
はてなキーワード:劣等感とは
26年間生きてきて、ずっと子どもを持つことに肯定的になれなかった。
子どもを産むということ、つまり、一人の人間の人生のスタートボタンを強制的に押すということは、喜びや楽しいことと共に悲しく苦しいことも生み出してしまう訳で、それが正しいことなのか分からない。
私は比較的恵まれた環境で育ててもらったと思うが、定期的に猛烈な劣等感や無力感に苦むことがあり辛かった。目標や自分との約束、達成できたことないかも。計画もいつも途中で頓挫する。次こそは間に合わせるぞと思って前々から計画を立てるが、いつも締切ギリギリで間に合わず自分が嫌になる。得意なこと、これといって見当たらないし生まれてきた意味が分からず消えてしまいたいと何度も思った。人生の楽しみ、喜びはこれだ!と思うものも見つかっていない。
そして、何より怖いの1度子持ちの人生を選ぶと戻れないこと。後からやっぱり向いていないと気付いてもどうしようもない。
一方で、人生に生きがいがほしいと思うことが増えた。毎日の生活に何か楽しいことがほしい。
この心の穴を埋める方法の1つが子どもなのではないか。一人の人間が成長する様をサポートし傍で見守るというのは大きな喜びに違いない。
…ここまで書いて気付いたが、やっぱり私は子どもを持つべきではない。エンタメじゃないんだから。
信じたくなかった。
耳を疑った。
まさか、自分たちの間に弱者男性が生まれるなんて、想像したこともなかった。
赤ちゃんは泣かない。
目を合わせない。
他の赤ん坊たちは笑っている。
助産師さんに抱かれて、声を上げて泣いて、生きることを誇っている。
それなのに、うちの子だけは俯いて、世界の光から逃げるようにしていた。
私は何度も先生に聞いた。
「間違いじゃないですか?強者と強者のあいだに、弱者男性なんて……」
「遺伝では説明できない現象もあるんです。この子は、生まれる前から“弱者”だったのかもしれません」
家に帰ってから、ずっと抱いているのに、温もりを感じない。
夫は笑ってごまかす。
「大丈夫だよ、育て方で変わるさ」
でもその目はどこか怯えている。
もしかしたら、彼自身が弱者男性の血を隠して生きてきたのかもしれない。
SNSでは今日も「弱者男性」という言葉が笑いのネタにされている。
でも私はもう笑えない。
努力しても、愛しても、誰からも理解されない人生が待っているのだろう。
この子が最初に覚える言葉が「ごめんなさい」ではありませんように。
でも、もう分かっている。
それでも私は、抱きしめるしかない。
以前、俺は最低の「弱者男性」だった。
正確には、弱さを盾に社会に悪意を撒き散らす、腐敗した寄生虫だった。
独りでいるのは嫌だが、他者と建設的な関係を築く努力はしない。
悪意を外に向けることでしか自己表現できない、ただの迷惑な存在だった。
彼らは甘ったれ、ただ努力を放棄し、その結果を社会のせいにする他責思考のクズである。
特に、氷河期世代弱者男性(アイスエイジヴェノム)は、努力しなかっただけなのに、景気のせい、国や女に責任転嫁している。
自分の人生を好転させる努力を怠り、その劣等感を若者や女性への憎悪に変える。
彼は活力に満ちており、俺の愚痴を聞いた後、こう吐き捨てた。
結婚したいなら、まず『普通』をちゃんとやれ。ただの『人間』として、相手の存在をちゃんと敬え」
これは、俺のような腐った弱者男性でも変われたという事実を突きつけ、未だに悪意を撒き散らす連中に、その醜さを認識させるためだ。
友人は俺が多用するアニメやネットの例え、スラングを否定した。
それは、「共通言語を持つ仲間」以外を排除するための、醜い防衛線だったからだ。
「自分から相手に歩み寄れ。お前の汚い価値観を理解してもらう義務なんて、誰にもない」
俺が多用する自虐は、最も卑劣な「他者支配」のツールだと友人は断言した。
「お前がそう言うと、相手は『慰める』という役割を押し付けられる。
「卑下する暇があったら、他人の時間を汚すな。他人を居心地よくさせろ」
