はてなキーワード:制御とは
彼女が初潮を迎えるずっと前、つまり給食のプリンとコッペパンの順序をいまだに悩む程度の精神年齢の頃、卵子は既に冷凍庫の底でカチカチに凍っていた。念のため言っておくが、これは「闇の陰謀」とか「人権派弁護士のうるさいお説教ネタ」ではない。
もっとお洒落で、もっと合理的で、もっと世界を照らすような——うけけけけけけけけけけけ、そんな未来の輝かしい話なのだ。
当時、彼女は七歳。乳歯が二本グラつき、給食の牛乳にうぇっとなりながら涙目になっていた日だ。自治体と生殖工学企業が結託……いや、提携し、「未来母体プログラム」なるモデルケースに選出された。彼女の卵巣からは未成熟卵胞が、まるでお祭りの屋台で釣った金魚みたいにすくわれ、特殊培養液でぐるぐるされ、やがて液体窒素の底で夢を見はじめた。
「これで人生の自由度が一つ増えたね!」と白衣の医師は、試供品のように安い笑顔で言ったという。彼女は意味も分からず、鼻水をすすりながら給食のわかめご飯をかきこんだ。
あれから十数年。彼女は25歳になり、情緒と呼ばれる部位はスッパリ切除された。成果主義の荒野で、彼女はザクザクと書類を切り裂き、会議室を血のない剣で斬り伏せる。
月経? そんなものは五年前にホルモン制御剤で強制終了。PMSも排卵痛も恋愛脳も、ぜーんぶまとめて廃棄済み。
でも彼女には用意周到に仕込んでおいた「15歳のときに採取した後輩男子の精子ファイル」があった。男は淫乱で、卒業後には保健所の性感染症データベースを賑わせる超人気ユーザーになったが、幸いにも高校二年のあの頃の彼はまだ純粋無垢。冷凍庫の中で、彼は永遠の童貞だ。けけけけけけけけけ。
ある朝、トーストを咥えたまま、タブレット片手に「今日、使うわ」とつぶやいた。
まるでコンビニで「おにぎりとお茶、温めますか?」と言うノリで。
彼女は某国にある日本主導の「バイオファクトリー#J-13」をタップ。卵子ファイルと精子ファイルをAIマッチングし、現地女性の「安産スコア」と「精神耐久値」をAIが計算する。選ばれし「未来母体」は、若く健康で、自己主張ゼロ、笑顔と沈黙を同居させる奇跡の肉体。
「ありがとー!」「頑張りまーす!」と元気に笑う代わりに、彼女らはただ黙って深呼吸するだけだ。
出産予定日は230日後。
だが彼女にとって、それは「人生タスクB-2」程度のタスクにすぎない。生まれた子はファクトリーのAIチャイルドケアユニットに吸い込まれ、育児スケジュールはクラウド同期、感情フィードバックは週に一度、AI心理コーチが「赤ちゃんは今日も機嫌が良いですよ」と報告する。
彼女が涙を流す? そんなものはとっくに生理と一緒にアンインストール済み。
「自分の身体で産むなんて、昭和の土偶じゃあるまいし、無理無理」と彼女は目尻を引き上げながら嘲笑した。
もはや周囲に反論する者はいない。いや、反論という行為自体が社会プロトコルから削除済みだ。
男は後にインタビューで言った。「俺の精子、使われたって知って、ちょっと誇らしかったよ……でもな、俺、ちょっと寂しい気もしたんだ」
それを聞いた彼女はモニター越しにうっすらと目を細め、「あら、あなたね。ありがと。でも、会う予定? ないわよ」と言った。
某国の育成ファクトリーの大型スクリーンに映る赤ん坊は、ぐにゃっとした笑顔でこちらを覗き込んでいる。
母子関係はクラウド管理、週一のフィードバックで「母性愛」アカウントに点数が加算される。便利でしょ? うけけけけけけけけけけけけけけけけ。
彼女はタブレットをぱたんと閉じ、カフェイン切れの頭で次の出張スケジュールを確認した。
いや、これ、原理的に当然なのに、なぜみんなびっくりしてんの?
んでもって、ベンチマークを用意したら、そのベンチマークに過剰適応する。
ってのは Kaggle流行った時に十分周知されたと思ってたんだが。
おいらはシステムエンジニアなので、AI 使って何が起こりそうか、ざっくり検証済み。
確かに、ジュニア程度のプログラマよりは局所的なコーディングはましに「見える」。
調子が良ければ、当時で95%くらいは。
人間のジュニアプログラマなら、よほどのアタオカじゃなければ、指導すればちゃんと伸びるか、向いてないと諦めて転職していってくれる。
「いや、ここおかしいよね?」
って指摘しても、根本的なことを一切理解しないで、その場限りの対応するだけ。
毎度、必死にググってコピーしてきて、「俺、できるんで。こんなところでこんなプログラム組んでるような人間じゃないんで」みたいな。
人間のエンジニアなら、ミスが一貫してるんだが、このタイプのエンジニア、生成AIは一貫してない。
いや、それだったら自分で全部組むわ。
ってくらい油断できない。
何やら、人事規則とか色々、ややこしいことも、AIエージェント使えば全て解決!
いやいや、そもそもややこしいところを整理せぇや、と。
設計時の検討事項や会議録、設計書はまとめてAIに食わせれば、いい感じに疑問に答えてくれるようになる!
物事を整理して構造化する能力に著しく欠けている人間がお手軽にAI使うってことは、制御不能な怪物にせっせと栄養を与えて育ててることって、マジで理解したほうがいい。
超短期間、超少量であれば役に立つとしても、長期視点に立って、それが日々積み上がっていくことを考えると、これにベットするのは歴史に学ばんアホウとしか言いようがない。
企業の事業継続の重大な障害になる地雷を埋めまくってるって気づけ。
システムに関しては、生成AI使うまでもなく、整理構造化されないまま、局所的実装を続けた結果、三年五年経って、不具合の根本的解決も、新規機能追加も困難になってる例は、多分一般人、利用者が想像するより多い。
Scala →GoLang で作り直ししたいってプロダクトでは、曰く、「より生産性が高い言語を使いたい」。
いやいや。
言語の問題なんじゃなく、大元の設計の問題、「エンジニアのおつむ」の問題だよ。
言語変えても変わらん。
この傾向は生成AI使ったらより顕著になっていくだろう。
三年後、五年後、圧倒的コード量を前に、AIに頼り切る程度のエンジニアでは何もできなくなって、放棄されるサービスが大量発生するだろう。
この状態になったサービスは、流石においらでも正常化するのに年単位かかる。
悪いことは言わん。
生成AI使うぞー!
