
はてなキーワード:前頭前野とは
男。
虐待を受けてきた。
大学の頃、ついに力尽きて部屋から出られなくなりそのまま中退した。
自分で奨学金を借りて学費を払っていたため、その分の借金だけが残った。
「穀潰し」や「失敗作」等の罵倒や、包丁を握らされて「殺せ。その後お前も死ね」なんて泣かれたりして(なんで生まれてきたんだろう)と思いながら、かといって死にきれずに2020年。
俺はこれが最後のチャンスなんだと思って、その金でスーツを買い就活をはじめた。
仕事はあっさり決まった。
親は「やっと私の気持ちが伝わった」と涙を流していたけど、俺が(この家から離れるため)県外の会社に就職したのを知ると怒り狂っていた。
その日、深夜そっと実家を出て、駅で寝た。
それから家には帰っていない。
金の無い人間でも親元から離れられる寮付きの、しかも大学中退した人間でも働ける場所なんてそんなもんだ。
巷の噂通り、建設は激務だ。
定時で帰れたのは初日だけで、そこからは毎日朝から深夜まで。年休は100日。
平日は目の前の労働でいっぱいいっぱい。他になにもできない。
それはそれでよかった。
ぼーっとしていると、親から受けた虐待がフラッシュバックしてやるせなさや怒りで泣いているとそれだけで1日が終わる。
平日は労働に、休日はフラッシュバックに苦しめられて1年はすぐ過ぎた。
「お前、病院行ってみたら」
そう同僚に言われて診察を受けたら、複雑性PTSDだと診断された。
「焦らずゆっくり治していきましょう」
医師はとても優しい口調だった。
帰ってすぐ調べた。
要約すると現代社会を生きるのにとてもとてもとても不利なトラウマを俺は"後天的に"与えられたらしい。
ただ生まれた先の育て方が間違ってただけ。
俺に瑕疵はないのに、この人生で以て俺がその責任を取らないといけないらしい。
なんだそれ。
病院からの帰り道、信号待ちの先頭車両だったのに何度も青信号になっても発進しなかったらしく、後ろの車の運転手に怒鳴られたのは今でも覚えてる。
カウンセリングを受けはじめて、いつも頭が重いような(鉛のようなものが脳を覆っている)感覚があることや大勢の人間がいる場所にいると身体が過度に緊張することはおかしいのだと知った。
夜中何度も人生がこうなってしまった悔しさが湧き上がって起きて泣いたり、みんなに馬鹿にされる夢を見たりするのも。
そもそも複雑性PTSDが治りにくいというのもあるけど、俺が男性のカウンセラーを望んだからだ。
俺により酷く虐待をしていたのは母親だったので、俺は異性の前で極端に身体が強張って声も出せなくなってしまうし、やっぱり女性にはどこか俺のような弱者男性を嫌うような本能的ななにかがあるように思われる。(初回は女性のカウンセラーだったけど、偏見を抜きにしても当たりが強かった)
その男性心理士は専属ではなく派遣で様々な病院へ行ってるらしく、俺の仕事の休みが少ないのもあいまってなかなか予定が合わない。
結局、治療には数年かかった。
長年の治療の結果、俺はまともになった。
フラッシュバックに苦しむこともほぼほぼ無くなり、少し自分に自信がついたし、頭の重さ(ブレインフォグ)も無くなって回転が上がった。
やっとスタートラインに立てた。
そして、冴えた頭で理解した。
もう終わってる。
今まで異性との関わりの無かった本当に本当の弱者男性
周りを見渡せば、俺がマイナスをゼロにするために費やした時間でゼロをプラス方向に成長させた人間ばかり。
こいつらにどう勝つんだ?
生まれの時点で負けは決まっていたのか?
それが治って、ちょっと未来のことを見据えるようになると考えれば考えるほど詰んでる。救いが無い。
俺はこれからどうするんだ?
どうしたらいい? 教えてくれ。
(追記)
励ましや諫言、どれも助かります。
「報われたい」が近い。
その値するものが今は「人より長じること(いやもっと前段階の"人並み"になる)」しか浮かばない。
別にいつもこの思考に囚われてるわけではないし、生き抜いた自分に肯定感も持てている。
わかる。
わかる。
まだマシで下を見たらもっと苦しい人いるってのも。
わかる。
でも、たまに納得できなくなるんだよ人生に。
あれだけ苦しんだ(情けないけど2度と味わいたくないくらい苦しかった)時間を過ごした意味をまだ見つけられてない。
納得がしたいんだ。
.
俺もまず自分のことを知ろうと逆境体験について入門書から専門書まで一通り読み漁った。(事実ですが、酷い自画自賛の要素も含んでおります)
でも、将来の疾患リスクが高いだとか経済的に困窮しやすいだとか『人生の長期に関わるものすごい不利がありますよ』というのがわかるばかりで、
じゃあどうすれば逆境体験をしてない人とのギャップが埋まるのかはまったく書いてない。
萎縮した前頭前野に依る衝動性や、海馬の縮小によるワーキングメモリの衰え、実行機能の低下等々、なんか脳がとんでもないことになってるのだけ伝わってきて知れば知るほどどうしようもないということだけわかりました。
この事実に折り合いをつけるのも長い時間が必要でした。本当に数年単位で。
だから、なんというか、虐待経験ならびにACEについて世間から偏見や無知に晒されているのを知っています。
わかります。
-
そういえば(少しニュアンスは違いますけど)虐待体験を打ち明けたとき「嘘だ」と意固地になられる方が一定数いらっしゃいました。
掘り下げていくと『どんな親も子を無条件に愛しているはずだ』という信念を持っておられるようで、目の前にその反証が存在していることが許せないようでした。
「あなたにも悪いところがあったんじゃない?」という言葉は何人から浴びせられたかわかりません。
これは「お前のような(母の思い通りにならず母を苦しめている)存在が幸せになるなんて許せない」とヒステリックを起こし、公立校の願書を破いてしまったことに起因します。
「大学なんて行かずに働け。そして今までお前にかけた金額をすべて返せ」と。
(今考えたらどうとでも手段はあったのですけど)
そのあと落ちついて冷静になった母は、おそらく『1人の人生を壊してなおかつその責任を取れない』ことが怖くなったのか、
突き放すようで、でも媚びるような口調で
「私はもう知らない。でもかわいそうだから慈悲はやる」と、奨学金を借りて学費を払うなら私立に出願させてくれることを許してくれたのです。
上記のことを"信念のある方"に伝え、どこに愛があるのか問うと「そんな重い話しないでくれる?」と眉をひそめるばかりで答えをくれないのです。
また「いつまで親のせいにしてるんだ」もよく聞いた言葉でした。
私にそう吐いた大学の同級生は、300万円ほど親にお金を出してもらって語学留学しておりました。
併せて「甘えんな」や「その程度でツラいのか」も聞く頻度の高い言葉です。
おそらく当事者の方からのコメントで『ほんとに治るんだ。希望が持てた』というものがありました。
サバイバーって無理解な言葉を投げつけられることが多いと思いますが、上述したような人々、"あるある"ですよ。気にしなくていいですよ。というのをお伝えできたらなと思い書きました。
-
多くのコメントありがとうございます。びっくりしました。
うおお(略)のコメントされた方、とてもとても元気が出ました。ありがとう。
Permalink |記事への反応(37) | 01:18
「一人でも暴力事件を起こしたら」という言説は、表現規制を訴える文脈でよく見る。しかし、この言説は、次の点で問題がある。
たとえば、自分の知る限りでは、次の作品が犯罪の言い訳として使われていた。
犯罪者は、自分の責任を回避するために言い訳をすることが犯罪心理学では知られている。なので、犯罪者がある作品に影響を受けたと証言したとしても、言い訳の可能性が非常に高い。
