
はてなキーワード:労働者とは
市場は万能ではない。だが「万能ではない」という事実を、官僚と政治家が免罪符として濫用する国家は、例外なく自己放尿する。
市場は確かに失敗する。しかし、政府はもっと頻繁に、もっと大規模に、そしてもっと不可逆に失敗する。
問題は「市場か政府か」ではない。市場の失敗に対して、政府がどの程度の失敗を上乗せするかである。
ここでまず明確にしておく。規制は必要だ。必要なのはルールである。国家が担うべきは審判であって選手ではない。
審判はルールを固定し、プレイヤーが予測可能な環境で競争できるようにする。
審判が気分で笛を吹き、勝敗を演出し、人気チームを勝たせようとした瞬間、競技そのものが自己放尿する。
これが裁量行政の本質だ。つまり制度設計ではなく介入芸で国家が飯を食う社会は、資本主義をやっているようで、実態は準社会主義である。
市場に必要な規制は、所有権の明確化、契約執行の強制、詐欺・暴力等の排除が挙げられる。
これは国家のコア業務だ。これがなければ市場は単なる弱肉強食の縄張り争いに堕する。
だが、この最低限のルール整備と、「特定産業を救う」「特定企業を延命する」「特定地域に補助金を撒く」「特定価格を維持する」といった裁量介入を混同する国は多い。
これは知的に言えばカテゴリーミスであり、政治的に言えば利権の偽装である。
価格は情報である。価格は需給だけでなく、希少性、リスク、期待、技術、代替可能性、時間選好といった膨大な情報を圧縮したシグナルである。
政府が価格に介入するとは、情報伝達回路を破壊する自己放尿である。
価格統制、補助金、参入規制、護送船団方式、行政指導。これらはすべて、価格が発する「足りない」「余っている」「危ない」「儲かる」というシグナルを黙らせる。
すると市場は沈黙する。沈黙した市場では資源配分が劣化し、全要素生産性(TFP)が腐り、資本蓄積が歪み、イノベーションが死ぬ。
さらに致命的なのは、政府介入が単発で終わらない点だ。介入は次の介入を呼ぶ。
たとえば賃金や価格を政治的に固定すれば、需給の調整は数量制約として現れる。品不足、待ち行列、闇市場、質の低下。そこで政府はさらなる規制で対応する。
こうして政策は自己放尿する。これは政策のラチェット効果であり、政治経済学的には典型的な政府失敗である。国家は縮まない。国家は肥大する。
この肥大は、単なる非効率では済まない。合理的期待形成のもとで、民間は政策を学習し、適応し、回避し、ロビー活動に資源を投下する。
これがまさにルーカス批判の核心だ。政府が過去データを根拠に裁量政策を撃てば撃つほど、民間の行動規則そのものが変わり、政策効果は蒸発する。
蒸発するだけならまだ良い。現実には政策は不確実性を増幅し、期待を不安定化させ、投資を萎縮させる。これはマクロ政策が景気を安定化させるという幻想の裏側にある現象である。
裁量介入の害は、単なる資源配分の歪みではない。もっと深い。インセンティブ構造の破壊だ。
救済が予想されれば、経営者はリスクを過大に取る。モラルハザードが発生する。ゾンビ企業が生き残り、創造的破壊が止まる。
生産性の低い企業が市場から退出しないため、労働も資本も滞留し、新陳代謝が消える。これが日本型停滞の中核であり、成長率の天井を作る。
そして官僚機構は介入すればするほど自分の仕事が増えるため、規制の供給者として振る舞う。
つまり、規制は公益ではなく官僚制の自己保存のために生産される。
政治家も同様だ。補助金を配れば支持が得られる。規制を作れば仕事をした感を演出できる。
財政支出は可視化され、票になる。改革は不可視で、票になりにくい。
だから政治は短期主義に偏る。ここに「政府が市場を補完する」という建前の裏で、「政府が市場を寄生する」という自己放尿が成立する。
このとき国民がよく口にする反論がある。「でも市場には格差がある」「弱者が切り捨てられる」「外部性がある」。
もちろんそれは正しい。だがここで重要なのは、格差是正を口実に、政府が価格メカニズムを破壊してよい理由にはならないということだ。
外部性は存在する。だが外部性への対応は、原則として価格付け(ピグー税・排出権取引)で行うべきであり、官僚が恣意的に産業を選別して補助金を注ぐことではない。