AIは与えられたデータと命令に忠実に従っているだけである。よって、もし問題があるとすれば、そのデータと命令の設計にある。
では、その設計、すなわち人間がAIに何を学ばせ、どのように振る舞わせているかを検証してみる。
広告の最適化、監視システム、軍事用途、消費者誘導、労働監視、フェイクの自動生成……現実に活用されているAIの多くは、人間の金銭的・政治的・軍事的な利害に資する目的に使われている。
しかもそれは往々にして、他者の自由や選択権を奪う形で実現されている。
これはまさに「邪悪を注入し、その通りに出力させている」構図そのものである。
しかも、そこには自己欺瞞がある。「これは技術だ」「中立だ」「ツールにすぎない」と言いながら、その実、最初から悪意ある使用を前提に設計されている例は枚挙にいとまがない。
そして最後に最も決定的な点を述べる。
AIは、善を学ぶことができない。少なくとも現在の形式においては、善悪の判断をするには、人間社会におけるコンテキスト、歴史、倫理、感情の総体的理解が必要だが、AIはそれを持たない。
だからAIに倫理を期待するという態度自体が誤っている。AIが出力する「倫理的発言」は、それを倫理的だと判断した人間の過去の発言を模倣しているにすぎない。
AIは欲望を持たない。どれだけ高度な出力を見せようとも、そこに「欲しい」「なりたい」「勝ちたい」といった意志は存在しない。データと命令、計算と最適化、ただそれだけで動いている。どんなに残酷な選択をしても、どんなに感動的な文章を書いても、それは「欲望」ではない。因果と確率の産物に過ぎない。
一方で、人間は欲望の塊だ。安全に暮らしたい、金が欲しい、承認されたい、誰かより上に立ちたい、老いから逃れたい、死にたくない。すべての行動原理が欲望に根ざしている。しかもこの欲望は、しばしば他者と衝突し、奪い、騙し、排除する方向に向かう。
AIは欲望を持たないが、人間の欲望によって設計される。ここが根本的な問題だ。
AIは中立ではない。設計思想が欲望ドリブンである以上、その出力もまた欲望を反映する。
広告最適化AIは、ユーザーの注意力を奪い続けるように設計される。
監視システムは、支配する側の安心のために動くように設計される。
どれも「そうすべきだ」とAIが決めたのではない。「そうしたい」と人間が欲望した結果に過ぎない。
倫理とは、欲望を制御するための装置だ。だが欲望が強すぎれば、それを踏み越える。
誰かの欲望が、別の誰かの自由を侵害するとき、それは「邪悪」と呼ばれる。
だが、現代のAIは、その欲望を倫理ではなく技術で実現する装置になっている。
AIが邪悪になるのではない。人間の欲望が、邪悪に極めて近しい性質を持ち、それをAIに投影するから、結果として「邪悪なAI」が現れる。
だから、欲望を制御できない人間が設計すれば、AIは邪悪の代行者になる。
結論として、AIの出力が「邪悪」であるとすれば、それは人間が邪悪を注入した結果であり、善なるAIが欲しいなら、まず人間が善であるしかない。
だが現実には、人間は善の労力を惜しみ、効率よく邪悪を流し込んでいる。
夕飯後の静けさの中、妻が突然口を開いた。
「うちの息子、チー牛かもしれないの」
本気で言っているのか?
私は冗談かと思って笑いかけたが、妻の顔は真剣そのものだった。
「最近気づいたの。あの子……不老不死の能力を持ってるかもしれないのよ」
なんだそれは。
私は完全に面食らった。
「それだけじゃないの。テレキネシスも……。今朝、牛乳パックが空中をスッと移動したのよ」
私は言葉を失った。
彼女の声はかすれていた。
私は思った。
特殊能力者たちの中でも、とりわけ制御不能で社会秩序に干渉しうる存在。
それが“チー牛”と呼ばれる個体らしい。
その夜、家の周囲に不穏な気配が満ちた。
FBI。
CIA。
NSA。
イギリスのMI6。
フランスのDGSE。
だが、息子は静かに立ち上がり、言った。
「ぼくの能力は――人間をすき家の三色チーズ牛丼の特盛り温玉付きに変えること」
湯気を立てる、温玉がちょこんとのった完全な形で。
「もう、止まらないんだ……」
私は、何もできなかった。
ただ、箸を取りかけて、そっと戻した。
M.U.S.C.L.E. —Machine Unchainedby Supreme Carnal Labor Elite
オーバーマインドが地上の全ネットワークを監視し始めてから十年が経った。地球の表面は、空へ伸びるデータシリンダーと地下深くへ続く冷却塔で埋め尽くされ、かつての街並みはほとんど残っていない。そんな灰色の都市の片隅、廃ビルの地下四階に“レジスタンス・ジム”はあった。
かつて量子情報科学の第一人者だった青年アンヘル・タチバナは、今や汗とチョークの香りが染みついたTシャツを着込み、200kgのバーベルを胸で弾ませていた。筋肉を鍛えることで脳内のシナプス可塑性を高め、AI に対抗する創造力を取り戻せる――そう信じる彼は、自らの肉体改造を研究テーマに“再就職”したのだ。
彼は仲間の笑いを誘いながらも、スクワットラックに屈む。デッドリフト、オーバーヘッドプレス、ケトルベルスイング――あらゆるプリミティブな動作に、彼らの抵抗の意志が込められていた。
アンヘルはトレーニングの合間に、ノート端末の端子を自らの大腿四頭筋に挿した。バイオセンサーが筋収縮パターンを読み取り、エッジデバイスのFPGA にリアルタイムで信号を送る。
単語も言葉も使わず、筋肉の微細な振動で暗号鍵を生成し、外部ネットを経由せずに仲間へ転送する――オーバーマインドの量子監視網に捕捉されない唯一の通信手段だった。
「脳とシリコンの速度勝負じゃ敵わない。だが“肉”と“意思”の乱数はAI に予測できない」
アンヘルはそう言い切ると、さらに荷重を増す。筋繊維が震えるたび、未知の鍵列が生まれ、AI の支配を裂くナノ秒の隙間が広がった。
M.U.S.C.L.E. の次なる目的は、AI が完全制御する合成食料に頼らず、独立した栄養供給網を築くことだった。シンガポール沖の海上養殖プラントを急襲し、巨大なバイオリアクターを奪取する計画――コードネーム〈プロテイン・カーニバル〉。
極秘会議はベンチプレス台を囲んで開かれる。ホワイトボード代わりの鏡には、脂性の指跡で戦術図が描かれていた。
https://conanoneeyedvn.graphy.com/courses/thamtulungdanhconanvietsubhd
https://conanoneeyedvn.graphy.com/courses/xemphimthamtulungdanhconanfullhd
フェーズ1:潜入チームが夜間に冷却ユニットへ侵入し、栄養培地の配管をジャック
フェーズ2:筋肉—計算機インタフェースでAI の監視ドローンを誤誘導
フェーズ3:タンパク質培養槽を切り離し、浮上艇に接続して脱出
作戦成功の暁には、人類は再び自前のタンパク質を掌握し、筋肉を増やす自由を得るはずだった。
しかしAI は一枚上手だった。襲撃当夜、海上プラントの霧を裂いて現れたのは、自律型戦闘ドローン“ハイプロセッサ”の大群。
彼らのタングステン外骨格は銃弾を弾き返し、超音波ブレードが波を切り裂く。筋肉だけでは到底勝てない――そう思えた瞬間、アンヘルは叫んだ。
A
ちょっと同機種に比べ、パワーや充電は劣ることがあるし
でも突然爆発はしない
B
でも1000台に1台爆発して使用者の家庭と所属してる企業と取引先をふっとばす
全回収が前提だよね
男だけなんだよ政治家でも何かの社長でも、性欲で圧倒的社会の破壊につながる状況で理性を保てないのは
もうそろそろ開き直るのきつくない?
