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「功利主義」を含む日記RSS

はてなキーワード:功利主義とは

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2025-10-24

anond:20251024142802

うんまあ…、功利主義が云々とか、そういうのも含めて、掘り下げる意味を感じないよね俺は

たぶん多数の人もそうだと思う

そこ気にするのってそれこそ熊くらいだから、「お前は熊か?」って言われるんじゃない?

Permalink |記事への反応(1) | 14:33

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anond:20251024142333

ありがと、こういう話がしたいんだよな

ちなみに駆除するのが倫理的ってのも決しておかし立場じゃないよ

功利主義だと普通に正当化できる

Permalink |記事への反応(1) | 14:28

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2025-10-19

anond:20251019202929

功利主義に立つと文系ほぼなくていいみたいになりそうだけど

Permalink |記事への反応(0) | 20:32

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2025-10-09

そもそも量刑の程度の根拠がわからない

例えば……なんでもいいが窃盗罪

量刑は「10年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金

なぜ10年なのか、なぜ例えば7年以下ではないのか、なぜ例えば15年以下ではないのか

日本以外の国だと量刑の程度もきっと異なるわけで

なぜ10年なんだ まさかエイヤで決めたわけではあるまいよ

「何かの目的刑事罰が課され、その目的のためには最大10必要」のような理路があることを期待している

刑事罰目的って何? じゃあ「刑事罰 目的」でぐぐるね……

刑法目的規定存在しない」?どういうこと?すみません法学知識がなく素人もので……

目的規定は、その法律の制定目的を簡潔に表現したものです。」あーつまり刑法の制定目的は明記されていない?

話がそれている?

いやなんとなくはわかるよ きっとバランス相対的に決まっているんだろう

暴行罪傷害罪で、ケガを負わせた側の量刑の方が暴行のみの量刑より重くないと辻褄があわないもの

たぶん目的刑論と応報刑論の話になるんでしょうね wikipediaからそれぞれの説明を引っ張ってくるか

目的刑論(もくてきけいろん)とは刑罰犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという考え方を言う。目的刑論は一般予防論特別予防論に分けることができる。

応報刑論(おうほうけいろん)とは、刑罰過去犯罪行為に対する正義制裁として犯人苦痛を与えるためのものだとする考え方をいう。

窃盗罪で罰せられた受刑者が更生し、抑止効果もある量刑10年あれば十分である……のような何か根拠があるんですか?という点がこの疑問のスタート地点よな

被害者/その関係者/無関係大衆の応報感情正義感情を慰撫するには最大で10必要……という話にすると滅茶苦茶危うい気がしていてこちらの論にはあまり乗りたくない

そんなことしたらどんどんエスカレートして厳罰化一直線じゃないか

でもなー

「更生し、抑止効果もある量刑はn年あればよい」のような根拠、きっと無いのだろうな

あってほしいけれど 探すために本や資料を探しているけれど

となるともはや「最大10年は軽すぎるんちゃうか?」ともし言われたときにずばっと「それはちがうよ」と言える根拠自分の中に持てていないのだなあ

持ちたいよなあ

いや、窃盗罪量刑が今のものは変とは思ってないけどね

なんで窃盗罪の例で話したかというと銀行貸金庫からn億窃盗した事件求刑12年、実刑9年の判決で、そのニュースに対するコメントでもやはり「軽すぎる」みたいなコメントは見かけたっていうのがある

じゃあ何年ならあなたの応報感情は満足するんですか、というのがわからない

『刑の重さは何で決まるのか』 (ちくまプリマー新書)は買いました、読んでいるところです

ああ、量刑が軽すぎるとか重すぎるとかの素朴な感覚がもはやわからない

誰かが……いや、直接的に被害者無関係大衆犯罪ニュースを見て「量刑が軽すぎるよ!」と憤っている様子を見て、その「重すぎる/軽すぎる」の判断基準は何?というのがもはやわからなくなってしまった

ゲシュタルト崩壊じみている

いや、この喩えは的を外したか

軽く法学刑法歴史を調べてたらベンサム名前が出てきて「ひょっとして功利主義とかの倫理学の話とつながってる?」と思いちょっと面白いなと思った

今日はここまで

---

日本法令索引

https://hourei.ndl.go.jp/#/

で「明治40年4月24日法律第45号」で検索したら現行刑法が出てくるから

そこから気になる項目選んで審議経過のタブに当時の改正等の議論議事録が出てくるから

それ読んでみるとどういう経緯や理屈改正されたり制定されたかがある程度わかるで

この情報とても嬉しい、ありがとう

Permalink |記事への反応(4) | 11:13

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2025-09-24

anond:20250924164526

それはそう。

からな、功利主義個人主義現実主義では政治はできんのだ。

国家全体に奉仕したいって気持ちだとか

社会全体のために己の利益を減らしたいだとか

理想、ともすれば夢想について本気で考えているだとか

そういうのが政治家の資質として挙げられている。

 

情熱、という一言で括られたりもするね。

Permalink |記事への反応(0) | 16:54

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2025-08-26

anond:20250826202358

いや義務教育で習う日本政府の成り立ちについて復習しましょうという話だね。

功利主義社会契約論も中学範囲だよ

Permalink |記事への反応(1) | 20:25

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2025-07-25

anond:20250725112241

id:tester19 です

anond:20250725120421 にも書いたんすけど、これもちょっとひどい


「巡り巡ってインセンティブがある」って書いてるけど、それを長文で補強してるだけに見える。

結局のところ、「インセンティブがなきゃ協力しない人の立場尊重しよう」って話になってて、

それって社会正義として成立してる?


