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はてなキーワード:卒業とは

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2025-12-16

今日大学時代女友達焼き肉

お互い「気兼ねなく焼き肉が食える異性の友人」を必要としているので

卒業してからかれこれ8年くらい2か月に1回くらいの割合

一緒に焼き肉行ってるけど世間的には割と異常らしい

セックスしたいかしたくないかでいえばそりゃできるならしたいけど

でも数度のセックス楽しい焼き肉時間どっちが大事かって問われると

だったらセックス外注して焼き肉を楽しみますってなってる

Permalink |記事への反応(0) | 11:55

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世の中は見た目どおりではないと思った話。

大学卒業してから、友人の友人的に付き合い始めた男性は、優しいだけのダメ男バンドマンだったが、なんとかなるかもと当時は思ってた。

しかし、十数年を経てうまくいかなくなってくると、金に釣られて暗殺しにくるし、そのあと自分組織に殺されてた。たぶん。よく知らない人の話からすれば、酷い死にざまだった。

子どもはいらないな、と言われたことはショックだったが、実はもともとデメリット役だったのだろうか。

女子会のみなさまは「彼氏、やさしそーだねw」って、「w」つけてたし。貸して25万円、その親に請求することはできるだろうけど。ただ法律的には。

世間知らずだと、せっかくの一生が勿体ないことになるな。学習院は警戒すべき一派だ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:20

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2025-12-15

ちょっとでも見た目がいい女だと風俗の沼に落ちるから厄介だよな

親が子供地元に縛り付けるのも理解できる

俺が女だったら絶対風俗で働いてるもん

タイパ良すぎる仕事をしないわけがない

大学卒業風俗卒業できればいいんだけど

そんなことを考えながらTSしてパパ活するエロ漫画で抜きまくってる

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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anond:20251214182609

# 車田宅士 年表

##1967年(0歳)

##1985年(18歳)

##1986年(19歳)

##1990年23歳)

##1992年(25歳)

##1998年31歳)

##2005年(38歳)

##2008年(41歳)

##2012年(45歳)

##2015年(48歳)

##2018年(51歳)

  • 長女が結婚、孫が生まれ
  • 「やっと一人前の爺さんだな」と同僚に祝われる

##2020年53歳

##2022年(55歳)

##2023年(56歳)

##2024年(57歳)

##2025年(58歳)

---

### 補足設定

Permalink |記事への反応(3) | 13:57

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熟年離婚する前提で結婚した

じゃあ何故結婚たか

子供を持ちたかたからだ。

なので、いいお父さんになってくれそうな人という観点相手を探して結婚した。

子供絶対理系にしたかったので、理系大学卒業して専門職に就いている人限定。夫の介護をしたくなかったので年下で探した。

家計はもちろん別財布でお互いの資産は非公開。子供大学合格するまで賃貸に住んで、合格したら単身用マンションを買って別れようと思っている。

期間限定の子育て協働者としてしか夫を見ていないので、あらゆることを許せるし喧嘩もない。イラっとしてもどうせ別れるしと思うと何かを指摘する気も怒りを伝える気も起こらない。新婚当初から普通の嫁なら怒るだろうなということも一切全く怒らないので、周りからものすごく寛容な嫁だと思われている。ただ夫の家がちょっと複雑なので別れるという意思は変わらないし、離婚前提でFP法律専門家に定期的に相談して資産管理離婚準備だけは粛々と行っている。

幸い子ども理系に興味を持ってくれたので、私の子育ては予々成功しているといえる。

夫婦なんて所詮赤の他人が紙切れ一枚で繋がっただけなのだから、こういう考えもありだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 12:28

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anond:20251215095204

俺はもういい歳のおっさんだけどタイ志向には賛同するところが大きい

伝統的な「よくわからないところから始まって手探りで全容が見えてくるまでの間にじっくり感情操作されて最終トリガーひかれて脳汁が出る、あるいは考えさせられる」みたいなエンタメテンプレートって

ビールをおいしく飲むために30分サウナで耐えろ、みたいな話と一緒な気がしてる

2ヶ月で卒業できる寿司職人学校が良いかいかみたいな話とも繋がるよな

Permalink |記事への反応(1) | 09:59

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11/15。午前10逮捕留置所で過ごした20日間、そして判決までの記録

今年も一年が終わろうとしている。

今年もまた、脅迫脅迫まがいのことを生業として過ごしてきた。ただし相手は間違えていない。

まりどういうことかというと、社会的正義のための脅迫脅迫まがいのために飼われている立場である、ということである

からガッツリ脅迫をしてもし相手被害届を出したとしたら、相手こちらサイドが洗いざらい警察告発するとやましいことがめくれるため、それをされることは無い。

はずだった。今年も一年、無事に終わろうとしていた先月のことだ。ちょうど一ヶ月前になる。

逮捕された。11/15日、土曜、午前10時のことである

前日が華金であったため立ち飲み屋に何軒か寄り、終電帰宅していた翌朝だ。

眠りに落ちたのは午前2時頃であっただろうか。不眠なのでいつも通り眠剤も入れた。

そういうわけで10時になってもまだ深い眠りの中に居たところを、ケーサツ達にゾロゾロ入ってこられて寝込みを襲われた。

普段からアパートの鍵はかけない。

治安もいいし盗まれものもないからだ、強いて言えばPS5、レア物のスニーカー、某アパレルブランド洋服などは総取りされれば30万円程度の被害額にはなるかもしれない。

(盗んで売った者は10万円程度は手にするだろう)