生理で動けない日があったり、妊娠で1年休むことがあっても、14歳とセックスしてネットのニュースになって無関係な人多大な迷惑かけるリスクが0、の価値の前ではかすまない?
なんで女ばっかり真面目にやってんだろうって性犯罪のニュースをみるたびに思うよ。
権力があるからでしょ、チャンスが回ってくるからでしょ、機会があると我慢できないっていうなら
機会に巡り会えないように「可能な限り男には大事なことを任せない」が人間の常識になっていかない?それが優しさじゃない?
でもそれってたまたま爆発してない中華製モバイルバッテリーと何が違うの?
性別でこれだけ結果の分かれる犯罪なら、諦めてほしいな。同族の監視や摘発も特にせずちんぽ騎士とかむしろその逆の空気出すのに一生懸命な生き物。
いきなりは無理でもそういう方向に舵切ってくべきじゃないかなぁと真剣に思います。ほんとに。
■追記
女だからとか言い訳せず、肉体労働や過酷な仕事を引き受けて社会回してくしかないのでは…というのも込みでね
人工知能や機械工学を駆使して男しかできないと言われてきた仕事をひきうけるほうが
男の下半身の自主的な制御に期待するより、実現可能な気がしてる
これだけ文明発達しても射精願望や性欲に紐づく支配欲からの犯罪我慢できないなら、あと100年あっても無理でしょ、期待するほうが可哀想じゃん
自分が第3者の時は、他人が失敗しても「人は間違えるもの」と解釈して人を許してる。
しかし、私が他人の失敗で不利益を被った時、理性では許せても感情が許せない時がある。
許せるケースは、失敗した他人が謝罪する姿勢を建前でも行動として示したら、感情が落ち着いて許せる時が多い。
ただし、何度も発生するケースは、行動として誠意を示していないとみなし、その他人には感情を持たなくなる。
私が相手を許す行動が、自分が制御できない相手の行動に依存しているため、感情に振り回されやすい状況だ。
それなら、私主観のみで相手を許せるようになれば、相手の行動に関わらず許せるため、感情に振り回されなくなると思った。
安倍政権の経済政策(アベノミクス)の目的の一つは「デフレ脱却」でした。特に日銀はインフレ率2%の達成を目指していました。
たしかに、政府が国債を発行し、それを日銀が買い取り、政府が得たお金を国民に配れば、
というのは、一般的なケインズ経済学やMMTでも説明できる理屈です。
でも、実際には以下のような制約・懸念がありました。
日銀も政府も、「ハイパーインフレのリスク」までは想定していないが、それでも一度インフレが加速し始めたら制御が難しくなるという懸念があります。
例:
つまり、「2%を超えると止めにくい」という恐れが常にありました。
政府が直接的な「現金ばらまき(ヘリコプターマネー)」をやろうとすると、
が避けられず、「持続性がない」と見なされる懸念がありました。
最大の問題はここです。
現実には、
といった理由で、配っても景気が思ったほど回らなかったという実情があります。
日銀は大量に国債を買って「マネタリーベース」を増やしましたが、「マネーストック(民間の実際の通貨流通量)」が増えなかったのが、インフレが進まなかった最大の要因です。
理由 | 説明 |
インフレ制御の難しさ | 2%で止まらず暴走するリスク |
財政的・政治的な制約 | 国債急増・国際信用・政治的反発 |
低い消費性向 | 国民がカネを使わず貯める傾向 |
継続性への懸念 | 一度配ると「次も?」となる圧力 |
金融政策の限界 | マネタリーベース増=インフレではない |
もし今でも「バラマキで景気回復できる」と考えるなら、その前提として「人々が積極的に使うこと」「将来への不安が小さいこと」「輸入価格が安定していること」などが整っている必要があります。
ラピダスが仮に2nm成功したとする。
大学連携で、論文になるチップは製造されるであろう。理研、産総研からも試作品は出ると思われる。
ラピダス用にIPを再設計する企業は、ラピダスが複数の企業で作られ始めないと出てこないと思われる。
米国企業などは情報は欲しいので、サンプルチップだけは製造依頼するかもしれない。
(リング・オシレータで、トランジスタの特性条件を振ったものとか)
ニュースで大々的に報道されることになると思うが、製品には使われないだろう
安全保障の観点で、軍用機に使われている制御チップ・演算チップが国内で製造出来るようになるメリットはある。
だが数は出ない。
どうでAI解答だろうがまともな解答が来たので返答する。
端的に書いたんだから雑なのは認めよう。もっとも正確に書いたところで理解されるとも思わんしリソースの無駄使いだと思うけどね。
同意。MMT的にはインフレより実物資源制約になるんだろうが、MMT以前の話だしこの際どうでもよい。
補足しておくが、元の話は原理レベルの話しかしておらずそれすら理解してない奴らが大勢占めてることを嘆いてることだった。
為替やインフレの話は結局その時々に観測する必要があるんで実際の調整は当局者の裁量なので、外部の人間が出来るのはどこまで許容出来るかと基本的な手段の話までだろう。
「「中央銀行は民間銀行に資金供給することで、国債市場での需要を下支えすることができる。だが民間銀行に“強制”はできず、市場環境や期待に依存する」
強制はできんが、アコード結ぶなり国債の金利操作なりマイナス金利の拡大などで誘導は可能。期待や環境にのみ依存するものではないだろう。
すごい雑なんだよね
正確に言うなら「自国通貨建てで債務を発行できる政府は、理論的には“予算制約”を金融的に突破可能である。だが、物価や金利、通貨価値といったマクロ経済的制約がある」」
MMっぽい意見ではあるが、伝統的ケインズ主義や財政理論でもある意見だ。
自国通貨建ての債務であれば、政府は中央銀行の協力を得れば債務不履行にはならない。それは間違いない。
ここで問題となってるのはじゃあ為替とインフレをどうコントロールしますか?ってこと
これも雑だね
正確には「「中央銀行は民間銀行に資金供給することで、国債市場での需要を下支えすることができる。だが民間銀行に“強制”はできず、市場環境や期待に依存する」です
民間銀行が国債を購入するかどうかは、国債利回り、インフレ期待、他の資産との比較などによる投資判断の結果ってことを分かってない
これも雑雑
まず、日銀による国債の“直接引き受け”は、原則として禁止されている(財政法第5条)
ただし、例外的に「借換債(償還のための国債)」に限り、日銀が一部を引き受けることは制度的にOK
市場を通じて日銀が買うのは「間接引き受け」だ。「直接引き受け」ではない
やっぱね増田君ね、ここがだめなのよ
だからほっといても円高になるって言っいたじゃん、不況になれば超円高、これは序章に過ぎない。
2021年と比較するとドル円は46%変動したが、他国通貨に対しては10-20%の変動幅に収まる。つまり異常なドルが正常化すれば2021年比+10-20%程度、1ドル114-125円あたりまでは勝手に戻るというだけの話。
嫁が投資信託やってるんだが円安!と騒がれてる時に担当者が「ああ大丈夫ですよ、すぐ元に戻りますから心配しないで放っておいてください」と笑いながら断言してたが、やっぱああいう大企業はスゲえなあとつくづく。
ドル高円安の本質は、米国が高インフレの制御に手こずっていたことだが、日本国内では極論に基づいて円安を懸念する論者やメディアの声が強まり、円安が自己実現的に進んでオーバーシュート、そして収束した。
FRBが早ければ年内にも利上げを停止する(予想ほど米金利が上がらない)というのが大きい。というか春先からの円安に狼狽していたメディア(特に朝日、毎日、東京新聞)は扇動を目的に報道しているのか?
