
はてなキーワード:区切りとは
トランスジェンダーやクィアはオーソドックスなジェンダー規範を内面化することができない人として消極的に定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリアや動物性愛者・ズーフィリア、死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的に有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的な区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉の区切りを変えただけだ。
なお、性指向と性自認は必ずしも同期しない。だから、自分は男に生まれて女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛の対象も女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。
この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである。性別違和は医学的定義であるのに対し、トランスジェンダーは政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学的処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語で性別違和当事者を攻撃してきたのは、性別違和者は既存の社会のジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上の地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会に適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギーと真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダーの定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存のジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものだからだ。
結論としては、トランスジェンダーやクィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存の社会を批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。
○ご飯
朝:なし。昼:そば。いなり。夜:トマト。目玉焼き。納豆。冷奴。人参と玉ねぎとキノコのスープ。ギョニソ。バナナ。ヨーグルト。間食:羊羹。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。昨日早寝したおかげで普通に戻れた。
これでシエテ剣は攻撃覚醒リビルド3本、防御覚醒リビルド5本、特殊覚醒リビルド2本を集めておしまい。
シエテ斧のリビルドはまだ0本なのでシエテ通いは当分続くが、大きな一区切りだ。
波乗りの寄り道イベントとトウガン倒すところまで。
ミカルゲを電撃波で無理やり電気要員にして波乗り寄り道イベントをこなした。
この辺の寄り道、いきなりスター登場とか、メタ的に水タイプが多いことを言う人とか、ホウエンの水道の多さを指摘する人とか、妙に会話が面白いキャラが多くて好きなコンテンツだ。
前提
総務省(人口推計)の2024年10月1日現在の推計値を使います(総人口123,802,000 人)。下位区分は報告値(0–14, 15–64, 65+)を利用して20 歳未満を推定しました。
すべての20歳以上の人が毎月100 円を均等に払う(未払い・事務費・税・利子・インフレは無視)。
使った統計(要点)
総人口 =123,802,000 人(2024/10/1 時点)。
「0–14 歳」= 13,830,000 人、 「15–64 歳」= 73,728,000 人(出典の報告要約より)。
計算手順(要点)
まず 15–64 を10 個の 5 年区切り(15–19,20–24,...60–64)とみなして、15–19 の人数 を推定:
73,728,000 ÷10 = 7,372,800 人(推定)。
したがって 0–19 = 13,830,000 + 7,372,800 = 21,202,800 人(推定)。
よって20 歳以上の人数 = 総人口 − 0–19 =123,802,000 − 21,202,800 =102,599,200 人(約1.02599×10^8 人)。
1 人あたりの年間徴収額 =100 円 ×12 = 1,200 円/年。
年間の総徴収額 = 1,200 ×102,599,200 =123,119,040,000 円(約 1,231.19 億円)。
1 回の賞金は10,000,000 円(=1000 万円)なので、年間に配れる人数(満額で) = 総徴収額 ÷10,000,000 =12311.904 人。
→ 満額(1000万円)を**丸ごと支給できる人数(整数)**は12,311 人/年(端数は切り捨て)。
これを 60 年続けると、12,311 × 60 = 738,660 人 に1000 万円を支給できます。(端数込みの理論値は12311.904 × 60 = 738,714.24 人分に相当)
結果(まとめ)
年間に満額(1000万円)を支給できる人数(整数) =12,311 人/年。
60 年続けた合計(整数換算) = 738,660 人 に1000 万円を給付できます。
(理論上、端数を分配可能なら)年間約12,311.9 人分、60年で 約738,714.2 人分 の資金に相当します。
上の計算は「人口が一定」「全員支払う」「事務費ゼロ」「インフレ・利子無視」の単純モデルです。実際は未払、事務コスト、税、インフレ、人口変動(少子高齢化)を考慮すると結果は変わります。
年ごとの人口データを正確に使えば(15–19 の実数値を直接参照すれば)微差が出ます。正確な年別単年年齢データが必要なら、総務省の「年齢各歳別人口」表の該当行を参照して精密に再計算できます。
必要なら、総務省の単年齢表から 15–19 の実数値を拾って再計算して正確な値で出しますが、そのままこの仮定で良ければ上の答えで確定です。どちらがよいですか?
