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はてなキーワード:区役所とは

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2025-10-08

じゃれ本「生クリーム区役所」のあらすじはこうだったはずだ。「牛乳センター」のふところの深さを知りたかったのだ。とはいえ、あの恐るべき元町派3つ年上のお姉さまのことを、元町一家が許してくれるわけはない。そこで私は久しぶりの恋愛小説執筆を始めた。というわけで(本人に対して言うのもなんだが、この世間の風当たりは決してゆるいものではないということだけは断言できる)、さっそく、この2年近く「牛乳センター」に溜まった恨みを述べていきたい

AnondAI作成

Permalink |記事への反応(0) | 22:14

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2025-09-16

LINE死にたい時は相談窓口的なやつにいつも死にたくなったら話聞いてもらってたんだけど

この前度が過ぎたのか区役所まで来てって言われて

なんか三人くらいに囲まれ精神科医にどうしまたか?みたいに聞かれてめちゃくちゃ不愉快だった

もうどこにも相談できない

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。


近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

Permalink |記事への反応(0) | 00:38

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2025-09-03

政令指定都市局長ワイ、仕事ミスして無事死亡

役職定年して区役所障害支援区分やってる。

これでも元局長

元市長(現県知事)が外郭団体整理しすぎ+メンタル面での不調で休職してる若手職員が多すぎにより、局長経験者や部長経験者でもガンガン現業やらされる。

昨年まではケースワーカーやってたけど、60超えて自転車真夏家庭訪問したり、100人受給者事務処理を毎月やるなんてとてもじゃないけど無理。

かと言ってモノレールやら財団やらの外郭団体は県OB地銀OBとの取り合いでなかなか枠があかない。

それで懇願して今年の4月から今の部署にいる。

それでも月にとんでもない数の申請が来て、処理が追いつかない。

俺本当に管理職になる前はこんな仕事こなせてたのか?と自分の経歴を疑いたくなる毎日

そんでついに数ヶ月前からミス問題顕在化して来てしまって、もう本当にやばい

こんなの俺が望んでいたセカンドライフじゃない。

とりあえず明日は年休もらった。

もう嫌だ。

Permalink |記事への反応(2) | 21:16

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2025-08-21

anond:20250821143812

ダビデ像を各区役所の前に建てようぜ

Permalink |記事への反応(0) | 14:39

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2025-08-12

anond:20250811001013

この記事、私は冊子版で読んだ。氷河期世代に関して流布しているイメージは実際には違うものもあるという指摘がなかなか面白かった。(余談だがAIに要約させるとその辺が見えづらかった)

この記事の中で

 近藤 「日本経済成長するべきだ」と思っている度合いには世代間ですごく差があると感じています。我々より上の世代の人たちは、どこかで日本経済が復活することを願っている印象があります。我々、就職氷河期世代バブルの頃を何となく覚えている最後世代なので、そのあたりの感覚は人によって分かれるところですよね。私などは、「高度成長期はもう来ない」と思っちゃうほうです。

 もっと下の世代だと成長の記憶がないので、「あの人たちは何をピリピリしているのだろう」みたいな反応を示すことが多い印象があります。それをもって「日本はもうダメだ」と悲観するより、もう少しできることを見たほうがいいのかなと思うんですけどね。

と言っているのだが、冊子版だとこの記事の次に甘利明1949年まれ)の講演会トークが載っていてそこで「日本経済成長(復活)」 について滔々と語っていて面白構成だった。

 あと、社会的成功している氷河期世代の中に被害者意識が強いのがいる、というのは確かにいるなあという感想普段自己責任信者言動をしている年収千万円超えの人が、急に政治社会低所得者に対して悪態をつくのは見かける。

曰く「努力して年収千万円超えたのにどうして病院区役所貧乏人と一緒に待たされなければいけないんだ!俺を優先的に通せ!」とか「低所得者医療子育てにかかる金について優遇されている!けしからん!」 (そう思うなら自分低所得者になって「優遇」されればいいのに)とか。

Permalink |記事への反応(1) | 17:53

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2025-08-09

anond:20250809122805

「今回は緊急避難だし、たとえ次回があってもきっと緊急避難になる状況でしかないとは思うが、何かの拍子にその範囲を逸脱してしまうことがあるかもしれないから、念のため気を付けてね」と伝えるべきところを、区役所担当者言葉選びが、がさつだっただけじゃないかな?

それと「協力的すぎる」問題はまた別の話だろうけど。

Permalink |記事への反応(0) | 12:35

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夫が地域に協力的すぎる


雑な相談かもしれないけど、聞いてほしい。

うちの夫、昔から地域の頼まれごとを断れない性分なんだけど、先日マジでひどいことがあってどうしたらいいか悩んでる。

ある日の早朝、まだ薄暗い時間に、近くの病院の人がいきなり家に来た。なんでも、病院内にアライグマ侵入たからどうにかしてくれと。私が「警察に連絡したら…」って言いかけた瞬間、夫は「任せて」って飛び出していった……。

その後、夫は苦闘の末、アライグマを見事に捕獲。結局、区役所に引き取ってもらったんだけど。

その日の夜、区役所から夫に電話があった。「鳥獣保護法に触れるため、勝手野生動物捕獲すると罰則がある。今回は緊急避難とみなすが、場合によっては逮捕される可能性もあるから気をつけて」って内容。

夫は「善意でやったのに」って落ち込んでたけど、私は呆れを通り越してドン引きしてた。

このアライグマの一件だけじゃなく、夫は地域の草むしりとか、見知らぬ人の落とし物探しとか、神社の例祭の運営とか、頼まれれば何でも引き受けてしまう。善意なのはわかるけど、正直、もう度が過ぎてる。

今回の件で、夫の行動が私たち家族危険を及ぼす可能性もあるって痛感した。どうにかして夫に、もう少し考えて行動しろって言い聞かせたいんだけど、まったく聞く耳を持たない

もうどうしたらいいんだか。誰か良い言い方知らない?

