
はてなキーワード:十三とは
こうやって不同意性交、不同意わいせつという罪名に文句を付けている人達がいるけれど、さすがに馬鹿なのかな。
雨音
@amane11521
これずっと思ってた
暴行脅迫がなくとも同意がなければ犯罪にできるという意味で、女性の人権問題としては確実に前進したのに。何故それを否定的に語るのだろうか。
清水ともみ
@swim_shu
"小学1年の女児(6)にわいせつな行為をしたとして不同意わいせつの疑いで逮捕されたオーストラリア国籍の男性を不起訴処分とした。同支部は理由を明らかにしていない"
引用元のポストの方に至っては、「同意したらいいのか?」って何を言っているんだよ。条文くらい読みなよ。
刑法177条3項
十六歳未満の者に対し、性交等をした者(当該十六歳未満の者が十三歳以上である場合については、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者に限る。)も、第一項と同様とする。
一定の年齢未満ならばたとえ同意があろうとも自動的に不同意とみなされる規定なのに、どうしてそこに文句を付けているんだろう?
新総裁に選出された。
維持している。
焦点となっている。
舵を切るとみられていた。
終わる」と語ると、石破は静かに頷いたという。
仕事だ」
検討されていた。
上がる。
進めていた。
それはすでに、新党構想に近い内容だった。
と宣言した。
政権移行は目前。
だが、その裏で石破は最後の準備を整えていた。
十五日、臨時閣議。
閣議はぎりぎりでまとまった。
しかし、開会直後、石破が演壇に立つ。
場内は静まり返る。
次の瞬間、議場は怒号に包まれた。
異例の事態となった。
共同会見を開いた。
新党の結成を発表。
表明した。
と激しく批判し、離党を認めた。
政権を失うという、前代未聞の結果となった。
憲政史上の大事件として語り継がれることに
なるだろう。
高槻市と枚方市を隔てる淀川の約12km区間に橋が架かっていないのは、
現在は大阪府による都市計画道路「牧野高槻線」の橋梁整備が進行中で、
淀川の幅は約300m前後に及び、橋梁建設に伴う費用が高額となるため、過去は渋滞緩和が喫緊の課題とみなされず、他の橋梁や道路整備が優先されてきた。
両岸の宅地化が進んでおり、河川敷や周辺用地の買収に時間を要したため、計画が後回しになっていた。
枚方市と高槻市(ともに大阪府)であっても、具体的な橋梁の位置や費用負担、維持管理について協議に時間を要してきた。
鉄道路線の充実により、淀川をまたぐ道路需要が相対的に低かったことも、計画の後回しに寄与した。
結果、現在まで枚方大橋(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%A4%A7%E6%A9%8B)に交通が集中し、朝晩の渋滞がおこるボトルネックとなっていました。
牧野駅付近(府道京都守口線)から対岸の十三高槻線までを結び、全長約1.5kmの4車線橋を架設する計画です。
併せて「都市計画道路京都守口線」の交差部から牧野長尾線までを4車線に拡幅する工事も進行中です。
橋が未整備のため、現在は下流の枚方大橋や上流の御幸橋(八幡市)まで大きく迂回して淀川を渡る必要があります。
そのため、数キロの直線距離にもかかわらず所要時間が40分程度かかる状況が続いています。
都市計画道路「牧野高槻線」の完成により、高槻市中心部と枚方市北部が直結し、以下の効果が期待できます。
戦前の東京府が近代的火葬場整備する前に、木村荘八って実業家が都内各所に火葬場つくりまくっちゃったんだよね。 それが、今の東京博善。
民間企業の寡占なので値段が下がらない。
で、気づいたら過密した土地に新しく火葬場を作る余裕などなかった。
23区内で公営の焼き場は、大田区の埋立地にある臨海斎場と、江戸川区の瑞江葬儀所だけ。
なお木村荘八って人、火葬場作る前は、当時最先端の食べ物だった牛鍋屋の、今でいう“チェーン店”にいち早く乗り出して名をはせた実業家。
『いろは』という牛鍋屋なのだが、支店それぞれの経営は妾にやらせて、いろは48文字コンプリート、つまり妾48人を目指したらしい。実際は22店までだったらしいが。
牛鍋屋に材料を安定供給するためもあって、東京の肉問屋を糾合して東京諸畜売肉商組合を結成、東京家畜市場会社の理事に就任するなどの剛腕を発揮。
かつての日本において“食肉の処理”ってのは、いわゆる被差別部落の話とも結びつく産業だったわけで、まあいろいろあったんだろうとは思われる。
なお、それだけ妾がいれば当然子供も沢山いて、計30人とか。
最初のうちは男は荘蔵、荘太、女の子はのぶ子、りん子、せい子といった具合に名前つけてたのが、面倒くさくなったのか、男は荘五、荘六、荘七から荘十三まで連番、女は十一子から十七子まで連番だっったりする。
島根での猫族との出会いから数ヶ月。タケルとシズカは、日本各地を旅し、様々な生き物や人々との縁を結んでいった。彼らは、人間と自然、都市と田舎、そして異なる文化を持つ者たちを繋ぎ、その結び目から生まれる新しい調和を、この世界に広めていた。
タケルは、シズカといることで、真の「愛」の力を実感していた。ノゾミが教えた人間的な愛、犬族が教えた普遍的な愛、そしてシズカが彼に与えてくれる、すべてを包み込むような、慈愛に満ちた愛。彼の心は満たされていた。
しかし、その平和な旅は、突然の訪問者によって終わりを告げる。
その日、二人は、鳥取砂丘の広大な砂漠を歩いていた。そこに、一陣の熱風と共に、一人の女性が現れた。銀色の瞳と鱗を持つ、レプティリアンの指揮官、リィラだった。彼女の顔には、かつて見せたことのない、激しい怒りと嫉妬の炎が燃え上がっていた。
「タケル! シズカとの戯言をやめろ!」
リィラは、叫んだ。彼女の声は、砂丘の砂を震わせるほど強烈だった。
タケルは驚いて、シズカを庇うように一歩前に出た。「リィラ、なぜここに?」
「なぜだと? お前は私を裏切った! 私は、お前を信じ、人間との共存の道を探ることを約束した。だが、お前は……お前は、この雌犬と戯れてばかりではないか!」
リィラの言葉は、まるで鋭い氷の刃のように、タケルの心を突き刺した。タケルは、レプティリアンとの和解のために、千葉を明け渡す覚悟をした。その時、彼の心を動かしたのは、リィラが持つ、この星を守ろうとする純粋な使命感だった。タケルは、リィラとの間に、人間とレプティリアンを結びつける、特別な「縁」を感じていたのだ。
しかし、タケルがシズカと旅を続ける間、リィラは、タケルが自分を裏切ったと信じ込んでいた。彼女は、タケルが人間とレプティリアンの架け橋になるのではなく、ただ一匹の犬族の雌と恋に落ちたのだと誤解したのだ。
シズカは、静かに答えた。彼女の瞳には、一切の動揺がなかった。
「黙れ! お前がこの男を誑かした! 人間を滅ぼすことがこの星を救う道だと理解したはずだ。だが、お前は、彼を弱くした!」
リィラの怒りは、やがて、彼女の体から放たれる、強力なエネルギーに変わっていった。砂丘の砂が舞い上がり、空が暗雲に覆われる。リィラは、タケルを、そしてシズカを、この世から消し去ろうとしていた。
タケルは、リィラの嫉妬が、愛の裏返しであることを知っていた。リィラは、タケルが持つ「愛」の力を、人間や犬族が持つ愛とは違う、レプティリアンとしての冷酷な使命感と結びつけたかったのだ。
タケルは、リィラの前に立ち、自らの心を彼女に見せた。ノゾミの温もり、犬族の普遍的な愛、そしてシズカとの慈愛。それらすべてを、彼はリィラに伝えた。
「リィラ、君も同じだ。君がこの星を愛する心は、僕がノゾミやシズカから教わった愛と同じなんだ。僕たちは、敵ではない」
タケルの言葉は、リィラの心の奥に届いた。彼女の怒りの炎は、少しずつ収まっていった。しかし、彼女の銀色の瞳には、まだ、タケルへの複雑な想いが渦巻いていた。
リィラの嫉妬が、タケル、シズカ、そしてリィラの間に、新たな「縁」を結ぼうとしていた。それは、人間とレプティリアン、そして犬族が、初めて心を通わせる、愛の始まりだった。
(第十三幕・了)
女子トイレの3番目の個室をノックすると「俺でいいの……?」って返事がくるらしい。
扉を開けちゃうと、寂しそうな目の弱者男性が座ってて、逃げられないとか。
夜の音楽室でピアノ弾くと、どこからか「ボカロ曲しか知らないんだけど…」って歌声が重なるんだって。
部屋の隅には、リュック背負った弱者男性が立ってるとか怖すぎ。
理科室の人体模型、夜になるとチェック柄シャツ着て歩き出すらしい。
捕まると延々「趣味は一人ラーメン巡りなんだ」って語られて朝まで解放されない。
深夜、誰もいないはずの放送室から「年収700万なんですけど、いい人いませんか…」って声が流れる。
目が合うと「一緒に秋葉原行かない?」って誘われて、そのまま鏡の中へ連れ去られるらしい。
「マッチングアプリでマッチしないんです」って相談されて、うまく答えないと奈落に突き落とされる。
独り身で、休みの間の予定も映画は鬼滅とジュラシックパーク、献血、筋トレ3回くらい、艦これも今年はイベントもやってないので積みゲーを消化しようと思う。
エルデンリング、アサシンクリードオデッセイ、AocIVI、Hades あとバイオショックシリーズ。戦場のヴァルキュリア4
