はてなキーワード:卒園とは
私が小学校に上がるタイミングで、父親が地元の企業に転職し、地元にマイホームを建てる計画だったようだ。
小学校に上がるまでの1ヶ月半、バッグも制服もスモックの色も何もかも1人だけ違う状態で、園バスに乗せられせっせと通っていた。
3月末までは行ってなかったと思うから、実際行った期間は1ヶ月くらいかな?
幼稚園児と言っても、就学手前までには成長しているので、都会から変な時期に現れた人間がすぐ馴染めるほどに、こっちも向こうも子どもではなかった。
たった1ヶ月だったけど、いやたった1ヶ月だったからこそ、楽しかった記憶がひとつもない。
流行っている遊びも、使っている言葉も、何もかもが違い、「浮いている」という感覚を言葉より先に覚えた。
季節も悪かった。真冬で、雪遊びの作法が分からず特に浮いた。母親も分かってなかったので1人だけ装備が違ったのだ。
こういう感じで他にもたくさん、その場に蓄積されてる何かが全く共有されない感覚があった。大人は何をしていたかというと、たった1ヶ月半だから、と誰も力を入れていなかったと思う。危険な行動をするタイプでもなかったので、目の届く範囲で放置されていた。
卒園式は記憶も写真もない。参加しなかったんだろう。もともと出さないつもりだったんだろうな。
自宅から遠い、小学校区域外の幼稚園だったので、同じ小学校に行く園児はおらず、諸々リセットとなり入学。その後は普通に子ども時代が送れた。
トラウマという程でもないけど、この1ヶ月の幼稚園生活、必要だった?と未だに不可解なのである。親の心理がどうにも想像できない。
なぜ通わせたのか、いろいろ考えてみたけど、どれも打ち消される。
→それなら同じ小学校に行く子がいるような、家から近い幼稚園にするだろう。実際は園バスで30分くらいかけて通ってた。
→幼稚園なので4〜5時間しかなかったから、むしろ弁当作りの手間がかかっていることを思うとメリット薄。祖父母の家がすぐそばにあり、関係性も普通なので預けられただろう。現に地元にいる間はよく祖父母に世話になっていた。
ホントになんでだったんだろう。思いつく人いたら教えてほしい。
ChatGPTに聞いたら、慰めてくれたあと「幼稚園に入れてる=ちゃんと母親やってるという、親自身の精神安定のための行動だった可能性も。」と答えてくれた。これが一番しっくりきたけど、同時にそんなことすなよ…と思った。
遠方の自分の両親もシングルマザーの義母も働いていて、義祖父はボケ始め義祖母は体を悪くしていた
夫の実家の側に住み夫の家族と協力しながら義祖父母のサポートをしていた
頼るどころではなかった
結局うちの地域でも保育園の空きはないまま、元幼稚園から認定こども園になったところへ年少さんとして入園して毎日預かり保育をお願いしながら時間を調整してもらって働いた
預かり保育には人数制限があって毎日枠が取れるわけではなかった
会社は時間を調整してくれていたし休日出勤もしてなんとか過ごした
長く休みやっと働き始めたと思ったら不安定な働き方をして、また休んでいつ働けるかも分からない状況
同じような状況で離職する母が何人もいて学童に空きができ入ることができた
脱落した人達を何人も見てきた
共働きで共に育児をできるなら父親はもっと育休をとれたしもっと育児に参加できたはず
実際は今でも共倒れにならないように片方がリスクを請け負わざるを得ない家庭が多い
令和10年時点で40歳未満の人と区切るのであればその人達が育児や介護をしながら普通に働けない会社を営業停止にでもして、主婦や非正規やパートありきの社会はちゃんと終わらせてから言えよと
いろんなことを思い出して怒りがこみ上げてしまう
付き合っていたのは1年にも満たなかったけど振られて別れて年単位で引きずったひと。
私の結婚前に再会して何度か飲みに行ったり結婚出産後に全然別の繋がりがあったりして、友人としてのお付き合いはあったけど