「お前が他人を落とすたびに、お前自身の人間性が底辺に落ちる。」
悪意を抱え続けるのは、結局、自分自身の心を醜く腐らせるだけだ。
「清潔感の欠如は、『俺は他人の評価なんてどうでもいい』という傲慢な意思表示だ」
見た目を整えるのは、「俺はまともな人間だ」という社会への宣誓であり、自分に自信を持つための最初の一歩だ。
それは、「他者への憎悪」を「他者への善意」に変えるという意識だ。
お前の存在が、誰かにとっての「公害」ではなく、「価値」になるかどうか。
俺は運よく結婚できた。
だが、運を掴める位置に自分を置くことは、「醜態を晒すのを辞める」という努力から始まった。
変われたことが嬉しい。
自分が触れてみて「好き!」と思ったものを、好きになればなるほどそのものごとから気持ちが離れていきます。矛盾するようですがこの言い方でしか表現できません。
例えばスポーツなら、運動を心からひたすら楽しんでいたとしても、ケガや厳しい練習などの挫折を経験したわけでもないのに突然「もうやりたくない……」「やーめた」という気持ちになるんです。タイミングも予測できないし、その気持ちになった具体的な要因が見つからないんです。
調べてみたらけっこうよくある話のようで、原因として「楽しいことだけ続くわけが無い、このあと悪いことが怒るに決まってるからここで止めとこう」と無意識に予測してしまう、とか、ドーパミンだかエンドルフィンだかなんだかが枯渇するのを未然に防ぐために脳が刺激に対してストップをかけてる、とか出てきます。これを聞くとたしかにそうなのかなあと。自分は人と比べてエネルギーの総量が少ないというか、なにごとも活動量を抑えておかないと直ぐにばててしまうところがあるので。
そしてその対処法がわからないことに1番困っています。私は一生好きなものに飽きながら趣味を転々としながら生きていくしかないのか、一心に熱を注げずにすべてに浅く浸かっていきていくのか、、そんなことを考えると憂鬱な気持ちになります。熱心なオタクのみなさんや大人になってもひとつの趣味を長く続けているみなさんに劣等感が浮かびます。
これがつまんないよくある話なら、そんな性格との向き合い方を自分で知っている人もいるんじゃないかと思い立ち、愚痴もかねてこの増田を書きました。共感でもアドバイスでもなんでもいいのでお待ちしてます。
「世田谷区とは言っても千歳烏山だよ〜? 全然お嬢様じゃないよ〜」と彼女は謙遜して言うけど、地方のクソ田舎出身の私からすればそもそも東京に住んでいる時点で上級国民なのだ
貴族と言っても過言ではない
A子は本当にいい子だと思う
ゼミが同じになったというだけで私みたいな芋臭いデブスとも仲良くしてくれる
とにかく愛想が良く、気遣いがうまく、それでいて押し付けがましくない
ユーモアもあり、教養もあり、都会的な洗練された振る舞い方をしている
はたから見れば私のような上京したての芋ブスごとき、こんなお嬢様によくしていただいたって時点で頭を下げて感謝すべきだって話なんだろうけどA子と話していると時々どうしようもなく疲れてしまう
いや、疲れるというのも適切ではない
疲れとイライラと無力感を足して割ったような、そして時々A子を刺し殺してやりたくなるような、そう言う気持ち
田舎者の僻みだと言われればそれまでだけどA子に対して今までの人生でもほとんど感じたことのないような憎しみを抱くことが時々ある
友達になってすぐ、大学の帰りにゴンチャを飲みに行ったことがあった
地方クソ田舎出身の私はほとんどゴンチャの実店舗に行ったことがない
用事があって家族と最寄りの地方都市に行った際に寄ったことはあったけど友人同士は初めてだった
田舎者の私にとってゴンチャに行くのは一大イベントであり、憧れであり、特別なことなのだ
会話の流れでそのことをA子に話したらA子は「ええー!それならもう毎日行こうよ」と冗談めかして言った
「毎日はともかくシーズンごとに行こう」「新作がでたら行こうよ」と
A子は話の流れで「中学のときに友達とよく通ってた」「高校に入ってからは太るからあまり行かなくなった」と言っていた