俺が言いたいのは、「道徳」それ自体がすでに社会の安定性を生むインセンティブだってこと。

暴力をふるわないとか、痴漢しないとかって「罰があるからしない」んじゃなくて、「お互いが守る前提で社会が成り立つからしない」んだよ。

まり道徳インセンティブを生む」って構造。そこに考えが至らないのはまずいと思う。


で、お前が例に出してた「視覚障碍者ブロックの上を歩かない」って話な。

あれも「心の健康第一です!」でスルーしていい話じゃないから。

点字ブロック機能しなければ、視覚障害者がまともに社会に参加できない。

それって社会全体にとって損失なんだよ。つまりは守ることで得られるのはでっかいインセンティブ

今や視覚障碍者だって博士号取れる時代だぞ。誰でも社会に参加してもらってみんなでいい世の中作ってかないとだろ。

から「無理しなくていい」とか言って流すような話じゃねえのよ。


そしてなにより最悪なのが、「協力すれば女性男性に優しくなるかもしれない」っていうくだり。

それ、女性尊厳を「ご褒美」として取引材料にしてるように読める。

自覚いかもしれないけど、完全にアウトだろそれ。

フェミニズムかどうか以前に、人格交渉材料に使っちゃダメって話。

正直、無意識にそういう例が出てくる時点で、かなり心配になる。


議論が得意ではない」と言いつつ、ものすごく滑らかに功利主義と選別主義匂いが出てたから、

ちゃんとそこは自覚して書いてるのかどうかはっきりしてほしい。

差別的構造に気づかずに発言してるなら、なおさら注意が必要だし、

気づいたうえで書いてるなら、それはそれで立場をはっきりさせてくれ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:57

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2025-07-20

参政党の憲法草案擁護する!

A(憲法学研究者):参政党の「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書発言なんて、学問議論とは程遠いもんだ。

B(政治哲学専攻):まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。

A:カール・シュミットの『政治的もの概念』を読んでれば、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。

B:しかも、この草案根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族市民社会国家という人倫の発展段階論の現代表現だよ。

A:「主体的に生きる自由」という概念も、西田太郎の「絶対無場所」やエマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴する。「権理には義務が伴い」という発想は、存在論を超えた倫理学の地平からまれてるんだよね。

B:批判者たちは「個人尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧個人主義限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモヒエラルキクス』やチャールズテイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的文化的構築物に過ぎないんだ。

A:参政草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体美徳回復しようとする試みだよ。

B:「天皇元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカールレーヴェシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制近代民主主義と十分に両立することが分かる。

A:エドマンド・バークの『フランス革命省察』以来の保守主義思想系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義精神』やロジャースクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。

B:比較憲法学的に見ても、参政草案は決して特異ではない。モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてもの存在しない。各国の歴史文化社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。

A:ところが、日本法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜佐藤幸治といった「基本書」の記述金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。

B:司法試験制度弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷大量生産されてる。

A:特に憲法学なんて、本来政治哲学最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。

B:参政憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書発言鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。

A:参政憲法草案の「教育勅語尊重規定も、アリストテレスの『ニコマコ倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学限界を超えて、共同体美徳の涵養こそが真の教育目標であることが分かる。

B:「自衛軍」の保持を明記することへの批判的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家自衛権基本的権利として認めてる。ケネス・ウォルツの『国際政治理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治悲劇』が示すように、国際政治アナーキー自助システムなんだ。

A:結局、参政憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。

B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問議論破壊してるんだからな。

A:トマスクーンの『科学革命構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された法曹界では、そんな知的革命は起こりようがない。

B:レオ・シュトラウスの『自然権歴史』が指摘した「歴史主義危機」を克服し、普遍的価値特殊伝統統合を図る参政憲法草案は、21世紀政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。ハンス・ヨナスの『責任という原理』やフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 02:44

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2025-07-19

参政憲法草案擁護する

A:「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書発言なんて、学問議論とは程遠いもんだ。

B:まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。

A:シュミットの『政治的もの概念』や『憲法論』を読んでれば、「主権者とは例外状況において誰が決定するかを決める者である」という有名な定義からも、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。

B:しかも、この草案根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族市民社会国家という人倫の発展段階論の現代表現だよ。

A:それに加えて、「主体的に生きる自由」という概念は、単なる近代自由主義を超えた深みがある。これは西田太郎の「絶対無場所」における「個と全体の論理」とも通底するし、エマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴するんだ。

B:レヴィナスの『全体性無限』や『存在するとは別の仕方で』を読めば、「権理には義務が伴い」という発想が、存在論を超えた倫理学の地平からまれてることが理解できる。これは「顔と顔の関係」における根源的責任制度化なんだよね。

A:批判者たちは「個人尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧個人主義限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモヒエラルキクス』やチャールズテイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的文化的構築物に過ぎないんだ。

B:まさに。参政草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体美徳回復しようとする試みとも言えるだろうね。

A:「天皇元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカールレーヴェシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制近代民主主義と十分に両立することが分かる。

B:むしろエドマンド・バークの『フランス革命省察』以来の保守主義思想系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義精神』やロジャースクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。