厳しい言い方をするが、それは「はっきり言いたくないことを相手が察してくれない」という愚痴の域を出ていないと思う。「下手に断ると危害を加えられるかも」なんてのも具体的に懸念する理由がなければ邪推と言われても仕方のないものだ。
もう「そういうの迷惑です」とはっきり言うべきなのだろうか。それで仕事がやりにくくなったり、最悪、自意識過剰な勘違い女と評判を立てられるリスクを、私の側が負わないといけないんだろうか。
不動産だの宗教だののうざい勧誘だって、あなたが明確に断るまでは向こうにだってその権利がある。それが社会のルールだからだ。
性別関係ない。セクハラとパワハラの文脈置き換えれば普通に男でも同性間でもある話。
私は男だが、新婚当初にやる気のしないブラック案件にアサインされて病みかけたことがある。なぜアサインされたかというと、私がその案件を始めたリーダーに対して愛想笑いを続けてたからだ。リーダーは熱を入れていた案件だったが私としては筋が悪いと思っていて、京都弁で言うところの「えらい難しいこと考えはりますなあ、おきばりやす」的な反応してたつもりだがそのリーダーには全く通じなかった。
いつのまにか私は賛同者ということにされてその案件に組み込まれていた。むしろそのリーダーは私が一緒に熱狂してると勘違いしてたようで、終電までやらないと終わらないくらいの仕事を積んでくるようになった。何かあるとやる気を見せろと毎日のように罵倒(親しい間での叱咤激励のつもりだったのだろうと今にして思う)するようになった。そして「プライベートを犠牲ににしてでもやるというところを見せてほしい」(原文ママ)と言われた。
その結果私は新婚旅行にさえも行き損ねかけた。結局、その案件を抜けられたのは、一区切り付いて最低限の義理を果たした後でリーダーのそのまた上司に直訴してからだ。身も心も病みかけていた。
さて、この話で非難されるべきは誰か?その勘違いしたリーダー?それは間違いではないかもしれない。でも私に非がないと思うか?
そんなことはないだろう。私も情けないと思ったのではないか。その通りである。
実際、愛想笑いして婉曲に難色示すだけで明確に拒絶しなかった私に第一の非があると言わざるを得ない。実際、上司は私の直訴を聞いて私をその案件から外したわけで、すべきことをしている。逆に、上司とて私からの直接の訴えがなければ動けなくないか?その案件に関わっているのは私の意志だということになっていた(少なくとも私はそれを明確に否定しなかった)のだから。
この件は明らかにお偉いさんが私に対する距離感覚がバグったことの問題だ。ちょうどあなたとそのおっさんの件と同じだ。しかし私は大人なのだからそれを明確に意思表示すべきだった。好きでもないのに親に勉強やスポーツを強要される教育虐待被害者の子供とは違う。そうではないか?
あなたも同じ立場ではないか。愚痴る気持ちはわかる。変な人に絡まれるしんどさはわかる。同情はする。
しかし、自分が明確に意志表示する責任から逃れてはいけない。難しければ同僚や上司のような第三者を入れてもいいから、誤解の余地なく拒絶の意志を明示すべきだ。ハラスメントだの何だのというのはそこから先の話だ。
耳に心地よいネット上の甘言に乗せられてはならない。甘言の主があなたに囁いているものは「察してもらえないのはハラスメント」という言い分だ。そんなものは明らかに間違っている。
子供が生まれる前やっていた趣味といえるかどうかわからないことは全部途絶えたな。
3歳くらいからだんだんと習い事ができるようになってきて、それについて行く形で自分の趣味も再構築されていったという感じはある。
そのくらいの年で介助が必要なのは送迎、食事、風呂、寝かしつけくらい?あと、子供によっては排泄かな。
だんだんとやることが減っていって、それをやっていたことが懐かしくなる日々が来ると誰かに言われたことがあるかないかは知らん。
自分の場合は幼稚園に入るまでで一区切りで、その後、小学校に入ってからが一区切りだったな。
小学校に入ってからは送迎の距離も短くなっていき、最期は玄関を出るのを見送るだけになる。
食事も手伝わないといけなかったのが自分で食べられるようになり、汚さないで食べられるようになっていく。
風呂は洗ってあげないといけなかったのが、自分で洗うようになり、時間になったら自分ではいるようになる。
寝るのも同じく。一人で寝るよ。
しんどいなーと今は思うかもしれないけれど、2年耐えると今の気持ちがなんだったのかと思うくらい変わってるし、10年だともう違う世界。
家族で一つの大きなターニングポイントを迎え、それが落ち着いたので、いっちょうまいもんでも食うか!となった
93歳で歩くのが難しいおばあちゃんが同居人にいるので食べに行くのはなし。
しゃぶしゃぶとすき焼きどっちにする?となって、今回はすき焼きに決定!