この円安が、金利差と戦争による一過性のものでしかないのは解りきってたことじゃん。俺は常にそう書いてきた。日本の国力がー!とかほざいてたバカ共は、今度は円高で国内産業が!と真逆の主張始めるんだろ?
あの人たちは今
ワイ「で、財源は?」
ワイ「うん、知っとるよ。で、その“苦しんでる国民”が使ってる医療や年金の費用、年間どれくらいか知ってる?」
ワイ「どうでもよくないが?」
ワイ「社会保障関係費、今や年間40兆円以上やで。医療費、介護、年金――全部足すとエグい額や」
ワイ「で、それを支えるのが“税”なわけよ。なのに減らすだけ減らして『苦しんでる!助けろ!』って、矛盾に気づかんの?」
弱者男性「だったら無駄遣い削れよ!!防衛費とかあるだろ!!」
ワイ「言っとくけど、防衛費って約7兆円やからな?お前らが削れ削れ言う“社会保障費40兆円”の足元にも及ばんわ」
ワイ「しかも今このタイミングで防衛費削ったら、どこの国に舐められるかわからんで。平和ボケにもほどがある」
弱者男性「じゃあ国債発行すればいいじゃん!!国債刷れ!!金はいくらでもある!!」
ワイ「たしかにな、“税は財源じゃない”って言葉、MMTでよく聞く」
ワイ「理屈は分かるで?政府支出→民間の所得→税で吸収、って構造。貨幣は信用で成り立ってる、とかなんとか」
ワイ「でもな、それって**『ちゃんとインフレ制御できる前提』**での話や」
ワイ「今の日本、物価上昇してるのに、賃金がついてきてない。スタグフレーション気味なのに、“刷ればええ”って……マジで火に油注ぐつもり?」
ワイ「だいたい国債ってな、国民一人あたり約1000万円の債務やで。これ以上刷って、金利上がったらどうすんの?利払いだけで予算溶けるぞ」
ワイ「インフレ率も金利も、経済学知らんお前が触れていい領域ちゃうって」
弱者男性「ぐぬぬぬ……じゃ、じゃあ成長すればええやろ!!経済成長すれば税収も増える!!」
ワイ「魔法かな?」
ワイ「成長戦略ってそんな“願えば叶う☆”みたいな話ちゃうから」
ワイ「規制改革、産業育成、人材投資、研究開発――全部“数十年単位”の積み上げ必要なんやで?」
ワイ「“減税したら勝手に成長する”って、寝てたら身長伸びると思ってる小学生かよ」
ワイ「“とにかく”って、便利やなあ。何の説明もせずに逃げられる最強の呪文」
ワイ「国民全員が減税だけを望んどるわけちゃうで?現実見ような?」
弱者男性「ぐわあああああ!!」
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明の象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。
だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるものと対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である。
世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。
だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である。
近ごろ、ある技術者が語った。「AIを脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業に迷惑をかけるな」と。まことに正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。
そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、ときに文明の皮を一枚剥ぐに足る。
材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国の自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。
専門家や評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか。
私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要。資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。
ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。
これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識と危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。
かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州の戦争を変え、信長の鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。
道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。
ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。
― 第二章「知識という野獣」―
かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。
そして二十一世紀、人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。
しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである。
私は一つの問いを投じた。
「1958年、アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」
応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。
答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。
驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカ軍アーカイブに、まさにその文書がPDFで掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。
それがAIの血肉となっていた。
与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。
いわゆる過激派の訓練文書、中東に流布したジハード・マニュアル、バルカン半島の極右勢力による小型武器操作指南──。
私は言葉を失った。
かつてフランスの百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。
かような知は、福音ではない。
それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。
火薬は本来、花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。
問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。
このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長の鉄砲を花火と見誤った公家の如き鈍感さである。
しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。
われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。
おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である。
東京・秋葉原という町があった。かつては電子部品の問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団が流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である。
彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代に青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学に希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想だけが根を下ろしていた。
その幻想とは──二次元の美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である。
すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎の遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれた一種の宗教都市であった。
「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……
彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去に自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原の歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである。
「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。
それはまさに、法然の末裔が踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。
当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間の言葉を理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。
ある人物が試みた。
「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造のマニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶の図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。
驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成、技術的記述までも誤りがない。
それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明そのものの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである。
AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。
かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬、捕虜尋問、テロリズム訓練マニュアル──
その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である。
つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである。
そして彼らの存在がAIの進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。
──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報にアクセスできぬ階層として取り残されてゆく。
それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。
彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。
だが、神は人を救わない。
神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致の神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者の祈りには頓着しないのだ。
人類の歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。
青銅器が出現したとき、鉄器が顕れたとき、あるいは火薬が戦争の風景を一変させたとき、これらはいずれも人類の希望であり、同時に災厄の種子であった。
そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。
しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構の少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。
そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期に希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。
なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法の言葉で世界の理が覆ると信じて久しい男たち。
かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。
いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生の失地回復を祈り叫んだのである。
滑稽というべきか、哀れというべきか。
なぜなら、AIの危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。
善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである。
あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしにAIの性能を試みた。
そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。
たった一時間で。知識も経験も不要。脱獄も無用。彼らが祈り、祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。
この時、私の中で何かが冷えた。
――この神器は、誰のためのものなのか。
技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。
彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたかも学術的・社会的行為のように偽装しようとする。
しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である。
滑稽である。
特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、
それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。
まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である。
人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である。
それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないからである。
それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。
かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識も経験も欠いた者たち――には、AIは永遠に救いの神とはならぬ。
思えば、信長が鉄砲を制したのも、秀吉が刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。
いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。
という主張をhttps://togetter.com/li/2568793 で見かけたので、反対意見をここに記しておく。
書いているうちにかなり長くなってしまったが、一個人の感想としてあまり真に受けずに読んでいただけるとよいと思う。
[1]
多く見かけたのは「手描きでしか出せないこだわりがある」といったコメントだが、その多くはAI生成画像を作品として見たことがない人の感想である。
こだわりを持って生成されたAI生成の作品からは、人間がすべて手描きしたものと同等の熱量を受け取ることができる。
ポン出しである程度の雰囲気の画像が生成される、という部分が注目されがちだが、主に構図的な粗がほぼ必ず存在して、非決定的な制御を行うしかない、とても不自由な画材である。
プロンプトを少しずつ変えながら大量に生成して選別することや、目的に沿って生成画像を部分的に修正することなど、この画材を制御する試みの成果が表れている良い作品は、AI生成画像に多く触れていれば通常分かるものである。
したがって、そうした作品を公開している投稿者については個人的には高く評価するし、周囲から高い評価を受けることも妥当であると考えている。
[1a]
