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はてなキーワード:再現とは

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2025-10-26

最近コピペ増田について

増田を一日眺めてると気づくが、最近コピペ増田が多い 

自信の再投稿なら別に構わないが、他人丸コピペしている

 

自分もされたことがあり、なんで自分投稿トップにまたあるんだ?と疑問に思ったほど

URL投稿時間確認すると別物とわかったし、編集ボタンも出てなかった

バズりそうな増田ならともかくどうでもいい一言や、他増田に対するどうでもいいトラバ対象になっている

 

というか、元の増田から続く一連のツリー全部がコピペ再現されているのだ

目的がわからないし不気味としかいえない

改変したり広告代わりにURLを入れるとかも確認した限りではなかった

 

検索しても過去のはでてこないことが多いので、一部が削除済みなので再現してるのかもしれない

しかし、おもしろいとか役に立つと言える増田でないものコピペされている

自身トラバたかったけど消えてたので全部再構築というのはもしかしたらと考えたが、残ってるもの比較したら特に追加のトラバついてるようでもなかった

 

数が多いこともあり流石に手作業ではやらずに自動化してそうだが、そのためにスクリプトを組んだりしてることを考えるとなおさら意味がわからず怖い

また、もちろん許可を取ってないわけで完全コピペするのは権利的な麺でもどうなのかと思う

 

また一応これに関して言及している増田も2,3は過去に見かけたがバズることもなくほぼスルーだったように思う

少し前にいた謎のスパムに近い不気味さがある

Permalink |記事への反応(1) | 12:59

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2025-10-25

@ShinShinoharaの教育実習エピが林修塾講師時代のエピに似てんな。

https://x.com/ShinShinohara/status/1980764664121397499

林先生

https://x.com/BH79Ca4YNT6112/status/1980211697886675399

昔、東進ハイスクール林修先生が「もう時効なんで言えるんですけど」と前置きした上でされていた興味深い話。

林修先生がまだ数学先生だった頃、ある日の授業の予習をしていないことを、その授業の直前に気がついたそうです。その日は東大過去問解説する回でした。

林修先生は授業に対して徹底した準備をして臨みますしかしその日の授業の準備はもう間に合いません。生徒に申し訳いからと、その日の授業は休みにしようと塾に電話をしようとしたそうです。

しかしここで「今自分が1番やるべきことは、授業に穴をあけないこと」と思い直し、その日は授業の準備を殆どせずに、授業に臨むことになりました。

いよいよ授業が始まり、生徒は林修先生解説を聞く準備ができています解説するはずだった問題殆ど初見問題。そこで林修先生は、あーでもない、こーでもないと試行錯誤をしながら、何とか問題を解ききり、解説を行い、授業を乗り切ったそうです。

準備をしなかった反省をした反面、生徒からの反応は意外なものでした。ああいう授業が分かりやすい、またやってくださいよとお願いされたそうです。ゴチャゴチャとした授業は生徒の評判が良かったのです。

林修先生は単に準備をしなかっただけなのですが、この話の中には数学勉強する上での重要エッセンスが詰まっているように思いました。

数学が苦手な生徒はなぜ手を動かさないのか、なぜ図を書かないのか、その答えの1つは「模範解答のような式が問題からいきなり出てくる」という勘違いから起こっているように思うからです。

解答解説の式に対して、数学ができる人はこういう式が問題から思い浮かぶんだ、だから自分もこういう式をいきなり思いつかないといけないんだ、という誤解です。

実際には解答解説のような式を書くにせよ、その式を出すための図や表、また別の解法の試行錯誤などが土台となって、計算式を書き始めます。そして本来数学の力は、答案には書かなかったゴチャゴチャにあったりします。

林修先生の授業は、数学問題が解ける人のリアルな動きを再現したわけです。その結果、模範解答には書かれないゴチャゴチャした部分が生徒に刺さり、生徒から分かりやすい授業と写ったのではないかと考えています

Permalink |記事への反応(0) | 11:51

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2025-10-24

コンテンツ消費者欲望社会正義すり替えるべきではない

一部のファン作品の結末に不満を抱いた際、

異性愛規範強要

「LGBTQ+を弾圧する表現

といった社会正義言葉を用いて、制作者の決定を非難する例が見られる。

ここで問題となるのは、その主張が

性的マイノリティ当事者現実的要求に基づくものか?

それとも自らの消費者としての希望が叶わなかった怒りを正当化するための装飾なのか?