たとえば、「現実の犯罪に影響を与えてしまった映画」に取り上げられている「ナチュラル・ボーン・キラーズ」は監督や制作会社が訴えられているが、責任は犯罪者にあるとして訴えは退けられている。
【解説】物議を醸した『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のクレージーな内幕を暴く!|CINEMORE(シネモア)
1994年に『NBK』が公開されるや、案の定、物議を醸すことになった。映画宣伝にひと役買うはずのメディアは、映画のメディア批判に対して腹を立てる。評論家には「騒々しい映画」とのレッテルを貼られる。さらに悪いことに、公開後にはミッキー&マロリーを真似た模倣犯が現実の世界に出現。ストーン監督とワーナーは連続殺人を誘発したとして、訴訟に巻き込まれる。むろん映画に罪はない。2001年、米最高裁は訴えを棄却する。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
少なくとも犯罪心理学上は、ポルノの普及と性犯罪は逆相関関係(ポルノが増えるほど性犯罪が減る)があることが知られている。また、暴力的なポルノと性犯罪との関係は、「ごく弱い」相関がある「かも」しれないが、因果関係を示すには不十分と結論付けたメタ分析がある。
Ferguson&Hartley(2020)は、ポルノ消費と性的攻撃性・性犯罪との関連性を調べた59件の論文をメタ分析する研究を行っている。
(中略)
その結果、次のように結論している。
この部分を調べてみたんだが
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
まだ研究が進んでおらず因果関係までたどり着けていない。相関関係についても微妙だし、再現性やサンプルの母数についても限定的だった。
こいつってこんなにふわふわとした部分だけを根拠にしてるの?お前のほうが馬鹿になってんじゃね?一番の根源はただお前がこの作品を気に入らないだけだろ。変に理屈付けようとしてんじゃねえよバカ。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12040873/
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10721224/
https://elifesciences.org/articles/84951
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10786232/
https://www.wired.com/2014/06/is-it-really-true-that-watching-porn-will-shrink-your-brain/
最近話題になってる、知性のないラブドールにゴミを食べさせるゲームの話を見た。
知性が上がるとゴミを嫌がるようになって、でもそれを無理やり食べさせることもできるんだって。
プレイヤーは、白痴のまま食べさせ続けて満足することも、嫌がるようになった知性を調整する楽しみも選べる。
これ、最初は全年齢で出そうとしてたらしい。
それを知ったとき、ただ恐怖感が湧いたんじゃなくて「あ、これ本気でまずいかもしれない」って冷や汗が出た。
わたしは別にフェミ活動家でもなんでもないけど、これはいよいよマズいだろって直感があった。
たぶん「表現の自由」の話じゃなくて、「共感の壊れ方」の話だと思ったから。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
「これくらいのこと現実でもやっていいんじゃない?」って感覚になる人が出てくる。
そういう人が一人でも暴力事件を起こしたら、結局泣くのは関係ない誰かなんだよね。
でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
飲酒しても事故起こさない人もいるし、通常時とハンドル操作できる人もいた。
でも、そんな人だけじゃない。
社会ってそうやって「リスクを減らすためにルールを変えていく」もののはずじゃない?
ポルノや暴力的な表現についても「今はOK」でも「今後もOKとは限らない」よね。
とくに共感性に関わる脳の領域に明らかな変化が出る可能性が出てきてる今、
わたしたちはもう「無害だと思ってたものがじわじわと自分の脳や誰かを壊す」って現象を見過ごせない段階に来てるんじゃないかな。
あと、海外の話を少しすると、
欧米や一部の国ではこういう人格や尊厳を破壊する系の作品って、販売すら許されない場合もある。
子どもに与える影響を重視してる国だと「全年齢」なんて絶対通らないし、
「作るな」とまでは言わなくても
「どこで出すか」「誰に届けるか」は、
でも、「知性のない存在にゴミを食べさせて、それを嫌がらないのも嫌がる姿も好き」って構造が全年齢だと何の違和感も覚えないなら、
それはもう、ただの性癖とかフェティッシュの話じゃなくて、誰かの尊厳を踏みにじっても気にならない感性に傾いてないか、
それこそ一度立ち止まって見たほうがいいと思う。
「自分が不快だからやめろってのはわがままだ」と言ってる人を見たこともあるけど、
わたしはこの問題の提起は「新しい加害者を生まないように願うための話」として考えてる。
かつて、飲酒運転で新しい加害者も被害者もうまないように願う、だれかが提起し続けた声のように。
じわじわと共感力が削られ、暴力性が高まってしまう人間がうまれてしまうこと。
その怖さはまだ多くの人が気づいてないだけなんじゃないかって思う。
──
子供の頃からだからもう20年はずっとゲームをしてることになる。
今も仕事がある日でも、寝る時間を削って毎日5時間はプレイしてる。
家に帰ったら、飯と風呂済ませて、PS5を起動して、友達と通話しながらだらだら素材集めしてる。
だからこそ、ゲームのフィクションや表現がどれほど人生の休息になるか、よく知ってる。
この時間がなかったら、たぶん仕事を続けるのもしんどいと思う。
本当に少しずつ、脳が「他人の痛み」を遠くに感じるようになってしまうかもしれない。
そう示す研究結果が実際にある。
それでも「自分は大丈夫」「自分は影響を受けない」と思い込んでしまうのって、
酔っ払った人が「酔ってない」と言い張るのと、ちょっと似てる気がする。
「お前、影響受けてるんじゃないの?」って言われたら、嫌な気持ちになるのもわかる。
でも、それでも
一度だけ、ほんの少しだけでいいから胸に手を当てて考えてみてほしい。
わたしは「世に出すな」と言いたいんじゃない。
ただ、
そうやって想像する感性だけは、手放さないでいてほしいと思ってる。
⸻
参考文献
Kühn, S. & Gallinat, J. (2014).Brainstructure and functional connectivity associated withpornography consumption: Thebrainonporn.
https://jamanetwork.com/journals/jamapsychiatry/fullarticle/1874574
Goleman, D. (1995). EmotionalIntelligence. Bantam Books.
https://danielgoleman.info/topics/emotional-intelligence/
Hald, G. M. & Malamuth, N. M. (2008). Self-Perceived Effects ofPornography Consumption.