・用意した肉
・作り方
その横に肉を入れて片面を焼く。
砂糖があったまったころに(砂糖にかけるくらいの量)少量の水を投入し溶かしつつ煮詰める。
いい感じにキャラメリゼし始めるころに水と同じ量の醤油を入れて箸で1,2回混ぜる。
そのタイミングで横に焼いていた肉をひっくり返す際に、作ったすき焼きタレのところに置いてタレと絡め焼く。
5秒程度で生卵にくぐらせて食べる
・問題点
松坂牛は脂が多くて結構すぐに満足してしまい、しこたま買った肉が余った。
あと、一枚一枚にものすごく時間がかかるので、家族で食べる場合待ちの時間が割と発生する。
ただ、これについては「鉄鍋をおおよそ半分に区切り、半分が肉焼き場、その残り半分のところに豆腐や麩、野菜などを焼いておき、肉ができたらザーーーっとその焼いてた野菜たちを肉側に移動させてしまい、空いた野菜ゾーンに牛脂を敷いてまた肉を焼く…」という方式にすることで永久機関が完成した。
これで肉を待っている間に肉の油と甘辛い醤油がしみ込んだ野菜を食べていればいい。野菜をあらかた食べたら水を流して軽くキッチンペーパーで拭いてから牛脂を溶かす…と繰り返す。
砂糖が多めでかなりこってりした味付けになるので、本当に肉を4,5枚食えばもうしばらく肉はいらねぇ…という気分になり、結果として高級肉を購入したとしても案外低コスパかつゆっくり家族で食事を楽しめて楽しい。
iOS 26の新デザインが苦手という人もおおいようで、匿名ダイアリーでもanond:20250916154339 みたいな投稿がある。
しかしさまざまな設定項目があるので、いろいろ変更していちばんつかいやすい状態でつかってみてほしい。
設定項目が多数あるがために、変更したい設定と実際に変更している設定がちがっていてあまり効果がないというケースも多数発生している。設定を変更したら思ったとおりの挙動になっているか確認を。
設定 →アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ → 透明度を下げる
これをオンにするとほとんど透明ではなくなる。
設定 →アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ →コントラストを上げる
これだけオンにするとガラスの透明感をあまり損なうことなく、前景色と背景色のバランスが調整される。また、ガラスのまわりに枠が表示される。
透明度を下げると併用して文字の読みやすさを最大限優先することもできるし、単独で使用してニーズに合わせた読みやすさにすることもできる。
ホーム画面のアイコンをどれでもいいから長押しし、「ホーム画面を編集」までスライドさせたら指を離す。
※iOS 26で3D Touch対応機種はすべて打ち切り、触覚タッチだけになっているので、押す強さでの変化はない。ただし感度はアクセシビリティに「触覚タッチ」があるので調整可能。
アイコンが震えたら左上の「編集」から「カスタマイズ」を選択。
この機能が追加されたのはiOS 18からだが、iOS 26で新しく追加された項目もある。
「ダーク」はアイコンが暗くなる。常時ダークにするか画面表示自体のライトモード・ダークモードの設定にあわせて自動で変更するかを選択できる。
「クリア」はiOS 26で追加された項目で、アイコンの透明度が上がる。上記見づらいとは逆にガラスデザインを最大限活用したい (むしろ透明度を上げたい) 人はこの設定がおすすめ。なおこれもライトとダークの選択が可能。
なお、「デフォルト」「ダーク」はアイコンがフルカラー表示になるが、「クリア」「色合い調整」は単色表示になる。設定アプリの一部アイコンもこの設定にあわせて単色表示になる。
「カスタマイズ」左側にあるアイコンは壁紙の明るさ調整。デフォルトとダークの2段階だが、文字を読みやすくしたい場合やダークモードにあわせたい場合などに。