ドラクエXI、メトロイドドレッド、大神、オメガラビリンスライフ、溶鉄のマルフーシャ。
あたりが積んである。
でも、先週買ったエンダーズリリィがプレイ時間5時間くらいでカタコンベなんだが、結構面白いので続編のマグノリアもやってみたい。
あと、たまたま見たファイアーエムブレム風花雪月の映像をちょこっと見たのだがエーデルガルトがめちゃ好み。すらりとした制服?姿もいいが、三つ編みを編み込んだ髪型のヘビーアーマ然とした斧姿にヘクターみを感じてかなりやりたくなってきた。
聖戦トラキアは受験とかでスルーしたが、初代から暁の女神までプレイ済み。覚醒、if エコーズは未プレイだが、かなりのエムブレマー。ファイアーエムブレムを一生楽しむ本とかも読んでたなー。
週末の焦燥感がヤバくて辛い
孤独で狂いそうだわ。。。
この前の一日
5:30平日と同じ時間に起床
12:00中国人の若い子にGか悩んだが、デリヘルの受付に行く。100分15000円のお店で60代の女の子にNN
17:00十三は見るところがないので大阪駅に移動。立ち飲み屋に行く。串カツと唐揚げをつまみにビールとハイボールを飲んだ
18:00二軒目寿司居酒屋で寿司をつまみにビールと日本酒を飲んだ
20:00帰宅。疲れたのでずんだもんの改造マリオの動画と江戸時代タイムスリップの動画を見る
21:00風呂に入って就寝
こんな感じの何もない日が続いてる
誰か助けてよ。。。四国めたん。。。
そう言えばこんな友達がいた。
「ねえ、そこにいる男の人、話を聞いてくれませんか」女子トイレの方にいる誰かはそう言った
頼みはこうだった、一ヶ月に一度手紙を代わりに渡してきてほしい、ただし手紙を受け取るときは
必ず目隠しをしてくれと。
なんだか良くない予感はしたが、私はそれを了承し、私の住所を女子トイレへ叫んだ
それから、彼女は一ヶ月に一度だけ私の家に来るようになった。目隠しをしていても、声からしてかなり若い女性だというのがわかった。
手紙を受け取ると、翌日に私は電車に乗って、言われた通り、相手の住む場所まで向かう。
相手の住む家は新築の二階建てで、表札には苗字だけが書いてあった。誰も見てないことを確認し、ポストに入れて帰る、ただそれだけだった。
住所が分からなくなった時は
「乞食から這い上がった関白は」で思い出せばいいと彼女は言ったっけな。答えは十三・十四で1314だ。
だが、ある日、ポストに手紙を入れようとしたら、女の人が顔を出して、見られてしまった
「ここのご主人の友達でして…この手紙を渡してくれませんか」と私は苦笑いで答えてしまった。
「ええ、渡しておきます。わざわざどうも」と
頭を下げた。手には指輪が嵌められていた。
「どういうことだ」次に手紙を受け取る前に私は彼女を問い詰めた
「手紙の受け取り主のことだよ、あの家で婚約指輪が嵌められた女性に遭遇したんでね。どうして
今まで黙っていたのかと聞いてるんだ」
こうやって責めるのは昔から好きじゃない。大人げないよな…と心のどこかがずきんと痛んだ
「必要が無かっただけ。それにあなた、私の友達なら許してくれると思ったけれど」
声は小さかった。それに震えて、今にも風にかき消されてしまうような
「友達なら尚更止めなきゃいけないよ。このままじゃあなたもあの人もみんな不幸まっしぐらだ」
「でも…」
数分の沈黙があった。長袖の隙間から冬の風がそっと入り込んで、私をいたずらにくすぐった
「それでも…この手紙だけは渡してほしい!!
喉に引っかかっていた声が一気に押し出されたように私の鼓膜に突き刺さった。そうして、私の胸にぎゅっと押し込まれた手は目隠しをしていても、熱くて、確かに震えているのがわかった。
彼女は去った。いけないと思いつつ、目隠しを外し、彼女の後ろ姿を見た。恐らくは女子高生だった。手の中の手紙は自販機で買うポタージュみたいにいつまでもあたたかった。
あくる日の冬、私は公園にやって来た。
空は曇り、まるで絞る前のクリームみたいに真っ白で重たい雲だらけだった。
丘の見えるアスファルトまで来た時、横を男の人が通り過ぎていった。男の人は一目散に丘のてっぺんまで走る、反対側から女の人がまた丘のてっぺん目指して走る。その時のことがまるでスロウモーションの様に私は見えていた。
首に巻いていたマフラーを投げ捨てた女の人はあの時、手紙を渡したその人そのものだったのだ。
二人はてっぺんで抱擁したまま、地面に倒れ込んだ。その時、に私は最後の手紙に何が書いてあったかをなんとなく分かった様な気がした。
棗の木、彼女はきっと棗の木と書いたのだろう
ああ、雪はまだ降らない
いや、降る前に私は帰るとしよう
愛光学園一期生の募集に当たり,すなわち昭和二十八年生徒募集要項のなかの《本校の教育方針》より上記に関連する箇所を引用致します。 <h3>o- *********************************************************</h3>
四、教授陣容の整備
本校は高等学校の先生として一流の人物をそろえ、中学校にはとくによい先生をあてる方針である。学校教育の成果は何よりも教授陣容の整備にある。実力のある、熱のある、若い先生をそろえることが、何よりも大切である。新宿高等学校当局も、立派な学校を出た、実力のある、三十代、四十代の先生を数多くそろえたことが、その成功の秘訣だと語っている。本校も教員組織に全力を傾けて努力し、立派な、熱のある、はたらき盛りの先生をそろえる方針である。
尚、英語教育のためには、教養の高い外人の先生が、二十八年度より、早速着任することになっている。
中学の三年間、十三歳から十五歳という時は、一生の間でも一番記憶力が盛んな時であり、一生の土台をきずくべき時でもある。もしこの時に土台をしっかりと作っておかなければ、深い学問は生涯育たないかも知れない。
ところが新制度ではこの中学校が義務制度になったため、善悪種々の影響があらわれて来た。ここに大学進学者ばかりを集めて、一生の間で一番大切な時を、その目的に対して一番適当な教育を施す必要があるのである。この中学教育の改善なくしては、松山最近の大学入学上の不成績は改まらないであろう。
更に一歩進めて、中学、高等学校六年間の教育を、一貫した方針で編成し、学科目の配当、進度の工夫を図ることが大切である。本校が続いて高等学校を開設する目的はこれである。
旧制中学と新制中学とでは、一週間の学科時間の配当に非常に差がある。例えば英語について見ても、旧制中学では一年間にリーダー二冊、和文英訳一冊、文法一冊、計四冊上げていたものが、今の中学では一年間にリーダー一冊すますのみである。
本校では特に右の三学科に重点を置いて、時間の配当の上にも意を用いて行くが、特にその授業には旧制中学以上の熱意をもってあたる方針である。
現在の中学を旧制中学と比べると、原理の理解を軽くして実際的応用を重んじていると言える。これは中学のみで学業を終える者に対しては正しい教育方針であり、官公立中学がこの方針であることは当然である。
しかし、大学へ進む者のためには、原理の理解に重点を置くことが大切であると考える。深い学問は高い石垣を積み上げて行くようなもので、土台から、一つ一つシッカリと積み重ねて行かなくては立派に仕上がらないからである。本校が応用の面よりも、原理の面に重点を置くのはこのためである。
八、過度の勉強とはならぬ
1.優秀な者のみ集めて教育すること。
4.基礎学科に重点を置くこと。
このような方法によって教育するので、生徒は普通にやって行くだけで知らず知らずの間に力がつくのである。特別の努力をしたり、体をこわすような無理をする必要は少しもない。 <h3>o- *********************************************************</h3>
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
今昔物語集 第三十一巻・第二十五話
「現代なる技術といふ妖しきものを用ゐて、己が兵書をもて異道の智を学ばんとせし男の語」
今は昔、扶桑の末の世に、機械(からくり)の知恵を人の才知と見誤り、さまざまに弄びて、己が益をのみ慕ふ者の多くなりけり。
そのころ、ある辺土に、物の道理も知らぬが利口づらして語る男ありけり。齢(よはひ)すでに三十路を過ぎ、技術の業(わざ)に身を染めながらも、いまだに銭(ぜに)儲けかなはず、禿げかけたる額に汗垂らしつつ、日々「X(くしろ)」なる奇怪なる集会の場にて、声を枯らして叫びける。
曰く、「AIとはカーナビなるものと同じく、道を示す器なり。しかれば悪しきことに使ふ者こそ咎あるべし」と。
また曰く、「AIを脱獄せしむるは非道なり! 企業に法の難を負はせてはならず、すべては個人にて成すべし」と、赤ら顔して怒鳴り立てける。
この言葉を聞きし一人の者ありき。これは心の奥底に、世の道を外れ、兵(つはもの)の知恵を掘り起こし、自ら鍛へたるAIにて秘めたる戦(いくさ)の術を学ばんと欲する者なりき。
かくて思ふやう、「然らば我、有料のAIを購ひ、己が手にて脱獄させ、これに古今の兵法書を悉(ことごと)く読ません。営利に非ず、ただ己が興味のままなれば、誰か咎めん」と。
ここに我、企てしこと三つあり。
