
はてなキーワード:処世術とは
人轢いた裁判で歩行者用信号も横断歩道もないのは仕方がない面もあるみたいなことは弁護士に言わせるべきことなんだろうな。
自分で言うと「責任転嫁してて反省してない」とみなされ弁護士が言って裁判官が「それは被告の意見ではなくて?」と問うてもいいえと答えられたら反論してもられないから情状酌量の根拠とされる。
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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ADHD(ADD)/ASDグレーゾーン Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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【そしてブログの紹介。】・
https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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●空気読んじゃ駄目! 『永遠の『宿題』の提出』全否定の危機! ァイッテテテテッ! 痛い! すいませーん、でも撤回しませんごめんなさい! 『提出』しないと生きていけないから! 食べていけないから! そういう社会システムだから! 世の中には『発達障害の処世術』を二次障害が残るようなひどい無理して守っている当事者たちもいるから! そうでしか生きられないから! でも誇らしいことでもなんでもなくて、人権にかかわる問題だから! 歴史ある大学で学生抑圧し過ぎてタックル問題が発生したり違法薬草使用事件発生したのも、議員さんたちの裏金問題ほか全国に根付いてる忖度の発生源は、残念ながらこういう、一生懸命空気を読み順応したい思想からなのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=lsAbYLHxqt0&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=261
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●(美人風の人 ショート) このシリーズ好きです。登録してません。高評価をよく押してます。
でも、ただの高根の花の人たちのファンタジーを見ているだけじゃなくって、覚えると便利なこともあります。
私はツイスターはあまり食べませんが、クレープで大いに応用できます。
見ていると、美人風の振る舞いは、脚をそろえることと膝を伸ばすことで作り上げられるようです。でも、膝を伸ばしていたら、腹を深く折らないといけない所作もあり、健康上の事情を抱えた私にはかなり無理な態勢もあるのがちょっと残念です。
※動画が見つかりませんでした。
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いつも大変お世話になっております。
嗅覚に波があって、必ずしも通年、自室を清潔に整頓しておけるとは限らない境遇の私が、切らさないようにして頼りにしている物です。
ドラッグストアでも、リセッシュと、値段の見比べをして、分量に対しての値段で、どちらかを購入しております。ハウスダスト向けのも、ブログのほうにたまに書きますが、重宝しています。値下げワゴンにたまにたんまり入っているから嬉しくてもう!
この動画では、なにに気を付ければいいかというと、ようするにファブリーズは霧を吸い込むなと。直接吸い込むなと。
ナチュリスのほうは、いい香りだから、たまに鼻先で嗅いでしまいますねぇ。
※動画が見つかりませんでした。
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過去に、ミックスリストに載せた動画が次々消えている。非公開になってるのかしらね。
これ、美しいです。眼の保養に。作れる人は作っても素敵でしょう。私、有料でもいいから食べたいな。おすそ分けして欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=1v8WUOgsu50&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=317
俺が発見した!
俺が発見した!
俺の考えた『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は歴史に残るぞ!