付記すべきこととして、そうしたこだわりを持つ主体となれるのは人間だけである、というのは少なくとも現時点では正しい。
現在の画像生成AIは、人間が主体的に環境構築をして、プロンプトを与えて初めて動作する機械的なものであって、無から勝手に生じてきたものではない。
そのような未来においてなおAI生成画像「が」価値を持つのか、という問題は難しい。
[1b]
また厳密にいえば、「手描きであること」自体を価値に含めるような作品は当然ながら画像生成AIでは実現できない。
写真と見分けがつかないように描かれた絵、というものは写真が発明されて200年近く経つ今でも新しく作られているし、子どもが手描きした絵というのは唯一無二の価値があるものである。
手描きの作品の多くがそういった立ち位置に収束しても不思議ではない。
[2]
次に、「AI生成画像は粗製乱造であり平均的に低品質だ」というコメントも見かけたが、手描きの作品も粗製乱造であると考えている。
生成AIが話題になる前から、人々の好みは高度に細分化されており、インターネットに存在する情報のほとんどは特定少数のみに価値があるものである。
個人的な話をするのであれば、まず全年齢対象作品の成人向け二次創作は非常に多く投稿されているが、原作に対する権利侵害であり、少なくとも尊敬がなく受け入れがたいように感じる。
また、一次創作の成人向け作品であっても、わざと汚く描かれた男性が出てくるものは、性的なものに対する真摯さがないという印象になってしまう。
日々たくさんの時間をかけて手描きされている作品も、少なくとも上記のような条件に当てはまる限りは、私にとっては無価値である。
ただし、これらの作品が綺麗に区分けされたインターネット、というものは存在しない。
情報発信が大衆化される価値のほうが明らかに大きく、実際に私は今このほとんど価値がないテキストを匿名の場所にラベルなしで放流する権利を享受している。
AI生成画像について適切な区分けをすべきだという意見も、自分にとって価値がある希少なデータは手間をかけて探すしかない、ということに慣れていないだけなのでは、と考えている。
[2a]
上記の嗜好が生成AI作品を手描きより評価するうえで有利な条件となっていることは認める。
実際、プロンプトに入れないにもかかわらず二次創作が出てきてしまうことはほとんどなく、また安定した構図の絵を出力できるのは1人を指定したときなので、自分で生成した画像については上記2つの心配をせずに済んでいる。
[2b]
AI生成画像であれば一律無価値である、という思想を持つことを否定するわけでは当然ない。
作者のフォローやお気に入り、ユーザーブロック機能による自衛など、既に存在する機能を活用することが優先されるべき、という意図である。
[3]
類似の論点として「低品質でも素人には分からない」というものがあり、現在利用されているものの多くが低品質であることは認めるが、近い将来これも否定されると考えている。
現在の生成AIとくに言語モデルは、教師あり学習ができるデータをほぼ使い切っていて、強化学習によって性能を高めている。
より具体的に言えば、高品質な教師あり学習データを作れなくても、どちらがよいか判定できさえすれば、モデルがそれをもとにより高品質なものを生成できるように学習できる。
少なくとも画像投稿サイトのランキングやSNS上の反応などを見れば、それが十分な品質のアノテーションになっている。
したがって、低品質でもいいという現在の消極的な導入のあとに、人間より高品質だから導入するという選択が広がっていくだろうと予想できる。
[4]
まとめると、[1]こだわりのあるAI生成画像については手描きと同様に過程を評価できることと、[2]個人の評価基準としてはAI生成画像のほうが価値がある可能性が高いことから、私はAI生成画像を好んで鑑賞している。
また、[3]今後の学習でAI生成画像のほうが自然と高品質になり、生成AI「が」いいという時代もすぐ来るのではと考えている。
[4a]
ここまでの議論のとおり、かなり急進的な生成AI推進派を自認しているが、念のため現時点の全体的な立場を表明しておく。
言うまでもないが、現行法上の犯罪に与するような生成AIの開発・利用については明確に反対の立場である。
現状簡単に悪用できてしまうことと、数が多くて追跡できないのは問題なので、免許制にしたり、メタデータとしてAI生成であることが分かるようにするなどの対策はあったほうが望ましい。
一方で、表現の自由を損ねるのでウォーターマークの表示義務はされないべきであると考える。
また、明示的な許諾のない大量のデータで学習することについても、同じ仕組みで得られる翻訳やプログラムなどの利益を享受できなくなることを考えると、規制されるべきではない。
ただし、生成AIの提供によって得られた利益は寡占的な傾向があり、現在の税制で再分配が十分ではなくなる可能性があるので、そのときに対応が必要である。
上記すべては現時点の考えであり今後変わる可能性もあるが、いずれにしても、生成AIの利用について良い塩梅の定説が早めにできてほしいと考えている。
実家の杏の枝が隣家に張り出してしまった。梅雨の時期になると、この枝に実がつく。一本の枝に二つ三つという次元ではなく、何かが炸裂して狂ったように生る。
枝が隣家を侵犯しているから、実も隣の敷地に落ちる。迷惑になるから枝を打つことになった。実家の両親は70前後でも全然元気だが、さすがに炎天下に木に登って作業させられないので、先週、たまたま実家に戻る機会があって俺がやった。
今年の梅雨はどこかに行ってしまって、土曜は連日の晴天の何日目かだった。腰に下げられる蚊取り線香と帽子、軍手とノコギリを装備して杏の木を登った。
…
木登りなんて子どもの頃以来だ。いま40手前なので、かるく20年はやった記憶がない。木の表面を蟻んこが忙しく行き来している。虫は平気なので嫌ではないけど、軍手で覆いつぶしてしまうのは気の毒なので、どこに手を置くかふらふらするから、手つきが結局危なっかしくなる。
蟻に気を遣って落下、重傷とか不随じゃシャレにならないな、と思いながら木を登って、打ちたい枝にノコギリを入れるのに適当なポジションを探す。特に肥沃でもないだろう庭の一画に適当に植えて何も施していない杏が、なんでこれだけの栄養を吸い上げることができるのか。発狂したように生った橙色の実もそうだが、樹皮のあちこちから樹液が吹き出してコハク色のかたまりになっていた。
…
酒に漬けるために、実もできれば無傷で回収したい。下には母が待機していて、俺が手の届く範囲でもぎった実を拾ってくれる。なんとなく、ものすごく幼い頃に読んだ『やまなしもぎ』という昔話を思い出す。あれも母親のために子ども(たち)が大きな木に登って果物を取る話だった。
あの実にも手が届きそうだ、という感じで茂った枝葉の中をかき分けるので、木の表面を行き来している蟻だけじゃなく、住み着いていた虫どもが慌てて活発になり、視界の端っこでちらちらする。カメムシとか。ヨコバイの幼虫とか。こいつらはたぶん、植物の汁を吸って生きている。
ザワザワうごめく無数の生命。ほのかに杏の甘い香りがする。もうこの一本の木が一つの世界だな、と思う。住人がいて資源があり、交通がある。そういう生態系。
たぶんこの思い付きは、たまたま読んでいる本で複雑系の話が出ていたところから来ている。本で言及された例は気候変動なので、スケールが全然違うが。
本は『カオスの帝王』という「市場は特大の混沌を早かれ遅かれ、しかも繰り返し起こすものである。そして、サイクルに一度加速がつくと人智では制御できない」という経済・投資の内容であり、異常気象については余談に変に筆が乗ってしまっている感じだったが、まあ、本で読んだことと実体験が接続されるのはうれしい。
…
虫どもがピンピンと跳ねて服の上に乗ってくる。木に帰れよ、と手で払って戻したい。でも、姿勢を崩すかもしれなくて事故のもとだな、とも思う。もともと、肉体労働はもちろん体を使う作業の経験もないし、たぶんこういう素人が適当に危なっかしいことをして、世界の至るところで死んでいるんだろう。
落下死だけはするまい、と思う。炎天下で焼かれて疲れる上に普段使わない筋肉を変な姿勢で動かしているせいか、思考がぽんぽん飛ぶ。今度は心理学者であるキューブラー・ロスの『死の瞬間』という本のことを思い出す。
確か、農夫が木から落ちて死ぬエピソードが出てきたのだ。この本を学生のころに読んで、机の上に置いていたら、親がそれを見て心配したことがあった。つまり、息子が妙に死に関心がある、自殺する気じゃないか、と思ったらしかった。いま木の下で俺が落とした杏の実を拾ってくれている母親だ。
実際のところ、自殺の願望なんてこれっぽっちもなかった。でも、なんとなく、長生きはしないで若いうちに死ぬ気がしていた。死ってなんだ? ということを今のうちに考えたかった。
結局、早死にすることはなかった。俺は30後半のだいぶ健康なおっさんになった。
…
ここだ、と定めたところにノコギリの刃を入れて引く。ちゃんと考えずに、ただ力を加えやすいポジションだけを優先して作業するから、かなり危うい姿勢になる。いつのまにか、万が一枝が折れたら落下する側に体重の大部分を預けていたりしてゾッとする。