あちらの結婚後は勿論会うこともなく、道で見かけた際に「いたねー」って連絡がくる程度だった。
保育園で時々話すママがとっても感じが良くて可愛くて、仲良くなりたいなーと思って送迎時に雑談していて、
旦那さんがその人であることが判明したのが数年前。当時は驚愕したw
その後イベントごとや送迎で彼と遭遇することもあり何とも言えない複雑な気持ちが沸く中で子供が保育園卒園→小学校に入学。
幸い(?)彼の子とは全く別の学区だったのでようやく縁が途切れた…はずが、その後も頻繁ではないながらも子供繋がりでお付き合いが続いている。
彼に対しては、友人として再会後は未練はなかった。
忙しい夫に対する心の中の当てつけで結婚後何度か飲みにいったことはあったし、
あちらにその気があったらもしかしたら流されたかもしれないけどは彼も私のことを完全に友達と思っていたし、
私自身浮気をする甲斐性もなかったのできっと何もなかったんだと思う。
ただ、付き合っていた当時具体的な結婚話があり彼との結婚を夢見た過去があったせいで、
子供のお友達のパパとして再会し家族ぐるみでのお付き合いが発生した今、彼の家庭人としての姿を見ていると
そして今まで彼の奥さんは「男友達の奥さん」という“面識のない”存在だったので気兼ねなく連絡できていたのに、
図らずもママ友になったことで「やましいことが何もなくても連絡するのに気を遣う存在」になってしまったのが面倒臭い。
彼との共通の友人と「意外な形で繋がってびっくりしたよー!」とかも、もう直接連絡取れないじゃん。
つまんないの。
どうにかなりたいわけじゃない、不倫したいわけじゃない、だけど他愛もない話を連絡できる男友達がいることによって保たれていた
安心感?優越感?なんだろう、そんなものが得られなくなって寂しい。
私は、彼の女友達で居たかったんだよ。奥さんのママ友じゃなくて。
友達が一人いなくなって(いなくなったわけじゃないけど)寂しい、みたいな。
表現するならそんな感じ。ただただ残念。
子ども(2歳)の進級のタイミングを狙って、そして3月末の引っ越し料金がエグいので、平日の今日になった。
子どもがハイハイをし始めた頃からお世話になっていたので、母である私はどうしようもなく寂しい。
けれど、当の本人は引っ越しの概念なんて理解できるわけもなく、元気よく「バイバイ!!」と先生たちとハイタッチしていた。
それでも、にこにこしながら我が子の状況を伝えてくれたり、◯◯ができる(言える)ようになった!と一緒に喜んでくれてた。
先日卒園式を終えたばかりの園内には、今の年長さんたちが入園した頃の写真が貼り出されていて、エモい雰囲気が漂っていた。
でも、私たち夫婦はアラフォーで、いつまでも賃貸暮らしというわけにもいかない。
それでも、想いが溢れて止まらないので、こうして増田に書き残してみる。
引っ越しや転職など、これまでも人生の中でいくつかの別れを経験してきた。
でも、我が子の転園は、それらとはまったく違う種類の喪失感がある。
あぁ、寂しい。
アラフィフ男性。うちの子供達が通っていた幼稚園にお父さんの会というのがあって、幼稚園のイベントの度に有志を募って活動していた。週末の夜に居酒屋で集まって酒飲みながら企画会議とかしてた。
子供が卒園して20年近く過ぎたけど、親父達のつながりはそのままで、今でも一緒に週末にBBQとかキャンプとかゴルフとかしてる。子供が同じ年齢なので、親父たちも概ね同じぐらいの年齢だけど、±5歳ぐらいは幅がある感じ。お互いあだ名で呼び合っていたので本名をよく知らない人もいるし、本人が何かの拍子に言わない限り勤務先とか仕事内容とか聞かないので、普段何してるかよく知らない人もいる。
仕事に関係ない集まりなので、みんなヨボヨボになるまで付き合ってると思うな。ほんと、子供をあの幼稚園に行かせてよかったわ。
保育料の高い園に入れてお迎えとかしてる人なら気づいてると思う