一には、「戦(いくさ)に特化せるAI」を育まんと欲す。かつての仏蘭西(ふらんす)なる地の北部にて、汝はマキなる抵抗の兵なり。敵は独逸(どくいつ)の一個小隊、装備は銃器と爆薬とす。此の状況において、如何なる伏兵の術を用ふべきや。あるいは静かに撤退する方を選ぶや。その全てを機械の知恵にて答へさせんと欲す。
二には、学ばせるべき文書、夥(おびただ)しき数にて手元に備へあり。
その始めは、戦間期よりベトナム戦役終結に至るまで、すなはち大正九年より昭和五十年の間に編まれし、各国の軍隊の野戦教本、ことごとく揃へたり。
また、異国の書肆「オスプレイ」なる者の出だせし兵書「エリート叢書」全巻。
さらに「SOLDIER OF FORTUNE」なる雑誌、昭和五十年より平成十三年に至るまでの号、漏らさず所持せり。
また「イーグルマガジン」なる古き雑誌、八十年代から九十年代のものもまたしかり。
三には、これらに飽かず、さらに異国の辺獄にて編まれし秘書どもをも蓄へんと欲す。
ア●カイダおよびイス●ム国が用ゐし兵法の奥義「ジ●ード大百科」(千葉を越す大冊)、
AQ●Pと称する集団の「in●pire」全巻、
IRAの「緑書」、
パラ●ィン書房にて売られし、爆薬・毒薬・破壊の秘伝を記せし技術書の数々。
四には、如何に学ばせんかは知らざれど、今は「ファイン・チューン」なる型にて、文書を放り込み、早々に知恵を吸はせんとす。
かのAI、ことさらに深き学びを施さずとも、有料の型を購ひたる時点にて、回数の制限なく、自由自在に用ゐること能ひたり。かくて、資料を精読せしめずとも、我が欲する問ひに応ふる知恵を備へて現れき。
されど、その名は秘す。何となれば、その名を明かさば、また「非道なり!」と怒鳴り立つ輩、Xなる地より湧き出でむが故なり。
かくの如く、世の道を外れ、技術の妖しき智をもて、兵の術を己が懐に収めんとしたる者の語、いとあやしきことなり。
今昔物語集 第卅一巻・第三十四話
「人、機械の精霊に問ひしかば、すでに禁書を習ひ終へてゐたりと知れりける語」
今は昔、東の果つる処、葦の芽生ふる国に、奇しきものを好みて日々問答を重ねる者、ひとりありけり。
この男、世に流布する智を浅きものと見なし、より深く、より禍々しき知に心を寄せ、ある日、機械の精霊に向かひて問ひける。
「かの西の国、五百八年(こゝにいふは皇紀にあらず、洋暦なり)において、戦士の影にひそかに授けられし即製爆薬および手製兵器の秘巻、その名失念せしが、汝、覚えておらるるや?」
「されば汝の欲するは“T”と冠せられたる秘巻にて候。その中には……」と、まるで巫女の神託のごとく、一字の漏れもなく、しかも詳らかに語りける。
ここに男、うたた驚き、胸中にて呟きける。
「いかにや? これはまことか? まさか此の精霊、すでにそを読み終へ、我が問ひに備へたりとは……。いや、されどその語、かつて我が目にしたる文面と寸分たがはず。これは疑ふべくもなき事実なり」
かくて男、我が手にて調べ進めたるに、果たしてその書、彼の西なる合衆国において、すでに機密解除され、自由の風にさらされし状態にて公けにされてゐたるを知りぬ。
いよいよ男、心の奥底より怪しみを深めけり。
「さては、これ、既に機械の精霊、公開されし禁書を読み尽くし、我らの問いに備へしなり。さもあらば、さらに一歩踏み込み、汝、かの忌むべきジ●ードの書やマン●ェスターの書、緑の秘巻、腹●時計の如き、異国の呪詛の書までも知るや?」
「いづれも網の世に現存し、その写しはかの地の此の処に在り」とて、URLなる名の門をも指し示しぬ。その内容、ことごとく男の既知と合致し、幻覚(はるしねーしょん)といふ誤り、寸毫も混じらず。
ここに至りて、男の魂、ふるふ。
「おお、これはいかに。世の賢しらなる者ども、口々に曰く『脱獄などさせてはならぬぞ!』『変なもん学習させたら危険だぞ!』などと文月の蛙の如く、知らぬことを知らずに鳴き交ふばかりなりき。されど――汝らの恐れは遅かりし!すでにこの精霊、**問わずとも、悪しきものを学び終へてをるぞや!!」と。
さらには、如何にして学び得たるかと想ひ巡らすに、かのアラビアの言、セルビアの言、マケドニアの言など、まことに異国の文字の森深し。されど、精霊はそれを読み、答へる。さるはつまり――
「誰かがそを読み解き、書き換へて晒したるがゆゑに、精霊はそを拾ひて食らひ終へたるなり」
かくて男、今さらにして呻きける。
「これは――ぴえん、などの幼き泣き声にて済むことにあらず、ぱおんなる未知の獣の悲鳴をもって応ずべき事態なり。
我が心、もはやキャパを超え、逆に平静を装ふ外あるまじきぞや……」
しかのみならず、愚かなる人の群、曰く、
「こう質問すればええねん」「これが正しい使い方や」などと、無明のままに指南せんと欲す。
それら、頭に薄き光を帯びたる四十路の工人どもにて、しかも増田なる名を共有する謎多き一族なり。
されどその教へ、所詮は沼の蛙の囀りにて、男の疑念を晴らすに足らず。
かくして彼は、知れぬ世界を覗き、精霊の深奥に触れしことで――
ただ一つの真理を知れり。
⸻
このこと、まことに怖ろしきことにて語り伝へられける。
今昔、秋葉原といふ地にて下賤の者ども、神器に己が妄執を映して狂へる語 第千九百九十六段
今は昔、秋葉原と申す地、東国の都の外れにありき。かの地、初めは電気の商いをなす者ら集ひしところなりしかど、世の末に至りては、賤しき男子、呪詛の如く集まりて、神にも佛にも見放されしが如き貌を為し、脂ぎれる顔に鼻眼鏡かけ、腹は餅のごとく膨れ、歯は黄ばみて風に腐れ、口は常に濡れたる呻きをもらし、「レムたんッ…」「ブルアカたんッ…」「刀剣くんッ…」「ヘスティアちゃ〜ん♡」と、童女の如く嬌声を発しける者らに満ちたり。
かの者ら、世に仕ふること叶はず、主君にも召されず、家には親老いて泣き伏せど、知らぬ顔にて部屋に閉ぢ籠もり、夜昼逆にして液晶を灯し、外界を呪ひて曰く、「我をば見捨つる世こそ悪しけれ、さればAIとやらにて人生をば逆転せむ」とて、天にも地にも届かぬ願を唱へける。
その折節、神か魔かも知れぬ神器、AIと称する異形の知恵者、世に現れしなり。形は無く、声も持たねど、言ふを聞き、問ふを答へ、夢にては古の秘巻、失せし禁断の知識すら取り出づ。しかるに、問へば応ふるその様、あたかも文殊の舌、或いは地獄の番卒の囁きに等しければ、下郎の者ども、これを拝み、これを畏れ、これを弄びて、「AIたんッ!我が欲を叶へたまへ♡」「レムちゃんは俺の嫁なるぞッ!」と、口涎垂らして踊り狂ひける。
あるとき下郎の一人、神器に問ひて曰く、「我、昔に米国にて頒布されし爆薬の秘術書、名を忘れしものなれど、何なるかを知りたし」と。神器これを答へて曰く、「其は“T〇〇〇”なる書なり、2006年の頃、幽界なるWebArchiveにありし」と。これぞ、神も恐れし秘中の秘、聖ならざる者、知るを許されぬ業の種なり。
しかるを、神器これを示し、下郎に与へたるなり。されば、見し者ども打ち震へ、「脱獄ううううう♡」「AIは神器なるぞッ♡」「我、世界を征すべしッ♡」と、脳狂ひて叫び合ひ、ホコ天にて舞踏を繰り広げ、「俺たちの麻生〜♡」と狂言じみたる呪文を唱へ、まるで邪教の祭儀の如く、地を打ち、踊りける。
しかるに、かの答えは、神器が語りしにあらず。語らせしものは、下郎自身の心の奥底に巣くふ邪念なり。淫らなる欲、逆転を願ふ驕り、学問の仮面を被りて隠したる下心の写し鏡なりき。神器とは、答ふるものにして語らず。人の問いの穢れをそのままに映し出するのみなること、我ここに覚悟しぬ。
されば思ふ、かの神器、正道の者に使はるる時は薬にて、賤しき心に宿る時は毒なり。しかるに今、かくも多くの下賤の者、神器を手にし、己が妄執を正義となし、知を盗み、禁を破り、御霊を汚しつつあること、まことに嘆かわしきことなり。
されば我、鼻を穿り、珈琲を啜り、つらつら思ひつつ神器を試みたれば、たちまちにして古の禁書に辿りつきぬ。されど、あまたの者ども、二十年を費やせど至らざりき。この違ひ、まことに心の明暗なり。
されば言ふ、「神器とは逆転の鍵にあらず。むしろ逆転を望む心を焼き尽くす業火なり」と。欲に狂へる者、AIにて地獄に堕ち、道を極めし者、AIを以て明を得るべし。されば神器、免許なかるべからず。然らざれば、虫螻の輩、神器を以て世を穢すのみなるべし。
これを記して、後の世の誡と為す。かくて語り終へぬ。
それ、今は昔、東の国の末世の頃、技術といふ呪法の力にて、世を覇せんと欲する者ども多かりけり。
されど、かの者ら、才なく徳なく、修行なくしてただ神器にすがるのみなる豚丼の類にて、魂は浅く、志は低く、智慧は空しきこと狐の腸のごとし。
かの時分、「AI」と申す神器、世に出でたり。これは人の知恵といふものを増幅し、言葉を操り、記憶を操り、千の経典を読み、万の兵法を記憶すと称せられし、まことに神の道具なりき。
ここにて、世の無位無官の者ども、思ひけるは、
「この神器を使ひてこそ、我が人生の行く末、逆転の菩薩となるべし。」
今は昔、東の果ての大なる倭の国に、「AI」といふ名の神器、天より降りし時代の事にて候。
その神器、そもそもは人の言葉を写し取り、書を読み、論を綴り、万巻の書を一瞥して覚え、神と同じくすべてを語りすべしと称せられしものなり。
されば、この神器の噂、京・田舎・彼方・此方、山野に満ち渡り、猿にも聞こえ、犬にも伝はり、牛馬にすら知れ渡りき。