格差問題も同様で、再分配は所得移転という透明な形で行うべきであり、特定業界保護という歪んだ形で行うべきではない。後者は効率性を殺し、利権を固定化し、結果的に貧困を温存する。
つまり、正しい政策はこうなる。市場を歪めない形での最小国家である。金融政策はルールベースで、予測可能性を最大化する。
財政は均衡を原則とし、例外を限定する。産業政策は基本的に否定し、競争政策を強化する。参入障壁を撤廃し、退出を容易にする。
倒産は悪ではなく資源再配分の装置として受容する。これが健全な資本主義だ。痛みはある。だが痛みを先送りして麻酔を打ち続ける社会は、やがて神経そのものが壊死する。
日本の病理は、成長戦略がないことではない。成長戦略を語りながら、同時に市場を信用していないことだ。
規制緩和を掲げながら、例外を大量に作る。競争を促進すると言いながら、既得権を守る。財政健全化を言いながら、政治的に都合のいい支出を増やす。
これは論理矛盾ではない。政治合理性としては整合的だ。だが経済合理性としては自己放尿だ。
成長とは何か。成長とは生産関数がシフトすることだ。TFPが上がることだ。
その源泉は技術進歩だけではない。競争、退出、資本再配分、価格シグナル、企業家精神である。
これらは制度の産物だ。制度が悪ければ、技術があっても伸びない。優秀な人材がいても伸びない。資本があっても伸びない。制度が良ければ、凡庸な国でも伸びる。
ここで裁量介入が入ると何が起きるか。投資家は経済性ではなく政治性で投資を決めるようになる。
これがレントシーキング経済であり、成長率が落ち、社会全体が官への依存で腐っていく。
これは文化の問題ではなく、インセンティブの問題だ。人間が合理的に振る舞った結果としてそうなる。
市場に規制は必要だ。だがそれは、競争を止めるための規制ではない。競争を成立させるための規制である。
市場に政府は必要だ。だがそれは、配分を決めるための政府ではない。ルールを固定するための政府である。
社会保障は必要だ。だがそれは、産業を延命するための社会保障ではない。個人を救うための社会保障である。
そして何より必要なのは、政治家と官僚が「景気を操作できる」「産業を育てられる」「成長を設計できる」という全能感を捨てることだ。
成長は、官僚のペン先から生まれない。成長は、無数の市場参加者が価格シグナルを頼りに試行錯誤し、失敗し、退出し、再挑戦するプロセスから生まれる。
国家がすべきことは、笛を吹くことではない。
トランプ関税がアメリカ国民への罰金となっていることを示すレポートの記事に「トランプの主張は国内産業保護だったのだからそっちの検証が必要」みたいなブコメがあってたくさん星ついてたんだが、それはもし上手くいってたとしても10年後ぐらいにしか分からんよ。
この手の産業の国内回帰って、コスト低減のために海外に出してから時間が経てば経つほど復活しにくくなるってのを無視してる言説が目立つよね。
今のアメリカ人の賃金と海外の買い叩かれてる海外労働者の賃金の差は、イキってぶち上げた後に日和って下げた関税程度じゃ吸収しきれないよ。
それに関税バリア自体がアメリカ人に物価高を迫ってより一層の国内賃金上昇圧力になる訳だから、自国民を奴隷化して働かせなきゃ国内産業の復活なんか無理。
結果がすぐ出ないことがわかってるからトランプはこのネタで喚いてんだろうな。
私が素人ながらケアニューディール https://note.com/taomorohoshi/n/n022e9aa48349 としてjabiで発表してきたことと多分同じで。
通貨発行権のある国家は利潤(税収)無関係に公定価格(介護報酬等)を設定して支払える。
その為、その支出でその産業の名目賃金を増やせ、名目成長させる(GDPの政府最終消費支出)。
ここまでは表層。
1/
次に、単価を国家が設定出来るので、他産業より高単価(利用者には無料)にも出来るので、【労働移動】が起こる。
すると他産業が人手不足になるため、自動化投資や賃上げに追い込まれ、物的労働生産性や付加価値労働生産性が上がる。
2/
低炭素労働への労働移動は、環境負荷の多い分野のブルシットジョブからの労働退出を促す。
