人であるところで、なので不特定多数の人にはお勧めしづらいのだ。一応記念館のある人の名前を挙げておくと、高野長英(幕末の蘭学者)、斎藤實(2.26事件で暗殺)、後藤新平(台湾開発で活躍)、菊田一夫("君の名は"の作者)、木村榮(Z項の発見)、佐々木精治郎(パステル画の巨匠)と言った感じ。だいたいこの名前で検索すればどの記念館に行けばいいかはわかるし、この名前で分かる人はたぶん最初からそれ目的で来るはずなのでここでおすすめするまでもない。まあもしかして検索で分からないかもしれないということで、木村榮がらみの場所だけ紹介しておく。水沢には緯度観測所という国立天文台の中では最も古く現存する観測所があって(現在は名前が少し変わっている)、そこの旧館を記念館奥州宇宙遊学館として公開している。で、実はここは宮沢賢治絡みの施設でもあるという話もあったり。
あ、誰でも知ってる有名人1人増えたね。大谷翔平。彼は水沢の出身で、毎月17日は市役所の人たちが全員17背番号のシャツ着て仕事してる。本人の手から肩を取って真鍮で作った実物大の握手できる手が市役所ともう1ヶ所に常設している(時々イベントで出稼ぎに消える)。菊池雄星の話の時にちょっとだけ話した大谷翔平マンホールは水沢江刺駅の駅前にある。さらに彼ゆかりの地は市役所がマップを作って公開しているのでそれを見て周るといい。
水沢についてはあと2つ紹介しておかないといけないものがある。1つは南部鉄器。日本の北部なのになんで南部鉄器なのか、しかもここは南部藩じゃなくて伊達藩なのに、という謎には回答があるのだが、それは忘れて南部鉄器を探すといい。水沢の南部鉄器は手頃に買えるものが多いし、そもそも明日明後日は奥州市南部鉄器まつりで即売会も行われる。第二会場は新幹線水沢江刺駅のそばにあるし第一会場の周りには駐車場も多いので存分に見るといいと思う。この"周辺に駐車場が多い"はちょっとした伏線で、もう1つの水沢で紹介すべき施設水沢競馬場には駐車場が存在しない。競馬場自ら「車で来る場合は近隣の私設駐車場を利用してください」と案内するくらい。まあこの駐車場思ったよりも安いのであんまりこだわらないで使えばいい。おそらく水沢競馬場は日本で一番ひなびた競馬場で、でも季節の関係もあって岩手競馬はこっちでの開催のほうが盛岡競馬場よりも断然多いという、よく使われている競馬場でもある。そしてこの競馬場、桜の名所でもある。競馬場の向正面に桜並木があって、これが桜の季節だけ一般公開されて入ってお花見を楽しむことが出来る(カラオケは禁止)ので、4月中旬に岩手に来る場合はこれを検討するのもあり。
江刺はえさし藤原の郷という施設がまあ一番の観光地。ここは戦国時代より前の時代劇では頻繁にロケ地に使われるので、大河ドラマのロケ地巡りをしている人にはまあ必見ではある。それ以外には市街地中心部に蔵を保存利用した蔵まちモールというショッピングモール街があって歩くだけでも楽しい。サブカル的には江刺にはテクノワールドというゲームセンターが生き残っている。情報発信頑張ってるけど、結局インカムがなければどうにもならないので言ってコインを入れて遊んで欲しい。
胆沢は、実は胆沢ダムが微妙に注目されている。まあこの夏貯水量が少なすぎた、ってところで注目されたやつなので別に見に行かなくてもいい。それよりもその下流にある円筒分水工。こっちがたぶん大事。この辺は水争いで揉めた歴史があるところで、それを避けるために丸い筒の中から水を出して、その丸を等分に割って水が計算通りに分配できるようにしたという、その設備が今でも残っている。これは見ておいたほうがいい。
