
はてなキーワード:卒園とは
中度知的障害を伴うASDの7歳の息子を持つ母です。支援学校に通ってる。
4歳のころ、いよいよ支援級にすら通えさそうと分かり、どん底にいた時のことを思い出した。
お友だちは「息子はこういう子である」とあるがままを受け入れていて、それは本当にありがたいんだけど、運動会でこの増田みたいにいろいろ助けてもらっているのを見ると、とても悲しくなった。だって同い年の幼児に助けられてるんだもん。情けなかった。
保育園の先生たちも同様。とても良くしてもらったけど、息子のおかげで周りのお友だちが優しさを学んでいる、みたいな、息子の障害を教材にするような言動があって、本当に嫌だった。
ちなみにうちは年長のときは運動会も卒園式も欠席した。親子で辛い思いする必要ないから。・・って私も4歳の時には思えなかったんだよねえ。まだ健常児として生きることを諦めきれなかったから。
この時期わたしはもうものすごい落ち込んでて、息子と心中しようかと本気で考えていた。
だって息子は、私がやってきたように進学先や就職先に悩むことも、一人暮らしをすることも、車の免許を取ることも、一人で旅行に行くこともできない。
どれほどうまくいっても、息子の給料は月数万円以上になることはない。障害年金と生活保護で生きていく。こういうことがたった4歳で決定している。大好きなフルーツも、親が死ねば誰も食べさせてくれない。いったいなんのために生きるのか?
息子が周りから気持ち悪がられることになるだろうというのも増田と同じ。私だって奇声を上げる障害者は怖かったし気持ち悪かった。息子もそう思われるんだろうと思うとたまらない。
繰り返すけどこういうことがたった4歳で決定しているのだ。
「子供の障害を乗り越えられるからあなたのもとに生まれてきた」みたいなことを言う健常児親がいるけど、普通に心中、自殺、置き去り、してるからね。健常児親の目に止まらないだけ。
定期的に面談していた相談支援員(増田は契約してる?ピンキリだけど将来の諸々の手続きのためには契約した方がいいよ)が、私が落ちているのを感じたのか、市が主催しているペアレントメンターとの茶話会の案内を送ってくれた。そこで、支援学校に通っている小学生の親や、中度知的障害で支援学校を卒業してB型作業所で働いている人の親の話を聞いた。これを聞いて、もう少し生きようと思った。その先があるのだ、と。
学校でやる全てのことが視覚化され構造化されているから、保育園時代とは比べ物にならないくらい落ち着いて過ごせるようになった。そうか、息子は本来こういう子なのか、って初めてわかった気がする。
言葉もたくさん出てきて、先生や親にちゃんと要求を口頭で伝えられるようになった。トイレや着替えや片付けなど、驚くほどたくさんのことができるようになった。支援学校では周り全員障害児なので、誰も息子を教材として扱わない。特別扱いされることもないから割と容赦ないけど。
とにかく、専門家がたくさんいるところで、特別扱いされずにいること、周りのママ友も全員障害児の親であること。保育園とは全く違う。私も、保育園では「その日悪目立ちしないこと」だけが重要だったけど、息子自身の成長に目を向けられるようになった。
将来に対する不安は消えない。状況は変わってない。息子は選択肢の少ない人生を生きる。でも同時に、息子は私とは違う人間であり、選択肢が少ない方が明らかに楽な特性を持ってることもわかった。保育園時代は全介護だったのが、支援学校に上がって急に自立し始めたのを目の当たりにして、ようやく息子は私と違う人生を歩むのだということが飲み込めた気がする。
