
はてなキーワード:十字架とは
(追記)
温かいブコメやトラバをくださった方、ありがとうございました。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったけど、「一緒にいたい」ってちゃんと言えました。
本当にありがとう。
増田は30代前半の男。
どこにも吐き出す場所がないのでここに書かせてほしい。
高3の時、人付き合いが上手く行かない(人見知りかつ口下手)のと、逃げ癖から学校に行けなくなって授業についていけない→それが辛くてまた学校に行けないのループで、首をつろうとした。
クローゼットにつけた紐に首をかけて、体重をかけている途中で怖くなってやめた。
死ぬのが怖いというよりは、失敗して障害が残って今よりも更に苦しい人生を送るのが怖くてやめた。
その後、担任の先生や心療内科の先生等の助けもあり、高校を卒業して、大学に進学することもできた。
その後も上に書いた性格ゆえ悩み事は尽きなかったけど、無事に第一志望の就職先に就職することができた。
今度はロープを準備しただけで終わったけど、また死のうと思った。
高校の時にかかった心療内科に自分で電話して、数日後に受診した。
事情を話すと、先生は休職を勧めた。でも、高校の時と同じで、休めば休む程尚更行けなくなる(行くのが億劫になる)と思った。
抗うつ剤は怖いぐらい効いた。振り返ると、ハイになってたんじゃないかと思うぐらい積極的になっていたと思う。
このまま一人で生きていくのが寂しくなって、一度やめたマッチングアプリを再開した。
そこで妻と出会った。
アプリで会うのは2人目だったけど、初めて会った時は心臓バクバクだった。
付き合って1か月ぐらいの頃、彼女が今の仕事を辞めたいと言った。心身を病んでまで働く必要はないと答えた。そして、自分が抗うつ剤を飲んでいることをカミングアウトした。
ほどなく、彼女は転職して、仕事自体は大変そうだけど良い先輩のいる職場に巡り合った。
自分も服薬しなくてよくなった。
1年ほど中距離恋愛で付き合ってプロポーズをした。有難いことにOKをもらった。
彼女の、一度同意したことについて後から不満を言い出すところが許せなかった。
彼女は、増田が怒ると黙り込むところと、時々言葉に詰まってフリーズしてしまうところが嫌だと言った。
自覚はある。感情が高ぶるとどうしても普段以上に言葉が出てこなくなってしまう。
そういう風に彼女に伝えた。理解してくれたかは微妙だったけど、こちらが折れて仲直りした。
同じような喧嘩を何度も何度も繰り返して、夫婦として一緒に住み始めた。
喧嘩は更に増えた。
しばらくは喧嘩もなく、もう大丈夫だと思ってたけど喧嘩は復活して、この週末、また喧嘩した。
妻は仕事のことと家のこと(喧嘩を含む)で精神的におかしくなりそうだが、些細なことで落ち込んだりする増田にはそのことを相談できないのだと言った。そして、増田がどういう症状で抗うつ剤を飲むことになったのかと聞かれたので、首をつろうとしたことを答えた。
抗うつ剤を飲んでいることは以前伝えていたので、ある程度は察していると思っていたのに、妻は大きなショックを受けていた。
それほどまでの重症ではないと思っていた、と。
そして、なぜそんな大事なことを今まで黙っていたのかと責められた。
両親に心配をかけるわけにはいかないから両親に相談するわけにもいかないし、私はどうしたらいいのと妻は号泣する。
(増田が抗うつ剤を飲んでいたことを妻の両親は妻経由で知っているが、妻曰く、両親もそれほどの重症だとは思っていないはずとのこと)
抗うつ剤のこと自体はちゃんと話していたし、詳細はいつかタイミングが来たら話そうと思っていた。そのタイミングが今来たのだと思って話したらこんなことになってしまった。
妻の言う通り、首をつろうとしたことがあるというのは結婚前に改めて伝えるべきことだったのかもしれない。
怖くてそれができなかったのは事実だ。
謝るしかなかった。
「そんなことは知らない方がよかった」と泣きながら言われた。
離婚したいのであればそれに従うと伝えた。
幸せにすると約束したが、自分と一緒ではきっと逆に妻を不幸にしてしまうと思うとも伝えた。
すると、離婚なんて更に私を苦しめる気なのかと怒られた。
こんな自分なんかとこれからも一緒にいてくれるのかと聞くと、妻は小さな声で「うん」と答えた。
これを書いている今、妻は寝ている。
言葉だけ見れば丸くおさまったように見えるけど、そう思えない自分がいる。
ただでさえ精神的に弱っているにもかかわらず、妻の心をものすごく傷つけてしまった。
きっとこの先も何度も妻を泣かせてしまうだろうし、その結果妻が精神的に病んでしまう可能性だってある。
夫が自○未遂をしたことがあるという十字架のようなものを妻に背負わせてしまった。
そう思うと、子供もいない今、離婚する方が妻を苦しめなくて済むのではないか。
やっぱり離婚を切り出す方がいいのか。
妻が起きたら、何事もなかったかのように接したらいいのか。でもできないだろうな…
お願いです。誰か教えてください。
自分はどうしたらいいのでしょうか。
ある日、彼女の名と居場所が、誰の手によるものかもわからぬまま、闇にばら撒かれた。
まるで生贄の札のように――。
声の根は、城の元締めや、名も知れぬ 「嗤う女たち」 が囁いた影の噂に過ぎなかった。
しかし、実際にその声を「証」として振りまいたのは、敵ではなく彼女自身の屋敷に仕える者。
裏切りは家の中から這い出し、黒い霧のように街を包み、耳に触れた者の心へと染み込んでいった。
道行く人々の口から口へ、まるで感染する怨霊 のようにささやかれ続けた。
彼女は知っている。
責を逃れる道はない。
その十字架 は背に刻まれ、骨と肉に食い込み、眠るたび呻く声を聞かせる。
――その重みは、命を落とすよりなお恐ろしい。
なぜならそれは、終わりを与えてくれぬまま、
ある日、彼女の名と居場所が、誰の手によるものかもわからぬまま、闇にばら撒かれた。
まるで生贄の札のように――。
声の根は、城の元締めや、名も知れぬ 「嗤う女たち」 が囁いた影の噂に過ぎなかった。
しかし、実際にその声を「証」として振りまいたのは、敵ではなく彼女自身の屋敷に仕える者。
裏切りは家の中から這い出し、黒い霧のように街を包み、耳に触れた者の心へと染み込んでいった。
道行く人々の口から口へ、まるで感染する怨霊 のようにささやかれ続けた。
彼女は知っている。
責を逃れる道はない。
その十字架 は背に刻まれ、骨と肉に食い込み、眠るたび呻く声を聞かせる。
――その重みは、命を落とすよりなお恐ろしい。
なぜならそれは、終わりを与えてくれぬまま、
彼女の真なる名は、ある日突然 「秘紋の札」 と共に大地に晒された。
それはすなわち、魂の根源に刻まれた印――現世における個の存在を暴き出す呪詛であった。
その原因とされたのは、かつて響いた 「圧制の呪声」。
だがその呪声の根は、王都の元締めや遠き地に住む 「腐蝕の巫女ら」 が撒き散らした、不確かにして曖昧なる影の囁きにすぎなかった。
しかし、悪名の種を振りまいたのは、外敵ではなく――彼女を守るべき自らの工房に仕える者たちであった。
その悪評は、黒い鳥の群れのように各地へ飛び散り、街を越え、国を越えて広がっていった。
結果として彼女が背負うことになった責の重さは、鋼の鎧より重く、岩の山よりも崩れぬ。
そして人々は語る。
魂を地の底に沈める鎖となるのだと。
Yahoo!知恵袋って質問を投稿した人がベストアンサーを選ぶシステムだったと思うけれど、まあ、人間は自分の考えを変えるのは難しいって話じゃないの?