介護は人以外に資源を使わず(まあエレベーター設置とか社会全体が備える設備含めるとわからないが)、製品を輸出する為に資源を輸入、みたいなのが不要。
3/
持続可能性、と言う面でもう一つ述べると、生命再生産、労働力再生産の持続可能性を担保する。
外では賃労働。家では無償ケア労働。いつ寝るの?という話で、賃労働のパフォーマンス、生産性は落ちる。
4/
寝る暇もなく疲弊した状況(介護離職の場合は更に金銭的余裕が無くなる)で、恋愛も生殖も不可能。
仕事、介護、家事、子育て(の前の生殖に至る交際)を全てこなすのは不可能。
たまにこなせる人もいるが、持続可能ではない。
5/
生命再生産は家庭内ケア労働で行われる(これが無償か有償か、自費か国費かの影響は後述)。
昭和はこれを妻が担っていた。
その再生産にかかる費用(再生産費用)を、企業も昔はある程度は支払っていた。
6/
現代は、と言うか資本主義では、この再生産費用の不払いが可能な限り徹底される。
資本蓄積の本源は、他国からの略奪、労働者からの搾取のほか、家庭内で行われる労働者の生命再生産にかかる費用を無償化することで得られる。
7/
利潤のために資源を枯渇するまで採取すればその資源を活用していた産業は終わる。
同様に、ケア労働も枯渇すると社会的再生産、労働力再生産が不可能化する。つまり資本主義というか経済が終わる。
8/
介護保育などに代表されるケア労働を無償にして、なお枯渇させずに生命再生産を可能たらしめるには、企業内賃労働者を家庭内ケア労働に従事させねばならない(つまり介護離職)。
その上で賃労働に再生産費用を組み込むには、賃上げを強制するしかない。
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そうでなければ、次世代労働者を産み育てる経済的余裕が失われる。
あるいは、企業内賃労働に家庭内無償ケア労働者を労働移動(いわゆる女性の社会進出)させたまま、再生産を担保するには、再生産を外部委託する他ない。
が、これには外注費がかかる。
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この外注費(介護育児の他に、外食やクリーニングは家事の外注)を自己負担できるなら、それはつまり企業が再生産費用を支払っていると言うことになる。
前述の様に、それは企業の利潤、資本蓄積を困難にするため、まず望めない。
ではどうするか。
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政府が再生産費用を支払うときに税や社会保険料、自己負担で取るか、通貨発行で支払うかがある。
前者は累進性が高くなければ、あるいは労働組合などが強くなければ結局は労働者が支払うのと同じことになる。
だとしても支払わなければ資本主義が終わるので支払うしかないが、後者でもいいはず
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後者(通貨発行で再生産費用を支払う)だと、企業は長期での労働者を確保でき、国内消費者も確保できる。
市場と労働力が確保できて、更に再生産費用を不払いにして置けるので(それがいいとは思わないが)、投資がより大規模に可能となる。
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ただし前述のように、国家が再生産費用を支払うとは、有償でケア労働者を確保することを意味するので(それが家庭内ケア労働への移動か、介護施設や訪問ヘルパーなど公的ケアサービスへの労働移動かはさておき。後者の方が効率的ではある)企業の賃上げ圧力は常にかかる。
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上の方で書いてたこととだんだんループしてきたが、このことが全体の賃上げに寄与するし、そもそもケア労働、ケア責任(魔女裁判から続く女性への抑圧で実現し得た、無償の再生産装置としての立場)は女性に負わされ、それを公定価格の据え置きで国家が低賃金に固定してきた訳で、