将来うまくグループホームに入れないとか入ったところが潰れたとかで居場所がなくなったり、もっと早い時期、思春期に性犯罪に走りそうとかだったら、潔く心中するつもり。残念ながら中度の知的障害だと入所施設に入るのは難しく(もっと重い人用だしそもそも数がない)、グルホは軽度向けのものばかりだから。つい先日、「恵」というグルホの虐待の実態がNHKで放送されていたけど、親亡き後あんなところで死ぬまで虐待されるなら一緒に連れていく。耐えられない。
でも今は、健常児の親と同じように、ただ純粋に息子の成長を喜べるようになった。高等部から就職のための実習のみになるので、これほどのんびりしていられるのはあと数年だけど。
だらだら隙自語しちゃったけど、増田に言いたいのは、「就学まではなんとか頑張ろう、全てを諦めるのは支援級を試してから」です。そこは試さないと損。そうやって自分を誤魔化しながらなんとか生きよう。
私も性にまつわるエッセイを書いてみたいと思った。
私は、性の目覚めが人より早かったように思う。
自分で自分を気持ちよくすることを覚えた1番古い記憶は幼稚園のとき。
みんなで机を寄せ合って座っていて、私は机の下で足をぴんと延ばしながら足の付け根の真ん中のほうを触っていた。それがいわゆる自慰行為だという意識はなかったけれど、バレてはいけないものだとどこかで思っていた。だから家でするときは、お母さんの足音がするとずぐにズボンの中に入れていた手をすっと出して、平然とした顔に戻る。そんなことを繰り返していた記憶がある。
小学2年生のとき。私は自分が通っていた幼稚園の先生の家にひとりでお泊まりに行く事になった。経緯はあまり覚えていない。その先生は当時27歳と若くて、その先生の家と私の実家が近かったことから卒園したあとも交流が続いていた。そんな中、なぜか私はひとりで先生の家に行く事になった。親から離れるという経験をさせたかったのかもしれない。その日、先生の家で起きたことは今でも忘れない。
先生の家ではソファに座りながら、テレビを見ていた。先生はお酒を飲んでいた。時々するめいかを食べながら。あと、長めのカルパスも。そしてなぜか、私達はキスをしていた。先生がカルパスを半分咥えて「ん。」と私の方に顔を近づける。私はそのまま反対側を軽く咥える。すると先生の顔がどんどん近づいて来て、カルパスと一緒に先生の舌が口の中に入ってくる。そうやって何度もキスをした。お風呂にも一緒にはいった。私は浴槽の中で先生の上にまたがっていた。どことなく”あそこ”が熱を帯びているような、初めての感覚があった。寝るとき、先生は私の身体を全身触った。下から上まで。そしてまた、何度もキスをした。私はそのまま眠りに落ちたが、夜中にふと目が覚めた。私は先生にキスをされていた。舌をいれられていた。起きたらだめだと感覚的に思って、目を必死につむり、寝たふりをしながら先生と長いキスをした。
その日の何とも言えない高揚感、人間の温かさ、はじめてのあの感覚を夜寝る前にもう一度味わいたくて、布団をぎゅっと抱きしめたり、足の間にいれてこすりつけたり、枕とキスをしたり。何度も何度も繰り返して眠りについた夜は数えきれないほどある。私は先生のことが好きになっていた。私の初恋のひとだった。先生とのキスはピュレグミを食べる度に思い出すことが出来た。ピュレグミを噛まずにおいておくと、唾液でまわりの砂糖がとけていく。残ったグミを舌の上で転がす感覚は、先生の舌が私の口の中で動き回っていたあの感覚に似ていた。だから私はピュレグミが好きだった。
先生とそんなことがあったなんて、お母さんには口が裂けても言う事ができなかった。自慰行為と同じ。これは隠さなきゃいけないことだと、そう本能的に感じていた。隠しながら家族と先生で旅行にいったり、交流を続けていた。家族と出かけているときも先生は隙を見つけては私にキスをしてきた。トイレにたったタイミングや、私を寝かしつけてくると両親に言い渡し、布団の中で身体中を触られた。