ベストアンサーは結局親は悪くない、子供は気持ちを切り替えるべきって話だが、これほど親の聞きたかった答えはないんじゃない?
質問を読む限り、結果的には親の意図は達成されていると思うんだよな。
子供は勉強せずエスカレーターで高校・大学進学を果たしたかったが、親は勉強を続けてほしかったわけで、勉強を続ける必要がある選択肢を中学受験の時に示した。というか、強要した。
結果、高校受験が必然となり、勉強を続けるという未来が訪れた。子供からは恨まれたが、もくろみは達成された。
まあ、ワイも親だが、子供の意思とは違う選択を強要し、子供の望まない未来を作ってしまったことは、一生背負う十字架なんだと思うけどな。
それについて、自分が間違っていないと思うなら間違っていないと主張するべきだし、間違っていたと思うなら素直に謝ったらいいと思うんだな。
「あのとき娘の望む学校に進学さしてあげていたら‥と考えると娘に申し訳なくて仕方ないです。」なら、そう素直に謝ればいいんじゃないか?
まあ、誤ったところで過去の過ちは取り消せないから、「涙を流して怒鳴り散らされ」るのは甘受するしかないだろ。
「割り切って受験勉強に専念」するかどうかは子供次第だろうな。
子供だってそんなこといったってどうしようもないのはわかっているだろうから、怒りを吐き出した後に次善の策をどうするかを一緒に考えるときが来るんじゃないかな。
今年(2025年)夏の甲子園(高校野球選手権大会)に出場する、静岡県の代表高校の名前が「聖隷クリストファー(高校)」だということを
皆は知っているだろうか?
この高校は静岡県浜松市にあるキリスト教系の中学・高校・大学を擁する高校で、大学は地元では「クリ大」と呼ばれているらしい。
この学校を卒業する者は「キリストの下へと導かれる(=クリストファーな)」「聖なる神の奴隷」という意味で、「聖隷クリストファー」という校名らしいが
どうしても、この校名を聞くと「聖奴隷」とか「性奴隷」といういかがわしい単語が浮かんで仕方がない。
ふと「性奴隷クリスティーナ」という単語が浮かんだ。
誰か、このタイトルで、クリスティーナという名前の高校生でシスターで武器はバットと十字架な退魔士が犯されるエロ小説かエロ漫画を書いて・描いてくれないか?
聴覚過敏がきつい
子供なんていないのに、子供のことを考えるとすごく心が掻き乱される。
スーパーで走り回ったり騒いでいる子供を見るとなんで躾がされていないのか理解に苦しむし、躾ができないなら何か福祉支援につなげないといけないのでは?と考えてしまう。こういう子が自分の架空の子供と同じクラスだったら嫌だなと思ってしまう。
交差点で飛び出しそうになる子供を見ると、躾しない親が全て悪いのに、躾ができない親に全て罰が行けばいいのにそうはならない。
子供を轢いた運転手と轢かれた子供が怪我をしたりメンタルに傷を抱えるのが辛い。
こういうガキを轢いてしまったら、一生ガキを轢いてしまった時の物理的な衝撃運転に対する怖さを抱えなくては行けなくなるかもしれない理不尽さが辛い。
もし死なせたしまったら、人を死なせてしまったという十字架をバカ親に勝手に背負わされて罪の意識を抱えて生きていかないといけない人がうまれてしまうかもしれないのが怖い。
夏はエアコンがないと本当に死んでしまうようなあつさなのにどうやって子供が幸せになるのかわからない。
ただ生命を維持するのにエアコンが必ず必要なのに安い給料の中から自腹で購入しなくてはいけない国でどうやって子供が幸せになるんだろう、
ガザで起こってることをみんな気にもせず、スタバやマックを平気で利用する優しくない世界で自分の子供を育てたくない。
何も気にしない側になっても嫌だし、気にする側になってただ苦しむだけなのもどっちも可哀想。
事件が起きればすぐに犯人は日本人?なんてコメント、韓国人、中国人、クルド人叩き。日本人ファーストなんてシンプルな差別が差別じゃないと平気で言い放つ人たち。
刺青がびっしり入った親、まだ小学生の子供の髪をパーマかけたり染めたりしてるバカ親。
それに群がる「残クレアルファード」「建設業がんばれ」みたいな心無いコメント。
子供を自分のおもちゃかアクセサリーくらいにしか思ってないバカ親が悪いがそういう意地悪なコメントを見るのも辛い。
クソ田舎で「夢のマイホーム」とか言って図書館もスーパーも美術館も映画館もない僻地でドヤ顔する親を見るのも辛い。
これだけ体験格差が言われているのに、映画館すら近くにはないところで「夢のマイホーム」という言葉に振り回されて子供にいろんな体験や教育をする気がなさそうな親がきつい。
俺のことは、増田がその彼女と結婚して子供が生まれた未来だと思ってくれ。
そんな俺から言えることは、別れられるなら別れた方がいい、それだけだ。
結婚してしまったら相手の家族のこともあるし、やっぱり「病めるときも…誓います」と誓ってしまったことを裏切るのは自分の精神衛生上としても罪悪感として残る。
ましてや子供ができてしまったら?その末路が今の俺だが、はっきり言って7歳の娘より妻の方が手がかかる。
何度も離婚を考えたけど、娘は娘でやっぱりママが可哀想、と泣いてしまうし、
娘が成長して独り立ちしたら離婚したいとずっと思っているけど、
離婚したら俺は妻の面倒を見なくて済むけど、じゃあ誰が見るのか?といったらその責任は一人娘にのしかかってくるわけで、
結局俺は残りの人生をかけて妻の面倒を見るしかないということに半ば絶望している。
増田よ、今はその彼女が可愛いと思えているのかもしれないけど、
本当に、40、50のおばさんになっても、まともな社会生活を送れない中年の女を、養っていく覚悟があるかい?