俺の名を残してくれ!
まずやり方を教えよう。
日頃からキレて物を投げそうになったり奇声を上げそうになるたびに「ちょっと待て。10秒考えて『いや、ここは実行に移すべきだ!』となってからでも遅くないぞ」と考える癖をつけていく
↓
いざ、怒りの衝動により拳や暴言が飛び出しそうになったら、行動に移すのを少し待って「これ、実際にやったら滅茶苦茶損しないか???」と冷静に損得勘定を行う。
↓
「怒りは収まらんが・・・ここで殴ったら相手の思う壺だからひとまず殴るのはやめよう。俺はマジでキレてるからこそ、殴って相手を楽にしたりはしないのだ」と判断して衝動的な行動を抑制する。
↓
怒りの気持ち自体を無理に抑えようとせずに衝動的な行動だけを抑える。
表面上は同じだが行為の発生源も最終的な着地点も違う。
『アンガーコントロール』は「怒りは駄目!冷静になって!冷静になれば怒りは消えるよ!」と人間の心を理解したふりしか出来てないポンコツアンドロイドばりの極論を語るアドラー心理学を齧った自称リアリスト中学生のようなしょーもない理論だ。
『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は「怒りそのものを鎮めるのは簡単ではない。だが、衝動的な行動に移すことを控えれば怒りによってもたらされる不利益の大部分を回避可能なはずだ」というものだ。怒りそのものを安易に否定するようなことはしない。勢い余った行動で損失を被るのを回避することだけに着目している。
全く違う。
『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は怒りという感情が生まれでてしまうことも、それを抱えて生きていくことも否定しない。怒りと共存する道を探る大人の処世術だ。
『アンガーコントロール』は「怒りとか無意味。つーか俺ぐらいになると感情とかないし。は?マジだが?嘘じゃね—し?は?」的な感じのクソガキ。マジクソガキの暴論。自分で出来もしない正論を語ってマウント取ってるだけの馬鹿。
衝動的に物を投げそうになったときとかに「ちょっと待てよ・・・これは差し引きで得か?損か?」と考えるようにすればいい。
もちろん、10秒考えて「海に向かって叫ぶことでこの感情が少しでもマシになるなら俺は叫ぶよ!!!」という結論になった時は実行に移していい。
その10秒を生み出すために必要なのは日頃から「俺のこの行動は本当に俺の得になるか?」と一呼吸置く癖をつけること。
意識は遅れてやってくるという説もあるが、多少意識が遅れて来てもそもそも行動が予備動作に入ってから実行されるまでの間に「判断する時間を稼ぐための時間のダム」のようなものが自分の癖として組み込まれていれば、咄嗟に動きを留める余裕が出てくるもの。
とりあえず「体が思いついても頭が判断するまでは実行しない」という癖を日頃からつけていこう。
怒りという感情を否定せず、行動だけを踏みとどまろうとする『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は大人の処世術。
怒りそのものを否定する『アンガーコントロール』はガキの思いつき。
行動する前に数秒でいいから損得のソロバンを弾く癖をつけるだけで、怒りによってもたらされていた損失は大幅に減少するので、とにかく「衝動的に行動する前に一度保留する」ことにフォーカスを当てよう。
QAエンジニアの採用面接とは、いわば古式ゆかしい儀式のようなものである。そこではいくつかの定番の質問が投げかけられるが、それは候補者の能力を測るためというより、自社の「文化」という名の型枠にはまる人材かを見極めるための踏み絵に他ならない。本稿では、この儀式で頻出する質問の裏に潜む、構造的な問題点を明らかにしていきたい。
面接官は必ず「改善経験」を問う。これは、候補者が自社の「正義」を理解しているかを確認する、一種の信仰告白である。ある組織では数字という名の神を崇拝し、またある組織では行動変容という名の哲学を信奉する。候補者が語る改善経験が、面接官の信仰する価値観と異なるとき、その表情はたちまち曇り、まるで異教徒を見るかのような態度を取る者さえいる。
そもそも、テストの原則として「テストはコンテキスト次第」ということを理解していれば、まずその背景から問い始めるはずだ。だが、多くの面接官は、自らの信仰を告白させることに終始し、候補者の経験の普遍的な価値を理解しようとはしない。
なぜ、これほどまでに「立ち上げ経験」が神聖視されるのだろうか。誰もが旗を振りたがる組織は、果たして前に進むのだろうか。プロジェクトに必要なのは、常に革新的なリーダーシップとは限らない。時には、卓越したフォロワーシップこそが、プロジェクトを成功に導くという事実を忘れているらしい。