そんな日々は長くは続かなかった。先生は当時付き合っていた彼女と結婚することになり、お出かけにいくことがなくなった。そして月日が流れていった。気づけば私の先生に対して抱く恋愛感情もどこかへと消えていった。
そんななかでも私の中に「性」への興味はどんどん強くなっていった。親の携帯で「キス」や「エロ」などと検索して何度も動画を見ては、”あれ”を触って気持ちよくなった。初めて絶頂の感覚を味わったのはいつだったか覚えていないけれど、びっくりした。絶頂を迎えた瞬間に”あそこ”がびくびくして、動けなくて、トイレに行きたくなってもおしっこが全然でてこなくて、もどかしくて苦しい。今まで興奮していたものたちが一気に魅力を失って、「あれ、何してたんだろ」という冷めた気持ちになる。その感覚が嫌いだった。だけどいざ始めてみると、どうしても絶頂を迎えたいという気持ちが出てきて、気持ちよくなっては苦しくなって、ということを繰り返した。
中学生にあがると、同級生が「性」に目覚めはじめた。それぞれの性器を掴み合う遊びをしたり、下ネタで盛り上がったりするようになった。その頃、女の子の友達が「オナニー」というものがあると私に教えてくれた。実家に帰り私は「オナニー」を調べた。その時は自分がしていることと「オナニー」は別のものだと思っていた。だって友達もネットも、”あそこ”に指をいれてかき回すを言っていた。私は指をいれていない。表面をなでているだけ。全然違うと思っていた。まあでも、その1年後には自分がしているものが「オナニー」だと何かしらで見て気づいた。自分だけじゃないんだと思えてどこか嬉しくなったのを覚えている。
中学2年生になるとまわりの子が「初めて彼氏とキスをした」とキャッキャ言っていた。そして私にも彼氏がいた。そのときはじめて自分がキスを何度もしたという過去に、嫌悪感を覚えた。みんな「初めて」を凄く大事にしていた。「初めて同士」というのが”普通”だった。私はそんなことすべて済ませていた。また、嘘をつかなきゃいけなかった。
「初めてじゃない」ということが嫌で嫌で、自分の身体が汚れているような気がして、そんあ自分で彼氏とキスをしたくなかった。だから清純ぶった。そしてキスを拒んだ。そこで自分のなかにふたつの世界が生まれた。「えっちなことが大好きな自分」「清純でえっちな事に抵抗する自分」。両方本当の自分だった。家でひとりですることと、彼氏とすることが同じとは思えなかった。「性」と言う世界に他者が入り込んだ瞬間に、私は清純な人間になる。エロから興味がなくなる。これは今でもそう。私は、ひとりの時が1番エロいと思う。
そんなこんなで、大学生、社会人となり、色々と経験した。好きじゃない人とえっちもした。経験人数は20人いかないくらいかな。たぶん。正直数えてないから分からない。でもこれは、自分が求めてしたわけではない。ただご飯に行って、楽しくてそのドキドキを味わっていたくて、家にいく。えっちがしたいわけじゃない。ドキドキしていたいだけ。でも男性にはそんなこと通用しない。そこまでいけばもう、そういうことになる。そして私も流される。「まあいっか。」と。でもそれは自分の内側にある性欲とは別物。
「性欲強い?」と聞かれることがある。困る。強いのか弱いのか分からない。ひとりの時はめちゃくちゃ強い。色んな動画をあさるし、毎日のように自分を慰めるし、変わった性癖に興奮することもある。だけど、他者がいるとどうもその自分が出てこない。えっちをしたいとあまり思えない。不思議。ここをもっと自分でも言語化したい。
私が小学校に上がるタイミングで、父親が地元の企業に転職し、地元にマイホームを建てる計画だったようだ。
小学校に上がるまでの1ヶ月半、バッグも制服もスモックの色も何もかも1人だけ違う状態で、園バスに乗せられせっせと通っていた。
3月末までは行ってなかったと思うから、実際行った期間は1ヶ月くらいかな?
