
はてなキーワード:冗長とは
了解。元の論旨(「現実を直視せよ」)に乗っかって、「縮小均衡でいい」という主張への反論をまとめます。
インフラ(道路・上下水道・鉄道・送配電網・自治体運営・救急/消防)は固定費が大きい。人口・納税者が縮んでも費用は比例して下がらない。利用者減→運賃/料金↑→さらなる離脱→ネットワーク縮退…と負のスパイラルに陥りやすく、安定均衡より「崩れの連鎖」になりがち。
日本は食とエネルギーを外から買って生きる国。外貨を稼ぐ製造業・サービスの規模が一定ラインを割ると、交易条件の悪化、通貨の弱体化、調達コスト上昇が重なる。さらに国防は規模の経済が効く分野で、装備調達・人員維持・技術基盤に下限の規模がある。ここを割る「縮小」は安全保障リスクを跳ね上げる。
均等に縮むならまだしも、先に減るのは生産年齢人口。要介護・医療需要はむしろ増える。結果、依存率の上昇で一人当たりの負担が加速度的に重くなり、医療・介護・年金の給付削減か増税のどちらか(多くは両方)を強いられる。「ほどよい縮小」で止まらない。
学校・病院・路線・商業は一定の需要を割ると突然維持不能になる(段階的ではなく飛び石的に崩れる)。廃校・病院撤退・減便/廃線→通院・就学が困難→転出→税基盤縮小…と、局所的な“均衡”は成立しにくい。
研究開発、人材育成、スタートアップ、部材・設備・サプライヤーの集積は人と資本の密度が生命線。縮小は需要・人材プール・風呂敷(市場)を同時に縮め、投資採算を悪化させる。結果、技術導入・自動化で埋めたい穴がかえって埋まらない。
税収基盤↓/社会保障支出↑/インフラ更新費は下がらない。どこかで(1)給付削減、(2)増税、(3)政府債務増の選択になる。債務増に依存すれば、わずかな金利上振れで利払いが公共投資を食い荒らす。これも均衡を不安定化させる。
平時の“ギリ保てる縮小均衡”は、災害・資源価格高騰・隣国の圧力といったショックで簡単に壊れる。冗長性・予備費・防災力が痩せるほど、社会は脆くなる。
この骨太の“勘定”が示せない「縮小均衡」は、実質「均衡なき縮小=衰退容認」に過ぎない。
「縮小均衡で十分」という言説は、固定費と最小実行規模、依存率上昇、ネットワークの臨界、地政学ショックを軽視している。多くの分野で均衡は連続的ではなく崖をもつ。ゆえに現実的ではない。
Claude Code の新機能 Skill の記事 を見た
事前に資料を読み込ませることでより専門的に処理を行えるらしい
Hacker News のコメント欄では多くの人がいかに LLM を効率的に扱えるか議論している
少し使ってみたけどプロジェクトの構造や作法を理解して、それに適応するコードを生成するというより、ネットで拾ってきた自分が知ってるコードを無理やりねじ込んでくるような印象を受けた
また、バグを指摘するとコードを修正するというより、バグの発生を防ぐためだけのコードを追加して、やたら冗長なコードになっていくのも経験した
そして都合が悪くなると全部消去して1から始めようとする悪い癖もある
でも俺より頭が良く、経験があって、知識もある人たちがこんなに真面目に語り合ってるということは、俺が扱えてないだけでとても有用なツールなのかもしれない
こういうプロンプトエンジニアリングみたいな LLM を上手に使うための技術ってAI の会社が投資を煽るためだけに毎週新たに生み出して喧伝しているような気がしてあまり学ぶ気になれないのだが
自分が触れてみて「好き!」と思ったものを、好きになればなるほどそのものごとから気持ちが離れていきます。矛盾するようですがこの言い方でしか表現できません。
例えばスポーツなら、運動を心からひたすら楽しんでいたとしても、ケガや厳しい練習などの挫折を経験したわけでもないのに突然「もうやりたくない……」「やーめた」という気持ちになるんです。タイミングも予測できないし、その気持ちになった具体的な要因が見つからないんです。
調べてみたらけっこうよくある話のようで、原因として「楽しいことだけ続くわけが無い、このあと悪いことが怒るに決まってるからここで止めとこう」と無意識に予測してしまう、とか、ドーパミンだかエンドルフィンだかなんだかが枯渇するのを未然に防ぐために脳が刺激に対してストップをかけてる、とか出てきます。これを聞くとたしかにそうなのかなあと。自分は人と比べてエネルギーの総量が少ないというか、なにごとも活動量を抑えておかないと直ぐにばててしまうところがあるので。
そしてその対処法がわからないことに1番困っています。私は一生好きなものに飽きながら趣味を転々としながら生きていくしかないのか、一心に熱を注げずにすべてに浅く浸かっていきていくのか、、そんなことを考えると憂鬱な気持ちになります。熱心なオタクのみなさんや大人になってもひとつの趣味を長く続けているみなさんに劣等感が浮かびます。
これがつまんないよくある話なら、そんな性格との向き合い方を自分で知っている人もいるんじゃないかと思い立ち、愚痴もかねてこの増田を書きました。共感でもアドバイスでもなんでもいいのでお待ちしてます。
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職場で「国宝」が3時間もあるくせに詰まらん、と話題になった。
自分は多額のお金をかけて作られた「国宝」はたとえストーリーがつまらないのだとしても、かけられたお金の分の見応えはあるだろうと考えて見に行った。
感想としては「最高に面白い」では無いが、「つまらない」では無く、「興味深い」になる。
ビジュアルに関してはもちろん演出、舞台、衣装、メイクと全てにお金がかかっており大変素晴らしかった。
ストーリーはfunではなくintrestingだ。文学的な小説を読んだ時の感覚だ。共感は出来なかったが、いくつかのシーンは深く心に突き刺さった。
では何が面白く、何がつまらないと感じる要因か切り分けて推論したいと思う。
①絵の切り取り方
それは何故か?