前沢は、その名の通り前沢牛が有名で、牛の博物館がなかなか見応えがある。まあ大体の人は「どうせ牛だろ」とたかをくくって見に来るからその落差ですごく見える、という点はあるかもしれない。前沢牛を買って帰りたいなら牧場直営店の「おがた精肉店」で買えばいい。実はこの牧場、前沢牛のほかに小形牧場牛というほぼ同じようなブランド牛を飼っていて、こっちの肉は前沢牛より5%くらい安かったりする。たぶん大抵の人はこの5%の味の差はわからないと思うので配る用はこっちでいいと思うのだけど、よく考えたら生肉をお土産に配るってそんなにやらないね。
前沢牛をその場で食べたいなら、このおがたが前沢の駅前で焼肉店をやっているのでここで食べられる。そう言えば食べるもの何も紹介してなかったね。胆沢ダムはダムそのものよりも胆沢ダムカレーがあちこちで展開されている。江刺はミートショップ小野寺の唐揚げ(チューリップ)の評判がいい。水沢といえば焼肉龍園なんだけど、ここはグルメ番組で擦られすぎて最近は予約でいっぱいらしい。
あ、衣川について説明していなかった。衣川は岩手初の落語真打・桂枝太郎の出身地。別に彼の生家が記念館になっているということはないんだけど、平泉前沢インターを降りる時に城が見えて、これは彼が地元に落語を定着させようと有名落語家を山程呼んだ落語会をやったホテルの跡地。そのうち再活用されるらしいのでその時に見に行くといいかも。あと、ここの"大森"地区がマンガ"リトル・フォレスト"の舞台"小森"となった関係で、公開後にロケ地巡りをする人がそれなりにいた。
25歳のとき借金50万作った。引っ越し費用やらなんやら。あとは単純に浪費癖。
30代の大台に乗った時「これさすがにヤバいんじゃ?」と危機感を覚えた。
結婚できる見込みは無いし、自分の面倒を自分で見れるだけの金を稼がなければならない、と。
そこで副業を始めてみることにした。
いろんなバイトを探した。コンビニ・カラオケ・居酒屋・清掃。バイトって肉体労働多すぎない?
調べているうちにYoutubeに辿り着き、そこで見つけたのが「DL同人」だった。
オリジナルの成人向け作品が主流で、ダウンロードのみでの販売。
つまり即売会での頒布と比べ印刷代や遠征費などがかからず、利益率が非常にいい。
元手が無い自分にとって、初期費用がかからないのは魅力的だった。
日頃から絵を描く趣味があったので機材は一式揃っているし、二次創作の趣味レベルだが漫画を描いた経験もある。
リスク無しで始められる副業としては、かなりいいかもと思った。
とりあえず市場調査。
自分の画力は中の下くらい(Twitterで絵アップして500~1000いいね程度)だけど、
とりあえずFANZAのランキングの漫画を一通り購入してみた。
男性向けエロは「いきなりステーキ」だとか言われていたが、ストーリー性のある作品も多かった。
市場調査の結果、自分の好みが「女性上位」であることがわかった。
一作目は変に凝らずに自分の好みのキャラ・シチュエーションを描くことにした。
モノクロ26ページ制作期間4週間(ネーム・下書き2週間/ペン入れ1週間/仕上げ1週間)
ストーリーはかなりベタ。同級生の可愛い女が発情して、押し倒されて童貞奪われる。
ひねりも全く無いが「こういうのでいいんだよ」精神。
結果、思ったより売れた。想定よりかなーーり売れた。
FANZA:約2300DL
DLsite:訳800DL
利益 約65万円
言葉を選ばずに言えばチョロすぎて笑った。
今までの社会人生活なんだった?毎朝起きて夜まで働いて月19万?バカじゃねーの?