幼稚園児と言っても、就学手前までには成長しているので、都会から変な時期に現れた人間がすぐ馴染めるほどに、こっちも向こうも子どもではなかった。
たった1ヶ月だったけど、いやたった1ヶ月だったからこそ、楽しかった記憶がひとつもない。
流行っている遊びも、使っている言葉も、何もかもが違い、「浮いている」という感覚を言葉より先に覚えた。
季節も悪かった。真冬で、雪遊びの作法が分からず特に浮いた。母親も分かってなかったので1人だけ装備が違ったのだ。
こういう感じで他にもたくさん、その場に蓄積されてる何かが全く共有されない感覚があった。大人は何をしていたかというと、たった1ヶ月半だから、と誰も力を入れていなかったと思う。危険な行動をするタイプでもなかったので、目の届く範囲で放置されていた。
卒園式は記憶も写真もない。参加しなかったんだろう。もともと出さないつもりだったんだろうな。
自宅から遠い、小学校区域外の幼稚園だったので、同じ小学校に行く園児はおらず、諸々リセットとなり入学。その後は普通に子ども時代が送れた。
トラウマという程でもないけど、この1ヶ月の幼稚園生活、必要だった?と未だに不可解なのである。親の心理がどうにも想像できない。
なぜ通わせたのか、いろいろ考えてみたけど、どれも打ち消される。
→それなら同じ小学校に行く子がいるような、家から近い幼稚園にするだろう。実際は園バスで30分くらいかけて通ってた。
→幼稚園なので4〜5時間しかなかったから、むしろ弁当作りの手間がかかっていることを思うとメリット薄。祖父母の家がすぐそばにあり、関係性も普通なので預けられただろう。現に地元にいる間はよく祖父母に世話になっていた。
ホントになんでだったんだろう。思いつく人いたら教えてほしい。
ChatGPTに聞いたら、慰めてくれたあと「幼稚園に入れてる=ちゃんと母親やってるという、親自身の精神安定のための行動だった可能性も。」と答えてくれた。これが一番しっくりきたけど、同時にそんなことすなよ…と思った。
遠方の自分の両親もシングルマザーの義母も働いていて、義祖父はボケ始め義祖母は体を悪くしていた
夫の実家の側に住み夫の家族と協力しながら義祖父母のサポートをしていた
頼るどころではなかった
結局うちの地域でも保育園の空きはないまま、元幼稚園から認定こども園になったところへ年少さんとして入園して毎日預かり保育をお願いしながら時間を調整してもらって働いた
預かり保育には人数制限があって毎日枠が取れるわけではなかった
会社は時間を調整してくれていたし休日出勤もしてなんとか過ごした
長く休みやっと働き始めたと思ったら不安定な働き方をして、また休んでいつ働けるかも分からない状況
同じような状況で離職する母が何人もいて学童に空きができ入ることができた
脱落した人達を何人も見てきた
共働きで共に育児をできるなら父親はもっと育休をとれたしもっと育児に参加できたはず
実際は今でも共倒れにならないように片方がリスクを請け負わざるを得ない家庭が多い
令和10年時点で40歳未満の人と区切るのであればその人達が育児や介護をしながら普通に働けない会社を営業停止にでもして、主婦や非正規やパートありきの社会はちゃんと終わらせてから言えよと
いろんなことを思い出して怒りがこみ上げてしまう
付き合っていたのは1年にも満たなかったけど振られて別れて年単位で引きずったひと。
私の結婚前に再会して何度か飲みに行ったり結婚出産後に全然別の繋がりがあったりして、友人としてのお付き合いはあったけど
あちらの結婚後は勿論会うこともなく、道で見かけた際に「いたねー」って連絡がくる程度だった。
保育園で時々話すママがとっても感じが良くて可愛くて、仲良くなりたいなーと思って送迎時に雑談していて、
旦那さんがその人であることが判明したのが数年前。当時は驚愕したw
その後イベントごとや送迎で彼と遭遇することもあり何とも言えない複雑な気持ちが沸く中で子供が保育園卒園→小学校に入学。
幸い(?)彼の子とは全く別の学区だったのでようやく縁が途切れた…はずが、その後も頻繁ではないながらも子供繋がりでお付き合いが続いている。
彼に対しては、友人として再会後は未練はなかった。
忙しい夫に対する心の中の当てつけで結婚後何度か飲みにいったことはあったし、
あちらにその気があったらもしかしたら流されたかもしれないけどは彼も私のことを完全に友達と思っていたし、
私自身浮気をする甲斐性もなかったのできっと何もなかったんだと思う。
ただ、付き合っていた当時具体的な結婚話があり彼との結婚を夢見た過去があったせいで、