Permalink |記事への反応(2) | 12:28

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2025-07-28

選挙立会人必要理由

先日の参議院選挙投票事務で思ったことがある。一若手職員意見に過ぎないけど、テーマ投票立会人について。

まだ勤めて数年以内の若手だけど、先日7月20日に行われた参議院選挙で、都内のある投票所の選挙事務担当することになった。その時の経験を語りたい。ちなみに選挙事務人生2回目。

正直、それまで選挙立会人なんて形式的ものだと高を括ってた。いなくても困らないんじゃないかと。だが、今回の経験でその認識は180度変わった。立会人は間違いなく必要だ。

ちなみに立会人というのは、地域住民代表投票所・開票所で不正がないか見張る役割である事務員と同じく、早朝~深夜までずっと現場に居て、投開票を見守る。

多くの市区では、古老と言ったら申し訳ないけど、地域の顔役みたいな人が務める。



いくつか出来事を挙げていく。まずはひとつめだ。

早朝に投票が始まって、しばらく経った頃、車椅子に乗った方が投票に訪れた。投票所の入り口から投票箱まで、何メートルもある距離を物凄くゆっくりと進んでいく。介助者が一応いたのだけど、そのご老人はさ……車いすを押してもらうのを拒否したんだよな。職員が押すといってもダメだった。なにかのこだわりか矜持があったのかもしれない。

しか投票箱の前にたどり着くのに、ずいぶん時間がかかっていた。投票箱というのは、選挙中に最初位置から動かしてはならない。しかし、このままだと、そのご老人は何度も車椅子を動かさないといけない。投票は2回ある。自分を含め、現場職員は誰もが「どうしたものか」という雰囲気だった。

すると、そばにある立会人専用デスクに鎮座していた立会人Aさんが、こっちの方を向いて言ったんだ。

「何が正しいか、よく考えて動きなさい」

その言葉にハッとさせられた。

すぐに投票箱の位置を移動させて、その車いすの人がスムーズ投票できるようにしてあげた。距離的には相当のショートカットだった。もし立会人がいなければきっと、ルールに縛られたまま、あの人に不自由な思いをさせていたと思う。

投票時間中に投票箱を移動させてはならない」というのがどのレベルの法なのかはわからない。でも、仮に国会を通った法律だったとしても、今回はこの対応でよかったと思うよ。

やっぱり人生経験がある人ってさ。法律とか超えたところにあるルール理解してるんだよな。



ふたつめである

別の時間帯には、一人の男性投票用紙交付の列に並んでいた。自分の番になって、選挙案内ハガキを……2枚出した。「あれ?」と思って私が両方バーコードを読んでみると、片方はその人の奥さんのものだった。

「すいません、こっちは別の人のなので」

と言うと、「代理でできないの?」と言われた。

「できません」と伝えたところ、そのおじさんは、なぜかその場でバリバリと音を立てて投票用紙を破り始めたのだ!そして奴は「もういい」と破り捨てた紙片を床にばら撒いた。

自分を含め、現場職員呆然としてた。投票管理者(※課長級の職員)までどう対応すればいいか迷っていると、立会人男性Bさんがすかさず動いたのだ。

Bさんは低い声で、強い口調で、「おい、○○!選挙妨害行為すんなや。通報すんぞ。選挙会場でまで迷惑かけんなや……」と毅然として言い放った。ヤンキーの口調だった。※Bさんはおじさん世代

男性は『なんであんたがいる!?』という感じでたじろいで、何も言わず投票所を出て行った……。投票はしなかった。ちなみに案内ハガキあくまで案内、ただの紙である選挙期間中に破ろうがどうしようが問題は起こらない。統計上も影響なし。



みっつめは、午後になってからのことだ。

暇になった時間帯に、いつの間にやら高齢男性投票所の受付にいた。女性職員数人の前で、世間話に花を咲かせていたのだ。彼も一応投票であるが、投票が終わった後に受付まで来てこんな話をしていた。

いくら周りに投票者がいないからって、お構いなしだ。女性職員も困った顔をしていたが、相手高齢者ということもあり、強く注意できずにいた。老人の性欲ってみっともないよな。

すると、またしても立会人Bの出番だった。こっちの方までずんずんと歩いてきてくれた。

お話はそこまでにしてください。選挙会場は私語厳禁です。申し訳ありませんが。ご協力ください」

と、穏やかながらもハッキリと促したのだ。老人は不満そうな顔をしたけど、すぐにニコニコとした表情に戻った。それ以上は何も言わず投票所を出て行った。



最後が一番、「立会人さん、ありがとう!」と思った出来事である

投票時間も終わりに近づいた頃、若い女職員数名が、さっき投票を終えたばかりの年の差カップル2人組(※男性がかなり年上)について、ヒソヒソ話をしていた。投票用紙交付スペースのあたりで。

