
はてなキーワード:卒論とは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
[追記]※増田の仕様上ひとつの記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは(そもそもiPhoneのフリック入力を開発したのはAppleであってソフトバンクではない)
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
都内某ターミナル駅で目的のホームに向かおうとしたら階段の時点で人があふれており、ホームにいたっては劣悪な家畜小屋のように人間がごちゃごちゃになってうごめいていた。
ただ、ターミナル駅なので降りる人も多いため、電車がやって来て中の乗客を吐き出せば、ホームで待っていた膨大な人々をそれなりに飲み込んでしまうすごさがある。降車する人でホームがパンクするかというと、電車が来た後はむしろすっきりしているぐらいで、すげーな、と思いつつ、俺も自分の乗る電車をホームで待つことにする。
電車を待っている人たちの列に着く。電車が来る。列が動く。俺は前に進みつつ、到着しているいまの電車は見送ることにした。体を押し込めないと入らない気がしたからである。
俺の前に並んでいた人たちはみんな停まった車両に乗り込んだ。結果として、俺が「黄色い線の内側」の列で先頭になった。
さて、俺が立ち止まってからも、いま停まっている電車に乗り込もうとする連中がおり(少し乱暴な呼び方だがこう呼ぶ)、乗車口に向かっていく。
車両の許容量はぱっと見で明らかに臨界に達しており、どう見ても乗れるわけがない。無理なものを無理に乗ろうとする者、「あ、これは無理だな」と遅ればせながら途中で悟った者などが逡巡ののちに乗車を断念し、だらだら車両から離れる。ホームドアが閉まって電車が出発し、結果としては、この連中が列(というか、こいつらのせいで列という既存の形態はあいまいになり崩壊したため、「群」)の先頭になる。
うん? と思ってどうも釈然としない。
これから次の電車が来るわけだが、そのとき乗車する順番は、「明らかに乗れるはずがない電車に乗ろうとして上手くいかず、あきらめて後退して列の後ろにも戻らず、乗車口(兼 降車口)の正面で待機している人たち」が先になるのだろうか?
それ、面白くねえな、と思う。要素がいろいろ複合しているが、単純に「列に並ぶ」という点で順番を抜かされているだけで面白くない。
いちいちこう書くのも偏執的だが、まず、すでに並んでいる列を抜かして先頭に立とうとしたらおかしいし、一回電車に乗ろうとしていた、というイレギュラーがあるからといって、「乗ろうとして乗れなかった者は列で並んでいる人の順番を抜かして集団の先頭で待っていてよい」ルールなどない。
ただ、と一方で思う。
俺は、じゃあ、この場にどういうことが起こるべきだと言いたいのか?
例えば、乗ろうとして乗れなかった連中が、あきらめて全員列の後ろに並び直せばよいのか?
さらに一つややこしいことを言うと、乗車口(=降車口)の前で滞留している連中にも理解の及ぶグラデーションがあって、一番前にいる者の気持ちはわからなくもない。
見たところ明らかに無理、でも、すでに中にいる人たちが頑張って詰めてくれれば一人分空くだろう、という心情は、実は理解できる。明らかに無理なことが実際に無理だっただけである。
しかし、この人にあとから続いてきた者たちのことは、もう全然わからない。自分の前にいるやつからして明らかに入れないのだから、自分が入るわけがない。後方に行くほど理解できず、前からの距離に比例してトンマだと思う。
で、これを加味すると、俺が望んでいることは何かというと、後方から乗ろうとした連中はあきらめて列に並び直す。ごくごく前方にいた人のみ、「あいすみません…」という感じで、列そのものの先頭ではないけどもなんとなく前方で次の電車を待つ。そういうことになるのか。
そんなことが起きるわけがない。全員が列の後方にすごすごと戻る、ということもないだろう。そういう分別があるなら、そもそも、前段階である「明らかに乗れない電車に突撃」自体が起こらない。
にもかかわらず、そうあるべきだ、というのは、自分でも起こるわけないと理解している「べき論」を盾に相手を論難しているわけで、おのれの正当性に偏重しすぎて、おそろしく非生産的な気がする。
電車のホームで起きていることは「列で並んで待つ。他の人を抜かさない」という空間的なシステムが愚か者のせいでぐしゃぐしゃになる話だが、時間的にも似たようなことは起きる。
というか、散々書いてきてあれだが、俺こそよく、時間的な意味で、「システムを壊乱する」側である。要するに締切の話である。
例えば締切が9/25だとして、俺は「とはいえ、9/26の早朝までは大丈夫ですよね?」ということをやらかす。
実際、それで助かることは多い(もちろん、他の人には負担をかけている)。自分が迷惑をかける側になってみると、システムにも遊びがあった方が助かるな…と思う。ある程度だらしなく、関わっている者全体がお互いのルーズさを飲み込んだ方が便利である。
ただ、時間的にだらしない俺が言うのもなんだが、
・締切は9/25です。
⇨とはいえ、9/26の朝までに出せばいいですよね?