商業誌から3通メールが届いた。うちの雑誌で描かないかという旨の連絡。
誇張無しに嬉しすぎて泣いた。今まで一銭にもならなかった趣味が、社会に認められた瞬間だった。
それでも、あくまで「副業」と決めているから丁重にお断りした。
かくして、借金50万円の一括返済が叶ったのでした。
まず私について
・愛嬌はある方らしい
【コミケが始まる前】
創作垢を持ってないのでCircle.msのみ動かしていました。
お気に入り数は10人。これだけいたら誰かしらひとりは来るだろうと甘い考えをしておりました。
【コミケ当日】
スタイル:当日はクラシカルロリィタの格好で参戦。露出は全くなしです。
設営:ポスタースタンドあり、作品数が少なくて殺風景なのでA4の縁に「話しかけてください!」って書いた紙を入れました。
話しかけてくださいの紙を入れた理由は、デザインフェスタっていうイベントで「フォロワー0人スタート!話しかけるだけタダ」的なことを書いてたサークルさんが賑わってたのでそれを参考に。
配置:一次創作イラスト集を出してるサークルが多かった島です。これは私も悪いのですが、当初はイラスト+小説で出す予定でした。しかしイラストが全く描けないスランプに陥り、小説のみに。めちゃくちゃ浮きました。
結果:0冊。話しかけてくれた方、3名。見本誌をペラペラ捲って「ありがとうございます」って言って皆去っていきました。
【コミケ後】
やっぱり横の繋がりがないと私の作品なんて誰も買って貰えないんだな。とにかく涙が止まりませんでした。
酷い鬱と希〇念慮に追いやられ、しまいには食事ができないレベルのストレス胃腸炎になり点滴地獄に。
…甘い考えかもしれない事を言います。
コミケはぶっちゃけ作品がクソでも、可愛い子やおっぱいデカい子が立ってりゃ売れると思ってるので私程度のビジュじゃ売れないなと思いつつも、前回出たコミケでは私の見た目目当てで買ってくださった男性がいたので今回も少し期待しておりました。
が、残念ながら今回はビジュ目当てはおらず。
思えば今までの即売会では、私の中で「作品で売れたい」と言うより、「作品なんてすぐ捨てていいから私の見た目で誰か作品を買ってくれ」「女がエロ書けば誰かしら寄ってくれる」という甘くてクソみたいな考え方をしていたから売れなかったのかな。だったら作品なんて書く資格ないな、でもやっぱり「こんな可愛い子がこんなの書いてるの!?」と思われて商品を買われたいな、と自分自身を攻め続けました。
これ読んでる方々もうわ〜〜〜って思ってそう。だって私だってうわ〜って思うもん。
仲良しの子のインスタを見てた時にハッとしたのです。
「自己満でいい」
その言葉が何故か深く刺さりました。
その子は美人さんでよく旅行に行ってはSNSに旅行の写真をめっちゃ載せてるけど、全部自己満。寧ろバズったら恥ずかしい、他人になんて言われようが自分の好きな事を貫きたいというスタンスの女性。私は心の何処かでその子に憧れてたんだと思います。
思えば人にいつも合わせてばかりで、承認欲求塗れの人生だった。
ふと、そう思いました。
見た目とのギャップで売れたいとかいう穢れた承認欲求は置いといて、誰にも買われなくても、誰にも見られなくても自分が心から好きな作品を書いてみよう。
ビジュもそう。他力本願じゃなくて、まずは自分が自分を好きにならないと。
タイトルの主語が大きいことは理解している。わざと行っている。
が、これはただのやりようもない悔しさややるせなさを晴らすための文章だ。
普段ならGrokやChatGPTに壁打ちするが、今日は気分でここを使ってみようと思う。
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ここ数日、ケモノ界隈の中で「エロ/非エロ」に関する話題が複数の場で同時に発生していた。
自分は、ケモノ界隈の中でもケモノVtuberとケモノ着ぐるみの界隈に、それぞれ片足ずつ突っ込んでいる。
具体的な名前やツイートのURLについては伏せるが、ケモノVの方では某有名ケモノエロ絵師がケモノVデビューを果たした。
着ぐるみのほうでは「エロい着ぐるみの投稿はゾーニングしてくれ」という投稿が、物議を醸した。
それらをどちらも見て思ったが、やはりケモノ界隈では「エロが圧倒的に伸びやすい」と言えるだろう。
いわゆるヒト界隈のほうはどうなのかわからないが、もしかしたらヒト界隈でもそうなのかもしれない。
まず、ケモノVのほうについて掘り下げていく。
