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はてなキーワード:午後13時とは

2025-10-31

Slackを30日ぜんぶミュートしたら、成果が上がって機嫌もアガった話

地方Web企業で開発兼PMっぽいことをしている。

先月「Slack断食」を30日やった。ぜんぶの通知を切って、午前は一切開かない。午後に2回だけまとめて見る。

(だから断食ではないのだが)

これを淡々と続けたら、想像以上にいろいろ変わった。

先に結論を書く。

1日の「まとまった作業時間」は 平均54分 → 3時間18分 に増えた(タイマー計測)。

PRリードタイム(着手→レビュー依頼)は 1.8日 → 0.9日 に短縮。

「なんとなく疲れてる」感が減って、帰宅後に本を開けるようになった。

もちろん職種やチーム文化による。あたりまえだけど緊急対応常態の人には不向きだと思う。

ルール

通知全消し:@channelもDMも。インシデントチャンネルのみON

午前は断食Slack/メールは開かない。タスク資料だけ。

午後に2回だけチェック:13:00と16:30に各15分。返信はできるだけテンプレで短く。

チャンネル棚卸し:毎週金曜、読んでないチャンネルを抜ける orダイジェストに。

遅れて読む宣言最初にチームへ貼った文面はこれ。

生産性改善実験で、Slackは午後に2回まとめて確認します。緊急時電話/Teamsを使ってください。返信は遅れますが、作業完了は早くします。」

■Before/Afterで起きたこ

会議の数が減って質が上がった:アジェンダ無しの招待は「内容だけドキュメントにまとめてください」と返す運用にしたところ、約半数は文書上のやり取りだけで完結し、会議のもの不要になった。

横取りタスクが減った:その場で拾わず、午後の確認まで寝かせると、他の誰かが解決していたケースが週に2回くらいのペースで発生した。(その誰かに工数をかけさせてるわけだが)

メンタルの凹凸が減る:通知に心拍を連結させない。午前は手を動かすだけの世界にできる。

情報の取りこぼしでの実害はゼロだった:重要なら午後のチェックで追いつけるし、本当に緊急なら電話が鳴った。

気分がいいまま過ごせるようになった:自分のペースで仕事ができるってなんてすばらしいんだろうか

■返信テンプレの一部

「この件、午後13時確認タイムで内容見てから返答します。」

「緊急度を確認したいです。本日内/今週中/来週でも可のどれでしょう?」

「そのテーマ、週次定例で扱った方が良さそうです。議題に入れておきますね。」

「先にドキュメント要件を書いてもらえますか。コメントで入ります。」

■ありそうな反論

Q. チームの透明性が下がらない?

A. 逆。会話をチャンネルに寄せ、要点はドキュメントに残す運用に寄ったので後追いが楽になった。

Q. 即レス文化会社だと無理では?

A. 「即レスの代わりに、確実なアウトプットを増やす」と宣言する。成果が見えれば、周囲は文句を言いづらい。

Q.顧客対応は?

A.顧客は早い返信より一貫した進捗を喜ぶ。進捗報告の定時化で満足度はむしろ上がった。

■失敗談(やらかし集)