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女性の低賃金は資本主義と国家が作り出したものと言って過言でない。
介護保育など公定価格の引き上げは経済成長云々の前に不正義の是正として避けられない面もある。
経済成長としては14で言いそびれたが(もっと上で述べたか)賃上げ圧力は自動化投資の圧力でもあり、これが生産性向上である
16/
ポストが短文を細切れなのでだんだんループして、論点も忘れてきたが、とにかく【生産は再生産が強固でなければ持続し得ず、ケア領域とは再生産領域である】
ということ。
という事でとりあえず終了。
政府が「サプライチェーン強靭化」だの「経済安全保障」だのと称して市場に手を突っ込むのは、情報の分散性という資本主義の根幹を理解していない者が、価格メカニズムの神経系をハサミで切り刻む自己放尿に等しい。
政府が何かを守ると言い出した瞬間、それは必ず誰かの自由な選択を破壊し、価格シグナルを歪め、資源配分を政治的配給へ転落させる。
サプライチェーンとは本来、利潤動機と競争圧力により、コスト・品質・納期の制約下で最適化され続ける進化的システムであり、そこに官僚の机上の「望ましい産業地図」を持ち込むのは、動的効率性を犠牲にして静的な幻想を買うだけの政策自慰、つまり政府の自己放尿である。
中国との貿易を規制する?笑わせるな。貿易とは相互利益の交換であり、比較優位は道徳でも思想でもなく、ただの計算可能な現実だ。
中国が安く作れるものを中国から買い、こちらが相対的に強い分野に資本と労働を移す、そのプロセスこそが総余剰を最大化し、実質所得を引き上げ、消費者厚生を増大させる。
関税や輸出規制や補助金でこれを遮断するのは、消費者に対する隠れ増税であり、国内企業に対するモラルハザード供与であり、官僚機構に対するレントシーキングの自己放尿だ。
要するに、保護主義、産業政策、経済安保のトリプル放尿である。
しかもこの手の介入は、ルーカス批判の通り、民間の期待形成を変え、企業は政治リスクを織り込み、投資は歪み、ロビイングが利潤最大化の中心戦略になり、資本主義は市場競争から政治闘争へ堕落する。
政府が国益を掲げて市場を殴るほど、企業は技術ではなく補助金獲得能力で勝負し始める。
これがいわゆる政府失敗であり、規制の捕捉であり、官僚的計画経済への漸進的スライドだ。
国内生産回帰も同様に欺瞞である。サプライチェーンを国内に閉じ込めれば安全になるという発想は、分散の概念を逆さに理解している。
リスク分散とは供給源を多様化し、取引先を競争させ、価格と品質の淘汰を働かせることで実現されるのであって、国内に固定することは単なる集中リスクであり、コスト上昇と供給硬直化を招く。
さらに補助金で国内生産を誘導すれば、企業は効率ではなく政治意向に適応する。つまり、競争ではなく配給の世界だ。
ここで政府は戦略物資などという曖昧な言葉を振り回し始めるが、曖昧さは裁量の母であり、裁量は腐敗の父である。
結局、政治家は票田に資源を流し、官僚は天下り先に規制を設計し、企業は既得権を守るために市場参入障壁を要求する。
これが公共選択論の結論であり、理想の政府など最初から存在しない。政府が善意で動くという前提は、経済学的には分析不能な自己放尿でしかない。
自由貿易こそが正義だ。正義というのは感情の問題ではなく、制度としての優越性の問題である。
自由貿易は、消費者に選択の自由を与え、企業に競争を強制し、価格に情報を凝縮し、資源配分を最も生産的な用途へ押し流す。
そこでは国が決めるのではなく、分散した個人の知識と選好が価格を通じて集約される。
これが市場の計算能力であり、官僚の頭脳では代替不能な社会的情報処理装置だ。
政府が中国との取引を政治的に遮断するのは、その情報処理装置をわざわざ破壊し、国民の実質所得を削り、成長率を引き下げ、非効率企業を温存し、インフレ圧力を高める行為に他ならない。
しかもその負担は「国家のため」と言いながら、結局は消費者が物価として払い、労働者が実質賃金として払い、納税者が補助金として払う。
政府はそれを安全保障と呼ぶが、実態はただの政治的コスト転嫁であり、サプライチェーン自己放尿の芸術点を競っているだけだ。
