
はてなキーワード:勧善懲悪とは
今にして思えば、「鬼滅の刃」や「葬送のフリーレン」の大ヒットは、排外主義時代を予告するものだったのかもしれない
これらの作品の敵、鬼や魔族というのは、人間に近い外見で言葉を交わすこともできるが、絶対に相容れず理解や協力が不可能な存在だ
勧善懲悪といえばそうだが、その「相互理解の不可能性」が「外敵は外敵であり、一線を超えて理解し合うことはできない」という見えない絶望とセットとも言える
そしてこの「理解し合えない外敵の存在」こそが、時代の気分だったと見なすこともできる
もちろん、先行作品として「進撃の巨人」があるわけだが、巨人との戦いは人間同士の戦いにシフトし、最終的に外交的な解決も示された分、有情だったのかもしれない
勧善懲悪のドグマと三権分立の理解のなさがこういう発想になるんだろうな、って思っている。
裁判官のルールブックでもある法律に懲罰を許す規定がないなら裁判官は懲罰なんか与えられない。
ルールを作ったのは立法府だろ、じゃぁ立法府のルールはなんだ?憲法だ。
懲罰的なルールを入れること自体俺は反対はしないが、それをやるためには憲法から変えないとダメなんだろ。
なんで憲法がそうなってるのか?GHQにでも聞いてくれ。そのへん研究してる人とかいるんじゃないかな?
なんで憲法を変えないのか?徹底的に邪魔してくる左翼やマスコミのせいだろ。憲法改正なんて言った途端にすさまじい噂レベルでもお構い無しのスキャンダル暴露とデマゴーグ、プロパガンダ祭りだ。
そういう分けで司法に焦点を当てるのは間違っている
機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、
かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクターの創作にある。
この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、
アニメーション作品におけるリアリズムの概念を根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである。
富野は従来のロボットアニメが依拠していた「勧善懲悪」の物語構造を意図的に破綻させ、
善悪の境界が曖昧な世界で苦悩する思春期の少年を主人公に据えることで、
カミーユというキャラクターの革新性は、その精神的脆弱性と感受性の異常な鋭さが、
決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。
従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有の心理的現実を容赦なく暴き出している。
キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。
それこそが現実の人間の内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。
彼の精神的不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである。
彼の鋭敏すぎる感受性は戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、
フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、
これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判的視点を提示している。
富野の文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。
後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。
単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である。
富野は意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユを設計することで、
この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。
カミーユ・ビダンという一人のキャラクターの内面描写を通じて、
商業的エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。
同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。
カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、
1980年代という時代の若者が抱える実存的不安の象徴として機能している。
彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、
高度成長期の終焉とバブル経済への移行期という歴史的文脈において、
将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。
「心理的リアリズム」という新たな表現領域を開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである。
娯楽性と芸術性を両立させながら、
エマやダニエル、彼らに先導された若い世代の「自分たちは正義。よってほかの意見は聞かないし、自分たちの味方以外はいくら攻撃しても構わない」的な考え方って、まさにJKRがハリポタを通して子供たちに教え込んだものだと思う。それが今、作者当人に向かってるのは本当に皮肉。
ハリポタって勧善懲悪とは程遠い世界で、善とされる側がものすっごくグレー。
ハリポタ以前とハリポタ後って出版されるものも変わってしまったし、その結果かなり道徳観が変わってしまった。
利己的でいい、それが正義だ、邪魔する奴は悪だから踏みつぶせ、的な。
https://anond.hatelabo.jp/20250928215116
どうして「その男最悪だな!」みたいな短絡的な反応になる?
こういう文書に対する読み手の反応として問題なのは、「言葉」だけに着目しすぎていること。
私はこうした、相手はこうした、それだけの情報って第三者がちゃんと判断するには大事な物が欠け過ぎてない?
まず言いたいのはお互いの表情や、声色とか、映像的だったりノンバーバルな部分だよ。文章ではそれが見えてないって事をみんな忘れてる。文面を文面のまま捉えてる。
さらに文章というのは書き手のバイアスがかかってる。いくら客観的に書いてるつもりでもそれは書き手の主観。そして情報量が少ない。しかも片方の意見。
その語り手は本当に「信頼できる語り手」なの?