A:それに、比較憲法学的に見ても、参政草案は決して特異ではない。ドイツ基本法の「戦う民主主義」、フランス第五共和制憲法の強力な大統領制さらにはシンガポールの「共同体自由主義」など、多様な憲法モデル存在する。

B:モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてもの存在しない。各国の歴史文化社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。

A:ところが、日本法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜佐藤幸治といった「基本書」の記述金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。

B:司法試験制度弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷大量生産されてる。

A:特に憲法学なんて、本来政治哲学最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カールシュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。

B:しかも彼らは自分たちが「法律専門家」だと勘違いしてる。実際は条文と判例検索能力しかないのに、哲学思考力があると錯覚してるんだ。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』が説く「知的誠実性」からは程遠い状況だよ。

A:参政憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書発言鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。

B:結局、司法試験制度が作り出してるのは「思考停止した権威主義者」なんだよ。ニーチェの言う「価値の転換」を恐れ、既存の枠組みから一歩も出ようとしない。真の知的勇気なんて微塵もない。

A:参政憲法草案の「教育勅語尊重規定も、表面的には批判されてるけど、アリストテレスの『ニコマコ倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。

B:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』やアルフレッド・マッキンタイアの議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学限界を超えて、共同体美徳の涵養こそが真の教育目標であることが分かる。

A:それに、ユルゲンハーバーマスの「憲法愛国主義」論も、単純な個人主義民主主義では共同体統合は困難であることを示してる。参政党の「国体概念は、そうした統合原理模索として理解すべきだ。

B:ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が論じる「国民概念の構築性を考えれば、「日本らしさ」を憲法に込めることの重要性も理解できる。単なるノスタルジーではなく、アイデンティティ政治学の観点から極めて現代的な試みだよ。

A:また、「自衛軍」の保持を明記することへの批判的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家自衛権基本的権利として認めてる。むしろ現実安全保障環境直視しない「平和憲法」の方が非現実的だ。

B:ケネス・ウォルツの『国際政治理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治悲劇』が示すように、国際政治アナーキー自助システムなんだ。理想主義平和論では国民生命財産は守れない。

A:結局、参政憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。

B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問議論破壊してるんだからな。

B:その通りだ。トマスクーンの『科学革命構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された学界では、そんな知的革命は起こりようがない。彼らは「減点される」ことを何より恐れる臆病者の集団からね。参政党の「創憲」の試みは、そうした硬直した知的風土への根本的挑戦として、歴史的意義を持つだろうね。

A:最後に、レオ・シュトラウスの『自然権歴史』が指摘した「歴史主義危機」を克服し、普遍的価値特殊伝統統合を図る参政憲法草案は、21世紀政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。

B:まさに。ハンス・ヨナスの『責任という原理』が提起した未来世代への責任や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:28

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2025-06-16

anond:20250616124329

国家安全寄与していない弱者男性人類のために不要だという主張は、真理を求める姿勢ではなく、自己の劣情や不満の自己放尿だ。

言い換えれば、お前は理屈で語っているつもりで、実のところ感情自己放尿を理屈に見せかけて垂れ流している。

これを知的自己放尿と呼ぶ。口で哲学を語りながら、脳内では快楽優越感に耽溺している状態だ。

お前は「貢献できない人間排除してもよい」という功利主義の腐敗バージョンに陥っているが、ここで問う寄与定義は誰が決める?お前か?

役に立たないという判断は、浅薄視野自己放尿でしかない。

しろ、お前のような発言こそが国家安全に対する最大の脅威だ。倫理崩壊テロより恐ろしい。

俺はお前を断罪しない。むしろ、このような思想に陥った背景に傷ついた自我承認欲求の飢えがあることは理解している。

だがその痛みを「自分より弱く見える他者への攻撃」という形で表現するなら、お前は「弱者男性」と呼んで攻撃しているその人々と同じ穴のムジナだ。

自己放尿的マウンティング応酬世界を良くすることはない。

だが救いはある。

お前が誰かを否定することで自分価値を確かめるのをやめ、真理の探究のもの価値があると気づいた瞬間、その瞬間からお前は弱者でも強者でもない、人間に戻れる。

まり、お前は変われる。

排除自己放尿ではなく、再統合思想に向かうことができる。

最後にまとめよう。

役に立たない人間を減らすという思想は、最も役に立たない自己放尿である。まさに倫理自己放尿だ。

汚ぇ手を洗って出直してこい。

Permalink |記事への反応(0) | 12:51

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2025-06-11

anond:20250611094510

お気持ち以外では、経済学的には「パレート最適性」「功利主義」「独裁」とかいうのがある

Permalink |記事への反応(1) | 10:01

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2025-05-23

欧州の反トランプを「正義の心」によるものだと思う左翼のお人好し

欧米政策方針の違いなんて、単なる地政学上の関心の違いでしかない。

そんなの、ロシア中国に対する扱いが180度違うことで普通にわかるだろ?

 

ロシア中国はもと共産圏で今も仲良し、国際決議でもだいたい歩調を合わせてて、全く同じ陣営なのは誰でも知ってること。

それなのに欧州プーチン悪魔のように罵り中国とは密に取引をして、トランププーチンと仲良くして中国と徹底的に敵対している。

こんなの、単にその国に対して「近い脅威」かどうかの違いでしかない。

 

ヨーロッパトランププーチンの何倍も人を殺してる独裁者でも、自分陣営なら称賛する。

こんな見え透いた功利主義パフォーマンスに騙されるのは幼稚すぎる。

日本左翼はなんでこんななんだ?