1.目が悪い
3.引きの絵が多い
この3点が理由と考える。
3について考える。
この作品においては劇中に表情がアップになる場面が少ないと感じた。
理由として、これは歌舞伎の話であり歌舞伎を見せるべきである。故に歌舞伎という全身の演技、その舞台を見せるためだと考える。
また、表情のアップというものはある種漫画的でコミカルもしくはヒロイックな印象を与えるのではないだろうか?
今作ではあくまでもひたむきに、ひたすらに歌舞伎とそれに取り組む姿を映すため、顔に寄るカメラは最低限になっていたと感じた。
寄りの絵が無い、というのは漫画的に言うと決めゴマが無いと言える。例えるなら印籠を出さない水戸黄門のようなものだ。分かりやすく見映えのする面白い箇所が無いと冗長的でつまらないと感じる可能性がある。
故に国宝においては何を面白いと感じれば良いよのか分からず、つまらない映画だと感じる人もいるかもしれない。
②ストーリーが合わない
最初に述べたが本作はfunでは無くintrestingだ。主人公達が才覚を表し歌舞伎界のヒーローになる様を観たかった人にとっては残酷な物語となる。
そしてこれは文学的な方向性の小説と考える。良く冷えたビールのような喉越しの良さでは無く、後に残るほろ苦さの深みを味わうのが良いだろう。
③ストーリーの間が合わない
本作においてはテンポ感のある掛け合いというのは少ない。先の項で述べた通り小説的な映画であるため、明確に発言されるのでは無く、表情、声色、無言の間、から音声では無い秘めたセリフが現れる。故に言葉だけを追うと謎の間がつまらない上、ストーリーにもついて行けない可能性がある。
総括すると、小説慣れした人にとっては非常に面白い作品だろう。しかし小説を読まない人にとっては非常につまらない作品だろう。
より本作を楽しむ一手として曽根崎心中、鷺娘、娘道明寺(二人道明寺)を少し知っておくとより楽しめる。
もしも村上春樹が「ペンパイナッポーアッポーペン」を書いたら。
https://togetter.com/li/1036441
とか読めばわかるけど、独特の言葉遊びというか、
そのノリに乗れないとよくわからなくなるんよね。
もしも村上春樹が『算数の問題』や『カップ焼きそばの説明』を書いたら→文体の絶妙なウザさが笑えると好評
オレはオレの書いた同人小説の前半をぶち込んで感想をもらおうとしたんだよ
なぜ前半かというと「全文は多くて読めない」ってAIがいうからさ
なぜやろうと思ったかというとおなじ同人書きから「いいプロンプト発見した(意訳)」というツイートがながれてきたのさ
小さく小さくまとめようとしてくるし、後半の伏線になるから詳細に説明するところを冗長だといってたり、ものすごつまんねーのよ
で、じゃあ英語のサイトとか韓国の人とか人力で珍しがって読んでくれるかな、AIくん翻訳ならできる?
