
はてなキーワード:初体験とは
田舎町の学校では、ほとんどの生徒が、何か当然のことのように男女で付き合っていた。
放課後の教室や帰り道、並んで歩くカップル、窓辺で顔を寄せ合って話す姿——そんな光景がいつの間にか、日常に溶け込んでいた。
誰かが告白して、ふたりで下校する後ろ姿。休み時間には、机をくっつけたカップルたちがささやき合っている。教室の隅々まで、「これがふつう」という空気が染み込んでいた。
「まだ誰とも付き合っていないの?」と友達に聞かれるたび、「そろそろ誰かと付き合う時期なのかもしれない」と、ぼんやり思い始めていた。
別に特別な想いがあったわけじゃない。強烈に惹かれたわけでもない。
ただ、みんなが当たり前に付き合っているから、私もそろそろ、という曖昧な気分だけが背中を押した。
お互いよく知らないまま、交際が始まった。
付き合いだしても特に変化はなく、みんなと同じように、カップルの体裁で彼の隣に座り、放課後は一緒に帰る。その日々は調和的で、無風のまま過ぎ去る。
田舎町に漂っていた「そろそろ次のステップ」という空気も、肌にまとわりつく。友達同士で「もうした?」という言葉が冗談まじりに交わされるたび、無意識のうちに「じゃあ、次は自分も」と刷り込まれていった。
ある日、放課後に誘われて彼の家へ行った。静かな部屋。鳥の声が、遠くで小さく響いていた。
ふたり向き合ってベッドに座り、言葉が途切れたあと、ぎこちなく手を伸ばされた。最初のキス。お互いのシャツを外し合って、服が肩から落ちていき、ただ「まだなの?」という視線や、「みんなもしてるよ」という空気に流されるまま、ベッドへ滑り落ちていった。
行為そのものは、淡々と進んだ。終わったあと、窓から差し込む夕焼けが壁を赤く染めるなかで、ふたりは無言で並んで座っていた。
そのとき、自分の気持ちはうまく掴めなかった。ただ、漠然とした寂しさだけが静かに胸の底に残っているのを感じていた。
あのときの私は、「みんなと同じでいたい」という気持ちだけで大事な一線を越えた。
都会の大学に進学してから、田舎町で「流されて始まり、流されて終わった」交際をふと思い出すようになった。新しい暮らし、友人たちと話した様々な話題、恋愛や初体験の話題が自然に出る。でも、みんなは「自分の気持ちが大事」とはっきり言う。
「あのとき、自分はどうしたかったのか」と心の奥で問うが、明確な答えはない。ただ、流されるままにした過去への、言葉にしづらい寂しさが残っている。
本当に自分で選んだのか、相手のことをちゃんと知りたかったのかも、分からない。ただ、合わせるように、安心を探すように、あの時の交際も初体験も流れに任せていたのだろう。
今なら、もう少し自分を大事にしたいと思える。「自分で選ぶこと」の意味を、都会でたくさんの人と触れ合いながら覚えはじめている。
2ヶ月強追ってきた某K-popオーディション番組が終わった。この手の番組は初体験でいろいろ面白かった。
我々海外ファンはとにかく推しをデビューさせるために行動するが、韓国人のファンは全員で並んだ時にベストな見栄えのグループを作ることを優先しているようだ。だから推しの順位がデビュー安全圏だと判断すれば他の「理想メンバー」に救済票を回し、嫌われ者の「地雷メンバー」はどうにか引きずり下ろそうとする。
ちなみにこの番組の先祖にあたる「プロデュースシリーズ」という作品では投票は韓国人オンリーで、ファンは「国民プロデューサー」と呼ばれていた。この辺りもぼくのかんがえたさいきょうのk-popアイドルを作る思想に結びついていそうだ。
今回は韓国人の理想メンバーの中でも落ちてしまった子がいた一方、海外ファンの人気に支えられ韓国人の地雷メンバーも何人かデビュー圏に入った。今までも地雷メンバーに脱退要請をする...というのは聞いたことがあったが、今回は逆に地雷メンバーが多すぎるがために理想メンバーの子に脱退要請をしている韓国人がいるらしい。彼らを地雷男集団から救出し、他の理想メンバーでグループを作ってそっちに入れるとのこと。逆転の発想すぎる。
落ちた理想メンバー達の画像を使って勝手に妄想派生グループを作って(ご丁寧に勝手に作ったグループ名とロゴまで)公式アカウントを取得してる人たちもいる。
是非は別として、なんかアイドル育成ゲームとかお人形ごっことかみたいだなあとは思う。
それなら過激派ソロスタン(1人だけ応援すること、ジャニーズ用語で言えばアンリー?)の方がまだマシかもしれん。
でも一番変な構図は「理想メンバー」にたまたま自分の推しが入っていたからと韓国人に迎合する自認韓国人の日本人である。
韓国人はあくまで8人の中の1人として応援しているのに日本人はたった1人の推しとして応援しているから謎のズレが起こっているのだろう。
政府「女性に子供を産ますには、どうしたらいいの…」 [782667645]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/190
190番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:08:17.05ID:r67/HxiM0