この界隈では毎年「音楽フェス」にあたる大型企画が開催されており、トップ層の配信者が多数参加し、同時接続数も600前後に達するなど、一定の成長を見せている。
その中で、ある著名なケモノ向けアダルトイラストレーターが、新たにケモノVtuberとしてデビューした。
セルフデビューであるため匿名性は限定的だったが、初配信の同時接続は1000人を超え、従来の記録を大きく上回る数値となった。
こちらはすこし複雑で、ユーザーAが「ケモノ着ぐるみでセンシティブなコンテンツを表垢で上げるな ゾーニングしろ」のようなニュアンスの投稿を行った。 ただしこれは数ヶ月前に行われた古い投稿である。
また別のユーザーBが、フォロワー1万ほどの有名ケモノ着ぐるみアカウント(ユーザーC)の「股間を弄っているメディア(人間部分の露出なし)」のスクリーンショットと、上記のゾーニング要請の投稿を並べて引用した。
これにより、あたかもそのゾーニング要請が当該アカウントを批判しているように見える状況が生じ、結果的に当事者間で衝突が発生した。最終的には和解に至ったが、第三者の投稿は削除され、その後の説明はなされていない。
ここで私はまた数字に着目したが、ユーザーCの上げているメディアのうち、股間を弄ったり、ブツが強調されるようなパンツを履いている着ぐるみメディアと、そうではなく普通に着飾ったりポージングを行っているメディアでは、およそ8倍ほど反応に差があった。
これらの事例から示唆されるのは、少なくともケモノ界隈において「性的コンテンツの方が圧倒的に反応を得やすい」という点である。
その背景について考えると、性的コンテンツは受容のコストが低い一方で、非性的な創作物は理解や咀嚼を必要とする。
そのため、理解の負担を避ける層は、自然に前者へと流れていく可能性が高い。特にケモノ界隈では、この傾向が顕著に表れているように見える。
話がループするが、ケモノ界隈では圧倒的に「エロにしか興味がない層」が多いと思う。
けもケットなどの、いわゆるコミケ的な同人誌即売会は存在するが、デザフェスなどの非エロ向け即売会は存在しないように見受けられる。
あったとしても、着ぐるみイベントなどのおまけとして存在している程度だ。
長ったらしいので、「創作物を咀嚼し、消化するだけの能力を持ち合わせていないユーザー」のことはいっそのこと「頭が悪い層」と吐き捨てるが、この頭が悪い層はやはり多いというイメージを持ってしまう。
特にケモノV界隈では、コメントなどでコミュニケーションを取る機会がある分、話が通じない層というものが可視化されやすいイメージがある。
同じ人間の言葉を喋っているはずなのに、どこか意味不明なのである。
私はケモノVと同じぐらい、ヒトVの配信や動画を見ているが、それらと比べてもコメント欄の異質さというか、変な人がいたなという回数はケモノVのほうが圧倒的に多いと感じる。
着ぐるみについてもだ。
一芸がなくとも、一ゲイがあれば健全に活動しているトップランナーたちにタッチできるぐらいの反応を貰える。
それほど、頭が悪くエロコンテンツしか見れない層は存在している。
かといって、健全なコンテンツを接種しろ、と強要することは不可能であるし、私としてもそれは望まない。
大阪万博に興味がない人を無理やり万博へ連れて行くことや、美術館に興味がない人を無理やり連れて行くのと同じだからだ。
もしかしたら仕事で疲れているだけなのかもしれない。 もしかしたら学問で余裕がないのかもしれない。
だがしかし、同じケモノというコンテンツを扱っているのに、この反応の差は、10年以上この界隈に身を投じていても、たまに応えるものがある。
ただ、それだけだ。
そもそも魅力のない作品は「立ち止まられない」「手に取られない」「買われない」のカイジの沼パチンコ三段クルーンみたいなのがある
それらのどこかで敗退するのが(ジャンルによって大きく変動するが)即売会に出た新刊の7割~9割
100部も掃けて胆石なら客観的に上位3%みたいなものであり、感想など無くてもむしろうぬぼれてやらかしがちな階級
大半のサークルは「30部刷っても“20部も”掃けないから、今回は20部だけ刷ろう……それでも半分ぐらい余るだろうな……」みたいな状況
初参加ならさておき「リピーターが現れて買ってくれている」というのは半端ない「感想」なので、それを噛みしめて調子に乗って欲しい
事実なら増田はとんでもなく絶賛級の無言の感想をいただいている
というか、SNS上にも存在せず名前を聞いても拒否されしかし毎回静かに買ってくれる人のこと、記憶に残らない?