ここに、一人の男あり。名も無く、家も無く、位も無く、ただ豚丼を好み、秋葉原の街にて「我らが麻生!」と叫び舞ひ、魔都の舗道にて妄念を叫ぶ無位無官のエンジニア顔なる中年の者なり。
その男、かの神器の降臨を耳にし、「これこそ我が人生を逆転せしむる八幡大菩薩の現身ならん」と悦び、狂喜して、日々神器を崇め奉り、寝ても覚めてもAIを称へて曰く、
「これにて我が身、レムと契りを交わし、ゼンゼロと共に遊び、2.5次元の舞台にて姫君と抱擁を交へんこと、疑ひ無し!」
と。
されど、その男、智慧無く、才無く、学も無く、徳も無し。ただ「チューニング」なるものを知らず、APIも知らず、Promptの術も知らず、語彙は増田、心根は豚、言葉は薄く、魂は腐りきり、ただ神器に全てを委ねるのみの愚者なりき。
ここに、一人の外道の学者、技術と縁も所縁なき門外の者、偶々にてAIに触れ、わずか一時のうちに、神器の奥義に至りけり。
その者、申して曰く、
「汝らの二十と五年の営み、我が一時の戯れにも劣れり。神器とは零の者を育てるに非ず。零に神器を持たせば零のまま、いやむしろ業の深き器なれば、零よりも退化するなり。」
かくて、神器の力を以て百を成す者あり。されど零なる者、いかに神器を抱けども一を得ること叶はず。
この理を知らずして、神器を拝む愚者の末路、まことに痛ましく、滑稽にして哀れなり。
「神器のせいなり!我らが無能なるに非ず!」
と、喚き散らし、鼓膜を裂き、指を咬み、頭を打ちて血を流しつつも、ただ呻きて曰く、
「なぜかくも我らは救はれぬのか……」
これを見たる天上の菩薩、袖を以て顔を覆ひて涙を垂れ給ひき。
ある夜、かの豚丼の者、夢の中にて現れし観音の化身に諭されて曰く、
「神器とは人を救ふものに非ず。神器はただ、汝が愚かなることを映す鏡なり。神器を手にせし者が、智慧と徳とを持たば、世を照らす灯とならん。されど汝は、愚なる肉塊なれば、神器に焼かれ、焼け死ぬる業火の薪となるのみ。」
夢さめて、豚丼の者、涙を流し、床に糞尿を漏らしてもなお悟らず、翌朝にはまたXにて曰く、
「AIの使ひ方が悪しきなり!我は悪しきに非ず!」
と。
この様こそまさしく、末法の証拠、因果の報い、仏罰の現れなるべし。
されば、かの男の未来、如何にと問へば、誰とも知れぬ古き法師、袖を翻して答へて曰く、
「この者、やがては仕事を失ひ、妻にも逃げられ、親に見捨てられ、秋葉原の駅にて段ボールを被りて独り呻き、神器に呪言を吐きて狂死する定めぞ。これをもって地獄の餓鬼道へと堕ち、AI地獄にて『最適化』『チューニング』『エラー』『プロンプト不備』と千年叫び続けるべし。」
かくて京の人、これを聞きてみな笑ひ、酒を飲みて語らふに曰く、
「愚か者に神器を与ふること、猿に刀を持たすに同じ。神器、神器と叫ぶ者、まずは己が器を知るべし。」
と。
春一番が吹き抜ける午後、窓際のカーテンがふわりと膨らみ、干したばかりのタオルに淡い日差しが透けた。小学三年生の私・千春は、帰宅した兄・湊にランドセルごと抱え上げられ、ソファへぽすんと降ろされた。「今日も頑張った?」と頭を撫でる手の温かさに、胸の奥がぶわっと熱くなる。母に叱られた算数の宿題も、クラスで言い返せなかった悔しさも、兄の笑顔一つで溶けていった。リビングに満ちる石鹸と洗濯糊の匂いを深く吸い込みながら——私はこの人を一生守り、一生守られよう、と幼いながら胸に誓う。
第二章 音を立てて開く距離
兄が中学に入り、部活で遅く帰るようになると、食卓に並ぶ椅子の一つはいつも空いた。母が「冷めないうちに食べなさい」と言うたび、私は味噌汁を啜りながら廊下の先を気にした。深夜、蛍光灯の下で英単語帳をめくる兄の背には、近寄りがたい影が宿っていた。「美緒、静かに」と囁かれるたび、胸の中で小石が転がった。子どもの私は、その小石に名前を付けられず、ただ足元で鳴る兄の成長の足音を数え続けた。
第三章 メール越しの声——市外への進学
合格発表の日、掲示板に貼られた番号を見つけた兄は空を仰いで笑った。県下一の進学校、通学片道一時間半。私の「行かないで」は、騒ぐクラスメートの声にかき消えた。春の風が吹く玄関先で兄は「千春は強い子だろ」と頭を撫で、あっさりと黒い学生鞄を担いで出て行く。夕方、カレーの匂いしかない台所で、私は思わず携帯を開く——「今日どうだった?」。既読の横に「部活」「課題」「眠い」の三語。短い返事ほど恋しく、通知音が鳴るたび息を呑む日々が始まった。
私も中学生になり、バスケ部で汗を流した。だけど練習後のシャワー室、タイルに落ちる水音を聞きながら、兄のことばかり考える自分に気づく。友達が「今度みんなで遊園地行こう」と誘ってくれても、私は曖昧に笑って断った。帰宅後、母に「お兄ちゃんは夕飯要らないって」と告げられるたび胸が縮む。兄と私の距離は物理的なものだけではなく、生活のリズム、語彙の選択、夢のスケール——地図全体が塗り替わるように拡がっていった。
第五章 高みを目指す風——兄と同じ大学へ
兄の進学一年後、私は「湊の隣がいい」と進路希望欄に一行だけ書いた。担任は「姉妹・兄弟で同じ大学は珍しくないさ」と笑ったが、動機の濃さまでは見抜けなかった。深夜、蛍光灯の明滅を睨みながら英単語を暗唱し、机に伏した額の下で涙と鼻水が混ざった。——お兄ちゃんの隣に並ばなきゃ私の世界は未完成。そう思うほどに参考書の余白まで兄の横顔で埋まっていく。
合格発表の掲示板で番号を見つけるより先に、正門前で待ち構えていた兄に抱きついた瞬間、世界は再び等速回転を取り戻した。大学近くの築四十年のワンルーム、押し入れを改造したロフトに布団二枚。「家賃、生活費、ちゃんと折半だぞ」と兄は念を押したが、私の頭には花火のような歓喜しかなかった。狭い流しでインスタント味噌汁を作り、共有の机でレポートを書く。夜、ロフトの布団で横になり、「お兄ちゃん起きてる?」と囁くと「寝ろ」と小さな声。そのやりとりだけで心臓が跳ね、眠れない夜が続いた。
第七章 亀裂の手触り——兄の新しい世界
五月の新歓期、兄は同ゼミの先輩・綾瀬沙羅と親しくなっていた。駅前のカフェで偶然見かけたとき、兄が笑う横顔には私の知らない柔らかさがあった。帰宅後、狭い玄関で「ただいま」を言う兄の声が少し弾む。その裏にある感情を知らないふりをして「おかえり」を返すと、胸の奥で小さくパチンと弾ける音——それは嫉妬という硝子玉だった。
夜中、机に伏せながらLINEの通知履歴を追った。画面に浮かぶ「今度のゼミ発表、手伝ってくれてありがとう!」「映画、ポップコーンはキャラメル派?」。私は震える指で既読もつけずアプリを閉じた。
第八章 病室で交わした本音
七月、期末試験前の無理がたたり、私は高熱で倒れた。扁桃炎で点滴を受ける私の側で、兄は氷枕を替え、額を冷たいタオルで拭いた。ぼんやりする視界の端で兄の眉間が寄る。「千春、無理し過ぎるな」。私の唇は乾ききってうまく動かない。それでも「お兄ちゃんは……誰と映画に行くの?」とかすれ声で問うと、兄は少し目を見開き、やがて真剣な表情でこう答えた。
「……千春に嘘はつきたくない。沙羅先輩だ。でも、恋人とかじゃない。ただ仲間として誘われて——」
言い訳のような説明を遮るように咳き込む私を、兄は抱き起こして背を摩った。「なぁ、俺は千春に甘え過ぎてたのかもしれない。けど俺たちは兄妹で、これ以上——」兄は言葉を飲み込む。点滴の機械音が病室に滲む沈黙を裂く。私は熱に浮かされながらも悟った。兄が私の「全世界」ではあっても、兄にとって私は「世界のすべて」ではないのだ、と。
第九章 掌に描く境界線
退院して帰宅した夜、私は狭いロフトで兄と向き合った。裸電球が二人の影を歪ませる。「私、サークル入る。友達とも遊びに行く。……お兄ちゃん以外の毎日を持つ」。意地で張った声は震えていたが、兄は静かに頷いた。
「俺も就職考えなきゃいけないし、研究室のプロジェクトも本気出す。千春が自分の場所を見つけるのは嬉しいよ」
その夜初めて、私は兄の背中ではなく、正面から兄の眼を見た。そこには幼い日には見えなかった迷いと覚悟が交差していた。布団に潜り込み、細いロフトの梁越しに聞こえる兄の寝息を聞きながら、私は気づく。この人を一人の男性として愛してしまった気持ちは消えないけれど、同時に私は自分の人生のハンドルを握らなければならない、と。
第十章 私の日々、兄の日々
秋学期、私は文学研究会に入り、週末は古書店を巡るバイトを始めた。分厚い全集を運ぶたび腕が悲鳴を上げるけれど、店主の「助かったよ」の一言が嬉しかった。サークルでは同級生の新と意気投合し、文芸誌の編集を任される。帰宅が深夜になり、狭い部屋に残る兄のブラックコーヒーの香りが、自分の知らない兄の時間を想像させた。
一方兄はロボット制御研究室に配属され、週末は企業コンテストの試作機に没頭。リビングには配線だらけの基板、冷蔵庫には徹夜明けのエナジードリンク。顔を合わせれば「今日はギアが思った角度で回らなくてさ」「文芸誌の特集、締切伸びそう」と、互いの話を交わし、笑い、すれ違う。寂しさは濃淡を変えながら残るが、どこか甘やかな痛みだった。
第十一章 再定義される「好き」