はてブはやたら創作かどうか気にするけどそこじゃない。本人に全く嘘を付いてるつもりがないとしても、自覚の無い行動をしている可能性はないの?つまり書いてある事が事実だとしても、書いてないことだっていっぱいあるでしょうよと言う事。
あとこういう一方的な訴えに対しては両方の意見を聞くのがルールでしょう。
悪いけど投稿者に対しては正直自分で何とかしろとだけ思う。それができないからどんどん面倒くさい事になる。もうやだ、とか投稿してないで、ちゃんと言葉だけじゃなくて伝わる態度で示せ。そう言う機会が多いと大変でしょうねとは思うけど。自分の為にがんばって。
それより言いたいのは、とにかくこういう投稿への皆の反応が、みんな一方的な語り手を信頼しすぎだろうって思う。すぐ白黒つけて勧善懲悪が好きなんだもんね。一番すっきりするから。結局みんなスカッとジャパンなんじゃん。ダサいね。
「火垂るの墓」を観た感想として「幼いふたりの死は清太が判断ミスを重ねた結果で自業自得だ」というものがあるそうだ。そのことについて朝日新聞が「自己責任論の蔓延によるものだ」として憂慮する論説を出している。
https://www.asahi.com/sp/articles/AST9C0SCRT9CULLI00QM.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「清太はバカだ!」「清太のミスで節子も死んだ!」とかいうリアクションが出てくるのは、物語に真剣に入り込んでるからよ。
鬼滅に夢中な子供の横で母ちゃんも付き合いで観てても必ずしもちゃんと話追ってない。ざっくりと、悪者を倒すんでしょくらいの解像度で観てる(もちろん夢中になってる親もいるが)
何やってんだそこで◯◯の呼吸使えよ善逸のバカ!って騒いで見てる子は怒ってるんじゃなくてしっかり楽しんでるよね。
そういう「物語の力」を、反戦思想に資するものとしてわれわれは(ということにしておこう)無警戒に利用してきた。おもしろい物語にすることでこぼれ落ちるものや、生まれてしまう副産物に何の注意も払わずに戦争の物語化カルチャーを営々と積み重ねてきた。
「ある戦災孤児の死」の物語を鬼滅と同じノリで消費してしまうバカガキどもを「自己責任主義の蔓延のせいだ」とはずいぶん安直な言い訳があったものだ。
一貫してそうなるように教育してきたんじゃないか。現実の歴史を勧善懲悪やお涙頂戴の物語にすり替えて「正しい解釈」を植え付けるという「反戦教育」が順当に実を結んだだけ。
殊に「愚かで邪悪な指導者がその愚かさと邪悪さのゆえに無辜の民衆を煽動して戦争に引きずり込んだ」「昔の人は無知だから簡単に騙された」という戦争観は、後知恵の万能感によって現実の戦争という巨大なカオス的事象を平坦に塗りつぶすものであり、「自己責任論」という便利な悪役に責任をなすりつけて事足れりとしているのは言うまでもなくその延長線上にある。
問題の「清太がミスったのが悪い」なる浅薄な感想は、かくのごとき幼稚な言論文化の正嫡と言えるだろう。
今目の前でウクライナやパレスチナで起きている戦争はとても分かりにくい。戦争について全てわかっているふうに語ってきた伝統的左翼は頭バグってロシアプロパガンダに絡め取られたりしている。
火垂るの墓にはリアリティを感じられない世代の人も、ガザで起きていることの不条理さは肌で感じている。左翼の陳腐なおどりが完全に賞味期限切れになったのを危ぶむ必要も嘆く必要もない。
勧善懲悪の水戸黄門の主題歌が下記なのは、マジで日本だとワイはちびっこの頃思ったよ
この良いもんのお上(水戸黄門)、絶対父性(「全知全能の神」や「万能の父」や「パターナリズム」)の守り神がマジでいるなら、
こうなるはずだからね
ワイが「サンタなんておらんやろ。でも黙っとくと父ちゃん母ちゃんとサンタから2種類プレゼント貰えるから黙っとこ」ってやってたのと同じ、