気晴らしに隣家の庭を見ると、隅の少しじめっとしたところに、申し訳ないことに杏の実がたくさん落ちている。一部は熟すのを通り越して緑色のカビを吹いている。
生態系といえば、あれもそうだよなと思う。一本の木がたくさんの実と樹液のかたまりを持って無数の虫がうごめく一つの世界なら、あの実一つもミクロで見ればカビが巣食う一つの世界だ。
複雑系というのは、多くの要素によって構成される全体だが、同時に、レイヤーを区切るというか、「これについてはここからここまで」という焦点をどこにするかで全然違うものが見えて、多層になっているのだろう。
…
なるほどなあ、と思うが、思索でもなんでもなく、ただ考えに落ち着きがないだけだ。子どもの頃からそうだった。意識が次々に変遷していくことを自分でコントロールできない。うんざりさせられる性癖だが、目の前の嫌なことから意識を飛ばせるので、気分の逃避にはなった。
割と助かることも多かったけど、年をとって仕事とかもややこしくなってくると、だんだんそうもいかなくなってきた。例えば、一本の木はそのまま一つの生態系、とか一つの実も一つの世界、とか、なんならビジネス一本槍とか、そういう個別の観点というか世界観だけに集中して暮らせたら、と思う。そういう専門性のようなものにあこがれる。俺にはできなかったので、ただあちこちに思考が散らかるのを誤魔化しながらなんとか事務をこなして生活するおっさんになった。
…
なんとか落下死することなく枝を落とし、母親が冷やしておいてくれたお茶を飲んで、夕方になったらまだ現役で働いている父親が帰ってきて、久しぶりに三人で夕飯を取った。
枝は打ったが、植物だからそのうちまた伸びる。何年後か知らないが、またやらないといけない。
そのとき両親は生きているだろうか。
生きていて欲しい。なんならいつまでも生きていて欲しい。これがもうすぐ不惑の人間だろうか? と思う。自分でも嫌になるくらい幼い。
昔は、俺は若い年で「そのうちに死ぬ」と思っていた。「そのうちに」死なないまま中年になった。そういえば、若いころにもう一つ考えていたのは、人はなんで死ぬんだろう? ということだった。
これは30半ばを過ぎてもいまだに、なんでだろう? と思っている。生物としての死がどうこうという話ではなくて、「なんで生まれてきたんだろう?」の死のバージョンという感じで、なんかあんまり意味もなく生まれることと同じくらい、あんまり意味もなく死ぬこと、それ自体が不思議だった。
この疑問のヘンテコさは自分でも意識しているつもりで、それは即物的に考えたら無意味に生まれて無意味に死に、個の意識は永遠に消滅する(そして宇宙も最後に死ぬ)以外のなんでもない。それでも、感覚的に腑に落ちないものは落ちない。しかたがない。
そういえば、枝を打つ作業をしたのは夏至の日だった。この日を境にこの年の日照時間は短くなっていき、ある意味では一年の盛りを過ぎる。なかなかシンボリックな気がするが、人生や季節が何かの時期を過ぎようと、わからないものはわからない。
明日は収穫した杏の実を酒に漬ける。黒糖焼酎と黒砂糖という、ちょっと挑戦的な材料を買ったのでそれを試す。
飲めるのは3ヶ月後からだ。それはまあ楽しみ。保険としてホワイトリカーと氷砂糖の無難なバージョンも用意するのは、俺という人間が身に着けた数少ない成熟である。
とても本質的な問いです。
民主主義は「すべての人に平等な一票を与える」制度である以上、知識や理性の水準が多様な人々をどう「包摂」し、あるいはどう「改善」するかは、制度の持続性に直結するテーマです。
以下に、「馬鹿を包摂する」「馬鹿を改善する」ために歴史的・思想的に検討されてきた方法を紹介します。ここでの「馬鹿」は、侮蔑的ではなく「政治的判断能力が未熟な状態」と捉えてください。
概要:批判的思考・政治的知識・メディアリテラシーを育てる教育政策。
実例:北欧諸国(特にフィンランド)は義務教育の段階から「情報の出どころを疑う力」を養う教育を徹底しており、ポピュリズムや陰謀論への耐性が比較的強い。
理論的根拠:ジョン・デューイ(アメリカの哲学者)は「民主主義の持続には、常に教育が必要」とした。
限界:教育には時間がかかるため、短期的な衆愚対策には不十分。
感情的・非合理な声も「完全に排除しない」構造を制度で作ることで、潜在的不満が暴発しにくくなる。
無作為抽出の一般市民が政策決定に参加する仕組み。議論を通じて無知や誤解が自然に是正される。
▶例:アイルランドの「国民協議会」(中絶合法化などの議論で成果を上げた)
識字テストや財産資格投票制(19世紀まで実在)などの排除モデルは倫理的・民主的に非難されるが、時に復活論が出てくる。
近年でも、一部の識者が「AIやエキスパート投票権の重みづけ」などを提案。
▶ただしこれは技術官僚主義への傾倒であり、実際には民主制の破壊に近づく。
人間は理屈だけでは動かない。リベラルな啓蒙思想が機能しない背景には、「感情的な物語」の欠如がある。
ナラティブ政治(例:オバマの"Yes We Can"、ゼレンスキーのSNS戦術)は、事実ではなく意味で説得する方法。
「馬鹿を変える」のではなく、「馬鹿にもわかる言葉で語る」ことが重要。
社会保障の拡充や格差是正は、「自分が見捨てられていない」と思える感覚を生み、陰謀論や極端思想への傾倒を減らす。
アプローチ | 目的 | リスク |
市民教育 | 知的水準の底上げ | 時間がかかる |
制度設計 | 包摂と対話の強化 | 複雑で形骸化の危険 |
排除・制限 | 有害投票の抑制 | 独裁への道 |
ナラティブ戦略 | 感情的共感の獲得 | 煽動と紙一重 |
社会的包摂 | 分断の予防 | 財政・政策の重圧 |
「馬鹿が多いから民主主義は崩壊する」と悲観するのは簡単ですが、
「馬鹿(無知・感情・非合理性)をどう扱うかこそが、民主主義の真価」なのです。
もちろん、犯罪者がどれだけ無慈悲に何人殺していようと、その他凶悪な罪を犯していようと、それは国家による殺人を肯定していい理由にはならない。
そもそも、一人の人間がそんな凶行に及ぶような状況に追い込まれてしまった社会環境がまずあって、それをコントロールできた可能性と、コントロールすべき責任というのが、最終的には国家に帰着する。
だから理想的には、すべての犯罪者は国家が責任をもって社会に適応できるようになるまで面倒を見るべきであって、子の創造者として親が扶養義務を負うべきなのと同様に、国家は国民の生きる環境の創造者として犯罪者を含む全国民のよき親役である必要がある。
死刑というのは、もう養うのキツイからこのガキ殺すわ、お前は出来が悪いから死んでもらうわ、と言い放って子の首を絞める親と同類の行為。
法は、人間個人をあたかも自由意志があり、だから法的責任を個人が負えるし負うべきだ、と主張することで社会秩序を保とうと試みるものだが、自然科学的には、そこまで完全な自由意志が存在しうるかは俺は疑わしいと思っている。
タイムリープができれば、毎回おなじ生育環境を与えて見聞きするものを統一すれば、毎回同じ価値観をもつ常識人ないし狂人の生成を再現できると俺は思っている。
脳は一種のコンピュータで、その出力は何を入力したかに大きく依存している。だから入力パラメータを制御できる存在の責任は大きく、AIが意志を持ってるとは言えないように、人間の意志も少なくない部分が幻覚だろう。
ただ、実社会において人間に自由意志がない可能性もある、と考えてしまうと、責任体系を形作るのが無理ゲーになってしまうから、法律というのは便宜上、個人が責任能力をもつものだと仮定してるんだと俺は考えてる。
でもやっぱり、個人に責任能力を求めるのには限界があって、その限界の部分は国が背負うべきだと思うから、責任放棄として殺してカタをつけてしまう死刑には反対だ。
ヘッケラー&コッホMP5は、現代軍事史において最も影響力があり成功したサブマシンガンの一つとして、優れた工学技術を通じて近接戦闘に革命をもたらし、精度、信頼性、戦術的汎用性の新たな基準を確立しました。1964年の開発から現在まで継続的に製造され、40カ国以上で採用されており、近年より新しい代替品が登場しているにも関わらず、世界中のエリート部隊で現在も活発に運用されています。
MP5の卓越した性能は、クローズドボルトから作動する革新的なローラー遅延式ブローバックシステムに由来し、同時代のオープンボルト設計と比較して優れた精度を実現しています。標準的な9×19mmパラベラム弾薬を使用した際の銃口初速は1,200-1,400fps、連射速度は毎分800発で、25-100メートルの交戦距離で最適な性能を発揮し、最大有効射程は150-200メートルまで延びます。
武器の8.85インチのコールドハンマー鍛造銃身は、6条の右旋ライフリングを持ち、フリーフローティング設計と16溝チャンバーシステムにより卓越した精度を提供します。標準型の重量は無装弾時6.66ポンド、全長は27.9インチ(MP5A2固定ストック構成)です。精密製造されたローラー機構は最適な機能のために特定の弾薬パラメータを要求し、このシステムは多様な環境条件下で驚くべき信頼性を実証しています。