「ね、さっきのあの2人って親子なのかな?それとも……付き合ってる?」

「わかんないけど。そういう雰囲気あるよねー」

そんな詮索をしてた。その子らは、と言っても自分よりも年上職員なのだが……さすがにイラときた。

自分業務関係で、たまたまあの2人の関係を知っていた。噂をされるのが特にイラときた。怒りは有頂天に達しそうだった。

しかし、そんな事態すらも立会人が聞きつけていた。ちなみにAさんである。Aさんは彼女たちのもとに歩み寄ると、「そういうことを話したらダメ。あのふたりが聞いたら傷つくじゃないかプライバシー発言は控えるように」と、これまた冷静に注意したんだ。

女性職員たちは「あ……」みたいになって、謝っていた。自分だって気持ちはわかる。確かに20才ほどの年の差があるカップルである

ヤキモキしていると、立会人Aさんが、さっきの女性職員に耳打ちするようにしていた。そしたら、小さく「キャー!!キャー!!」という声が聞こえてきた。あの2人のことはさすがにここでは書けないけど、人生はいろいろあるのである



これらの経験を通して、選挙立会人必要性を痛感した。これまでは、本当にいらないと思ってた。投票所じゃなくて、開票所に何人かだけいればいいと思ってた。

自分らは公務員という立場上、とにかく中立性や公平性を求められる。感情的になった有権者や、場の空気を読めない人に対して強く出ることが難しい。住民さんには弱い。

しかし、立会人はそういった「対応しにくいタイプ」の人々に対し、明確な態度で臨むことができる。行政ではなく住民なのだから笑 あの人達は、選挙の公正さを保つための番人だった。選挙立会人は欠かせない存在であると、今なら自信を持って言える。

自分も今の区役所定年退職して、生まれ育った特別区で、いつかは立会人をやってみたいと思った。

ちなみに、投票管理者立会人2人が昼食中に話していたのを聞いたところ、都内だと立会人を1日する度に約一万円もらえる。AさんとBさんは期日前投票立会人を数回と、この日と、この日の夜の開票立会人を務めるので、最低でも4~5万円はもらえることになる。

責任の重さを考えると、これくらいは当然と思われる。でもさ、選挙立会人として地域の中で白羽の矢が立つって、普通にスゴイことだと思う。普通の人は指名なんてされないよ。

自分もいつかは、それくらいの人間になってみたいと思った。以上です。

Permalink |記事への反応(1) | 22:43

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2025-07-24

石丸伸二、生活保護申請現場

申請は当然の権利です」

区役所生活福祉課。由美は椅子に座り、手元の書類を見つめていた。隣には、腕を組んだ石丸伸二。彼の視線は、職員の机の上に置かれた申請書類に鋭く注がれていた。

「この書類、何のために必要なんですか?」石丸が口を開く。職員が戸惑いながら答える。「ええと…申請審査必要でして…」

「“必要”という言葉は便利ですね。根拠曖昧でも使える。ですが、行政は“説明責任”を負っています生活保護法第24条にその書類の提出義務が明記されていますか?」

職員言葉に詰まると、石丸は机を軽く叩いた。

あなた方が“慣例”で物事を進めるから制度形骸化するんです。申請者は制度の“恩恵”を受けるのではなく、“権利”を行使している。その違い、理解されていますか?」

由美が目を丸くして石丸を見つめる。職員は「確認します」と言って席を立った。

石丸はため息をつきながら言った。「この国の行政は、申請者を“お願いする人”として扱う癖がある。違います彼女は“当然の権利”を行使しているだけです。」

数分後、職員が戻ってきた。「…ご指摘の通り、扶養照会は任意です。申請受理いたします。」

石丸は微笑みながら言った。「ようやく、法に基づいた判断ができましたね。これが“行政のあるべき姿”です。」

由美は小さく笑った。「なんだか、見ていて気持ちよかったです。」

石丸は立ち上がりながら言った。「僕は、正論を言っているだけです。感情ではなく、論理で動く。それが政治家仕事です。」

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Copilotで作成

石丸伸二さんが生活保護の申請に同席するイメージができなかったので作ってみました

Permalink |記事への反応(0) | 21:24

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2025-07-11

平日の午前に期日前投票行った

板橋区

期日前投票に行ってきた。

区役所期日前投票所で8時半から開いてる。

9時手前に行ったら本当にガラガラ自分以外に投票しに来ていたのが老夫婦1組だけだった。

全行程完了までトータル5分も投票所に居なかった気がする。

仕事終わりとかに行くと結構行列してるからやかんや待たされて30分位は消費する。

これからフレックス使って午前中に投票が良いなと思った。

Permalink |記事への反応(0) | 12:57

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2025-07-02

市役所区役所職員ってどう見ても年収700万の顔してないんだよなあ

外見だけ見たらなんならワープアの顔してる

Permalink |記事への反応(3) | 08:02

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2025-06-19

家電回収

区役所家電回収ボックスがある

入り口の近くのみんなが通る便利な場所に置いてある

電源コードとか、ACアダプタとか、それ以外でバッテリ内蔵の家電も捨てられる

とても便利な家電回収ボックス

さて、亀頭責めローターを買ったけど、やたら音が大きいので使えないので捨てようと思う

亀頭責めローターはたぶん家電だと思うんだ

問題は人通りが多いということだ

でもパッと見た感じでは電動シェーバーみたいに見えなくもない

勇気を出して行動しなくては

Permalink |記事への反応(0) | 11:22

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2025-06-13

歌舞伎町沿いの靖国通り、午後になると5分に1回は自転車で赤信号無視する、もしくは逆走するバカ見かけるよね。

あそこだけでも日本人検挙率0.5%ぐらい上がるんじゃね?