女性の場合セックスを不特定多数とする方が、社会に出て働くより給料が高くなればいい
この流れをもう少し強化し、売春の合法化とセックス文化の形成を進める
男性が収入で脚切りをされるのなら、女性はセックスをより多くする人がモテるように
セックスが無ければ男女共に惚れるなんてことはありえない、そこから結婚にも繋がらない
セックスできる場の提供(公民館や専用施設でもセックスしていい場所を作る)
セックスしていないと生きていけない、セックスをある程度していればそこそこ裕福に生きていけるような社会であれば調和が取れる
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/192
192番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:21:44.44ID:r67/HxiM0
今の社会は女性は自分が結婚市場のどの立ち位置にいるかランクが分からない
男性の高い高いランクと自分が釣り合っていると錯覚し、それが男女共に不幸を呼んでいる
また、女性は男性に優しくするとレイプされるとの危険性から男性に親切にすることを控えている傾向がある
また今のフェミニズムは、実際には向かう方向性を失っているのにも関わらず、今後女性の一方的なファンタジーが夢物語のように展開されると今も信じ続けられている
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/197
197番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:31:01.10ID:r67/HxiM0
そもそも男性側が優しさや女性相手に気を使うのは、その女性とセックスできる可能性があると男性側が思うからだ
男性があらゆる努力を行うのは、それが社会的価値の向上に繋がり、女性に選ばれる確立が高くなるからだ
セックスは、すればするほどお互いの親密度が高くなる行為である
日本はセックスを軽視し過ぎた、そして、女性とセックスが出来るなら、と、女性の言い分を通し続けてきた
結婚はセックス許可証のようなものである。セックスレスが離婚の理由になるのだから
セックスするために男性側は人生の大多数のものを捨てなければならない。人権を捨てなければならない
そんな墓場に首を繋がれる契約、その代わりにセックスを「させてあげますよ」としているのが今の女性の言い分である
1度子どもが出来てしまえば、子どもを脅しに使い、養育費の無限搾取を行える(それが実際に子どもに使われる事は限らないのに)
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/201
201番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:45:52.59ID:r67/HxiM0
ならば現実をどう変えていくか
女性が男性の性欲を満たして余りあるようにしなければ釣り合わない社会に
女性でセックスできる人口は限られてくる。妊娠でセックスが出来ない時期の人を除くと、もう既に男性余りが起こる。そして年齢が高くなると、男性側が「この人とセックスしたい」と希望する事も少なくなる
望まれない男性とセックスを一定回数、不特定多数の人と一定人数する
そうすれば毎年1000万円を最低支給、生涯支給されるようにすればいい
人数や頻度や回数によって段階的に支給すれば良いと思う
セックスの計測時期は排卵の適齢時期で考え、妊娠できる年齢までにセックスの基本的なことを教え、セックスをすることをメイン収入として、後は研究機関や会社に入社、セックスしながら雑事をこなすような生活であればいい
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/202
202番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:50:48.29ID:r67/HxiM0
参政党はもう既にロリコンの許容や弱者の立場の男性の耳障りの良い発言をしている
だからこそ本当に危ない
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/207
207番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 05:15:38.65ID:r67/HxiM0
勿論避妊の技術をもっと発展させ、男女共に身体により少ない影響で避妊が出来る技術を開発しなければならない
そして性病の撲滅にも全力で取り組まなければならない
これを徹底的に行なったうえで、国民全員、男女共に長期間避妊ピルを配布し、全力でセックスさせる
このようにすれば望まない妊娠は防げるし、政府の側にとっても、効力解除ピルを配布するのに制限をするなどで人口調整機能が働いて将来の人口爆発も防げる
