
はてなキーワード:副作用とは
ふざけんなよ。
そんな「精神病=収容→開頭→人体実験」みたいな自己放尿を垂れ流すやつに論理も倫理もあるわけがない。
ロボトミーが歴史的にどう終わったか。人格と機能を壊滅させ、後に医療界が恥じて放棄した残酷な暴挙だという事実を知らないのか?
有効性の根拠は薄く、致命的な副作用が山ほど報告されてきた。そもそも「人権がいらない人間未満」などという言葉は論理的に破綻しているし、法と倫理の観点からも完全に無効だ。
強制入院や治療は医学的正当性と適切な手続き、本人の尊厳を前提に初めて検討されるものであって、「麻酔無しで開頭しろ」なんてのは自己放尿にしか見えない。
失敗しても「どうでもいい」って言ってる奴の道徳観は、倫理の自己放尿だ。下品で無責任で、人としての体裁を放棄している。
あんたの論は科学的根拠も倫理的根拠もなく、単なる暴言のダブル放尿だ。表現をひねって言えば、あんたの主張は汚言と差別のダブル放尿みたいなもので、見ているこちらが不快になるだけだ。
精神疾患に苦しむ人間を「人間未満」に切り捨てるのは、無知と恐怖と残酷さの産物でしかない。
論ずるならエビデンスと法律、そして最低限の人間性を持ってこい。そこを放棄した自己放尿に対しては、冷徹に、徹底的に反論してやる。
https://www.nature.com/articles/s41586-025-09655-y
ワクチン推進医師が吹き上がってるみたいだけど、よく読んでみると結構ヤバい話だった。
簡単にいうとがん患者にコロナワクチンを打つと、がん細胞にPD-L1という分子が増えて、そのPD-L1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤の効果が上がるってことだ。
このPD-L1が曲者で、本来この分子はがんが免疫を回避する際に利用するもの。
この論文では「PD-L1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤」の使用が前提なので、治療効果が高まるという結果になった。
ところがは「PD-L1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤」というのはめちゃくちゃ高価で、副作用も大きいので、非常に限定的にしか使われない。
つまりほとんどの場合、コロナワクチンを打っても「PD-L1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤」は使われないということになる。
そういう患者では、ワクチンでがん細胞のPD-L1が増えて、がんの免疫回避能だけが上がる可能性がある。
だからこの論文は、ワクチン批判派の「コロナワクチンでがんが進行する」という現象の説明にもなっているんだよね。
試しにAIにも聞いてみた。
mRNA-LNP投与で、腫瘍細胞のPD-L1が24時間で有意に上昇(IFN依存の先天免疫活性化に一致)。これはICI併用の有無に依らず観察される現象です。
健常者におけるmRNAワクチン後、6–24時間でI型IFNや骨髄系/樹状細胞の活性化が立ち上がる(製剤間で強度差あり)。先天免疫→PD-L1誘導という経路の時間スケールを支持。
生検の100日以内にmRNAワクチン接種がある患者は、NSCLCでPD-L1TPS平均が有意に高く(31% vs 25% / 22%)、50%閾値を超える割合も上昇。インフル・肺炎球菌ワクチンではその傾向なし。広範な腫瘍種を含むコホートでも同様の方向性(TPS 13.3% vs9.7%)。
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2.雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
実は、アファーマティブ・アクション(AA)やそれに類する「優遇政策」は、経済学的にも長い議論の対象で、労働市場の効率性・インセンティブ構造・社会的資本の形成といった観点から、かなり深く分析されています。
AAによって採用・昇進などで属性が重視されると、「最適な人材配置」が歪むことがあります。
本来、最も生産性が高い候補者を選ぶべきところで、**別の基準(性別・人種・出身など)**が介入する。
結果として、全体の生産効率(totalfactor productivity)が低下する可能性がある。
たとえば:
Loury (1998), “Discrimination in the Post-Civil Rights Era”
→AAは短期的な公平性を実現するが、長期的には人的資本(human capital)の最適配分を阻害する。
Coate & Loury (1993), Quarterly Journal of Economics
→ 「低評価リスク」仮説:制度的優遇があると、企業側が「優遇枠の人は平均的に能力が低いかもしれない」と予期し、全体の採用評価を下げる。
→ つまり、恩恵を受ける人自身が市場で過小評価される逆効果が生じる。
経済学では、個人が努力する動機=「期待される報酬 ×確率」。
AAによって「結果の平等」が保証されると、努力のリターンが減少する可能性がある。
Phelps (1972), “The StatisticalTheory of Racism and Sexism”
→ もし企業が属性を基準に期待値を修正する(例:「女性は平均的に○○が低い」など)と、
個人が努力しても評価が改善されにくく、人間資本投資のインセンティブが下がる。
Becker (1957), The Economics of Discrimination
→市場競争の中では、長期的には差別はコストになる(=差別する企業が淘汰される)。
つまり、市場メカニズムに任せた方が、平等を促す方向に進む可能性がある。
🔹 3.スティグマ効果(signaldistortion)
「AAによる採用・昇進=能力より制度的配慮」と見られることで、
これはゲーム理論的には「シグナリング(signaling)」の問題として扱われます。
Coate & Loury (1993)モデルでは、AA導入後、採用者が「優遇されているグループ」に対して
“平均的に能力が低い”という信念を形成 →雇用主が訓練投資を減らす。
→ その結果、実際に能力格差が固定化されるという自己成就的な悪循環が起きる。
市場の信号構造を歪め、差別を制度的に固定化するという逆効果が生まれる。
経済学では信頼・ネットワーク・協調といった“社会的資本”も重要な生産要素とされています。
グループ間の信頼が低下
成功の原因が「努力」ではなく「制度」に帰属される(=相互尊重の低下)
→結果的に、社会全体の協力効率(cooperative efficiency)が下がる。
この点は、Putnam(2000)『BowlingAlone』や Fukuyama(1995)『Trust』などでも、
“制度的な平等の押し付け”が社会的信頼を損なうという形で議論されています。
AAを受けて育った世代が、次の世代に「努力よりも制度を頼る文化」を引き継ぐ可能性があります。
→ これを “policy dependence equilibrium”(政策依存均衡)と呼ぶモデルがあります。
例:
Cass Sunstein (1991) “Why MarketsDon’t Stop Discrimination”
🔹総合すると…
アファーマティブ・アクションは短期的には平等を“見かけ上”実現するけれど、
長期的には:
生産性の低下(misallocation)
三橋氏に関する当時の印象と、その後の報道、そして経済論に対するあなたの考察について、承知しました。
学生時代に彼の「デフレ脱却には財政出動が有効」「政府支出を増やせ」という主張に触れ、説得力ある論者として見ていたという経験は、当時の日本の経済論壇の大きな流れを反映しています。
あなたが学生だった10年以上前の日本は、長期デフレからの脱却が大きな課題でした。