全社アナウンスを見逃した:アナウンスチャンネルだけはモバイルでプッシュ許可に。

午後の確認サボる炎上:2回のチェックは絶対に守る。守れない日はカレンダーに明記。

DM地獄の温床:DMで来た要件チャンネルへ移すを徹底。つーかDMしてくんな

■仕組み化のコツ

タイマーを回す:自分は25分集中、5分休憩の典型的ポモドーロタイマーがよかった。

午前の最初に「1行だけ日報」:今日やることを1行。終わったら結果を1行。長文にしない。

リマインダーの活用自分を信じない。

まとめ

通知って、“有益情報”をくれるものに見えて、実は作業を中断させる“割り込み”として機能してることが多いなと感じた。

しかも厄介なのは、その割り込み自分意思で受け取ったように見えることだ。

実際には、誰かの都合で伝えたい割り込みを、こっちの集中を犠牲にして処理してるだけなのに。

Slackメールも、見に行く時間自分で決めるだけで世界が変わった気がする。試しに1日だけでもやってみてくれ。向き不向きは個人差あると思うのでどうなるかは知らん。

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2024-11-21

がんの猫の通院、10時間かかる

タイトル通りである

ほぼ週一で猫の通院に10時間かけているので、インパクトを持つタイトルであるか否かの感覚も既にかなり曖昧になってきている。

しかしながら10時間だ。

所定労働時間

月延べ40時間、猫の通院に時間をかけている今は、人生を振り返ってみてもかなり稀有体験をしている時期だ。

このエントリは、そういう時期についての個人的な記録です。

敬意

この記録を残そうと思うにあたり、まず、担当獣医師、及び飼い猫(順不同)に敬意を払いたい。

健康だった時期の飼い猫を知っている身としては、通院に時間を費やさなければならない現状に文句たらたらではあるが、獣医療と猫に対しての敬意だけは常に忘れてはならないと感じている。

担当獣医師は、少なくとも飼い猫を診せる日は、おそらく10時間以上勤務しているはずだ。重病を抱え、寿命がそう長くはないであろう犬や猫が集まる医療センター10時間、ないしはそれ以上の勤務、それによる凄まじき労苦は想像に難くない。

対して飼い猫は、朝から晩までの間、檻に入れられているか抗がん剤の投与をされている。週に一度とはいえ人間エゴイズムによりそんな訳のわからない目に遭わせてしまって、心底申し訳ないとは思っている。

担当獣医師と猫に敬意を持ち、それぞれの境遇にも思いを馳せながら、文章を記すことにする。

患う猫(とその見た目について)

猫は現在15歳の老雄猫である。約一年前にがんであることが発覚し、経口薬その他による対処や諸々の検査を経て、約二か月前から血液投与による抗がん剤治療を開始した。

チャーミングな見た目についても少し記しておこう。

毛並みはサビ模様と白い胸毛(および腹毛)、靴下のような白い足先がトレードマークで、なかなか洒落雰囲気だ。

耳の形は猫らしい三角形ではなく、丸みを帯びていて、常にぴん、と立っている。

猫らしからぬその耳の形状故に、電車の隣席に座った女性からケージを見つめながら「うさぎちゃんですか?」と訊かれたことがある。猫です。

そんな茶目っ気すら感じる飼い猫が、がんにより闘病中だ。なかなか、ままならないものである

狂気時間

10時間も何するんすか、と改めて思うが、時間割としては以下の通りである

1) 午前8時~午前9時(1時間):往路(自宅から病院まで)

2) 午前9時~午後13時(4時間):猫を病院に預け、抗がん剤投与前の検査

3)午後13時~午後16時(3時間):検査結果確認後、抗がん剤投与

4) 午後16時~午後17時(1時間):医師との面談、薬の処方、会計

5) 午後17時~午後18時(1時間):復路(病院から自宅まで)

1)、5)の往復路にかかる時間や、4)に関しては大した話ではない。

2)、3)が曲者だ。

「通院」の大部分を占める7時間をどのように過ごすか。

医療センター辺鄙な立地にあり、周辺に存在している施設はごく限られたものになる。

飲食店で過ごすのも手だが、せいぜい潰せる時間は2、3時間程度である

そもそも、猫の検査結果や現在の体調、検査中の猫の姿を思いながら過ごす時間というのは、憂鬱であり、賑やかな飲食店で過ごすには心が落ち着かない。

少し足を延ばせばラブホがあるが、毎週ラブホに行くのも滞在費が嵩んで仕方がない。観光できるような場所も近くには存在しない。

そうなると、行きつく先は自然と定まってくる。

鬱箱収容7時間

通院時間のメインである7時間を過ごす場所として最終的に落ち着いたのは、インターネットカフェ通称「鬱箱」である。(これは世間一般における通称ではなく、私が便宜的に名付けたという意味での通称です)