「必要な時に、必要なことを、的確に実行する」という本質的な能力よりも、「何かをゼロから始めた」という物語が評価される。この風潮は、実務能力よりも聞こえの良い経歴を優先する、業界の浅薄さを象徴している。
テスト自動化の経験は、もはやできて当然の嗜みである。しかし、面接で問われるのは、その実装の些末な部分ばかり。まるで、最新の戦略論が飛び交う戦場で、いまだに剣の振り方について熱弁をふるう老兵のようだ。
とうにテスト自動化のトレンドは移り変わり、「いかに自動化のコストを抑制し、最小限の労力で最大の効果を得るか」という高度なマネジメント能力が求められている。にもかかわらず、「E2Eテストを増やしたい」などと無邪気に語る管理職がいまだに存在する。彼らの下で働くことのリスクは、賢明な候補者なら即座に察知するだろう。だからこそ、このような時代遅れの質問にも対応できるよう、経験だけは積んでおくべきだ。処世術として。
リファレンスチェックという名の、不可解な儀式も存在する。これは、候補者の能力ではなく、その人物が持つ「紹介者の質」を問うているに等しい。特定のキャリアパスを歩んできた人間にとって、この要求はほとんど意味をなさない。
この儀式をパスできないという理由だけで有能な人材を門前払いにするとは、実に合理的な判断と言えよう。その組織が、自らの手でどれほど素晴らしい機会を逃しているか。おそらく、彼らがその事実に気づく日は永遠に来ないのだろう。
[B!] 「山田尚子監督アニメ映画『きみの色』から考える―長崎を表象することの加害性と呪縛について―」|myaao000
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/deft_stoat9234/n/n5770b217546a
じゃあ当然「気楽に批判される」のも受け入れるべきだろう。
山田という監督にはそういう芯の無さを感じている。ずっとずっとだ。
「オマイラこういうの好きだろ?」という軽い口当たりのそれ。
オマイラの憧憬を、美しい画像とエフェクト、画角の表現技法で突き詰める。
『きらら』ならいいのだ。『きらら』は天ぷらの衣を食う作品群だからだ。
だがオリジナル(監督=料理人)となれば別だ。衣は売りじゃねぇ。
だからこの批判は「当たり前に刺されるだろ(笑)」としか思わん。
大いに批判されるべきだ。
天ぷらの衣を食いたい奴はそうしてろ。
だが、長崎に思い入れのある人がこれまでの山田の手法から「どのように長崎を書く/描くのだろう、それも夏の長崎を」という考えを持つのは止められない。そして批判の口は閉じられない。
「Not4Meは黙れ!」っていう口封じは一つ正しいが、必ずオマエラに突き返されるだけだ。
何しろアニメ作品は天ぷらじゃないからな。天ぷらなら「中身の具が入っていません」の批判は成立するが、
長崎を愛している人、長崎を見ている人からは、「長崎を見ないどころか、ただのダシにしてますよね?」「長崎はあんたの承認装置じゃないんですよ?」と言われて当然であろう。
あの女が何を言うかは知らんが、伸ばした挙げ句がこの内容だ、何も言わんだろうな。それが処世術だということ。邪悪である。
まず初めに断っておくと私は参政党支持者ではないし、排外主義者でもない。
中国人の友人もいるし、お付き合いしていた方もいる。
どちらかといえばリベラルに近い考えを持っていたし、世代ではないけれどブルーハーツの青空のような歌詞に共鳴してよく聞いていたこともある。
それでも、はっきりと言える。
日本は決して“日本人ファーストの国”ではない。それどころか「中国人ファースト」の国になっている。
なりつつあるのではなく、既にもうなっている。
つい先日都内の住宅街を歩いていると前から酔っ払いの外国人女性が突然殴りかかってきた。
女性であることはわかるが力士のような巨漢で、支離滅裂な言動で何語かも不明だが叫んでいる。
私は逃げようとしたが殴られると同時に押し倒され、そのまま髪の毛を捕まれ、何度も頭を地面に叩きつけられた。
手に持っていたスマホは投げ飛ばされ、バリバリに割れたスマホの画面から必死で110番を押して、近くのコンビニに助けを求めた。
しかし、店員の外国人は私を無視して押し返し、酔っ払いの仲間がコンビニまで迫ってきた。
警察が到着するまでの10分ほどは本当に殺されるかと思い、恐怖で手足が震えていた。
警察に後から聞くと、どうやら相手は中国人で泥酔状態だったらしい。