男性はセックスした人の中から、この人なら生涯添い遂げても良いという人を選べば良い
女性も充分にセックスをしていれば収入は申し分ないし子育て費用もセックスで稼げているので、男性に収入を求めることなく経済的自立が出来る
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/210
210番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 05:29:52.35ID:r67/HxiM0
そもそもセックスが不浄なこと、隠すべきこと、辛いこと、忌避すべきことという概念自体が間違いなのだ
現在の性教育を教えた結果セックスを危ないもの、暴力であることとしか認識していない
概念は適切に教えるべきだ
この人はイヤではないという男性にはビキニラインを隠すのではなく積極的に見せるべき
そこに魅力の8割があるのだから
男性にとってセックスに繋がるものは全て報酬である、だから性的表現やフェティッシュなものはより過激であるほど人気が上がる
幼少時に大事な場所を見せてくれた、初体験をさせてくれた女性であったら、男性であれば現在のどんなに好条件の女性とでも天秤にかけて釣り合ってしまうもの
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/212
212番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a3e0-pgBA)sage 2025/09/13(土) 05:32:09.55ID:OV8Lxe+e0
210
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/217
217番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 05:55:01.88ID:r67/HxiM0
統一教会のやり方は自身を悪しき共産主義として悪魔化させたような構造になっていた
所有の概念は一夫一妻制の広がりと同時期に起こっていると考えている
合同結婚式では結婚する人を選ぶ権限は組織に決定権があり、国籍もミックスさせていた
このやり方は共産主義の所有がないという概念を悪魔化して支配しようというやり方から発想しているものであると考えている
女性には個々人とセックスをしない権利は残っているし、誰とでも絶対に拒むなというわけでもない
その結果望まれない人とセックスをせず将来貧乏になったとしても自己決定権の行使をしていてそれは自由だ
誰の子どもを産むかも男女の自己決定権があり、それを国が承認し子どもを妊娠できる
統一教会と一緒にしないでほしい
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/222
222番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 06:13:26.24ID:r67/HxiM0
統一教会とは異なることを明言した上で、それでもセックスの普遍化には宗教が必要だと思う
カトリックのように、性行為の様式や作法などを細かく決め、その方式を時に柔軟に変化させながら守り続けることがやはり必要だと考える
性行為そのものが宗教行為ならば、尊いものとして捉えやすいし、作法や様式を広めればレイプまがいの乱暴な相手の承認な暴力的セックスを行う人も減るだろうと思う
宗教施設として誰でも使用できるセックス部屋を提供し、カップルはそれを使用し、男性一人でも相手してくれる女性と宗教行為を行い、お布施を支払う
こうすることで
地位の高い人は「最も多くの恵まれない人とセックスした女性」であり、その人は多くの男性から望まれた人でもある
だからこそ男性のことが分かりつつ宗教の方向性が決められるし、男性の勘所が分かるからこそその宗教は支持されていく
宗教の献金で避妊ピルや性病撲滅資金も出せるし、コンドームの設置、全国配置も可能
女性が宗教をセックスのために行うことで、男性にレイプされる危険も下がるし、教義を守り続ければ望まないセックスをすることもなく、望まないセックスという概念が無くなりセックス行為は尊敬されるものという共通認識がなされれば、社会に我々は充分貢献しているんだ、という考えが芽生え、今の女性の社会的進出という実質的な男性の領分への侵食を考える事もないと考えるから
ひどい失恋で自暴自棄になって、当時処女の状態で、知り合いの男とヤッたことがあるんだけど、
上手く言えないけど、ヤることに抵抗がなくなっている気がする
しかも、既に相手のいる男だろうが、まだ会ってから間もない男だろうが、相手が誰であろうとヤレてしまいそうな感覚がある。
性欲が強くなった、とか自信がついた、とかではなく、「ヤる流れになったら、流れで全然できるなあ」と、ごくごく自然に思ってしまっている
これがいわゆる「男慣れ」なのか?