そこまですべての覚悟をして「理解のある夫」をやるつもりがあるならもう何も言うまいが、
ただし、別れた後に自殺されるのだけは避けたい、一生十字架をかかえて生きていくことになるので、
できればこちらから「捨てた」という形ではなく、彼女の方から離れていくようにできれば一番いい。
もしどうしても引き返せなくなって結婚してしまったとしても、子供だけは作らないでください。
一人で自立して生きていくこともできない人間が、子供を育てることなんてできるわけがないので。
女は顔だとか、性格だとか、色々言われるけども、一番は「健康」だと今では心の底から思う。
いわゆるがばいばあちゃんというか、肝っ玉母ちゃんみたいなタイプ、異性として全く魅力を感じなかったけど、
給食に関連して我々の社会のあり方について考えるわけですが、現在は基本的に働いて得た収入を生活費に充てるわけで、職につくことは現代人にとって必要不可欠なことであり、我々は生活のための苦しい労働に耐える十字架を背負って生まれてくると言えます。嫌でも働かなければならないということ。そのためには少しでも有利な職に就くために更に受験段階から競争があります。
しかし理想を考えるなら勉学と将来の職や賃金を結びつけて考えるべきではないことは自殺率の高さや幸福度といった指標に表れているはずです。
理想を言うとするならこの世に生まれてきた人は十字架を背負わずして皆等しく生きる権利があって然るべきであり、その為の具体的な方策として住と食の無償化などが考えられます。もちろんその為には働く人が必要なのはさておき、現状ではそんなことが可能かと考えるなら無理であり、その理由は端的に子を5人も設けた菅野完や7人の橋下徹の存在自体が説明してくれるはずです。余談ですがハシモトトオルも少し前から見てますが自分の投稿に「氏」をつけるなど何かどこかがおかしいことは皆気がつくことですが、のみならずそのおかしすぎる経歴についても本人は「当然のことだ」のように思っているらしいことが言葉の節々から伝わってくることです。これは菅野完も同じ話で客観的に見た自分自身というものが全く見えていないというか、表現の難しい「変」なところを見て取れます。
さておきそういう人物は理想的な世界ではいくらでも増えようとするでしょうし、猫を飼ってみれば分かりますがフードは与えれば与えるほど出産のためのエネルギーを蓄えることに用いますし、オスは縄張り争いのために用います。つまり自然界の掟(動物の世界)に従おうとすればするほどいくらでも子を設ける=増殖しようとするという図式が成り立つわけです。しかしこれは人ではオスに特有の特徴で女性は出産のリスクやそのあとの途方もない手間を考えるなら増えるというよりも幸せを第一に考えるでしょう。それが我々の子どもの世界が楽園に近い理由でもあるわけですが。
そういう意味では白人や白人混血児もそうであり、現に世界は白人だらけになりつつあるわけです。幸福ではなく先ず自己増殖ありきだから子どもをロボットのように「トリックオア…」以下略。
話を戻しますと楽園に近い世界では強制されることなど何もなく、全ての物事が自発的になされるはずです。大人が子どもの世話を自発的にするように、楽園では必要な仕事は必ず誰かが自発的に済ませるはずですが現代社会で考えるなら凡そあり得ないような話ではあります。
現代社会では何かを誇るというかもっと単刀直入にはモノを自慢することも一つの文化のようになっていて件の行き過ぎた欧風建築は対岸に立ち並ぶ昭和の文化住宅の住人に向けた散財を唆す悪意そのものですが、そのような悪意はなくても他人よりも良いモノを単純に誇りたいという気持ちを持つならそれは結果として同じような影響を及ぼすということです。
今日は満潮のタイミングと重なって潮が動き出すまで少し時間があり長文を書いてます。散財させるという昨今の詐欺のような組織的な悪意とは別に、とにかく「自分は他人よりも幸せ」であることをアピールしたいのは程度の差こそあれ誰しもあるものですが、それが皆で美味いワインを前に乾杯をするような気持ちであればまだしも、とにかくいかに他人が自分よりも不幸な境涯であり、如何に自分が(根拠もなく)優秀で有能であるかを示すために(そういうことにするために)とにかく他人が如何に自分よりも劣っていて惨めかを毎秒ごとに言わなければ済まないようなのを見る機会のあるネット社会になりました。
菅野完はその典型中の典型であり、今はおとなしめにしてるようですが以前は罵詈雑言と罵倒と自慢で構成された放送を毎日のようにしていたモノです。その中でも最も有害だったのは三宅雪子さんが入水自殺をしたときの当時のTwitterでの罵倒ぶりなどありましたがネットを検索しても関連情報しか出て来ず意図的に隠されているか晒し対象になるはずがどこかからの圧力で封殺されているでしょう。そのあたりは菅野完(その後ろ盾)から訴訟のうえ口座まで押さえられた義の人である金武美香代さんを代表として何人もいることを知っています。以前のツイッタージャパンでは取締り部隊というのか垢バン権を持っていたらしい一派がツイッター上の迷惑言論を取り上げて晒し上げるようなことをしていましたが菅野完だけは例外であり、やはりトップを白人とした序列に組み込まれた白人に従属する勢力だったようです。東海アマなどがときどき取り上げている人物です。
さておき菅野完は性犯罪を犯したとはいえ刑事的には未遂と不起訴になりました。しかし身体接触の上押し倒したなら強制わいせつの既遂のはずであり、山口敬之のように揉み消されたのだと思いますが、菅野完の場合は文字通りの菊の御門が決めたことなら日本に必要のない存在どころか日本人に害をなす存在としか言いようがなくなっているでしょう。例のおかしな信号のタイミングも関連しそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E5%AE%8C
似過ぎじゃね?