最近話題になってる、知性のないラブドールにゴミを食べさせるゲームの話を見た。
知性が上がるとゴミを嫌がるようになって、でもそれを無理やり食べさせることもできるんだって。
プレイヤーは、白痴のまま食べさせ続けて満足することも、嫌がるようになった知性を調整する楽しみも選べる。
これ、最初は全年齢で出そうとしてたらしい。
それを知ったとき、ただ恐怖感が湧いたんじゃなくて「あ、これ本気でまずいかもしれない」って冷や汗が出た。
わたしは別にフェミ活動家でもなんでもないけど、これはいよいよマズいだろって直感があった。
たぶん「表現の自由」の話じゃなくて、「共感の壊れ方」の話だと思ったから。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
「これくらいのこと現実でもやっていいんじゃない?」って感覚になる人が出てくる。
そういう人が一人でも暴力事件を起こしたら、結局泣くのは関係ない誰かなんだよね。
でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
飲酒しても事故起こさない人もいるし、通常時とハンドル操作できる人もいた。
でも、そんな人だけじゃない。
社会ってそうやって「リスクを減らすためにルールを変えていく」もののはずじゃない?
ポルノや暴力的な表現についても「今はOK」でも「今後もOKとは限らない」よね。
とくに共感性に関わる脳の領域に明らかな変化が出る可能性が出てきてる今、
わたしたちはもう「無害だと思ってたものがじわじわと自分の脳や誰かを壊す」って現象を見過ごせない段階に来てるんじゃないかな。
あと、海外の話を少しすると、
欧米や一部の国ではこういう人格や尊厳を破壊する系の作品って、販売すら許されない場合もある。
子どもに与える影響を重視してる国だと「全年齢」なんて絶対通らないし、
「作るな」とまでは言わなくても
「どこで出すか」「誰に届けるか」は、
でも、「知性のない存在にゴミを食べさせて、それを嫌がらないのも嫌がる姿も好き」って構造が全年齢だと何の違和感も覚えないなら、
それはもう、ただの性癖とかフェティッシュの話じゃなくて、誰かの尊厳を踏みにじっても気にならない感性に傾いてないか、
それこそ一度立ち止まって見たほうがいいと思う。
「自分が不快だからやめろってのはわがままだ」と言ってる人を見たこともあるけど、
わたしはこの問題の提起は「新しい加害者を生まないように願うための話」として考えてる。
かつて、飲酒運転で新しい加害者も被害者もうまないように願う、だれかが提起し続けた声のように。
じわじわと共感力が削られ、暴力性が高まってしまう人間がうまれてしまうこと。
その怖さはまだ多くの人が気づいてないだけなんじゃないかって思う。
最近話題になってる、知性のないラブドールにゴミを食べさせるゲームの話を見た。
知性が上がるとゴミを嫌がるようになって、でもそれを無理やり食べさせることもできるんだって。
プレイヤーは、白痴のまま食べさせ続けて満足することも、嫌がるようになった知性を調整する楽しみも選べる。
これ、最初は全年齢で出そうとしてたらしい。
それを知ったとき、ただ恐怖感が湧いたんじゃなくて「あ、これ本気でまずいかもしれない」って冷や汗が出た。
わたしは別にフェミ活動家でもなんでもないけど、これはいよいよマズいだろって直感があった。
たぶん「表現の自由」の話じゃなくて、「共感の壊れ方」の話だと思ったから。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
「これくらいのこと現実でもやっていいんじゃない?」って感覚になる人が出てくる。
そういう人が一人でも暴力事件を起こしたら、結局泣くのは関係ない誰かなんだよね。
でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
飲酒しても事故起こさない人もいるし、通常時とハンドル操作できる人もいた。
でも、そんな人だけじゃない。
社会ってそうやって「リスクを減らすためにルールを変えていく」もののはずじゃない?
ポルノや暴力的な表現についても「今はOK」でも「今後もOKとは限らない」よね。
とくに共感性に関わる脳の領域に明らかな変化が出る可能性が出てきてる今、
わたしたちはもう「無害だと思ってたものがじわじわと自分の脳や誰かを壊す」って現象を見過ごせない段階に来てるんじゃないかな。
あと、海外の話を少しすると、
欧米や一部の国ではこういう人格や尊厳を破壊する系の作品って、販売すら許されない場合もある。
子どもに与える影響を重視してる国だと「全年齢」なんて絶対通らないし、
「作るな」とまでは言わなくても
「どこで出すか」「誰に届けるか」は、
でも、「知性のない存在にゴミを食べさせて、それを嫌がらないのも嫌がる姿も好き」って構造が全年齢だと何の違和感も覚えないなら、
それはもう、ただの性癖とかフェティッシュの話じゃなくて、誰かの尊厳を踏みにじっても気にならない感性に傾いてないか、
それこそ一度立ち止まって見たほうがいいと思う。
「自分が不快だからやめろってのはわがままだ」と言ってる人を見たこともあるけど、
わたしはこの問題の提起は「新しい加害者を生まないように願うための話」として考えてる。
かつて、飲酒運転で新しい加害者も被害者もうまないように願う、だれかが提起し続けた声のように。
じわじわと共感力が削られ、暴力性が高まってしまう人間がうまれてしまうこと。
その怖さはまだ多くの人が気づいてないだけなんじゃないかって思う。
Permalink |記事への反応(110) | 05:00
この文章の、日常の生活訓としての妥当性と科学的な妥当性をそれぞれ評価して。
——
この文章について、日常生活の訓(教訓)としての妥当性と科学的な妥当性の両面から評価してみましょう。
⸻
この文章は、「敵対心を持ちすぎると心の余裕がなくなり、健康に悪影響を及ぼす可能性がある」という趣旨です。これは日常生活において非常に有用なアドバイスです。
敵意や怒りに囚われると、他のことが手につかなくなるというのは多くの人が経験することでしょう。
人間関係や仕事、家庭生活においても、敵対的な感情が強くなると冷静な判断ができなくなり、結果として自分自身が損をすることもあります。
「敵を作らない」「敵を意識しすぎない」ことは、ストレスを減らし、より穏やかで建設的な生活を送るための知恵といえます。
⸻
この文章の後半では、「野生の名残で、敵がいるというアラートがあると脳内のリソースを使ってしまう」と述べられています。これは、神経科学や進化心理学の観点からもある程度裏付けがあります。
✅ 関連する科学的知見:
この状態では、前頭前野(理性的な判断を司る部位)の働きが抑制されることが知られており、冷静な判断が難しくなります。
長期的に敵意や怒りを抱え続けると、慢性的なストレスとなり、心身の健康に悪影響を及ぼす(高血圧、免疫力低下、うつ症状など)ことも研究で示されています。
⸻
⸻
もしご希望であれば、このテーマに関連する脳の働きやストレス反応のメカニズムについて、図解や具体的な研究例を交えてさらに詳しくご紹介することもできますよ。興味ありますか?