人々が蚕の繭のように小箱収納されており、その小箱は窓がなく、暗い。曇っていようが晴れていようが、空が見えない。常に暗い。

パソコンの画面には、よすがを求める者に向けた結婚相談所広告や、行く当てのない者に向けた入寮可能、即金の仕事を勧める広告が忙しなく踊っている。

そんな小箱の中で、猫のことで気を揉みに揉みながら7時間過ごす。

鬱を加速させるしかない、暗い、箱。まさに鬱箱である

しかしながら、7時間という迫力のある長い時間を過ごすには、やはり鬱箱以外にはなかなか見当がつかない。

7時間のうち2割はパソコンでの作業に充て、1割は食事病院との連絡に充て、4割は眠り、3割は『あたしンち』(これ以外に鬱を加速させない漫画を知らない)を読む時間に充てる。

不穏な時間の中、暗闇で読んでも鬱が加速しない漫画を知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。

現在の救い

ここまで散々陰鬱トホホ文章ばかり記してきたが、救いはある。

猫が元気なのである

猫は少々痩せてはいるが、闘病中ながら食欲は大変旺盛で、便通も申し分ない。家の中を悠然と徘徊し、腹を天に向けて放り出し、ぐうぐうと眠る元気がある。

先日も通院から帰宅し、屋内に開放した途端に人間の足元に纏わりつき、ニャンニャンと大声で啼いて飯の催促を始めた。もちろん大盛りの猫缶を食わせてやった。処方された薬も忘れずに。

投薬の効果か否かは定かではないが、本当にがんなのか疑わしいほどの生活ぶりだ。

ともあれ、本猫に今、有り余る元気があるのは何よりなことだ。

猫が生きて十五年を過ぎ、これからもまだ元気でいてくれるなら、通院10時間も苦ではないと思っている。

いや、少ししんどいが。会計金額を見て、毎回眩暈がするような思いをしているが。頑張りたいと思っている。

病院を訪れて、病院から猫を連れて帰る頃には日がとっぷり暮れていようと、鬱箱に7時間籠ろうと、猫が元気ならば、頑張りたい。

猫も、もしま人間寝床に潜り込んでくることが楽しいのならば。申し訳ないが病院へ連れていくことを、どうか許してほしい。

猫、通院を我慢してくれて、元気でいてくれてありがとう

担当獣医師も、毎回真摯に向き合ってくれて本当にありがとう

そして、鬱箱の店員さんも、いつも私に温かいポテトフライを揚げてくれてありがとう

鬱箱って言ってすみません。でも、ネカフェって鬱箱すぎます

これからもお世話になります

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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2024-05-12

TikT〇kは富豪向けツールだと妄想して使用している

一定年収以上がある超富裕層向けにTikT〇kは別なアプリケーション提供していると妄想ながら視聴してる。

あれはカタログも兼ねていて、踊る女子たちは富豪アプリにだけ予約ボタンから今夜のSEXオークションができるのだ。

いいね!の数で更に売却価格ブーストが掛かる仕様なので、女子達は一生懸命淫らに惨めに腰を振る。

ジャバザハット並のデブハゲヲヤジ(超金持ち)と跡継ぎの頭が悪そうな息子に女の扱いを学習するというシュチュエーションで

インフルエンサーのあの子が壮絶おまんこをされてしまうシーンを考えながら、日曜に何考えてるんだろうと冷静になる午後13時頃。

Permalink |記事への反応(1) | 13:15

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2022-08-16

C100 竹箒の列に並んだあの夏コミ2日目の話

あの日コミケの思い出を備忘録もかねて書きのこすことにする

午前8時頃東京ビッグサイトに向かう

コミケ二日目、早朝の天気は曇り、一番の目当ての竹箒が参加するこの日に一般参加11時ぐらいの入場の枠という微妙チケット抽選運に見舞われながらも、意気揚々東京ビックサイトに向かう。

Twitter掲示板情報では既にサクチケだけで長蛇の列との情報あるが、ただの情報戦だろ…と自分に言い聞かせながら自分の枠の集合時間に間に合うように道を急ぐ

午前11時東ビッグサイトに入場

入場の列に並び手続きを終えて一時間程度待ちながらぼんやりスマホTwitter掲示板を眺めていると写真や図付きで行列現在とんでもないことになっていることの証拠をまざまざと見せつけられ