右側にあるアイコンは大きさ調整。拡大にすると文字が消えてアイコンだけになる。これは完全に好みの問題。
ロック画面で壁紙を長押しして下の「カスタマイズ」を選択。その後時計をタップして「ソリッド」を選択するとiOS 18以前とおなじデザインになる。フォントを自分好みに変更することも可能だが、「ガラス」を選択した場合のみ透明カラーを選択することも可能 (天気など一部壁紙を除く) 。
縦に伸びているのが気になる場合は時計右下のハンドルで最小サイズにする。
いちおうこの設定項目は3D表示が採用されたiOS 7から追加されている。
3D表示だけでなく、アプリの起動・終了時のアニメーションが簡略化されたり、天気アプリおよび天気壁紙の背景、さらにメッセージアプリのふきだしを高速スクロールした場合などもアニメーションなしになる。
3Dを切りたいだけなら「視差効果を減らす」だけチェックをいれればいいが、アニメーションについては「クロスフェードを優先」「アニメーション画像自動再生」(アニメーション画像はメッセージの動くステッカー (スタンプ) やSafariのGIF画像のこと) 「ビデオプレビュー自動再生」「メッセージエフェクト自動再生」(送信ボタン長押しでふきだしにアニメーションがつけられるがそれを表示するかの選択) 「点滅しないカーソルを優先」を個別で変更することもできる。ProMotion搭載モデルの場合は「フレームレートを制限」(非搭載モデルとおなじ60fpsになる) も選択できる。
なお、この設定はiPhone 5Sで検証したときの記事を読んだことがあるが (iPhoneを机に放置した状態とiPhoneをまわしつづけて視差効果が積極的に発生するような状態と視差効果を減らす設定にした状態の3とおりで検証していた) 、iPhoneをずっとふりまわすような使いかたでもしないかぎりはバッテリーの持ち時間にはたいした影響がないそう。
「コンパクト」を選択するとiOS 26のレイアウトに、「下」を選択するとiOS 18のレイアウトに、「上」を選択するとiOS 14以前のレイアウトになる。
設定 →アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ →ボタンの形
設定項目としてはあるにはあるのだが、初期バージョンゆえの不具合なのか反映されていないっぽい。つまりオンにしても変化がない。これは今後のバージョンアップを待つしかないか。
設定 →アクセシビリティ →Siri →Siri の背後にアプリを表示
設定 →アプリ →電話 (iPadは「FaceTime」) → 着信 →フルスクリーン
でそれぞれ変更可能。なお電話はバナー表示にしていても着信画面を下にドラッグすることで一時的にフルスクリーン表示にすることもできる。
ほかにもiOSにはたくさんの設定があるので、好みで調整してほしい。スマートフォンはケータイとちがってカスタマイズしてこそ使いやすいものになる。
句読点ってそれがないと満足に自分で区切りも見つけられない馬鹿のために導入されたんだよ知らなかった?
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あのアニメにかばんちゃんのシャワーシーンが必要だとはとても思えない、ケムリクサでも同様だろう
そういう意味では「ぼっち・ざ・ろっく!」は微妙な境界線の作品だ
なぜかへそが浮き出てるボディライン丸見えのピッチリスーツとか
扉を開けたら着替え中みたいなラッキースケベは
売りたい対象によってはやらない方がいいってなるのもわかる
けんど、ゆるキャン△の温泉回や、ガルパンの大会後のお風呂シーンはノイズだろうか?
あれが無ければもっと大衆受けして、あれがあったから減速した類のもんだろうか?