脇からすーっと男が寄ってきて「おねーさんたち、いまひま?」「飲みに行かない?」と声をかけてくる
私は本当にびっくりして「こんな漫画でしか見ないようなことほんとにあるんだ!」と感動半分、恐ろしさ半分といった気持ちになっていた
時間にして20秒くらいだと思うけど私にとってはあまりに衝撃的すぎて今でもあの男の顔、セリフの一つずつを正確に思い出せる出来事だ
「本当にナンパっているんだね!」と感動して伝えるとA子は「あんなのしょっちゅうだよ」と苦笑いしていた
「どこにでもいるよ、あんなの」「夜に駅を歩いてたら絶対に1回は声をかけられるよ」「明大前くらいまで行けば流石にあまりいないね」と
「居酒屋奢るから一緒に行こうって相手に言われて、「私、高校生ですよ?」って伝えたら「え!ラッキーじゃん!」って叫ばれたことがあるよ、いろんな意味で倫理観終わってるでしょ」
A子は笑い話としてこともなげに言う
高校生にこんなことを言う男にドン引きしたし、もし私の地元で同様のことが起これば全校集会で注意喚起されて警察のパトロールが増えて近所一帯全員1ヶ月はこの話をし続けることになるだろうと思う
でも、東京で青春を過ごしているA子のような女子中高生にとってはこんなの日常茶飯事で、ナンパの躱し方くらいは常識らしかった
夕飯はホテル内にある高めな雰囲気のレストランに行くことになっていた
「大学生ならこういうのを一個を持ってなさいってお父さんが買ってきたやつだよ」
「使う機会ないと思ってたけどこういう機会があってよかった」
私は田舎者なのでロエベなんてブランド知らなかったからその時は「ハイブランドなの?すごいね!」と調子を合わせてた
ホテルのペラペラの浴衣にロエベのポーチを手に持ったA子の姿は今でも鮮明に覚えている
一方で私のポーチはZOZOTOWNで適当に買った謎ブランドのそれ
そもそも旅行に行くって話を聞いてから私はお金を稼ぐためにガールズバーでバイトしていたけど、実家暮らしのA子はきっと旅行の費用は全部親から出してもらっていたのだと思う
ブランドと言えばA子に服を買うのに付き合ってもらったこともある
地元にいた頃は服は基本ZOZOTOWNでブランドも見ずに買っていたし、上京してしばらく経ってもそれは同じだった
でも東京にいて友達と遊べば色々なブランドの色々な実店舗を目にすることになる
それでA子に服選びに付き合ってもらった
色々悩んでナノ・ユニバースのなんてことはない1万円以下の上着を買ったけど、きっとその時A子の身につけていた服装はもっと上の価格帯のものだったんだろうな
「なんでこんな中高生が着るようなブランド買ってんだろ」って内心バカにしていたのかもしれない
私がこんなクソ田舎の僻み根性丸出しにして劣等感を抱えていることを察してもいない
高校生にもなって「夜8時頃うちの学校の生徒が〇〇街近辺をうろうろしていたそうです! きちんとおうちに帰りましょう」なんてクラスのホームルームで注意喚起されるような環境も
校則で男女交際が明確に禁止事項として挙げられていて、誰かと誰かが付き合ってることがバレれば先生に呼び出されるような環境も
放課後にやれるのは部活くらいなものでふらっと遊びに寄れるような施設すらない暮らしも
A子は言っていた
高校時代に付き合っていた彼氏が結構遊びに行きたがる人だったからそのおかげでこうして新宿の街案内ができていると
行きつけのカフェもレストランもその彼氏と通い詰めたところだと
「新宿は歌舞伎町のある方より西口の方がいいお店たくさんあるよ」
「ビジネス街だから殺風景だけど美味しいご飯食べたりお茶をしたりするだけなら絶対西口の方がいいよ」
新宿西口を「殺風景」というような価値観なんて私には一生かけても獲得できないと思う
こういう、何の抑圧も受けずに欲しいものはすぐ手の届く範囲にあってぬくぬく育ってきた東京育ちの、それ故の優しさや気遣いって本当に鼻につく
こういう人種の厄介なところはこっち側が僻んでいるだけだから責められないというところ