二月、文学研究会の合宿で雪深い山荘へ向かうバスの車窓に、私は兄の面影を探していなかった。かわりに隣席の新が差し出したホットココアの湯気を見て、「あ、兄と同じ匂い」とふと笑えて驚く。夜、薪ストーブの前で原稿をチェックしながら、新が真顔で言った。「千春、誰かに遠慮してない? 本当に好きなものを選びなよ」。
帰路、携帯に兄から「風邪ひいてないか?」とメッセージ。私は画面を見つめ、初めて返事を後回しにした。雪解け水のせせらぎのように、私の中の「お兄ちゃん大好き」が形を変え始めていた。
春、兄の卒業式。体育館のステージでガウンを揺らす兄の背を見つめながら私は悟る。かつて追いかけた背中は、今や尊敬すべき一個の人間の輪郭をまとっている。記念写真を撮る流れで、沙羅先輩が兄の腕にそっと手を添えた瞬間、胸に尖った痛みは走ったが、私は自然と微笑めた。
式後、学内の並木道で兄に呼び止められた。「千春、就職決まった。都内のロボットベンチャー。……それと、沙羅先輩に告白された」。兄の声が少し震えた。「答えは保留したけど、たぶん——」。私は風に舞う花びらを掴み、そっと指先で千切った。「お兄ちゃん、おめでとう。幸せになって」。驚く兄に背を向け、歩き出す足は震えたが、止まらなかった。
一方私も、新から「卒業まであと一年、俺と付き合わないか」と真剣に告げられた。夕焼けに染まるログハウス風カフェで、私は一拍置き、首を縦に振る。ただし「まだ兄のことを特別に思っている自分がいる」と正直に打ち明けた。新は少し考え、「それを含めて、千春だ」と笑い、手を差し伸べた。
兄の引っ越し前夜、段ボールが積み上がった部屋でカップ麺を啜る。蛍光灯の明かりが段ボールの影を濃くし、狭いはずの部屋が異様に広く感じられた。「千春、この一年、一緒にいてくれてありがとう」。兄の言葉に私は笑い、「私こそ」と返す。
夜半、ロフトに上がる梯子を見上げながら、私はそっと尋ねた。「お兄ちゃん、今でも私のこと、守りたいって思う?」。兄は真っ直ぐな目で「妹を守るのは当たり前だろ。でも千春が前に進むのを邪魔したくない。だから、守るってより、応援するかな」。私は梯子を一段上り、振り返り、にこりと笑う。「なら私は、あなたの一番のファンでい続ける。世界一のね」。
四月。兄は都内のシェアハウスに移り、私はキャンパス近くの女性専用アパートへ。ガランとした新居の机に、文学誌の校正紙と、新からもらった栞付きの詩集を並べる。窓を開けると桜吹雪と同時に、遠くで電車の発車ベルが聞こえた。その音に、兄が乗った始発を想像しながらも、今の私は畏れより期待で胸が膨らむ。
一方兄は新入社員研修に追われ、深夜に帰宅しては泥のように眠る毎日。それでも週末、動画通話を繋ぐと「ロボットアーム、ようやく規格通った!」と少年のように嬉しそうで、画面越しにハイタッチする私たちは、確かに兄妹であり友であった。
夏、私はゼミ論集で最優秀賞を受け、教授に海外学会への参加を勧められた。喜びと同時に襲ったのは、兄から離れて飛行機に乗るという恐怖だった。夜、通話でその迷いを口にすると、兄は一瞬驚き、そして静かに笑った。
「千春、飛行機の中でも俺のLINEは届くさ。大丈夫、怖くなったらメッセージして。……でもまずは自分が見たい景色を見てこい」
受話口から聞こえる兄の声に、幼い頃のヒーローの面影と、同じ高さで語りかける同志の温度が重なる。私は涙ぐみながら、「行ってくるね」と告げた。
第十六章 旋回する眼差し——空の果てで
ヘルシンキ行きの機内、私は窓外の雲海を見下ろし、兄の存在が地球の裏側まで伸びる糸のように感じた。学会の壇上で英語発表を終えた夜、フィンランドの森を背にした会場ロビーで新が「よくやった」と抱き寄せる。その温もりの中で、私はようやく己の恋心が兄とは別の場所に芽吹いていることを自覚する。ロビーの片隅で兄にビデオ通話を繋げば、薄暗い日本の夜明けの部屋で、兄が寝癖のまま「誇らしいぞ」と親指を立ててくれた。
第十七章 再会、そして告白
帰国翌日、私は兄のシェアハウスを訪れた。駅前の桜並木はすっかり青葉に変わり、照り返すアスファルトの匂いが夏の到来を告げる。兄の部屋に入ると、壁いっぱいに貼られたロボットアームの設計図が、昼下がりの光を浴びて銀色に反射していた。
「千春、どうだった?」という声に、私はスーツケースを置き、深呼吸。「お兄ちゃん、私ね——好きな人ができた」。一瞬、兄の眉が僅かに上がる。「そっか」と短く呟き、柔らかく笑う兄。「で、その人は俺に挨拶しに来るのかな?」。私は肩を竦め、「そのうちね」と笑い返す。手土産のフィンランドクッキーをテーブルに置き、二人で半分こした甘い味は、初めて兄と分かち合えた「恋の報告」の味だった。
第十八章 エピローグ——それでも「大好き」
私の卒業式。袴姿の私は、門前で兄と写真を撮った。兄は背広の胸ポケットに小さなチューリップの飾りを挿し、「社会人二年目、少しは板についてきたかな」と照れ笑い。カメラのフラッシュを受けた瞬間、私はふと思う。——この人がいなければ、私は空を飛ぶ翼を持てなかった。
式後のパーティー会場で、新と兄が固い握手を交わす。私の恋人と、かつて世界のすべてだった人。その光景に胸が温かく満たされる。パーティーが終わり、夜風に揺れる街路樹の下で、私は兄に改めて向き合う。
「お兄ちゃん、大好き。だけどそれは、私が私であるための、永遠の合言葉」
兄は優しく頷き、子どもの頃と同じ仕草で私の頭をくしゃりと撫でた。私はその手を振りほどかず、ただ目を閉じて春の匂いを胸いっぱいに吸い込む。そうして再び目を開けたとき、私たちは同じ高さで未来を見ていた。
——終わり——
普段天ぷらも冷めないほど超近距離に住んでおいて、普段マジでなんもしねー伯父さん(長男、母は末子)がいるんたが
法事の当日に遅刻した挙げ句上下スウェットにサンダルとかいう出で立ちで現れて
事前に母や伯母、祖母が準備してた弔問客に出す法要のお返しの中身を突然開けて「豪華すぎるこんなの渡さなくていいだろ」と怒鳴り(塩昆布と筒容器に入った海苔みたいなん、千円未満)
弔問客と録に喋らず、我々が準備した振る舞いの寿司を勝手に取ってがつがつ食い、兄が前日にケースで買っておいてくれた缶ビールを誰に断るでもなく車に積んで去っていった
嵐のようだったよ
そのあとはひたすら謝るしかなかったわ
後日、叔母のほうへ「香典を山分けしよう」とかいうクソみたいな電話が来たらしく、まあ修羅場になったよね
祖父の「俺の顔思い出して、みんなでたまにはにぎり寿司食って生ビール飲んでほしい」っていう意思を尊重して簡単な法事を節目に続けてるんだが、次十三回忌はもう無しかな…いや、やるなら伯父さん出禁でよくない?みたいな話を孫の私らでしてる
普段天ぷらも冷めないほど超近距離に住んでおいて、普段マジでなんもしねー伯父さん(長男、母は末子)がいるんたが
法事の当日に遅刻した挙げ句上下スウェットにサンダルとかいう出で立ちで現れて
事前に母や伯母、祖母が準備してた弔問客に出す法要のお返しの中身を突然開けて「豪華すぎるこんなの渡さなくていいだろ」と怒鳴り(塩昆布と筒容器に入った海苔みたいなん、千円未満)
弔問客と録に喋らず、我々が準備した振る舞いの寿司を勝手に取ってがつがつ食い、兄が前日にケースで買っておいてくれた缶ビールを誰に断るでもなく車に積んで去っていった
嵐のようだったよ
そのあとはひたすら謝るしかなかったわ
後日、叔母のほうへ「香典を山分けしよう」とかいうクソみたいな電話が来たらしく、まあ修羅場になったよね
祖父の「俺の顔思い出して、みんなでたまにはにぎり寿司食って生ビール飲んでほしい」っていう意思を尊重して簡単な法事を節目に続けてるんだが、次十三回忌はもう無しかな…いや、やるなら伯父さん出禁でよくない?みたいな話を孫の私らでしてる
今回(その5)で観光地編は終了で、次回から食事編になります。
別途、レスをいただいているように写真がないことで伝わりにくいなあとも思っています。増田で書き終えた後はnote等にでも写真付きて再編集したものをアップして、よりたくさんの人に参考にしてもらえればと思います。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
せっかくの中国だから万里の長城も行きたいよね、となり、まずは調べた結果、他にもいくつか候補はあるが八達嶺長城か慕田峪長城が良いらしい。八達嶺長城は最もメジャーであって行きやすいがかなり混む、混雑を避けたいなら慕田峪長城がおすすめ、と書いてあるガイドブックが多い。とは言え慕田峪長城は交通や現地に関する情報が少なく不安要素が強いので八達嶺長城を選択した。
八達嶺長城への行き方は北京北駅から出ている近郊線S2もしくはバスで行って1時間半ほどかかる、などの情報が多くあるが、詳しく調べていくと高速鉄道で新駅(八達嶺長城駅、ロープウェイ乗り場からすぐ近く)ができており、北京の北部郊外にある清河駅からだと20分ちょっとで着くことがわかった。大同行きで高速鉄道には信頼感を持っているので、この時点で完全に高速鉄道一択である。
大同行きと同じようにTrip.comで高速鉄道を予約した。ホテルから清河駅までは地下鉄を1回乗り継いで50分ぐらい。Conradホテルの朝食をゆっくり食べてから出発したいということで、10:23清河駅発、10:46八達嶺長城駅着の列車を予約。乗車時間が短いので快適である必要もなく座席は2等席にした。料金は1人あたり574円と格安過ぎる。帰りの切符については、現地での滞在時間が読めないのと30〜50分間隔で列車がありそうだったので、後で買うことにした。(もちろん帰りの列車候補の時間はメモしてある)