あなたが現在指摘している「デフレは完全悪という集団妄想の被害者」「インフレは格差を拡大する」という点については、経済政策を巡る重要な論点を含んでいます。
多くの経済学者は、デフレは経済活動の縮小や雇用・所得の減少をもたらす「悪」であると考えます。
しかし、「過度なインフレ」もまた、生活費の高騰や資産価値の実質的な目減りを招き、経済を不安定化させるため「悪」です。
インフレは一律に影響を及ぼすわけではありません。
あなたが感じた「がっかり」は、かつて論理的で希望に満ちた解決策を提示した人物が、現実の複雑さや予期せぬ展開の中で、自身の論理と乖離した行動に出てしまったことへの落胆かもしれません。
今年の夏、熱中症で搬送された義母に検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。
しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省。
幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。
夫と義母は折り合いが悪い。
夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。
地方出身の夫は地元の進学校に進学し、東京の大学に進学した。実家を出たかったらしい。
付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナや仕事を理由に帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。
側から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチわからない。
久しぶりに会った義母は痩せていた。
挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。
夫が引き払った義母宅からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母の関係が窺えた。
受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインのアクセサリーに見えた。
何より夫と義母の関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。
ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。
言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。
私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。
ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。
ホスピスの医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたのイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母。
私は要領を得ない会話も、デリカシーの基準の違いもしょうがないかなで付き合えるが、夫は義母の言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。
夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。
でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家と関係が悪いからだ。
お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生のターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。
息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。
私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。
あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。
連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。
あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分の人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。
その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望。
母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。
そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉がいかに軽薄だったか。
家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。
夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。
実家・義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援やサービスがある。
毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。
自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか。
今子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。
義母は浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。
死に向かっていく義母。そして母へ。
今年の夏、熱中症で搬送された義母に検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。
しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省。
幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。
夫と義母は折り合いが悪い。
夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。
地方出身の夫は地元の進学校に進学し、東京の大学に進学した。実家を出たかったらしい。
付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナや仕事を理由に帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。
側から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチわからない。
久しぶりに会った義母は痩せていた。
挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。
夫が引き払った義母宅からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母の関係が窺えた。
受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインのアクセサリーに見えた。
何より夫と義母の関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。
ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。