それで難なくケーサツ達は俺の部屋に入ってこれたわけだ。まあそれでいい。鍵が開かないからと大家さんに連絡されれれば警察沙汰がバレる。バレずにいたいからな。

まどろみの中、メガネもないままおぼろげに確認すると8人もケーサツが乗り込んできている。しか10時に。「ケーサツでーす、ケーサツでーす、起きてー」などと声を発しながら。

ふつうこういう時は近所への配慮から早朝ピンポンでこっそり連れていかれるものじゃないのか?それをこんな時間ゾロゾロと。配慮など無いようだ。

逮捕令状、ガサ状、押収令状の三枚の紙を見せられ、ぼうっと寝ぼけているとガサがさっそく始まった。

本棚タンスの引き出しなどを漁られ、「本と服が好きなんだねえ」と言われたぐらいであとは机の上のサバイバルナイフをチェックされた。

これは何をは言わないが、何かの時に使用するために持っているもので、刀身は長いが切れ味は悪い。ま、そういうことだ。

ナイフについては「こういうものを持っていてはいけない」とだけ言われて押収はされなかった。どうやら押収令状に書いてあるもの以外は押収できないらしい。

令状には「スマホ」「パソコン」と書いてあり、素直にスマホノートパソコン差し出した。パスワードを聞かれたのでそれも素直に吐いた。どうせ即開けられるからな。

ちなみに、俺はAndroidだがiPhoneパスワードはケーサツでもロック解除は困難という話だ。

どうしても見られたくなかったらパスワードを黙っていることも可能だろうが、それが取り調べにプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。

基本的には素直に吐いたほうがいいだろう。容疑の唯一の証拠たりえるものiPhoneの中である、というならワンチャン賭けるのもありかもしれない。

逮捕状がすでに出ているので手錠はされてもしかたなかったのかもしれないが、近所の目も気にしてくれたのか、そのまま連行されハイエースというのか、ケーサツがよく使う大きな車に押し込められた。俺などという小物、この小さな事件でケーサツが8人も来ているのはよっぽどおおげさだな、2台も車で来てよ、と思った。

署へ向かうことになった。

正直あちこち脅迫まがいや脅迫をしていたので、どこでだれが被害届を出していて、どこの署に連れていかれるのかわからなかった。

数十分ほどの距離を走り、署へ到着。東か。あいつかよ。この一年まるまるかけてお互いのサイドが弁護士までつけてやりあってきた宿敵だ。

つの不法行為ももちろん許せなかったが、俺の中に燃えている社会的正義という炎がやつを許さなかった。

やつはそれなりに地元で悪い意味で有名な人物であったが、雲隠れをし連絡もとれないという状態で完全に逃げをうっていた。

依頼者としても手の出しようがなく、行政やケーサツに訴えても助けになってくれないかこちらに話が回ってきたというわけだ。

結論から言えばネットを介した仄めかしレベルの文面が脅迫の容疑ということで、それが半年前に出ていた被害届でやっと逮捕にきたということのようだった。

こちらとしては仕事としてやっているので、証拠が残るネットを介してのものでもラインを超えないレベルのやり方というのも心得ている。はて、どうなるかなと思った。

実は同じ脅迫前科が9年前にあり、前回はしくじっている。

からこそ細心の注意を払っていたはずだが、と。思案。

前回は略式起訴罰金10万円で済んだが、「繰り返し」「同じ罪状で」「危害性が高い」となると今回はどうなるか分からないな。

今回何が証拠被害届が出されたか

それはある業界日本ナンバー2、この県でもトップで、隣接する業界の様々な肩書のある立派な人物からのチクリからであった。

その男は「この業界悪事を働く者は許さない」と常々言っていた人物であったが、その人物にまんまとハメられ「ぼやき」をスクショされ宿敵に証拠として提供されそこから被害届が出たというわけだ。まぁ耳を疑ったね。後に検事にも聞かれたが、「そことそこが繋がっているとは思わなかったわけだよね?」と。「悪事なす者とつながりませんと言っている者がつながっているとは思わないじゃないですか」ということで、俺は業界の偉いさんから目をつけられて留置所へ行くことになったわけだ。この腐った業界根本から変えなくてはいけないなと今は思っている。「魚は頭から腐る。俺はウンザリしてるんだ。」


逮捕されたら通常どうなるか。まず48時間(最大72時間だが、まあ48だろう)の勾留が決定されていて、取り調べが行われる。俺の場合、3~4時間

もっと複雑だったり容疑が多かったりすると最初勾留も取り調べも長くなるだろう。俺の場合事実確認とどういう意図でやったか簡単にまとめられ取り調べ終わり。

細身の感じのいい刑事だったな。雑談も交えながらな。俺も素直に応じたしな。で、そこで前科前歴のことも聞かれる。素直にその時前回の脅迫前科のことも話した。

はとことん正直だから「あると思いますがねえ」と言ったが、無いという。これは当然あとから出てくるわけだが。日本警察調査能力捜査能力世界一から隠しても無駄であるからすべて話したほうがいいというのは留置所で話す被疑者仲間や弁護士先生とも共通見解であるから、舐めないほうがいい。無能ケーサツ神奈川県警ならばどうにかなるかもしれないが。