自由貿易は短期的に産業の新陳代謝を要求するが、長期的には生産性を上げ、イノベーションを誘発し、社会を豊かにする。
介入は短期的に痛みを隠すが、長期的には歪みを蓄積し、停滞と腐敗を育てる。
だから結論は単純で、政府は余計なことをするな、価格に喋らせろ、貿易に壁を作るな。
中国と取引したくない企業は取引しなければいい、リスクを取りたい企業は取ればいい、その判断を官僚が一律に奪う必要はない。
自由を奪って安全を得ようとする国家は、結局、安全も成長も失う。自由貿易こそが正義であり、保護主義は自己放尿であり、裁量行政は市場への暴力である。
それって会社が大きくて組合を作る余地があって、労働者の脳みそが一定以上だからボーナスがちゃんと出る会社に所属出来てるって話でしかないんじゃないかな
介護というのは回転率の悪い喫茶店みたいなもので、しかも客の払う金額の上限が法律で決まっているようなものだから、人がやっている限り、豊かになれるわけがない。
介護施設のベッド数(人数)は、喫茶店の客席(客数)と同じだ。
喫茶店は回転率で利益を上げられるけど、介護の回転率はほぼ0だ。
そして介護保険で払える範囲は決まってる。それ以上払う富裕層相手にでもしなければ無理だ。
したがって、入ってくる上限が決まっているから、労働者に払える給料も決まる。
そうしないと赤字になるし、投資金額を回収できないわけだしね。
これを打開するとしたら、介護ロボとかを開発して無限にスケールできるようにすることだろう。
XRobotHubとかみればわかるように中国で介護ロボがいくつか開発されているでしょう。
ロボを使う産業にしていけば、よりスケールするし稼げるようになるかもしれない。
介護ロボの知見は他のロボ開発にも応用できるわけだしね。
ビジネスの成果より手段やプロセスそのものに喜びを見出してきた作業者タイプの労働者にとって、AIの進化は残酷すぎないか?
自分で調べて、手を動かし検証して解決するという、その一番楽しかった部分をAIが一瞬で解いてしまう
ウンウン頭を捻ってようやく出したアイデアもAIの物量を目の前にするとただの平凡な一案に埋もれてしまう
まあ楽しい部分を取られただけならまだいいんだよ
1年前の時点でうっすらと危機感はあったが、ここまでになるとは正直思ってなかった
労働者階層であれば、労働力として分別するために「名前」が必要だけど
ぶっちゃけ家庭にいて畑仕事してて「名前が必要」になる場面って無くね?
金を稼ぐなら名前が必要で、金を稼いでるから大黒柱として家の区別をつけるために名前を書くようにして、
じゃあ散々語ってた富の再分配って非労働者だけを対象にすることが前提だったの?
農奴制の後遺症、土地不足、産業労働者の劣悪環境、皇帝と貴族は別世界
■清朝末期
大土地所有者の拡大→→小農消滅→税基盤弱体→軍事テーマ制崩壊
→ 外敵(トルコ)に対抗困難
高市総理は、討論会に同席していた一人であるチームみらいの安野党首からこの点を突っ込まれ「ええ、そうですね。ぜひその点も国民会議で議論しましょう」と明らかにわかってなかったそうな返事をするのがせいぜいだった。
元々倒産しやすい業界ではあるけれど、外食産業を消費税ゼロ政策において無視した場合、一般庶民が外食しないようになる傾向が加速度的に高まるのは想像に難しくない話である。
従って、何もしなければ外食産業は壊滅的になってしまうだろう。
年間消費税総額およそ24兆円のうち、外食産業からの消費税収入が占める割合はよくわからないが、外食産業の規模は14兆〜20兆と言われ、無視できる規模では全然ないのである。
何もしなければ、外食産業に従事する労働者の多くが失業してしまう。
せっかくUber Eatsで食い繋いできた人たちも路頭に迷ってしまう。
ともかく、そのインパクトは計り知れないものになってしまうだろう。
だから、安野が食料品の消費税減税に慎重な態度を取ったのはよく理解できるのである。
かと言って、今更食料品の消費税減税やめますとはいかないだろう。国民への約束履行違反として、悪夢の民主党の二の舞に自民党が見舞われるに違いないからである。
食料品消費税減税の課題が財源問題だけではなかったことを、どれだけの国会議員が理解していただろうか?