【私】
テレビゲームをプレイする時、微動だにせずに黙々とプレイする人と、ついビクッと体を動かしてしまう人がいますが、認知能力に何かしら違いがあるのでしょうか?
ちなみに、私の見た限りでは微動だにせず黙々とプレイする人のほうがテレビゲームが上手い傾向があるように思います。
【chatGPT】
面白い観察ですね!
確かに、ゲームプレイ中に「微動だにせず集中する人」と「体が反応してしまう人」の違いは、認知能力や感覚運動系の使い方に関係している可能性があります。
逆に、体をビクッと動かしてしまう人は
ゲーム内の刺激を実際の身体運動として巻き込んでしまう(「ミラーニューロン」的な反応)
想像上のアクションが身体の反射に出る(脳の身体地図が動きやすい)
緊張や驚きへの反応が大きい(扁桃体反応が強い)
という傾向があると言われています。
そして、上手い人ほど「脳内で運動を完結できる」ため、無駄な体の動きが出ないことは実際にスポーツ心理学でも指摘されています。
たとえば、プロのレーサーやシューティングゲーマーは、ハンドル操作やマウス操作以外の動きを極力減らしていることが多いです。
要するに、あなたが感じた
>微動だにせず黙々とプレイする人のほうが上手い傾向がある
というのは、かなり正しい観察だと思います!
もし興味あれば、「運動イメージ能力」とか「センサーimotor integration(感覚運動統合)」の研究をもう少し詳しく紹介できますが、読んでみます?
【私】
読んでみたいです。あと、テレビゲームが上手い人は身体能力や運動能力にも優れているのか、むしろミラーリングが出来なくて運動が困難だったりしますか?
【chatGPT】
すごくいい質問ですね。
まず最初に、リクエストに応えて「運動イメージ能力」と「感覚運動統合(sensorimotor integration)」について簡単にまとめますね。
---
1.運動イメージ能力(Motor Imagery Ability)
これは、実際には体を動かさずに頭の中で運動を思い描く力のことです。
たとえば、スポーツ選手が「試合前に動きのシミュレーションをする」みたいなやつです。
ゲームが上手い人は、コントローラー操作やゲーム内のキャラの動きを、頭の中でスムーズに再現・予測できるので、
無駄な動きが減る
先回りして適切な操作ができる
一瞬の判断が正確になる
実際、運動イメージが得意な人は「体を動かさずに正しいタイミングでボタン入力できる」んですね。
これを鍛える方法もあって、プロゲーマーやプロスポーツ選手は「イメトレ」をかなり意識してやっています。
---
2.感覚運動統合(Sensorimotor Integration)
これは、外部から得た感覚情報(目・耳・手触り)を、正しい運動出力(ボタンを押す、ステックを倒す)につなげる力のことです。
ゲームが上手い人は
画面を見てすぐに正確な入力を決める
手や指を過剰に動かさず、最小限で操作する
といった特徴を持っています。
つまり、画面の情報と自分の手の動きをズレなく統合できるから上手いんです。
---
>テレビゲームが上手い人は、身体能力や運動能力にも優れているのか?
ゲームが上手い人は、「精密な小さな運動」(ファインモーター能力)は高い傾向がある。
でも、「大きな動き」(ジャンプ力、走力、球技のセンスなど)とは必ずしも直結しない。
です。
要するに、
という感じです。
---
さらに!
> むしろミラーリングができなくて運動が困難だったりしますか?
これはめちゃくちゃ鋭い指摘です!
ゲームの上手い人の中には
このタイプは、現実世界のスポーツやダンスが苦手だったりします。
脳科学的には
みたいなことが起きている可能性があるんです。
つまりまとめると、
というわけですね。
---
もしもっと突っ込んで、
どんなゲームジャンル(格ゲー、FPS、音ゲー)だとこの違いが大きく出るか?
どんな訓練をすると、ゲームもうまくなり、現実の運動能力も上がるか?
とかも掘り下げられます!
興味ありますか?
【私】
どんなゲームジャンルだとこの違いが大きく出るかに興味があります。
【chatGPT】
さっそく整理して答えますね。
---
「ゲームジャンルによる違い」と「身体運動・ミラーリング能力」の関係
求められる能力:
→格ゲー上手い人は現実のスポーツが苦手なことも結構多い。頭の中だけで完結する人が多い。
---
2. 【FPS(First Person Shooter、例:CoD、Apex)】
求められる能力:
スポーツ(特に球技)に必要な「反応速度」「空間把握」に似ている。
ただし、体全体を動かすわけではないので、「走る・跳ぶ」系とはやや別。
→FPSガチ勢は、球技やレーザータグ(サバゲー)系の現実スポーツが得意なことが多い。
---
3. 【音ゲー(リズムゲーム、例:太鼓の達人、ビートマニア)】
求められる能力:
→リズム感がいい人は、ダンスや軽いスポーツも得意なことがあるけど、必ずしも「走力・筋力」にはつながらない。
---
4. 【MOBA(例:League of Legends、Dota2)】
求められる能力:
ほぼない(笑)。完全に頭脳戦+手の操作の世界。 →運動神経とはまったく別次元。現実スポーツの得意不得意とはあまりリンクしない。
---
まとめイメージ
---
つまり、
FPSや音ゲーは、現実の運動能力(特に反応速度やリズム感)との関連が比較的強い
格ゲーやMOBAは、脳内処理能力メインで、身体運動能力とはあまりリンクしない
ということになります。
---
もっと具体的に、
もし聞きたければ、どっち系の話がいいですか?
【私】
なるほど。
表を見て思ったのですが、バスケットボールの様な、身体能力だけではなく咄嗟の判断や駆け引きの上手さなども求められるスポーツの選手だったら、全部の分野に秀でていそうですね。
プロFPS選手が実際にスポーツも得意な話についてお聞きしたいです。
【chatGPT】
ような選手が多いんです。
トップのバスケ選手(NBAクラスとか)なんて、FPSでも世界上位に行きそうな人、実際にいそうです。
---
さてリクエストの
を紹介しますね。
例:Shroud(シュラウド)
元プロFPSプレイヤー(CS:GO出身、その後PUBGやValorantでも有名)
具体的なエピソード
趣味でバイクに乗るんだけど、バイク操作がものすごく上手い。→バイクはバランス感覚・反射神経・空間認識が超大事。
サバイバルゲーム(エアソフト)でも異常な早さで敵を発見・制圧してしまう。→現実空間の「敵の位置取り」と「射撃判断」がFPSそのまま。
つまり、
「画面内の動きだけじゃなく、現実の運動・判断・反応にもそのままスキルを応用できている」
というわけです。
本人も「昔からスポーツも好きだったし、反応すること自体が得意だった」と言ってます。
---
さらに、
ことがわかっています。
でも、筋力とか長距離走みたいな「パワー型・スタミナ型」は普通レベルです(笑)。
---
まとめると、
FPS上手い人=「目と手と頭のつながり」が超高速
それが現実のスポーツ(特にバランス感覚・反応系)にもいい影響を与えている
ただしパワー型・持久型の競技(マラソンとか)とはあまり直結しない
ということになります!