・はい。本当の締切は9/26の午前です。
⇨ わかりました。じゃあ、9/26の午後イチではどうですか。
⇨ありがとう。ところで、実は…
となって、果てしなくシステムがメルトダウンしていき、ルールを守ることをナメるやつが出てきて、真面目な人が損をする。それはよくないので、やはり仕組みは仕組みとして明確に切るべきなのか(卒論の提出など、意味合いが深刻なものほどそうなっている)。
うーん、と思っているうちの次の電車が来る。ターミナル駅なので大量の人が降りてきて、降車口の前にいる連中は思いっきり邪魔になっている。その連中が脇にのくスペースをつくるために俺も脇にのくが、これで列がより曖昧になり、もう列で並ぶとか意味ないじゃん、と思う。
その連中が乗り込んで、あとから俺も乗る。仮にの話だが、もしこいつらの乗ったために車内がいっぱいになり、この電車も見送らないといけなかったら、俺は相当ムカついただろう。だろうが、「ちゃんと並べ」という俺自身、別のところではヘラヘラやっているため、どの立場で何を怒っているのやらよくわからない。
関係あるようなないような話だが、最近、都内駅構内のエスカレーターで右側を歩く、という慣習が弱まっているような気がする(気がするだけかもしれない)。乗ろうとするエスカレーターを見上げて、妙に静的なので、うん? と思うことが増えた。
ここでいう研究分野とは学部学科のもう一つ下の研究室レベルとする。例えば、法学部部政治学科や文学部史学科の下の「ラテンアメリカ政治史研究室」ぐらいのレベルを念頭におく。ラテンアメリカ政治史研究室は日本に幾つ必要か。
一つの考え方として、日本や世界における研究ニーズなどからの逆算があるだろう。ラテンアメリカといってもいくつもの国や時代があり、研究アプローチも社会学的なものかホニャホニャ学的なものかとか多分色々ある。それらを踏まえて、例えばいったん日本にはラテンアメリカ政治史研究室は10の大学にあればいいと仮置きする。各研究室には教授、准教授、専任講師が各一人と仮定する。つまり、ここで日本でラテンアメリカ政治史の常任のポストは上中下合わせて30人である。
ざっくり常任のポストを30歳で得て、30年間働くものとする。30のポストのそれぞれで30年間勤務する人がいるので、毎年一つのポストが空くことになる。実際は専任講師から始まって准教授教授となっていくが、一人当たりの3ポスト合計の在籍年数が30年である限りこの見立てで良いはずである。
さて、しかしながら、10個の研究室は毎年大学院生を教育してしまい、博士号取得者を輩出してしまう。各研究室から2年に1人博士号取得者が出るとする。全国で毎年5人である。しかし、ポストは毎年一つしか空かない。5人のうち幾人かはポストを諦め、一般就職をするなり、行方不明になるなどする。しかし3人で1ポストを争うことになる。
非常勤のポストを増やしても解決にはならない。非常勤のポストも有限であり、毎年常勤ポストにあぶれた博士号取得者が2人生産され続ける限り、一時的なバッファである非常勤ポストは早晩埋め尽くされてしまうからである。
これを解決するためには、常勤ポストを増やすとよい。日本に必要な研究室は10個で常勤の研究者は30人いれば十分なのだが、あらたに毎年研究者が生み出されてしまうからだ。しかしここで新たに常勤研究者を増やす場合には条件があり、それは、博士号取得者をこれ以上増やさないということである。博士号を取得するものが現状より増えてしまったら、追加でポストを増やした意味がない。
新しい常勤のポストは、優秀な学生を生み出さない大学に設ける新規の研究室に置くのがよい。この大学では毎年、近隣の高校からラテンアメリカ政治を学んでも良いと思って入学する何人かの生徒がいる。彼らを相手にしてゼミを開講するのだ。彼らは毎年、卒論と銘打ったものを出して満足して大学を概ね四年で巣立っていく。そうこうしているうちにゼミだけでは暇だろう、と教務課から声をかけられる。一二年を対象とした第二外国語のスペイン語を担当することになるだろう。入試の試験官や保護者説明会に駆り出されるだろう。この大学から新しい博士号取得者が出ないのは当初の予定通りだが、教員自身の教育と雑用に忙殺されて研究成果を生み出せなくなる。振り返って考えれば、彼は同学年でラテンアメリカを学んだもののうち、日本で2位もしくは3位の実力を持つものである。しかしこうするしかないのだ。
