
はてなキーワード:危険とは
まず、例えがおかしい。
ちんこに対して瓶ビールという、相手の身体の一部でもない、冷やかで割れると大怪我をする危険性の高い無機物を持ってきているのが、非常に頭が悪いか卑怯かのいずれかです。
身体に挿入される物体として、全くもって対等でないものを持ち出しておいて、過剰に忌避感を煽ることで、持論を押し通そうしている浅ましい行為だと思います。無自覚ならただのバカです。
ディズニーは知らんが、近所の遊園地も事故起きても非常ボタンは手が届く所にないし、騒音もあるしそうなるのは仕方がないと思うよ。
危険を防ぐため、身長制限などは厳格だし、ルールを守れない子は退場させられているのを見た。
一人座り出来る子という条件なのにずれ落ちるのが不思議だし
アトラクションは危険があるのに親がきっちり抱っこしなかったのかと不思議に思うわ。
医療ケアが原因なのか、性格の原因なのか知らないがじっと出来ない子は乗せるべきではない。
子に対する責任を持てないなら親は連れて行くべきではない。
歩きながら登り降りするのは非常に危険なのでやめてほしい。登りエスカレーターなら登るだけ、降りエスカレーターなら降りるだけにしてほしい
こういう奴ってとくにはてなとかじゃ許されがちだけど狂っちゃったネトウヨじいさんとかと同じ状態だよな
ロボット化してるというか
といった社会正義の言葉を用いて、制作者の決定を非難する例が見られる。
ここで問題となるのは、その主張が
それとも自らの消費者としての希望が叶わなかった怒りを正当化するための装飾なのか?
という点である。
ポリティカルコレクトネス(以下PC)は、権利が抑圧されている当事者を守るための概念だ。
しかし、もし作品の男女カップリング成立を「表現規制すべき」とまで言い募るのであれば、それはPCの政治的・倫理的重みを私的欲望の道具として転用している危険がある。
作り手は、読者に媚びずに物語を構築する創作の自由を持つ。読者は、気に入らなければ読まない自由を持つ。
しかしその関係が崩れ、「私の望む展開以外は差別だから規制せよ」と要求し始めれば、表現そのものが危機に陥る。
消費者が個人的な不満を社会構造批判に偽装することは、マイノリティ当事者の声をノイズとして埋没させる行為にもなる。
同性愛の表現は、当事者の尊厳を担う社会的な再現と、非当事者向けフィクションとしての性的な消費の二層を含んでいる。
この線引きが曖昧なまま、「消費者としての願望が叶わない=当事者の権利侵害」と短絡すれば、結果として当事者性の“奪取”が起こりうる。
LGBTQ+を扱った表現を尊重するのであれば、自らの要求が社会的権利の主張とは異なる次元にあることを自覚しなければならない。
少年漫画という媒体には、もともとターゲットとなる主読者層が存在する。
作品の本来の設計思想や対象読者の多様性を否定してはならない。
作品を愛し、楽しむ自由は誰にでもある。しかし 「自分の好きな読み方だけが正しい」 とし始めた時、ファン文化は排他的な力へと変質する。
◆結論
PCは社会的に不利な立場にある当事者のための倫理概念であり、消費者の欲望を正当化する武器ではない。
そもそも東京で車が通ってないから赤信号を無視して横断歩道を渡るシチュエーションってそんなにあるんだろうか?