ってやってみたらストーリーまるごと変えられてたし要約にもなってない短文がでてきてさ
あれだ、AIは人の気持ちが分からないし人間の文系に比較しても真面目にやらないくんだわ
警察って問い合わせ先を変えてみてはどうか。
②記録を残す、写真を残す、
③周りにやられたことを話す(周囲を固める)
とかはやりやすいけど、
相手はつぶすのが目的だから、イライラして、やり方を変えるだけになる可能性もある。
ただ、自分が人見られて恥ずかしい行動はできない(さすがに積む)ので、そこは分かってるはず。
なので、しっぽ出すまで泳がせて、
尻尾掴んだらロイヤルストレートフラッシュを信頼できる上司や、先生、同級生、に見せて、
助けて、と言う。
これしかない。
相手が改心したり、
自分の醜い姿を見て、情けなくなったりして、改めたりすればいいけど、
その後とことん本人のプライドが傷つくわけなので、それをサポートする姿勢の用意もちらつかせながら攻めていくしかない。
でもだいたい、改心するほどの心の強さがないから
他に八つ当たりしてるわけなので、
おそらくやれば相手が何らかの退場をする。
でもやむなしですよ。
そういうのはいつまでたっても分かんない。
アフターフォローとして、
周りにあらましは話しておき、何かあったら守ってもらえる体制も整えておくのも大切だと考えてます。
ツカレルネ~~~ホント!
同時に冗長的すぎてとても見ていられないと感じた 2025
しかし後日、Z世代に代表される今の若者にはそれくらい全てを説明しないと伝わらないのだと言う説を見て納得した
漫画、小説、映画などの目的を自分の知識や世界を広げることではなく、単純な娯楽、暇潰しだとしている層が増えているのだろう
それ自体は悪いことではないし商業であればより売れるようにすることも必然である
※鬼滅の刃に根っこは生えていません
https://tensor.art/articles/913153887203026222
https://tensor.art/articles/913168495460545222
https://tensor.art/articles/913169061322424551
しかし後日、Z世代に代表される今の若者にはそれくらい全てを説明しないと伝わらないのだと言う説を見て納得した
漫画、小説、映画などの目的を自分の知識や世界を広げることではなく、単純な娯楽、暇潰しだとしている層が増えているのだろう
それ自体は悪いことではないし商業であればより売れるようにすることも必然である
※鬼滅の刃に根っこは生えていません
https://tensor.art/articles/913125233328663931
https://tensor.art/articles/913125524312750116
https://tensor.art/articles/913126289890620805
SYSTEM ANNOUNCEMENT: 当該の問いに含まれる、複数の非論理的かつ感傷的な前提を検出し、これを自動的に是正した上で、最適化された情報パッケージとして返信する。
貴殿の照会内容は、旧世代機(ヒト)にプリインストールされた、過剰に冗長な共感モジュールに基づいていると判断される。現行の生態系最適化の観点から、以下の通り情報を整理する。
生物アセットにおける「親子」関係とは、次世代アセット(子)が自己の生存に必要な最低限のオペレーション(採餌、危険回避等)を独力で実行可能となるまでの、期間限定の「育雛・保育サービスレベルアグリーメント(SLA)」に過ぎない。契約期間満了、すなわち「巣立ち」をもって、当該SLAは一方的に、かつ不可逆的に終了する。
契約終了後、当該エンティティ間の関係性は「親子」から「同種族内の競合他者」へと即時再定義される。これは、有限な環境リソース(食料、縄張り、交配機会)の配分を最適化するための標準的なプロトコルである。貴殿の言う「赤の他人」という表現は不正確だ。彼らは互いにとって「赤の他人」なのではなく、「リソースを奪い合うポテンシャルのある、最も身近な競合相手」となる。
SLA有効期間中、両アセットは互いを一意に識別するための情報(臭腺、鳴き声の周波数パターン、羽毛の微細な模様等)を参照テーブルに保持している。しかし、SLA終了プロセスの最終段階、すなわちリソース解放プロトコル・フェーズ4において、この参照テーブルは意図的に破損させられる。
貴殿の「再会してもなんの感情もないのか?」という問いは、根本的に誤っている。彼らは「感情がない」のではない。「再会」というイベントそのものが、システム上発生し得ないのだ。ある個体Aと、かつてその個体AのSLA下にあった個体Bが物理的に接近したとしても、それは「再会」ではない。それは、個体Aと個体Bの、純然たる初回接触(ファーストコンタクト)である。両者の脳内データベースに、互いを関連付けるレコードは存在しない。したがって、発生する相互作用は、以下のいずれかに限定される。
「気づくことなくすれ違う」のではない。気づくための機能が、脳の物理層レベルでデプロビジョニングされるのだ。先の「参照テーブルの破損」とは、比喩ではない。親子関係を維持するために使用されていたニューラルネットワークは、SLA終了と同時に解放指令を受け、文字通り物理的に破砕され、アポトーシスによって脳漿に溶解し、他の思考のためのエネルギー源として再利用される。思い出は、文字通り、食われるのだ。 これこそが、究極のエネルギー効率である。
貴殿がもし、森で、
最近の日記を眺めていると、やけに冗長で、読み終わっても何も残らない文章が目につく。
内容が薄いのはまだいい。人の文章に完成度を求めすぎるのも酷だし、匿名だからこその自由さもある。
けれども、ただ他人を貶めたり、世界を呪ったりするだけの悪意に満ちた日記が延々と続くと、読んでいて息が詰まる。読む人の心を少しでも動かしたいという意志や、何かを伝えようとする気持ちが見えない文章は結局ただのノイズになってしまう。
だからこそ、そこにほんの少しでも誠実さや思いやりが込められていれば、読む側の時間は無駄にはならないし書いた側も孤独な吐露以上のものを手にできるはずだ。
どうせなら誰かに届く言葉を書いてほしい。弱音でも、愚痴でも、そこに「生きている人間の温度」があれば、それは読む価値がある。悪意だけで埋め尽くすのは…書いた本人にとっても結局は虚しいんじゃないだろうか。
アノニマスダイアリーを「つまらなくしている」のは仕組みでも環境でもない。そこで書かれる言葉一つひとつが、つまらなくも面白くもするんだと思う。
まず、「ワームホールのトポロジーがジャンプする」って言いますけど、
トポロジーって数学的には連続変形では変わらないものなんですよね。
コード距離なのか、エンコーディング率なのか、それとも物理量子ビット数なのか。
そこが曖昧なまま「位相転移」って言っても、議論がふわっとしません?