10年前、同じ高校・大学を出た連中が次々とナウでヤングな業界に飛び立つ中、俺は「だが、俺はあえて今どき官僚になる」と逆張りをかました。
公務員の係長は何の権限もない一担当者でありながら数人の新人相手にオシメ係をするという虚無の果てのような役職だ。
つうか、今の部署で仕事をする分には科長になろうが部長になろうが、何も変わることなく「足りない予算を誤魔化すために冷酷な足切りを繰り返しつつ前例踏襲」しか出来ることはないように思う。
地獄だ。
ここにあと30年務めても、俺達は何も生み出すことなく「予算不足を足切りで誤魔化し、足りない分は民間に泣いてもらう」を続けるだけだろう。
辛い。
フェイスブックやインスタや会社HPに自分の経歴を漏らしてしまうITリテラシーにかける同期たちの活躍を時折眺めているが、おおむね成功してる奴らばかりで鬱になる。
俺がみたいの「会社が倒産したよ~~~公務員になればよかった~~~」の悲鳴だというのに。
どうしたらいんだ。
後輩共、間違っても公務員にはなるなよ。
「俺は絶対間違えない!」と思っていても、就活シーズンの狂った空気の中で「あのさあ・・・就活とかさっさと終わらせて卒論進めてよ・・・」と教授になじられると楽な道へと人は転がり落ちてしまうんだ。
一般教養をちゃんと学んでいればノーベンで受かるようなペーパーテストで簡単に通る一次が終われば実質倍率1.5倍のラクショー面接、縋る藁としては太く見えたものよ。
まあサビ残しまくってるとはいえ年収は中央値余裕で超えてるから、最悪ではないのかな。
そう思うためにも同期共にはフェイスブックで「資格取ったらバイトの時給が1100円に上がった!嬉しい!」とか呟いて欲しいんだよなー
学生時代にMTGを一緒にやっていた奴なんだけど、色々あってMTGに絶望してシャドバへと流れていった。
今はシャドバの大会に向けて色々やってるらしいが、いい大人があんなエロメンコやっててどうなんだろと思ってしまう。
他の大会参加者を見てもハーストからの10年選手はいても「当時は小学生でした!今は課金して配信即環境デッキ作れて楽しい!」みたいな感じの初々しさ。
一方俺達は卒論の合間にゴッフィーやってたような化石みたいな存在。
下手に大会で上位になっても「なんかめっちゃオッサンおる!」って悪目立ちするんじゃないかな。
https://www.ipa.go.jp/shiken/2026/ap_koudo_sc-cbt.html
この発表見てただ書き散らす。
簡単になるし午前と午後分けれて良いな~ってのが素直な気持ち。嫉妬すらする
年1というのは変わらないようだけど、今の基本情報みたいにAMとPMは別日に出来るので集中しやすそう。
合格率は今の試験内容のままなら極端に上がらないのかなと思う。基本情報の合格率UP理由は日程や自信ない人のキャンセルでの母数の減少なので、応用や高度も少しは上がるだろうが基本情報みたいなブレインダンプに近いサイトでの詰め込みでの合格は難しいと思う。
高度だと3問中2問の文章題だが、長文読解という問題はPCでは非常にやりにくい。試験テクニックのメモやマークも出来ないのでしっかり読まないと行けない。検索や右クリックの使用も出来ないだろうから手間は多そう。ただそもそも午後1も過去問やれば基本解けるのでそこまで問題はないと思う。
この発表で一番多かったのはここの部分ではないか。つまり筆記用具で論文を手書きしなくて済むという話だ。
なぜか分からないけど手書きじゃなきゃ受かるという自信満々の人が多いが、自分はキーボードで高度の論文お作法が身体に染み付くか?と思うと疑問である。
当たり前だけどテンプレなんて使えないだろうからキーボードで楽できるのは漢字変換くらいで、手でかける人がキーボードでさっさと打ち込めるようになるだけで準備してない人は結局CBTになっても評価はB以下で不合格だろう。というか手書きのほうが最初に構成考えるときに楽なんだけど、なんでみんなキーボードなら楽勝なんだろう?卒論得意勢?