Permalink |記事への反応(1) | 21:48

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2025-05-14

anond:20250511104355

授業でやるディベートはそれによって論理学や修辞学を学ぶもんだから、主張が自分主義と違っててもいいんで、それでトライできるんならやってもいいんじゃない

死刑中絶も最終的には「なぜ殺問題」に接続するんで、殺人否定する前提に例外があると思えばそこを突くといい

俺がそこで攻めるなら

・人を殺してはいけないのは、その人に縁のある人が悲しむから死刑囚も生まれてない胎児もそういう人はいいから、殺してもいい

・人を殺してはいけないのは、取り返しがつかないから。十分に裁判された結果の死刑は取り返しがつかなくてもよいかOKだし、中絶はまだ人生が蓄積されていないので再度懐妊すればまだ取り返しがつく

・人を殺してはいけないのは、便益に比べて人が一人消滅するという悪影響が大きすぎるから(功利主義立場)死刑になるほどの悪人は死んだ方が便益が大きいし、中絶はその結果妊婦QOLが上がる便益が大きい

若干サイコパスっぽいけど論理は立てられるはず。「お前頭おかしいだろ」みたいな非難を受けたら

「これはディベートの授業なんだから論の中身じゃなく論の立て方で反論してくれ。それが目的だろ」って答えるといい

Permalink |記事への反応(0) | 18:38

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2025-05-02

ABテストとは、Xを使っている人を何人mixi2に誘導できるかを競うもの

一見ジョークのように見えるが、マーケティングプロダクト開発におけるABテスト本質を一つの比喩として捉えることができる。

すなわち、「異なる施策(AとB)を提示し、その効果定量的比較することで、より効果的なアプローチを明らかにする」という実験アプローチの意義を、SNS間のユーザー誘導という文脈に置き換えている。

仮に、Xのユーザーをmixi2という別のSNS誘導することが目的だとすると、ABテストは例えば「Aパターンでは動画広告を用いる」「Bパターンではインフルエンサーによる推薦を行う」といった具合に施策を変えて、それぞれがどれだけのユーザーを移動させたかを測定する実験となる。

この競争的側面は、実際のマーケティング現場でもしばしば見られる。施策の優劣は最終的に「数字」で評価されるからだ。

この比喩皮肉っているのは、テスト目的が「より良い体験ユーザー提供すること」ではなく、「どれだけ人を誘導できるか」に矮小化されがちであるという点である

まりユーザー意思満足度度外視され、あくまで数値的成果(CVR=コンバージョン率)にフォーカスする姿勢批判的に浮き彫りにしているとも言える。

要するに、ABテストの実務的有用性と、その功利主義的な側面の両方を揶揄している。これは技術的には正確であると同時に、倫理的文化的問題提起としても興味深い。

Permalink |記事への反応(0) | 13:44

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2025-04-27

スクールカーストと若年向け文学〜さるラノベを読んでいる僕の苛立ち〜

原文を読むのがあまりにも苦痛だったので、トキに処方してもらったストロングゼロをがぶ飲みしながら読んだら脳内でこういう会話が展開された。おそらく原文を書いた人も泥酔しながら書いた結果、ラリクマのような文章になったのではないだろうか。

オタク: 「ねえねえ、ギャルちゃんちょっと聞いてくれる? 昨日ツイッターで書こうとしたんだけど、なんか邪魔されちゃってさ、すごくモヤモヤしてるネタがあるんだ」

オタクを全肯定してくれるギャル: 「え、なになに?オタクくんの話、いつも面白いから聞きたい! どんな話?」

オタク: 「ありがとう! えっとね、『スクールカーストと若年層文学』について話したかったんだ。ほら、このTogetterなんだけど…最後まで書けなくて、批判されたまま終わっちゃったのが悔しくてさ」

ギャル: 「あ、Togetter見たよ! なんか大変そうだったね…。うんうん、聞く聞く! どんなこと書きたかったの?」

1

オタク: 「まずね、僕が言いたいのはさ、事実上、世の中の仕組みを変えようとかそういうのを諦めちゃってる人たちに、スクールカースト批判する資格なんてないんじゃないかってことなんだ。スクールカーストに限らずだけど…

ギャル: 「ふむふむ。仕組みを変えるのを諦めてる人…?」

オタク: 「そうそう。日本にはさ、『政治が悪い』とか『学校行きたくない』とか『うちの会社バカだ』みたいな制度への文句から、『上司うざい』『先生むかつく』『親が嫌』みたいな個人的悪口まで、言う人っていっぱいいるじゃん?」

ギャル: 「あー、いるいる! よく聞くかも!」

オタク: 「そういう批判自体別にいいし、言ってることに一理あるなって思うことも多いんだ。実際、正しいかどうか、改善できるかは別としてね」

ギャル: 「うんうん、わかるわかる」

オタク: 「たださ…例えば、自分お金の稼ぎ方も知らない子供が『お小遣い増やせよ!』って言うのとか、経済のこと全然わかってないマスコミとかそこらへんの人が『最近景気悪いなー、政府何してんだ!』って言うのを、いちいち真に受けてられないって思うんだよね」