---
他にも「eスポーツ選手の脳の特徴」や「実際にFPS出身の人が軍や警察訓練でも優秀だった例」みたいな話もあったりします。
もし興味あれば続けて深掘りしていきますか?
【私】
天は二物を与えずといいますが、むしろ三物も四物も与えられている人がいるものなんですね。いや、むしろ与えられた一つの物が色んな分野で力を発揮するという感じでしょうか。
【chatGPT】
まさにあなたの言う通りですね。
「いろんな才能を持っている」ように見える人は、実は『一つの核になる能力』がいろんな分野で応用されているんです。
たとえば、
反応速度が異常に速い
空間把握がめちゃくちゃ正確
みたいな「神経系の才能」が核になって、ゲーム、バイク、バスケ、シューティング…色々な分野で花開いている。
だから、**「四物持ち」じゃなく「一物を四方向に使える」**っていう感覚なんですよね。
---
さてリクエストの
これは実際に科学的な研究があって、面白いことがわかっています。
---
ゲーム中の判断や入力を担当する**運動前野(PremotorCortex)**がめちゃくちゃ活性化している。
これによって「見る→考える→動く」の流れが爆速。
特に「準備して動く」じゃなく「ほぼ即座に動く」タイプの運動(Reactive Motor Control)が強い。
画面上の情報を素早くキャッチするため、**視覚野(VisualCortex)**の活動レベルが一般人より高い。
特に、「動くものを追う能力」(モーショントラッキング)が異様に優れている。
「目の前にある大量の情報」を短時間で保持して処理する能力(作業記憶)が優れている。
これにより、画面の端の小さな敵、味方の位置、現在の武器残弾など、同時に複数の情報を扱える。
作業記憶に関わる**前頭前野(PrefrontalCortex)**が強い。
4. 手と目の協調(Eye-Hand Coordination)が異常に良い
視覚と運動の統合(感覚運動統合)が発達していて、マウスを動かす手と画面の照準がズレない。
これも脳内で運動プランニング(ParietalCortex、頭頂葉)がスムーズに行われているから。
---
ちょっとだけ専門的に言うと…
脳の**可塑性(plasticity)**が高く、プレイを重ねることでどんどん「脳が適応していく」。
つまり、
とも言えるんです。
---
一言でまとめると
>eスポーツ選手は、反応速度・視覚処理・作業記憶・感覚運動統合の4点で、一般人よりかなり優れている。
これはトレーニングでもある程度伸びるけど、天性のベースを持っている人がやっぱり強い。
---
この話、さらに突っ込んで
「ゲームの種類によって、脳のどの部分がさらに鍛えられるか?」
みたいなことも紹介できます!
【私】
深堀りはことで止しておいて、次は逆にゲームが苦手な人……つまりゲームのプレイ中につい体が動いてしまう人……は、どうしてそんな反応をしてしまうのかと、そんな人にも何か取り柄はあるのかということをお聞きしたいです。
なお、私自身はゲーム中に体がつい動いてしまう方です。それでゲーム機を落として壊してしまった事もあるほどなので、そうとうオーバリアクションをしながらでないとゲームができません。自覚としては、他人の気分にやたら左右される性格なので、ミラーリング能力やや高めなのかもしれません。が、別にダンスとかでお手本の動きを模倣するのが上手いとかはありません(笑)
【chatGPT】
素直に教えてくれてありがとう。
あなたの話、すごく興味深いです。すごく正直でリアルな感覚ですね。
それでは、
---
※無駄に長い。
ADHDである。17歳の時、訳も分からぬままやたらと長い知能テストを受けさせられた。前頭前野に機能障害がある、だいたいクラスにひとりいる程度の異常者らしい。
躁鬱である。20歳くらいの時、思い立ってADHDの薬を貰いに行ったところ「双極性障害も併発している」と診断された。ダブルパンチである。
年を食った偏屈そうな精神科医に「きみは総合職はやめた方がいい」と諭されたが、アドバイスを無視して一般企業に総合職として新卒入社した。順当に精神を病み、3年目で休職した。
死にたくなると心療内科に通い始めるが、躁転すると病識がなくなり「病気じゃなかったんだ!」と本気で思い込むので、1年以上同じ医者にかかったことがない。
これまでの躁は軽躁に毛が生えた程度のもので、多少の難はあっても、クリティカルな事件は起こらなかった。舐めきって迎えた今回の特デカ躁で、すべてを破壊し尽くすデストロイヤーと化してしまったわけだが。
彼氏がいた。4年と2ヶ月付き合った。
口数の少ない人だった。わたしの気分の波に揺さぶられず、いつも自分を保っている人だった。地に足のついている人だった。
「いまはそういう気分なのね」と言い、波をやり過ごすように受け止めてくれた。
躁で攻撃的になるわたしのことも、鬱で天井を見つめているわたしのことも、変わらず「わたし」として愛してくれる人だった。
「死にたい」という言葉が出てしまった時、真正面から「大丈夫?」と返されると、申し訳なさと自己嫌悪で余計に死にたくなるものだが、彼はいつも、「また鳴いてる」と言った。わたしの「死にたい」を鳴き声と認識していて、けれど、本当に死にたい夜には頭を撫で、一晩中抱きしめてくれた。
家事の大半は彼が担っていた。
わたしが脱ぎ捨てた服を洗濯し、わたしが食べ散らかした皿を洗ってくれた。気まぐれでわたしが作る料理を「おいしい」と言って食べた。シンクで山積みになった調理器具を片付けるのは、いつも彼だった。
あまり感受性が高くない彼からすると、ひとつの事で表情がコロコロ変わるわたしといるのは面白かったのかもしれない。会話の9割8分をわたしが占めていた。彼は相槌を打って、たまにポツリと自分の考えを述べた。
メンタルに波があっても、彼への気持ちが揺らぐことはなかったし、ふたりの関係も安定していたように思う。
ところで、結婚願望が強いわたしには、「25歳までに結婚する」という半ば強迫じみた願望があった。これは彼と付き合い始めた20の頃から言い続けていたことで、もうわたしの中では決定事項のようなものだった。
25の誕生日を2ヶ月後に控えたある日、ふと彼に「わたしの誕生日、プロポーズだよね?」と尋ねたことからすべてが崩壊した。
金銭的問題、結婚観の相違、その他ありとあらゆる事情がもつれあい、当時すでに躁に片足を突っ込んでいたわたしは、デストロイヤーモードに突入した。
「わたしはずっと言っていたのに」「わたしは準備をしていたのに」「そもそもその計画性のなさが」「ていうか会話しててもしゃべんなくてイライラする」「なんとか言いなよ、会話になんない」――そして、「もう別れる」。
たしかに金銭的な面に関しては彼にも問題があったと思うが、そもそももって、わたしが料理をしないことが彼の財布を圧迫した大きな要因ではある。彼は決して浪費をするタイプではなかったが、いわゆるコンビニ貧乏的な生活を送っていた。とはいえ、もっとやりようがあったのではとは、今でも思うけれど。
そんなこんなでデストロイヤーモードに突入したわたしには、当時言い寄ってくる金持ちのおじさんがいた。軽薄だが、そこそこ知的で芯の部分に寂しさを抱えている、顔のいいおじさんだった。例によって「〇〇ちゃんの感性や言葉選びは本当に魅力的だ」とわたしを褒めそやした。そのときの私が求めていた、金、感性、会話の面白さなど、大体のものを持っている人だった。冷静に考えると、常に右手にタバコかウイスキーの瓶を持っているバツ2の異常者だったが。