前歴の二十歳の時にやった自転車どろぼうで微罪即日釈放の紙ペラが一枚出てきただけで、「これだけだよ」と言われたが。

まあこの時は「それが出てこないということは俺に有利だ。幸運だ。略式起訴罰金払ってすぐ出られるだけだな」と思っていたが、当然あとで前科が出てきて、「起訴裁判をするため拘置所へ行って1ヶ月~二ヶ月、檻の中に居なきゃいけなくなる)か略式か半々」という心理的にかなりしんどい気持ちで過ごすことになる。

ここら辺りで「家族に連絡を取るか」聞かれるが、これはそれぞれの事情によってそうしてもいいししなくてもいいと思う。

俺はしなかった。家族心配はかけられない。

が、有罪になった場合はどっちみち身元引受人に家族親族に来てもらわなくてはいけなくなるから、言ってもいいだろう。

ちなみに保釈金を200万円だか積めば出られる可能性もあるから弁護士家族相談してその道をとってもいい。認められない場合が多いが。逃げられたら大変だし。

補足情報として保釈協会かいビジネス団体もある。これは大体、10万~50万ぐらいで、その200万円を肩代わりしてくれるという団体だ。

いいビジネスもあるもんだ。俺のとこは6万円と、かなり良心的だったが辛くとも中に居ることを選択した。

前回もやったのだが、次は「鑑識」だ。

全体の写真を撮られ、正面、斜め、後ろ、顔(メガネ有り/無し)を撮られ、指紋掌紋、チョップのとこの紋を取られて、身長体重を測られて終わりだ。

その後いよいよ警察署に併設されている留置所への扉が開く。その時にはもう手錠をされていたと思う。手首の骨に当たる冷たい金属感触はなかなかに人権ダメージをくらうよ。

刑事が「また」と言うので、ああ、48時間勾留検察での弁解録取→裁判所で勾留10日延長はほぼ確定だよな、と覚悟は出来ていた。48時間勾留で返される人は中には居るだろうが、誤認逮捕とかそういう人たちだろう、99.9%の人は警察がやれるマックス20日勾留延長をくらう。その後、再逮捕さらに延長、一ヶ月以上留置所で調べを受ける被疑者も居る。

弁護士」についてだが、まずは当番弁護士というのがその日のうちに来るだろう。わけもわからない状態なら色々聞いてみるといい。

時間は30分ぐらいで、と決まっているらしいが、それはあくまでも目安なので後ろに面会が詰まっているとか弁護士が忙しいとかじゃなければ1時間でも話してくれるだろう。

そして、+10日の勾留(最大20日勾留が認められている)が認められたら、裁判所で国選弁護士か私選弁護士を選ぶこととなる。

国選弁護士は資力が50万円以下の場合、つまり貧乏人の場合タダで公費から雇える弁護士だ。半ば公務員のようにこの状態でなるため、もしこの弁護士の助言などによって思ったより刑が軽くなったからといってもお礼になにか渡してはならない。感謝気持ちがあってもだめなものはだめなのである

それよりお金があれば私選弁護士といって、各々が交渉して報酬を話し合って弁護士を決めることになる。が、裏技もあってそれ以上お金があったとしても国選ルートに無理やりズラすことも出来る。うまくやれ。弁護士はこれまでの経験からどれぐらいの刑罰になりそうか(起訴略式起訴か不起訴か、釈放まである)とか、法律知識とか、不安を和らげるとか、雑談相手になってくれる。俺などはずっと雑談をしていたが。その時にもらえるかどうか分からないがもしその時たまたまお金を持っていなくてノートも買えない(お金を持っているとお菓子とかノートとか、その程度のものは買える)ようなら、「弁護士からアドバイス」という小冊子と「被疑者ノート」という取り調べの記録をしておくための冊子をもらっておこう。ヒマ潰しに絵でも書いていてもいいし、俺のように中であったことを文章にしてこのように残しておいてもいい。本来の使い方としては、取り調べに暴行脅迫威圧がなかったか署名の捺印を強制されなかったか、容疑以外のことで聞かれなかったか原則、容疑以外のことで、これやあれもやってるだろ吐け、というのはNGだ)とかを記録しておいて裁判の時に自分の身を守るためのものだ。

いよいよ「留置所」だ。

俺はチャックのある皮パンに、チャックのあるダウンジャケットを着ていたからそれが金属探知機に引っかかるからということで預かられ、というか持ち物身ぐるみすべて剥がされ取られるのだが(財布や免許証や靴から靴下まで)、ジャージと長袖とトレーナーに着替えさせられ、これも何百回されたかからない「身体検査」という全身を触ってへんものを持っていないかのチェックがなされる。足裏まできっちり金探されるよ。