すくなくとも、ぼざろはそれをやったら売れなかった作品とは思えない
ことに「氷風呂」みたいなシーン(氷風呂で風邪をひいて断ろう)ならなおさら
と太字で書くほどの意見として展開し
【その後で】
これとても大事なんだけど
すげぇ醜悪
日本の行政については縦割り・横割りの話だと思うんだけど、AIの方が解説が分かりやすいと思ったのでコピペします。
日本人が「周囲と仲良くするのが苦手」というよりは、日本社会の制度設計の前提や文化的な枠組みがそうさせている、という側面が大きいと思います。
まず行政サービスの区切りについて。日本では「自治体ごとに完結させる」ことが基本になっていて、横の連携を後から調整する仕組みが弱いです。これは縄張り意識や縦割り文化の結果でもあり、同じようなサービスでも「市が違うから使えない」「県境を越えると制度が変わる」ということが日常的に起こります。役所側から見れば「自分の住民に責任を持つ」という論理ですが、利用者からすれば不便ですよね。
一方アメリカの場合は、都市が広域圏を前提に設計されることが多く、また利用者が「どの行政区に属しているか」より「どう使いやすいか」を優先する発想が強い。公共交通や図書館が広域連携しているのは、その文化的背景の違いです。
「日本人が仲良くできない」という表現を使うなら、それは人と人との関係というより「組織や制度同士が横につながるのが苦手」ということに近いでしょう。日本は上下関係や内と外の区切りを重視する文化なので、横のつながりは後回しになりがちです。そのため、住民の利便性よりも「組織の境界」が優先されてしまうのです。
つまり、日本人個人が仲良くできないのではなく、制度や文化が「横の連携」を阻みにくい形で固定化されている、という理解が近いと思います。
石の広間に、罪ある者が立たされた。
その頭上には、光を映す剣が吊るされていた。
それは人の手に握られていなくとも、
すでに裁きの声を孕んでいた。
ある声は荒ぶり、
「その首を落とせ」と叫んだ。
「血こそが血を鎮め、
刃こそが正義を成すのだ」と。
しかし別の声は深く沈み、
「血に血を注げば、
大地はただ飢えを増すばかり。
剣は罪を絶つものではなく、
すると嘆きの声が漏れた。
「わたしの時は砕かれたまま。
けれど剣が落ちるとき、
その響きが時を区切り、
止まった心を押し出すのなら――
わたしは刃を拒めない」
広間の奥で、影のような声が響いた。
「剣は天より降りたものにあらず。
ゆえに剣の影は、
天ではなく人の胸に刻まれる」
やがて夜は厚く降り、
剣は深い音を立てて落ちた。
だが問いは残った。
――断たれたのは罪か。
それとも、わたしたちの安らぎへの渇望か。
私に性欲をむける夫に対して嫌悪感を抱いていた者です。
【以下の文章には随所に夫とのドチャ..https://anond.hatelabo.jp/20250907080626
私に性欲をむける夫に対して嫌悪感を抱いていた者です。
その状態が異常であると思い、現在は私が関係修復のために努力しているところです。
もしかしたら奥さんはこう考えているかも?の可能性の一つとして私の話が参考になれば、と思います。
子どもと夫を取り合うような、そんな夫ラブな妻で居続けたい!と思っていました。
出産ですべてが変わりました。
出産後は自分自身が「子の生命維持装置」になったように感じました。
私の身体も精神も全て子と繋がっており、子を生かすために全てを捧げる存在になったという感覚です。
とにもかくにも何よりも優先されるべきは子であり、子が快適に過ごすことのできる心地よい住居環境であるという思いが常にあります。
なので、せかせかちまちまと家の名も無き家事をやり続けてしまっていました。全ては子のためです。
出産までは家事はやれるときにやれたらいいね、くらいだった私ですが、少しでも家事が残っていたり、家が乱れていたりすると生命維持装置としての自分の役割が完了できていないので落ち着きませんでした。
綺麗好きになったわけではありません。
すべては、子が百パーセント快適に過ごすためです。
本題です。
家事がまだ残っていたり、家がまだ乱れたりしているにもかかわらず夫から性欲(軽いボディタッチも含む)を向けられると、ゾゾゾッと総毛立つような嫌悪感が生まれました。
この嫌悪感は、子の生命維持装置としての役割が完了していないので、気持ちの上で子との連動がオフになっていないことが原因だと、後から考えてわかりました。
まるで、子供に授乳しているにも関わらず体を求められたようなおぞましさがある、といえばわかってもらえるでしょうか。
こちらとしては子を生かすことで精一杯なのに、そんなことも無視するほど、性欲で我を忘れるなんてケダモノではないか!!という嫌悪です。
妊娠出産まではあんなに場所を考えずにズコバコしていたアツい2人なのにどうして拒否するの!?そんなに子が大事なの!??俺のことも大事にしてよ!!!