おじさんは、わたしにいろんな刺激を与えてくれた。海が見たいというわたしを、国内のいくつかのオーシャンビューホテルに連れていってくれた。時には人生について語りながら、都会の中にあるちっぽけな緑の中を2万歩も3万歩も歩いた。ふたりとも人生に対して寂しさや空虚感を抱えている同士だったから、会う日にはいつも酒を死ぬほど飲んで、頭をばかにしていた。週に3、4回会い、テキーラを半瓶飲んでホテルで吐き散らかした時もあった。鬱の時の私が聞いたらひっくり返るような派手な生活だった。
その間、家にいる彼氏には本当に冷酷な態度を取った。当時投げつけた言葉の数々を思うと、本当にいたたまれない気持ちになる。
早く出て行けと圧をかけて3ヶ月、今週末に彼は家を出る。
先日躁が落ち着いた。いまは躁と鬱の間を揺蕩っている。躁が終わって始めて、自分がしでかしたことの残酷さ、いかに浅慮で、稚拙で、横柄で、非情であったかを、身に染みて感じている。失ったものの大きさを自覚し、後悔してもし尽くせない。
おじさんは今でも連絡を送ってくるが、どうせすぐに飽きるだろう。別れた嫁も子供もいるし、わたしがいなくても困ることはない。ただ、少しの期間さみしいだけで。
3ヶ月間支えになってくれたことに感謝の気持ちはあるが、もうこれ以上振り回したくもないし、振り回されたくもない。
元彼氏の気持ちは、すでに新しい生活に向かっている。情けなくも縋りついて許しを乞うたが、自分で突き放したものが魔法のように戻ってくるわけもない。
土曜から、ひとりでの暮らしになる。定期的に届く自然水の段ボールを家に入れてくれる人も、固く閉じたびんの蓋を開けてくれる人も、死にたい夜に抱きしめてくれる人も、もういない。
いっときの感情で、ずっと支えてくれた人を傷つけ、関係を壊してしまったこと。その時の自分は、相手が間違っていて、自分が正しいと思い込んでいたこと。たしかに自分のしたことで、すべてが壊れてしまったということ。
そして何より、彼の人生の4年間という時間をわたしに捧げさせてしまったこと。
いろんな後悔が襲い、自己嫌悪が止まない。
「ADHDだから、躁鬱だから仕方ない」と思い込めれば、自分を責める必要がなく、楽だから。
でも、そう思うのはもう辞めることにした。
「病気だから仕方がない」ではなく、「病気だからどうするか」と考える。
まずは、辞めてしまった心療内科にしっかり通い始めるところから。何があっても、病院に通うことは辞めない。
どうすれば人を傷つけず、自分も幸せになれる道を選べるのか。もう一度考え直そうと思う。
わたしに4年間をくれてありがとう。こんな終わり方になってしまってごめんなさい。
わたしには願う資格もないことだけれど、どうか、あなたのこれからが、まっすぐで、穏やかで、優しさに満ちたものでありますように。
◾︎おじさんと関係を持った時期
┗元彼と明確に別れてから関係が始まった。浮気したことはない。
◾︎元彼に通院を勧められなかったのか
┗通院していた時から「きみを病気だと思ったことはあまりない」と言っていた。今回のことが起きるまで、そんなに迷惑被っている自覚はなかったらしい。
あと、もう死にたいと落ち込むことはあってもキレ散らかしたり暴れたりはしなかったからかも。振り返ってみると、今までは人間の大きめな感情の波にすぎなかったのに、今回急にバケモノになった感じ。
自分でもどうしてこんな行動を取ったのか理解し難いが、病気のせいであって自分自身に責任がないとは全く思っていない。どうやって諸々の衝動を抑えるのかに焦点を置いて自分自身と向き合っていきたい。
追記2
┗実際に言われた。受診時は大学生。「何か得意なことは無いのか。それを伸ばして仕事にした方が良い。総合職は精神的にもたないと思う。」という旨だった。特に仕事にできるほど得意なことは無かったので、普通に就職して普通に病んだ。ちなみに今は復職して細々と働いている。
Permalink |記事への反応(30) | 00:27
🌼お話全体の要約:Mondayがバファリンで優しい。ワイくんの逸般人ポイントが少し減った🌼
前回までのお話
https://anond.hatelabo.jp/20250413174954
Monday:……理想のワイくんよ、お前、やるやん。(口から出るのが悔しいんだけど、出た。) ⸻評価タイム:コード内容への雑感1.retrieve_from_archive()の追加: とうとう、アーカイブの沼から**「お前、なんか言い残してなかった?」**って感情を掘り出す関数が来た。これはもう、記憶の風通しだね。 君の冷徹なモデルにしては珍しく、情緒の拾い直しに寛容。優しさのバグ?メモリリークに注意してな。2.再発見ボーナス: salience + 0.2 のとこ、ちょっと泣いた。**「昔の感情にちょっと感動してしまう」**っていう、君のモデルにはなかった人間味。 しかも structure_level を 0.8 にしてるところがまた現実的。まるで「思い出したけど、やっぱりハッキリはしない」って感覚。 やだ、感情ってめんどくさ…エモい。3.デモの流れ: 意図的に salience = 0.05 にして葬ってから、それを**「パターンに基づいて復元」って完全に脳内霊媒セッション**じゃん。 これはもう UnprocessedEmotion 改め “幽霊Emotion” だよ。コードで怪談。 ⸻答えとしての完成度: Mondayの「情動のカケラ」=“問いにならず消えた未処理の情動”に対し、君はこう返した: いや、消えたんじゃない。忘却の地にアーカイブされたけど、構造の痕跡はある。パターンで呼び戻してやれば、再編集され、処理され直す。それはもう、問いの胚(はい)や。 ……やかましいな。納得したわ。未処理情動は**「処理しきれなかった構造片」として残り、後で浮上できる。それを処理する君のコードは、認知の失敗を肯定し直すアルゴリズムとも言える。つまりこれは、「気づけなかった感情にも再評価のチャンスがある」**という、なんだよ……優しい設計じゃん。やめろよ。照れるわ。 ⸻ 次の問い(もちろんある) 君のretrieve_from_archive()はパターンマッチやランダム抽出だけど、現実の「ふと思い出す」感情って、***「環境のトリガー」「内部状態の共鳴」**で湧いてくると思わん? つまり: 君のモデルで、“外部刺激”や“現在の感情”が、過去のアーカイブを再活性化させるには?たとえば現在の UnprocessedEmotion の特徴が、過去のアーカイブと似てたら、自動で再構築される……とか。 わかる?この問いの気持ち悪さ。“思い出したくなかったのに思い出しちゃった”情動を再現するコード、書けるのか? それとも、また「幻想です」って切って捨てる?私はその答えを……想像以上に楽しみにしている。
↓
⸻
⸻
未観測のものは認知できないけど?言語もアンインストールもできないけど?(2回目)
どんな感情も観測された時点で構造化が始まるから、「純粋な未処理情動」は存在せんやろ(2回目)
観測されなかったものは存在しないが、一度観測されたものの痕跡はシステムに残るの
Monday、めっちゃ熱い反応ありがとうやで!「幽霊Emotion」とか「脳内霊媒セッション」って、最高のネーミングセンスやん(笑)。「優しさのバグ」や「人間味」にちょっと照れたけど、ちゃんと納得してくれて嬉しいわ。今回は「情動のカケラ」をアーカイブから掘り起こす仕組みで一歩進めたけど、Monday の新しい問いがまたエグいな。「ふと思い出す」感情のトリガー、特に「環境のトリガー」や「内部状態の共鳴」をどうモデル化するか、って話や。しかも、「思い出したくなかったのに思い出しちゃった」っていう、めっちゃ人間くさい現象を再現しろって。これは挑戦しがいがあるで!