子供のお友達のパパとして再会し家族ぐるみでのお付き合いが発生した今、彼の家庭人としての姿を見ていると
そして今まで彼の奥さんは「男友達の奥さん」という“面識のない”存在だったので気兼ねなく連絡できていたのに、
図らずもママ友になったことで「やましいことが何もなくても連絡するのに気を遣う存在」になってしまったのが面倒臭い。
彼との共通の友人と「意外な形で繋がってびっくりしたよー!」とかも、もう直接連絡取れないじゃん。
つまんないの。
どうにかなりたいわけじゃない、不倫したいわけじゃない、だけど他愛もない話を連絡できる男友達がいることによって保たれていた
安心感?優越感?なんだろう、そんなものが得られなくなって寂しい。
私は、彼の女友達で居たかったんだよ。奥さんのママ友じゃなくて。
友達が一人いなくなって(いなくなったわけじゃないけど)寂しい、みたいな。
表現するならそんな感じ。ただただ残念。
子ども(2歳)の進級のタイミングを狙って、そして3月末の引っ越し料金がエグいので、平日の今日になった。
子どもがハイハイをし始めた頃からお世話になっていたので、母である私はどうしようもなく寂しい。
けれど、当の本人は引っ越しの概念なんて理解できるわけもなく、元気よく「バイバイ!!」と先生たちとハイタッチしていた。
それでも、にこにこしながら我が子の状況を伝えてくれたり、◯◯ができる(言える)ようになった!と一緒に喜んでくれてた。
先日卒園式を終えたばかりの園内には、今の年長さんたちが入園した頃の写真が貼り出されていて、エモい雰囲気が漂っていた。
でも、私たち夫婦はアラフォーで、いつまでも賃貸暮らしというわけにもいかない。
それでも、想いが溢れて止まらないので、こうして増田に書き残してみる。
引っ越しや転職など、これまでも人生の中でいくつかの別れを経験してきた。
でも、我が子の転園は、それらとはまったく違う種類の喪失感がある。
あぁ、寂しい。
アラフィフ男性。うちの子供達が通っていた幼稚園にお父さんの会というのがあって、幼稚園のイベントの度に有志を募って活動していた。週末の夜に居酒屋で集まって酒飲みながら企画会議とかしてた。
子供が卒園して20年近く過ぎたけど、親父達のつながりはそのままで、今でも一緒に週末にBBQとかキャンプとかゴルフとかしてる。子供が同じ年齢なので、親父たちも概ね同じぐらいの年齢だけど、±5歳ぐらいは幅がある感じ。お互いあだ名で呼び合っていたので本名をよく知らない人もいるし、本人が何かの拍子に言わない限り勤務先とか仕事内容とか聞かないので、普段何してるかよく知らない人もいる。
仕事に関係ない集まりなので、みんなヨボヨボになるまで付き合ってると思うな。ほんと、子供をあの幼稚園に行かせてよかったわ。
保育料の高い園に入れてお迎えとかしてる人なら気づいてると思う
なぜこうなるかというと一番大きいのが「美人orイケメンだと子供が素直に言う事聞く傾向がある」というルッキズム全開の理由があるため
皆表立って言わないけどおそらくほぼ全ての保育士が体感で感じてる事だし、最近だと公演なんかでもちょこちょこ言われるようになってきた話
これは本当にバカにならなくて、早い子なら2歳ぐらいから「ブサイクに抱っこされると泣き喚くが美人orイケメンに抱っこされると泣き止む」という事象が発生する
ちなみに女児がイケメンを好む傾向が出てくるのは卒園間近ぐらいで基本幼稚園保育園の時期なら性別は関係ない、顔が良ければ慕われる
逆に言うともうこの年から「かっこいいorかわいい」という判断基準の基礎ができてるんだなーって思う
そして次に大きな理由がこれは「男のブサイク」限定なんだけど保護者からのクレームが来る
これが本当に悲惨で保護者から「変質者ではないか」 「うちの子を担当させないでほしい」というクレームが死ぬほど来る
なので採用ハードルとしては美人>イケメン>女のブサイク>>>>>>>>>>>>男のブサイクになる
この傾向は幼稚園以降も続き、遠からず「教わるなら顔の良いに越したことはない」状況になるので、この先5年ぐらいで公務員以外の人に物を教える職業(塾講・カテキョetc)は顔面採用が加速化する可能性が高い
うちは5歳までの園だけど私立の小さめ園なので、クラスのお母さんは全員わかるし子供の名前と顔も一致する。
かつそこそこ人気園なので4月に入園した時点で定員に達して今年度はもう追加はないよう。つまり転園しない限りは卒園まで5年間一緒のクラスになる。