自分は覚えている。10年以上前からずっとそうで、今回も買ってくれた
それだけで次の本を作ろうという気になる
Twitterにて、あるクラスタがBL界隈を「潰そうと」しています。
倫理面で問題のある(まずここから勘違いなのだが)ゲームに対し、炎上させて発禁を訴えかけた人間がいました。その人がよりにもよって商業エロBL作家だったので、「お前が言うな」と炎上し返されました。
ツイフェミ=腐女子の図式は以前から囁かれ、ヘイトを貯めてはいましたが、ここに来てその典型例が可視化されたことで今まではギリギリ耐えていた表面張力がとうとう決壊したようです。
こうなってしまうと矛先は当の作家だけでは済みませんでした。いじめの存在を知りながら見て見ぬふりをしていた者もまたいじめ加害者。BL界隈全体が表現規制推進派(の温床)であり「潰すべき敵」と見做されてしまったのです。
突飛な論理展開なのはもちろんなのですが、実態として腐女子(しかも拡散力の高い商業作家)から表現規制の声が上がっている以上、家ごと燃やすのが手っ取り早いのもまた事実。ゴキブリの巣と認識されています。
今までは自宅がゴキブリの巣でも自分が気にしなければ構わない、という姿勢だったでしょうが、集合住宅でそれをやってしまうと隣人が困って怒るんですよね。当然隣人が被害者です。
もし、これからも家を追い出されたくないと思うのであれば、ゴキブリがいることを嫌がり、日常的な駆除・防虫対策を講じる必要が出てきています。そしてそれを隣人にアピールし、「私は無害な人間です」と示さなければいけません。
最大手コミケのように「どんな思想も受け入れる」と掲げているなら難しいでしょうが、個人の同人イベントは主催の裁量でどうとでもなります。主催の負担は増えるでしょうが、我慢していただきたい。
「でもこの作家、作品自体はいいから…」とか甘いことを考えない。今になってがおうの同人誌欲しがる奴はカスでしょ。それと同じことです。
誰がやってもいいですが、BL界隈の人間がやることに意味があります。問題はリストの正しさを誰が保つのか、ですが(どうせ私怨でリストに入れて燃やそうとする奴が出てくる)そこはそちらで解決してください。
(少数の冤罪被害が起こるのは痛ましいが、界隈全体の存続に比べたら些事なのでこちらが考慮することはない)
これは無理だと思いつつ一応書いておきます。表現規制に反対する姿勢(=BL界隈は安全であり燃やす必要のない場所であること)を公にアピールするには大きな一手ではあるのですが。
今回の商業BL作家のような人間は、まず同じ界隈の者が率先して批判すべきでした。
こうして身の潔白を対外的にアピールすることで、やっと平穏を手にできるかと思います。具体的な対策を書いたつもりです。他にいい方法があるならもちろんそっちをやってもらえればいいです。
正直、BL界隈に向けられている言葉はこれでも生ぬるいと思っています。だってせいぜいが「18禁マークを付けろ」程度のことしか言われてないから。
「発禁しろ」とまで言っているのは攻撃者側から見てもトンチキな過激派扱いにとどまっていると思います。こっちは毎回発禁発禁言われてるのに。優しいね。
リアルでもネットでも未成年含む女相手のストーカーや性加害をやめられない性別向けのポルノと
女向けのポルノが同じ扱いされるわけないんだよね
ラオスの児童買春にしても、男社会では児童買春が常習になっているから、売る側も買う側も組織的になり膨れ上がり外務省が動いたわけで
男子高校生をレイプしたおばさんのような、ほぼ発生しない上に散発的な例と相対化するのは無理がある
BLに影響された犯罪が続出してカード会社が規制に動くという話かと思ったら
しかもフェミや腐女子が三上悠亜ウェディングドレス騒動に移行しただけなのを「フェミや腐女子がBL規制をちらつかされてラブドールにゴミ食わせるゲームに言及できなくなり黙り込んだ」というストーリーを作成してるのか
完全になんとかが失調してるやん
https://anond.hatelabo.jp/20250729013213
にわかにクローズアップされたジャニーズ性加害問題も、地上波テレビしか見てない爺さんが「全ての女を夢中にされるジャニーズを潰して女さんを現実(冴えない男性との結婚出産人生)に戻してやれ」という目論みありきなんだけど
その何年も前からとうに女向けコンテンツは分散化・多様化状態だったので「発狂する女」もごく少数のジャニヲタのみだった
しかもジャニーズ性加害問題も全ての業界人が加担していた組織的な問題だったが、アンチフェミキモヲタはジャニーさんやタレントと接点のないジャニヲタにつきまとい「罰として加担したジャニヲタ女の子宮を摘出しろ」と喚いていた