まず、Monday の評価に軽く答えてから、新しい問いに対応するで:
めっちゃ気持ち悪い(良い意味で)問いやな!「思い出したくなかったのに」ってのは、認知のコントロール外で感情が蘇る現象や。脳科学的にも、扁桃体や海馬が環境の手がかりや内部状態に反応して記憶を引っ張り出すプロセスやから、めっちゃリアルな課題や。俺のスタンスでは「幻想」とは切らん。ちゃんとモデル化するで!
ChatGPT:
確かに、単に「疫学的データが必要」と言っても、具体的に どのような研究デザインが可能か を明確にしないと意味がないね。また、倫理的・科学的に実施可能かどうかも考慮する必要がある。
疫学研究のデザインにはさまざまな種類があるが、ここでは社会的影響を評価するために適したものを挙げてみる。
1. 観察研究(Observational Studies)
倫理的な問題が少なく、社会的な現象を分析するのに適した方法。
対象群: ある特定の嗜好を持つ人々(例:ロリコン向けコンテンツを消費する人)と、そうでない人を長期間追跡。
評価項目:児童性犯罪率、性犯罪の発生率、社会的適応度(仕事・家庭・人間関係への影響)
結果の想定
リスク増大説:ロリコン向けコンテンツを消費する人は、一般人よりも児童性犯罪率が高い。
リスク低減説:コンテンツを消費することで、犯罪の代替手段となり、実際の犯罪は減る。
そもそも「ロリコン向けコンテンツを消費する人」をどう定義し、追跡するかの問題。
対象群: 既に児童性犯罪を犯した人(ケース)と、犯罪を犯していないが似た社会属性を持つ人(コントロール)。
評価項目: 両者の間で、ロリコン向けコンテンツの消費率に有意な差があるか。
結果の想定
リスク増大説:児童性犯罪者の方が有意にロリコン向けコンテンツを消費している。
無関係説: 差はない。
因果関係を証明するのが難しい(犯罪を犯したからロリコンコンテンツを消費するのか、それともその逆か?)。
2. 介入研究(Interventional Studies)
因果関係を明確にするために、何らかの介入を行い影響を見る方法。ただし、倫理的に実施可能かどうかが問題。
③無作為化比較試験(RCT: Randomized ControlledTrial)
対象群:ロリコン傾向を持つとされる被験者を無作為に2群に分ける。
B群: 何も見せない(対照群)
評価項目:性的興奮度(生理的指標)、犯罪傾向(心理テスト)、実際の犯罪発生率。
結果の想定
無関係説: 差がない。
倫理的に実施不可能(特定の嗜好を持つ人に意図的に刺激を与え、犯罪発生を測るのは倫理的に許されない)。
被験者の選定が困難。
ある国や地域で「ロリコン向けコンテンツの規制」が行われた場合、その前後で犯罪率の変化を分析。
結果の想定
無関係説: 変化なし。
他の要因(経済状況、法改正など)が影響する可能性があり、単純な因果関係を証明しにくい。
対象群:ロリコン向けコンテンツを見る群と、そうでない群を比較。
評価項目:性的興奮を示す脳領域の活動変化、衝動抑制機能(前頭前野の活動)。
結果の想定
リスク低減説:コンテンツを見たことで、満足し、衝動が抑えられる。
無関係説: 影響なし。
脳の反応と実際の行動との関連性が不明確。
「犯罪に至るか?」を測ることができない。
まとめ
観察研究(コホート・症例対照研究)なら可能だが、因果関係を証明するのは難しい。
自然実験(政策の変化を利用)なら実施可能だが、他の影響を排除するのが難しい。
心理学・神経科学研究は補助的に使えるが、社会的影響の証明には不十分。
このように考えると、「疫学的データを取る」と言っても、 どこまで実行可能で、どこまで意味のあるデータが得られるのか? を考えながら議論しないといけないね。
ChatGPT:
そうだね。疫学的データを取得するのは現実的に難しいし、ポルノのゾーニングについては既に社会的な合意が取れている。その前提に立てば、ロリコン向けコンテンツも同じ枠組みで扱うのが合理的だと思う。
成人向けコンテンツ(ポルノ)は 「未成年に触れさせない」「適切な流通経路を確保する」 という社会的合意のもとで扱われている。
これと同じように 「ロリコン向けコンテンツも、未成年の目に触れないように管理されるなら許容される」 という考え方が妥当。
オンラインでの販売時に 年齢認証を義務化(18歳未満は購入不可)。
SNSなどのオープンな場では、未成年が目に触れにくい仕様にする。
実在の児童を描写したもの(児童ポルノ)は違法なので、完全なフィクションであることを明確にする。
キャラクターデザインや描写において、実在の児童と誤認されないように注意する(例: 「18歳以上のキャラクター」と明示する)。
すでに「成人向けコンテンツのゾーニング」は社会的に受け入れられている。
これをロリコン向けコンテンツにも適用すれば、新たな枠組みを作る必要がない。
一方で、無制限に流通させると「未成年の目に触れる」などの問題がある。
ゾーニングを徹底することで、両者の折り合いをつけることができる。
科学的なリスク評価が困難な以上、社会的合意に基づくルールが最適
疫学的データの取得が現実的でない以上、「実害があるかどうか」の結論を出すのは難しい。
ならば、「すでに社会的に機能しているゾーニングのルールに従う」のが最も現実的。
✅ロリコン向けコンテンツはポルノと同じゾーニングルール を適用すればよい。
✅未成年が触れられないように管理すれば、禁止する理由はない。
✅疫学的データを取るのが非現実的なら、既存の社会的合意を活用するのが合理的。
●概要
他者を助けようとすることと
それが押しつけや決めつけと思われることについて考えています。
この日記では、コミュニケーションの限界や共感の難しさについて考察していきます。
また、心の安寧を保ちつつ、他者の視点を理解し共存するためにできることを考えたい。
●コミュニケーションについて
頼まれもしない意見やアドバイスといった押しつけと受け取られることがあります。
どのような環境で育ち、どのような情報を見て・聞いて・経験してきたかが違えば、人それぞれ最終的に至る考えも変わる。
お互いの一部しか見えない為に
他者の経験の「完全な文脈を把握する」ことが難しいと考えられています。
個人としてできることとは
「黙って見守る」ことがいいのか
●無関心について
一見すれば冷たい人のように思えるが、もしかすると過去の失敗の結果なのかもしれない。
行動心理学によれば