これは全貌が明かされていないので想像でしかないが、おそらく全国のテストセンターで実施だと思うが土日もやっているテストセンターは少ない。平日の仕事終わりにやっているのも少ない。東京だと土日だと秋葉原のセンターが人気だし、平日夜は新宿がやってたりするが多くは17時くらいがラストだ。午前はともかく午後は途中休憩あっても4時間コースだ
これまでは強制日曜実施なので現場によるが貴重な休日が潰れるくらいだったが、今度は多少自由度が増えるが受けたい日に近所で受けられるかは微妙になる。もちろん東京近辺ならテストセンターはたくさんあるがちょっと郊外に行けば途端になくなる。おまけに基本情報やベンダーのようにいつでも受験可能では無いみたいなので集中し、申し込めば受けられた今より場所によっては不便になるかもしれない。国家資格なので地域差は無くしてほしいが聞いた話では他の国家資格もCBTに遷るみたいなので国としても不平等とは思ってないようだ
今までは年に1~2回なので多少被っても同じ問題はなかったが、もしCBTになるとしたら問題の種類は一気に増えないとすぐに情報集まって攻略法が出来るだろう。7500円で人海戦術すれば問題のパターンは集まるし、それを有料サイトで売れば投資分はすぐにペイできそう。特に午後2なんで問題が分かるか分からないで桁違いの難易度の差が出る。というよりAIにテンプレ教えて評価Aの文章が作れるので問題分かる=合格である。
もちろんちゃんと対策とかあるんだろうが、数十パターンを毎回追加とかでは息切れするだろうしそうじゃなければ3年後には攻略法定まって2週間で高度取りましたってQiitaの合格体験記が乱発されそう。
IPAの理由は分かるけど、基本情報の時と一緒で安易な易化でしかないと思う。もちろん2時間手で字を書くのは大変なのでCBTでキーボード入力できるのは素晴らしいが、受けてるとやはり紙のほうがやりやすい。テストセンターの消えないホワイトボードはストレスである。
なにより同じ日に受けた受験生で問題の差が出て合格率に差が出るなら個人的にはCBT化やめるか、これを機に根本的な試験内容も見直すべきだと思う。
ただ、一つ確実なのはCBTなら受かるって奴はCBTになっても直前でキャンセルするし、落ちるし、論文はC判定。受かる人は今の方式でも文句言わずに受かる。
職場でやたらと頭が切れるやつがいて、なんなんだこいつと思って後で聞いたら、やっぱり院卒だった。
しかも一人や二人じゃない。妙に理解が早くて、話していても何が論点か即座に見抜くし、資料も筋が通ってるし、想定外の事態にも「ああ、こういうパターンですね」って冷静に切り返す。なんなんだあれ。なんでそんなことができるのか全然わからない。
自分はというと、三流の大学出て何の疑問も持たずに社会人やってるだけ。
言われたことはこなすけど、別に本質的なことは何も見えてない。問題が起きたら焦って上司に丸投げ、リカバリが終わったら「なんとかなってよかった」で終わり。
つまり、頭を使わずに生きてきた。というより、使い方を誰からも教わってない。大学はただのモラトリアムだったし、卒論もない学科だった。
院卒の人たちは「考える訓練」をちゃんと受けてきている。仮説を立てて、検証して、根拠を整理して、論理を積み上げて、それを人に伝える。そういう当たり前のことができる。
自分にはそれが致命的に欠けてる。わかってるけど、もう取り返しがつかない気がしてる。
ただ、こういうことを言うと「いやいや、もともと優秀なやつが院に行くんでしょ」って反論もあると思う。
確かにそうかもしれない。だから自分みたいな凡人が院に行っても何も変わらなかった可能性もある。
でも少なくとも院卒の人たちは頭の使い方を知っているし、実際にそれを日々の業務に落とし込んでる。
対して自分は、問題が起きたら「またトラブルか、めんどくせえな」としか思ってないし、根本原因を考えるふりをして「多分〇〇が悪かった」で終わらせる。メモも残さない、仕組みも直さない。で、また同じ問題が起きる。
とにかく楽をしたい、怒られたくない、その場を切り抜ければいい、自分の中で言い訳できればいい、それだけで動いてる。
知的好奇心?向上心?そんなの捨てた。大学出た時点で終わってるんだよ。
