
はてなキーワード:割れとは
もはや、面白ければなんでもいい勢力が、みんなで赤信号渡れば怖くない精神で自由気ままに肖像権も著作権も侵害しまくるのが当たり前。
取り締まる方法もなければ、取り締まっても追いつかんだろうし無法地帯や。
Bytedanceみたいにモデルを出されたら拡散は止まらん。
俺はインターネットにはあまり投稿しないってスタンスも保とうと思うが、特になんの意味ないやろな。俺みたいなやつは珍しいやろ。
今後は、コンテンツを発表する企業のブランド名が大切になっていくんかな?
ジャンプとか任天堂ってブランド名がつくと、AI使ってるって言ってもオリジナリティあるものを期待できるし。
いい質問 🫒
⸻
🫒 基本のやり方(道具いらず)
3. 手のひらでグッと軽く押す
※強くやりすぎると潰れすぎるから「軽く圧をかける」くらいでOK。
⸻
🫒 形をなるべく崩したくない場合
②ストロー or 菜箸で押し出す
1.オリーブの端を少し切る
→ きれいにスポンと抜けることがある
(種抜き用の専用ピッターがあれば一瞬)
⸻
③ 切り込みを入れて回す
1.オリーブに縦にぐるっと1周浅く切り込み
2.ねじるように開く
→タネが出てくる
⸻
💡コツ
• 小粒より中〜大粒のほうが簡単
ちなみに、詰め物する予定ある?
いい質問 🫒
⸻
🫒 基本のやり方(道具いらず)
3. 手のひらでグッと軽く押す
※強くやりすぎると潰れすぎるから「軽く圧をかける」くらいでOK。
⸻
🫒 形をなるべく崩したくない場合
②ストロー or 菜箸で押し出す
1.オリーブの端を少し切る
→ きれいにスポンと抜けることがある
(種抜き用の専用ピッターがあれば一瞬)
⸻
③ 切り込みを入れて回す
1.オリーブに縦にぐるっと1周浅く切り込み
2.ねじるように開く
→タネが出てくる
⸻
💡コツ
• 小粒より中〜大粒のほうが簡単
ちなみに、詰め物する予定ある?
木曜の夜、僕は渋谷のマークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託のデザイナーとの打ち合わせで、サイトのワイヤーフレームの修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。
自分の話をする。
僕は今、大学の四年生で、二年の終わりくらいからウェブのマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態はフリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアントは十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。
この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。
---
インターン先の話をする。大学三年のとき、半年だけ、あるスタートアップでインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。
先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケの責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告のレポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。
三十秒。
僕は自分の二時間と川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。
川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業の柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケのことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアントと電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。
僕にはあれがない。
あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。
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ここで白状しなければならないことがある。
中学のとき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなものを想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEのグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。
いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。
僕はそれを自分に向けた。
高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分の会社を作った。それは全部、中学の教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。
復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。
川島さんや柴田さんのような人間を見てしまったから。僕が中学の教室の透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまったから。
同世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生で自分の会社を持っていて、クライアントが十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。
でもそれは同世代の話だ。同世代のトップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。
オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。
そう思うと、怖い。
今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと。
もっと。
---
でも。
---
でも、と僕は思う。
木曜の夜の渋谷のエスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う。
僕は、楽しんだことがあるだろうか。
人生を。
中学のとき、透明だった。高校のとき、復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。
友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。
二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。
旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画を最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。
Twitterを開けば、同い年のやつらがサークルの合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女の誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレームの修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。
僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。
でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。
僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。
もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。
友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとわからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。
だから僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアントの課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。
でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。
わからない。
もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷のエスカレーターの上で立ち止まっている。
ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。
こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人がいるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースがちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。
おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。
---
金曜の朝。
特に何があったわけでもない朝だった。
僕はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分がちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。
メールを確認する。Slackを確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件のレポートへの反応だった。
小さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分でアクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告の設計と、LPの改善と、SNSの運用方針を整理することだった。
「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます」
僕はそのメールを読んだ。
二回読んだ。
三回読んだ。
そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。
「はじめて知らない方からの注文がありました」。
それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。
でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分の作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。
僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップの広告なんか、川島さんの世界には存在しない。
僕はなんでもやだ。
マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザインの方向性も考えるし、クライアントの愚痴も聞くし、請求書も自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在。
でも。
あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。
なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。
月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端な場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端だから、中途半端な場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。
それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。
僕にはこの仕事がある。
---
これが何かの答えだとは思わない。
川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷のエスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。
ワークの問題は解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学の教室の透明な僕に戻ってしまう。
ライフの問題はもっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっと楽しまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。
全部、中途半端だ。
全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。
それなら俺が作るわ🤣
銀行預金プラス0.1%の元本割れしない商品作って、集めた金で日本国債買うわ
手数料と事務手続きに金かかるから10年物のみで満期一括償還、1口100万円からかな
まぁ買うアホいるとは思わないけど
実績だとかは置いておいて、制度として保障されてるって意味での元本割れ回避ね
まあ極論、複数銀行が一斉に飛んで、保険会社も飛んで、政府もケツを持たなかったら銀行預金すら保障はされないんだけど、そこまでは考えないでおこう
まじであほが多すぎる
インフレやデフレに貨幣価値の増減、為替変動による実質価値の増減などは加味しないものとします
それを恐れてるなら額を減らすんじゃなくて全部売らないとダメじゃね?
