
はてなキーワード:勝負とは
縦読み漫画の場合、背景は用意された素材を使い回して時短作画でマンファを量産するみたいですよ。
元は写真で、そのまんまや漫画用に加工したものを使っているだけ。
だから、漫画家自身やアシスタントの力量関係無しに、同じようなレベルの背景を量産出来ます。
ま、似たようなもんでしょ
dorawiiより
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裏庭でのマヨネーズグルメ実験は、私たちの新しい日常になった。ポテトチップスに、庭で採れたトマトに、泉がこっそり作ってきたオムレツに。エイリアン・ソースをかけた瞬間、世界は味覚の頂点に達した。
しかし、私の胸には別の熱があった。それは、世界を覆った「膜」のせいで中断してしまった、高校サッカー最後の大会への想いだ。私はエースストライカーとして、全国制覇を夢見ていた。世界が変わって以来、サッカーボールに触れることさえ億劫になっていた。
ある日の午後、泉がエイリアン・ソースをかけた焼きそばを差し出してきたとき、私は思わず言った。「こんなに美味いソースがあるのに、この世界じゃ、もう誰とも勝負できないんだな」
泉は、静かに私の目を見つめた。「誰とも? 私がいるじゃない」
次の瞬間、彼女は植木鉢があった場所――あの光の柱が昇った地面を指さした。「この『膜』が世界を閉ざしたんだとしたら、その法則を決められるのは、私たち二人だよ。ねえ、試してみようよ、あなたのサッカー。このソースが生命力を高めるなら、あなたの身体能力も極限まで高まるはず」
泉の言葉は、私のスポ根魂に火をつけた。彼女が作った、エイリアン・ソースまみれの「エナジー焼きそば」を平らげた私は、その夜から猛烈なトレーニングを再開した。世界が停止したことで、学校のグラウンドは貸し切り状態。泉は植木鉢の場所で、エイリアン・ソースを混ぜ合わせながら私を見守る。
「私のソースは世界一。だから、あなたも世界一にならなきゃね」
彼女の期待を背負い、私はボールを蹴る。ソースの力か、泉の視線のおかげか、私のシュートは以前より遥かに鋭く、速くなっていた。私たちの特別な愛と秘密は、世界を閉じ込めるだけでなく、私を世界最高のストライカーへと導こうとしていたのだ。私のゴールが、この閉ざされた世界を再び動かす、唯一の希望のように思えていた。
パトレイバー2the movieの再上映を見てきたんだけどさ、あの映画ホント完成度が高くて、何十年経っても繰り返し視聴に耐えうる押井守の傑作だとは思うんだけどさ、一箇所どうしても気になる台詞があるんだよね。
映画の終盤に、敵の本拠地に殴り込みをかける特車二課の面々の前に立ちふさがる移動式の砲台みたいなレイバーがいて、それを突破するために篠原が作戦を立案するんだよね。
篠原「こいつは有線操縦の移動砲台みたいなもんですが、この状況だと厄介ですね。レイバーに攻撃を引き付け、俺と進士さんで回り込んでケーブルを切断し、3号機でECMをかける。これを基本に後は出たとこ勝負ってことで、どうです」
って続けるんだけど、これがどうもしっくりこない。
まあそもそもが篠原のセリフ自体が、視聴者にこれからのシーンを説明するための完全な説明ゼリフなわけで、その説明ゼリフに返答するのになんか気の利いたことを言わせる必要もないのかもしれないけど、なんか異様にこの
「それしかなさそうね」っていうセリフだけがこの映画の中で浮いてるんだよなあ。
なんつーんだろ?これどういう気持ちで南雲隊長は言ったんだろ?
本当に「それしかなさそうね」、って思ったのか?
どうして「それでいきましょう」じゃなかったのか?
なんかどうにもしっくりこないんだよなあ。とずっと思ってる。
いい人に出会えなかったり、やりとりが続かなかったり、
気づけば月日ばかりが流れていく。
そんな時、どうしても相手に求める条件ばかりが浮かんでしまいます。
もっと優しい人がいい、もっと誠実な人がいい、もっと自分を大切にしてくれる人がいい、と。
でも、少しだけ視点を変えてみると、
「自分は相手に何を与えられるだろう」という問いが見えてきます。
支えられたいなら、まず支える気持ちを持つ。
愛されたいなら、まず愛を向ける。
そのバランスが取れている人ほど、やっぱり魅力的に見えるものです。
そして、避けて通れないのが「年齢」という現実です。
年齢を重ねること自体は悪いことではありません。
ここだけは、どんなに綺麗ごとを言っても変わらない現実です。
だからこそ、年を重ねた人ほど「他の魅力」で勝負する必要があります。
人としての深みが出てくる。
その深みを磨かないまま、「相手が悪い」「時代が悪い」と言い続けていると、
「今の自分に何ができるか」
「どんな関係を築けるか」
そこを丁寧に考えていくことで、
多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手の心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義の世界の象徴のように見える。
しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷で不都合な真実が存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。
結論から言おう。現代のポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力」である。
ポーカーのトーナメントの本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特に、チップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤーのスキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。
ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称「コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたのハンドがAK(エース・キング)で、相手がQQ(クイーンのペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。
さて、もしあなたがトーナメントで優勝するために、この50%の勝負を10回連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?
そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキルも経験も一切関係ない、純粋な確率の世界だ。コインを振って10回連続で表を出すことと何ら変わりはない。
つまり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10年経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。
「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフで相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」
彼らは、結果から逆算して自分の成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続でコイントスに勝った後、最後の10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディアは1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップ・バイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである。
「長期的に見れば、期待値(EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラスに収束する」
これは、ポーカーを科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。
ここで、ポーカーの世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャック、ルーレット、バカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである。
彼らは、ポーカープレイヤーが血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールそのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。
しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノの運営において、特定のテーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でマイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。
数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。
さて、ここでポーカーの世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁のアドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。
そんな、カジノのハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラスに収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリアを根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである。
ここまで述べたように、トーナメントでの成功は天文学的な確率の産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人のスキルなど無力である。
では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。
その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。
現代のポーカープロに必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である。
ステーキングとは、投資家(バッカー)がプレイヤーのトーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。
これこそが、現代のポーカープロを支える生命線なのだ。彼らは自らのスキルを商品として投資家にプレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイスタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金を調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。
20回連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家へ配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。
つまり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉のテーブルなのだ。いかに自分を大きく見せ、いかに自分という金融商品に投資価値があるかを説得するマーケティング能力と交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである。
これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神を他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから。
そういう女は居る。
居るには居るがかなり限られた存在でしょ。
はっきり言っちゃうと相当に知能が高い女のことだよ。
「セックスのない相手が欲しい」とか言ってる女はどれぐらい知能に自信があるの?
この選別って結構厳しくて
会話してるだけで知能ってわかるから
つまり何かを一緒に見に行けば振る舞いやコメントのひとつひとつ
ある程度キレキレを感じさせてくれないとダメってことだよ。
面白い人間って本当に箸の上げ下げでも神経通ってて面白いから。
男でも女でも数えるほどになっちゃう。
こんな差別はないと思うけどね。
誰にでもついてるまんこで相当部分許される優しい世界を敢えて捨てて
それ抜きのフィールドで相手を得られるっていうのは物凄くマッチョかつタイトな宣言なんだけど
それほどの緊張感と気迫を持って言ってるように見えない。
偏見だけど。
まんこしか取り柄がないのに「まんこ払わず愛されたい」って言ってるただのバカに見えちゃう。
男で言ったら「競争とか労働とか何も頑張らないけど素のままのボクを愛してほしい」って言ってるようなもんでしょ。
じゃああなたはまんことか社会で張り合うとかそういう”不純要素”抜きで勝負出来るぐらい知能や人格が優れた人なんですかって。
そんなの人類の0.01%よりもっと少ないレア人材だと思うけど。
あなたはそういうウルトラレア人材ではないので、持ってるもの全部で勝負するんじゃないですか?と。
人類の99.99%そうやって生きてるんじゃないですか?っていう。
この3秒で思いついたネタがトップブコメに来るのが往年の2ちゃんねるテキスト文化っぽくていいんだよなあブクマ文化
TimerTan チンギュラリティきてんね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/japan.cnet.com/article/35239194/
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フリーランスのWワークをしている私は、休みという休みは無い。
仕事が落ち着いたいわゆる“休日”も、ここぞとばかりにあれしなきゃ、これしなきゃ、とタスクをこなし始める。
今回の旅もひどい詰め込み様だ。
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旅のパッキングをして8時に出社。
飲んで食べて笑って泣いて23時に友人宅へ。
翌日は朝4時に起きて支度。テーマパークへ。
休憩知らずでアトラクションを制覇する。
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ここまでの2日間は、動と動と動と動。
動くことは得意分野だ。
しかしここからの2日間は、何一つ予定がない。ノープラン。宿も取っていない。
この“何をしてもいい日”っていうのが、可能性が無限大でワクワクする。
どこに行こうか、誰に会おうか、なにを見ようか、なに食べようか、全て直感で決める。
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...!!??