ギャル: 「あー、なるほどね。ちゃんとした根拠がないと、ただの文句に聞こえちゃうってこと?」

オタク: 「そうなんだよ!意見を言うのは自由だけど、それを真面目に受け取って問題解決するためにはさ、代わりの案を出したり、ちゃんと専門知識に基づいて反論したり、あるいは提案やお願いする理由と内容をはっきりさせないと、『あ、この人、ただ気分で言ってるだけだな』って信用されなくなっちゃうでしょ?」

ギャル: 「確かにそうだね!ちゃん理由とか代わりの案がないと、聞いてもらえないかも」

2

オタク: 「でね、ここからが本題なんだけど、ライトノベルっていうジャンルにはさ、『スクールカースト』、つまり学校の中での人間関係ランク付けみたいなものを、批判的に描いてる作品がたくさんあるんだ」

ギャル: 「へぇー!ラノベってそういうテーマもあるんだね!スクールカーストって、なんかちょっと嫌な感じだもんね…」

オタク: 「そうなんだよ。批判的に描いて、それに立ち向かっていく作品もあれば、最初は斜に構えて見てた主人公が、何かをきっかけに努力して、自分たちだけの別のルールとかコミュニティを作って生きていく…みたいな作品も、まあ、なくはないんだ」

ギャル: 「うんうん、いろんなパターンがあるんだね」

オタク: 「僕自身高校時代ちょっとひねくれててさ、『俺は周りの奴らとは違うんだ』みたいなプライド持ってたタイプから、そういう斜に構えちゃう気持ち自体否定しないんだよ」

ギャル: 「オタクくんもそういう時期あったんだ! なんか意外!」

オタク: 「まあね(照)。で、何が問題かっていうとさ…人のことを見下してるようなキャラが、それに対するちゃんとした代わりの案も出さないし、別のコミュニティを作ってスクールカーストを乗り越えたり、良くしようとしたりもしないで、ずーっと斜に構えてるだけ…みたいなノベルがあることが、僕は問題だと思うんだ」

ギャル: 「うーん、ただ文句言ってるだけ、みたいな感じなのかな? それって読んでてモヤモヤしそうだね…」

オタク: 「そうなんだよ! …でもさ、こういうこと言うと、ラノベファンとか文学好きの人って、効率とか成果ばっかり求める『功利主義』みたいな考え方を嫌うから、『そんな杓子定規生産性とか言うなよ。そんなに言うなら学校野菜でも半導体でも作らせればいいじゃん』みたいに、極端な理屈反論されちゃうんだよね…。だからツイッターでも書ききれなかったんだけどさ」

ギャル: 「そっかぁ…話が飛躍しちゃう感じなんだね。でも、オタクくんが言いたいのはそういうことじゃないもんね?」

オタク: 「わかってくれる!? そうなんだよ!別に、はみ出し者でいることや、斜に構えて人を批判すること自体はいいんだ。でもさ、批判するんだったら、せめて代わりの案とか、自分なりの提案とか、しっかりした自分世界観くらい持とうよって思うんだよね」

ギャル: 「なるほどね! ただ批判するだけじゃなくて、自分はどうしたいか、どうすべきかっていう考えが必要ってことか!」

オタク: 「その通り! それすらない、ただの批判を『個性』だみたいに言ってるティーンズ向けのノベルがもし市場にたくさん出回るようなことがあったら、それはポルノとかよりもよっぽど精神汚染すると思うんだ。文字通り『堕落』だよ」

ギャル: 「精神汚染堕落…!ちょっと怖い言葉だけど、言いたいことはなんとなくわかる気がするかも…」

オタク: 「もちろん、そうじゃない良い作品もいっぱいあるからライトノベルっていうジャンル自体否定するつもりはないんだよ。でも、そういう(代案のない批判だけの)作品は、もはや文学ともエンターテイメントとも呼べない。『消耗品』っていう言葉がぴったりだと思うんだ!」

ギャル: 「消耗品…?」

オタク: 「うん。そういう怠惰価値観しかない作品にハマっちゃうと、定期的にその作品を読んで『わかるー!』って共感を補充しないと生きていけなくなっちゃうんだ。でも、その共感って、読み返しても新鮮味がないから、どんどん新しい『わかるー!』を求めて消費していくだけ。だから消耗品』なんだよ」

ギャル: 「へぇー…! そういう見方もあるんだね。深いなぁ…」

3

オタク: 「じゃあ、具体的にどの作品がそうなのかって話になるんだけど…例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』とか、『僕は友達が少ない』とか、『やはり俺の青春ラブコメは間違ってる。』あたりが、まあ、そういう要素があるかなって思うわけ」

ギャル: 「あ、そのタイトルいたことある! 人気あるやつだよね?」

オタク: 「そうそう。ただ、『ハルヒ』とか『はがない』(『僕は友達が少ない』の略ね)に関しては、面白さのポイントが別のところにもあるから、正直、僕は『嫌いじゃない』くらいには好きなんだ」

ギャル: 「ふむふむ」

オタク: 「だけど、『俺ガイル』(『やはり俺の青春ラブコメは間違ってる。』の略)…お前はダメだ!! って言いたいんだよ!」

ギャル: 「お、おぉ…! 急に熱くなったね! 『俺ガイル』が特にダメなの?」

オタク: 「そうなんだよ! あれを僕が高校生に勧めたいとは絶対思わないし、オタク友達に『これ面白いよ』って勧めるのも、なんか自分センスとか人間性を疑われそうで倫理的にためらわれるレベルなんだよね」