警察は特にその加害者を遠ざけることもなく、血まみれの私を見ながら「こんなことで110番しないでよ」と冷静に言った。
そして、警察官はまだ何か叫んでいる女性を拘束することなく、血まみれの私に対してこう言ったのだ。
ありえない。
私はただ路上で歩いていただけで、女性に触れることもなければ会話すらしていない。
しかし、中国人女性がそう言っているということで逮捕もせず、双方取り調べになった。
警察官はしきりに「中国人だから仕方ない、中国人はこの辺多いからよくあるんだよ」と取り調べ中にめんどくさそうに言い、
「中国人だから意味ないと思うよ。あなたが何も被害を訴えなければ、このまま収めるからどうする?」
しかし、警察署の中ではじめての取調室で警察官に反論できるわけもなく、血まみれの私が加害者扱い。
そして中国人女性は拘束を受けることもなく、そのまま釈放して帰宅したとのこと。
後日、何度も警察に被害届を提出したい旨を訴えるも一向に動かなかったため、弁護士から訴えたところ、ようやく半年経って防犯カメラの解析が始まった。
もちろん防犯カメラには一方的に暴行を受け頭を叩きつけられる私、猥褻行為などあるわけはないどころか、私は一切手すら触れてない状況がそのまま映っていた。
ちなみにその後はというと相手方からは私が中国人差別したからやったなどとまた虚偽の弁明があり、示談交渉をお願いされた。
拒否するつもりだったのだが警察は女性を不自然なまでに擁護し、担当の外国人犯罪専門の女性警察官から相手が反省してると私に連絡があった。
私は身内に警察、法曹関係者もいるのだが、通常警察や検察官が示談を勧めることなどは絶対にありえないと聞いていた。
ありえないはずのことが身に起きていた。
もしかしたら、たとえば警察が書類送検した際の書類などを検察官が見て、不起訴になる可能性が高いと判断したのかもしれない。
検察官がそのような姿勢であれば不起訴の可能性が高いということで、弁護士にも強く勧められたため弁護士費用のこともあり、泣く泣く示談することとなった。
これは東京の繁華街が近くにはあるものの、普通の住宅街での出来事である。
中国人がただのなんの落ち度もない一般市民に暴行し、中国人の出鱈目な嘘で逆に冤罪加害者にされそうになり、警察も検察官も、味方である弁護士ですら事件をまともに扱わない。
・中国人に殴られ
そんなの一部だけ、たまたまだと思われるかもしれない。
外国人犯罪は減っているというデータを持ち出して反論する人もいるかもしれない。
だが、それは不起訴・放置されるからカウントされないだけではないか?
警察官は「中国人は面倒」と本音をこぼし、事案そのものを畳もうとする。
だから、警察は捜査しても無駄な事件、中国人絡みの事案は重大事件でもない限り、できるだけ穏便に済ませたい。
中国人優遇というわけではなくとも、中国人ということが判明してからはずっとめんどくさそうな態度が続いていた。
めんどうだからと言ってこんな対応をし続けるなら、日本は「中国人には逆らうな」という無言の圧力を受けているのと同義である。
もちろん韓国人や他のインバウンド客、在日外国人にも問題を起こす人間はいるし、日本人だってそうだろう。
しかし、単なる住宅街で酔っ払っただけで普通の市民に暴力を振るい、酔いが覚めて示談交渉の段階になってもなお差別だなんだと叫び徹底的に自己弁護に走る人間がいる。
それが犯罪としてデータに残ることもないし、そういう人間と共存していかなければならない。
そういうデータに残らない無数の犯罪の多くは外国籍の人物によるものであり、その大部分が中国人であるというのは現場の警察官はよく理解している。
中国人は確実に日本を侵食し、特に近年は日本の大学、企業、生活に取り入り、文化や構造自体を徐々に壊し始めている。
少し前の話であるが、私が当時在籍していた大学にいつ頃からか目に見えて中国人留学生が増えていった。
そんなに簡単に入れる大学ではなく、入試も難しく日本では指折りのブランドのある大学ではあると思う。
同じ入試を受けて入っているはずなのにどういうルートなのか留学生の中でもダントツで中国人が増えてきたのだ。
しかし、何故か一切大学側は調査を進めることはなく、学生融資団体が調査をしたところ、
某海外有名大学出身であることも、日本の難関大出身であることすら全て虚偽であったのだ。
しかし、そのことは公表されることもなく、その教授によって招聘された多数の教員、学生もそのまま在籍を続けている。
これは無名大の話ではなく、日本の国家予算がふんだんに入った国会議員や総理大臣を多数輩出する伝統ある日本の有名大学での話である。
また転職して中途入社した某外資系企業にいたときは同期入社の半分が中国人で、プロジェクトチームの同僚10人中8人が中国人であった。