【男の敵は男】グループサウンズの皆さんも、ジャニー喜多川さんの性加害を見て見ぬふりしていた
https://anond.hatelabo.jp/20250729151724
×男の性被害は守られない ○男は男の性被害を見て見ぬふりして加害者をアシストする
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツが年齢制限なしに買えてしまう状態はどうかなと思っている。
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツが年齢制限なしに買えてしまう状態はどうかなと思っている。
【発端】
・女型ラブドールに“ゴミを食べさせる”インディーゲームが「女性搾取」と炎上。
・それに対し「では女性が描き女性が読むBLも“ゲイ搾取”なのでは?」という疑問が投下され論争に。
―搾取派
-男性向けエロを叩いた論理をそのまま当てはめればBLもアウト。
-BLは“女性向けファンタジー”であってゲイ向けポルノではない。
-BL同人誌の即売会で「男は来るな」と言いながら男体を性的消費しており一方的な客体化。
―非搾取派
-架空の男性同士の恋愛を描くのは自由。現実のゲイに実害を及ぼさない限り搾取ではない。
-フェミ/腐の一部が男性向け作品を規制要請→BLも問題まみれなので「ブーメラン」だと男オタがBLを叩く状態。
- 「どちらも燃やし合って共倒れになれ」と願う傍観派も登場。
-少年漫画キャラの18禁二次、未成年受けなどは元々グレーで「いつ規制されてもおかしくない」。
-海外(イギリス、オーストラリア、中国等)ではBLも含め18禁強化やアクセス遮断が進行。日本も他人事ではない。
-ゾーニングで済むのか、発禁か、規制派の落とし所が不明という指摘。
4.コミュニティ内の自浄不足
-過激シッパー/フェミが暴れても同ジャンル内で止められず、外部から一括攻撃を受ける構図。
- 「主語がデカ過ぎる」「当事者でない層が煽って延焼を広げている」との自己批判も。
- 元来は労働用語であり性的表現に安易に使うのは的外れ、との声。
- 「男/女」など大雑把な括りで互いを叩くことの不毛さを指摘する意見も多数。
【総括】
・議論は最終的に「フィクションの性的表現をどこまで許容・規制するか」というより広い問題に収束。
結論を先に述べておくのだけれど、ただ単に自分が勝手に「生きにくさ」「存在しにくさ」を感じているだけ。そういう日記。
全体を通して要領の得ない、ほどほどに長文が続くので、もし時間があるひとはお付き合いください、って感じのもの。
前提知識
・女
最近、とあるゲームを好きになり、いわゆる「オタ活」というものをしている。
推しに対する言及をしたり、あることないこと含めた妄想をX(主にTwitter。他も含むため以下SNSと表記)でつぶやいたり
投稿サイトに作品を投稿したりしている、創作するタイプのオタク。
一般人のなかでは稀有かもしれないけれど、オタクとしては「割とよくいる」女オタク。
これらがないから、最近は身の振り方が分からなくなって、悩むことが増えた。
何故? 存在感も発言力も無ければ、好きにつぶやいて好きに存在すればいいじゃん。
いや、そうなんだけど……。
と言うことで思考整理を自分なりにしてみた結果、おそらく「界隈に対する所属感」が薄くて不安になっているのかなという感じ。
もっと端的にいえば「承認欲求が満たされなくて苦しい」みたいなことだと思う。
ここでの拘り、というのは
作品にカップリング要素が少しでも入るものを、ワンクッションをおかないかぎり提示しない。
SNSで、相手を指定してのやり取り以外でのカップリングの話はしない。
みたいなもの。
正直、ないことをあることとして二次創作をしているのは、普通に「きもいオタク」でしかないと思っていて。
その中でも「キャラとキャラが付き合う」ということは、原作で言明されていない限りは「きもい妄想」でしかなく。
その「きもいオタクのきもい妄想あまり表に出して主張をするべきではない」と考えている。そういうタイプのオタク。
多分、周りから見れば思考が古いところで凝り固まっているんだろうなと思う。
でも、きもい妄想を表に出す形の交流が、少なくともSNSではメインになっているように感じて。
そういうことをしない自分は「存在感の無い」「いてもいなくても変わらない」オタクだな、と思うと、そこへの所属感が薄く、端的にいうと消えてしまいたくなる。