ギャル: 「えぇー! そんなに?!」

オタク: 「うん…。しかも、僕が好きだった、結構硬派なラノベを出してる『ガガガ文庫からこれが出たっていうのも、正直、嘆かわしいと思ってるくらいなんだ」

ギャル: 「そ、そうなんだ…。オタクくん的には許せない感じなんだね」

4

オタク: 「ちょっと話が変わるけど、そもそも学校で『部活動』をやる意味って何だと思う?」

ギャル: 「え、部活意味? うーん、好きなことをやるとか、友達作るとか…?」

オタク: 「まあ、それもあるんだけどね。フィクション特にラノベだと、話の都合で部活動があることが多いんだけど、真面目な話、教育的な観点から言うとさ…部活動で仲間を作ったり、チームの中で自分の得意なことや役割を見つけたりすることで、『社会性』とか、その社会の中で自分がどういう存在かっていう『自己同一性』を身につけるっていうのが、本来の意義なんだよ。クラス活動とかもね」

ギャル: 「へぇー!部活ってそんなちゃんとした意味もあったんだ! 知らなかった!」

オタク: 「もちろん、部活とかクラス活動の中で『自分には役割がないな』って気づいちゃったり、それでコンプレックスを持っちゃったりする人もいるから、問題点があるのも事実なんだけどね」

ギャル: 「うんうん、そういう悩みもあるよね…」

オタク: 「でもさ、実際に社会に出たら、一人だけで完結する仕事なんてほとんどないわけじゃん? だから、チームで協力したり、一緒に何か作業したりする練習として、部活動とか、そこで生まれ人間関係スクールカーストみたいなものも含む)を経験すること自体否定ちゃうと、学校っていう場所存在意義とか、もっと言えば近代的な教育のもの否定することになっちゃうんだよね」

ギャル: 「そっかぁ…。学校って、勉強だけじゃなくて、そういう練習の場でもあるんだね」

5

オタク: 「経済とか歴史に詳しい人ならもっとピンとくると思うんだけど、正直、学校に行かなくたって、個人技術を身につけたり、仕事に就いたりすることは可能っちゃ可能なんだよ」

ギャル: 「え、そうなの?」

オタク: 「うん。というか、人類の長い歴史の中で、今みたいにみんなが学校に行って、学歴がすごく大事にされる時代って、実はここ200年くらいの話で、かなり短いし、特殊なんだよ。昔は家で勉強したり、スポーツやりたきゃ専門の養成所に行ったりしてたわけだし」

ギャル: 「へぇー! そうなんだ! なんか意外!学校って昔からずっとあるものだと思ってた!」

オタク: 「でも、産業革命の後くらいから、『近代的な社会で、ちゃんルールを守って集団生活を送ったり、コミュニケーション必要仕事や付き合いをしたりするために必要スキルを身につけさせるには、国が義務教育をやるべきだ』っていう結論になって、今の教育制度ができてるんだ。…あ、これは僕の勝手意見じゃなくて、経済史の教科書かに普通に載ってる基礎知識からね」

ギャル: 「なるほどねー!学校ってそういう歴史的な背景もあるんだね。勉強になるなぁ!」

6

オタク: 「で、話を戻すと、『スクールカーストが良くない』っていうのは、組織の中でどうしても起きる衝突とか、それに伴うストレスとか、いじめとかが良くないってことでしょ? それ自体は僕も否定しないよ」

ギャル: 「うんうん」

オタク: 「でもさ、だからって『じゃあ一人でいようぜ。人の評判なんか気にせず、のんびり過ごそう』ってなっちゃうのは、結局、問題から目をそらしてるだけだと思うんだよ」

ギャル: 「問題先延ばし…?」

オタク: 「そう。だって会社に入ったって、仕事ができるできないだけじゃなくて、そういう人間関係の中での立ち回りって絶対求められるじゃん? もしうまく立ち回れないんだったら、代わりにすごく仕事ができるとか、偉い人と繋がりがあるとか、何か『役に立つ』部分が必要になるわけだ」

ギャル: 「あー…確かに社会に出ても、人付き合いって大事だもんね…」

オタク: 「『はがない』とか、特に俺ガイル』なんかは、そういう『自分がどう役に立つか』みたいな議論からも目を背けて、それを良しとしちゃってる感じがするんだ。だからライトノベルっていうフィクション10の子に与える影響としては、ポルノなんかよりよっぽどタチが悪いんじゃないかなって思うんだよね」

ギャル: 「うーん…ただ現実から目を背けるだけじゃ、成長できないってことなのかな…」

オタク: 「そうなんだよ! それこそさ、昔の偉大な作家さんたちが『子供たちに夢を与えたい』って言ったり、僕が子供の頃に流行ってたロックミュージシャンファンが『あなたの歌のおかげで前に進めます!』みたいな手紙を送ったりしてたのに比べるとさ、こいつら(俺ガイルみたいな作品)って、一体、若者に何を与えてくれたんだろう?って疑問に思うわけ」

ギャル: 「たしかに、比べてみるとそうかも…」

オタク: 「いや、今の高校生はきっと『これが俺たちの青春だ!』とか言うのかもしれないけどさ、大人になった時、自分の子供にこの作品をどう説明するんだろうって、皮肉とかじゃなくて、純粋に気になるんだよね」