既に買えない可能性が高いことを認めるしかない状況に。この時列は東7・8ホールまで伸びていたとのこと…

午前1120分頃竹箒の列に加わる

入場して竹箒列の最後尾であろう東7・8ホール辺りに向かうが、情報以上に列は伸びており、東7・8ホールから折り返していた。戻っていく列をだどると東4のシャッターの辺りまで最後尾が

これはもう買えないのでは?という考えがよぎる、最後尾の看板もつコミケスタッフも買えない可能が高いですよーと叫ぶが次々と列に加わる人々を見て自分も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの精神

ええい!と列に加わる。

正午頃東4から東6辺りまで進む、まだ折り返し地点は見えない

3分に一度15・6歩程度進む列にこれはもしかしたら意外と早く買えるのは?と楽観的な考えがよぎる、時折列から離れるものを見ながら

映画アメリカンスナイパー主人公シールズの激しい訓練から落伍していくものを見ながら耐えているシーンが頭に浮かぶ

午後13時頃折り返し地点の東7・8付近

この時には雲ははれ炎天下の夏の熱射を浴びながらも列は折り返し地点の東78ホールの午後入場の人達が見えるあたりまでくる

東7・8ホールの入場口からかに漏れてるエアコンの冷気を持っていた団扇で仰ぎながら身体を癒す。入場口あたりに立っていたコミケスタッフにもう何時間並んでるの?と話しかけられ

時間半程度と告げると驚かれた。そんなガッツあるならコミケスタッフにならないかと言われるも、はははと笑い流す。

午後13時半すぎ東6のあたり突然列の歩みがが止まる

それまで3分に一度は進んでいた列が突然止まりもしかして完売したのでは?と思うがそれを告げるスタッフは何も来ない。

じりじりと浴びる熱射のなか持参した2リットル飲み物も尽き死を覚悟し始める。列には時おりスタッフ車椅子を運ぶ姿も見かけたので倒れた人もいたのだろう。

前後の人の了承を得て脇にあった自販機飲み物を買いに行くも既に珈琲以外すべて売り切れ。ここ一番の絶望を味わう…

体感時間で15-20分くらい経ったら列が再び歩み始めたのでまだ在庫がある!まだ在庫がある!と頭の中で叫ぶ。

午後14時半ごろ、運命の東4ホールシャッター前にて

動悸が激しくなり、太陽の熱射を浴びる身体が明らかな危険信号を告げているが

気力だけで立っている。この頃には列の前後人達と話すようになり、互に声を掛け合いお互いに気を遣っていた。

東4のシャッター前まで来ていたためふり絞りながらあともう少し!あともう少し!と気力を奮い立たせる。

すると突然列がこれまでにない速度で東4の入り口に吸い込まれていく。なんだなんだと?が浮かぶが列を整理しているスタッフ

竹箒完売です…と告げたのであった…3時間以上並び買えなかった、頭の中でぐるぐると完売の二文字が巡る、

周囲を見渡すと皆、完売完売完売!と叫んでいた、自分も思わず完売!と叫ぶ。

今考えるとなんなのか本当に叫んでいたのかもよくわからないが高揚感だけは確かにあった。

東京ビックサイト内の自販機近くのベンチにてぼーっと座り込む

から散っていき朦朧ビックサイト内の自販機に向かいペットボトル2,3本買い一気に飲み干し一息つく

不思議と買えなかったことへの悔しさよりも三時間炎天下の列を耐えきった謎の達成感と地獄のような苦行から解放された思いで胸がいっぱいに。

しかし、その後一時間程度休むも他のサークルを巡る気力体力はすでになく、とぼとぼと増田東京ビックサイトを後にしたのでした…

Permalink |記事への反応(0) | 18:44

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2021-02-15

昨日はバレンタインなので近くにある小さなたこ焼き屋たこ焼きを買いに行った

午後2時だった。

ポケモンGOラティアスをゲットするために午前10から徘徊を開始した俺はクタクタだった。

午後13時30分に公園のベンチに腰を下ろして素煎りのナッツを齧ろうしたら、公園が親子連れでいっぱいだったので立ち尽くしてポケモンGOをした後、スマホ電池も残り20%となったため帰宅することにした。