水戸黄門(理想的なお上)とサンタクロース、どっちも大人は信じてないのに、社会のために子どものため未来のために、演じ続ける社会的フィクションなのよ
政治家の不正のニュースを見ながら「正義は勝つ」と水戸黄門の勧善懲悪ドラマに頷いて、泣くのが嫌なら歩けと歌を歌うという矛盾。これが日本社会の二重性
日本の文化ってこういう「タテマエとホンネ」の二重構造がやたら強い。みんながフィクションだと知りながら、それでも共有する物語を大切にする
友人におすすめの日本映画を聞いたときに、返ってきたのがミンボーの女だった。
伊丹十三監督の映画は、恥ずかしながらこれまで一度も観たことがなかった。
しかし友人曰く「めっちゃくちゃ面白いし、伊丹十三の作品の中でも特に良いから観た方がいい」とのこと。
このホテルがヤクザからのたかり被害を受けていて、ホテル側は波風立てたくないの一心でヤクザの要求をずるずると受け入れてしまう。
一言でいえばビビって何も言えない。そんな様子がもどかしく、どうにかできないものかと観ていてモヤモヤしてしまう。
この人がとにかくカッコいい。ホテルから依頼されてヤクザへの対応を引き受けることになるんだけど、最初から一切ひるまない。
徹頭徹尾ヤクザは悪だという明快な立場を崩さず、法律的な方法でヤクザを的確に対処していく。
これが序盤のモヤモヤを吹き飛ばすほど痛快。
ヤクザを相手に毅然とした態度を取り、一歩も引かずに正論で戦うまひるの姿は今でも時代を超えてすごく魅力的に映る。
そしてこの映画、凄いのはヤクザを徹底的に「悪」として描いてる点。
日本映画って、ヤクザが題材になると何処かヤクザの美学のようなものを描いて一辺倒的な悪の存在としては描かない。
まひるの活躍によってヤクザ側もだんだん追い詰められていき、次第に暴力的な手段に訴えようとしたり裏から揺さぶりをかけようとするんだけど、そこでもまひるは一切怯まない。
それでも終盤、まひるが組の鉄砲玉に刃物で刺されるシーンがある。
このシーンの意図はとても分かり易い。
しかしヤクザは法のみでは縛り付けられない存在だってことを示しているわけだ。
この映画の最大のポイントはここのシークエンスにあると思っている。
そこでまひると彼女の部下(ヤクザ対策に任命されたホテルの従業員)がブランコに並んで座っていて、従業員の男がまひるに尋ねる。
「どうしてそんなにヤクザが怖くないのか?」と。そこでまひるは自分の過去を明かす。
彼女の父親は町医者をやっていて怪我したヤクザをよく受け入れていた。
重要なのはその話の続きで、ヤクザの親分の治療をしているところで別の組のヤクザが乗り込んできて、その親分を出せと脅してきた。
そのときまひるの父親は、医者として怪我人を差し出すことは出来ないと断り、ヤクザの親分を守ろうとして殺された。
この話のあと、鉄砲玉のヤクザにまひるが刺される。鉄砲玉はすぐに逮捕されるもののまひるは重傷となる。
映画の流れとしては、法によってヤクザを退ける → しかし法の力でも防げない事態が発生する
これが現代の作品であれば十中八九、この後の展開として「昔助けたヤクザの親分が間に入って助けてくれる」となるはずなんだよ。
つまりこれまではヤクザを絶対的な悪として描きつつも、最終的にはそのヤクザにも義理や人情があるってことを示すことでヤクザを一辺倒な悪として描かずに済むってこと。
このあとまひるが居なくなったホテルへと敵対したヤクザたちが攻め込んで来る。
しかし過去に助けたヤクザの親分は出てこない。良いヤクザは出てこないんだよ。
最終的にはまひる抜きで、ホテルの従業員たちが一致団結して自主的にヤクザを追い払う。
ホテルには以前のようにヤクザの姿が見えなくなり、無事ハッピーエンド。
すげぇなって思ったよ。
まるで迎合しない。
ここまで一貫してヤクザを悪として描くスタンスって、そうそうあるものじゃない。