だから院卒が目の前で鮮やかに問題を捌いてるのを見ると、尊敬を通り越して憎らしくなる。
その能力を自分は持ってない。努力の仕方も知らない。時間もないし、根性もない。
だからせめて「でもあいつらは人間味がないから」とか「理屈っぽいだけで現場はわかってないし」とか、そういう雑なレッテルでバランスを取ろうとする。
哀れだと思う。
院卒って優秀なんだな、ってしみじみ思う。
でも、それを認めたくない自分もいる。
私も長らくラボ生活してたので思うところはありますが、シリアスに研究と向き合えない人がそこに居るとかなり邪魔なんですよね。
やったことない人は研究なんて1人でやるもんだしどんな奴いても関係なくない?とか思いそうだけど。
私が邪魔と思ったのは
・n数不足で議論が成立しない
まあ女子枠で入った子=やる気ない奴とは思わないけど、実際問題研究本格化する四年生時点で進学するか否か決まってるので、
卒論を適当に済ませたいやる気のない子は必ず現れるんですよね。
個人的な予想では女子枠使って入る子、そもそも理系進学に目的や好奇心がないと思うので進学しなさそうとおもってる。
私と旦那、さかのぼれば3年間のお付き合い、7年間の結婚生活。
今年は10周年。
時は、私大学3年生。
・・・やりたくない。
半ば強引。
結婚した時は、もう年貢の納め時。浮気はしないだろう、と本気で思ってた。
友達を訪ねて一人で行ったイタリアで、イタリア男の洗礼をうける。
視野が狭かった!!!今の時代はグローバル社会!世界が見えてなかった!
そして基本重い女なもんで、どっぷりはまる。
そして愛に生きるはずのイタリア人にすら、「君の愛は重すぎる」みたいなことを言われ、
あっさり振られる。
そしてその傷を癒すため、また別の男にはまる。
って、どんだけ世の男性は私を振るのだろうか。
そんな私も1度だけ浮気(私はいつでも本気)がばれたことがある。
2車線のちょうどお隣に旦那の車が停車。
マリオカートがいいとこかな。
そんなこんなで未だ私は迷走中。
長続きする幸せ、どこにあるんだろう。
関東にいた頃は知らない人と喋るってこと自体そもそもなかった。
大学の帰りにふらっと入った商店街で、おばちゃんに「あんた、どこの子?」ってな感じで唐突に話しかけられた。
それまで都市伝説みたいに聞いてた「大阪のおばちゃんは飴をくれる」ってやつ、本当にあるんだなぁって思ってその時感動したんだ。
しかも、それっきりじゃなかった。在学中に何度か似たようなことがあって、道を聞いたり、どこのお好み焼きが美味いか尋ねたりしただけなのに、気づけば飴が手元にある。
で、ある日ふと思ったんだ。
おばちゃんたちって、飴どんだけ持ち歩いてんだ?って。
疑問が湧いたら、もう止まらなかった。これは研究するしかないと思ったんだ。
真面目な話、社会文化の観点から見た地域性と贈与行動の関係っていうテーマにもなりそうだったし。
でもまぁ正直、ノリと勢いのほうが強かったと思う。
サークルの仲間に相談したらみんな乗り気でさ。すぐ賛同が集まって、後輩やら知り合いやらにも声かけたら、最初に20人ぐらいが集まった。
作戦はこうだ。
最初は自然に天気の話とか、買い物袋が重そうですねとか、そんなとっかかりから。
そして、さりげなく褒める。「その服、オシャレですね~」とか「髪型素敵ですね」とか。で、最終的には飴をもらえるかどうか。
これを20人で一人ずつやる。少しだけ間を空けて、見失わず、なるべくバレないように。
実行して結果はというと……なんと全員、飴がもらえた。
俺らは慌てて増員をかけた。
協力者を呼び、LINEを飛ばし、ゼミのメンバーまで巻き込んで、結局50人近くがチャレンジした。
でも、それでも――飴は、尽きなかった。
おばちゃん、手提げバッグひとつで歩いてたはずなのにどこからどうやって、そんなに飴を出しているのか。
全員がもらえたことも衝撃だったけど、何よりも「話しかけてきた50人の若者全員に飴を自然に配る」っていうおばちゃんの行動に、俺たちはもう完全に打ちのめされた。
その日の打ち上げではみんなで「あのおばちゃん、絶対ただ者じゃない」と語り合ったのは言うまでもない。
たぶん飴配り界のレジェンドだったと思う。
ちなみに卒論にはしなかった。