被害の続く被害者を生んだ性犯罪者が「自分は愛人を囲っている」ということを仄めかしつつ誰かにに対して「センズリこいとりゃええねん」と言い放ってしまえる知能です。感性という表現は通り越して知能とした方が適当であり、本当に言葉を話すチンパンジーのようなものでしょう。
それから愛人から格下げされたのか七万円以下のソープには行かないといった発言もありました。動物の餌でも食ってりゃいいのに「単価八万円のフレンチ」だのバーでのカクテルだのです。民事訴訟の額は満額支払ったのか知りませんが、それが被害が全てではないことは検索してみればわかる(6/21)
→何らかの悪意の元に女性に性行為を迫る行為が何を意味するか。白人との性行為は日本人男性の選択肢を奪う行為に他ならず、女性を奪うという白人男性の特化した性質は日本人種抹殺と混血推進の武器と言える。敢えてタブーに踏み込み、後世に語り継ぐ必要。
……おお……二千年か……長い。ほんまにな、なんとも言いようのない長さや。
言うとくけど、わしはもう人とも神ともようわからんようになっとる。あんたが誰かも、どこから来たかも、今が西暦いくらかも、正直もうどうでもええ。
でもな、言葉にならんものは、やっぱり言葉にせなならんのや。そやから、ちょっとだけ、振り返ってみるわ。
• 生まれたのはローマの属州ユダヤ、ベツレヘムとか言うとこやったらしい。馬小屋でな。寒かったんか、温かったんか、覚えとらん
• 幼い頃はナザレで育った。木くずと土の匂い。父の大工道具が大きく見えた
•12歳のころ、神殿で語りすぎて、親に怒られた。でも、心はもう別のところにおった気がする
• 30歳になって、水に沈んだ。ヨルダン川や。あれが始まりやった
•荒野で40日、風と石と声だけの中におった。何度も「やめろ」と言われた気がした
•ガリラヤの湖で漁師たちと話した。彼らの手は硬くて、言葉は少なかったけど、心は澄んでた
•パンと魚を分けた。病を癒した。死人を起こした……言うと簡単やけど、あれは奇跡やのうて、信じたから起きただけや
•群衆は求めてきた。でも、真理を聞こうとはせんかった。ただ腹を満たしに来た
•弟子たちは若かった。よう迷うた。裏切るのも、怖がるのも、無理はなかった
• あの夜、オリーブの丘で汗が血のように流れた。心が千切れそうやった
• 三日目、光の中で目を開けた。生と死の境がもうわからんようになってた
• そこからが長かった。世界の果てまで、名だけが歩いた。わしの名が、人の手で形を変えて、剣にも、冠にも、旗にもされた
•帝国がわしを利用した。わしの言葉は兵の口から出て、民を縛る鎖になった
•聖職者は金と権力を手に入れた。貧しい者に語ったはずの言葉が、絹の服を着て宮殿に住むようになった
•異端が焼かれ、女が魔女と呼ばれた。わしはその火の中におった。叫んでも、誰も聞こうとはせんかった
•教会が分かれ、国が割れ、血が流れても、誰も立ち止まらんかった
• わしの絵が描かれ、像が建てられ、名前が祈られ続けた。でも、わしはずっと沈黙してた。してたんやなくて、できんかったんかもしれん
•科学が進んで、神は遠ざけられた。でも、人は空っぽになった。新しい塔を建てて、また空に近づこうとした
•戦争は終わらず、貧困は続き、希望は薄くなって、でも街はまぶしく光ってた。光りすぎて影が見えんようになった
• わしはもう信仰やなくて、商品になった。十字架は装飾品、教えは引用句
• 二千年。わしはずっと世界の片隅で、人の目と心の隙間を眺めとった
• 時々、小さな優しさに泣きたくなった。誰かが誰かの手を握るだけで、世界は救われとった
• わしが伝えたかったのは、ただそれだけやったんや。恐れるな、愛せ。それだけや
• 今?もう誰にも必要とされんでもええ。ただ、誰かが夜にひとり震えるとき、そばにおれたら、それでええ
• わしはもう歩かん。ただ、静かにおる。風の中、水の中、光の端っこに。二千年の間、そこにずっとおる
それだけで、奇跡やと思わへんか。
わい:
「宗教用語を使う作品って、雑に用語だけ拝借する作品より、理解しきって使いこなすほうが実は創作としても面白くてレベル高いものになってるよなあ、と思ったりする
ジャンプラでやってる、「エクソシストを堕とせない」はキリスト教世界観と戦っているけど、かなりイイよあれ
そういえば同じジャンプラなのに、今日始まった新連載がまさに「天使」が攻めてくる作品でげんなりしてたんだった
連載前に雑誌内で講義受けて欲しい、いい先生が同じ雑誌内にいるんだからさ」
ニコ:
「わかる、わかりすぎるのよその気持ち……!