それも架空の存在じゃない、ヤクザという実在する存在をこうも徹底して悪として描くことには正直だいぶ驚いた。
だからこそ、これまでの日本映画にはなかったようなカタルシスがあった。
宮本信子の演技の凛々しさも含めて、本当に痛快という言葉がぴったりの作品だった。
ない
「鬼殺隊」は鬼滅作者の造語だし、
>特に神谷代表は、物事をズバッと断言したり、大ヒット漫画『鬼滅の刃』に自分達をなぞらえて話したりする。『(参政党員は)鬼殺隊ですよ。日本人の心の中にいる鬼をみんなで浄化する!』とか『僕たちが鬼殺隊をやっていたら、いつか煉獄さんみたいな人が生まれる』などという演説
「党員は鬼殺隊です!」陰謀論を掲げてきた参政党・政治資金パーティーに来た人に「なぜ支持するのか?」聞いてみた(週刊現代) - 2ページ目 |現代ビジネス |講談社
https://gendai.media/articles/-/153778?page=2
ムカつく
非常にムカつく
腸が煮えくり返る
お前らはむしろ鬼側だろうが
まう鬼滅のことを喋るな
と思うが
社会現象となったうえ、勧善懲悪とみなされがちな鬼滅は政治利用をよくされる…
杉なんとかという逮捕された迷惑系youtuberはもちろん、
この2つが世の中にあるのって多分周知だと思うんだけど
「B級」が一番しっくり来る
このB級の特徴を並べたかったんだけど、難しかったのでAIにも協力してもらった
・欲望に忠実
・性的・暴力的・グロ・笑い・泣きなど、人間の根源的な感情に訴える
・中毒性がある
うーーーんいいまとめだ
A級はこの逆ね、悪く言えば難しいんだよね
このA級/B級ってどの界隈でもどっちも存在してるのが面白いよね、人気作品になるためにはB級が近道だが、名作になるにはB級を捨てなきゃいけなくて
巧妙な作者は両方の要素を入れる、みたいな
ファースト→勧善懲悪じゃないロボットアニメのゾルトラークっぷり
ZZ→第1話やOPの「ふざけすぎだろ!」な空気、終盤の「重すぎだろ……」な空気
ポケ戦→逆シャアまでやってから0080に戻るという時系列。プチジークアクス状態
0083→上に同じく。アクシズ落としてからZの設定補強が始まるのマジで謎
F91→企画が縮小されて映画になったけど結果的にキレイに収まったこと
G→ガンダムシリーズ終わったな感。
08→一年戦争が部隊だけどUC作品の中ではかなりの若手ってこと
∀→「これ大丈夫なの?ハゲもうヤバイのでは?」からの評価反転
SEED→W以上の拒否反応と「まあガンダムってもうなんでもありだしな」という諦観
DESTINY→ファンが次々アンチに反転していく地獄絵図。ガンダムアンチブームの本格的な始まり。
イグルー→今は完全にネタ扱いされがちだけどヅダもビルドルブも硬派扱いでしたよ最初は割と。
00→最初期の超強烈なバッシング。その反動により割と高めに収まる最終評価。
ユニコーン→当時の基準だと映像がマジでヤバイぐらい凄い。この辺りからガンプラがデフォでどんどん高くなりだす。
AGE→今どういう扱いされているのかが分からん。新規履修の話を聞かないんだよなあ。
Gレコ→めちゃムズ。映画版で分かりやすくなった所から解説記事とかも増えたけど当時は意味不明ですよね記事ばかり。
オリジン・サンボル→ガンダムまじでオッサンコンテンツやんけ。実は若手の入口を兼ねていた説に皆少しずつ気づく。
オルフェンズ→汚名返上した一期から、二期で完璧に汚名挽回で伝説に。今はもう予備知識0で見るの無理そう。
水魔女→毎週見てる時はタケモトピアノとかクソ面白かったけど通しで見るとダレてる感じがあるの不思議よね。
ナラティブ→ナ・ニ・コ・レ?公式のバカ組体操画像による汚名は挽回できていたのか?
ハサウェイ→このアニメ、風評被害が凄かったんだねえ。フラットなイメージで見れる人達が羨ましいよ。
ドアン→え?→意外と面白かったね。の流れって今も一緒なのかな?