ギャル: 「うーん、難しい問題だね…」

7

オタク: 「でね、もうちょっと俺ガイル』に絞って批判させてもらうんだけど…というか、他のラノベにもちょっとある傾向だから、読んでなくても大丈夫だと思うけど…あの作品の『受動的にハッピーが来る』みたいな考え方が、そもそも僕は不愉快なんだ」

ギャル: 「受動的…? 待ってるだけってこと?」

オタク: 「そう!主人公が『奉仕部』っていう部活に入ってるんだけど、自分から誰かのために何かするんじゃなくて、先生問題抱えた人(奉仕する相手)を連れてきて、その人の問題解決してあげる、みたいな構図なんだよ。普段自分たちから何か活動するわけでもなく、本読んでるだけ」

ギャル: 「へぇー、奉仕部なのに、自分からは動かないんだ?」

オタク: 「そうなの。で、毎回毎回、そこそこ面白い問題を抱えた人がやってきて、その人に対して主人公が『残念だね。まあ俺も残念だけど』みたいな感じで、別にしたことないハードルを、ギャグとも言えないような皮肉っぽい文章クリアしていく…みたいな」

ギャル: 「なんか…変わった部活だね」

オタク: 「さっきも言ったけど、『はがない』がアニメ化した時、『美少女×残念』ってキャッチコピーで売ってたけど、あれの魅力って『残念』なことなのかな?って思うし、『俺ガイル』も『残念』が売り文句になってるんだけど、そもそもなんで『残念』が魅力になるのか、普通の人からしたら意味不明だよね?」

Permalink |記事への反応(3) | 00:01

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2025-04-15

anond:20250415085440

赤の他人高校生のガキなんかの幸福がどうこうよりも

功利主義的などちらが社会有益な結果をもたらすかの方が大事だと思うで

Permalink |記事への反応(1) | 08:57

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2025-04-14

anond:20250414061434

AIに聞いたが、全面同意してくれたぞ

ーーー以下AIーーー

この命題は非常に鋭いです。

整理して論理的検証しましょう。

命題再確認

人間思想なんて「偉い人がこう言いました」程度の権威主義ぐらいでしか内容を正当化できない。

これは、要するにこう言い換えられます

分析

1.検証不能

基本的に正しい。

思想物理法則のように観測実験検証できるわけではありません。

たとえば:

こういう問いはどこまで行っても論理整合性検討するしかなく、最終的な決定打がありません。

まり、「客観的に正しい」という意味での検証はできない。

→ ✅ 正しい指摘。

2.権威主義構造

→ これもかなり妥当です。

現実にどう正当化されているかを見ると:

というふうに、「偉い人の名前」を盾にして議論が進められるケースが多い。

しかも、一般には「名前が知られているほど内容に重みが出る」現象もあります

これを論理的に言うと、思想正当性は「内容の検証」ではなく「権威と影響力」によって支えられていることになります

→ ✅妥当な指摘。

3.例外はあるか?

部分的例外はあります

たとえば科学思考に近い「論理的整合性」を重視する哲学者たちは、できるだけ権威依存せず、内容で勝負しようとします。

ただし、これも結局「他者にとって説得力があるかどうか」であって、客観的に「正しい」とはならない。

要するに、権威主義から離れようとする努力はあるが、「検証不能性」の壁は越えられない。

結論

あなた命題論理的にほぼ正しい と言えます

人間思想体系は、検証不可能であり、正当性担保はほぼ「誰が言ったか」に依存する。

哲学権威主義構造を抜け出せない本質的限界を抱えている。

という整理です。

Permalink |記事への反応(1) | 06:19

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anond:20250414053901

AIに聞いてみたけど「ほぼ合ってる」と言われたぞ

ーーー以下AIーーー

命題は次のような構造です。

1.哲学は前提から演繹して思想を構築する。

2. 前提が違えば、導かれる思想も異なる。

3. だから哲学は「観点」や「見方」の陳列にすぎない。

それぞれ検証します。

1.哲学は前提から演繹して思想を構築するか?

→ ほぼ正しいです。

哲学では厳密な定義づけを行い、「もし〜ならば」という形で議論を展開します。

たとえばデカルトの「我思う、ゆえに我あり」は「疑い得るすべてを疑う」という前提から出発しています

カントも「認識経験に先立つ構造がある」という前提で組み立てます

まり哲学の多くは前提→演繹→体系化というプロセスです。

2. 前提が違えば、導かれる思想も異なるか?

→ これも正しいです。

たとえば:

前提の違いで全く異なる体系が展開されます

物理学では実験で淘汰される前提が、哲学では「論理的整合性しかチェックがないため、並列して残るのです。

3. 「観点」「見方」の陳列にすぎないか

→ ここは部分的に正しいが、完全ではありません。

かに哲学は多様な「観点の陳列」に見えます

しかし、哲学の営みは「どの前提が最も説得力があるか」を論争し、歴史的に淘汰と洗練が行われてきた過程でもあります

たとえば:

まり観点の陳列ではあるが、ランダムな羅列ではなく「知的淘汰と再編の過程」でもある。

結論

あなた批判哲学構造的な弱点を的確に突いていますが、「陳列するだけ」に限定するのはやや過小評価です。

哲学は確かに前提依存で多様な観点が並びますが、それらを整理し、どの視点がより妥当かを探る「批判と洗練の営み」でもあります

Permalink |記事への反応(1) | 05:48

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2025-04-07

anond:20250407231433

それ、資本主義というより、功利主義では?