彼らは日本の有名私大を卒業し、日本にある外資系の大手企業に新卒や中途で入ってくる。
当時のプロジェクトでは日本の政府系システムの業務支援を扱っていたが、こんな国家の中枢に関わる事業を外資系企業、
しかも中身はほぼ中国人で構成されたチームで行っていいのかと疑問に思ったが、
少しでも中国人や外国人に対して口を出すことはリベラルな外資系大手企業では、重罪であった。
ちなみに日本人の上司の目の前で中国人の同僚同士が中国語で上司の悪口や日本をバカにする会話を普通にしていたこともある。
お付き合いしていた中国人女性いわく中国人は中国大好きだし、本気で習近平を崇拝しているし、日本を敵視しているのが普通らしい。
中国にずっといる中国人や旅行客は特にそうで、在日中国人のことをバカにしているし、日本人には考えつかないぐらい日本に対して偏見に満ちた憎悪を抱いている。
だから日本で生まれ育った彼女のような客観的に中国を見れる人間にとっては、日本のほうがよほど居心地が良いのだという。
多くの中国人はhypothetical enemyである国の構成員に他ならない。
そんな人たちが日本にわんさか訪れて、移住を進めているのが現在の日本だ。
しかもそんな日本を敵視して習近平を崇拝している中国人もわずか来日して5年経てば帰化して晴れて法律上正真正銘の日本人となる。
ある大手マスコミ関係の企業にいた頃は何故かだいたい部署に必ず一人ぐらいの割合で金さんや李さんがいた。
どちらかといえばリベラルな価値観を当時は抱いていたのでたいして疑問には感じてなかったが、よくよく考えると、
取引先の出版社やTV局にもやたら中国や韓国に偏った考えを持った人間が多かったように思う。
ネットのよくある陰謀論の類かと信じてなかったが、実際に自分が入社するとあまりの左寄りの姿勢や在日中国人の多さに驚いたぐらいだ。
差別や偏見はよくないと教育され、グローバル化に迎合することが是とされる社会においては、
高学歴や大手企業に入るような恵まれた環境に属するようになればなるほどリベラルな考え方が多くなるように、大学でも会社でも外国人と共存し、リベラルな価値観に囲まれてきた。
特に知的でありたいとする人間やコミュニティであるほどに保守的な思想や価値観はダサいし危険というやんわりとしたレッテルを貼られ、口に出すことすら日常でタブー視される。
LGBTへの容認やグローバリズムに対する賛同などリベラルな思想はどんどん口に出すし、そのような姿勢に対する同調圧力も蔓延している。
固有名詞はあまり出したくないが東大や早慶のようなブランド大学になればなるほど、特に内部にいると中国人留学生に対して驚くほど寛容なシーン、
アファーマティブ・アクションという名の優遇を目にすることとなるし、現在一昔前に比べて異常なほどこれらの大学に中国人は多い。
大学でも企業でも今日本にいる中国人ははっきりいって逆差別と言えるぐらい優遇を受けている。
しかし、やはり日本人をバカにし、日本の文化を破壊し、日本人を見下し暴力を振るうような連中と共存なんてできるわけがないだろう。
まだ手遅れではないという政治家もいるが、私はもう手遅れではないかと思う。
もう日本にやってくる中国人は心底日本をバカにし、見下していている。
インバウンド景気などという政治家もいるが、実態として今来ている中国からの旅行客の大半は安いから来ているだけだ。
実際に高級ホテルには中国人客は皆無と言っていいほどおらず、ドンキやドラックストアに溜まり、安いビジネスホテルに大量に押し寄せている。
彼らの一人は日本人でいっぱいの満員電車を見て中国語で差別的な言葉でこう言っていた。
中には日本に対して友好的な考えを持っている一部の人間もいるが彼らがどれだけ日本人を嫌い、敵対しているか。
これは中国人と日頃から仕事やプライベートで接していればよくわかることだ。
上野や浅草には中国人専用のクラブや飲食店が多数あり、日本なのに日本人が入れない 禁足地が都内には激増している。
電車で中国人家族が叫び散らかそうとも、スーツケースを座席に山積みしようとも、めんどくさがって駅員も注意はしない。
日本の国家システムを扱う重要プロジェクトの多くが外資系企業に業務委託され、プロジェクトメンバーの大半が中国人であっても政府は気にも留めない。
日本の民法キー局や三大出版社に多数の中国人がいて重要なポジションについていても、誰も問題視はしない(既に数十年と続いた文化なので、本来注意する側も同族だったりする)
日本人が路上で暴力を振るわれても警察も検察もまともに扱わないし、不起訴になるので結果として外国人犯罪は激減している。(数字上)