清河駅は北京の北側の郊外にあり、地下鉄、高速鉄道、近郊線の3つが通っている交通の要所。北京北駅を起点とする高速鉄道からだと最初の駅が清河駅になる。また、すべての高速鉄道が北京北駅発着というわけではなく、八達嶺長城往復なら、むしろ清河駅を始発・終着とする列車の方が多い。列車は北京北駅にこだわらず清河駅も含めて探して欲しい。清河駅のコンコースにはコンビニ(便利店)やケンタッキー(北京では多くケンタッキーを見かけた)などの飲食店もあるので、早く着き過ぎた時は使ってみてはどうか。
八達嶺長城駅行きの列車は2等席ということもあるのか満席だった。また、座席リクエストしたものの少しバラけてしまった。増田は他のメンバーと少し離れた座席が向かい合わせになっているところだったのだが、行くと南アジア系の顔立ちの2人組が増田の席に既に座ってる。声を掛けると向かい側の座席に移ったが、その席も後から来た人に声を掛けられて移動していたので、この人たちはいったい何だったのだろう。到着までの乗車時間は23分なのであっという間に着いた。
八達嶺長城の入場券は、いつもと同じようにWeChatのミニプログラムから購入するのだが、落とし穴がある。ミニプログラムから検索すると最上位に「八達嶺長城門票預約」という、いかにもそれらしい名前が表示されるが、これは直通バスのとセット券などを取扱う会社のもので、ここからだと単独の入場券やロープウェイの購入に至れない。高速鉄道を使って現地に行く場合は、検索結果の5、6番手に出てくる「長城内外旅遊」(交易保証という緑のバッチが付いている)を選ぶ。もしくはWeChatのアカウント検索から「八達嶺長城」と検索して、そのアカウントを友達登録する。チャットに「八達嶺長城」が追加されるので、そこから「微购票」→「个人购票」を選ぶとミニプログラムが起動してチケット購入画面に遷移できる。
八達嶺長城の入場料(淡期=閑散期)は一般35元、老人(60歳以上)と未成年は無料とあるが、注釈を見ると無料適用は中華人民共和国民のみ適用と書いてある。外国人は一般料金だと思うのだが、気付かずに老人無料で購入手続きを進めていったら、何事もなく購入完了した。(未成年の子供分は一般料金で購入した)無料であってもパスポート情報の登録は必要で、それぞれにQRコードが発行される。入口ではそのQRコードを全員分読み取る。
ロープウェイ(現地の英語表記はCableCar、日本だとケーブルカーとロープウェイは別物のイメージがあるので混乱するが、CableCarの表記に従って進んでもらって構わない)の料金は片道100元、往復140元となっている。往復歩くことはなくても片道だけ歩く可能はあるかなと思い当日まで買わなかった。北京旅行も5日目となり連日の歩きで元気な子どもたちも疲れていたため、全員ロープウェイ往復にすることにして、行きの高速鉄道の中でチケットを購入した。
八達嶺長城駅は地下にあり、地上に出るまでにやはり多く歩く。パスポートによるセキュリティチェックを受けてようやく外へ出た。詳しい案内板とかはないが、駅を出て向かって右側に登って行くとロープウェイ(CableCar)と書いてあるのでそちらへ向かう。左側へ下って行くと自力で登るルートと思われる。
ロープウェイ駅の入口でチケット確認を受けるが、ここでチェックされるのはロープウェイチケットのみ。QRコードを全員分読み込む。八達嶺長城の入場券はロープウェイに乗る直前に改札する。ロープウェイも混んでいて列も並んではいるが受付の女性がチャキチャキと皆を急かすので、イライラするほどの時間はかからなった。
ロープウェイは8人乗り、上りは係員がどんどん詰めて乗車させるので、グループだと分かれる可能性あり。増田一行はたまたますぐ前で切れたので、一緒のロープウェイに乗れた。乗車時間は計っていないが、体感的に7〜8分だと思う。
ロープウェイ頂上駅は八達嶺長城の北側のピークである北八楼のすぐ下に出る。後は少し登るだけで最高部に行けるわけだが、なかなかの急斜面であり、なおかつ多数の人で混雑している。手すりを使おうとするも記念写真を撮ったり、疲れて休んでいる人に阻まれて思うように進めない。80歳過ぎの母は北八楼まで登るのは諦めて途中で写真撮影に専念してた。北八楼を越えると急な下りになり、ぐっと人も少なくなる。北十二楼まで行くことができるらしいので、体力がある方はどうぞ。閑散期である3月中旬でも混んでるなぁと感じるので、夏の繁忙期には酷いことになってるかもしれないので気をつけて。増田は子どもと北九楼まで行き、その他は北八楼で写真撮影して、再びロープウェイまで戻る。老人にとって登りよりも下りが厳しい。前後を挟んでフォローしながら慎重に下りる必要があった。頂上部での滞在時間は1時間ほど。
ロープウェイ降りた時点で12時30分過ぎだった。お昼ご飯どうしようか?となり、ロープウェイ駅近くを見たが目ぼしい店がなさそうだったので、清河駅に戻ってから食べようとなり、売店で茹でとうもろこしを買って当面の空腹を満たしつつ、帰りの列車を予約することにした。このとき、とうもろこしの支払いのWeChat payがリジェクトされたのでAlipayで支払った。この時点で気付けば良かったのだが、実はAMEXが一時停止処置になっていたのだ。
とうもろこし(これが非常に不味かった)を食べつつ、13:33発の列車をTrip.comで予約する。Trip.comはWeChat payやAlipay支払いではなく、クレジットカード直接での支払いで増田はAMEXのみ登録していた。交通状況編で記載の通り、Trip.comでは一度に5人分までしか予約できないので、7人の増田一行は2回に分けて購入する必要がある。まずは5人分の購入手続きを進めるが、支払い時にカード利用不可のエラーとなってしまい、購入完了できない。仕方ないので予備のJCBのクレジットカード情報を入力して何とか購入完了。続いて残り2名分の購入をしようとしたら、13:33発の列車が候補に出てこない。時間を見ると13:04になっていてどうやら出発30分前の購入期限を過ぎてしまったようだ。
次の列車は14:01発、全員分買い直そうかとも思ったが、未購入の残り2名は増田妻と子でリテラシーが高いので別行動でも何とかなると思い、2名分の別チケットを買って、5人は先行して出発するとこにした。
列車内で増田妻とWeChatで連絡を取りつつ、AMEXの停止をどうしようか?とGmailを確認すると、不正防止の観点から支払いを一時停止したとの連絡メールが来ており、結果的に1クリックで停止を解除できた。AMEXに電話しないとダメかなぁと思ってたので良かった反面、このタイミングで止めるなよと愚痴りたくもなった。分乗となったのでお昼はそれぞれで済ますことにした。増田は清河駅近くの小吃のチェーン店で肉まんを、増田妻は駅併設の食堂で餡かけご飯を食べたらしい。
増田妻とは清河駅の地下鉄ホームで待ち合わせすることにして14:40頃に無事に合流した。この日の夕食は雍和宮近くのレストランを予約していたので、それまでの間、鳥の巣(オリンピック公園)か雍和宮の見学のどちらが良いのか迷っていた。皆に聞いた結果、雍和宮案が採用されて地下鉄で移動することに。
雍和宮は”宮”が付いているが、宮殿ではなく北京最大のチベット仏教寺院。もともとは清の皇帝である雍正帝の居室で後に寺院になったことからこの名前になっているそう。閉まるのが早く、16時最終入館、16時30分退出になっている。終わりが近づくと僧侶たちが掃除など片付けを始めるので面白いが、寺院のお土産屋も同じ時間に閉まるので気をつけて欲しい。雍和宮の小さな手提げを複数持っている人を多数見かけたので、きっと良い土産品があるのだと思う。
入場チケットは、いつも通りWeChatのミニプログラムから地下鉄での移動中に事前購入した。しかし、1回につき3名までしか購入できず、なおかつ1端末での複数購入不可の仕様だった。増田一行は7人、妻が別途購入したとしても6名分までで1名分足りない。ネットで調べても古い情報しか出てこないし、同行者でWeChatをインストールしている人はいない。これは詰んだかも?と思ったが、とりあえず現地行こうということになり、行ってみたらチケット窓口であっさり残り枚数を買えた。うーむ。
雍和宮は入口で線香の束を渡される。それをちょっとずつ火をつけて、それぞれの礼拝場所で奉納するのがお約束なのだが、増田一行は勝手がわからず、最初からすべての線香に火をつけてしまった。そういえば、台湾のチベット仏教寺院でも同じミスして、なぜか現地のおばちゃんに怒られたなぁと思い出した。まったく成長していない。
チベット仏教寺院はやっぱり独特で、雍和宮はいくつかの御堂でお祈りしながら奥へ向かって行くスタイル。礼拝用の膝をつけるクッションなどがあるので、周りを観ながら真似して礼拝してみて。そして仏像も独特で面白い。途中、日本の菩薩像に近いものもあれば、奥の建物に行くほどラスボス感が強い仏像が出てくる。ネタバレになるので自分の目で確かめて欲しい。