元本割れして問題のある金なら定期預金とかに回した方が良さそう
ただ、増田は元本割れしてはいけない金と元本割れしても問題ない金を区別できているのか?
https://anond.hatelabo.jp/20250604212108
朝起きたときはあまり頭が働かないのでフレンチプレスを使います。はんぶん寝ててもいれられるし、豆を挽く道具をちょっといいものにしたらじゃりじゃりと粉が混ざることが少なくなりました。でも使ったポットを洗うのがめんどくさいので昼間はドリップしたりします。20年くらいつかってたどこで買ったかわからないプラスチックのドリッパーが割れてしまったので誰でも簡単と宣伝されてた新しいやつにしたらペーパーフィルタが台形から三角のやつになりました。これはフチをうまく折らないとぴったり貼り付かないのでなかなかに扱いが難しい。三角の頂点側から円弧側に向かって折りしろの幅をいい感じで広げるのが難しいけれど、うまく折れてお湯を注いだときに隙間なくぴったり貼り付くととても嬉しい。
こないだエジプト料理屋さんで飲んだアラビアコーヒーがスパイス入ってて美味しかったので、真似をしてカルダモンとかクローブとか入れてみようと思いました。最近カレーをよく作るのでスパイスはあるのだ。食器棚の上の方にいつのまにかちいさなすり鉢とすりこぎがあったので、それで潰して混ぜるととてもおいしかった。スパイス入れるときはプレスよりもドリップの方が香りがたつ気がします。
うまく入れられたカルダモン入りコーヒーを飲みながら、はて、こんなすり鉢いつ買ったっけ?と考えてみると、そういえば4年ほど前に当時いっしょに暮らしていた老ねこのご飯としてカリカリやにぼしやかつぶしを細かく砕いて混ぜてやろうとして買ったことを思い出しました。でも、カリカリやにぼしはすり鉢で潰すには硬過ぎて、結局別の器具を購入してほとんど使わなかったので忘れてた。老ねこも最初は喜んでいたものの、だんだん固形物を食べること自体できなくなって、ペースト的なものしか食べられなくなったのでそちらもあまり使えなかったのだけども。
茶トラの老ねこはずいぶん長生きしてくれて、おかげでもうねこのいない生活など考えられなくなってしまったことと、あとちょうどたまたまよいご縁があったこともあり、彼女が旅立ったあと間をおかずにこんどはしっぽの丸い三毛のこねこと暮らすことになりました。それから3年ほどたって、私がコーヒー豆を挽くごりごりとした音を聞くと、こたつの中から飛び出してきて増田の足におしりを引っ付ける体制で座り込むようなとても良いねこに育ってくれました。なお豆を挽き終わってお湯が沸くまでの間、しゃがんでちょっとねこを撫でようとしてもするりと避けるくせに、お湯が沸いてポットに手を伸ばすとまた増田の足におしりを引っ付ける体制で座り込んだりします。
そういえば、歯を磨こうとして電動歯ブラシのスイッチを入れるとブーンという音を合図にこたつから飛び出して洗面台の中に飛び込んでくるようになったので、最初は水でも飲みたいのだろうかと思い、洗面台の蛇口から水をぽとぽと落としてみたりもしたけど、いまは右手で歯を磨きつつ左手でしっぽのつけねをぽんぽんとかるく叩く時間とすることで落ち着きました。あとお風呂にお湯を張ろうとして給湯器の”お湯張りを開始します”という宣言を合図にやっぱりこたつから飛び出して風呂桶のふちに飛び乗ったりするので、しばらく一緒におふろにお湯が溜まっていく様子を眺めたりしています。あらためて振り返ると自分が思っている以上に決まりきった毎日をルーティンとしてこなしているのかもしれない。ただ、ねこにとっては1日を決まったルーティンで過ごすことがもっとも幸せであるという話も聞きますし、それは私にとっても一番良いことであります。