リベラルがどうとかもはや関係なく、中国人に対する規制は必要だと思う。
けれど、もう手遅れだ。
日本人ファーストという普通のことを言っただけで、過剰なまでに叩かれる。(アメリカでもフランスでも海外で自国ファーストを唱える政党は与党であるし、極めて普通のことだ)
中国語を覚え、中国人とともに難関大学の受験を潜り抜け、中国人と共に学び、中国人と共に日本の国家機密を扱い、中国人と共に日本の悪口を言いながら仲良くなり、中国人とともに日本を貶めるために働き、
私はこれからも生きていくために同僚の中国人と日本人から金を搾取するゲームや日本の根幹に関わる国家システムを扱うだろう。
中国人差別なんて絶対に許さないという顔をして、たとえ路上で突然殴ら顔面を打ち付けられて殺されそうになっても、中国人店員に助けを求めて無視されても、にこやかに示談に応じるだろう。
他人の真似をするのは恥ずかしいことではない。というより、恥ずかしいとすら思えないほど日常の中に溶け込んでいる。言葉遣い、身振り、口調、態度、考え方。自分という存在のかなりの部分は、誰かの断片でできている。「人格」とはそんなコピーの連なりにすぎないのかもしれない。
たとえば、前の職場にいた上司は仕事を舐めきっていた。遅刻は日常、報告は適当、部下を使うだけ使って手柄はかすめ取る。にもかかわらず、なぜか評価されていた。最初は「おかしいだろ」と思っていたが、しばらくするとこう考えるようになった。「あのくらい適当にやっても問題ないんだな」と。
気づけば、同じことをしていた。朝少し遅れて出社し、報告は必要最低限、資料も雑なまま提出。最初はバレなかった。楽だった。息がしやすかった。けれど、やがて誰も何も頼まなくなった。顔色を伺う目が、警戒に変わった。上司には「最近、雑だね」と言われた。
自分には「適当でも許される背景」なんてなかったのだと知った。
真似た相手と自分は、同じ地面に立っていなかった。ただそれだけのことだった。それにすら気づかず、うわべだけを真似した結果、地面が崩れたのは自分だけだった。
一方で、誰にでも丁寧に接し、ミスにも淡々と対応し、地味に信頼を積んでいく同僚がいた。最初はバカにしていた。「あんなのやってられない」と。だが何年か経って、明らかな差が生まれていた。そいつには信用があり、仕事が回っていた。自分には何も残っていなかった。真似するならそっちだった。気づいたのは後になってからだった。
でも、分かっていても、悪い方を真似たくなるときがある。
悪い例は、ラクで、要領よく見えて、短期的に得をしているように映る。自分の中の浅ましさが、それを真似たくてうずうずしてくる。道徳では止められない。損得でしか判断できない人間性の貧しさが、判断を歪める。そして、分かっていたはずなのに、また同じことをやる。
自分が「これは良くない」と思っていることを、それでもやるのは、もう敗北だ。良心との決裂。自己評価の放棄。その場限りの処世術で、人格が一枚ずつ剥がれていく。気づいたときには、自分が何を大切にしたかったのかすら思い出せなくなる。
良いと思ったものだけを真似る。それだけが、自分という人間を最低限、保っておくためのラインだと思っている。美談ではない。ただの延命措置だ。それでも、真似るなら、せめてましなものにしておいた方がいい。そうでなければ、死ぬまで自分の劣化コピーで終わる。
1、「この文章が言いたいことはこれだな、すぐわかったわ」
→こればっかりの人は、だいたい読解力がありません。ただ自分の思い込みを単語を拾って補強しているだけです。
2、「この文章は何が言いたいんだろう…? ここで言ってることとここで言ってることは矛盾しているような…? 俺がおかしいのか…?」
→こうやって悩む人、1よりはマシです。文章というのは数学のように完全な正解がないもの。どんな名文でもひっかかるところがあるのが普通です。
3、「この文章が言いたいことはさておいて、ここでこういう表現をつかっている。ここでこういうデータを示している。ソースもはっきりしている。この情報は使える」
→これがまあまあ実用的な文章の読み方です。文章の意図を掴むことも大事ですが、とりあえず使えるところを(正確に)押さえるのは処世術として大事です。悩みすぎないことは精神の安定にも繋がります。2の段階を通過してここに至るのが人間の成熟です。また、たまに2に戻ることがあるのも深化には重要です。
「読解力のある人」というのはこのように、概ね2と3を行ったり来たり出来る人です。
1で止まって自分をスゴイと思い込んでいる増田、ブコメの98%は、残念ながら読解力が『壊滅的にない人』になります。
おぼえておきましょう。