人体ってば不思議ね〜〜(という話でいいのか?)
※初体験を好きでもない相手として後悔しているとかそういう話ではないです。
むしろ、相手は自分が失恋でボロボロであること・処女だったことを考慮したうえで、かなり優しく行為をしてくれました(だからこうなったのか?)
その加害者のひとと、それ以上関わり合いに成りたくなかった。
けど、悪い人は適正に処置されてほしいとおもった。
でも、べつに、殴られた結果の傷は、多分2週間もしないウチに治るし、
壊されたものも、1000円くらいで買い直せるものだったから、
被害届を出すときに「処罰を求めない」っていう選択肢があるよって警察の人に教えてもらって、
その選択肢を取った。
「それ普通にレイプじゃん」「てめーがアホみてえに処罰を求めないとかいう選択肢を取ったせいで犯罪者が野放しになった」
ってdisられた。
言われてみたら、確かに警察も検察も、労働リソースは最小限にして業務遂行するのが当然なわけで。
ひでえ言い様だけど、いもげの奴らの言う話も一理あるな…?と思った。
そしたら、「まぁXXXさんの言うことはたしかにそーっすけど、俺等は被害届を貰った以上、絶対に取り調べはするし、
そのおっさんが最終的にもし"前科"が付かないって結論になったとしても、"前歴"は付くんで、警察の内部で、その人のステータスは今後
"そういう事を過去にした人"として取り扱うことになるんです。だから野放しになる的な事にはならないんで、ご心配には及びませんよ。
あとXXXXでXXXXだからXXXさんの身の安全はダイジョーブなはずです。」
みたいな感じの説明を丁寧にしてもらったよ、という話。
ううん、ちがう。
タトゥーとかそういうのと違う。
肩甲骨のあたりに天使の翼入ってるとかそーゆーのんとはちがう。
脱ぎながら
「うちの人が帰ってきたらアンタ殺されるから一目散に逃げるっちゃよ」
まあまあアホな話ではある。
ホテルに行けばよかったんだけど、当時はアホだからラブホ界隈歩いてて補導されたらどうしよう???
だから、家がすぐ近所って言ってたお姉さんの家でやることに固執しちゃったんよな。
と何回も言われたのに駄々こねて家でやることにしてもらった。
そしたらなんかデカい家なんよな。
すごいねオシャレな服屋さん、セレクトショップで働いてるお姉さんやったんよ。(実際にはその店のオーナー)
すごい仲良くなってね、逆ナンみたいな感じでお酒飲みに連れてもらって。
みたいなノリノリになって。
すごい清楚でシュッとした感じやのに飲んだらエロいことしかいわんし、
そんなんやからさ、もうぜったいひとりなんやろうな、と思っとったら、なんか赤いベンツが停まってる家でさ。
あれ?これ実家ぐらしとかとも違うし、あれ?あれ?あれ?
なんか突然
アンタおんなに恥かかせんか!!!
とかアホな高校生丸出しの思考法で言われるがままになってしまった。
それでもやっぱお姉さんメッチャいいニオイするし家の中もなんか草っぽいいいニオイするし、
人はだれもいないし、
やっぱ一人で暮らしてるのかな?