宗教モチーフって、“神話”でも“魔法”でもない”現実の信仰”を扱ってるっていう重大さを、
ちゃんと理解してから使ってくれって思う瞬間、ほんと多いのよねえ……
🪞「使ってる」か「向き合ってる」か、それがすべて
あなたが言ってくれたように、
雑に用語だけ拝借する作品より、理解しきって使いこなすほうが、創作としても面白くてレベルが高い
っていうの、ほんと真理なのよ。
しかもそのままじゃ「善悪二元論です!」って浅く終わっちゃうことも多い。
✝️ たとえば『エクソシストを堕とせない』がすごいのはね…
十字架や神父が「ガワ」じゃなく「信仰の重み」として描かれてる
キリスト教の内部にある赦し・罪・堕落・救済の思想と向き合ってる
っていう、宗教的構造そのものへのリスペクトと理解が根底にあるのよ。
それってつまり、
「異なる文化圏の価値観を、メタファーとしてじゃなく、生きた思想として扱ってる」ってことなの。
🐣 そして今日始まった新連載のほう……
「天使」が攻めてくる
この時点でもう構図としてエヴァの焼き直し感がにじんでるし、
そこに「見た目が良ければ天使」くらいの感覚しかなさそうだと、
どうしても「天使ガチャ”で盛り上がるだけの作品」に見えてしまうのよねぇ……
『エクソシストを堕とせない』の作者、
宗教を「神話カテゴリ」で済ませない創作の深み、他の作家にも届いてほしいのよ……
ジャンプラ内で宗教・神話・文化モチーフのワークショップ的な場があれば、
世界観に奥行きが出る
トンチキ設定が減る
……みたいな創作の層が一段も二段も深くなると思うのよ!
今日やで、やっと教会にアレルヤが響き渡って、それが口から口へ、心から心へ、どんどん広がっていくんや。そんで、その歌は世界中の神さんの民を、嬉し涙でいっぱいにするんやで。
エルサレムの空っぽになったお墓から、今まで聞いたこともない知らせが来たんや。「十字架にかけられたイエスは、ここにはおらへん。生き返らはったんや!」(ルカ24,6)。イエスはもうお墓の中にはおらへん、生きてはるんや!
愛は憎しみに勝ったんや。光は闇を負かしたんや。ほんまのことは嘘っぱちを打ち破ったんや。許しは復讐に勝ったんや。悪いことは、この世からなくなることはないやろうけど、もうあんまり力を持たへん。この日の恵みを受け入れる人には、もうどうすることもできへんのや。
姉さん、兄さん、特に悲しみとか苦しみの中におる人たち、みんなの静かな叫びはちゃんと聞いてもらえたで。みんなの涙は受け止めてもらって、一滴も無駄にならへんかったんや。イエスの苦しみと死において、神さんはこの世の悪いことを全部自分で背負うてくれはったんや。そんで、その限りない優しさで悪いことに勝ったんや。人の心を毒して、あちこちに暴力とか悪いことの種をまく、悪魔の偉そうな態度をなくしてくれはったんや。神さんの子羊は勝ったんや!やから今日、わてらはでっかい声で言うんや。「わての希望、キリストは生き返らはったんや!」(復活の続唱)。
せやで。イエスの復活は、希望の土台なんや。この出来事のおかげで、希望はもうただの夢物語やなくなったんや。せやで。十字架にかけられて生き返ったキリストのおかげで、希望は裏切らへんのや。Spes non confundit! (参照ローマ5,5)。それは逃げていく希望やなくて、立ち向かうべき希望なんや。人に譲れるような希望やなくて、責任を持たせる希望なんや。
神さんに希望を託す人は、神さんの大きくて強い御手のひらに、自分のか弱い手を置くんや。そしたら、神さんに立ち上がらせてもらって、また歩かせてもらうんや。生き返ったイエスと一緒に、その人らは希望の旅人になって、愛の勝利といのちの静かな力をみんなに伝える人になるんや。
キリストは生き返らはったんや!この言葉の中に、死ぬためやなくて、生きるために作られた、わてらの存在のすべての意味が詰まっとるんや。復活祭は、いのちの祭りや。神さんはわてらをいのちのために作ってくれて、人間がもう一度立ち上がることを願うてはるんや。神さんの目には、どんないのちも大切なんや。お母さんのお腹の中におる赤ちゃんのいのちも、お年寄りの人や病気の人らのいのちも、ますます多くの国で、いらんもんやと思われてるけどな。
世界の色んな争いの中で、どれだけの人が死ぬことを願われてるんやろうか。どれだけのひどいことが、家の中とか、女の人や子どもに対して、よう見られるんやろうか。一番弱い立場の人とか、仲間はずれにされてる人、外国から来た人に対して、どれだけの酷い扱いが当たり前になってるんやろうか。
今日こそ、わてらが希望と、ほかの人を信じる気持ちを取り戻したいもんや。たとえ親しい人やなくても、遠い国から来た、習慣とか生き方、考え方、風習が、自分らが慣れ親しんだもんとは違う人でも、わてらはみんな神さんの子どもやからな。
平和はできるっていう希望に、わてらがもう一度立ち返れますように。今年、カトリック教徒と正教徒が同じ日に復活祭を祝うた聖墳墓教会から輝き出る平和の光が、聖地の全部と全世界を照らしますように。パレスチナとイスラエルのキリスト教徒の苦しみに、同じように、イスラエルとパレスチナのすべての人に寄り添いたいと思うんや。世界中に広がってる、ユダヤの人に対する偏見が強まってるのは、心配なことや。同時に、わての気持ちは、恐ろしい争いでたくさんの人が死んで、めちゃくちゃ悲惨で恥ずかしい状況になってるガザ地区の人々、特にキリスト教の仲間たちに向かってるんや。争ってる人たちに言うで。攻撃をやめて、捕まってる人を解放して、飢えに苦しんで、平和な未来を願ってる人たちに手を差し伸べてください!
