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「単独過半数」を含む日記RSS

はてなキーワード:単独過半数とは

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2025-10-21

anond:20251021150725

単独過半数取れないんだから自分で慰めるしかないやろね・・・

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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2025-10-16

anond:20251016150725

いや、単独過半数取れてなければどの政党も一緒

Permalink |記事への反応(1) | 15:08

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2025-10-14

公明党がいなくても高市ひとりの力で自民単独過半数を実現するミラクル

そんな方法を教えてほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:08

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2025-10-12

国民民主党単独過半数政権取っても手取りは増えない

だってやる気ねえんだもん

野党がとか財務省邪魔するからとか誤魔化しておわり

Permalink |記事への反応(1) | 18:21

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anond:20251012083847

国民民主だけじゃないけど今の野党分散単独過半数獲得は無理

であれば政策実現のためにはどこかと組むしかない

ヨーロッパじゃ連立組む前に数ヶ月の政策議論優先順位交渉がされるし、連立政権できた後も受け入れられないことがあればさらりと抜け出ることだってする

Permalink |記事への反応(1) | 10:27

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2025-10-10

anond:20251010205348

協議じゃなくて、法律の内容な

つーか、連立関係なく協議するかどうかって単独過半数取ってないんだから協議拒否選択肢なんかないんだわ

脳みそ足りなさすぎない?

んで、両方の会見まずは見てこい

Permalink |記事への反応(1) | 20:54

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2025-10-08

anond:20251008121439

まだ総理大臣ならない可能性あるからなー

総理大臣なって解散総選挙して単独過半数目指したらいいと思う

Permalink |記事への反応(1) | 12:22

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2025-10-06

anond:20251006113060

石破政権選挙に負けたのは金回りが悪かったからというのははっきりしてる。

どこの選対も金不足で苦しんで選挙どころではなかった。

安倍政権があれだけ選挙に強かったのはじゃぶじゃぶ金をつぎ込んだから高市麻生内閣はその点を改善するつもりでいるはず。

支持率なんかどうとでもなるよ。金さえあれば単独過半数なんかすぐとれる。その頃には国民民主の一部は自民党になってるってのは同意

Permalink |記事への反応(1) | 11:40

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2025-09-05

anond:20250905211721

前回の参院選で他の野党消費税へのテコ入れ公言しだしたように可能性はあると思うんだ

現在与党単独過半数を取れていないんだ

それに世論もっとそちらに向けば与党の中でもそういう声が大きくなっていくと思うんだ

Permalink |記事への反応(1) | 21:38

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2025-07-20

anond:20250720113917

どうせ何年か経ったらジャップカルト自民不祥事なんか全部忘れて単独過半数成し遂げてるから

雌伏の時なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 11:44

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2025-07-09

10年前の政党数と今の政党数どっちがいい?

20年前は自民公明の連立与党で、まともな野党民主1強、社民共産熱狂ファンがつくみたいな感じだった

与党が嫌なら民主に入れるしかないじゃない。って人が多かった

その結果2009年に民主単独過半数与党となったわけだが結果はさんざんたるもので、今は空中分解してなんちゃら民主自民除く)などが乱立することとなった


今はどうか

自民公明の連立与党は変わらず

野党は先に述べた民主が分裂したことにより細分化社民共産は変わらず

それに加えて、維新れいわ、N、参政など、20年前にはなかった党が乱立している状況

与党自民公明)が嫌な場合、様々な政党投票するという選択肢が増えたわけだ


選択肢が増えるのは、より自分の考えに近い政党を選べるという点ではよいが、政党が乱立していると単独与党になることが難しく

連立与党となれば選んだ政党政策が実現しやすいかといえば疑問点もあるわけだ

現在自民公明も連立与党だが、2党と少数かつ意見がまとまりやす性質がある

面倒な人は政党多すぎて比較するのめんどくせえとと思う人も多いだろう


政党が増えるのはいいことの反面、意見の集約ある程度したほうがよくないかという側面もあるわけで、

皆は今の方が良いと思うか、昔のように強い野党が一ついればいいと思うか

どっちがいいと思います


増田選択肢増えた方が良いと思うので今が良いかなって立場です

Permalink |記事への反応(1) | 09:44

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2025-06-18

イランの「民主化」について

現行のイラン・イスラーム共和国1979年イラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政王政が続いてきた。