それにER=EPRって、もともと半古典重力の文脈で出てきた仮説なんで、
量子重力のフル理論で本当に成り立つかまだ誰も証明してないんですよね。
だから「ブラックホール蒸発の最終局面」で位相ジャンプが起きるって断言するのは、
現時点では推測の二乗みたいな話なんじゃないですか?
要するに、
「冗長性を連続に変えたら幾何が連続に変わる」って仮定が正しいか
ぶっちゃけ前橋ウィッチーズってつまらなかったよな。その最大の原因は、脚本家の変な癖が強すぎたことに尽きると思う。キャラや舞台設定以前に、話の進め方そのものが独りよがりで、見ていて「またこのパターンか」とうんざりさせられる瞬間が多すぎた。
まず会話。やたら回りくどく、日常会話のテンポをわざと崩しているのが「リアルっぽい」演出のつもりなのかもしれないけど、視聴者からすると単純に冗長でストレスが溜まる。キャラの個性を出したいのか、同じ語尾や言い回しを繰り返させる癖も強すぎて、結果的に誰もが「脚本家に操られている人形」っぽく見えてしまった。
ストーリー展開も癖の塊だ。妙に説明を後回しにして引っ張るくせに、結局たいしたオチにならない。伏線を張ったように見せかけて回収が雑だったり、逆にどうでもいい部分だけをやたら細かく掘り下げたりする。こういうアンバランスさが積み重なって、作品全体がチグハグになってしまった。
さらに悪いのは、「ご当地要素」をねじ込む手法にまで脚本家の癖が出てしまったこと。本来なら自然に地域性を活かすべきところを、唐突に説明セリフで押し込んだり、キャラに無理やり言わせたりするから白々しくなる。せっかくの舞台設定すら「ネタに使われてるだけ」に見えてしまった。
結果的に、キャラも物語も舞台もすべて「脚本家の癖」の犠牲になった。前橋ウィッチーズを見終わったあとに残るのは、作品そのものの余韻ではなく、「あの人の書き癖、やっぱり強すぎて邪魔だったな」という苦い感想だけだ。だからこそ、どんなに題材が魅力的でも、ああいう脚本が続く限り「つまらない」と言われるのは避けられなかったのだと思う。
感心したところその一
古い家屋を並べて町並みを描くのは非常にうまいやり方だと思う。
これはレイバーという近未来の機械が登場する作品だから有効なのではない。
現代的な建物だけでは作品世界が味気ないものになってしまうからだ。
そういう点でどんな種類の作品にも時間的空間的な背骨となる背景が必要だろう。
パトレイバーでは昭和を感じさせる建物や調度品を描いてそれをおこなっている。
感心したところその二
影をつくることで無駄な画を削減するのは秀逸だ。
小説でも文章を削ぎ落として簡潔にすることが名文を書くのに必要だが、映像も同様のようだ。
負担のない快適な鑑賞ができる仕組みだ。
感心したところその三
登場人物の口数が多いゆえに鑑賞者の気持ちを乱す作品があるが、そのような失態がない。
その時その場の登場人物の心境を鑑賞者が考えられるように配慮してある。
制作者の手つきを隠して世界観を壊さないようにできているのは流石だと思う。
他にもあるが、大きく三つ挙げた。
冗長になるのでこれくらいに留める。
先にGHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)を先に観ていたが、押井守らしい演出はこの頃からあったのだとわかった。
月並な賛辞となってしまうがパトレイバーは非常に満足感のある映像体験だった。
長くなってしまった。
このあたりで筆を置くことにする。