では「留置所の中」についてだ。

身体検査を受け、留置室に入れられる。

どんな感じかというと、硬い畳が三枚敷かれていて奥に和式便所と扉があり、外を覗けるようになっている(金網越しだが)。

その広さは1人で居るには少し広いし、2人だと狭いといった程度だ。つまり留置者が増えて同室になることも想定されているということ。

この頃はまだなんということもなかったのだが、留置最後のほうになると忘れもしない12/3、留置所警察官(看守)の若いちゃんが昨日雪降ったんスよ。

というぐらい俺の居た期間というのは季節のちょうど移ろい時で、暖房は一応効いているのだが奥の金網の向こうは外と繋がっていてケーサツが時々通る通路になってる。

そのためそこから冷気が入っていて寒くてやれなかった。毛布か布団か何か出してくれないかと言っても駄目だ。耐えるしかない。

なんにもない、なんにもすることのない部屋で。時計カレンダーも鏡もない(鏡は割られたら自殺自傷の恐れがあるから当然だろうが)。

そこでじっと過ごすことになる。大体の人がマックス20日と+最初勾留48時間20数日はそこで監禁されることが確定となるわけだ。

時計留置からひょいと覗けば時間は分かる。が、時間の進む遅さの苦痛に耐えられないため見ないほうがいいかもしれない。

今日が何月の何日か、というのも分からない。それは一日に30分だけ読ませてくれる新聞確認するしかない。ちなみに新聞産経新聞でかなり「右」だった。

俺は「左」の人間なので、反対側のイデオロギーから見た新聞見解というものを見れたことはけっこう収穫であった。右の人たちの考えを知ることが出来たからだ。

時はちょうど台湾有事発言高市がして、さてあれはどうなったかな、オールドメディアと呼ばれるものでは実際どう報じているのかな、と覗いてみた。

(ちなみにテレビにも一応イデオロギーはあるがあれはもうすべてがエンタメなのでメディアと呼べないと俺は思っている、うちにはテレビもないし知らないが)

記事自体ファクトであり何も偏りは感じない、ちゃんとしているじゃないか、と意外に思った。が、あの社説というのか、あの窓のところだけとんでもなく偏っていた。

小誌(産経)意外は高市発言批判しているがうちはしていない、国民支持率は高い、テレ朝コメンテーター発言に不満がある、とかなり寄って語られていたな。

それは日々のことでおもしろがって見ていたが、そのイデオロギーは時々記事にも漏れ出していて、特にコラムのような自由欄については櫻井よしこの大枠での起用や、へんなおっちゃんが関西弁での口語調で「中国とは断交したらええねん」レベル発言をさせていたのは気になった。「右」の人にとっては気持ちの良いものだろう。私はまあ逆の立場から苦笑いするのみであったが。

ともかく、それでもそれは情報食いの俺にとって日々の確実な楽しみとなったし、今日が何月の何日で何曜日なのか・・・を知るためのたった1つの与えられたものだったので意義が大きかった。

ちなみに留置者に何か影響を与えそうな記事は白い厚紙で厳重に読めなくしてあり、恐らく犯罪関連のことは知らせてもらえないのだろう。中にいて一度も山上記事などは見なかった。

ただ、ごく小さな記事死刑求刑されていた者が、発達障害ということで情状酌量して無期になった、という記事ぐらいは見ることが出来た。

基本的障害があるからといって刑務所に入らなくていいなんてことはなくて、むしろ刑務所には障害者が一般世界より多い。

ただ、最近おもしろかったのは「哲学的ゾンビ殺人事件」で2人ぐらい殺した統合失調症無罪になった、というWikipedia記事を読んだことだ。

何回読んでも俺には理解出来なかったが、何やら哲学的ゾンビという概念があるらしく、それを人だと思わなかったから殺してしまったということで無罪?という話だった。

とはいえ、そういう人はこの先一生精神病院で暮らすことになるのだろうが。

まあ別に今何時か、とか、今日は何月の何日か、ぐらいは看守に聞けば教えてくれるのだが。

そして「官本」だな。言わなきゃもらえないこともあるらしいが、本のリストをくれる。そこから読みたい本を選んで伝えると本をくれる。

暇な読書家はそれを1番から順に読んで行って、今何番まで読んだ、と話す人もいた。

俺も特に十代の頃は孤独読書青年であったから、興味を持ってリストを眺めてみたが面白そうなものはほぼ見当たらない。

一筒井康隆の本があって、2014年ぐらいに書いた短編集を頼んだ。あのジジイまだ生きていてまだ書いていたのか・・・。そう思った。

内容自体は相変わらずの筒井節はあれどさすがに枯れたか面白い話はなかった。その後本を読むことをやめ、空想世界で生きることで時間を費やすことにした。

食事」は3食食わせてくれる。これは普段ろくなものを食っていない俺にとってはかなりの楽しみとなった。

また、私語禁止が基本だが看守たちは黙認してくれるので、留置者同士、「今日はあれが美味しかったな」とか「たまに魚がくるとテンション上がるね」とか、あとで語るが留置者同士が交流出来る「洗面・歯磨き」「運動場」での共通話題となるのでそれもまたお互いの境遇を励まし合うという意味でいいものであった。

中身は3食、ご飯がギッチリ入っていて揚げ物中心のメニューである毎日代わり映えしないので飽きてくるが、中ではそれぐらいしか楽しみがないのでなかなかに美味しいと感じてしまう。