そう来たか。
何をするかをあれこれ考えていたけど、何もしないという選択肢があることを初めて知った。
「疲れてるんでしょ?ゆっくりしなよ。うちでごろごろして明日も泊まってけば。」
確かに、身体は相当疲れているはず。宿もあってありがたい提案。
しかしせっかく飛行機で来ている旅の中、一日中友人宅で過ごすという“静”の覚悟をできなかった私は、また動くことを決断。
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朝8時からお昼までリモートワークをしたあと、3時間かけて海沿いまで電車移動。
“静”をするぞ!と慣れないことへの意気込み。
送迎バスのおじさんも、フロントのお姉さんも、この町も空気も素敵だ。
オーシャンビューの和洋室。ベランダで海を見ながら軽く仕事をする。
あ~~~、風を感じながらこんな気持ちいい体験ができて豊かだなぁ。
温泉に入って、夕食ビュッフェでは飲み放題を付けてひとり宴会。
宴会のお供には、おそらく10年ぶりくらいに、マンガコーナーから取ってきた恋愛マンガを読んでみる。
直近でマンガを読んだのはたしか、、、NANAとか。昔すぎる。20年前かな。
動いたことで、こんな色々な経験ができて豊かな気持ちになれるのか。
それと同時に、宿で“静”の時間を過ごすと決断して良かったなぁ。
時間に囚われずにゆっくり過ごすことって、こんなに豊かな気持ちになるのか。
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静止することで感じられる贅沢な時間の使い方や癒し、心の穏やかさも、
会議室でも廊下でも、気づけばどこかで「せーの!」の声がする。
本来なら社会人がやることじゃないんだけどデスクワーク続きで肩が凝ってるせいかちょっとした運動として流行りだした。
遊びだけどみんなけっこう真剣で、勝ったら昼休みのコーヒーを奢ってもらえるという地味な賭けがあるからかもしれない。
そして、事件は起きた。
その日私は隣の席の彼と勝負していた。
温厚な人で私より年下。口数は少なくて仕事の事しか話したことがない。
でも勝負が始まった瞬間彼の目が本気。
そこで彼が手を押して来た瞬間、さっと手を横にやって避けた。その瞬間——
バランスを崩した彼が前のめりに倒れてきた。
ドン。
気づいたら抱きしめられていた。
いや正確には倒れそうになって私に抱き着いた形…なだけなんだけど。
顔が熱い。耳まで真っ赤。彼はそっと離れて「…すみません」とだけ言った。
私は笑っていいよと言ったけど午後の会議中もずっと彼の温もりが気になって、資料のグラフがぜんぶ心拍数に見えた。
鏡を見たら顔がずっと真っ赤で恥ずかしかった…!!!(´///ω///`)
以前育児についての記事を書いてたなーなんて見てたら、「イヤイヤ期のころに叫びに来る」と書いてあったので叫びに来た。
現在2歳nヵ月。周りから伝え聞くイヤイヤ期ってほど激しくはないけれども、自分でコップで水を飲もうとしてちょっと服に水滴を零しただけでこの世が終わったように泣き叫ぶのでやっぱりイヤイヤ期なのかもしれない。
離乳食にもあまり困らない子だったが、現在でも食事にはあまり困っていない。強いて言うなら親が何かを食べていると(たとえ全く同じものでも)「ちょうだい!」と主張し、根負けすると奪い取って食べていくほど食欲旺盛に育った。
体力がついて、しっかり昼間に外や家の中、地域の支援センターで遊びまわり、そのうえで昼寝を1時間程度に抑えないと夜に寝なくなった。
とにかく動き回る。元気の塊である。
なんというか、1歳前に子供が立ち上がったあたりから、いやもしかするとその少し前のハイハイを始めたあたりから、ちょっと気が遠くなるレベルに子供が動き回るようになったので、この1年半ほどで夫婦ともにめちゃくちゃ体力が付いた。
正直に言うと二人ともすごい勢いで瘦せて筋肉質になった。
かなり冗談ではなく、出産に伴う体型の乱れとか、中年に伴う贅肉の増加はすべて育児のために貯めこんでいたものだったのではないかと錯覚するほどに痩せた。
子どもが走り出そうとするのを先回りし、止め、抱っこから抜け出そうとするのを力づくで持ち上げて運ぶスキルが身についた。
子どももとても楽しそうにしているし、1日前までできていなかったようなことができるようになっているので毎日目が離せない。
育児書を読んでも、子ができるようなったこと、やれるようになったことを指折っていくとだいたい載っている通りだし、