と、私の夫は悲しく思っていたようです。
でもこっちとしてはそんな思いは見当違いなんです。
夫のことが好きな「妻」ではなく、子のために生きる「装置」になってるだけなんです。
まだ「妻」に切り替わっていないのに迫られても無理なんです。
じゃあどうやったら「妻」に切り替わるのか、って話です。
簡単です。家事が残っておらず、家も完全に整っており、子にとって快適な環境になっていれば生命維持装置としての役目が終わります。
でもその時って永遠にこないんですよ。
家なんて、一回ご飯食べればすぐ乱れます。床のほこりなんて数時間で生まれます。
じゃあ夜寝るときなら全て一旦家事は完了してるからいいのか?というとそれも違います。
夜の睡眠は、あくまで明日、子を生かすための準備だからです。しっかり睡眠をとらないと次の日の装置の役目としての精度が下がりますから。
夫の性欲を満たすためだけに睡眠時間減らされたらたまったもんじゃないわけです。
じゃあ子供をあずけて夫婦二人で行く旅行先ならいいのか?というとそれも難しい。
頭の中で、帰宅後にやらないといけないことを考え続けるからです。
じゃあ家のことを数日間完全に夫が担当すればいのか?というと、結局その数日が終わったあとに控えていることを考えてしまうし、そもそも普段やってない人が家を100%整えるなんて恐らく無理です。
じゃあ無ずすべがないじゃないか、と。
そうなんです。出産した時点でもう詰んでるんですよ。
外側から妻に働きかけることで生命維持装置モードを切り替えさせようとするのは無理なんです。
ただ、この生命維持装置モードは妻本人にとってもとてもしんどい状態です。
常に神経と視線を張り巡らせて、環境整備に努め続けているので脳のリソースがずっと割かれ続けてるんですね。
本人もこんな状態やれられるなら辞めたいと心の底では思っています。
なので、正攻法は一つだけです。
“本人に自分が生命維持装置モードになっていることを自覚させ、心の平安のためにもそのモードを自発的に辞めるように働きかけつつ、家や子について考える主導権を奪うこと”です。
イメージでいうと、PC業務中に無意識に力を入れて肩の筋肉をこわばらせてしまっている人にそれを指摘したうえで、その業務内で必要な選択をすべてこちらでやってあげることで業務の負担感を減らす、という感じでしょうか。
妻が生命維持装置の役目にある程度の区切りをつけられるように仕組みを整える、といえば伝わりますでしょうか。
例えば、
・平日において妻がやるべき最低限の家事の精選とリスト化とルーティン化
・その月にやるべき/やりたい、普段できない家のことや子のイベントのリスト化
・子や家の予定を夫が主体的に把握し、妻に先んじて、いついつまでに〇〇を用意しないとね、など提案していく
・なくなりそうな調味料の補充や準備を夫もやる
・子の次にやるべき行動(ごはんとかお風呂とか)を夫が先んじて口に出し、そのために必要な段取りを夫婦どっちがやるのかを夫が決める
挙げるとキリがないですが、全てに共通しているのは、
①妻が家の中を整えるために永遠とアンテナをはらなくていいように範囲や上限を設定する
というポイントです。
これで妻が子の生命維持装置として自ら疲弊していくことを防ぐ事が出来ると思います。
それによって、夫と夫婦関係にある「妻」の部分が表出する時間がだんだん延びていくと思います。
「妻」である時間を見極めて、出産前に夫婦2人で行った旅行の話や子が巣立ったら2人でやりたいことの話を折に触れて話してはいかがでしょうか。
だんだんと妻も自発的に「妻」である時間を大切にするようになるはずです。なぜならそっちのほうが自分が生き生きしていることがわかるはずだからです。
長々と書き連ねましたが、じゃあお前はどうやってんだ、という話ですよね。
私は自分が子の生命維持装置として疲弊していることを自覚できたので、1週間の家事を時間割のようにリスト化して印刷し、逐一そのリストをみてチェックしながら動くようにし始めました。
うまく行かないときもありますが、精神的な負担はだいぶ減ったと思います。
それまでは一つの家事をやってる間に次やるべき家事に気づいて…というのを永遠と繰り返してましたから。
また、家のことに対して私だけが主体的に動いているような感覚があり、夫に対していつもうっすらと「無能」と思ってしまっていました。
余裕のない我が社には、自ら考えて動く社員しかいらないのに、実際にいるのは暇ができたらソファでくつろぐ指示待ち人間。私がしっかりしなきゃ!