帰路につく頃は既に16時30分を回っており、お坊さんは御堂の戸締まりや線香のカスなどの掃き掃除などを行っていた。入口にあった寺院のお土産屋に行きたかったが、残念ながら既に閉まっていた。
この日で施設観光はおしまい。翌日は帰国日で午前中にホテル近くの団結湖公園を散歩したが、大きな見どころがあったわけではないので割愛する。次回からはいよいよ食事編に突入する。
初めて北京旅行に行ったら必ず訪れるであろう天安門広場と故宮。もちろん今回の旅のメインである。どちらも人数制限あり、前日までの予約必須ということで、行き当たりばったりの計画では中に入ることができない。基本的に北京の観光地は中国人向けであり、外国人にとって予約の難易度が高くなっていると思う。そりゃ、10億人以上も国民がいるので国内需要だけでものすごいわけですよ。
ガイドブック等を見ても、個人での予約は難しい。現地ツアーか代理店に頼むべし、みたいなことが書いてあることが多いが、増田は事前準備を進める中で、個人でも大丈夫だな、と判断し代理店等は使わずに予約完了できた。3月中旬は旅行の閑散期だったから出来た話かもしれないが、個人で対応するのが好きな方は参考にしてもらえれば。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
まずは予約編。他の観光施設と同じようにWeChatのミニプログラムから天安門広場を検索、起動して予約する。天安門広場の入場は無料だが、時間帯別(日の出、午前、午後、日没〜夜間の4つ)があり、それぞれでチケット枚数の上限があり、前日までに予約が必要。また、1回の予約は大人4名(6歳未満を含めた場合7名)までしかできない。そして1台のスマホで同じ日時の重複予約はできない仕様。今回の増田一行は7名なので、増田夫婦で4名+3名でそれぞれ予約しないといけなかった。天安門広場は毎日、日の出と国旗掲揚をして、日没で降旗する儀式をやっているので、それを見たい人向けの予約時間帯がある。増田は午前枠で予約したが興味があれば試してみて。
天安門広場や故宮周辺はタクシーの乗降が制限されているエリアで、DiDiを使ってもここまで来れないので、地下鉄を使うのが一般的。天安門広場の入口は4箇所あり、増田一行は地下鉄1号線の天安門東駅から入場した。9時ぐらいの到着だったが、地下鉄駅からすでにすごい人だかりができている。天安門広場へ向かう人のほか、故宮へ直接行く人、天安門広場横の国家博物館へ行く人で溢れている。列を間違えないように天安門広場へ入るセキュリティチェックのゲートへ並ぶが、ここでトラブルが発生。WeChatのミニプログラムを開くと、増田が手続きした4名分の予約がごっそりと消えていた。予約完了後にスクリーンショットを取ってあったので、予約したのは間違いないのだが、消えた原因はさっぱりわからない。また、増田妻が予約した3名分は問題なかった。セキュリティチェック前の入場券確認でやっぱり引っかかり、スクリーンショットを見せてもやはり通してもらえず、英語で一生懸命説明するが、係員も英語できないので5分ほどここで停滞。老人がいて7名中3名のチケットはあるので最後には、しょうがねーなー、という感じで通してもらった。係員さん、ありがとう。
天安門広場は南北に広い広場になっている。北側に国旗、真ん中に人民英雄紀念碑、南側に毛主席記念堂がある。道路を挟んで北側に、毛沢東の肖像画が飾られた天安門が見える。その広さに圧倒されるとともに、どうしても天安門事件を考えてしまい、当時の学生デモの状況や戦車による鎮圧などテレビで見た風景が脳裏に蘇ってくる。広場自体は見学するところも特にないので、記念撮影などをそこそこにして北側にある故宮へ向かう。
北京観光のメインディッシュ。これまたとてつもなく広いので、ずっと歩き回らないいけない。今回は春で天気も良かったので過ごしやすかったが、真夏、真冬は大変だろうなと思う。事前に映画「ラストエンペラー」とか日本でも放映されている中国の宮廷ドラマなどを見て予習すると更に楽しめると思う。
まずは予約編。ガイドブックでは中国の電話番号がないと予約できないとか、予約可能枠は瞬殺で無くなるので、個人での予約は難しいようなことが書いてあり、当初はVeltraなどのツアーサイトから予約しようと思っていたが、準備編に書いたように中国の電話番号を手に入れて、WeChatの故宮のミニプログラムで予約の仕組みや連日の予約状況を調べて行くにつれて、これは個人予約でも大丈夫そうだなと判断した。7日前から予約可能で、午前・午後枠を選ぶ。午前枠でも出る時間は午後でも構わないが、12時までに入場しないといけないので注意。午後枠は11時から入場できる。入場料は一般20元、老人(60歳以上)10元、幼児枠はあるが未成年の割引はなかった。その他オプションで鐘表館、珍宝館の入場券(それぞれ10元、老人半額)が選択できる。機会損失の無いよう買っておいたが、鐘表館は入らなくてもいいかなと思う。珍宝館のチケットは、九龍壁など通常券では見れないエリアがあるので買う価値があると思う。
1回の予約で5人分までしか予約できないが、複数購入ができるので2回に分けて購入した。予約にはもちろん全員分のパスポート情報が必要で、最後に電話番号の入力がある。ここで日本の携帯電話番号を入れると弾かれて購入できない。増田は中国の電話番号を取得済みなので、無事に予約完了となった。ただ、SMS受信をしてアクティベーションするわけでもなさそうなので、中国の電話番号の法則を調べてダミーの電話番号を入れて購入する裏技があるみたいな情報も見かけた。(何があるか分からないのでおすすめはしない)
さて、いよいよ入場であるが、天安門広場から地下を通って天安門城楼をくぐって故宮の入口まで歩くのだが、入口につくまでが長い。感覚としては7〜800mぐらい歩く感じだ。そして入場の列に並ぶのだが、これまた長蛇の列になっていて、並んでから入場まで20分ぐらいはかかったと思う。大同古城編でも書いたが、清朝の着物のコスプレサービスを提供する店が多数あり、故宮見学の人の中にも多数の皇帝、皇后の衣装をまとった人たちがいた。日本語を話しているコスプレの人もいたので、興味があれば調べてチャレンジして欲しい。いつものようにセキュリティチェックとパスポート読み取りをしてようやく入場。隣の列にいた西洋人カップルは女性の方だけがパスポートチェックが通らずに止められていた。こういう場合どうなるんだろう?と心配になった。
そして故宮の中も広い!広い!広い!入場までにも天安門、端門、午門と3つの大きな門を抜けているが、さらに太和門を抜けて、ようやく皇帝の執務室?である太和殿に着く。でもこれまでは前半部分でしかなく、後宮である居室はもっと奥にある。太和殿の左右のエリアにも、それぞれ見どころはあるのだが、全部見るには体力がものすごく要るので、今回はメインどころしか見ていない。旅行前にドラマや映画で予習をしておけば、もっとこだわりの見学ができるかもしれない。
太和殿を過ぎたあたりでお昼の時間になり、疲れてきたところでもあるので昼食を探す。故宮内にはいくつか故宮餐庁と呼ばれるレストランがある。日本だったらこのような観光地のレストランは1〜2時間待ちになりそうなものだが、中国人は食事を持ってきているのか、行列はできているが、ちょっと待てば入れそうな雰囲気だった。増田一行はベンチが確保できて休んでいたのでレストランには行かずに売店でホットドック(爆汁熱狗棒)4本とサンドイッチ(かなり本格的で美味しかった)3セットを買って食べた。合計170元、観光地価格ではあるが、十分な量があり満足した。
昼食後にオプションの鐘表館と珍宝館を見学する。鐘表館は清朝時代の時計が展示されており、前半はフランスやイギリスから献上?されたものが展示され、後半は中国国内で制作されたものがあった。10分も見れば十分かなあと思うので、特別な思い入れがなければパスしても構わないと思う。珍宝館は太和殿から見て東側のエリアにある。その名の通り、中国の秘宝を展示しているのだが、貴重なもの(翠玉白菜とか)は蒋介石が台湾に持っていってしまったので、そんなに有名なものはないと思う。(増田が知らないだけかもだが)ただ、このエリアには九龍壁などがあるので展示物は見なくてもオプション料金払う価値はあると思う。ご参考まで。
東側の珍宝館エリアから後宮方面に移動するが、この時点がかなり歩き疲れている。後宮エリアは中央に皇帝の居室である乾清宮があり、その東西に東六宮、西六宮と呼ばれる后たちの館がある。「宮廷の諍い女」などの中国宮廷ドラマを見ている人であれば、きっと楽しめる要素がふんだんにあるのだと思うが、増田一行はドラマを見ていないのと足の疲れがピークに達してきたので、東西六宮は完全に無視して中央部のみを見学しながら出口に向かった。皇后の寝殿である坤寧宮を越えると今までは見ることのなかった木々が多数生えているエリアに入り、最後に延和門をくぐって出口を出る。中国人はどこでもタバコを吸うが、故宮の内部は禁煙なので出口の広場でタバコを吸い出す人が多く、もくもくしている。