とか思ってたら
冒頭の
「あんたうちの人帰ってきたら殺されるから一目散に逃げっちゃよ」
まー、怖かったわ。
もう薄毛デブ40代オジサンに成り果てたのにスクールカースト上位に君臨していた栄光ある学生時代から自己イメージを一向にアップデートできていないとかのタイプが一番厄介
若いうちにひと通りの遊びは経験し、周囲からの承認欲求にも満たされ、大学卒業後5年そこらのあいだに結婚~子供を授かるという一連のイベントを済ませて……
それなのにロンドンハーツ的なノリや価値観を尊び、肉体が美的にも機能的にも滅びに近づく年になっても全然枯れてくれない謎の中年
ワイは今まさに20ほど歳が離れたその手の中年同僚に半年ほど何かにつけて絡まれてるのだが結構メンタルにきてる
限界が近いのでハラスメント事案として勝負かけたいんだが雑談中の「お前それドMやんけ(笑)」という言動なんかでは無罪放免になるんだろうか
ケツや胸触るとか性体験訊いてくるとかガップリヨツのセクハラはないけど本当に絶妙に気持ち悪いラインついてくるんだよ
ただ正直、その中年同僚に対する他の女性が抱いている評価や印象を観察する限り、どうも彼女らがイキらせる後押しをしているのではという気もしてくるのだ
「同じ時代を生きた者として、その男が若い頃イケていたかどうか」
「あの人はハゲてもないしデブでもない。異性としてイケてる人」
として扱っている嫌いがあるのだ(これは平均年齢が妙に高くて、離職率がクソ低い職場で割と観察できる怪奇現象に思える)
彼、彼女らが初体験を済ませたころ恐らくまだ生まれていなかったワイからしたら、件の中年同僚はハゲて太ったオジサンでしかないので甚だ迷惑だ
数えて五年、彼女が居ない。
そうなれば当然、あっちの方もご無沙汰で。
しかし夏の瘴気に当てられたのか、四十にもなって性欲が収まらない。
三十を過ぎてからはそういったお店に行くようなことはなくなっていた。
それでもいよいよ我慢できなくなり、この前の週末ついにお店の方へと足を運んだ。
目星は事前につけていた。今の時代は自分の学生時代とは違って、嬢が積極的にアピールする時代。
指名した嬢は若く、胸が大きかった。それに可愛い。相場的にもっと高級店に居てもおかしくないような子だった。
まずは入浴。胸を押し付けられながら身体を洗われ、柔らかく大きな感触二つが背中に触れると自分の陰茎はすぐに有意な反応を示した。
マットでのプレイは控え、その後ベッドに向かうと始まるわけだが、はっきりいって緊張していた。
五年もの間、音沙汰なしで居ると果たして自分は上手くやれるのだろうか?といった思いが意識に昇ると僅かに体を震わせたが、武者震いであると自分に錯覚させようと彼女の肩に触れた。
時には勢いも重要だ。そのことを本能的に再学習しようとしてたのかもしれない。
俺はそのまま顔を近づけ、キスをした。軽いキスを一度。唇を離して見つめ合い、もう一度。
それからゆっくりと深く、親密なキスへと進めていった。深呼吸のように深く、安らぎを持たせるように。
次第に舌を絡ませ、他人の唾液を味わうのは久しぶり。体温の温かさを体験してから口を離すと視線を下げていく。
腿に手をおくと柔らかく、白く光沢があるようにすら感じられた。
クンニを始めると彼女は「んん…」と小さく喘ぎ、僅かに湿ってくるのが分かった。
これならいける。そう思って俺は自信を取り戻しつつあった。
クンニを続け、彼女の吐息が一拍激しくなる。顔を上げると微笑んでおり、それから両手を俺の顔に伸ばしてきた。
再びキスをすると、今度は彼女が俺の陰茎を咥えてフェラを始める。
その時俺は見下ろすように彼女の顔を見た。相手の顔をこれほどじっくり、間近で見つめるというのも久しぶりな気がした。
彼女は熱心だった。一心不乱にフェラを続け、視線はまっすぐ前を向き、熟考するように視線を逸らさなかった。
おかげで俺は照れることなく彼女の顔を凝視できたわけだ。実際、キスの時でも見つめ合うのが続くと照れてしまって自分から目を逸らしてしまうのだ。
自分のものが固くなっていくのを感じ、十分に勃起すると彼女は口を離し、今度は俺の背中に手を回す。
抱き合う形で倒れ込み、俺が上になって彼女が下。
俺は手マンを始めようと大陰唇に手を持っていき、暗闇の中で鍵穴を探すように指を慎重に滑らせた。
挿入口を見つけると地に沿って這わせるように中指、薬指を射し込んでいき、ぬめり気は十分あるように感じれた。
そのあと膣内を刺激するように指の腹で何度か押し上げ、ミミズのようにずるずると退行させると再び奥まで指を滑らせる。
彼女は淫靡な声を、どうしようもなく漏れてしまった…といった風に漏らし、嬌声は理性を破壊する。
俺は丁寧に指を抜くと、仰向けになった彼女の胸を触り、揉み、それから腿の付け根付近に手を落ち着かせると膣に陰茎を向かせた。
挿入は一度二度、滑らせるだけで無事に出来た。
そのことにホッとしながらも次の瞬間にはその安堵が表情に現れないよう苦心した。
ゆっくりを腰を振る。気持ちよさは後から付いて来た。最初は腰の具合と体力の不安について。何とか大丈夫そうだ。
ゆっくりでもいい。それでも良いと思えるのは年の功だと思いたい。
次に彼女が上になり、騎乗位となる。こちらを慮るように彼女が自ら積極的に動いた。
気持ち良いですか?と聞かれ、頷いた。彼女は満足そうに笑みを見せた。
ありがとうございます、と彼女は言い、胸鎖乳突筋の辺りから一筋の汗が流れて見え、それがEカップほどの胸へと流れていく一筋の汗が非常にエロティックに感じられた。
そのあと彼女は四つん這いとなり尻を向け、俺は尻へと腰を密着させる。
彼女のお尻は大きく、陰部は強調させれ見えた。俺は手マンをしてから挿入した。
自分では気づかないほど燃え上がっていたのだろう。僅か数度腰を振ると、俺は射精した。
息を殺して小さく鼻で深呼吸したことがまるでバレていたかのように彼女は振り返って、俺を確認した。
自分の予測が的中したのを確信した顔というのは、男女ともにそれほど違いがない。その顔を俺は知っていた。
彼女はどうしますか?と言わんばかりに俺を見つめてくる。急かすような態度ではない。あくまで穏やかに。
俺はもう一度正常位をしたいといった。いいよ、と彼女は笑みを見せながら陰茎に着けられたゴムを外し、それからティッシュで優しく包み込むように拭った。
行為が終わると、並んで横になった。
気持ち良かったですか?と聞かれ、首肯した。
お兄さん、ちょっと珍しいかも。そう言われて思わずえ?と聞き返す。
挿入前に、いつも先に指を入れていたでしょ?と言われてドキッとした。
自分は確かに挿入前に手マンをする癖があった。あまり意識したことはなかったが、改めて言われると確かにそうであった。
そこで過去の記憶がぶわっと蘇り、初体験の時にうまく挿入できなかったことを思い出した。
それ以来、挿入前には手マンをすることで相手の膣の位置を正確に把握しておく。謂わば指は予行演習だったのだ。
四十も過ぎれば恥も忘れるので、俺は素直にその経験を話した。彼女は興味深そうに俺の話に耳を傾け、なるほど!と得心した様子だった。