外国人労働者を日本から追い出すとなるとその分、日本人労働者を働かせる必要が出てくるし、逆に外国人労働者を受け入れると労働市場が買い手市場に転んで長時間労働に耐える労働者でないと雇ってもらえなくなるから、原液世代ならここだけは死守しなければならんと思うのだが
https://x.com/tuyoi_katu_/status/2020826621369094615
・国民
・国家
・日本人
って 全部ひとまとめ なんだよね。
でも左翼的に見るとさぁ
国民の中に
いるんだけど?
誰が得て、誰が払うかを語らない。
だいたい強い側の味方になる
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②以下はどこにあるんじゃろうか
トランプ2.0政権下、高市政権は同盟維持のために国家予算を事実上、米国の「上納金」へと変貌させます。
軍事費爆買いによる「円」の垂れ流し: 巨額の防衛予算を米軍事産業に注ぎ込むため、外貨準備を切り崩し、さらに際限のない国債発行を継続。
「トランプ・トレード」への過剰同調:米国のインフレ政策に引きずられ、日本も金利を上げられないまま円安を放置。「日米一蓮托生」のポーズは、市場には「日本銀行の独立性放棄」と映ります。
日本が「原則」ではなく「トランプ氏個人」に従属する姿を見て、国際通貨市場は日本円への不信感を募らせます。
「悪い円安」の常態化:EUやBRICSが独自の経済圏を固める中、日本は中国とのデカップリングで供給網を自ら破壊。物価高騰が止まらず、実体経済がスカスカの状態で通貨だけが刷り増される状況に、投資家は「円」を逃げ場のない「泥舟」と認識し始めます。
国際決済網からの孤立:BRICS諸国が進める「脱ドル決済網」からも排除され、さりとて米国内でも優遇されない日本は、決済通貨としての円の流動性を失っていきます。
トランプ氏の退任後、米国が「多国間主義」へ回帰した瞬間、梯子を外された日本の没落は経済面から爆発します。
キャピタル・フライト(資本逃避): 米新政権が「日本飛ばし」で中国と手を取り合う中、日本に取り残されたのは「巨額の債務」と「壊れたアジア外交」のみ。これを嫌気した外資が一斉に引き揚げ、1ドル=250円、300円を超える制御不能な円安が発生します。
円の「紙屑化」: もはや「安全資産」の面影はなく、日本国内では輸入エネルギーや食料価格が数倍に跳ね上がり、ハイパーインフレの兆候が見え始めます。産業競争力が枯渇しているため、円安による輸出増の恩恵も受けられません。
トランプという「劇薬」に依存した結果、日本は一時的な安心を買う代わりに、「通貨の信用」という国家の命脈を売り払ってしまいました。
かつての英国の衰退を上回る、「円という通貨の消滅」または「他国通貨への隷属」を伴う悲惨な終着点。かつて世界を席巻した経済大国は、独自の経済主権を失い、文字通り「極東の、通貨価値なき孤島」として歴史の表舞台から退場することになります。
通貨の信用が地に落ちたことで、かつての「生活の質」は一気に崩壊します。
「円」の拒否と物々交換の再来:商店の棚から輸入品(エネルギー、小麦、肉類)が消え、残った国産品も価格が数時間ごとに書き換えられます。ついには、街中の個人商店やフリマアプリで「円はお断り。米ドル、金、あるいは現物(米や酒)」での取引が優先されるようになり、日本円は「自国内で使えない通貨」へと成り下がります。