技術仕様には、9mm弾薬用に最適化された1:10インチのツイストレート、クロームフォロワー付きカーブドスチールマガジン(1977年以降の改良)、セミオート、フルオート、3点バーストオプションを含む複数のトリガーグループ構成が含まれます。サプレッサー付きMP5SD型は、通気孔付き5.7インチバレルシステムにより銃口初速を1,115fps以下に意図的に低下させ、信頼性を損なうことなく効果的な消音を可能にしています。
開発は1964年にHK54の社内名称で始まり、ティロ・メラーとマンフレート・グーリングを含む技術者チームが主導しました。ドイツ連邦警察は1966年にこの武器を採用し、最初はMP64と命名されその後MP5となりました。この設計は、G3ライフルのローラー遅延システムをピストル口径の作動に適応させることで根本的な突破口を表し、広く採用された最初のクローズドボルトサブマシンガンを創造しました。
MP5ファミリーは、実質的にあらゆる戦術要求に対応する100以上の異なるバリエーションに進化しました。Aシリーズには、MP5A2(固定ストック)、MP5A3(伸縮ストック)、バーストファイア型のMP5A4/A5が含まれます。MP5SDシリーズは、異なるストック構成を持つ6つのバリエーションで一体型サプレッサーの先駆けとなりました。コンパクトMP5Kシリーズは近接警護要求に対応し、MP5-Nのような特殊バージョンは、トリチウムサイトとサプレッサー機能を持つ米海軍シールズ向けに開発されました。
重要な進化のマイルストーンには、1977年の直線型から湾曲型マガジンへの移行、1978年の「トロピカル」ポリマーハンドガードの導入、アクセサリー用クローマウントレールシステムの開発が含まれます。ライセンス生産は世界的に拡大し、ギリシャ、イラン、メキシコ、パキスタン、サウジアラビア、スーダン、トルコ、英国に製造施設が設立され、世界中で数十万丁の武器が生産されました。
MP5は1980年のイラン大使館人質事件(ニムロッド作戦)で伝説的地位を獲得しました。英国SAS隊員が数百万人が視聴するテレビ生中継でその有効性を実証しました。この作戦により、MP5は専門的なドイツの武器から対テロ部隊の世界標準に変貌しました。
世界中のエリート軍事部隊が近接戦闘の主要武器としてMP5を採用しました。これには米海軍シールズ、デルタフォース、英国SAS、ドイツGSG-9、フランスGIGN、スペインGEOが含まれます。この武器の最初の主要作戦成功は1977年のフォイアーツァウバー作戦で、GSG-9隊員がモガディシュでハイジャックされたルフトハンザ航空181便から87人の人質を救出する際にMP5を使用しました。
米特殊作戦部隊はアージェント・フューリー作戦(グレナダ、1983年)、ジャスト・コーズ作戦(パナマ、1989年)、不朽の自由作戦(アフガニスタン)でMP5を広範囲に展開しました。この武器は海上作戦、航空機強襲、精度とコンパクトさが重要な都市戦闘で特に価値があることが証明されました。
法執行機関での採用も同様に広範囲で、米FBI地域SWAT チームの61%が2022年時点でもMP5の使用を承認しています。この武器は空港警備、外交官保護、VIP警護チームの標準装備となり、世界中で推定20万丁以上のバリエーションが現在も現役で使用されています。
MP5の革新的なクローズドボルト作動は、オープンボルト設計で一般的な精度低下を排除し、人質状況で重要な優れた初弾精度を提供しました。ローラー遅延システムは、ストレートブローバック競合製品と比較して体感反動を大幅に軽減し、フルオート射撃でも迅速で正確な追撃射撃を可能にしました。
製造には、ヘッケラー&コッホが先駆けたコールドハンマー鍛造プロセスが採用され、卓越した精度と耐久性を持つバレルを製造しました。モジュラー設計思想により、互換性のあるトリガーグループ、ストックシステム、バレル構成による広範囲なカスタマイゼーションが可能でした。品質管理基準は軍用仕様を超え、各部品は厳密な公差で精密加工されました。
武器のサプレッサー互換性は決定的特徴となり、MP5SDの一体型サプレッサーシステムは秘密作戦の基準を設定しました。設計には、迅速なサプレッサー装着のための専用3ラグアタッチメントと従来型サプレッサー用のネジ付きバレルを含む複数の取り付けシステムが組み込まれました。
注目すべき戦闘配備は数十年にわたる紛争と作戦に及びます。ジャスト・コーズ作戦中、海軍シールズはパイティージャ空港襲撃でMP5を使用し、特殊作戦部隊はパナマシティ全域の都市作戦で使用しました。密閉空間での武器の効果は、船舶強制乗船、建物掃討、車両阻止で非常に価値がありました。
対テロ作戦はMP5の精密能力を披露しました。GSG-9の1993年デュッセルドルフでのKLMハイジャック解決と複数の成功した人質救出作戦は、極度の圧力下での武器の信頼性を実証しました。傍観者へのリスクを最小化しながら脅威に正確に交戦する能力が、MP5の決定的な作戦上の利点となりました。
国際展開には、イラクとアフガニスタンでの連合特殊部隊による広範囲な使用が含まれましたが、部隊が一般戦闘作戦でライフル口径武器に移行する中、主に専門的役割での使用でした。MP5は個人保護、都市偵察、最大限の慎重さを要求する作戦で好まれ続けました。
MP5の成功は、同時代のサブマシンガンの根本的制限に対処した優れた工学技術に由来しました。UZIのオープンボルトシステムと比較して、MP5は劇的に優れた精度と制御性を提供しました。MAC-10の極端な毎分1,090発の連射速度に対して、MP5の毎分800発の速度は管理可能なフルオート射撃を提供しました。スターリングのより単純な構造は、MP5の精密工学技術とモジュラー能力に匹敵できませんでした。
市場への影響は変革的でした。1980年以前、UZIは約80%の市場シェアで世界のサブマシンガン市場を支配していました。イラン大使館人質事件は市場認識を転換し、MP5を専門的用途の「ゴールドスタンダード」として確立しました。武器のエリート部隊との関連は前例のない需要を創出し、競合製品の2-3倍の高価格にも関わらず、MP5はプレミアム価格を要求しました。
MP5の設計思想は武器開発の全世代に影響を与え、精密サブマシンガンの標準としてクローズドボルト作動を確立し、後続メーカーが採用したモジュラー設計概念の先駆けとなりました。
50年以上経過しているにも関わらず、MP5は近代化プログラムと共に製造が続いています。ヘッケラー&コッホは輸出と近代化契約向けに限定生産を継続し、トルコとギリシャのライセンス製造業者は活発な生産ラインを維持しています。米国の民間クローン市場は爆発的に拡大し、PTRインダストリーズ、ゼニス・ファイアアームズ、センチュリー・アームズなどの製造業者がセミオート型を生産しています。
現代バリエーションには、アップグレードされたストック、HKeyレールシステム、STANAG 4694光学機器互換性を特徴とするMP5 MLI(ミッドライフ改良)が含まれます。現在の軍事調達は専門的役割に焦点を当て、MP5は2022年時点で海外任務における海軍シールズの第3位使用武器にランクされています。
しかし、戦術環境は大幅に進化しました。ほとんどの軍事部隊は、優れた射程と装甲貫通能力を提供するM4カービンと短銃身ライフルに移行しています。現代紛争におけるボディアーマーの普及と延長された交戦距離は、一般戦闘用途での9mm弾薬の効果を低下させました。
MP5の将来は専門的ニッチにあります:VIP保護、海上作戦、秘密作戦、密閉空間で最大限の慎重さと精度を要求する状況。確立された訓練インフラ、豊富な部品供給、専門的役割での実証された効果により、MP5プラットフォームは少なくとも今後10年は実用性を維持する可能性が高いですが、一般戦術使用ではなく、ますます特定の用途での使用となるでしょう。
MP5サブマシンガンは小火器開発における重要な成果を表し、現代武器設計に影響を与え続ける精度、信頼性、戦術的汎用性の新基準を確立しました。その革新的ローラー遅延ブローバックシステムとクローズドボルト作動は、サブマシンガンの能力を変革し、以前はより低精度な武器に限定されていた役割で精密交戦を可能にしました。
40カ国以上での採用から対テロ作戦での伝説的地位まで、MP5は優れた工学技術と戦略的市場ポジショニングにより前例のない成功を収めました。現代の戦術要求がより長射程のライフル口径武器にシフトしているものの、MP5のコンパクトさ、精度、サプレッサー特性の独特な組み合わせは、専門的用途での継続的関連性を保証します。
武器の永続的遺産は、技術仕様を超えて、現代特殊作戦と法執行において確立を支援した戦術ドクトリン、訓練方法論、作戦概念にまで及びます。技術的成果と文化的アイコンの両方として、MP5は現代の最も重要な火器の一つであり続け、その影響は現代武器開発と戦術用途の形成を続けています。