なぜこうなるかというと一番大きいのが「美人orイケメンだと子供が素直に言う事聞く傾向がある」というルッキズム全開の理由があるため
皆表立って言わないけどおそらくほぼ全ての保育士が体感で感じてる事だし、最近だと公演なんかでもちょこちょこ言われるようになってきた話
これは本当にバカにならなくて、早い子なら2歳ぐらいから「ブサイクに抱っこされると泣き喚くが美人orイケメンに抱っこされると泣き止む」という事象が発生する
ちなみに女児がイケメンを好む傾向が出てくるのは卒園間近ぐらいで基本幼稚園保育園の時期なら性別は関係ない、顔が良ければ慕われる
逆に言うともうこの年から「かっこいいorかわいい」という判断基準の基礎ができてるんだなーって思う
そして次に大きな理由がこれは「男のブサイク」限定なんだけど保護者からのクレームが来る
これが本当に悲惨で保護者から「変質者ではないか」 「うちの子を担当させないでほしい」というクレームが死ぬほど来る
なので採用ハードルとしては美人>イケメン>女のブサイク>>>>>>>>>>>>男のブサイクになる
この傾向は幼稚園以降も続き、遠からず「教わるなら顔の良いに越したことはない」状況になるので、この先5年ぐらいで公務員以外の人に物を教える職業(塾講・カテキョetc)は顔面採用が加速化する可能性が高い
うちは5歳までの園だけど私立の小さめ園なので、クラスのお母さんは全員わかるし子供の名前と顔も一致する。
かつそこそこ人気園なので4月に入園した時点で定員に達して今年度はもう追加はないよう。つまり転園しない限りは卒園まで5年間一緒のクラスになる。
一度だけならし保育の時期にママランチ会をしたことがあって、ほぼ動かないライングループはある。門前や生活圏内で会えば挨拶をするけどそれくらい。
で、このくらいの縁ってどこまで続くかな?今はあかちゃんだから誰と仲いいとかがないだけで、もしかしたら今後、土日に遊びたいとか遊んで帰るとか、晩御飯一緒に食べたいとか?そういうこと言われ始めるのかな?誘われたら全然行くけど音頭とってどうこうってなったらだるいなと思う感じ。
今くらいの薄いつながりがちょうどいいんだけど。
6歳差の二人の子供がいます。ふたりとも1歳から認可保育園に通わせたけども、月8万2000円、年間約100万円です。初めて通知が来たとき何かの間違いじゃないかと市役所まで出向きましたよ。
3歳以降は安くなるのに所得制限で無償になったりならなかったりで、、、上の子はとうに卒園しましたが、かれこれふたり合わせて500万くらいかかったのでしょうか、しかも手取りから出ていくわけです。
子ども手当も今さら所得制限撤廃とか言い出してますが、いままで満額もらったことなんて1度もない。
出生率が危機的とかラストチャンスとか、一体どの口が言うのかと。
お金をかけて、苦労して育てた挙げ句、将来は高齢者の食い物にされるのかと考えると、今の子供たちが不憫でならないです。
日本の未来は世界がうらやむウェイウェイって言ってたの調べたらもう25年前ですよ。
一体どうなってしまうんでしょう。
芋ほりイベントがすごく好きで、どろんこになって芋ほりをしていた。
卒園前のプールで、ビート板とヘルパー(※背中に着ける浮き輪みたいなもの)と、腕に着けて浮かびやすくする器具を着けたのにも関わらず溺れて生死を彷徨ったことがある。
けど、水に対する恐怖心等は全くなかったので、小学校1年生から水泳教室に通う。
小学1年生 or 2年生の時、友人と一緒に運んでいた[食パンが入ったケース]を落としてしまい、食べる量が減ってしまった。
小学6年生の時、学校の廊下を走っている時に、1コ下の女の子とぶつかってしまい、怪我をさせる(怪我は軽傷。痕も残らなかった。)
中学1年生からいじめにあう(物を隠される・しばかれる・主にコンプレックスな部分について悪口を言われる・カバンを壊される等)
また明日、気が向いたら書くか
4/9 追記
様々な意見を頂けていて驚きました。