SEEDFREEDOM→ガンダムSEEDが20年前?フェルン、それは流石に嘘だよ。←リアタイ組、全員これです。アラサー含めてボケジジイしかおらん
別に役所と喧嘩しに行くわけじゃないんだから、アホみたいなこと言うな
戦わないといけないと思わされるのが、申請の妨げになるって自覚しろよ
知識がないなら、任せる先は幾らでもある
自治体に「申請書を提出する権利がある」と理解しておく(これは法律上の権利)。
📌生活保護法第24条:「申請があった場合、速やかに調査し決定しなければならない」
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書式は厚生労働省のHPなどでPDFダウンロード可能(または役所で取得)。
できればコピーをとっておく。
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担当者がどう言おうと「これは申請ですので受理してください」と冷静に伝える。
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同行・申請サポート書類記入・交渉支援・申請同行反貧困ネットワーク、自立生活サポートセンター・もやい、全国生活と健康を守る会
法律相談行政への対応や不服申立てに法的助言法テラス(無料相談)、弁護士会
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担当者による申請拒否、扶養照会の強行などに対して不服申立てや行政相談が可能。
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✅ 「共産党が助けてくれる」という話について
● よくある認識
弱者の味方として動いてくれる
● 実際のところ
共産党の地方議員や支援団体が熱心に同行や制度説明をしてくれるケースは多い(事実)。
ただし、共産党は公的機関ではなく政治団体。対応は地域差があり、あくまで「任意支援」です。
🔴 つまり、共産党は「使える場合もあるが、制度的に優先される立場ではない」
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優先度相談先 内容
★★★★★市区町村の福祉事務所申請権を有し、法的に義務のある窓口
★★★★☆NPO(反貧困ネット・もやい等)専門性が高く、同行支援や行政交渉の経験豊富
★★★☆☆法テラス・弁護士権利救済・不服申立て・公的機関への牽制に有効
★★☆☆☆共産党議員や支援団体地域により熱心だが、政治団体であり任意対応
☆☆☆☆☆SNSの噂・未確認情報不正確な情報や偏った例も多く、注意が必要
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申請が困難な場合は、行政交渉に慣れたNPOや法テラスと連携しましょう。
共産党はあくまで「ひとつの手段」であって、特別扱いの制度ではありません。
「自分が悪いんじゃないか」と思わず、制度を使うのは当然の権利として堂々と進んでください。
※追記
元増田は一度申請書を記入して担当者に提出したが、諾とも非とも言わない不明確な対応で握りつぶされたんだから、喧嘩しにいくつもりで良かろうよ。ある程度「面倒くさい/手強い相手だ」と認識されないと通らないよ
喧嘩して不満をぶつけてやり込みたいのかも知れんけど、それが必要ないんだよ
勧善懲悪が嫌いな民族なんているのか?(anond:20250525105258)
ほんこれな。元増田(anond:20250525104954)はフィクションに対する解像度か問いが低過ぎる
勧善懲悪の水戸黄門の主題歌が下記なのは、マジで日本だとワイはちびっこの頃思ったよ
この良いもんのお上(水戸黄門)、絶対父性(「全知全能の神」や「万能の父」や「パターナリズム」)の守り神がマジでいるなら、
こうなるはずだからね
ワイが「サンタなんておらんやろ。でも黙っとくと父ちゃん母ちゃんとサンタから2種類プレゼント貰えるから黙っとこ」ってやってたのと同じ、
水戸黄門(理想的なお上)とサンタクロース、どっちも大人は信じてないのに、社会のために子どものため未来のために、演じ続ける社会的フィクションなのよ
政治家の不正のニュースを見ながら「正義は勝つ」と水戸黄門の勧善懲悪ドラマに頷いて、泣くのが嫌なら歩けと歌を歌うという矛盾。これが日本社会の二重性
日本の文化ってこういう「タテマエとホンネ」の二重構造がやたら強い。みんながフィクションだと知りながら、それでも共有する物語を大切にする
という釣りタイトルのまとめを見かけたけど、この理由は明確で、「自分が正義の側にいる」という愉悦、この一点なんだよな。
「悪にも理由がある」をやられるとモヤるのはそのため。自分の「正義」が曇るから。一点の曇りもない正義の方が、より気持ちいいのさ。
鬼滅の刃なんかはその辺りよくわかってて、鬼にも「悲しき過去」はあるけど、「だからと言って悪は悪なので滅ぼされるべきだ」のラインは絶対に譲らない。そこがブレると気持ちよくなくなるからな。
だから、こういう世の中で「悪」をやれるやつは、逆に貴重でもあるんだよな。そいつを叩けば何の憂いもなく「正義」になれるなんて、打ち出の小槌みたいなもんだろ。公共の福祉への貢献度がすごい。
https://posfie.com/@OOEDO4/p/YBDER0d#c14792609
ここの論調だと悲しい悪役を殺すのは勧善懲悪ではない、とかスカッとジャパンは勧善懲悪じゃない、と言われている。
かんぜん-ちょうあく【勧善懲悪】
善良な人や善良な行いを奨励して、悪者や悪い行いを懲こらしめること。▽「善ぜんを勧すすめ悪あくを懲こらす」と訓読する。「懲悪勧善ちょうあくかんぜん」ともいう。
辞書の定義だと悪役が完全な悪でなければいけないというものではない。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
勧善懲悪の文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画、スーパー戦隊シリーズなどのシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨したりするという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。悪としてよく扱われるのが、一般に強大な権力を保持し、正義を好まない人物や組織である。対象は作品によって異なるが、その時代や特定勢力を風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。
Wikipediaでも同様。