車1台がやっと通れる細い道にたこ焼き屋はある。

昼飯のナッツを食いそびれた俺は家でナッツ齧るのも味気ないと思い、たこ焼きを食べることにした。

それが午後2時だった。

窓口にいくと呼び鈴が置いてあるのでそれを押す。

リーン…となったベルは静寂にかき消された。人はきそうにない。

仕方がないので「すみませーん」と声をかけるも人は来ず、諦めかかけたその時に窓口の机に「右奥の出入り口よりお入りください」と表記があった。

窓口で頼むと店舗に入るのはハードルが違いすぎる。しかお腹の中は完全に粉ものを求めていた。

入り口は本当にただの民家に「出入り口」と書いてあるだけだった。意を決して入ると「ピロピロピロ…」と電子音が奥から響く。

すると50代~60代のおじさんが一人「いらっしゃい」と出てくる。

たこ焼きできますか」と聞くと「なんにしましょう」と聞いてくる。

看板には

たこ焼き 8個入り450円 6個入り380円

 素焼きもできます

ボール焼き(肉入り) 8個入り500円 6個入380円

ミックス (たこ4・肉4)490円

とあったのを思い出し「たこ焼きの8個入りで」と頼む。

から焼き始めるような雰囲気がしたので「座らせてもらいますよ」と声をかけて座る。

そういや昔母親によく連れてきてもらったたこ焼き屋もこんな民家を改装したようなところだった。たこ焼き屋というか粉もの屋で焼きそばとかお好み焼きもしていたが。

そこは12はいったたこ焼きが400円だったかで、習字塾の近くだったため習字が終わったらお昼ごはんはいつもそこだった。1粒のたこ焼きを口の中いっぱいに頬張りやけどをする。それが土曜日の当たり前だった。

高校生になった自分部活がない日はそこでたこ焼きを買って家に帰っていた。

よく考えたら12個で400円は破格だ。そこのおばちゃんは俺がいつも紅生姜多めマヨネーズ抜きを頼むので紅生姜生地に混ぜ込む量もあり、思い出が蘇る。

5年前ぐらいに倒れてからお店は畳んでしまったのが悔やまれる。

そんな事を思いながらたこ焼きができるのを待つ。

「おまたせしました」

おじさんがワンパックのたこ焼きレジ袋にいれて渡してくれる。

500円を渡し50円を受け取る。

「美味しかったらまたこよう」

そう思って家についた。

 

たこ焼きものすごく1粒が大きかった。

銀だこやその他たこ焼きチェーンでもそうだが、最近流行りは大粒のたこ焼きなのだろう。

小さかった自分ならまず一口では食えない。やけどしないように冷ましてから頬張る。

紅生姜は中々多め、マヨネーズもかかっているが今の自分は食べられるようになったか問題なし。

ただ思ったが、大粒なのはお店の都合なのかとおもった。

昔たべたたこ焼きは確かに一粒が小さかったがその分たこを楽しめた。小さい分主役のタコが主張をしてきた。

いや、この大粒のたこ焼きの中にあるタコ自分なのだ

体だけ大きくなって、自分だと主張できる部分は子供の頃から大きくなっていない。

ある人が考えれば大粒のたこ焼きは原価の安い粉もの部分で満足させられる企業努力だというだろう。

俺もそうなのだ。体が大きくなったのはただただ人間として労働力を高めた結果にままならない。

だが悪い言い方をすれば、中身が伴ってないたこ焼きと人間食べログレビューで3.0なのだ

そのたこ焼き屋レビュー数3件で平均3.08だった。これが自分なのだ

俺はおばちゃんたこ焼きがもう食べられないことを悔しく思っていたが、実のところは俺がおばちゃんたこ焼きを食べる資格を失っただけなのだ

今の自分には流行りの大粒のたこ焼きしか食う資格はない。

俺はそんな事を思いながら「でもいいじゃねーか、大きいだけでも」と思いながらその店の食べログレビューに4をつけたのだった。

Permalink |記事への反応(2) | 17:06

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