運動」は平日にだけ朝20分許される。

基本的には留置者が被らないように1人1人出されるようにしているように感じたが、それをやっていては2時間も3時間もかかってしまう。

別に誰も運動なんてしないのだが、外の空気を吸えて、そこで捕まっている自分がどんな顔をしているか確認出来る「鏡」がある。

これを見てどう思うかね。俺は、変わらんな、と思った。月水金にはヒゲを剃らせてくれる。

20日ほど居て運動場でたまに会う他の留置者との交流が一番楽しみであった。

そこでもやはり私語禁止デカデカと貼ってあるのだが、警察官も交えてトークをするのが楽しみとなっていった。

看守の業務に任じられると24時間勤務・休み休みというシフトになるためしんどいでしょ?と若い看守に聞いてみたり、ナイフを持った相手との闘い方は・・・とか様々な雑談をした。

その若い看守とは3日に1回しか会えなかったので20日ほど居て5回ほどしかそこで話していないがよく話したものだ。

他には、一番最初運動場に出された時、白髪のじいさんがいて「君は何の病気か」と尋ねてきたので、いや、別になにもと答えたが気になって看守や弁護士に「ここは精神問題のある者が収容される専門の留置所なのか」と聞いてみたりした。そうではない、ということだった。看守は、相手にしなくていい、と一様に答えた。

あと4名の「仲間」の話をしておこうか。

暴行障害・不起訴待ちで1ヶ月以上居る同い年野郎

暴行で捕まったというが、残りの犯罪についても向こうには既にバレていて、「警察調査能力は凄いですから全部話したほうがいいですよ」と。

まあ話すが。俺は間違っていない。脅迫で捕まっていながらこう言うのもなんだが、俺は正義行使者だと思っているからだ。

そうなると起訴になるんじゃなPermalink |記事への反応(0) | 08:45

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anond:20251214101839

そもそも大失敗で有名になってる時点で大成功

空前の失敗とまで言われてても、もう5億以上は稼いでる。

セーラー服と機関銃という日本代表する大ヒット映画を1000年に1度の大女優橋本環奈が主演をつとめたセーラー服と機関銃-卒業-なんて凄いよ

橋本環奈セーラー服と機関銃だよ?

それで興行収入9200万だよ。

どっちのファンも誰も見に行かなかったレベル

やばい

アニメ映画だと、ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?とかも、何期もアニメ化された人気作品なのに、映画興行収入は7000万と大爆死してるし。

Permalink |記事への反応(0) | 02:38

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幼少期、「サラリーマンはつらい」と刷り込まれた。

毎日疲れ切って帰宅する父の姿を見て、そう思うようになったのをはっきり覚えている。

 

高校ときには、友人から誘われて接客バイトを始めたんだけど自分だけ全然うまくできなくて。

「働きたくない」と強く思うようになった。

今思うとADHDASD傾向があって、その影響も大きかったのだと思う。自己診断だけど。

結局、大学卒業後は「サラリーマンになりたくない」と思って夢追いフリーターになった。

大学に行ったのは、考えが足りない当時の自分なりのリスクヘッジしか奨学金利用。

 

その後、20代後半に差しかるとちゃんと働く道を探し始めた。

就活お金もなかったから、まずは派遣事務職に就いた。これが初めての土日休み

当時は本当に驚いた。「金稼ぐのめっちゃ簡単!」って。

フリーター時代は平日休みの変な仕事薄給でやっていたんだけど、デスクワークはめちゃくちゃ合っていたらしい。

 

派遣から正社員オファーをもらって、その後もリファラルの話をずっともらって。

自分就活でも第一志望のJTCに入れて実績を積んで、その後の転職も人気企業さらに実績積んで…

苦労することも多いけど、就職したらすぐ同世代の平均以上の年収になったし、割といい感じできてる。

 

ただ、生涯年収はやっぱり大卒ストレート就職には叶わないと思っちゃう

特に自分がいるのが結構いい企業からハイキャリアの人も多いし、年下で家を買ってるような人もいるし。

あと結婚してる人は、お金があるからなのか、お子さんが複数人いる人が多い。

まあ、夢追い期間で得た友人やコミュ力仕事観もかけがえのないものだけど、IFを考えてしまう。

Permalink |記事への反応(3) | 00:01

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2025-12-14

みんなはセックスしてくれ

就学前から小児自慰がやめられず、親にも手を焼かれており、性的ものへの興味も人一倍強かった。

ラース・フォン・トリアーニンフォマニアックの前編が非常に自分に似ていて、自分ニンフォマニアなんかと少し落ち込んだくらいだ。

高校卒業後に初めて性行為をし、それから色んな相手ともしたが、幸福感とかではなく、性的刺激を得るための道具のようにしか相手を見られないのが映画と同じだった。

しか現在セックスが好きかと言うとそんなこともない。

20代半ば以降恋愛も性行為もしていない。

排卵前後に性欲がわくのも自慰をすればすっきり解消する。

成人後、ASDでありADHDであることがわかった。

ADHDというのはドーパミンが常に欠乏気味で、感覚刺激を渇望している。

そう思って振り返れば、自慰以外にも爪噛みなどの習癖が大人になってもやめられなかった。

かつて、やめたいのに自慰をしてしま自分は性欲を抑制できないエロガキのように疎ましがられ、訝しまれており、それが恥ずかしかったが、わかってみれば何のことはない、大元感覚刺激によって安心するための自己刺激行動であったのだった。