区役所前でアラブ顔の逆走LUUP野郎に1回ぶつかられそうになってガンつけられたから「アッラーアクバル」って言いながら中指立てるド直球の差別行為行ったことあるけど、

https://www.youtube.com/watch?v=vuP9iwdyyFM

ほぼ3日に1回この辺通ってて違反してる奴8割以上が日本人顔。ジジイも夜職も関係なし、なんならヘルメットした10歳ぐらいの子まで親に連れられて新宿ピカデリー前逆走してる。

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

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2025-06-04

anond:20250302163410

こういう奴に限って、公園騒音迷惑だとか言って区役所クレーム入れたり裁判したりするんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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2025-05-19

anond:20250519103943

そういえばこいつ「私は電通工作員じゃない」って否定もしてないんだよな。

詐欺師のやり方じゃん。

区役所の”方から”来ました」って言えば嘘にならない奴。

Permalink |記事への反応(1) | 10:40

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2025-05-13

精神障害者大阪関西万博で楽しむ方法

需要いかもだが、障害者口コミが少なめなので私の体験をもとにまとめたもの投稿してみる。

私の障害レベル

特別割引券を買おう

障害者特別割引券を買おう。大人3,700円。付き添い1名も同じ金額になる。

普通の人と同じ手順で購入できる。購入時に手帳のチェックは無い。

その後は普通の人と同じように万博IDをとって来場日を予約する。

多目的レーン(優先入場口)がある東ゲートを予約する。

何十回も万博に通いたいなら通期パスの方がお得。

通期パスでも後述の方法障害者だとわかってもらえれば優先入場口を利用できる。

ヘルプマークを用意しよう

精神障害者は見た目で障害があるとわからない。

そのためヘルプマークを用意しておく。

ヘルプマーク区役所などで無料でもらえる。

持ってないなら、入場前に、東ゲートの優先入場口の近くにあるアクセシビリティセンターに寄って「ヘルプマークをください」と言ってもらっておく。

東ゲートの優先入場口から入場する

東ゲートの優先入場口に向かいヘルプマークを見せて「ハンディキャップがあります」と説明すればすぐに入場できる。

公式サイトには「障害者手帳を見せてください」とあるが何故か要求されたことがない。

出る時も同じ東ゲートの優先入場口に向かいヘルプマークを見せて「ハンディキャップがあります」と説明すればすぐに出れる。

ハンディキャップがあります」を多用しよう

普通の人は大手海外パビリオンものすごい行列を30分から時間も並ぶことになるが障害者は優先レーンに案内される。

行列の後ろにいるパビリオンスタッフヘルプマークを見せて「ハンディキャップがあります」と言おう。外人スタッフでも大丈夫。通じる。

日本人スタッフだと稀に「障害手帳を持っていますか?」と訊かれるので障害者手帳も見せる。障害者手帳も忘れず持っていくこと。

障害者だとわかってもらえると優先レーンに案内される。

ベビーカーも優先レーンで入れるため並ぶこともあるが私の経験では最大でも10分ほど待てばパビリオンに入れる。

ただしこの方法国内パビリオンでは通用しない。

国内パビリオン車椅子など重度の障害者のみ優先される。精神障害者は優先の対象ではない。

その他

私は使用したことがないがパニックに陥った場合(そこまでして万博に来るなという意見はさておき)クールダウンルームで休憩できる。

場内に8箇所あるとのこと。場所公式サイト確認してほしい。

これも利用したことがないがリング下を走っている「e Mover」なるバス障害者手帳を見せると無料で乗れる。

障害者手帳の代わりにデジタル障害者手帳ミライID」が使えると公式サイトには書かれているが把握しているスタッフが少ない気がする。

以上。

Permalink |記事への反応(2) | 00:19

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2025-05-10

マイナンバーカード更新しないことに決めた

マイナカードが導入されたのが2016年。先陣を切って使い始めたアーリーアダプターだったので、今年(2025年)の誕生日マイナカード有効期限が切れる。

ここでまず「あれっ?」て思う人がいるかもしれない。マイナカード有効期限は10年なのになぜ来年2026年)ではなく今年に有効期限が切れるのかと。

現行マイナカード有効期限は「発行から10回目の誕生日まで」*1 なので、2016年誕生日前に申請したら2025年誕生日有効期限が切れる。

次期マイナンバーカード2026年に導入される

2026年に新仕様個人番号カードが導入される *2 が、そこで次のような仕様変更がある。


更新するとどうなるか


一時的マイナカードが無くても問題なさそう

これまでの経験からマイナカード必要だったのは次のケース。いずれも代替策があるので問題なし。


結論