非都市部のわりに、最近は俺の自宅や仕事場近辺にもパティスリーが増え、しかもどの店も其々に美味しいチョコやケーキが有る。そのため、店を選ぶのも一つの店でどの商品にするかも非常に迷う。
妻の分も買って、二人で半分こして食べるのが例年の慣わしである。こうすると、食べる量は0.5個/人になるが、二種類の味を楽しめる。
しかし、十中八九「どうせなら三個買わない?」と妻が言い出して、妻の誘惑に負けた俺がGOサインを出して、三個其々を半分こして食べることになる。こうなると、三種類の味を楽しむことと引き換えに、食べる量は約1.5個/人という大きな罪を犯すことになる。
妻が「せっかく、休みの日には運動して痩せようとしてるのに、結局、私が増田を太らせてしまってごめんね」と笑う。俺は「まあ精々、食べた分だけ身体を動かすよ」と答える。
「『あの時、あれを食べておけば…』と思いながら死ぬのは嫌じゃない?」と妻が言う。「確かに」と俺も頷く。
食い意地の張った、割れ鍋に綴じ蓋の二人。
https://digital.asahi.com/articles/ASV2B26L3V2BUTIL01CM.html
例えば、政府は沿岸を防衛する「シールド構想」を打ち出し、攻撃型ドローン数千機を初めて購入する予算1千億円超を来年度予算案に計上した。高市首相も選挙戦で、ドローンを活用した「新しい戦い方」や長期戦への備えの必要性を街頭で訴えた。
しかし国内では、実戦に欠かせないドローンの訓練が十分にできないという実態がある。
自衛隊の演習場は小規模なものが多く、訓練時にコントロールを失えば近隣の民間地に墜落しかねない。実際に今年1月、陸上自衛隊の演習場で訓練中の災害用ドローンが強風にあおられて行方不明になり、後日約300メートルも離れた畑のあぜ道で見つかる事案が起きた。
写真・図版
また、電波の問題もある。大量のドローンを動かすには多くの周波数帯を使用するほか、敵のドローンは電磁波を放って攻撃するが、そのシステムの訓練も周辺の民間人のスマホやテレビを故障させる恐れがあり、国内では行えない。
そもそも、実戦でどう運用するかも定まっておらず、防衛省関係者は「省内外で『ハリボテ構想』とも呼ばれている」と打ち明ける。
自民が維新との連立時に合意した「次世代動力艦の保有」にも不安の声があがる。原子力潜水艦の導入を念頭にしたものだが、防衛省内では否定的な受け止めが少なくない。
原潜は長期間にわたる潜航が可能で、大型化により長射程のミサイルも搭載できる。ただ、原子炉を扱う専門性の高い人材が必要なうえ、艦も大きくなるため、定員は通常動力型(約70人)の2倍ほどが必要になる。
写真・図版
海上自衛隊の潜水艦「とうりゅう」の艦内。狭いスペースを有効に使うため、魚雷管の下に寝床がある=2025年9月17日、矢島大輔撮影
自衛隊は毎年2万人の定員割れが続いており、特に海上自衛隊は人手不足が深刻だ。中でも、潜水艦は最も過酷な職場とされ、音で他国の艦艇に位置を探知されないようにシャワーは3日に1回。隠密行動のため家族にも出航期間を伝えられない。
ある防衛省幹部は「現実は、映画や漫画のようにはいかない」と話す。
高市首相の「台湾有事」発言以来、日中関係の悪化は深刻さを増す。12月には中国の空母艦載機が日本の戦闘機にレーダー照射する事案も起きた。
連立を組む維新は衆院選で「専守防衛」から「積極防衛」への転換を公約に掲げており、そうなれば中国の警戒をより強めるおそれもある。
自衛隊機による中国機への緊急発進は常態化しており、2013年度以降は年間400回を下回ったことがない。ある防衛省関係者は「現場は疲弊している。防衛強化と同時に、偶発的な衝突がエスカレートして戦争につながらないよう外交努力もしてほしい」と語る。
①防衛に関する認識が中道になって公明に上書きされ消えている認識はあるのか?