自己理解が進み、ストレス回避もできるようになるにつれ、毎日自慰をしないと眠れないこともなくなった。

ポルノ依存もなくなった。

強い刺激で頭を空っぽにしたいのは、不安からくる一種逃避行動だったのだろう。

別にこれは全ての人に当てはまるわけではなく、私の場合たまたまそうだったというだけの話だが。

セックスを通したコミュニケーションが好きな、本当にセックスが好きな女性というのももちろんいるのだろうし、そういうセックスができたらいいなあとも思うが、セックス以前に私は会話ですら情緒的なコミュニケーションが取れないわけで、セックスをすればそれができるというのもまた幻想だったわけだ。

セックス相手というのは、乳首にぬるぬるした刺激を与えてくる装置であり、挿入してくる装置であり、私もまた「乳首を舐められておるなあ」と感じるだけで、そこに交歓は発生していなかったのである

子どもを持ちたい気持ちもない上に、他人と過ごすことがむしろストレスになることがわかり、男性と付き合う理由も、セックスをする理由もなくなってしまった。 

きっとセックスの喜びは定型発達の人たちのもんなのである

みんなどんどんやってくれ。

Permalink |記事への反応(2) | 21:05

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anond:20251214141206

そーよね。

ソープ卒業として認めるか否かってのも派閥あるけど。

Permalink |記事への反応(0) | 14:13

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anond:20251214135910

童貞ソープ行ったら卒業できるようなことすらやらない異常者を指す言葉

多様性時代意味が若干変わったけど、当時はそういうこと。ホモ不能や極度のチキン野郎暗喩

Permalink |記事への反応(1) | 14:12

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童卒って資格みたいなもんよな

一度性行為経験すれば晴れて卒業できる。

からと言ってソイツがオスとして魅力的であるかと言えばそうでもない。

一定基準担保されるかもしれないが、卒業後の性経験交際経験がないヤツはモテる童貞よりもオスとしての魅力は下がる。

評価基準としてあまりにも不確実なものであるにもかかわらずこだわる人が多すぎる。

まー、本当に達成しようと思えば、身の丈に合った人を選べば、いわゆる普通コミュニケーションスキルさえ持ち合わせていれば、いくらでも卒業手段があるからこそ、それさえできないと馬鹿にできるわけだが。

Permalink |記事への反応(4) | 13:59

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anond:20251213190203

普通に考えれば卒業いつまでも京大アイデンティティを結びつけているのもあほらしいと思う

けど、宗教がそうであるように何かジョブクラフティングできる軸があるのは良いことだね

京大生のわいは、結びつけるものがなく怠惰、または、podcastを聞きながらじゃないと家事できないもの

Permalink |記事への反応(0) | 12:35

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監視資本主義社会を生き抜く

大学卒業して10年間、音楽世界自分の歌で稼ごうと夢を見ていた。寒い夜に路上弾き語りもしたし、ライブハウス前座を長いこと務めもした。それでも、マイナーレーベルからCDが3枚出たので、そんなに悪くはないと思っている。

そのあと、印刷工場就職した。職場で変に目をつけられたりいじめられるのは嫌なので、国立大卒を隠して、履歴書ではFラン大卒にした。ばれると思ったが、これまで案外ばれてない。たまに、上司増田君は手際いいねと言われてヒヤリとするくらい。夜勤のある仕事で、稼ぎはまあそれなりだけど、1人が生きていく分には問題ない。忘年会カラオケで歌がうまいねと褒められるのもすこし楽しい

音楽業界とは縁がなくなったので、当時の人間関係サッパリ切れたのがよかった。才能のない人は他人嫉妬ばかりして足を引っ張るし、才能のある人は実績を作ろうと他人を蹴落とそうとカリカリしているので、業界雰囲気は思ったより悪かった。

いまは家に帰ると、本を読んだりネット記事を見たりで過ごすことにしている。ビッグデータ監視資本主義社会だけど、内心の自由は保たれるように努力している。頭の微小電流スキャンすれば思考内容が翻訳される時代は、自分世代の生きている間は来ないと思う。だから、読んでなにを考えたかは誰にも教えない。

趣味嗜好は変わるものだし決意すれば変えられる。だから、この時代自分の中の変わらないものデータとして吸い上げられないように工夫するのが生きるコツだと思う。例えば、能力や素の人格、内心を特定する情報GAFAに売らないし、避けられない事情があって外に出すときには必ずノイズを混ぜる。どこにどのくらいノイズを混ぜたかは、自分だけの秘密にしておく。

例外コンテンツだ。クリエイティブものは売りに出して、見せたい自分データとして見せるのがいいのだ。そうすれば、データ市場はそれを見て自分判断する。知恵と創造性だけは、真似できないし、アウトプットを推測できないから。当分のあいだは。

Permalink |記事への反応(0) | 07:06

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オタクを降りる」って実際どういう意味なんだろうな

多分4つあるんだよ。

ゲームアニメ生産性が低いからこれからは一切封印して代わりに別の趣味を見つける」

オタク活動を通じてアイデンティティ確立しようとする態度をやめてただ楽しむことにする」

ネットリアルオタク仲間とワイワイガヤガヤ雑談して自虐ロリコンネタとかで笑いあうのを卒業する」

オタク趣味に使いまくっていた時間と金自分家族のために使うようにする」

実際はもっとあるのかも知れないけど、俺が思ったのはこの辺だね。

それでさ、「オタクを降りる」とか言ってる人は結局どれの話をしていて、それに後ろから石を投げてる連中はどれの話を想定してたんだろうな。

そもそも噛み合ってなかった気がするんだよな。

オタク降りるマン流行りを追いかけてただけと言ってたけどさ、それだって色んな意味があると思うんだよ。

もしも「最前線に立つために情報収集を日夜欠かさなかった」という意味だとしたらかなり濃ゆいオタクなんだろうなって。

たとえば毎日野球サッカー試合結果を調べて推し球団機能試合内容全部言えるやつとか完全にオタクじゃん?

