はてなキーワード:南浦和とは
川口からはちょっと離れたところに住んでる埼玉県民なので噂に聞くだけで直接の状況は知らないのだか。
川口市に隣接した埼玉県の蕨(わらび)市周辺にクルド難民が集まり始めて“ワラビスタン”と呼ばれ始めたのって多分、1990年代の話なんだけど、今になっていろいろ騒ぎが大きくなってきてるのって、どういう背景があるんだろ?
数がどんどん増えて収拾がつかなくなってきたってことなんかな?
川口周辺って、古くは吉永小百合の出世作『キューポラのある街』で在日の北朝鮮への帰国問題がでてくるくらいで、古くから非日本人な労働者が集まりがちなところだったようで。
1990年代には本番可能な“西川口流”と言われた違法風俗街が一世を風靡したり、それが2000年代の浄化作戦で壊滅した後にガチ中華街ができたり、大友克之作品『童夢』の舞台にもなった芝園団地が中国人メインの団地になってたり、妙な磁場のある土地だよね。
川口駅の周辺はタワマンがいくつもあって、駅前のそごうが撤退した跡地も活用法が決まったようで、東京に近いベッドタウンとして安定してるようではあるが(電車乗って荒川超えれば東京都。次の停車駅は赤羽で、乗り換えれば池袋まですぐ)、隣の西川口と、さらにその隣の蕨は独特の空気が漂ってる。
さらに一駅いけば“進学塾銀座”たしてもしられる南浦和、さらに行けば埼玉屈指のプライドを誇る文教都市の中心駅・浦和になるわけだが。
なんか電車に乗ってると、そんなに風景は変わらないようなんだけど、一駅ごとに降りてみると短い距離でいろいろ目まぐるしく変わるんだよね。
なお、川口オートートレース場は元SMAPの森且行選手が所属していることで、一部で有名。西川口駅からオートレース場まで無料バスがでてるのだが、一時期は場違いな若い女性が殺到したとか。
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
鉄道の駅限定で北〇〇と南〇〇が一番近いのは北巽駅-南巽駅、次点で北安城駅-南安城駅。
一番離れてるのは北方駅(佐賀県)-南方駅(大阪府) ←北野駅(福岡県)-南野駅。ご指摘ありがとうございました
ソースはWikipediaとGoogleMap。間違いや抜けがあったらご指摘ください
駅名 | 鉄道運賃 | 鉄道所要時間 | 陸路最短距離 ※1 |
---|---|---|---|
北安城-南安城 | 170円 | 2分 | 1.7km |
北伊予-南伊予 | 170円 | 2分 | 2.2km |
北浦和-南浦和 | 160円 | 7分 | 5.4km |
北大町-南大町 | 190円 | 9分 | 3.2km |
北小谷-南小谷 | 210円 | 14分 | 8.7km |
北柏-南柏 | 160円 | 6分 | 5.0km |
北方-南方 ※2 | |||
北熊本-南熊本 | 440円 | 35分 | 5.4km |
北郷駅-南郷駅 | 480円 | 32分 | 19.0km |
北越谷-南越谷 | 150円 | 2分 | 3.5km |
北条-南条 | 9610円 ※4 | 5時間42分 | 334km |
北千住-南千住 | 140円 | 2分 | 2.7km |
北仙台-南仙台 | 240円 | 20分 | 10.5km |
北千里-南千里 | 160円 | 5分 | 3.6km |
北高崎-南高崎 | 150円 | 20分 | 3.3km |
北巽-南巽 | 180円 | 2分 | 1.1km |
北田辺-南田辺 | 290円 ※3 | 18分 | 1.7km |
北長岡-南長岡駅 | 190円 | 31分 | 4.7km |
北永山-南永山 | 340円 | 17分 | 7.7km |
北延岡-南延岡 | 230円 | 17分 | 9.1km |
北野(福岡県)-南野 | 34230円 ※4 | 11時間23分 | 1362km |
北松本-南松本 | 150円 | 5分 | 3.8km |
北吉田-南吉田 | 190円 | 12分 | 4.0km |
北与野-南与野 | 140円 | 4分 | 3.3km |
※2北方駅は2つあり(福岡県・佐賀県)、南方駅も2つある(大阪府・宮崎県)。
最短=北方駅(佐賀県)-南方駅(宮崎県) | 7570円 | 4時間21分 | 321km |
最長=北方駅(佐賀県)-南方駅(大阪府) | 17680円(新幹線経由) | 4時間24分 | 683km |
参考:喜多方駅-南方駅(宮崎県) | 34350円(新幹線経由) | 12時間22分 | 1338km |
こんばんは、埼玉のおっさんです。
京浜東北線沿線に分譲マンション所有してるんで資産価値高めキープするために埼玉アピールしとくわ。
http://anond.hatelabo.jp/20170201120618
1000万というのは何もしないには十分すぎる収入だけど、何もかもするには足りない収入。
そう、何をして何をしないか、よく吟味する必要がある収入ってこと。
老後貯蓄?
それをへらすなんてとんでもない!
教育費?
