はてなキーワード:凡作とは
遊戯王OCG(以下、OCG)に新規勢が入ってこないというブログがあり(削除済み)そのなかでスタン落ちに関して言及していた。
この手のOCGに発売期間で公式大会に使用できるカードを区切るというレグレーションの導入に関しては、かなり以前から議論があって今更感ではある。
同時に、いまだにOCGにはスタン落ちに対するアレルギーが酷いということの証左でもあり、これがOCGが改善しない最大の理由でもあると感じる。
結論だけを言うと、現在のOCGは古参の厄介オタばかりなので現状を変えることはできない、ということ。
そりゃあ新規はこないでしょ。
スタン落ちというのは、MTGのスタンダードからとられている。
MTGは発売時期によって使えるカードのレギュレーションが決まっており、一番カードプールの少ないスタンダードは最長で3~5年。この期間を過ぎたり新たに再録されないと次のスタンダードの更新時に公式のスタンダード大会では使えなくなる。これがスタン落ちと呼ばれている。
一般的にこのスタン落ちはあまりよくないとされており、単純にカードが使える年数が限られるということに抵抗がある人は多い。
ではMTGはどのカードも3~5年程度で使えなくなるのか?というときちんとモダンなどの存在があげられる。
これはポケカでも同様だが、レギュレーションを発売時期で区切っている場合には、期間を過ぎた場合で使えるフォーマットが必ず存在する。
スタンで遊んでいたカードが使えなくなったら、次はモダンやパイオニア、という感じでいろんな使い方ができる。
OCGにおいてスタン落ちが敬遠されているが、実際のところは発売時期をいくつか区切って複数のレギュレーションを作れば解決できる問題なのだ。
全てのカードに使える時期を定めるって考えているOCG勢がほとんどだが、単なる無知だろう。
単純に発売時期でレギュレーションを区切る施策にはこれとは別の問題がある。
それはレギュレーションごとに人が分散してしまうことだ。たとえばMTGではスタンはあまり人気がないが、だからといってモダンは環境が酷くなりすぎていろいろと問題になった時期もある。
また、スタンで遊び続ける人はそのままスタンにいることも多く、スタンからモダンという導線は必ずしも有効ではない。
これはポケカに顕著で、ポケカはエクストラというカードプールの幅が大きいレギュレーションがほぼ閑古鳥だ。より広いカードプールで遊べるから人がいるだろうという考えはポケカには通じず、レギュレーション落ちがあるスタンをずっとプレイする人が大半という結果だ。
これは見方を変えると、一つのカードゲームの中でプレイ環境がバラバラになり、人数が偏ってしまうという問題でもある。
ポケカはぎりぎりいいのかもしれないが、MTGはもっとも新規にやさしいスタンがあまり人気ではないのが問題だし、各フォーマット(スタンやモダン)に人が散っているために同じゲームなのに全く違うゲームになっている。
人気のフォーマットである統率者が優遇されすぎて他のフォーマットが閑散としたり、大会が中止になったりもする。各フォーマットで人が流動的になるかというとそうでもないため、結果的にMTGのフォーマットは何回も改定されている状況だ。
ようするに、発売時期によってレギュレーションを分けるという試みはよくても、それが理想的になるかは賭けになる。
「じゃあやらないほうがいい」
というのは、日本の政治家の「無策思想」そのまま であり、老害そのものだ
そもそも欠点しか話さないようなOCG勢は、マイナカードと保険証の統合にも反対するような人と同じで変わることがそもそも受け入れられないだけだ
OCG環境に文句を言う人がいると必ず、ラッシュをやれ、という人が出てくる。
まあラッシュを見ればそんなこと言えないんだけどね。
単にOCGのカードを模倣した変なゲームなんだし。ラッシュするなら他の選択肢あるし。
他のゲームやコンテンツと違って、古いカードで遊べるというトレカはだいたい厄介オタが多い。例えばポケモンというゲームは機種が変わっても驚くほど過去との互換性が確保されているため、引っ越しが常に行われてきた。逆にポケモン以外で特定のゲームシリーズをずっと遊び続けるというのは意外としんどい。端末が変われば遊び方も変わる。ドラクエだって初代と今は全然違っている。
トレカは大まかなルールはそのままに、カードだけがずっと増え続けており、下手すれば過去カードのリメイクなどでユーザーをとどめている。
また紙のカードはそのまま資産になるケースもあり、トレカは長く遊べるゲームの一つになっている。