立憲民主は護憲政党で、自衛隊は違憲、安保も違憲、反原発、という政党だったはずだけど公明と合体したときに公明側の思想に塗り替えられて旧立憲の要素は消えている。
消えていることを認識したうえで「ママ戦争止めてくる」と中道に投票したのか。それがかなりの疑問。
自民は統一教会だから避け、立憲に投票する、までは理屈が通じていた。
中道は創価学会だ。統一教会を避けて創価学会に投票はただの宗教活動になってしまうが、分かって行っていたのか?
戦争・虐殺を主導的に起こしているのはロシアのプーチンや中国の習近平など権威主義国家の独裁者であり、相手の政治的な主張が何であろうがウクライナやウイグルへの虐殺を行っているのだが、戦争が起きるか起きないかを日本が決められると思っているのだろうか?
そもそも大日本帝国が他国に戦争を吹っかけていたのは国内の人口が膨張してあふれ出しており、ハワイ・ブラジル・満州の土地へ自国民を送っていた時代でもあるのだが、現在は急速に出生数が減っており、日本の農地が余って遺棄され、国防の人材も足らず年々難しくなっている状況だ。
はっきり言って日本は植民地を獲得するだの開拓するだの管理するだのという状況にはなく、既にある山林やインフラを維持するだけでも崩れそうな状態なので、他国に戦争を吹っかける理由がないし、心から避けたい状況であることは全国民一致しており、その方法について割れているだけである。
それが高市早苗は戦争を起こそうとしているというバズツイを見て、その大日本帝国感覚の人口感覚・植民地主義に驚くしかなかった。立憲支持者は元々「現在の日本」に対してこういう国だという認識を持っていたのか?
偏差値60以上なら左派になるはずなのにという主張を左派インフルエンサーがさかんに行っているが、高学歴高収入の住民が多く地価が高いエリアの比例得票を見ていくと、
前回の参院選では国民民主が、今回の衆院選ではチームみらいが、高学歴高収入地域(高所得者が多い中央区や港区、タワマン群の川崎市中原区、大学院卒が多い横浜市港北区等)で票を得たという結果しか出ておらず、
立憲支持者は高学歴という傾向についてのソースはどこを見ても見当たらない。参院選では東北エリアで顕著に立憲が強かったが、衆院選ではその東北ですら中道が壊滅したという報道だけであった。
何をもって信じているのか。そもそも、そのような信念を本当に多くの立憲支持者が信じているのか?
別に結構な有権者は野党に投票してるのに野党批判したら自民党支持みたいなさー
ただそれが乱立で割れたからどこ行けばいいかわからんくて小選挙区で負けたってだけやん
友達と話をしていて、昔やったゲームに出てきた「風船魔人」というキャラクターの話になった。
ただ、この風船魔人が一体何のゲームに出てきたのかが誰も思い出せない。
ハードはおそらくPS1ボードゲーム系のパーティーゲームだったと思う。中学生だったのでざっくり25年ぐらい前だと思う。
「ワタシ風船魔人 〜をする、風船割れるとワタシ飛ぶヨロシ?」
みたいな感じでカタコトの日本語で、お前が飛ぶんかいというシュールさ印象に残っている。
〜ヨロシ?という語感が良すぎて、その後もちょくちょく使ういわば仲間内ミームみたいになってたんだが、実際それが何のゲームだったか思い出せずにみんなモヤモヤしている。
このインターネットの時代にこれらを検索しても一切出てこず、謎の記憶になってしまっていて本当に気になっている。
分かるひとマジで教えて。