読みづらい文章なのにいろいろ反応を貰えていて嬉しいです。
曲解されてるかもなので補足を書きました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写メ日記という風俗業者が自身の近況とかお客さんへのお礼とかを投稿するSNS的サービスがあります。
私もこれだけは本当に不思議です。
小中は家倒壊でほぼ不登校、定時高でまともに通えるようなったので
普段仲良くしてくれている友人達と話している時もズレは感じています。
個人的には理解できないけど、言われてみれば確かに背徳感に訴えるシチュが
人妻や、賛否分かれるNTRが人気なジャンルな事も知っています。
普段過疎地賃貸に住んでいて、元々のバイトの給料は生活費学費以外はゲームやリアイベ、
このまま続けていたら駄目になると感じました。
200万稼げるってこと~の方は生活水準が高くて羨ましいです。
手取りは6割でした。1日で5回呼び出しあれば多い方でした。
1日に入った数はその日によって変わりましたが7人が最大でした。
その蔑称は知っていますが、難のある性格や人柄は身長起因ではなく
偶然かわかりませんが東北在住で東北他県のお店に採ってもらったので
そこらへんはよく分からないです。
今のところ何かに罹ったわけではないとはおもうけど、
浅はかだったとも思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下本文です。
ー
独り言です。
-
軽度の鼻炎持ちだからかも。
多くてびっくりした、みんな金持ちだね。
-
・意外と160cm以下の男性が多かった
私161cmで女性平均より高めなんだけど、
-
なぜ?
-
-
・さも当然に挿れようとしてきてワロタ
なぜ、ソープに行かない?スタッフ召喚しようとすると焦るのダサいからやめよう。
-
・ネットでよく言われてるコンビニスイーツ(特に生菓子)持ってくるお客さんが本当に多くてワロタ
予約が続くとバッグの中で腹下し菓子に
値段とか価値とかの話じゃなく、
-
・写メ日記の自撮りをスクショ保存するのは規約違反だろ(スタッフに報告済み)
・ビジホのユニットバスに無理やり2人で浸かろうとするのはなぜ?
・まんkに指突っ込んだ手で髪撫でるのよくない
・唾つけた指を万こに入れないで
・ベロチューはいいとして顎とかほっぺた舐めるのコスメ味で不味そうなのに何故やる?
・乳首勃つのは9.9割興奮してるわけじゃないからあまり執拗に弄らないで。取れる。
-
-
正直性風俗に足踏み入れた罪悪感はないです。
-
実際にされてうわ〜ってなった行為の大半が
-
夜職が多いのもなんとなくだけど理解できました。
今までフィクションなんだから好きにさせとけって思っててすみません。
-
これやだって感じなかった事ばかりで、
自戒も込めて。
-
もう二度と従事したくありません。
-
Permalink |記事への反応(11) | 14:50
と思う親御さんへ。
4年前の4/1に同じことを思った親より。
早生まれで小規模保育園から幼稚園(預かり保育つき)に進み、年少の1年間が終わりました。このルートは早生まれさんにオススメだと思ったので詳細を以下に記します。
もちろん、子の性質によるところも大きいです。人間の個体差でかすぎ。
あと、保育園だろうが幼稚園だろうが、子供と園の相性が第一です!!!その前提で書きます。
【小規模保育園のススメ】
小規模保育園は2歳児クラスまでしか設置されていないので、年少に上がる時にもう一度保活が必要です。これが最大のデメリットですが、それがメリットでもあります。
(なお、小規模保育園卒園後に進む保育園や幼稚園が確保されている保育園もあります。通っていた小規模保育園もそういう提携枠が数名分はかありました)
…やはり年長まである保育園が人気なので、1歳4月でも比較的入園しやすい印象があります。
・早生まれが多い