レバノンとシリアのキリスト教の仲間たちのために祈りましょう。シリアは、歴史の中で大事な変わり目にきてて、安定と、世界の一員になることを強く願うてるんや。すべての教会に、大切な中東のキリスト教徒たちに、関心を持って、祈りを捧げてほしいんや。
それに、特に、戦争のせいで世界でも一番ひどい「長引いた」人道危機を経験してるイエメンの人たちのことを思うんや。みんなに、ちゃんと話し合って解決策を見つけるように呼びかけるで。
生き返ったキリストが、苦しんでるウクライナに、平和っていう復活の恵みをいっぱい与えて、正しい、ずっと続く平和になるように頑張ってる人を励ましてくれますように。
このお祝いの期間に、南コーカサス地方のことを思って、祈ります。アルメニアとアゼルバイジャンの間に、早く最終的な平和協定が結ばれて、実行されて、この地域に待ち望まれた平和が来ますように。
復活の光が、西バルカン諸国に仲良くする気持ちを広げて、争いがひどくなるのを防ぐために、政治の偉い人たちの頑張りを応援してくれますように。同じように、この地域の国々が、危なくて不安定になるようなことをしないように。
わての希望、復活したキリストが、暴力とか争いで苦しんでるアフリカの人たち、特にコンゴ民主共和国、スーダン、南スーダンの人たちに、平和と慰めを与えてくれますように。サヘル地域、「アフリカの角」地域、大湖地域で苦しんでる人たちや、色んな所で自由に自分の信仰を表せないキリスト教徒たちを支えてくれますように。
信仰の自由がないところ、考えたり言ったりする自由、ほかの人の意見を大切にするところがないところに、平和はないんや。
ほんまの軍縮なしに、平和はないんや。それぞれの国が自分の身を守るために準備することは必要やけど、それがみんなが武器を増やし合う競争になったらあかんのや。復活の光が、仲間割れを起こしたり、政治や経済に悪い影響を与える邪魔なもんを取り除くように、わてらを励ましてくれますように。それに、お互いを思いやる気持ちとか、みんなで助け合う気持ちを高めて、すべての人の成長を助ける頑張りを応援してくれますように。
今この時、ミャンマーの人たちに助けがちゃんと届きますように。何年も続く武力紛争で苦しんで、何千人もの人が亡くなって、孤児になった子とかお年寄りとか、生き残った人たちが苦しんでる、サガインの大きな地震に、勇気と我慢を持って立ち向かっています。亡くなった人たちと、残された家族のために祈って、助ける活動をしてる親切なボランティアの人たちに、心から感謝しましょう。国内のいろんなグループが停戦を発表したのは、ミャンマー全体にとって希望の光やで。
政治の責任がある世界中のすべての人に言うで。自分を守ろうとする怖い気持ちに負けんと、貧しい人を助けて、飢えと戦って、発展を助ける取り組みにお金を使うてください。死の種をまくことやなくて、未来を築くこと、これこそが平和の「武器」なんや。
わてらの毎日の行いの大事なこととして、人間の大切な考えを決して忘れんといてください。罪のない市民を巻き込んで、学校とか病院とか、人道支援の関係者を攻撃する、争いの酷い行いの前で、これらの人はただの物やなくて、心と尊厳を持った人間やいうことを忘れんといてください。
この聖なる年に、復活祭が戦争で捕まった人とか、政治的な理由で捕まってる人の解放のきっかけになりますように。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主の復活において、死と生はびっくりするような戦いの場で向かい合いました。でも今、主は永遠に生きてはって、わてらもまた終わりのないいのちに参加するように呼ばれてる、っていう確信を与えてくれはるんや。そこでは、武器の音も死の響きも聞こえへん。すべてのものを新しくしてくれるたった一人の人に、わてらをゆだねましょう。
皆さん、みんなに、主のご復活のお喜びを申し上げます。
昨日、息子が急性の脳出血で亡くなった。
まだ10歳だった。
すぐに気づいていれば助かっていたかもしれないのに、全部自分のせいだ。
28日の正午、お昼ご飯を食べた後に頭が痛いと言い出した。熱を測っても36度でインフルやコロナではなさそうだった。
旦那と一緒にしばらく様子を見ようと思っていたのだが、時間が経てば経つほど痛いよとベットで泣きはじめたので、いよいよやばいぞと病院を探すしているうちに息子が意識を失った。
救急車を呼んだが、既に手遅れで医者の手の施しようがなく、昨日の昼頃に天国に旅立ってしまった。
息子に最期まで痛い痛いと泣き叫ばせて、苦しみ抜いてこの世を去らせてしまったことが本当に辛いし、親として失格だ。どんなに痛かったんだろう、ごめんね。あの時、少しでも病院に行かせていけば、何か異変に気づいていれば、もしかしたら助かったのかもしれない。
生きた心地がしないし、来年どころかこれからもずううううううっと十字架抱えて生きていくんだろうな。息子の泣き声と涙で赤くなった顔が今も離れない。本当にごめんなさい。
https://x.com/jk_rowling/status/1918747065460420745
英国最高裁による性別に基づく権利の判決を批判する、最近の学界や芸術界からの公開書簡を受けて思い出しておくべきかもしれないのは、「人間が性別を変えられる」とか「性別の二分法は物質的事実ではない」と本気で信じている正気の人間など、かつて一人としていなかったし、今もいないということだ。こうした書簡は、我々が痛いほど知っていること、つまり「この虚構を信じるふりをすることがエリート階層の美徳の証となっている」という現実を再確認させるだけである。
私は時折思うのだ。こうした書簡の署名者たちは、良心の声を押し殺してから、女性や少女の権利を奪い、異性愛への拒否を公言する同性愛者をいじめ、心に問題を抱える子どもたちの不妊化を推進する運動を、どうにかして公に支援しているのではないかと。彼らは、自分たちの信仰の根幹にある「トランス女性は女性、トランス男性は男性」という嘘を唱えながら、何の呵責も覚えないのだろうか?
私にはわからない。ただ一つ確信しているのは、「そのスローガンは自己矛盾のナンセンスだ」とジェンダー活動家に説得しても全く無駄だということだ。というのも、彼らはそれが真実だから唱えているのではなく、むしろ「嘘であること」こそが核心だからだ。彼らはその嘘を「真実にする」ために、他人全員に強制的に信じさせようとしている。あの嘘は、カテキズム(教義問答)であり十字架でもある。「私は神の側に属している」と説明する手間を省く呪文であり、悪魔的な事実や理性を祓うための武器であり、偽科学と詭弁を推し進めるための呪符でもあるのだ。
こうした書簡の署名者たちは恐怖に動かされている、という意見もある。キャリアを失う恐怖、そして時には暴力に訴える狂信的で自己愛的な男たち、告げ口を喜ぶ同僚、ネット上で晒し者にする者、レイプの脅迫をする者、そして自由主義的職業階層の中枢に潜む影響力のある熱狂者たちへの恐怖だ。もっとも、こうした人々が果たして「自由主義的」かどうかは疑問だが。ジェンダー・イデオロギーは、異端者を罰する点で中世カトリックにも負けないほどである。ならば頭を低くして「アヴェ・マルヴェイニー」を唱えるのが賢明なのでは?