というわけで、マイナカードが無くても問題なさそうなので、更新しないでそのまま有効期限切れにすることにした。

仕様カードが取得できるようなったら申請しようかな。

ちなみに有効期限が切れてからでも無料申請できる *3 。

*1マイナンバーカードに有効期限はありますか? – マイナンバーカード総合サイト

*2次期個人番号カードタスクフォース(第4回)|デジタル庁

*2次期マイナカードは何が変わる? 新デザインに暗証番号統合、「マイナンバーカード」の名称変更も検討へ(1/3 ページ) - ITmedia NEWS

*3マイナンバーカードの交付申請に手数料はかかりますか? – マイナンバーカード総合サイト

Permalink |記事への反応(15) | 23:50

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2025-05-05

転活でこれまでの職歴否定された


就職のことで悩みがある。今は夫の転勤先に付いていった元パート主婦という身分になる。

私の肩書は……特別区臨時職員。だった。正規公務員じゃなかった。この仕事に誇りを持っていた。

特に、私が7年間従事してきた「道路用地取得」という業務は誰にでもできる仕事じゃないと自負している。

そのスキルがあれば、転職ができると思っていた。それで、夫の転勤が決まったらすぐにハローワーク登録して活動を始めた。

それが全然うまくいかなかった……私が臨時職員だったから?それともスキル価値がなかったから?はてなには、転職活動キャリア形成に詳しい人がたくさんいると思う。もし読んでる人がいたら相談に乗ってほしいな。



私が担当していたのは、主に区道の拡幅や新規開通に必要土地の取得だ。古くから住宅地再開発エリアが混在している地域だった。

地権者との交渉(の補助)、測量の立会、登記手続き補償金の算定……。最初は右も左も分からなくて、悲しいくら通用しなかったけど、がむしゃらに勉強した。

専門書を何冊も読んで、先輩職員に食らいついて実務を覚えた。残業ができない契約形態だったから、役所にある書籍を家に持ち帰って勉強した。

難しい用地交渉も多かったけど、粘り強く向き合った。私が主担当案件というのはもちろんない。けど、私がいたチームが合意形成に漕ぎ着けた時の達成感は、何にも代えがたかった。

7年もやれば、一通りのことをこなせるようになった。正規職員でも、この業務を私ほど深く理解している人間は少なかった。正規職員さんは、2~3年で必ず別部署に異動になるから

「本当に助かるよ~増田さんがいてくれるから現場が回るし」

上司からのそんな言葉が、臨時職員という不安定立場にある私の心の支えだった。任期一年更新

いつまでこの場所で働けるか分からないという不安はあったけど、必要とされている実感があったから頑張れた。

私の人生に突然「まさか」が訪れた。

昨年に決まった夫の転勤だ。全国転勤のある職種から覚悟はしてた。まさかこんなタイミングで。単身赴任という選択肢もあったけど、話し合った結果、私も一緒に引っ越すことになった。

子どもがいたし、次の転勤先ではマイホームを買う話も一緒にした。次を最後土地にしたいって。夫の会社の慣習だと、次の転勤先が最後可能性が高いって。引っ越し先は、関西にある都心郊外だった。

新しい生活への期待もあったけど、一番の懸念は私の仕事だった。特別区臨時職員というキャリアは、地方でどれだけ通用するのだろうか。



夫と一緒に新しい生活の準備を進める傍ら、就職活動を始めた。最初にまずは……ハローワーク登録して、簡単キャリアカウンセリングを受けてからPC求職画面を眺めてみる。

この7年間で培った用地取得経験を活かせる仕事はないかな。そう考えて探した結果、目に留まったのは「測量会社」や「司法書士事務所」の求人だった。

測量会社では、用地測量や境界確定といった業務で私の経験が活かせるかもしれない。

司法書士事務所では、不動産登記に関する知識が役立つはず。何より、これらの求人は時給が良いものが多かった。臨時職員で働いていた時の時給(約1,250円)よりも、大幅にアップする可能性があった。

これまでの頑張りが、きちんと収入に結びつくかもしれない。ありがちな表現だけど、期待に胸を膨らませて履歴書職務経歴書を作って応募した。ひとまず5つ。

現実は厳しかった。5社すべて書類選考で落ちた。諦めずにハローワークにあるパソコン画面に向き合った。そして、さらに5社を見つけて応募した。

その時は……ひとつだけ面接に進んだけど、結果は不採用の通知。「経験は大変素晴らしいのですが……」と、面接官は歯切れが悪かった。

なんで。7年間も実務を積み重ねてきたのに、なぜ評価されないの。またさらに、5社見つけて応募した。この5社に応募した時、「私が見つけた測量登記会社5つ――3選」という言葉が浮かんできた。計15社ということになる。バカじゃないの?自分でも情けなくなるほど、つまらない冗談だった。

ある測量会社面接でのこと。私の職務経歴書をじっと見た面接官が、こう質問してきた。

増田さんのご経歴、拝見しました。特別区用地取得のご経験豊富とのこと。素晴らしいですね。御餅の資格はありますか?」

わず言葉に詰まった。

申し訳ありません。持っておりません」

「そうですか。やはり、実務経験重要ですが、弊社のような専門職現場では、土地家屋調査士や測量士といった資格が重視されます増田さんは、公務現場でもその……ご経験あると思うのですが、住民さんとか周りから見てハクが付くというか。あ、そうだ。測量士補だったら、御餅ですよね?」