…上述の理由により、早生まれが多い。通った保育園の同じクラスの8人中6人が下半期生まれで、そのうち早生まれが4人でした(しかも4月〜6月生まれは0)。ということでクラスのお友達と発達具合が大きくズレるということはあまりなかったです。
…これは園の考え方にもよりますが、我が子は歯が生えるのが遅く、従って離乳食の進みが遅かったのもあり、入園時点でまだ幼児食は食べられませんでした。相談して1人だけ刻み食にしてもらえました。中には1歳児クラスは問答無用で幼児食の園もあるので、保活時には必ず確認してください(違う園ですが、1歳成り立てでは食べられない形状のオヤツを出されて窒息しそうになった早生まれ仲間がいる…絶許)
・2歳児クラスで「集団の中で一番お兄さんお姉さん」を経験できる
…これが小規模保育園の知られざるメリットです。鶏口牛後ではないですが、2歳児で集団の「最年長」を経験するとグッとお兄さんお姉さんになります(ただし子による)。
【幼稚園の預かり保育のススメ】
働き方が許すのであれば、小規模保育園卒園後に幼稚園の預かり保育をご検討ください。我が家は母親の会社が3歳以降も時短を使えるので利用できています。
・幼稚園で「しっかりした子」と思われる
…子の性質によります。が、おそらくほとんどの子が初めての本格的な集団生活の中、保育園2年間でみっちり集団生活をしてきた子たちは幼稚園生活に慣れるのが早いです。我が子も入園したての頃は、泣くお友達を宥めたり、お友達のお手伝いをしたりしていたみたいです。一番年下の癖に。そしてなぜか「しっかりした子」感を醸し出しています。
これがいわゆる「早生まれのデメリット」の一つを打ち消す、小規模保育園から幼稚園にすすむ最大のメリットです。
ということで、子の性質によりますが、早生まれちゃんこそ小規模保育園からの幼稚園ルートをご検討いただくのは一つでは?と思っています。少なくとも我が家は小規模保育園からの幼稚園でよかったです。
早生まれになってしまって保活どうしようと落ち込んでいる方に届きますように。
(ズレますが、早生まれの児童手当総額が少ない問題はマジで何とかしてほしい。不公平すぎる)
幼稚園と合うか合わないかはもちろんあります(お勉強系やのびのび系など)。が、それ以外の面で幼稚園がいいなぁと思っているところです。保育士さんだけじゃなく、幼稚園教諭の待遇改善を望みます。
・合否が早い
…幼稚園の合否はだいたい秋に出ます。なので保育園の3歳4月入園と並行して手続きをすすめ、幼稚園に決まったら保育園の選考を辞退することができます。2月頃に合否の出る保育園と違い、秋に進路がわかるのは職がかかっている身としては精神衛生によいです。
…平日の習い事ができない共働き家庭にとってはありがたい存在。お月謝がリーズナブルなことも多いようです。
…我が子を預かり時間の最後の方まで預けているのですが、園児の人数も少なめになり、出欠具合によっては先生とマンツーマンの時間もあるようです。最近は、先生の力を借りながら工作やブロックで創作意欲を満たしてもらっているようで、マジで有難い。
・お昼寝がないので夜早く寝る
…お昼寝の要らない子にとっては大きなメリット。幼稚園の預かり保育ではコットなどでお昼寝することもできますが、一律のお昼寝時間はありません。我が子は新生児の頃から睡眠時間が少なめで、2歳のはじめにはお昼寝がなくなりました……。2歳児クラスになってからは、保育園でお昼寝をすると就寝がテッペンを超えることもあったので、幼稚園のお昼寝なしは我が家にとって救いの一手でした。
以上です。
マジで早生まれでよかった!!!!!!あと数時間生まれるのが遅かったら去年1年も保育園で昼寝あり生活だったとかマジで考えられない。2歳児クラスの1年間は、親の睡眠と自由時間が確保できておらず、メンタル含む体調を崩して休職していた可能性がかなり高い。マジで早生まれありがとう!!!!!!!あと4歳おめでとう!!!!!!!!!