言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。
私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。
ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。
ホスピスの医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたのイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母。
私は要領を得ない会話も、デリカシーの基準の違いもしょうがないかなで付き合えるが、夫は義母の言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。
夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。
でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家と関係が悪いからだ。
お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生のターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。
息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。
私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。
あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。
連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。
あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分の人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。
その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望。
母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。
そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉がいかに軽薄だったか。
家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。
夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。
実家・義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援やサービスがある。
毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。
自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか。
今子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。
義母は浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。
死に向かっていく義母。そして母へ。
1時間に10回、1日8時間で80回、1年間250日働くとして毎年2万回臭いと言われながら過ごしてる。
でも心は概ね穏やかであり、人生の行く先に対する不安はAIに仕事を奪われることぐらいしかない。
まず、俺は毎日風呂入って朝シャンもしてるので「風呂をサボってる」系の悪口がノーダメ。それどころか「(あっ、相手の髪が脂ぎってるのかさえ確かめずに妄想でほざくんだ)」と考えることでソイツから受けるダメージが半減する。
服の洗濯も漂白剤まで使って日干しにしてるので「洗濯してない」で受けるダメージもない。
年一ペースでドクターショッピングを行い毎回「自己臭恐怖症だよ。臭くないもん」と言われてるので、「医者行け」や「鼻がおかしい」も同様だ。
ほざけばほざくほどアホどもは自分の発言の的外れさを証明してくれるので俺はもうほとんど周囲のアホからダメージを受けていない。
それでも少しずつは削られてしまうわけだが、何度となく誹謗中傷を乗り越えたことで俺のメンタル最大HPはバグレベルで上がってるので何とかなる。
滅茶苦茶な量のメンタルHPでダメージを受けきり、毎晩寝るたびに割合回復させてるので、毎週のトータルで見ればノーダメのような状態だ。
こうなれたのも「俺はまだ耐えられている」ということをちゃんと自覚した結果だろう。
もしも「このままいつか耐えきれなくなるのでは?」と疑っていたらアウトだった。
あなたの教えで私は無敵になれたよ。
メンタルのHP自体が多いので取引先がクソムーブしても上司が狂っても部下が舐め腐ってても俺が沸騰することはなくなったというのはありがたい副作用だ。
試練が人を強くするのだなあ。
いや、ないな。
クソ遺伝子のくせにガキ生んだカス共への恨みは消えないので格安の共同墓地にぶちこむのは確定事項だわ。
耐えられるとは、痛くないということではないのだからしてな。
高熱とかつてない程の喉の痛みにより、唾液はペットボトルを切ったやつに吐き出し、バファリンを飲んで痛みがマシになったタイミングでバターを喉の奥に押し込むという作戦を4日間続け、耐え凌いだ。
同年10月に髪が抜けるようになった。
排水口がすぐに髪の毛でいっぱいになる。
パニックに陥った。
恐らくコロナの後遺症であると判断し、パニックになりつつフェナステリドとミノキシジルを個人輸入で購入した。
生え際をスマホで撮影したりすると明らかに薄くなっており、親戚にハゲの血統がいない私にとっては恐怖そのものだった。まだ29歳でハゲるわけにはいかないと。
美容院でも髪の量多いですね(笑)と言われる私にとってはショックで仕方がなかった。
注文した薬が届くまでは、生え際隠し用のパウダー(化粧品)を生え際に塗る作戦とした。いい感じに地肌が隠せた。
注文後、ミノキシジルは副作用が怖く、フェナステリドだけを服用した。服用したという安心感で、その後は髪を気にする事はなくなり、大量にあるフェナステリドを寝る前に1錠飲むという生活をし、1年が経った。
最近は生え際を撮影する事もなくなったし、そもそも気にしてはいない。
ただ、フェナステリドは飲んでいる。
気のせいか、フェナステリドを飲んでいるためなのか、部屋に抜けた髪の毛が減った気がするし、風呂の排水口の髪の掃除の頻度はぐっと減ったと思う。
このままフェナステリドが切れるまで、飲み続けようと思う。
ミノキシジルは未開封で冷凍庫に入れっぱなしだが、そのうち捨てると思う。
裏金って言葉の響きからして賄賂か何かのことだと思ってる人が多いようだ。
ここでもなんか「アベ派は裏金をばら撒いてる」とかよくわからないこと書いてて
裏金って何のことだと思ってる?と聞くと逃げちゃったやつがいた。
改めて言うまでもないが裏金というのは帳簿に載らない金のことだ。
「そんなもんろくなことに使わないに決まってる」し「犯罪の温床」だから問題だということであり、それ自体が犯罪なのではない。
そもそも帳簿外の金が必要になるのは政治資金の扱いが非現実的なまでにガチガチに規制されてる「クリーンさの副作用」でもある。
ウグイス嬢のギャラが、今どきそんなんじゃだれもやらない額に抑えられてるのでどうにかイロを付けてやる必要がある、そういうときにさっと動かせる現金が必要になるわけだ。
いまだに人殺しの烙印ぐらいの勢いで「裏金議員!」って持ち出すけどもう片付いた話なんだよ。
裏金いじくった議員は政治にかかわらすなみたいなことを、公金詐取できっちり有罪判決食らった辻元氏が言ってるのギャグでしかないんだよ。