カーナビが普及してからは生活道路に近いような道でも飛ばして抜けていくやつに割と遭遇するから信号関係なく周囲確認しないと危険を感じる(あと書いてて思ったけど自転車も歩行者が避ける前提で飛ばしてるやつらがいて危ない)
長い直線で見通しがよくてどこかから突然車が飛び出してきたってことが絶対になさそうなところなら信号無視してもいいかもしれないけど
「高尚」という言葉については、元の投稿の表現をそのまま引用しただけです。
ASDだの何だのと想像を広げていただき、わざわざ解釈してくださったのはありがたいですが、
世田谷がどうこうという話もありましたが、
子どもはまだしも、大人で堂々と信号を無視する人はあまり見かけません。
丸の内あたりで赤信号を渡れば、どう見ても「土地勘のない人」に見えるでしょう。
その感覚の違いを説明しても伝わらなさそうなので、ここでは触れないでおきます。
地方に対する無意識な優越感のようなものが滲んでいて少し気になりました。
普通に「東京出身」で済む話なのに、あえて区名を出すあたりが象徴的です。
進学や転勤などで外の地域を知らないと、
東京の中だけでヒエラルキーを作ってしまうものなのかもしれません。
田舎の人間は、都会の人が思うほど「見下されている」とは感じていません。
むしろ、田舎を知らない都会の人ほど「田舎差別」に過敏に反応する印象です。
熊を殺さないでと役所に電話するような“善意の人”と言えば伝わるでしょうか。
相手をASDだのフェミだのとレッテルを貼っていくのは、なかなか不思議な構造です。
正義感と攻撃性が同居しているあたり、SNS的とでも言うべきでしょうか。
幸いそこまでの自覚はありません。
その点ではまだ「未熟」なのかもしれませんね。
最後に一点だけ。
将来、無意識のうちに誰かを巻き込まないよう、お気をつけください。
「スパイファミリーを見て、スパイになりたいと思う子供」は、「スパイファミリーを見て、スパイになりたいと思う子供が出る危険性がある」という投稿を見たら、「スパイファミリーを見て、スパイになりたいと思う子供が出る危険性があるから、スパイファミリーを見た子供は全員危ないので今のうちに消しておくべき」と考えそうだな
友人(30代女性)が中学生フォロワーと同人イベントに参加した話を詳細に聞いたのだが、個人的に有り得ないと思ったポイントをいくつか。
① 友人が売り子募集をした際、声を掛けてきてくれたフォロワーが中学生だと知りながら売り子を許可した。
②友人はR18本を扱うサークル(該当日もR18本を頒布していた)
③友人が買い物に出掛けている間、R18本を頒布していたのは売り子の中学生。
④友人は売り子に頼まれ、別サークルのR18本を購入→売り子(未成年)に渡す。
箇条書きにしただけでもアウトな点が何点もあるのだが、同人イベントの現状って実際こんなものなんですか??
それにしても30代にもなって未成年、ましてや義務教育中の子どもと一緒に行動する危険性を彼女は分かっていなかったのか。それにドン引く。
金銭の関わる場所で、未成年とR18本を置き去りにしていく。怖すぎる。考えただけでも恐ろしい。
それともこれは私がお堅い頭の持ち主なだけであって、周りはみんなそのような空気なのだろうか。
バレなきゃいいよね!は結局人の口からバレていく。
30代にも関わらず、大人としての行動をとっていない彼女は今後も在り方を変えるつもりはないのだろう。
ところでこういう場合は然るべき団体に報告するならばどの窓口がいいのだろうか?
中学生も悪いのはもちろんだが、全てを知っていて加担した大人はもっと悪い。
彼女が二度と同じような過ちを犯さないように……と思っていても、彼女はこの件を過ちだと思っていないのでどうやら二度目があるらしい。
平成11年頃は、まだ山之内隆樹とかを作っていた時代だし、お前が危険な人間とか多分誰も思ったことがないし、これからの人材がないから陰で作っていた時代だから
お前の人生など知らん。偉いとも思わないし偉そうだなお前。 井上修二はしんけん模試の研究者で知られていただけ。地区とかでもお前みたいなやつがいるとか聞いたこともない。
子供ってさ、いろんなものをいろんないじり方をして、そこから学ぶわけじゃん。
いろんなものを水に投げ込んで、これは浮かぶ、これは沈む、ということを学習する。
高いところからモノを落とすと壊れるのをみて、落下中に加速するということを学習する。
叩いて、切って、落として、水没させて、風や水流に乗せて、そういうことが学習なんだけど、そういうことって、なかなかできない。
現代社会には、叩いちゃいけないモノ、切ってはいけないモノ、落としてはいけないモノ、水没させてはいけないモノが多すぎる。
というより、家の中のほとんどのモノはそうだ。
じゃあ、野外に行けばいいのかといえば、野外だってそうそう自由にできるものは少ない。
歩道橋から道路に石を落としていいはずがないし、川に紙やビニールを投げてはいけない。
草木は抜くな、動物は殺すな、他人のモノは触るな、と言われてしまう。
自然科学よりも、人間社会のルールを先に覚えなければ生きていけない。
禁止事項が多すぎる。
というよりも、許可されたエリアで許可されたモノに対して許可されたことだけしかしちゃいけないようになってる。
例えば、赤信号では止まる、それを覚えないと都会で生きてはいけない。
もちろん、とりあえず理屈は抜きに周りの真似をするということは、現代社会じゃなくたって必要なスキルだ。
たとえ、サバンナで暮らしたって、不用意にライオンに近づかないとか、そういうことは覚えないといけないだろう。
しかし、それにしたって、現代社会のルールの数は子供には多すぎる。
前置きが長くなった。
本当につらかった。
興味が向くまま全部やって、怒ってもぜんぜん効かないんだもん。