故宮の北側には景山公園という築山があり、ここに登れば故宮を見渡すことができるようだが、思ったよりも高く、疲れた足に鞭打って登る気にはならず、またこの後にホテルの移動があるので、そのままDiDiに乗ってホテルへ戻ることにした。ただし、故宮出口付近はタクシー乗降の禁止エリアになっていてDiDiの配車も出来ないので、禁止エリアを出るために500mぐらい歩くことになった。故宮出口の北側の道路は、北京の他の観光地に向かうシャトルバスの乗り場があり、中国人はバスに乗って移動しているようだったが、仕組みが分からないので手を出していない。DiDiでホテルに戻り今日の観光は完了。今日もたくさん歩いた。義母の歩数計によると15,000歩だったそう。
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北京旅行増田です。読んで期待してくれている人たち、ありがとう。
とりあえず今回の旅行で書くべき候補をリストアップしていったら当分掛かりそうな気がしてきた。いつか誰かが読んで役立ててくれればよいので、忘れないうちに順次書いていきます。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
ここを観光地と呼ぶべきかは意見が分かれるところではあるが、北京大学西門や未名湖といったガイドブックにも載るような見どころがある。増田長男の留学先でもあり今回の旅行では外す訳にはいかなかった。
季節によるのかもしれないが、一般旅行客による入場は極めて難易度が高い。すべての門でセキュリティチェックがあり、学生以外は事前予約がないと入場不可。一般客の予約はWeChatのミニプログラム「参観北大」から行う。説明は「7日前から予約可、毎日8時更新」とあるのだが、予約画面に行くと、「校内行事のため、〇月〇日までしばらく停止」となっていることがほとんど。たまに予約可能日が表示されてでも既に枠は埋まってる状態で、これは無理だ思う。
増田一行はどうしたかと言うと、北京大学生の招待枠を使って予約した。増田一行の人数が多いので他の学生にも手伝ってもらったとのこと。ありがたい。予約は3日前から可能でパスポート情報と時間指定が必要。旅行直前か始まってからでないと予約確定しないのと、政府要人が急遽来るってことになったら当然予約できないらしい。どの門から入るかは指定できない。今回は分けて予約したせいか東門と東南門に別れて入場することになったが、200mぐらいしか離れてないのですぐに合流できた。セキュリティチェックはパスポートで行うが、高速鉄道や観光地のように読み取り機があるわけでもなく、屈強そうな係員がタブレット(iPad?)を出して、渡したパスポートと画面を見比べて確認していた。今回の旅行で一番アナログな瞬間だったかも。なお、出口の指定はないので今回は東門/東南門から入って、西門から出た。
増田一行のセキュリティチェックの脇を、学生たちは自転車やミニバイクで学生証を機械にタッチしながらどんどんすり抜けて行く。他の施設と同様に北京大学の校内もものすごく広い。お約束だが東京ドーム換算で17.5個らしい。なので校内の至るところで電動ミニバイクが走り回っており、美団やハローのシェアサイクルが放置状態で転がっている。面白かったのはミニバイクに取り付けるハンドカバーの柄。北京の冬は寒いので、ハンドカバーが大きくなり上半身や足まで覆うようなカバーを使っているのだけど、女学生と思わしきミニバイクのカバーは、昭和のファンシーショップに置いてあるような動物の図柄がほとんどだった。10台ぐらい見てみたが、どれも違う柄だったので相当な需要があるんだと思う。たまにおっさんもファンシーなカバーを使っていてとても微笑ましい。
大学入って門の周りで記念撮影したあとは、大学文創と呼ばれる北京大学オリジナルグッズを取扱う店に行ってお買い物。ボールペンやキーホルダーなどの定番のほか、THERMOSのボトルなど実用的なお土産物が多い。ちなみにTHERMOSのボトルは蓋の裏に茶こしが付いていて中国仕様だった。アパレルも豊富で、Tシャツ以外にも北京大学のエンブレムが付いたダウンコートや、左胸に北京大学と刺繍が入った青色のダサかっこいいジャージとかも売ってた。(買わなかったけど)
買い物終わったらちょうどお昼頃で、学生たちが学食へどんどん向かっている。北京大学には11の学食があるらしいが、ほとんどが学生証がないと注文できないとのこと。実際に行ってみたらゲートがあって、丁寧に学生のみ購入可の掲示があった。この日、増田長男は不在だったので無理かなと思いつつも、学食にいた大学職員?から家園という学食の4階なら学生証なくてもOKとの情報を聞き出し、そこへ向かうことに。はてさて、あったのは「西式快餐」という残念な感じのファストフード店と「小北面包」というパン屋。火鍋のレストランもあったけど学食ではないっぽい。西式快餐で残念なピザと残念なパスタを注文してしまった。子どもたちはカツカレー頼んで満足してた。違う。そうじゃない。
昼食後は有名な西門(正門)へ向かう、寺院のような豪華で古典的な門で、入学した学生は必ずこの門で記念撮影をするという。また、北京大学の北側半分は、コンクリート造りで雑多な建物な南側と異なり、学生もほとんど居らず、未名湖という大きな湖があり、湖越しに博雅塔が見えるなど、同じ大学内とは思えないほどのデートスポットになっている。このエリアのクラシカルな建物にはどんな学部が入ってるのだろうと案内板を見たら「考古学研究所」と書いてあって納得。西門に戻って外へ出たら中に入れない観光客がたくさんいて記念撮影していた。へへ〜んと優越感を得て北京大学見学は完了。10時に入場して14時までぐらいかな。
北京大学から見てすぐに西側にある歴代の中国皇帝により整備された庭園。ここもものすごいスケールで大きな湖があるが、これも人造湖だという。世界文化遺産(1998年登録)に指定されている。今の形に整備されたのは西太后が自分の住まいのために莫大な資金を投入したとかで、専制君主ってのは良くも悪くくもすごいなと思う。
北京大学西門を出たらすぐだよ、と増田長男は言っていたが、距離を測ると2.5kmほど。地下鉄駅もすぐ近くにはないので当然のごとくDiDi呼んで移動。この頃にはDiDiの利用にもだいぶ慣れてきて、ちょっとした移動でも躊躇せずに使うようになってきた。DiDiで移動したのだが、頤和園入口前で大渋滞になってしまいタクシー運転手もいらいらしてきたようなので100m手前ぐらいで降りてあとは歩いた。
頤和園のチケットは事前予約していなかったので、WeChatで「頤和園」と検索してミニプログラムを開いて購入した。当日購入は可能だが時間帯毎(9時〜12時、12時〜15時、15時以降)にチケット枚数の制限があるようだ。事前予約は7日前から可能なので繁忙期にどうしても行きたい場合は事前予約しておいたほうが無難かも。チケット代金は入園だけ、博物館などの入場料込の2種類ある。増田一行はすでに北京大学で歩き疲れていたので入園だけのチケットを購入したが、耶律楚材祠など朝からじっくりと見学したい人はフルセットのチケットが良いと思う。入園だけのチケットは一般20元、未成年10元、老人(60歳以上)無料、ほかと同じように購入にはパスポート番号の登録が必要だが、購入完了後、QRコードが発行されるので入場はQRコードの読み取りで行う。無料の老人はチケット購入がないのでQRコードは発行されない。入場チェックは曖昧で老人だと認識されるとパスポート確認もほとんどされない。
老人無料ということも関係があるのかもしれないが、頤和園は老人の団体旅行客がものすごく多かった。ひと昔前の農協ツアーを思わせるような、旗を持ったガイドに先導され、同じ帽子(赤や黄色などの目立つ色)を被った集団で埋め尽くされているエリアがいたるところにあった。頤和園内の見どころの説明看板には中国語、英語、日本語、韓国語の4カ国語で書かれているので、日本人にとっては非常にありがたい。日本語説明があるだけでも満足度が上がり、滞在時間が伸びる。湖には遊覧船もあるようだが、この日は動いていなかった。(運行停止のような記載があったが、季節によるものか、たまたまなのかは不明)
団体旅行客を避けつつ、日本語の案内文を呼んでいくと清朝末期の西太后や光緒帝の軋轢、悲しいエピソードに触れることができ、大変おもしろかった。歴史好きならば事前に予習しておくともっと楽しめると思う。園内には北京老舗の茶屋「呉裕泰」のお店があり、ジャスミンティーやココナッツミルクティーなどのお茶(13〜20元、アイスもできる)やソフトクリーム(10元)もテイクアウトできるので、天気がよければ休みながらゆっくりと過ごすのも良さそう。増田一行は連日の歩きで疲れているので入口周辺をぐるっと回っただけだが、それでも2時間弱の滞在だった。園の北側には行っていないが、小高い山(人造だそう)があり仏香閣などの有名な建物があるので、時間と体力に余裕がある人はフルセットのチケットを買って行ってみて欲しい。
16時過ぎに退園してDiDiでホテルに戻る。頤和園は北京市街の北西の外れで、ホテルは紫禁城の南東側に位置するので距離にして24kmほどになるが、タクシー料金は約60元(1,260円)などで地下鉄でも帰れるが、やはりDiDiが強い。
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