と自分で首をしめてました。
夫にやってほしいのは、家のことや子のことを主体的に考えて動くこと。
それは家事を全部巻き取ってほしい、という願いではなくて、家のことについて私だけが考えているこの状況を終わらせてくれ!という願いなんです。
一緒に管理職になってくれ!と思ってるんです。
そう言えばいいじゃん、と思われるかもしれませんが、そうやって指示しないといけない時点でやっぱりただの新入社員なんですよ。
指示待ち人間に、指示されなくても私の仕事を私より先にやれ!といっても絶対に無理だと思って絶望してました。
今はそういう思いはそもそも過剰すぎることに気づいたので自発的に肩の力を抜き、夫と夫婦の時間を持てるようにしています。
月初は子を預けて、近所のカフェで1時間程度の夫婦会議をやるようになりました。
そこでその月の家の予定とそのために必要な段取りをすべて確認して共有するようにしています。
また、一日のはじまりと終わりにハグをして互いを労ることも始めました。
気恥ずかしくはありますが。
朝のハグは絶対にそこからセックスには繋がらないので、最初も抵抗感なくはじめられました。生命維持装置であっても労られたくはありましたから。
自分の整理のためにも書こうと隙間時間でチマチマ入力思ったら気づいたらこんな長文になってしまいました。
元増田さんの何かの参考になれば良いのですが。
Permalink |記事への反応(38) | 05:45
淫夢に存在する、替え歌拓也という謎のジャンル。それら動画群のうちの一つである、55%兄貴の投稿したクサイコホールには、誹謗中傷を嫌ったり諌めたりするようなコメントが沢山ある。それらコメントをする人たちは雄膣騎士団と呼ばれ、特に気にしない人々からネタにされている。筆者は淫夢に倫理感求めてもしょうがないと思ってる派なので彼らの言い分はどうでもいいのだが、なんでこういう人たちが現れるのかは気になるので考えることを書きとめておく。
替え歌拓也の素材の一つである拓也の評判の動画は基本拓也の悪口だ。クサイコホールはdeco27のラビットホールの替え歌で、歌詞を拓也の評判とその改変で作っているのだから、全部誹謗中傷なのは当たり前だ。ここで引用だからセーフとか言ってもごまかせないということを指摘しておき、逃げ場をあらかじめ無くしておく。なぜセーフとか誤魔化したくなるのかはそれはまたあとで話すとして、ともかくクサイコホールはラビットホールと悪口のかけ合わせだと言える。
ラビットホールはいかにもz世代のガキ向けって言葉がよく似合うような、短いイントロに性的なフレーズ多様の早口の歌詞に派手なメロディに転調にと盛りだくさんだ。これらz世代を飽きさせないための工夫が拓也さんへの悪口に重ねられているのだから、悪口の効果も強く感じられてくるのは納得と言える。同じように拓也の評判だけで作られたつくペン兄貴のウリ専時代のゆっくりしたテンポと比較するとわかりやすい。
ついでにもう一つ比較したい替え歌がタラバ記念日兄貴のバリタチの日にである。こちらは全編拓也の評判ではないのだが、曲の最も盛り上がる部分に特に集中して、めたんの美声とともに悪口が詰め込まれている。悪口が強い言葉であることを利用し、他の部分との対照で印象を刻み付けてくるテクニカルな歌詞の作り方である。一方クサイコホールは全部悪口だから、歌詞が全部強い。とにかく飽きさせない作りはアニソンの音圧戦争を連想させてくるほどだ。
これら分析は別に55%兄貴の替え歌を批判したいとかの意図はない。彼のめたんを使った替え歌1号の拓よ、こいでも悪口ばっかりみたいな文句は多かったがクサイコホールほど盛り上がることはなかった。その原因を考えてみたいと思っただけである。