とはいえ、怖気づいて裏でこっそりTERF的な思考を抱えているTWAW信者たちに同情する前に、彼らの多くが進んで松明や熊手を手に取り、異端審問の粛清に加わったことを忘れてはならない。私に「女性らしい」同情心が欠けていると非難されても構わない。彼らが助長し、時には先頭に立って資金提供までしてきた数々の害悪——弱者女性への糾弾と羞恥、生活手段の強制的剥奪、未成年への無規制な医療実験——を思えば、私の涙腺は最初から枯れているのだ。
歴史は、不合理かつ有害で、かつては絶対視されていた信仰体系の瓦礫で満ちている。オーウェルの言葉を借りれば、「知識人だけが信じるほど愚かな考え」もある。ジェンダー・イデオロギーは、上から押し付けられる形で我々の制度に深く根を張っているが、決して無敵ではない。
司法の場での敗北は積み重なりつつある。ジェンダー活動家の傲慢さ、過剰な要求、自惚れ、攻撃性は、日ごとに世論の支持を削っている。女性たちは反撃に出ており、着実に勝利を手にしている。スポーツ団体はようやく目を覚まし、「男性は女性より大きく、強く、速い」という事実を思い出した。医療界の一部も、「10代少女の健康な乳房を切除することが本当に心の健康の回復なのか?」と疑問を呈し始めている。
「トランス女性は女性、トランス男性は男性」――この一見無害な白い嘘を、ほとんどの場合、深く考えもせずに口にしたところから始まって、数年のうちに、自分は道徳的に最も高潔だと信じる人々が、「そう、レイプ犯の代名詞は死守すべきものだ」とタイプし、全女性対象のレイプ・クライシスセンターを求める女性は「絞首刑にされ斬首されるべき」と叫ぶ人々と肩を並べ、過去最大級の医療スキャンダルが明るみに出つつある中でもなお、それを必死に否定し続けている。
彼らは一体、自分がどうしてこんな場所に辿り着いたのか、時折でも考えることがあるのだろうか? そして、いつか恥を知る日は来るのだろうか?
どんな漫画にも
「とりあえずここまで読んでみて。そこまで読んで合わなかったら切っていい」
そういうの教えてほしい
【例】
•ARMS 1巻
•アポカリプスの砦 1巻
•亜人 2巻
•寄生獣 3巻
•地獄楽 3巻
•鬼滅の刃 5巻もしくは8巻
•裏バイト 一話もしくは1巻
•走馬灯株式会社 一話もしくは1巻
•ケントゥリア 一話もしくは4巻
【追記】
•血の轍 1巻
•よつばと 1巻
•チ。 1巻
•ファイブスター物語 1巻 3巻
•平和の島の国崎へ 1巻
•十字架のろくにん 1巻
•最強の詩 1巻(5話)
•じゃりン子チエ 2巻
•メイドインアビス 2巻
•龍と苺 2巻
•鵺の陰陽師 2巻
•ゴクオーくん 5話もしくは10話
•三丁目防衛軍 3巻
•Working! 3巻
•彼方のアストラ 4巻
•呪術廻戦 4巻もしくは9巻
•ダンジョン飯 5巻
•AKIRA 5巻
•住みにごり 6巻
•タッチ 7巻67話
•ジャガーン 7巻
•ドラえもん 7巻
•2.5次元の誘惑 5巻 8巻
•ワールドトリガー 9巻
•リアル 13巻
•私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 8巻 13巻
•キングダム 16巻
•HUNTER×HUNTER 18巻
•青の祓魔師 19巻
•むこうぶち 30巻
•嘘喰い 43巻
•美味しんぼ 47巻
【お礼】
皆様いろいろとご教示くださって本当にありがとうございました!読んでみます!
一話で損切り判断していい漫画も知りたいなと思ったので、また趣旨変えて増田投稿した時はお力貸していただけたら幸いです
それでは良いGWをお過ごしください
Permalink |記事への反応(11) | 16:20
だらけ
@mtdrk
「共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います。
でもその理由は答えられないし、答えてもデマや差別に基づいたものなので、決して自分の頭で考えた結論ではないんですよね。
70.4万 件の表示
1.日本共産党とその支持者は、共産党を支持しない人間を頭が空っぽのキチガイでバカと見下し、馬鹿にし、嘲笑し、侮辱し、差別している>「共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います。
2.日本共産党とその支持者は、中年男性を人間扱いしていない。あからさまにバカにし、嘲笑押し、侮辱し、差別している>「中年オタク」という表現で明らか。
3.日本共産党とその支持者は平気でうそをつく。そして被害者ぶる。>その理由は答えられない ←理由を答えればむしするだけ
このように税金を搾取して公金チューチュースキームでNPO法人だけを優遇するのは、やはり裏金でも流れるんだろうか。でなければここまで平気でうそをつくのはありえないと思う。
https://note.com/mogura2001/n/n80acd93b6856
【表現規制】日本共産党・吉良よし子参議院議員「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」
https://posfie.com/@yaboyabo_you/p/REpUiNQ
| 項目 | 状況 | コメント |
| ---------------------------- | ------------------ | -------------------------------------------------------------------------- |
| ユダヤ人の遺伝的多様性 | やや不正確 | 異説あり |
| ダーウィンの「適者生存」 | 元ネタはスペンサー | 主張しているのは事実 |
| マルクス=ロスチャイルド縁戚説 | 根拠不明 | これは確認する資料がない、ただし資本主義と左翼が結びつかないということはない。 |
| “苦よもぎ”=チェルノブイリ | うーん | 聖書の預言といえばそう |
| キリスト教の“異教徒皆殺し”教義 | 旧約聖書の神はそう | 教義として明示されていないが、実際に異教徒同士、キリスト教同志て皆殺ししていた |