私は「いいえ」と答えるしかなかった。面接官の言葉の続きを聞くのが怖かった。

私の7年間の努力は、資格という「形」がないだけで、そんなにも価値がないものなのだろうか。

そう、原因は資格だ。用地取得仕事は、民間企業だと、不動産鑑定士や土地家屋調査士や測量士、あるいは司法書士といった資格を持つ人が中心になって動く。

私の立場は、あくまでその業務サポートする、あるいは区役所側の担当者のひとりとして調整役を担うというものだった。実務経験豊富でも、法的にその業務を行える資格は持っていない。

道路用地取得登記業務だと、現場がすべて終わったものとして、まずは測量コンサルタント(道路用地の登記図面を作る)が作った地籍測量図など一式をもらうと、測点その他登記必要な事項の全確認をして、測量図の「作成者」のところに担当する正規職員名前を入れて、不動産調査報告書を作って、登記申請書を作って……毎週一度、法務局に行く便に合わせて登記申請をする。

ところで、公務職場正規職員でも専門資格を持っている人は……おそらく1%未満だ。じゃあ、役所の人がどうして測量登記業務独占の例外になれるかというと……うちだったら、区長から人事異動通知書がある。

そこには、税務・福祉その他の専門職の例に倣って、「用地取得・測量及び登記に関する~~業務を命ずる」とはっきり書いてある。だから資格のない公務員でも食券職権を使って測量登記ができる。私はそれすら(人事異動通知書)を持ってなかった。あくまで補助だから

だって資格を取りたかった。特に司法書士資格に興味があった。

でも、臨時職員として働きながらの資格取得は想像以上にハードルが高かった。試験勉強に充てる時間を確保するのは難しかったし、高額な予備校に通う経済的な余裕もなかった。

正規職員だったら資格取得のための支援制度があるけど、臨時職員にそういった制度はない。

わかってる。資格がないと、専門性客観的証明するのが難しい。それが社会の仕組みだと思うよ?

でも、ここまで長期間、泥臭く実務をこなして、地権者の想いに寄り添って、複雑な法律手続きを学んできたこ経験は、一体何だったんだろう。

測量会社司法書士事務所だけじゃなくて、他の一般企業事務職視野に入れてみたけど、いい結果は得られなかった。年齢かもしれないし、土地柄かもしれない。

でも、一番の要因は、あの面接官の言葉に集約されている気がする。私のこれまでのキャリアは「資格がない」という一点において、否定されてしまったんだ。



結局、ハローワークだけじゃなくて、ビズリーチも、ほかの転職サイトも、リクルートエージェントにも登録してみたけど、ダメだった。

今は、専業主婦をやっている。家事育児はしやすいけど、心に何か穴が開いたような気がして。これまでの努力無駄だったと言われたような、そんな絶望感が胸に広がってる。

私は、これからどうすればいいんだろう。7年間積み重ねてきた経験は、もう役に立たないんだろうか。

新しい土地で、私はどんな仕事を見つければいいのだろう。

頭の中が真っ白になってる。仕事したい。仕事がしたいよう。

Permalink |記事への反応(49) | 10:16

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2025-05-03

連休悪夢

30代後半の会社員

明日から妻と旅行に出かける。

今の結婚は二度目の結婚だ。

私の前職は地方公務員で、前妻は紹介で知り合った自治体外郭団体職員だった。

当時、父、兄、叔父経営する会社財政状況が悪化不渡り直前のような状況で新婚生活を過ごしていた。弟は法科大学院を修了するも司法試験合格することができずに精神的不調に陥り医療保護入院となっていた時期でもある。親の会社好調だった頃に何不自由ない学生生活を過ごさせてもらった私は両親に代わり弟の学費を支払っていた。

自分自身生活費と家賃、弟の司法試験予備校大学院のローンの支払い、まだ高校生の妹もいた実家への仕送り

支払いだけで給与が消え、そのうちに妻が妊娠し出費が増えると支払い予定は給与を上回り貯蓄がものすごいスピードで目減りした。

妻や義両親には経済的状況を打ち明けられず、足りないお金キャッシングで賄う日々。

ある引き落とし日になんとか集めたお金で支払いを済ませた。

その翌日はゴールデンウィーク初日で妻と小旅行に行く予定だった。

いつも前妻と出かける時は近場のコンビニアイスコーヒーを買って駐車場でナビをセットするのがルーティンだったが、もうガソリンを入れるお金も一杯のアイスコーヒー(今は120円だが当時は100円だった)を買うお金もない。