普通に何も考えずに暮らしていると周りに流されていつの間にか中学受験をする羽目になるぞ。
親がそのつもりじゃなくても子供が「塾に通いたい」と言い出すからな。
それも勉強に目覚めたとかじゃなくて「友達が行ってるから」だからな。
もちろんそんなスタートでも親子で協力して合格に向けて頑張るのも悪くはない。
ただし金はめちゃくちゃかかるがな!(塾代年間数十万、ラスト1年は受験料など込みで100万超)
余談だが奇しくも今まさに中学受験真っ只中だな。最後まで諦めずに頑張れよ。
話がそれたがじゃあなにを減らすか?
住居費でしょ!
埼玉なら3000万円台〜3LDKのお手頃な物件を取り揃えている。
駅近でも中古なら3000万円台(すぐ売れるがな)。
頭金1000万用意して埼玉に来なさい。
つか今の金利ならそんないらんか。
頭金ゼロでとりあえず埼玉で物件買って気分次第で1000万パワーで繰り上げ返済しまくって欲しい。
さて以降の文章は「安いのはわかったがでも埼玉なぁ」などと思ってしまった奴に向けて書く。
都心がじつは近い。
川口、浦和、大宮など南部の主要都市から東京、新宿、池袋、渋谷など都心主要駅まではおおむね25分〜45分で行ける。
乗り換えもゼロか1回だ。
このようなアクセスの良さは千葉にはない。神奈川だと東京並に地価が高い。
俺などは「通勤何分かかるんですか?」「え?ドアツードアで45分だけど?」「へぇ〜(あらまぁ見栄張っちゃって)」みたいな会話にもう慣れたが、そのくらい埼玉の利便性は埼玉県民以外には知られていない。
都心でちょっと背伸びする庶民(そう年収1000万のお前らだよ)にとって辛いのはショッピング。
埼玉はふんだんにイオンモールやなんとかモールを取り揃えている。
しかも田舎とちがってイオンモール以外だってシャッター商店街などどこ吹く風で活気に溢れている(南部の都市限定だがな)。
東京はもちろん神奈川、千葉などとも違って中学受験はまだまだ少数派だ。
最近増えてきたようだが駅近学区でも5〜10%程度、浦和の山の手でも20%いるかどうか。
それでいて中学受験したくなったらなったで「塾銀座」の南浦和があるから即対応可能だし
あの開成中は埼玉からのほうがアクセスがいいので実質埼玉の学校という説がある。
私立ナンバー1の開成と公立ナンバー1の呼び声高かりし浦高を抱えているのが我が埼玉県なのだ。俺はそう考えている。
都心にも近く駅近マンションが安い、駅前の商店街が機能していて大規模ショッピングモールも近い。
はてなブックマーカーのみんなが大嫌いな車はここ埼玉(の駅近)では完全に不要だ。アブソルートリィアネッセサリィ。
もうここまで読めばわかると思うが節約しようと思えば住居費以外も節約し放題なのが埼玉だ。
最重要の住居費だけでも圧倒的節約が可能だというのに他の部分までこんなに節約できちゃうなんて・・・
東京より優位なのはもちろんのこと、地方都市と比べても負けていない。
地方都市なら収入は基本下がるうえに車必須しかも一人一台、家は売りたいときに売れず不良債権化待ったなし、賃貸に住もうにも小奇麗な物件がそもそも少ない。つまり埼玉県民とくらべて支出が増えて収入が減る、おまけに資産が減る。
日本広しといえども、高収入と低コストを両立できるのは埼玉だけ。
はっきり言って年収1000万パワーを持つお前らならば「節約」という若干貧乏くさい印象をまったく抱くことなく自然体で生活しているだけで自然とお金が貯まっていく異次元感覚をここ埼玉でなら味わえることだろう。
よろしくお願いします。
[犯行の中心メンバー]
■宮野裕史(34) 千葉刑務所での服役態度は悪い (2007.2.2出所)
■神作 譲(33) 埼玉県八潮市中央4??21??12 (出所後再犯により現在服役中)
■湊 伸治(32) 「千葉県市川市」→「京都市伏見区」→大阪(結婚を機に転居)
・神奈川県横浜市金沢区六浦町199-1 ニューウェルテラス金沢八景F棟
[中心メンバーを補佐]
運送会社に勤務 酒場でこの事件をおもしろく語る
結婚し2人の子(実の子ではない説もあり)がいる
長女は小金井市立緑小学校を卒業(2006年3月)し2007年4月から中学生
□湊恒治(湊伸治の兄) 恐らく「京都市伏見区向島市営住宅」か
星 寿和(33) 暴力団事務所極青会に所属 埼玉在住(神作と今も親しい)
都築 洋(32) 暴力団事務所極青会に所属、足立区綾瀬1ー33ー15
石川あかね(33)被害者の顔に落書き。千葉県松戸市馬橋、風俗勤務(旧姓は萩尾)
浅野コウジ(33)千葉県松戸市 中野で目撃情報アリ?(キャバクラの呼び込み)
[関係者と思われる人物]
菊池 聡(32)
加藤 亮 埼玉県さいたま市北区マンハイム大宮(ネットでzvp00704の名で偽造サイン販売)
岩澤 寛之 横須賀市林
小倉 悦子(神作の母親)(埼玉県三郷市 1-8-7 スナックACB )