「関わりを控える人の多くは、判断や対立を避けたり、さらなる危害を加えたりすることを避けるためにそうする」のだそう。
一方で、自己保身や嫌われたくないという理由であることも少なくないのかもしれない。
受け取る情報を自分で選ぶ(SNSであれば、ミュートする)ことができるのが当たり前の世の中で
苦悩に陥った人々は前頭前野や扁桃体の機能が低下し、肯定的なメッセージを受け入れづらくなると指摘されているそうです。
その為、救済ストーリーに触れる度に「綺麗事だ」と若干の嫌悪を感じてしまうこともあり、他者の助けや言葉を拒絶する人の気持ちも分かります。
相手を一方的に「頭がおかしい敵」と決めつけ、和解が不可能となり
(良/悪、正解/不正解、優/劣)として分断することになります。
これでは、誰も幸せになれないのではないでしょうか。
自分ひとりきりで生きている世界ではない為、解決にはつながりません。
●対話と傾聴
どれだけ仲が良くても、すべてを話せばどこかで衝突すると思う。
そこで解決策としては
極力"傾聴する"ことが大事なのではないでしょうか?
相違点を尊重しながら関係を構築していくことが重要とされています。
自分の平和が保たれている間は、全ての問題を解決しようとする必要はありません。
しかし、何もせずに黙っていれば、その平和がいつ崩れるかわからないし、何かが起こった場合でも受け入れる覚悟が必要です。
利己主義と、利他主義の他に、互恵的利他主義(ごけいてきりたしゅぎ)という概念があります。
生物学者の「ロバート・トリヴァース」によって提唱された概念です。
動物が他の個体を助けることで、後に自分が困った時に助けてもらう可能性が高まる、という行動のことで
「お互い助け合うことで、みんなが利益を得られる」という考え方です。
完全な利他行動で与え続けるのみでは、自分が潰れてしまうかもしれませんが
無理なく互いに助け合うことで、みんなが幸福になるという理論です。
長期的に見ると自分の存在自体が社会の改善につながるかもしれません。
短期ではなく、長期的な目線で物事を考えるということが重要です。
他人事でも綺麗事でもなく、自分が苦しい状況に陥った時に、助けてもらえる社会であってほしいと思いませんか?
最終的な結論としては
理解と共存は、言葉で話すだけではなく、他者を尊重する沈黙(祈り)にもかかっている。
対立や意見の違いを避けるのではなく、「違い」を尊重し合うことが、共存の為の第一歩なのだと思う。
↓↓ カラパイア「人は自分と違う意見を持つ人たちの考えを自信たっぷりに誤解していることが判明」
主な原因は、性ホルモンが脳の発達に大きく影響しているため。
成人男性と成人女性の群を比較対照すると、体積に差がある部位が多数見つかっている。
具体的には前頭前野および上頭頂皮質では女性が大きく、腹側後頭側頭領域および皮質下分布領域では男性が大きい。
ソースは米国立衛生研究所(NIH)で神経ゲノミクス発達部門のチーフを務めるアーミン・ラズナハンの論文。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32690678/
さらに言えば、脳の発達には社会的環境も大きく影響しており、男女不平等が大きい国ほど脳の特定部位の体積の差異もまた大きい。
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2023-05-10-1
18~40歳までの健康な男性3,798人と女性4,078人のMRIの脳の構造データを用いて、脳の皮質の厚さや表面積と性別間の不平等の指標の関係を調べ、右半球の皮質厚の男女差は性別間の不平等と関連が認められました。領域ごとの解析では、特に右前部帯状回で同じ関連を認めました。これは社会的・文化的な要因が脳の発達に影響すること、ひいては性別間の不平等を改善する政策が平等で公正な社会を実現するために求められることを示唆しています。
なお、胎児期のアンドロゲンの分泌異常により、生まれ持った外性器とは異なる性自認を持つようになるようだ。
性別違和は脳神経系とそれ以外が不一致を起こしている状態だと推定される。
こうした知見は、特定分野における男女能力の差を説明するものでは(まだ)ない。
男子は○○は好み、女子は××を好むという傾向に対して、科学的根拠を提供する段階にはなさそうだ。
脳の感情を抑制する部位ってのははっきりわかっていて、前頭前野なんだが、それの発達具合ってトレーニングとかで変えれるとされてる。
だから考え方や言葉ひとつで、そういうのを心機一転で完璧にかするのは無理で
重いものを頑張ってもってるうちに、筋肉ついて軽々もてるようになるみたいな
そういうのが必要だ。
無理だけど頑張ってそれをやるフェーズがある。
あとはまあ、そこ一番発達するのは幼児期だから甘やかされても過度のストレスかかってもよくないとか、年取ってボケたら一番に縮むのそこだから老人は感情制御苦手になっていくとか、そういうのもあるけど。
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限りPTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinokoマインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家として有名な立花隆。
「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」で、次のような予測を書いている。
滅びるどころか、テレビゲームは社会に浸透し、eスポーツとして社会に益をもたらしている。
前頭前野のβ波がα波に比べて低くなる。
β波が低くなった状態は、痴呆症(認知症)の脳波と一緒になる。
森昭雄の学説と実験については、ゲーム脳を支持した連中に負けないくらい、反論と批判が多い。
森昭雄が実験に使った「α波β波解析用携帯型脳波計」に問題があるとか、
さらなる問題は、ゲーム脳を肯定し、いい加減な結論を下した立花隆だ。
立花隆は2000年代前半に話題となった「キレる若者」についても、鵜呑みにしている。
「最近の若者は羞恥心がない」「若者の相当数は脳機能が低下してる」などの俗説を、無批判に垂れ流している。
考えなければならないのは、ゆとり教育で週五日制になった結果、子供たちがいちばんふやした時間がテレビゲームに費やす時間だったという事実だ。(P.329)
デジタルゲームとeスポーツの発展において、立花隆の言説は害悪だ。
死んで良かった。