数日後に控えるカードの引き落としもできない。

その瞬間、私はこの幸せ生活の終わりを悟った。

ちょっと買い物に行ってくる」と言って振り返った。

大好きだった前妻の姿を見て声を聞いたのはそれが最後だった。

財布もスマホも持たず、公園公共施設の水だけを飲んで行く宛もなく知らない町や山道を歩き続けた。

数日間歩き続け、連休が終わり、膝が痛みを通り越して最早何も感じなくなった頃に地方都市にたどり着いた。

何か食べたい。布団で眠りたい。

公務員生活で得た知識を活かした。

標識を頼りに市の区役所に行き、生活保護業務担当する部署の窓口でNPO運営する無料低額宿泊所の連絡先と住所を求めた。

近くの交番警察に道を教えてもらい、一番近い施設へ徒歩で向かった。すぐに入所を決め、施設職員とともに先程の窓口へ行き生活保護を申請した。

その夜、寮の食堂で久々の食事をし、布団の中で眠った。食事は今思えばひどいもので、寮や寝具はかなり汚く不衛生だったが、その時の私にはようやくたどり着いた天国だった。

昼間はぼーっと天井を見つめ、食堂で他の入居者と食事をし、夜は眠る

こんな生活が数ヶ月続いた。

酒や喧嘩施設利用料の支払い(生活保護費の殆ど施設利用料として消え手元にはほとんど残らない)で揉めるなど問題を起こす入居者が多い中、大人しく金を払ってひたすらぼーっとしてる私は施設から気に入られ事務仕事を手伝わされるようになった。

支給日や入居者の通院の際に送迎をして欲しいと言われ、免許の再発行をするために住民票などの手続きをした。

それがきっかけでケースワーカーが私の戸籍や附票を手に入れ、扶養義務調査を行った。

私の所在を知った両親が施設に迎えに来たことで生活保護は廃止となった。

私が行方くらましている間に父の会社がなんとか危機を乗り越え持ち堪えたこと、弟が退院して就職したこと、妹が国立大学合格したことを聞いた。前妻が流産してしまい今は実家にいること、一緒に住んでいた部屋がもう解約されていること、私が無断欠勤懲戒免職になっていることも聞いた。

実家で母の美味しい手料理を食べ、清潔な布団で眠った。

気力が回復してから前妻と書類のやり取りを経て離婚した。

あの日彼女との離別を覚悟したはずなのに、正式離婚が成立した夜にはそれまでの思い出が蘇ってきて涙が止まらなかった。

父の取引先の会社正社員として採用してもらい、第二の社会人生活が始まった。

仕事で妻と知り合い、交際を経て結婚した。

父と兄の会社危機を乗り越えて社屋を移転した。

兄には子供が生まれ、私はおじさんになった。

弟は残業の少ない会社転職し、仕事をしながら司法試験予備試験の勉強を続けている。

妹も既に社会人になり上京

ガソリンETCの支払いにしか使っていないが、クレジットカードも再び手に入れた。

今朝、妻とのゴールデンウイーク旅行の前日に借金の支払いに終われる悪夢を見て飛び起きた。

いまだに私の中であの時の出来事トラウマらしい。

しっかりと向き合い振り返ることで少しは気が楽になるのではないかと思い、これを書いた。

Permalink |記事への反応(5) | 18:07

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2025-05-02

クソCWの顔も見納めだ

俺を担当してるクソCWが「ここは政令指定都市鉄道バス公共交通機関が整ってるからはいらない。通勤日常生活のためだけに車を持つことを認められない」とのたまっていた。

しかし、一昨日の夕方そいつ区役所から出て駅から対方向に行くからこっそりついて行ってやったら、そいつ役所の近くの月極駐車場に停めてる車で帰りやがった。

そんで昨日、朝に役所の前で開くの待ってたらそいつの車が役所の前を通り過ぎるのが見えて、駐車場の方から通勤してきやがった。

俺が所持を認めてもらいたいのは軽自動車

そいつが乗ってたのは3ナンバープリウス

自動車税やら車検代やら考えたらどう考えたってそいつプリウスのほうが維持費高い。

なんで20以上も歳が離れて、自分は駅から近い役所に車で来てるクソガキに「車の保有は認められない」とか言われなきゃいけないんだ。

てめえ言ったよな。

「ここは政令指定都市で車はいらない」って。

じゃあなんでてめえは車で来てる?

あれは嘘だったのか?

市の職員市民に嘘?

やべえなこれ。

お前は懲戒免職だな。

今日区役所行ったらクソガキCW休みだった。

呑気に一足早く連休か?

休み明け楽しみにしてろ。

お前が俺に嘘をついたことを上司に報告してお前を懲戒免職にしてやる。

Permalink |記事への反応(1) | 17:13

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2025-04-27

連休悪夢

30代後半の会社員

明日から妻と旅行に出かける。

今の結婚は二度目の結婚だ。

私の前職は地方公務員で、前妻は紹介で知り合った自治体外郭団体職員だった。

当時、父、兄、叔父経営する会社財政状況が悪化不渡り直前のような状況で新婚生活を過ごしていた。弟は法科大学院を修了するも司法試験合格することができずに精神的不調に陥り医療保護入院となっていた時期でもある。親の会社好調だった頃に何不自由ない学生生活を過ごさせてもらった私は両親に代わり弟の学費を支払っていた。

自分自身生活費と家賃、弟の司法試験予備校大学院のローンの支払い、まだ高校生の妹もいた実家への仕送り

支払いだけで給与が消え、そのうちに妻が妊娠し出費が増えると支払い予定は給与を上回り貯蓄がものすごいスピードで目減りした。

妻や義両親には経済的状況を打ち明けられず、足りないお金キャッシングで賄う日々。

ある引き落とし日になんとか集めたお金で支払いを済ませた。

その翌日はゴールデンウィーク初日で妻と小旅行に行く予定だった。

いつも前妻と出かける時は近場のコンビニアイスコーヒーを買って駐車場でナビをセットするのがルーティンだったが、もうガソリンを入れるお金も一杯のアイスコーヒー(今は120円だが当時は100円だった)を買うお金もない。