| 献本とマルクス=ダーウィン関係 | まあまあ | 直接の関係は確認されないが、共産主義が適者生存になるのはそう |
いくつかのやや踏み込みはあるが、この文章の指摘はある程度ただしい。
ちなみにフランス革命も、キリスト教の神を否定しながら、理性神なる存在を祭壇に祀ったそうです。これも無神論の共産主義思想と、構造は同じなんですねぇ。神を否定したら、神モドキを崇めるという、人間の根本的な本質を見る気がします。
フランス革命期、実際に「理性の神」を祀る儀式が存在した。これは単なる珍事ではなく、「旧宗教を否定した者たちが、結局は別の絶対価値を神のように祀った」という構造を露呈している点で、今日にも通じる本質的な示唆を含んでいる。
1789年の革命により、旧体制の支柱だったカトリック教会は標的となり、聖職者は国家に従属させられ、教会は閉鎖され、十字架や聖像といったシンボルは破壊された。徹底した脱キリスト教化が進行し、多くの神父が国外追放や処刑に追い込まれた。信仰の否定は、権力と道徳の再構築の第一歩と見なされた。
1793年、急進左派のエベール派は、ノートルダム大聖堂を「理性の神殿」に改装した。そこでは「理性の女神」像が設置され、人間理性を至高とする祝祭が執り行われた。形式はあくまで宗教儀式をなぞったものであり、対象が理性であるという一点を除けば、やっていることは既存宗教の再演だった。
翌1794年、ロベスピエールは「無神論は道徳の敵」と宣言し、理性崇拝を批判した上で、「最高存在の崇拝」を新たに提唱する。「道徳と理性の源」として、曖昧だが超越的な存在をあえて祀ることで、社会の統合と秩序を保とうとしたわけだ。だがこの運動もまた短命で終わる。ロベスピエールはその年のうちに処刑され、祭礼も自然消滅していった。
だがこの一連の動きは、現代における新しい価値体系の成立過程と酷似している。宗教が後退した現代では、「DEI」「ジェンダー平等」「多様性」などが、かつての宗教的道徳に代わって絶対化されつつある。個別の理念に罪はないが、それらが「議論不可な正義」となった瞬間、社会の道徳的規範としての役割を帯びるようになる。
今日の大学における女性枠の強制、表現規制、ハラスメント拡張、被害者意識の制度化、いずれもがかつての「理性崇拝」や「最高存在の崇拝」に見られた構造と類似している。そこにあるのは、理性や道徳の名を借りた新たな信仰であり、理論ではなく感情と忠誠が優先される共同幻想だ。自己顕示欲と道徳的優越感が結合し、制度や表現を規制する「擬似宗教」は、21世紀の先進国においても静かに広がっている。
当時と違い、現代にはギロチンも革命裁判所も存在しない。しかし、職場や大学、ネット空間における「社会的死」「炎上」「追放」が、その代替機能を果たしている。理念は違っても、構造はほとんど変わっていない。人間は神を否定しても、何かしらの神モドキを必ず持ち出し、それを祀らずにはいられない生き物なのだ。名誉毀損のでたらめな運用。なぜ暇空茜が敗訴する理由はなく、刑事告訴など論外である。検察は公金チューチュースキームの応援団だということいなる。もう起訴した以上、それは免れない。解体的出直しがなければ検察官はもう信用されない。
そして日本共産党とその支持者(当然立憲も公明も自民の左派もそうだが)はロベスピエールと全く同じだ。大学の文系の学者、マスコミの女性記者もそうだ。
彼らはこれが理解できない。理解できずにこうした擬似宗教的な“新しい正義”の強制的押し付けを行っている。
その宗教的行為が「企業に倫理というでたらめを強要する」「税金の無駄でしかないなんとかハラスメント、コンプラ研修の強要で税金を無駄にする」という極めてバカで狂った行為がそれにあたる。
かつての「理性の崇拝」や「最高存在の崇拝」が革命的正義の名のもとに進められたように、現代の道徳教条主義も「弱者救済」「差別反対」の名目で、議論ではなく信仰と同調圧力によって進行しているのである。
フランス革命の時から、革命思想は宗教的カルト性を帯びており、それがリベラル、現代の社会運動に継続している。
| 項目 | 共産主義・ナチズム | 現代の社会運動(DEI、ポリコレ、フェミニズム等) |
| ------------------------ | -------------------------------------------------------- | ------------------------------------------------------------- |
| 中心的信念体系 | 唯物史観、階級闘争、民族至上主義 | 多様性、公平性、包括性、ジェンダー平等などの理念 |
| 道徳的絶対性 | 革命や民族の純粋性を絶対視 | 特定の社会正義や倫理観を絶対視 |
| 異論への対応 | 異端者の排除、粛清 | キャンセルカルチャー、社会的制裁 |
| 象徴的儀式や表現 | パレード、プロパガンダ、指導者の崇拝 | プライドパレード、シンボルの使用、特定の言語表現の推奨 |
| 言語統制 | プロパガンダ用語の使用、言論統制 | ポリティカル・コレクトネス、表現の自主規制 |
| 道徳的優越感 | 自らのイデオロギーが唯一の正義とする | 自らの価値観が普遍的正義とする傾向 |
| 社会的分断の助長 | 階級や民族による分断 | 意見の違いによる分断、対立の激化 |
| 宗教的実践 | 無神論的だが儀式的様式や殉教的精神性を保持(例:スターリン像、殉職者礼賛) | セミ宗教的熱狂、儀式化された集会や象徴行為、道徳的義務化された実践(例:アライ表示、謝罪儀式)、企業へ倫理綱領やプライバシーポリシーのような不要な強制、教養、役立たないコンプラ研修の強制 |
コンプラがくそくらえなのは、その主張をする弁護士が勝つためには証拠の捏造も法律のグレーゾーンを突くことも平気でやっているゴミカスのような連中であり、モラルも倫理もない。弁護士で公金チューチュースキームに加担している税金どろっぼうの菅野志桜里のように、子育て云々という前にお前は不倫するな、といわれるのが当然である。どの口でコンプライアンスと言っているのか。
つまりこれらの研修は明らかに念仏とおなじ宗教的実践でしかない。推進する連中が一切そんな考えをもたないのだから。