一度だけならし保育の時期にママランチ会をしたことがあって、ほぼ動かないライングループはある。門前や生活圏内で会えば挨拶をするけどそれくらい。
で、このくらいの縁ってどこまで続くかな?今はあかちゃんだから誰と仲いいとかがないだけで、もしかしたら今後、土日に遊びたいとか遊んで帰るとか、晩御飯一緒に食べたいとか?そういうこと言われ始めるのかな?誘われたら全然行くけど音頭とってどうこうってなったらだるいなと思う感じ。
今くらいの薄いつながりがちょうどいいんだけど。
6歳差の二人の子供がいます。ふたりとも1歳から認可保育園に通わせたけども、月8万2000円、年間約100万円です。初めて通知が来たとき何かの間違いじゃないかと市役所まで出向きましたよ。
3歳以降は安くなるのに所得制限で無償になったりならなかったりで、、、上の子はとうに卒園しましたが、かれこれふたり合わせて500万くらいかかったのでしょうか、しかも手取りから出ていくわけです。
子ども手当も今さら所得制限撤廃とか言い出してますが、いままで満額もらったことなんて1度もない。
出生率が危機的とかラストチャンスとか、一体どの口が言うのかと。
お金をかけて、苦労して育てた挙げ句、将来は高齢者の食い物にされるのかと考えると、今の子供たちが不憫でならないです。
日本の未来は世界がうらやむウェイウェイって言ってたの調べたらもう25年前ですよ。
一体どうなってしまうんでしょう。
芋ほりイベントがすごく好きで、どろんこになって芋ほりをしていた。
卒園前のプールで、ビート板とヘルパー(※背中に着ける浮き輪みたいなもの)と、腕に着けて浮かびやすくする器具を着けたのにも関わらず溺れて生死を彷徨ったことがある。
けど、水に対する恐怖心等は全くなかったので、小学校1年生から水泳教室に通う。
小学1年生 or 2年生の時、友人と一緒に運んでいた[食パンが入ったケース]を落としてしまい、食べる量が減ってしまった。
小学6年生の時、学校の廊下を走っている時に、1コ下の女の子とぶつかってしまい、怪我をさせる(怪我は軽傷。痕も残らなかった。)
中学1年生からいじめにあう(物を隠される・しばかれる・主にコンプレックスな部分について悪口を言われる・カバンを壊される等)
また明日、気が向いたら書くか
4/9 追記
様々な意見を頂けていて驚きました。
読みづらい文章なのにいろいろ反応を貰えていて嬉しいです。
曲解されてるかもなので補足を書きました。
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写メ日記という風俗業者が自身の近況とかお客さんへのお礼とかを投稿するSNS的サービスがあります。
私もこれだけは本当に不思議です。
小中は家倒壊でほぼ不登校、定時高でまともに通えるようなったので
普段仲良くしてくれている友人達と話している時もズレは感じています。
個人的には理解できないけど、言われてみれば確かに背徳感に訴えるシチュが
人妻や、賛否分かれるNTRが人気なジャンルな事も知っています。
普段過疎地賃貸に住んでいて、元々のバイトの給料は生活費学費以外はゲームやリアイベ、
このまま続けていたら駄目になると感じました。
200万稼げるってこと~の方は生活水準が高くて羨ましいです。
手取りは6割でした。1日で5回呼び出しあれば多い方でした。
1日に入った数はその日によって変わりましたが7人が最大でした。
その蔑称は知っていますが、難のある性格や人柄は身長起因ではなく
偶然かわかりませんが東北在住で東北他県のお店に採ってもらったので
そこらへんはよく分からないです。
今のところ何かに罹ったわけではないとはおもうけど、
浅はかだったとも思います。
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以下本文です。
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独り言です。
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軽度の鼻炎持ちだからかも。
多くてびっくりした、みんな金持ちだね。
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・意外と160cm以下の男性が多かった
私161cmで女性平均より高めなんだけど、
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なぜ?