A子のせいで私は散々傷つけられているのに、こういう傷つきもすべて私の性格の悪さのせいにされてしまう
昔インターン先の先輩が「世の中にはすごい人がたくさんいてキリがないから、俺はもう高みを目指すのは諦めて自分が楽しいと思うことをするようにした」ということを言っていて
そのとき学生だった私は「かっこわるい大人だな」と思ってしまったんよね
今はそれはそれでかっこいい生き方よなと思うんだけど
でも、なんつーかどちらにせよ、「若いときの自分から見た時に、ちょっとでもかっこいいと思ってもらえそうな生き方(考え方)」をしたいなとは思うのよな
で、そのためだったら、劣等感を抱えて生きるのもありだと思うんよ
劣等感を抱えてかっこ悪い大人もめっちゃいるけど、劣等感を抱えてかっこよく生きる大人もいると思わん?
「自分の生き方はちょっとでもかっこいいか」という視点を挟むことによって、「劣等感」一つとっても肯定できるような生き方を見つけられるようになると思うんよな
分かる。
めっちゃ分かる。
自分もIT畑で十何年やってきたけど、いつまで経っても「上には上がいる地獄」から抜け出せない。
Qiitaで「今日はRustでCLI書いてました☺️」とか、「LT登壇してきました!」みたいな投稿見るたび、
「こっちはまだExcelのマクロと格闘してんだぞ」ってモニターに小声で言ってる。
で、自分でも分かってるんだよ。
でも、現実はSlack開いた瞬間に若手が新しい資格取ってて「おめでとうございます!」って言われてんの見たら、
もう比べずにはいられない。こっちだって血が通ってる人間なんだし。
しかもさ、そういう時に限って職場にいるゴリマッチョなパワハラ上司が寄ってきて、
「お前もやればできるよ!(肩バチーン)」とか言ってくるんだよ。
その“バチーン”がもう、サーバーラックごと体揺れるくらいの威力。
「この人、社員のモチベーション管理じゃなくてHP削りに来てるんじゃ…?」って思った。
でも、その後そのゴリマッチョが机に置いてたプロテインシェイカーを倒して中身ぶちまけて、
結局さ、そういう「俺ダメだな」って凹む瞬間と、
「まぁアイツも完璧じゃねぇな」って笑える瞬間のバランスで生きてる気がする。
上を見るのは悪くないけど、たまに横見て笑っとかないと持たない。
俺らは多分、“劣等感を飼いならしてる系エンジニア”なんだよ。
完全に克服とか無理。
40代男性。既婚、子持ち。転職は何度か繰り返しているが新卒からIT業界に居る。SESから事業会社の社内SEとか経て、今は大手の内製もやってる会社の社内SEをやっている。
社内情報共有のdocbaseとかで新卒5〜6年目がIPAの高度とかベンダー資格をポンポン取ってたり言語の発表で登壇しましたとか目に入ると「自分はなんてダメなんだろう」って凹む
人と比べるなとか進んでるだけ良いと言うけど無理。自分の新卒の時とはネットも含めて環境が段違いなのも分かるけど今で線を引いて比べてしまう。相手が歯牙にもかけていないのも分かるんだけど一方的に比較して凹んでいる
会社の提携しているメンタル系にも言っても自分と向かい合おうとか言われるし上司も同僚も資格や経験で評価や尊敬もしてくれるけど、自分は上を見つけて卑下してしまう
給与は欲しいけどそういうとこには化け物級がゴロゴロしてるし、そこで本格的に病むくらいなら無双できるレベルの会社に転職して副業もしてそれなりに稼ぐのも良いかなと思ってる。
勉強が嫌じゃなく、息吸うようにコーティング出来て、山手線内に住めて、ジムにも通ってマッチョに慣れる人間になりたかった。
そう思うとアイツの実家も太いのかな〜良いな〜と更に凹む
はてなのプログラマやシステムエンジニアは人と比較せず自分と向き合ってるの?なんかコツあるなら聞きたいわ
Permalink |記事への反応(22) | 08:27
なんか勢いでランダムグッズをコンプしたくなって、夜中のテンションで爆買いしたんよ。
だって推しが神なんだもん。全部そろえたいし、推し活ってそういうもんじゃん?