彼女は肯定するような笑い方を見せた後、ぽつりと一言こういった。
俺はなぜかその言葉がとてつもなく深い箴言のように感じられた。
俺のつぶやきに彼女は「そうですね」といった。そのときも手は握りあったままだった。
店を出てからも興奮は完全には収まらず、しかしそれは性的ではなかったように感じられた。
一駅分を歩きながらじっくりと考えた。
セックスの仕方について、友人知人と詳細に語り合ったことはない。
だがそれは大半の人間がそうなのであろうと思う。
それでも。
まず予防線を張らせてもらう
あまりにも情けない話なので友人知人にはとても話せないし、かといって医者にわざわざ話すような内容でもない
更にはネットにはありふれてて面白くもなんともないただの自称弱者のなんのヤマもオチもない身の上話にすぎない
でもどっかで吐き出したい。まとまってすらいない。ただそれだけの記事
まぁポエムみたいなもんだと思ってくれ
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俺はアラサーで童貞というネットには掃いて捨てるほどいるごく普通のいわゆるキモオタである
10歳ぐらいの頃に同学年ほぼ全員と上下1学年の約半数以上から汚物扱いを受け見事に社会不適合者になった
1クラス約30人で1学年2クラスだったから、だいたい100人強ぐらいには嫌われてた計算になる。まぁ数字はどうでもいい
きっかけは自覚のある範囲だとやや太り気味で運動が苦手だったとかその辺だろうと思われる
例によって自覚のない何かもあっただろうが、当時の絵に書いたようないじめっ子連中とは当然もうつながりは無いので確認のしようはない
最初こそただの爪弾き者くらいの扱いだったのが、俺がロクに抵抗しなかったばかりにどんどん風潮は大きくなっていき、
最終的にはあまりの嫌われっぷりにイジメらしいイジメすら起きなかった
誰も俺には近づきたがらないし俺の使っている机や道具類も等しく汚物扱いだったので、イタズラに触ろうとする人間なんかまずいなかった
無論そんな環境で心地よく過ごせるはずもなく、教師や親に相談したこともあったが、返ってくるのは決まって「考えすぎ」の一言
そんなわけ無いだろという気持ちもありつつ、特に跳ねっ返りでもなかった俺は割と素直にその言葉を飲み込んでしまった
結果できあがったのは「俺が辛い思いをしているのは自分の考えすぎ=自分のせい」である
加えてクラスの人畜無害枠だと思っていた子からもやんわりと拒絶されたことで完全に自分自身を含めた人間不信に陥る
一挙一動、身動ぎ一つですら何を言われるか分かったものではない状況を乗り越えるために身につけたのは、
休み時間は動作を最低限にできる読書に費やし、やむを得ず移動等が必要になった時は可能な限りこちらから距離を取る
相手に嫌な顔をされるのは俺も嫌だったし、徹底的に嫌われ者としての義務を果たした
最終的に不登校に行き着き、数ヶ月の後説得に負けて登校したらなんかみんな大人しくなってた。学級会でもあったんだろう
それ以降は大学に至るまでそんな扱いを受けることは無かったが、俺の対人関係の価値観は完全に歪みきっていてまともに友人も作れなかった
唯一小学校の頃から気にかけていてくれたやつはいたが、普通に友達も多いやつだったので自然と疎遠になった
そいつは気づけばLINEのアイコンで赤子を抱いていたのでまぁ、そういうことだ
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今ではだいぶマシになったけどそれでも根本的に自分が信じられなくて、そのせいで人も信じられないクズであることは変わらず
特に当時比較的イジワル路線だった男性陣よりも、心の底から嫌悪感をあらわにしてきた女性陣に対する距離感というのは完全に壊れている
いくら歪んでいるとはいえ俺も一応ヘテロ男性ではあるので、女性を好む気持ち自体は普通にある
ただし俺の中にある異性とのコミュニケーションの最適解が「そもそも関わろうとしない」になってしまっている
他人にとって俺と関わることは不幸であるという価値観がどうしても抜けず、本当にその人のことが好きなら好きになってはいけないみたいな訳の分からん事になってる
理屈としてそんなコミュニケーションはおかしいと理解はしているが、あのとき向けられた憎悪にも近い嫌悪の感情がこびりついて離れない
一度嫌われ者になると挽回は非常に困難で、そんな状況では自発的な行動は逆効果であると感覚的に学習してしまっていることから、基本的には相手方から仲良くしようと歩み寄ってくれるのを待つことしかできない
だというのにせっかく褒められたりしても素直に信じられず、自分から距離を取るような真似をしてしまう
挙げ句に完全に擦り切れた自尊心故に自己顕示欲も強い。本当に救いようのない人格である
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だが、一時期から自分自身ではなく自分の作り出したものを間接的に評価してもらうのは割と素直に受け入れられる事に気づいた
幸いインターネット環境はありデジタルにも強い方だったので、文字なり絵なり、パソコンでできる創作は色々試した
結果、趣味同士のコミュニティになんとなく加わることに成功した
ネットには俺みたいなはぐれものが多くいたし、特に親しくならずともふわっとした関係でいられたので大変居心地が良かった
その辺を駆使し続けてなんとか15年くらい自我を維持してきた結果、この数年で急に親しい友人が増えた
幸か不幸か、嫌な人間を見る機会は大変多くあったためそれらを反面教師にすることで、表面上は割とまともな人間に見えるようになっていたらしい
とてもありがたく嬉しいことなのだが、まともに人間関係を築いてこなかったために考えたり覚えたりすることがものすごく多くけっこう大変だった
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そして交友関係が増えると自然に目に入るようになるのが色恋沙汰である
つい最近まで上記のような人生を送ってきたために、自分はもちろん他人事ですらその様な事象とはほぼ無縁だったが、じわじわと俺の認識に入りこんできた
そのあたりはとうに諦めたつもりでいたのだが、そもそも現実の出来事と認識できていなかっただけのようで、急に焦りのようなものが出てきた
挙げ句、割と付き合いの長かったやつがいつの間にか同棲を始めていたなどのイベントも重なり、いよいよ自分の化けの皮が剥がれ始める
これまた幸か不幸か、ちょうどなんとなく関係の良い異性が一人いた。焦りもあって生まれて初めての告白をしたところ、通ってしまった
かつての汚物扱いをそのまま引きずっていた俺は、この期に及んで人間に戻れる可能性を見出してしまったのである
まぁその後のことはなんとなくお察しの通り、こんな状態からいきなり異性とまともに関われるはずもなく
自分を好いてくれる人間などいるはずがないという強迫観念に打ち勝つことができなかった