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・さも当然に挿れようとしてきてワロタ
なぜ、ソープに行かない?スタッフ召喚しようとすると焦るのダサいからやめよう。
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・ネットでよく言われてるコンビニスイーツ(特に生菓子)持ってくるお客さんが本当に多くてワロタ
予約が続くとバッグの中で腹下し菓子に
値段とか価値とかの話じゃなく、
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・写メ日記の自撮りをスクショ保存するのは規約違反だろ(スタッフに報告済み)
・ビジホのユニットバスに無理やり2人で浸かろうとするのはなぜ?
・まんkに指突っ込んだ手で髪撫でるのよくない
・唾つけた指を万こに入れないで
・ベロチューはいいとして顎とかほっぺた舐めるのコスメ味で不味そうなのに何故やる?
・乳首勃つのは9.9割興奮してるわけじゃないからあまり執拗に弄らないで。取れる。
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正直性風俗に足踏み入れた罪悪感はないです。
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実際にされてうわ〜ってなった行為の大半が
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夜職が多いのもなんとなくだけど理解できました。
今までフィクションなんだから好きにさせとけって思っててすみません。
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これやだって感じなかった事ばかりで、
自戒も込めて。
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もう二度と従事したくありません。
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Permalink |記事への反応(11) | 14:50
と思う親御さんへ。
4年前の4/1に同じことを思った親より。
早生まれで小規模保育園から幼稚園(預かり保育つき)に進み、年少の1年間が終わりました。このルートは早生まれさんにオススメだと思ったので詳細を以下に記します。
もちろん、子の性質によるところも大きいです。人間の個体差でかすぎ。
あと、保育園だろうが幼稚園だろうが、子供と園の相性が第一です!!!その前提で書きます。
【小規模保育園のススメ】
小規模保育園は2歳児クラスまでしか設置されていないので、年少に上がる時にもう一度保活が必要です。これが最大のデメリットですが、それがメリットでもあります。
(なお、小規模保育園卒園後に進む保育園や幼稚園が確保されている保育園もあります。通っていた小規模保育園もそういう提携枠が数名分はかありました)
…やはり年長まである保育園が人気なので、1歳4月でも比較的入園しやすい印象があります。
・早生まれが多い
…上述の理由により、早生まれが多い。通った保育園の同じクラスの8人中6人が下半期生まれで、そのうち早生まれが4人でした(しかも4月〜6月生まれは0)。ということでクラスのお友達と発達具合が大きくズレるということはあまりなかったです。
…これは園の考え方にもよりますが、我が子は歯が生えるのが遅く、従って離乳食の進みが遅かったのもあり、入園時点でまだ幼児食は食べられませんでした。相談して1人だけ刻み食にしてもらえました。中には1歳児クラスは問答無用で幼児食の園もあるので、保活時には必ず確認してください(違う園ですが、1歳成り立てでは食べられない形状のオヤツを出されて窒息しそうになった早生まれ仲間がいる…絶許)
・2歳児クラスで「集団の中で一番お兄さんお姉さん」を経験できる
…これが小規模保育園の知られざるメリットです。鶏口牛後ではないですが、2歳児で集団の「最年長」を経験するとグッとお兄さんお姉さんになります(ただし子による)。
【幼稚園の預かり保育のススメ】
働き方が許すのであれば、小規模保育園卒園後に幼稚園の預かり保育をご検討ください。我が家は母親の会社が3歳以降も時短を使えるので利用できています。
・幼稚園で「しっかりした子」と思われる