けどゲーム自体が長期に運営されているため、厄介オタが非常に多い。
普通のゲームなら、シリーズ1と2は神だが3と4はゴミ、それ以降は凡作、のように区切りをつけられる。しかしトレカは断続的に延々とシリーズが続いており、絶え間ないインフレと禁止改訂でいきながらえている。
また、ここ5年ほどは1タイトルにおける発売パックが極端に増えている。
かつてのOCGは禁止改訂が年2回程度で、いまより発売ペースも緩かった。今はトレカ全体がとにかく製品を乱発して売って売って売りまくる。
粗製乱造が激しく、カード品質のバラツキや環境の変化の大きさに波が大きい。
車などの人生設計で価値観が変わるものでもないため、長期的には変化がなくとも短期的にはアーキタイプの変化を常につける必要があったりと忙しいのだろう。
それについてこれているプレイヤーがどんなにヤバい人かは誰でもわかるだろう。
格ゲーが一時期新規を排除しまくり絶滅の危機に瀕したが、現在は新規にやさしいことを売りにしている。けどOCGを含めてトレカは原則そういうことができない。どこから入っても遊べることはよいことだと誰でも思っていても、基本的にトレカの流れは極端に早くて流れに入ることすら難しい。
競技的に先鋭化している面もあって、かつてのようにキャラを動かせればいいというゲーム性がほぼ排除されて(ウルトラマンは簡単すぎるが)、総合ルールを理解することが重要になりつつある。
しょうじき、この状況で新規はなかなか入ってこれないだろう。
現在の多くのカードゲームはデジタルゲームを紙と併用していてDCGとか言われている。ほとんどの初心者はこのDCGから始めるのが普通で、どちらかというとソシャゲの一つととらえている感が強い。
これによって紙から遊んでいる人と新規が全然交わらない事態が発生している。
たとえDCGから紙に興味を持っても、OCGなどは臭い汚いキモイと揶揄されているので、たぶんこれ以上新規で紙のOCG始める人は増えないんじゃないかな。
レギュレーションの導入は個人的には無理だと思っている。それは日本が銃器の合法化を導入するようなもので、文化や背景がきっちりしていないなら導入はあきらめるしかない。
そもそもOCGはかなり古いアーキテクチャで構成されており、そこに慣れ親しんだプレイヤーの理解は得られないと思う。
ただ、現状のOCGはアニメだってショートしか作られないという限界集落なので、たぶんこれ以上の新規勢を呼び込む方法はないってのが如実に表れている。
トレカの性質上、常に動き続けないと死んでしまうし、死んでいないことをアピールするために呼吸器つけて走っている状況だと思う。
ドラゴンボールは漫画ではなくてアニメから入ったので漫画の印象が薄い
友人の家にあった本を借りて途中まで読み、その後はサンデーで読み漁った
ちなみに「うしおととら」も置いてあったが絵がキモくて読まなかった
少年のスポーツといえば野球かサッカーかという時代に一大旋風を巻き起こしたバスケ漫画
陵南戦のメガネ君は忘れられないし
山王戦が始まる前の緊張感が半端なくて読んでて喉がカラカラになった
ブラックジャックとかアドルフに告ぐも面白かったけれど、やっぱり火の鳥こそが手塚治虫ライフワークの集大成
小学生・中学生・高校生・大学生・社会人のそれぞれのときに読み直して新しい発見がある希有な作品
源義経を悪人に描いていることに衝撃を受けたし、大人になってから読むと彼が可哀想にも見えてくる不思議
平均的に毎回面白いだけではなくてクリティカルヒットを何回も飛び出す、ギャグ漫画として異常な作品
作画はスタッフを増やせばどうにかなるかもしれないがギャグで毎週笑わせるのは本当に大変だったと思う
「チョ☆チョニッシーナマッソコぶれッシュ☆エスボ☆グリバンバーベーコンさん」はいつでも突っ込めるように覚えている
どこまで忠実なのか知らないけれど江戸時代がエグすぎて軽くトラウマ
小六のあのシーンとかが好きなんだけど分かる人が周りに全然いない
小学生の時にはキモくて読まなかった「うしおととら」だったけれど中高生ぐらいで読み始めてどっぷり漬かる
その流れでからくりサーカスを読み始めたが、10選の中でもトップ3には入る素晴らしさ
例の「べろべろばぁ」のシーンとか、「笑うべきだと分かったときは、泣くべきじゃ無いぜ」とか、非常に素晴らしいですね
福本作品はカイジとかアカギが人気だけれどどう考えても天が至高
停電からの九連宝燈はさておき、東西戦が最高に面白いし、その後の話も非常に良かった
「凡人が長生きしても暇なだけ」っていう台詞がめちゃくちゃ心に残ってるけど、あれって「銀と金」だっけ・・・?