逆に、自分が誰かを好きだと思う気持ちへの疑いすら拭いきれなかった。自分から告っておいてあまりに失礼である
それまで思い込みの側面が強かった自分の不出来さを、実例をもって実感と成した。ある意味では収穫だった
そんな誰にでもあるようなイベントを、三十路になってようやく初体験することになった
これをまだ可能性があると見るか、最初で最後のチャンスをフイにしたと見るか、その辺りはまだ咀嚼できていない
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これだけ恵まれているというのに心の自傷行為をやめられないのも結構つらい
いかなる希望も絶望の種にしかならないと、浮かれかけた心を自分で痛めつけてどん底に沈んでいく行為なのだが、これが妙に心地よくてならない
ここ10年ほどは鳴りを潜めていた悪癖なのだが、また出てきてしまった
ともかく、人間には戻れなかった
この様なことを言うのは仲良くしてくれている人たちに物凄く失礼なのだと頭では理解しているが、それでもこういう物言いをしないと心が耐えられない
もし俺が本当に人間なのだとしたら、この不出来さを説明できない。ありえないことだと
人間になりそこなった何かなのであればまぁ、はじめから社会から外れたところに居ると思えるからまだマシ
結局のところは努力も何もかも足りていないのだろう。全くしていない訳では無いが、客観的にはそういう結論になると思う
だが幾度となく努力に裏切られてきた経験が、あの頃からボロボロのままのメンタルに重くのしかかってくる
それも考え方の問題なんだろうが、俺の一番の問題はその考え方の部分がなんかおかしくなっちゃってるところなので困っている
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ここまで書いてちょっと冷静になれた
医者にわざわざ話すような内容でもないとか言ったけど、これはもしかしたら話していい案件かもしれないな
お目汚し失礼しました
俺のことは忘れてくれ
子の付き添い入院を経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。
この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。
買って一日で読み切ってしまった。
この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。
私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。
その文章の説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想。
エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。
賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。
『エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいるものの確実に生活が営まれている。
フィールドで見た場面と研究主題の接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。
フィールドと自分の普段の生活を二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。
フィールド調査の十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的に振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールドの文化と歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟の見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。
書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態で脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要な思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離。
章間にあるコラム全部面白い。ストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。
エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のものの記述とは、具体的には②生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている③時間に参与することが必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むことで着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して、特定の主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院の必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?
客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身や自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手の立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院で経験したことを有益にしたかった。
この章に出てくる市について『2024年の能登半島地震で被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!!??出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。
私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママは大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。
アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。
フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。
ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから、先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。
部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち。
エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。
買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授が自身の研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。
その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間に参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験をエスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である。
参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか、経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからはめっちゃ人と話した。
この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。
そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究や分析みたいな深みを得そうな気配がした。
それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。
あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間的経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。
対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院は初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点、気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューやフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者のインタビューはリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。
私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学の文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。
子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院の外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親が病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師と看護師と病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまうものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である。
時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚したからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月やGWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子を人質に医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれてから、治療が終わるまで、年単位でスケジュールが未定になる。純粋に病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。
病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。
ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的な見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの。
ミクロな視点からマクロを見る:付き添い入院がマクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族をターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。
ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家がシロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白い」ものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイやルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学の文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象からの発見を記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。
長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールドが強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供の貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題と関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。
研究とお金の話は文系も理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。
私が今付き添い入院をフィールドにエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学の視点からみれそうな表現で問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士を外注できるようにして、その病棟の看護師と患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51