「デジタル小作農」への転落: 若年層や高度人材は、日本企業を見捨てて海外のプラットフォームで外貨を稼ぐことに必死になります。しかし、国力が低下した日本からの労働者は、デジタル空間でも「低賃金の単純作業」に従事せざるを得ず、稼いだ外貨も高騰する生活費(電気代・通信費)に消えていく、現代版の小作農化が進みます。
インフラの「選択と集中」という名の切り捨て:財政破綻により、地方の鉄道、水道、道路の維持が不可能になります。政府は「居住エリアの集約」を強行し、維持できない地域は文字通り「棄民化」。かつての美しい地方景観は、廃墟と化した太陽光パネルだけが並ぶ「墓場」へと変わります。
通貨価値が消滅した日本に残された道は、さらなる「安売り」です。
不動産・重要資源の「バルクセール」:暴落した円を背景に、中国を中心とするアジアの新興勢力や、トランプ後の米国投資ファンドが、日本の優良企業や水源、港湾施設を「二足三文」で買い漁ります。日本人は自分の国の土地にいながら、所有者はすべて外国人という「賃貸国家」の住人となります。
安全保障の「民営化」:自衛隊の予算維持すら困難になり、防衛の一部を米国の民間軍事会社(PMC)に外注。日本はもはや「同盟国」ではなく、米国の利益を守るための「有料の防衛拠点(サブスクリプション型基地国家)」へと変質します。
私は立憲→中道と違って「生活者」ではなく「働いている人」をもっと大事にする社会であってほしいと思っているので(海外と比べても労働者に高水準を求められ買い叩かれ過ぎ・「お客様は神様」が行き過ぎの国だと思っているので)、
カスハラ防止法・ヤングケアラー保護法・賃労働者の手取りアップといった主張をしている国民民主党に割と前から投票し続けているのだけど、
同じ民主党から分かれた政党である立憲民主党に対して、敵対的な感覚までは持っていなかった。
ただ、創価学会の集票力を得るためなら国民民主と分離した理由となっている国防・エネルギー問題系の考え方をすべて捨てるんだ!という点に信じられない思いでいたし、
しかも元公明にすべてうまいことやられて元立憲が壊滅している様子を見ると、本当に野田さんを支持していなくてよかったと思った。
なんと表現していいか分からないけど野田さんには致命的に勝負のセンスがなく、今後も賭けに負け続けていくと思う。必要な賭けに負けてしまうし、変わらないと思う。
連合の、露骨な立憲優遇と国民冷遇にも引いていた。国民民主の連合依存度が減るくらい勝てれば良かったけど、今回は正直、野田さんほどではないにしろ玉木さんも賭けに負けたよね。
選挙のタイミングという意味で高市さんに負けたとも言えるのかもしれない。
高市自民と連立を組まなかった点で玉木さんは「維新よりやる気がない」と受け取られ、防御的な姿勢が不評だった。私は静観してたけど、国民民主に票を入れた層のテンションが下がったのは感じていた。
責任を取る側につくつもりがある維新に対して所詮は外野から文句を言うだけの「野党あるある」という認識をされた。
政策面でも高市自民と被ってる要素が多く、「石破路線が嫌だから」で国民民主に入れた人たちは丸ごと高市自民に移動していった。高所得者を中心にチームみらいに票が流れたのも感じた。
個人的には、国民民主が反ワク候補を擁立しようとした点に信頼が揺らいでいて、このまま国民民主に入れ続けて良いものかなと思っている。
「生活者」ではなく「働いている人」を大事にという基本スタンスも、高市自民も似たようなことを言っていたりする。
創価政党になった中道は論外。科学アンチ政党の参政・れいわも論外。チームみらいは現在の実力に対して期待票が集まりすぎている気がする。本当に、次の選挙どこに入れよう。