我が家ではそれの少し変わった版を作る
やり方は簡単で、出来たうどんに半熟卵を半分切ってのせるだけ。名は「おひさまうどん」
私が小さいころ、テレビを見たのか「月見うどんが食べたい」といきなり言ってきたらしい
仕方なく、小さい器にうどんを作ってそこに半分に切ったゆで卵をのせた
すると私はこういったらしい「月じゃなくておひさまがのっているよ?」と
母は苦し紛れにこう、返した
そもそも卵がふたつあったらおひさまをふたつ食べちゃうことになるだろとかそんなこと言ったら月見うどんだっておひさま色だろうとか
考えてみたらキリがない
そんな時は佐良直美の歌を思い出す
「あしたはあなたに心を残し
あしたはあなたと別れる私
つめたい女だと人は云うけれど
おいしくいただいている
・頭良かったんだけど顔は水星の魔女でいう「狸顔」なので相手にナメられてることが多かった(地顔時)
・顔をがっちりメイクするととたんに美女、女優顔になるので相手が構えてきて告白などされない(頭よくて女優顔だと、はなしかけたとたんに取って食われるとおもうらしい)
・さらに卒園式などでフルメイクすると実の子供に怯えられるレベル 確かに美魔女っぽさはある
・仲人したとき留め袖着つけたのんだホテルでフルメイクすると実の親が娘と気づかなくなった(目の前で、増田ちゃんどこ?と夫(=親からみて婿)にはなしかけてた)
・結論:メイクが映えすぎる顔も問題だなあ、ここぞというとき以外は素顔でええか~
メイクすると目鼻立ちがバランスとれることをおしえてもらったのでホテルとか美容室とかには感謝している
素材としていろいろ遊べる顔でコスプレもやったりしたのだが
一時期、垂れ目だしドロップ型サングラスをアメリカ女優みたいに掛けたらどうだろうとおもったら
まーートムキャットみたくなって悲しくなった 今でもFB777を他人とおもえないとこある
いまはかわいがられることより暖かい部屋と体にいいご飯と一人で眠れる寝室と一人の時間が欲しいですね
家族とは十分仲が良いしこの先死ぬまで安泰とおもえると「かわいく思われたい」なんて余計な望みなんてなくなるんよ
ここ数日で見かけた小さな「子供産むべきか論争」を見てふと自分も呟きたくなったので記録したいと思う。
結論としては、子供を産んでよかったが、子供を持つことを他人にオススメは絶対できない。
私は昔から自分より年下の子供が好きで、近所のちびっ子達の親御さんに、いまだに感謝されるくらいに面倒見がよい子だった。
中高の職業体験では幼稚園を選択したし、電車で赤ちゃんを見かけたら可愛くて思わず笑いかけてしまったり、手を振ってしまったりするタイプ。
(職業体験を通じ、多くの幼児の命を預かる責任が自分には重すぎると感じて早々に見切りをつけた。保育士や幼稚園教諭には頭が上がりません。)
「いずれ子供が産みたい」と漠然とした思いを持って大人になったが、それが"女は子供を産むもの"という社会からの刷り込みによるものか、はたまた生物的本能なのか、そんなことはわからない。
中学校の保健の授業で女性の妊娠についてざっくり学ぶのだが、そこで妊娠の適齢期や高齢出産による染色体異常などのリスクについて知り得た。
身体の妊娠機能という一点にのみフォーカスするなら、早く産む方がいいのだという意識をこのころから持つようになる。授業を人一倍真面目に聞き、そして自分と関連づけて反芻するタイプの生徒だった。
中学高校と成績は優秀で旧帝大に進学。新卒で地元の企業に就職した。
職場は"産休育休が取りやすい"ことを売りにしていたのも大きなポイントとなった。この時点では産休取得は社会的にメジャーになっていた為、働きながら子育てすることにポジティブなイメージを持っていた。
私は産休育休3回取ったからね!と豪語していた女性の先輩をロールモデルに頑張ろうと働き始めた。
ママさん社員たちは時短勤務である。他の社員が早めに出勤して掃除をし、朝礼を済ませ、諸々の雑用を終わらせた頃にやってくる。そして一切の残業をせずに帰っていく。ロールモデル先輩はもう10年程この働き方を貫いていた。