…子の性質によります。が、おそらくほとんどの子が初めての本格的な集団生活の中、保育園2年間でみっちり集団生活をしてきた子たちは幼稚園生活に慣れるのが早いです。我が子も入園したての頃は、泣くお友達を宥めたり、お友達のお手伝いをしたりしていたみたいです。一番年下の癖に。そしてなぜか「しっかりした子」感を醸し出しています。
これがいわゆる「早生まれのデメリット」の一つを打ち消す、小規模保育園から幼稚園にすすむ最大のメリットです。
ということで、子の性質によりますが、早生まれちゃんこそ小規模保育園からの幼稚園ルートをご検討いただくのは一つでは?と思っています。少なくとも我が家は小規模保育園からの幼稚園でよかったです。
早生まれになってしまって保活どうしようと落ち込んでいる方に届きますように。
(ズレますが、早生まれの児童手当総額が少ない問題はマジで何とかしてほしい。不公平すぎる)
幼稚園と合うか合わないかはもちろんあります(お勉強系やのびのび系など)。が、それ以外の面で幼稚園がいいなぁと思っているところです。保育士さんだけじゃなく、幼稚園教諭の待遇改善を望みます。
・合否が早い
…幼稚園の合否はだいたい秋に出ます。なので保育園の3歳4月入園と並行して手続きをすすめ、幼稚園に決まったら保育園の選考を辞退することができます。2月頃に合否の出る保育園と違い、秋に進路がわかるのは職がかかっている身としては精神衛生によいです。
…平日の習い事ができない共働き家庭にとってはありがたい存在。お月謝がリーズナブルなことも多いようです。
…我が子を預かり時間の最後の方まで預けているのですが、園児の人数も少なめになり、出欠具合によっては先生とマンツーマンの時間もあるようです。最近は、先生の力を借りながら工作やブロックで創作意欲を満たしてもらっているようで、マジで有難い。
・お昼寝がないので夜早く寝る
…お昼寝の要らない子にとっては大きなメリット。幼稚園の預かり保育ではコットなどでお昼寝することもできますが、一律のお昼寝時間はありません。我が子は新生児の頃から睡眠時間が少なめで、2歳のはじめにはお昼寝がなくなりました……。2歳児クラスになってからは、保育園でお昼寝をすると就寝がテッペンを超えることもあったので、幼稚園のお昼寝なしは我が家にとって救いの一手でした。
以上です。
マジで早生まれでよかった!!!!!!あと数時間生まれるのが遅かったら去年1年も保育園で昼寝あり生活だったとかマジで考えられない。2歳児クラスの1年間は、親の睡眠と自由時間が確保できておらず、メンタル含む体調を崩して休職していた可能性がかなり高い。マジで早生まれありがとう!!!!!!!あと4歳おめでとう!!!!!!!!!
我が家ではそれの少し変わった版を作る
やり方は簡単で、出来たうどんに半熟卵を半分切ってのせるだけ。名は「おひさまうどん」
私が小さいころ、テレビを見たのか「月見うどんが食べたい」といきなり言ってきたらしい
仕方なく、小さい器にうどんを作ってそこに半分に切ったゆで卵をのせた
すると私はこういったらしい「月じゃなくておひさまがのっているよ?」と
母は苦し紛れにこう、返した
そもそも卵がふたつあったらおひさまをふたつ食べちゃうことになるだろとかそんなこと言ったら月見うどんだっておひさま色だろうとか
考えてみたらキリがない
そんな時は佐良直美の歌を思い出す
「あしたはあなたに心を残し
あしたはあなたと別れる私
つめたい女だと人は云うけれど
おいしくいただいている
・頭良かったんだけど顔は水星の魔女でいう「狸顔」なので相手にナメられてることが多かった(地顔時)
・顔をがっちりメイクするととたんに美女、女優顔になるので相手が構えてきて告白などされない(頭よくて女優顔だと、はなしかけたとたんに取って食われるとおもうらしい)
・さらに卒園式などでフルメイクすると実の子供に怯えられるレベル 確かに美魔女っぽさはある
・仲人したとき留め袖着つけたのんだホテルでフルメイクすると実の親が娘と気づかなくなった(目の前で、増田ちゃんどこ?と夫(=親からみて婿)にはなしかけてた)
・結論:メイクが映えすぎる顔も問題だなあ、ここぞというとき以外は素顔でええか~
メイクすると目鼻立ちがバランスとれることをおしえてもらったのでホテルとか美容室とかには感謝している
素材としていろいろ遊べる顔でコスプレもやったりしたのだが
一時期、垂れ目だしドロップ型サングラスをアメリカ女優みたいに掛けたらどうだろうとおもったら
まーートムキャットみたくなって悲しくなった 今でもFB777を他人とおもえないとこある
いまはかわいがられることより暖かい部屋と体にいいご飯と一人で眠れる寝室と一人の時間が欲しいですね
家族とは十分仲が良いしこの先死ぬまで安泰とおもえると「かわいく思われたい」なんて余計な望みなんてなくなるんよ