欲しい人いるし、こっちは助かるし、まじでWin-Winじゃん。
しかもたまたまレアがダブってて、最終的に黒字とか意味わからん。
そしたらいきなり顔曇って、「お前みたいなのがグッズ争奪戦を地獄にしてる」って言ってきたの。
え、なに?中二病?って思った。
てか争奪戦なんて起きてないし。
オンラインくじだし、受注生産だし、普通にポチれば買えるやつだし。
そしたら「俺は金なくて買えなかった」とか言い出して、マジ意味不明。
しらねーよ。
てかお前が地獄なんよ。
ほんと弱者男性界の闇を見た気分だったわ😅
「陰謀論はバカ」「自然派は非科学的」と言いながら、実は自分も大して分かってない人がふえてる。
たとえば
・「味の素は石油からできてたのはデマ!」と、ドヤ顔で否定→そもそもどうやって作られてるかは知らないし味の素の公式説明さえ見てない
・「水素水は存在しない!小学生の知識でもわかる」→水素や還元反応について説明できるわけじゃない、医療用として存在することを知らない
・「化粧水はただの水」と断言→皮膚科学や保湿機構の話を何も知らない
・「誰かが言ってたから」信じる
結局のところ、信じてる方向が逆の「陰謀論者」。
陰謀論者が「全部ウソだ!」と叫ぶのに対して、冷笑系無知は「全部デマだ!」と叫ぶ、理性的な分上に立っていると勘違いしている馬鹿。
どちらも、根っこの構造は同じく、「自分は人より賢い」と思いたいだけ。
ひろゆきとか、料理研究家リュウジとか「常識っぽく語る論客」を好む。大衆の要求を読むのが得意で、自分を賢そうに見せるのが上手いが、
実際はそうでもない人たち(他の掲示板の様式パクって自分のモノみたいに語ったり、他人のレシピを自分のもののように語ってる見せるのが上手い人たち)
冷笑系無知は「ああいう言い方をすれば勝てる」と内容より口調を真似てしまう。
その結果、SNSでは無知なのに賢ぶる人たちの冷笑文化が蔓延していく。
冷笑系無知の多くは、学問や知識に対して劣等感を持っていて、根っこにあるのは「コンプレックス」。
だから「勉強する」よりも、「誰かをバカにする」方が簡単で気持ちいい方を選ぶし、陰謀論者や自然派と同じで「勉強の仕方」がわからない。
同じ意見や感想を言い合って共感することを「勉強」と思っている節がある。
一見クールで理性的に見えて、内側は「承認欲求」と「自尊心の不安定さ」の塊なんだよね。
でもどちらも、「知らないことを知らない」という同じ病気を抱えてる。
そしてその病気は、治そうとしない限り、どっちも治らない。
もし自分が「冷笑」してると感じたら、いったん立ち止まって「自分はどれくらい理解してるんだろう?」と問い直す。
それだけで、少しだけ知性のある側に近づける。
あれもこれも結局、学校教育が表層的な部分しか教えてないとか、学ぶ内容より学び方を教えてないとか、そういうのに元凶があるし
コツコツ生産的な活動をしている人より、SNSで炎上したりバズらせている人が尊敬されたりする社会が悪いとは思う。
推し活の楽しさが全然分からないタイプなんだけど、周りがハマっているのを見ると、自分は何もハマれないなんだなと感じて心なしか劣等感みたいなものが湧いてくる