子供がお熱ですと連絡があれば早退していくし、高確率で次の日も休む。運動会や卒園式などイベントも目白押しだった。
皺寄せは確実に他の社員にきていた。産休とりやすい!のカラクリは、他の社員の頑張りでしかなかったのだ。そこまでの実情は大学生の私には見抜けていなかった。
10年かけて先輩社員が子供を産み育てている間に、中堅の先輩達は結婚適齢期にさしかかりながら、デートする間もなく残業の日々だった。
私は結婚もしたいし子供も産みたいが、他人の犠牲の上に成り立つ"そっち側"にもなりたくないという思いがただひたすらに募った。
Twitter上では"他社員への負担は会社側の問題であり、ママ社員の問題ではない"という論調が目立つし、まあそうなんだけど、じゃあ実際問題どうすればいいのだろう。
常に余裕を持った人員配置をしたとて、穴を空けることにより少なくとも通常なら不要なはずの手間なり迷惑はかかるし、どうしても子供のいない人の方にばかり負担がいくことになる。
短時間勤務でもパフォーマンスさえ良ければ問題ない職種もあるだろうが、早退や欠勤がモロに損失となりうる職種もある。(ママ社員だけ取り立てて有能でなければ生き残れないというのも不公平な話だけれど)
自分が休んだとて全く問題ないなら、それはそれで最初から必要なくないか?ただの給料泥棒じゃ...という思考にも陥った。
私の場合入社後すぐに海外出張ありきの新しいプロジェクトを任されており、子供を産むとなれば確実に継続は難しかった。
26歳のときに結婚の話が出たときに、私は潔く退社を決めた。(これは夫のある程度の収入ありきの話で、一般化できる話ではないが。)
子供はいつか欲しいと双方の合意はあったし、彼の勤務地に引越すに際して私が退社することも相談して決めた。
ここまでの文章で私がまるでキャリアに興味のない女に捉えられたかもしれないが、仕事は充実していたし本当に天職だと思えていた。かといって働く為に生きているタイプでもない。
パートナーを愛していたし、結婚して家族を作りたいという私の人生は優先するとして、確実に周囲に迷惑をかける前提で仕事を続けることが、性格上できなかったのである。
時間は不可逆である。私はもう、あの教科書でみた25歳を超えていた。
結婚後は新しい土地で割とすぐに妊娠したのだが、つわりが人の倍重いタイプだった。ここで地獄を見ることになる。昼夜問わずに吐き続け、一切の水分も受け付けず、極度に痩せて入院となる。
病名は重症妊娠悪阻。食事が摂れないので点滴での栄養と水分補給となった。
そしてトラブル続きの出産となり、緊急帝王切開で出産。息子はNICUに入ることとなる。
人よりは子育てへの解像度は高いという自負があったが、それでも初めての育児は想像を絶した。
(というか、子育てで極限の状態に追いやられた時に自分がどれほどしんどいかなど完全に予想するのは不可能では?)
よく「わかってて産んだんだろ」という母親への辛辣なコメントを見かけるが
文字通り"何があっても"自分は心身共に大丈夫だし、愚痴の一つもでないと誓える人間などいるのだろうか。
我が子はとにかく睡眠が下手で、そして食べない子であった
つわりが始まったころから、そして息子が朝まで寝るようになるまでの計4年半の間、私はたった一晩たりとも朝まで眠れたことがなかった。なんの誇張もしてない、事実である。シンプルな寝不足。この一点だけでも育児はキツすぎた。
マミーブレインとも呼ぶらしいが、自覚できるほどに頭が正しく働いていなかったし、この状態で復職など私には無理だった。
睡眠、食事、お風呂、トイレなど生物として基本的な欲求が満たされないので、高次のところに欲求がいかなくなる
もう何回も擦られたフレーズだが、「社会から取り残されて子供と自分だけの世界」で、なんの金銭も生み出さずゴミのような気持ちになったりもする。
身体的に辛い時間が長かったのもあり、第二子は4歳差になった。
そんなしんどいのに第二子作るんかい!?というお声が聞こえるけど