浦沢直樹作品はHAPPYもYAWARAもMONSTERも読んだけど20世紀少年が最高に好き
こう言うと多くの人が「なぜ?」って言うけど、普通に全編通じて面白いよね
特に浦沢直樹っていろんなところの解像度が高いのが良くて、YAWARAだと富士子さんの赤ちゃんの顔とかがまさにそれ
20世紀少年は「普通の人が大人になったときの小学生時代の記憶」に対する解像度が凄く高い
それを踏まえてのあのオチなのでめちゃくちゃ良かった
怒ってる人を理解できない
これも「なぜ?」って言う人が多いけれど、三部のインフレからの四部での能力バトルっていうのが斬新すぎて満足度が高い
ラスボスがド変態なのに好感度高いってのも凄いし、ラスボスを追い込むのが川尻隼人っていうのが最高
まぁ一番ラストを持って行ったのが承太郞なのはちょっとアレだけど、まぁいいんじゃないすかね
チェンソーマンとどっちにしようか迷ったけれどやっぱりファイアパンチ
ところが改めて読み直すと序盤から映画っぽさがかなり強いことに気付く
特にドマの村のあそことか、凄いですわ
銀河英雄伝説(道原かつみ)はかなり影響を受けたけれど、途中で終わってしまったのが残念
まぁ選外は上げ出すとキリが無いけれど、パッと見たところマガジン作品が入ってないね
GTOとか今日俺とか一歩とか大好きでずっと読んでたしMMRとか話題になる前から見てた(そして信じてた)
ただ人生の10選に入れるか、って言われるとちょっと違うかなぁ
「一発屋」という言葉が不適切なんで大喜利化してるけど、AKIRA以降見るべき仕事をしていないとは誰かがはっきり言うべき。
特に、映像作家と称してやったアニメの仕事はみんな並以下のできばえで、だからいつまで経っても「AKIRAの大友」でしかない。
逆に言えばAKIRA以前の、漫画家としてやった仕事はAKIRAや童夢は言うに及ばず、ショート・ピースにハイウェイスターにさよならにっぽんに気分はもう戦争にその他諸々、
どれをとっても傑作揃いだった。あのキレッキレの大友が凡作以下のアニメをたまに作って無理に褒められてるのはやはり見るに堪えない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4755264594165445344/comment/ffggmm
確かにその通りだと思う。大友の発想や資質には無秩序・無軌道なものに対する憧憬が強くあって、
それは初期の短編群におけるモラトリアムな青年たちの人物造形からAKIRAの健康優良不良少年達に至るまで一貫してるんだけど、
しかも当人は世界的な名声を得てしまっていて、今さらモラトリアム生年の続きを気取ることもできない。
実際、スチームボーイではより明朗な少年漫画的主人公に舵を切ろうとしたが、あまりうまくいっていなかった。
むしろ、迫り来る老いや不能を直視した、短編漫画を読んでみたかった。
正直なところ、数年前に単発で掲載された「気分はもう戦争」の続編を見たときには、(……絵が衰えてない?)と思えて辛かった。
でもそういうところ含め、かつてとんでもない輝きを放った才人の悪あがきをみてみたいんだよ、無責任な読者の一人としては。
はじめて読んだミステリ……?は中学生の頃に読んだ白夜行だった(ミステリじゃないかも)
ミステリは推理をしないで読む派だけど、たまにトリックにあれ?って思い浮かぶ事があるけど大体外れる
作者である阿津川辰海の高校の女先輩がこんな小説をお前が書いてる事が気持ち悪いと言ったのは正しいし、群を抜いた物凄く頭の良い作者が書いた小説とも思えない(他のミステリ作家の作風の方が余程スマートで知的に見える)けど、取り敢えず量だけはあってちゃんと読める事は読めるので買って後悔はない