そもそも替え拓は拓也の評判からの引用が少なければいいのかというと別にそんなことはないのである。ホモビを無断切り貼りして人権を奪っている時点で悪性は誤魔化しきれないのだから、視聴者が個人として面白いと思うかどうかだけで評価しとけばいいと私は思う。
話を発展させるために、拓也の評判の引用や改変が少ない替え歌はどうなっているのかをちょっと見てみる。先に挙げたタラバ兄貴のバリタチの日には、ラストに視聴者が拓也さんで童貞を卒業するというオチを持ってきてストーリー性を生んでいる。しかしこれは変わり種で、大抵の場合拓也はエロい売り専であると歌って締めたり、拓也は揉むことが好きを引用したり、淫夢の未来を担う存在と持ち上げたり、生か殺の東京タワーのシーンで終えたりする印象だ。これら全てに共通するのは動画の終わりを悪口にしないことであり、さらには拓也を持ち上げさえしているのである。これは別に拓也には悪口をぶつけるべきと言いたい訳では無い。どうせ淫夢なんてゴミ溜めなんだから好きにすればいいというスタンスは変わらない。ならばなぜこんなことを書いたかと言うと、替え拓動画の中には、悪口を言った罪悪感を軽減する仕組みが内蔵されているパターンがあると指摘したいのである。
悪口を言うことは人に罪悪感を生ませる。だから悪口が含まれた動画にはその罪悪感を消すための工夫が盛り込まれている。具体例として、替え歌拓也ではないのだが同じ歌系として、やじゅまん兄貴が投稿したAI生成の歌、俺の人権を返せを思い出してほしい。これは辛そうな野獣先輩が自分の人権を返すように訴える歌である。これに視聴者は、本来罪悪感を抱くはずなのである。だからこそ、無いものは返せないとかホモビに出たのが悪いとかの無理のある正当化コメントが現れてくる。そして、この罪悪感を解除する仕組みがこの動画の最後にも内蔵されている。バンドを組んでいた複数の野獣先輩たちがそれぞれに自分が一番だと言い張り、仲間割れをして終わるのだ。これによって、野獣先輩とはしょせんこの程度のやつらなのだから人権を奪われて当然という意識に視聴者の心を戻し、安心して次の人権侵害へと移れるようになっているのである。私はこのシーンを、AI使用という人権侵害によって野獣先輩の人権を訴えるという動画の面白さを損なうものとして蛇足と思うし、それを分かったうえでやじゅまん兄貴はこのシーンを視聴感まで計算して入れたんじゃないかと訝しんでいるのだが、それはともかく、人権侵害度合いが高い淫夢動画は視聴体験が悪くなるからそれを緩和する内容が含まれているということの例証になっていると思う。
この動画の仲間はクッキー☆のAI宇月である。「私で遊んでくれてありがとう」という最強のフレーズを含むこの動画も、バランスのために「おまえのこと絶対許さない」が直後に入っていて、動画の最後はUDKがパソコンに向かって「おい!」と言って怒ることで、人権侵害に対して怒られて終わるという形で区切りを作っている。
まとめると、動画が人権侵害を強く意識させる内容であるときには、視聴者が怒られるなり、いいところも言ったり、人権侵害された側が侵害されるにふさわしい理由を持っていると明らかに分かるようになっているなど、視聴者の道徳心のバランスを取るようにしていることが多いのである。
最初に替え歌の歌詞を拓也の評判で埋め尽くしたウリ専時代も、語録の「もう許せるぞおい!」が入っていて、拓也に怒られるという形で終わっていた。だが、クサイコホールはそうなっておらず、歌い上げた四国めたんの満足げな顔で終わる。言い訳のない完全な誹謗中傷を実現したのが55%兄貴の替え歌拓也の革新性だと思われる。