でも子供達はどうしようもなく愛おしくて可愛くて間違いなく私の宝物なのだ。
子育てが最高にしんどいのと、子供が最高に可愛いのは両立し得る。なんの後悔もない。
ただ、どういうところがいかに辛く大変なのかはいくらでも言語化してTwitterに垂れ流すことはできるが、どういうところがプラスなのかはこのくらいフワフワした言葉でしか説明がつかない。
それくらい育児は過酷であるし、女性が妊娠出産に適した時期に結婚して子供を産み、無理なく安心して生きていける社会構造では全くない。
そして何より、産むことそのものの身体的負荷はどっちにしろ回避できない。
耐えかねる人は絶対にいる
俺は30代なりたての男なんだが、大学生の頃から死恐怖症(特に癌恐怖症)が治らない。
きっかけは大学時代、病院に行っても解決しなかった謎の膝痛に数ヶ月近く悩まされたこと。レントゲン撮ってもMRIやってもわからなかった。
色々調べてた時に見つけたのが骨肉腫という病気。そしてYouTubeで骨肉腫を再発し当時の自分と同じ年齢で亡くなった女の子の闘病ドキュメンタリーを見たことがきっかけだった。結果的に膝痛はなくなり今ではなんともないが、それ以来俺は癌恐怖症になった。
記憶にないアザや怠さ、歯茎の出血があれば白血病、しこりがあれば悪性リンパ腫、ほくろがあればメラノーマ、下痢になれば大腸がん、幼少期からの鼻炎持ちで鼻くそに血が混じれば副鼻腔癌などなど。
何か一つの症状がある癌に当てはまれば癌だと思い動悸や立ちくらみに襲われ「ついにか…」と倒れそうになる。バイトもあり、思い立って翌日に病院に行ける訳ではないため病院に行き検査結果が知らされる不安で何も手につかない。総合診療医では信頼できず各専門クリニックに行くのでセカンドオピニオン含め財布には12枚の診察券、そして4つの病院の電子診察券を持っている。
「30歳でバイト?」と思っただろうが、この性格なので癌に当てはまる症状が出ると何もできなくなる。留年もしたし、就活も失敗したし、公務員試験も失敗したので現在はバイト暮らしだ。県立中高一貫校から一橋商学部を卒業しているので、幼少期からの親の教育投資を随分無駄にした。
死への恐怖は癌だけではない。電車では後ろに人がいたらホームの先頭には立てない。強盗が怖く、自宅を買い集めた防犯グッズや自作防犯システムで完全防御。大通りや赤信号も常に警戒。
俺の両親は俺が幼稚園卒園前に離婚しており、以来母が看護師として育ててくれた。自称経営者の父は養育費も大学進学費用なども「無い袖はふれない」と一切出さず、母は実家とも疎遠なので大学卒業するまでにかかったお金は全て母が稼いでくれた。
俺は母に「母よりも長生きする」「立派になった姿を見せる」「妻と孫を見せる」という3点を誓っていた。しかし、この死恐怖症によりレールから脱落し立派になった姿を見せることも結婚も孫を見せることも不可能になった今、俺が母のためにできることは母よりも長生きし母を看取るということだけである。
だから俺は何があっても母よりも先に死ぬことができない。先ほど言ったように母は独身で実家とも疎遠で俺は一人息子なので俺が先に死んだら母は一人になってしまう。
それなのに、常に俺に忍び寄って来て隙があれば俺の命を狙おうとする癌や突然の事故、犯罪に対して俺は極度に恐怖し強い怒りを感じる。
一番駄目なのは「ウチの子は健常者だ!」って思いこんで色んな園回って押し付けて普通の生活させようとすること。支援センターと医師の診断結果出た後でもそれをすると確実に子供の将来は暗くなるよ。
うちの子の場合、最初に入れた保育園にて4歳までは何も言われなかったけど、
5歳の時に当時の受け持ちの保育士が「発達障害認定受けてきてほしい」と依頼してきたよ。
それで支援センター行ったら診断的なことせずに確定事項として話を進めてきたので
「ウチの子は健常者だ!」として転園することにしたよ
んで転園先では「この子のどこが発達障害なの?」って感じで普通に受け入れてくれたのでそのままそこで卒園まで居た。