蒼海館以外は凡作
犯人がまあまあ分かりやすいけど全部一定以上の質があり個人的に一番面白かったのは魔眼。逆に屍人荘が一番好きじゃない。
ミステリにありがちな物語軽視ではなく単純に小説として質が高い
でも他のシリーズは読んでない
屍人荘の殺人シリーズ、メルヘン殺しシリーズとこの作品は凄い勢いで読み進めたぐらい面白かった
このシリーズの作者が死んだのを知らずに読んでいた
一番好きなシリーズなだけに本当に残念だ……
イライラしそうなレベルのクソしょうもない会話とロジカルな作風とグロさが相まって独特な雰囲気ある
探偵役より脇役の方が大体賢くて推理出来るミステリって他にある?シリーズ全部好き
同じシリーズだからいつものノリだなって部分多いのに作品の雰囲気が全然異なるから凄い
最初の数ページで読み辛すぎて脱落しそうになった
トリックは死体が分割されていて明らかに持ち去られてる時点で偽装かな?って普通疑うし実際その通りだった
ただ推理にノイズが凄まじく多いので、俺のようなゆとりには古い作品は辛いなって感じる
あと何かカマホモっぽい
硝子の塔の殺人
あいつ多分絶対やるためにバイアグラ持ってきてるし多分コンドームも持ってそうなのもそういう事って話
でも他のこの本読んだ奴もそうだと思う
その可能性は既に考えた
今の所読んだ小説の中でもっともロジカルに話が展開してるように感じる
というかこれオタク向けじゃねえ?俺のようなにわか向けじゃなくね?
変な家
でも不動産の間取り図で推理してくのは俺のような推理しないでミステリを読む人間でも思わずやってしまったから素晴らしい仕組み
殺戮に至る病
ラストも行為として物理的に出来る出来ないかで言えば出来るのかもしれないが、なんだかなあ
おまけ
死亡遊戯で飯を食う4巻
原作第1章をそのままアニメにしてるっぽいんだが、これをこのままやって6話ぐらいで第1章が終わっても見てる側の心に大したものは残せないと思う。
リリースと同時に銀行強盗が話題になったスピード感がアニメのテンポでは全く出せてないし、アルが登場してあっという間に落ちぶれるスピードも再現できないだろう。
設定も全然わからないままにハイスピードで次々と情報が降り注いでるうちに全てが終わり「なんかよく分からんけど皆いい子だな」でとりあえず〆るしかなくなるのが魅力だった。
でもこれを1ヶ月半かけてダラダラとやられてもそれは普通の廃校アニメでしかなくなってしまうわけだよ。
ましてその後に第2章で今度はアリス編をやられて、その終わりがアレなわけだけど盛り上がるのだろうかと不安しかない。
最大の問題は、あんまりのんびりやってたら最大の強みである3章をやらないでアニメが終わることだ。
皆が求めているのは映像化された3章なんだ。
1章は理不尽ギャグとしてそれなりに話題性があったけど、2章の評価は凡作止まり、多くのプレイヤーが「アリス可愛かったね。それじゃユズは俺が保護しておくから」でゲームから去った過去さえある。
3章なんだ。
もしもそのままアニメ化するなら3章は絶対にやらないと駄目だ。
いっそのこと1章を4話ぐらいで終わらせて、その次は3章に飛んでしまうというのもありかも知れない。
1・2・3・4はそれぞれが独立していて、最終章において一つに繋がる形になっているから順番を入れ替えても問題はない。
そうか、この手があるのか。
じゃあなんとかなるな。
3章が来たら教えてくれ。
アニオリが来たらでもいいぞ。