19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国石油メジャー管理していたアバダン油田国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。

これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イランナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプト出国した(*4)タイミングルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。

革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法行政司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教国民統合の重要理念となっている以上、統治理論としては一定正統性合理性が認められるべきだろう(*7)。

これにより、イラン大統領選国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者選挙戦を展開する。一定範囲内で民意が反映される制度と言える。

イラン大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国イスラエル意向を重視しすぎており、イラン改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的批判されるべきだろう。

背景説明が長くなりすぎたが、ここからが本題である

イスラエル(*9)、というかベンヤミンネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイラン民主化する」と主張している。だが、そもそもイラン民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的体制となっていることは、ここまで説明した通りである

スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育軍事技術進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。

仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエル従順政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である

それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者意向無視した政権運営は不可能だろう。

また、現在イラン指導である革命第1世代は、イランイラク戦争前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラーム教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。

付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教攻撃自爆テロ)も元々はシーア派特有戦術(*13)だった。仮に米国傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラク殉教攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開すると予想される。

イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を促していく他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。

1:アケメネス朝紀元前550年。

2:高校世界史の範囲ではタバコボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。

3:英米対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である

4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイラン帰国できなくなり、実質的亡命生活が始まる。途中で米国滞在していた際、イラン大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国要求し、これが「テヘラン大使館占拠事件」に繋がる。

5:宗教指導者ウラマー)といっても、イスラーム場合ファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須要件となる。日本教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラーアヤトラ)と呼ばれ(スンナ派ムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。

6:第4代カリフアリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導であると奉ずる。特徴的なのはアリーや第3代イマームフサインの生涯から殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラー儀式が行われている。また、第12イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。

7:中華人民共和国では共産党トップ国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解やすいのではないか

8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係改善せず、2005年大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。

9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史断罪されるべきであることは間違いない。

10特に高速度ミサイル制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。

11パフラヴィー朝の元皇太子米国に在住しているものの、米国イラン断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝イメージが非常に悪いため、新体制指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。

12パレスチナでは、2006年評議会選挙ハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかイラン人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。

13:1983年ベイルート米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国レバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナ住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動指導者がレバノン追放されていた際にヒズブッラーシーア派)と接触して戦術を学び、殉教攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダスンナ派)も戦術として採用することになる。

Permalink |記事への反応(0) | 15:46

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イランの「民主化」について

現行のイラン・イスラーム共和国1979年イラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政王政が続いてきた。

19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国石油メジャー管理していたアバダン油田国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。

これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イランナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプト出国した(*4)タイミングルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。

革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法行政司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教国民統合の重要理念となっている以上、統治理論としては一定正統性合理性が認められるべきだろう(*7)。

これにより、イラン大統領選国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者選挙戦を展開する。一定範囲内で民意が反映される制度と言える。

イラン大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国イスラエル意向を重視しすぎており、イラン改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的批判されるべきだろう。

背景説明が長くなりすぎたが、ここからが本題である

イスラエル(*9)、というかベンヤミンネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイラン民主化する」と主張している。だが、そもそもイラン民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的体制となっていることは、ここまで説明した通りである

スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育軍事技術進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。

仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエル従順政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である

それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者意向無視した政権運営は不可能だろう。

また、現在イラン指導である革命第1世代は、イランイラク戦争前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラーム教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。

付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教攻撃自爆テロ)も元々はシーア派特有戦術(*13)だった。仮に米国傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラク殉教攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開するだろう。

イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を目指す他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。

1:アケメネス朝紀元前550年。

2:高校世界史の範囲ではタバコボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。

3:英米対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である

4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイラン帰国できなくなり、実質的亡命生活が始まる。途中で米国滞在していた際、イラン大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国要求し、これが「テヘラン大使館占拠事件」に繋がる。

5:宗教指導者ウラマー)といっても、イスラーム場合ファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須要件となる。日本教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラーアヤトラ)と呼ばれ(スンナ派ムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。

6:第4代カリフアリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導であると奉ずる。特徴的なのはアリーや第3代イマームフサインの生涯から殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラー儀式が行われている。また、第12イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。

7:中華人民共和国では共産党トップ国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解やすいのではないか

8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係改善せず、2005年大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。