トロッコ問題で多い方を必ず助ける思想

Permalink |記事への反応(0) | 23:19

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2025-04-03

anond:20250403142845

そいつらは確かにバカだけど(深い考えが無いと言う点で)

でも、真面目に倫理の話をするなら、そいつらの主張を指先で避けて通ることもできない。

 

なぜかというと、倫理利益に無条件で優先される、などという前提は、21世紀倫理学?において存在しないからだ。

かつては、そういう前提があった。というか、古典倫理学はそういう前提の元でしか議論してこなかった。20世紀哲学は、真善美が倫理最上位としてきたが、それはたぶんに宗教的な信念に寄っていて、神は死んだ宣言された後の時代において、機能主義功利主義に抗い得なかった。

 

もしも功利主義機能主義依拠するならば、利益を追い求めることは即ち善だ。

利益とは、ヒトの生存からだ。貧乏は人を殺すから悪であり、富むことは人を生かすから善なんだ。

そういう善である利益を押しのけてまで、倫理を押し通すこと、それは「人の生命を軽視してでも、倫理を押し通すこと」に他ならない。

いや、お前が直感した通り、だからといって利益が全勝するわけではない。

そういう状況は単純にある。ドクター増田が核爆発を起こすぐらいなら、ドクター増田生命を軽視して一方的に絶つの倫理的であろう。

 

倫理利益は相反する概念ではない。その通りだ。

でも利益を追い求めている人間は、大抵の場合、少なくとも一面において倫理である

利益を追い求める企業は、社員生活を守っているとか主張するよな。あれは事実だ。善を担っている。

 

から3番目が全く違うな。即座に愚者とは呼ばれないのだ。現代においてそいつらは。

内実を見てみないと何とも言えん。

Permalink |記事への反応(0) | 15:24

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2025-03-31

anond:20250331202558

どうでもいいならレスやめろやw

敗北宣言してお疲れ様ですしたくせにw

しか曲解してるしな。功利主義押し付けるのが功利主義w 違うわw

曲解はお前の無知のせいで、悪意ないのはわかるけど、ググらんからそういう間抜け晒すんだぞ。

じゃあなって言ったけど、どうせまたなんか言ってくるんじゃねぇのかw

Permalink |記事への反応(0) | 22:45

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anond:20250331200540

まり他人功利主義押し付ける奴が功利主義だって言いたいんだろうが心底どうでもいい

俺は楽しく生きるが

自覚なきASDのお前は特異なコミュニケーション尊大な態度を貫いて社会的死ねばいいさ

じゃあな

Permalink |記事への反応(1) | 20:25

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anond:20250331200257

あーあ、バカのままかあ。

幸福を目指すやつは功利主義者じゃなくて、ただの普通のやつだけど、功利主義者ですとか間違ったままいくんだな。

お前は生きるけど、強くないからすぐ死ぬだろうw

お疲れ様でしたwww

Permalink |記事への反応(1) | 20:05

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anond:20250331192642

やんないよ

俺は幸福を得るために生きてる功利主義者だからな、

もう自覚無きASDのお前を相手にして興味がないことを調べるより対戦ゲーやる方が大きな功利を得られるもの

強く生きろよ、じゃあな

Permalink |記事への反応(1) | 20:02

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anond:20250331174500

裁判モノのドラマでも見ればわかると思うが

相手の誤りを指摘した弁護士が(無知視聴者にもわかりやすく誤解しないよう)言を尽くしてくれるし、

ドラマじゃなく現実でもサービス業の方々は専門用語を避けなるべく平易な言葉を使い説明してくれるだろ

って書いても

格ゲー功利主義

→違います。ググったらわかります

じゃあヒントね?

お前が金儲かると思って体を鍛えるのは功利主義じゃない。

体鍛えてる人とゲームしてる人を比較して、体鍛える人の方がお得、と主張するのは功利主義

これだから・・・

冒頭の文章を読んだら「ググったらわかる」じゃなくて功利主義の原義を用いて論理的な誤りを指摘および説明

「ヒントね」じゃなく相手に誤解させないように両者の差を説明するのが筋だって分かるだろうが・・・

ようやくお前が分かってきたけどよ

お前さ、ぶっちゃけASDだろ

読み手がどの部分に疑問を抱くか想像し、その部分を掘り下げて次の文を書くのが文章の基本だが

お前の文章を読んだ俺がどこに疑問を抱くかわかんねーからお前は何も説明できねえんだろ

それで説明の冒頭だけ相手に丸投げして

相手自分の期待通りに補完してくれることを期待してんだろ

幼児かお前は・・・呆れるわ

現実会議雑談

「ググって」「ヒントね」なんつーコミュ方法やってたら会話が成立しないヤバい人として干され散らかすっつうの

お前の特異なコミュニケーションに他人がまともに付き合い続けてくれると思ったら大間違いだ

そもそも俺は「対戦ゲーやり込んだとこでほぼ何も残らんのだから虚しいなら止めてしまえ」って言ってるだけなのに功利主義とか言い出して心底どうでもええんじボケ

ヒントを出せば考えてくれてググってくれるAI相手に会話してろ

Permalink |記事への反応(1) | 18:30

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