数日後に控えるカードの引き落としもできない。

その瞬間、私はこの幸せ生活の終わりを悟った。

ちょっと買い物に行ってくる」と言って振り返った。

大好きだった前妻の姿を見て声を聞いたのはそれが最後だった。

財布もスマホも持たず、公園公共施設の水だけを飲んで行く宛もなく知らない町や山道を歩き続けた。

数日間歩き続け、連休が終わり、膝が痛みを通り越して最早何も感じなくなった頃に地方都市にたどり着いた。

何か食べたい。布団で眠りたい。

公務員生活で得た知識を活かした。

標識を頼りに市の区役所に行き、生活保護業務担当する部署の窓口でNPO運営する無料低額宿泊所の連絡先と住所を求めた。

近くの交番警察に道を教えてもらい、一番近い施設へ徒歩で向かった。すぐに入所を決め、施設職員とともに先程の窓口へ行き生活保護を申請した。

その夜、寮の食堂で久々の食事をし、布団の中で眠った。食事は今思えばひどいもので、寮や寝具はかなり汚く不衛生だったが、その時の私にはようやくたどり着いた天国だった。

昼間はぼーっと天井を見つめ、食堂で他の入居者と食事をし、夜は眠る

こんな生活が数ヶ月続いた。

酒や喧嘩施設利用料の支払い(生活保護費の殆ど施設利用料として消え手元にはほとんど残らない)で揉めるなど問題を起こす入居者が多い中、大人しく金を払ってひたすらぼーっとしてる私は施設から気に入られ事務仕事を手伝わされるようになった。

支給日や入居者の通院の際に送迎をして欲しいと言われ、免許の再発行をするために住民票などの手続きをした。

それがきっかけでケースワーカーが私の戸籍や附票を手に入れ、扶養義務調査を行った。

私の所在を知った両親が施設に迎えに来たことで生活保護は廃止となった。

私が行方くらましている間に父の会社がなんとか危機を乗り越え持ち堪えたこと、弟が退院して就職したこと、妹が国立大学合格したことを聞いた。前妻が流産してしまい今は実家にいること、一緒に住んでいた部屋がもう解約されていること、私が無断欠勤懲戒免職になっていることも聞いた。

実家で母の美味しい手料理を食べ、清潔な布団で眠った。

気力が回復してから前妻と書類のやり取りを経て離婚した。

あの日彼女との離別を覚悟したはずなのに、正式離婚が成立した夜にはそれまでの思い出が蘇ってきて涙が止まらなかった。

父の取引先の会社正社員として採用してもらい、第二の社会人生活が始まった。

仕事で妻と知り合い、交際を経て結婚した。

父と兄の会社危機を乗り越えて社屋を移転した。

兄には子供が生まれ、私はおじさんになった。

弟は残業の少ない会社転職し、仕事をしながら司法試験予備試験の勉強を続けている。

妹も既に社会人になり上京

ガソリンETCの支払いにしか使っていないが、クレジットカードも再び手に入れた。

今朝、妻とのゴールデンウイーク旅行の前日に借金の支払いに終われる悪夢を見て飛び起きた。

いまだに私の中であの時の出来事トラウマらしい。

しっかりと向き合い振り返ることで少しは気が楽になるのではないかと思い、これを書いた。

Permalink |記事への反応(0) | 13:34

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2025-04-09

なぜ役所無駄が多いのか

原付の廃車手続きをするために区役所に行った。区役所趣味の悪い建物だった。役所とは思えない高級感のあるエントランス。壁に貼り付けられた謎の木材から隈研吾匂いがした。建物の中では、善良な区民を威圧するように無数の警備員巡回していた。

何よりも案内が過剰だった。受付のタッチパネルを代わりに操作するだけの人員が配置されていた。これは明らかに不要仕事だった。この仕事に払われる税金について一瞬だけ考えた後、それを考えること自体無意味さを悟った。

古来より仕事を増やすのが役所仕事だった。21世紀に入った現代でもそれは変わらなかった。テクノロジー仕事効率化するほど、役所無駄仕事を増やす生産性のない、仕事のための仕事は国を衰退させていく。僕は虚しくなった。さらに言えば、廃車手続き担当した50代後半程度の男性の態度は良くなかった。役所の不合理はこの国の衰退を象徴する。僕は体調が悪くなったので、役所手続きを終えるとすぐに帰宅した。

Permalink |記事への反応(1) | 09:58

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2025-03-19

最も迷惑をかけない死に方ってやっぱり首つりだろうか。

賃貸から家主さんには迷惑かけちゃうよね。

どこで死んだらいいんだろう。

区役所内に格安で使って死亡届も同時に受理してもらえる安楽死施設を作ってほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 22:44

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2025-03-18

anond:20250318105845

献花台も何も無い所でこんな事されたら、近くの住民は酷く迷惑だろうな。

これって誰が処分してくれるんだろ?警察保健所区役所

Permalink |記事への反応(2) | 11:02

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