9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史断罪されるべきであることは間違いない。

10特に高速度ミサイル制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。

11パフラヴィー朝の元皇太子米国に在住しているものの、米国イラン断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝イメージが非常に悪いため、新体制指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。

12パレスチナでは、2006年評議会選挙ハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかイラン人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。

13:1983年ベイルート米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国レバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナ住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動指導者がレバノン追放されていた際にヒズブッラーシーア派)と接触して戦術を学び、殉教攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダスンナ派)も戦術として採用することになる。

Permalink |記事への反応(16) | 15:43

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2025-05-22

anond:20250522124553

そもそも単独過半数を取れない仕組みにしたい

必ず連立になるようにする

Permalink |記事への反応(1) | 13:40

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2025-04-26

自民が悪い 立民が悪いというより

激ヤバ政党がいっぱい控えてるから自>立というより自公野党パワーバランスが崩れたら困るんだよね

立民単独過半数ができるならもうそれでもいいんだけど、旧民主バラバラになったあとさらに立民の中でもバラバラなので立民+激ヤバ政党がほぼ必須条件になってるのが厄介

Permalink |記事への反応(1) | 14:06

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2025-01-30

anond:20250130093411

単独過半数割れたから、叩くというより、

その他政党応援フェーズになったんじゃないか

叩かなくてもこの調子なら勝手に自滅してくれそう

Permalink |記事への反応(0) | 09:36

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2024-10-28

どう考えても麻生高市連合陰謀

石破になっちゃったからさっさと選挙して惨敗させて

そんで責任負わせて引き釣り降ろす予定だった

裏金問題があるから単独過半数絶対に無理だったけど

野党側の準備が整ってないか政権交代もできないって予想したんだろうし実際そうだった

たぶん当初の予定では自民単独過半数割れ責任取らせて辞任、って考えてたのに

非公認候補への裏金赤旗にバレて自公連立過半数取れてないってのは想定外だったか

とはいえ適当に暫定連立組んで半年後の参議院選挙で禊ぎが晴れて裏金議員が復活するね

それまでに石破は嫌になって辞任すんじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 14:56

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2024-10-27

ここから自民が150議席を取って単独過半数確保

逆石破ショックで奇跡の大勝利を収めるとは誰も予想できなかったよね

Permalink |記事への反応(0) | 23:05

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2024-10-25

anond:20241025100112

負けてもいいと言うか裏金議員というか清和会というか安倍議員への審判なので単独過半数割り込むのは既定路線でどこまで下がるかって話よね

下野まではしないが連立与党過半数維持なら勝利条件は満たしていると思う

Permalink |記事への反応(1) | 10:05

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anond:20241025053206

新しい情勢調査が出てくるたびに自民の予想議席が減ってくので、自民190くらいじゃねという気はする。

序盤の情勢調査じゃ自民単独過半数を維持できるかどうかだったのが

中盤で自公過半数かどうかになって

今じゃ自公過半数割れがほぼ確実だ。

Permalink |記事への反応(1) | 05:46

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2024-10-23

anond:20241023223729

上げる気はあると思うけど成長率にしろ出生率しろ政府簡単コントロールできるわけないからなあ

それにこの30年で自民が圧倒的に強かったのって第二次安倍政権くらいで後は単独過半数取れてなかったり参院ねじれたり非自民政権だったりするわけで

Permalink |記事への反応(0) | 22:50

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anond:20241023175036

情勢調査では単独過半数割れは確実で与党過半数も怪しいって感じだぞ

Permalink |記事への反応(0) | 17:55

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anond:20241023174846

そこまで誰が言ってるの?

言われてるのは単独過半数割れるかもねぐらいの話でしょ

Permalink |記事への反応(3) | 17:50

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2024-10-21

anond:20241021151527

10年以上単独過半数取り続けてるやんけ

Permalink |記事への反応(1) | 15:54

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anond:20241021145932

単独過半数結果
第40回衆院選1993年×下野
第41回衆院選1996年×自社さ連立
第42回衆院選2000年×自公保連立
第43回衆院選2003年×自民保守新党を吸収
第44回衆院選2005年小泉旋風・自公連立
第45回衆院選2009年×下野
第46回衆院選2012年政権復帰・自公連立
第47回衆院選2014年自公連立
第48回衆院選2017年自公連立
第49回衆院選2021年自公連立

Permalink |記事への反応(1) | 15:15

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