でもそれは見方や言い方によっては「単に最新の情報を次々飲み込み続けて知識フォアグラを作り続けただけだ」とも言えるわけでな。

結局さ、増田に何投稿しても絶対お前らとは噛み合わなくて、お前らはそもそも噛み合わせる気もなく、「一番叩きやすい想定を持って全員で袋叩きにすることを目指す」ってだけなんじゃねえかなって。

俺、疲れたよ。

はてな降りようかな。

こんなことやってる連中と一緒に暮らしてくのもうバカバカしいよ。

Permalink |記事への反応(1) | 00:27

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2025-12-13

天音かなた卒業でホロライブ反転アンチ化した

アンチアカウント作って活動していくんでよろしく

Permalink |記事への反応(1) | 20:37

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死んだ親戚が団塊のクソビッチだったことを知った

親のハトコという遠い親戚の女性(以下おばさん)が春に死んでいたらしい。

一時期家が近かったこととその人の子供が自分年子だったこから増田が小さい頃には交流があったが、葬式にも呼ばれない程度の親族なので喪中の連絡として先日知った。

おばさんは団塊の世代にぎりぎり入るくらいの年齢だった。陽キャっぽいミーハー雰囲気のおばさんという認識だった。

喪中の連絡をきっかけに、思い出話というよりおばさんの子供も含め今後親戚づきあいもないし、時効の話として親が愚痴半分で彼女やらかしを教えてくれたが「昔陽キャだっただろうおばさん」のビッチエピソードだつた。

つの時代ビッチっているんだなというエピソード面白かったのでここにお焚き上げしておく。

高校の頃から家に毎回違う男を連れ込む

携帯がない時代から家の固定電話に男から電話がかかってくるが、男の名前がすぐに変わる

卒業時に地主的な名家の男を捕まえるも短大(専門学校?)に進学後名門私大の男に乗り換えて地主親族がやる飲食店デートをして本人的にはマウントをとる

高校から短大時代ムーブにより地元ビッチ血筋親族全体が評判になりおばさんの姉が外聞が悪すぎるとして破談、同時期に地元企業内定を取り消しをされた親族もいておばさんのビッチが原因との疑惑がある

職場の同期先輩と片っ端から交際し、そのうち実家が太い次男結婚

地元の人や職場食い荒らしメンバーも全員結婚式に招待、参列し地獄結婚式が行われるも本人は他の男にマウントを取ったつもりのため気まずさに気づかず

父親は恥ずかしい尻軽の娘と思ってたらしいが母親の中では「美人で男が放っておかない自慢の娘」という歪んだ認知をしていたため結婚式に地元元彼の親まで招待する

・その後不倫するも親がお金解決する、ただしそのとばっちりで弟は学費が足りず奨学金を借りる

などなど……あとは忘れた。

真実小説より奇なりとはこのことかと思った。

聞く方としては笑えるが、親戚づきあいや近所付き合いが多かった当時は増田の親や他の親族としては笑い事ではなかったそうだ。

今だったらSNSマウント取りまくった後に個人情報晒されて炎上していただろう、しかし周りが迷惑を被るのは何時の時代も変わらない。

すぎのおばさん、あの世では男でトラブルをおこすなよ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:47