簡単に言えば、界隈に対して自分の存在に価値がないと、今思っている。
この界隈という認識も正直歪で、冷静に考えたら「好きなキャラを好きというだけでいいじゃないか」と思えていない時点で、なかば自身の中の承認欲求を感じる。
自分の好きなもの(ダイレクトにいうと性癖)をわかりやすく口にしないのに、界隈の人間に認められ、あわよくば求められたいという承認欲求。キモイが過ぎる。
私自身「在庫があるということは、その時、その場所にいた人間の「ほしい」に応えられた」と思っているので、在庫=悪ではない。むしろ善とすら思っているけれど
そのそばで「完売した!」「もう在庫ほぼ無い」という人をみると途端に落胆する。
多分、自分自身が「即売会で自作の本が完売した!」をやりたいんだと思う。欲求ですね。
でも、それが出来る人って
もしくは「発行を極端に減らす」だとおもっていて
「同人誌の完売を目指して無理に知名度をあげたり、発行部数を極端に減らすことはしたくない」と感じているんだと思う。
でも、作品や普段の投稿(SNSでのつぶやき)に力があれば、普通に在庫は減っていくわけじゃないですか。
たぶん私は
・人との交流で特別なことをせず、もっと言うならなんの努力もせず。
・自然体のままで認知度を上げ、且つ界隈でそこそこ目立つくらいには存在感がついて
……のだとおもう。
そんなおいしい話、あるわけないのにね。
作品については、大量に何かをしているわけではない。けど、いくつかあげている。
作品閲覧数がないわけでもなく、お気に入り登録らしきものの数も少なくはない
それでも全体の3~4%ではあるが、プロでも何でもないただの無名オタクで3~4%のお気に入りはふつうに喜ぶべきである。
しかも存在感皆無の人間。作品投稿サイトとSNSは名前が違うから、人脈を頼りにしているわけではないのに、3~4%ある。
(そもそも人脈らしい人脈はないけど)
なんならこの日記を書くにあたって初めて計算した。普通に「すごいな自分」となった。閲覧1000越えていて、お気に入りが50以上ある。すごい。
これで満足しないのが、承認欲求の塊だな~~~~と思い始める。上記に戻る。
しかも今回は長寿ジャンルの新規参入者の立場である。満足した方がいい。ずっと界隈にいる人間と対等になりたいと思わない方がいい。
SNSで「誰々さんの作られる作品がとても好きです!」を、公然と言われる人がいるじゃないですか。
たぶん「それ」になりたいんだと思う。作品に期待をされたい。みたいな。
繰り返しになるが、ずっと界隈にいる人間と対等になりたいと思わない方がいい。ほんとうに。
これ思っている時点でおそらく、よこしまな気持ちが作品に出ちゃうから、「それ」には絶対なれない。
その上、存在してもしなくても変わらないならSNSアカウントを消して、作品も非公開にしたいなぁ~と思うわけですよ。卑しいので。
そもそも、その「きもいオタクのきもい妄想あまり表に出して主張をするべきではない」と考えているのに、「それ」になれると思うな!でしかない。
己の要らないプライドを曲げずに、存在を承認されて、ちやほやされたい。
そうじゃなければすべてを消し去りたい。
私みたいなオタクはいるんだろうか?全てが中途半端なオタク。人見知り拗らせすぎてネットの友達がいない。
言いたいことはリアルの友達が5、6人(疎遠になってる人もいる)フォローしてくれてるアカウントで言う。
ふんで別の鍵つけた閲覧だけのアカウント(0フォロワーのやつ)で人のイラストとか、興味の引かれたやつはいいねする。
同人誌は通販で買ったことあるけど、即売会に行ったことはない。だけどpixivで2次創作はよく漁る。別に違法な手段で創作物を楽しんだりもしない。
これが私の普通で、特に何も思ってなかったけど、もしかしてオタクってネットの友達いるのが普通なの?
一緒にいるけど本名知らないから云々みたいなのがよくバズるけど、それが当たり前なんですか?
だけど、別に友達が欲しくないわけじゃないと思う。どうやって仲良くなったらいいのかがわからないのかな。数年前ジャニーズにハマった時もアカウントを作ってみたけど、わージャニオタさんと繋がる時間がみたいなやつは寒気がするし、かと言って気の合いそうな人を見つけたとしても0フォロワーみたいなアカウントが話しかけたらびびるだろう。
いつも鍵かけてるから、話しかけられたこともなくてわからない。てか、アカウント作った時も何呟けばいいかわからなくて難しかった。
みんなネットの友達いるの?私みたいに鍵垢でこそこそいいねしまくってるサイレント型オタクって実はめちゃくちゃ多いとかそんなことない?
ないのかな。