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2か月くらい前に婚約した。

たぶん世間的には「おめでとう」で終わる話だと思う。年齢的にも、タイミング的にも、わりと無難。親も安心友達も祝福。人生チェックリストを一個潰した感じ。

でも正直に言うと、最近ずっと気分が悪い。

Xをだらだら眺めてると、パワーカップルの話が流れてくる。

外資×外資医者×弁護士起業家同士で2馬力

世帯年収3000万だの5000万だの、もう別ゲー。

自分外資界隈にいるから余計近くにいてつらい。

それ見て思う。

あれ、俺、逃げたんじゃないかって。

今の婚約相手に不満があるわけじゃない。

しろいい人だと思う。穏やかだし、ちゃんとしてるし、俺のこともちゃん評価してくれる。

でも、キャリア収入も、いわゆる普通。安定。安全

で、ここが一番言いたくないところなんだけど、

俺はたぶん安心できる相手を選んだんじゃなくて、

恋愛市場に残るのが怖くなって降りただけなんだと思う。

アプリで値踏みされ続けるのがしんどくなった。

年収とか職種とか将来性とか、暗黙に比較される空気が無理になった。

特に高学歴高収入ハイキャリア女が相手になると、

あ、ここは俺の席じゃないなって空気を感じるのがきつかった。

本当は、あの市場で戦い切ったと言いたかった。

負けたなら負けたで納得したかった。

でも実際は違う。

負ける前に撤退した。

疲れたふりをして、

もう十分だろって自分言い訳して、

確実に勝てそうなところで手を打った。

婚約した瞬間、すごく楽になった。

もう選ばれなくていい。

もう比較されなくていい。

もう市場に立たなくていい。

でもその安心の裏で、

あ、俺ここで可能性を閉じたなって感覚も同時に来た。

世帯年収5000万ルート

人生を2段階くらいイージーモードにする選択

あれは才能ある一部の人間だけの話だと思ってたけど、

実は挑み続ける勇気があるかどうかの差だったんじゃないか

さら何言ってんだって話だし、

婚約してからこんなこと考えてる時点で人として終わってるとも思う。

でも事実として、

俺は恋愛市場に残る勇気がなかった。

卒業じゃない。

撤退

そのことを、

婚約して2か月経った今になって、

Xの他人人生を見ながら噛みしめてる。

たぶんこの先も、

正解だったと自分に言い聞かせながら生きるんだと思う。

でも心のどこかでずっと、

戦わなかった自分軽蔑し続けるんだろうな。

Permalink |記事への反応(2) | 17:30

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28歳 投資6年目の結論

■初めに

私が投資を6年間続けてきてたどり着いた投資結論記載しています

この日記投資を進めるものではありません。1ミリ責任を持ちません。

スペック

28

弱小JTC勤務

年収600万弱

日東駒専くらいのランク大学(理系)卒業

実家田舎農家

資産700万ちょいくら

結論

自分の許容できる範囲内でS&P500に投資してほっておく

蛇足(多くの人向け)

自分の許容については人それぞれだが、基本的には3か月間無休になってもギリギリ耐えられる金額をのこして一括投資したうえで、

余剰資金を毎月積み立て投資をしていく。

一括投資ではなくタイミングみたり分散したほうがいいという意見もあるが、それがいつなのかは普通の人にはわからない。

暴落したときが一括投資時だとは思うが、普通の人は暴落したときに適切に投資できないよね。いつ暴落するかもわからないし、

基本的には右肩上がりなので、早く投資したほうが期待値が高い。

その後は、毎月の余剰資金(使用用途の決まっていないお金)はS&P500毎月投資する。

S&Pの理由過去データから最も安定している。

過去のどのタイミング投資していても、20年以上保有していれば投資金額を下回ることがない。オルカンでも問題なし。

そもそも投資リスクがあると考えている人。

間違いではないが、現金(日本円)を保有していることにもリスクをあることを忘れている。

100万円投資している場合、それが0円になる可能性もあるが、現金保有していても価値が0円になる可能性はある。

NISAは全員使おう。

iDecoは年齢によるが30代前半までは使用しない。

レバレッジをかけるのは多くの人にとっては向いていない。

現物投資だけをする。

自分向け

S&P500に投資していればいいが、正直何も面白くない。

資産の5%くらいは投機(ギャンブル)をすると楽しいし、跳ねる可能性もある。

現状している投資

個別株(日本の好きな企業と、中国面白いことやっている企業委に投資している)

ポケカ(好きなカードを購入して飾っている)

仮想通貨

・金・プラチナ

かに何か面白投資ある??

Permalink |記事への反応(1) | 13:11

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(2) | 11:29

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2025-12-12

anond:20251212212816

童貞卒業したくてソープで生ハメしたら性病もらって童貞中退したのを思い出した

Permalink |記事への反応(0) | 21:40

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ビジネス手続き書類での元号廃止

行政のみなさん!はんこはほぼなくなりましたよね!次は手続き書類での元号廃止です!

元号廃止抵抗があるのはわかる。さびしいし、いいのか?って

でも、通常の手続き、商取引での元号廃止にして、

儀式的な書類元号を残すことで、(例えば卒業証書とか、公務員辞令書類とか)

しろ元号特別感、権威が保たれるのではないですか?

それでいきいましょう!!!

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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anond:20251211021922

それ、「普通の女」ですよ

普通の女」はみんな同性との付き合いに悩むし、弾かれたりカースト底辺になって病んだりするの

全然ノンバイナリーでも何でもなく、普通に女らしい女だと思うよ

三十代半ばにもなって、まだ厨二病から卒業できないのか?

Permalink |記事への反応(1) | 11:52

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2025-12-11

戦争になったら低学歴ヤンキー前科から前線に送られるんだよ

戦争になったら東大卒を始めとする高学歴政府キャリア官僚前線に送る低学歴ヤンキーを選別するわけだから

戦争になったらガラガラポンって勘違いしてるバカ国民だらけだけど、昭和戦時だって高学歴自営業大学行ってない奴とで物凄い格差があったのも有名なのに、低学歴ヤンキーは知らないんだよな

ヤンキー普段喋ったことのない高学歴大卒政府高官から届いた招集令状一枚で前線勤務命じられて、サクッと精神愛国論で強制されて惨めに死んでいくとか、マジで爆笑だよ

貧乏人、ヤンキーバカ、粗暴モノ、お前らは戦争になったら大卒高学歴に上から命じられて前線に送られるんだよ

官僚側も同じ大学卒業した後輩を戦地に送るのは憚るけど、見下して嫌ってる低学歴ヤンキーはいくら戦地に送って死んでも数としてしか認識しないからな

同情しなくていいから楽で仕方がない

Permalink |記事への反応(1) | 23:32

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