という点である

ポリティカルコレクトネス(以下PC)は、権利が抑圧されている当事者を守るための概念だ。

しかし、もし作品の男女カップリング成立を「表現規制すべき」とまで言い募るのであれば、それはPC政治的倫理的重みを私的欲望の道具として転用している危険がある。

作り手は、読者に媚びずに物語を構築する創作自由を持つ。読者は、気に入らなければ読まない自由を持つ。

しかしその関係が崩れ、「私の望む展開以外は差別から規制せよ」と要求し始めれば、表現のもの危機に陥る。

消費者個人的な不満を社会構造批判偽装することは、マイノリティ当事者の声をノイズとして埋没させる行為にもなる。

同性愛表現は、当事者尊厳を担う社会的な再現と、非当事者向けフィクションとしての性的な消費の二層を含んでいる。

この線引きが曖昧なまま、「消費者としての願望が叶わない=当事者権利侵害」と短絡すれば、結果として当事者性の“奪取”が起こりうる。

LGBTQ+を扱った表現尊重するのであれば、自らの要求社会権利の主張とは異なる次元にあることを自覚しなければならない。

少年漫画という媒体には、もともとターゲットとなる主読者層が存在する。

作品本来設計思想対象読者の多様性否定してはならない。

作品を愛し、楽しむ自由は誰にでもある。しかし 「自分の好きな読み方だけが正しい」 とし始めた時、ファン文化排他的な力へと変質する。

 

結論

PC社会的に不利な立場にある当事者のための倫理概念であり、消費者欲望正当化する武器ではない。

個人的な「推しカップリング願望」を理由表現規制しようとするのは危険

Permalink |記事への反応(1) | 14:18

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スパイファミリーフォージャー』は、2025年日本映画集英社アドベンチャー映画で、日本遠藤達哉による児童文学漫画作品SPY×FAMILY』を原作としている。東京ディズニーランド内にはフォージャー家が過ごした家を再現した『スパイファミリー・ツリーハウス』が存在する。

Permalink |記事への反応(0) | 12:43

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AIが手を描くの上手くないのってさ

絵描きが手を描くの苦手なのと同じだよね

めっちゃ再現できてる

Permalink |記事への反応(4) | 10:40

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2025-10-23

余白を埋める功罪 実写版秒速5センチメートルレビュー

どんな映画だったか

一言で言えばファンムービー

ストーリーの改変は基本的にない。

ただし原典アニメ映画)で描かれていなかった部分が要所要所で足されていたのかな?

余白を埋めたということ。

おそらく原作小説)に近いのだと思う(未読のためわからん小説レビューから推察)。

でもそれって客から想像余地解釈余地を奪うということなんだよな。

原典ではすべてが描かれてなかったからこそ、救いのない話と解釈された。だからインパクトがあった。

余白をすべて埋めてしまうと、伝わるかもしれないけど正直微妙

これが新海誠が本当に伝えたかったお話なのだとすれば、やっぱ新海誠って物語センスねーよなとの結論になる。

誠的には不本意なのかもしれないけど、エッジの効いた原典の方が好きだよ、自分は。

  

せっかくなので、もうすこし感想を語る。

原典で使われていた音楽セリフ、シーンはほぼ再現

これってやっぱりファンムービーだよね。

ファンは嬉しいかもしれない。

でも一本の邦画として見た時にどうなのかというと、まあね。。

新海誠のよさって、あの写実的映像美とMV力だと思うんだけど、

実写版には当然写実的映像美はない(なんせ「実写」なのだから)し、MV力(音楽に合わせた動的なカット割り)もない。

新海誠原典から新海誠の強みを差し引いて、脚本上の余白を埋めて、忠実に再現した映画

こう評するとヒドい映画のように思えるかもしれないけど、

でもゼロ年代90年代時代感はよく再現されていたし、78/79年生まれの人たち(氷河期世代)の生き様リアル感もほんとにそれっぽくて、

再現力はかなりすごい。

たぶんだけど、自然めな演技をするように工夫されてた感がある。

監督の力量を感じた。

けどやっぱり思うよ。

2025年のいまこのときに、「2008年当時29歳だった人の、なんかいいとも悪いとも言えない人生の一片」を朝ドラかのごとく考証しっかりと映画にする意味って何なんだろうか、と。

不思議気持ちになるよね。

そういう意味でもやっぱりファンムービー

  

というわけでこれはファンムービーなので原典視聴済みの人は見ても悪くはないと思う。

試聴の人はこっちより原典を見たほうが絶対によい。原典見て面白いと思ったらこっち見てもいいかも。

知識ゼロ純粋邦画として見たら、何とも言えない気持ちになると思う。

しかしたら20年前の映画の再上映を見てる気分になったりして。

Permalink |記事への反応(0) | 21:13

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映画老人Zを見た

何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、

ある種の社会風刺アニメとして見ると現代感覚だと60点くらいかもしれない。

 

スタッフ言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。

大友克洋北久保弘之江口寿史磯光雄今敏神山健治黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。

なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。

 

アクションコメディバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。

主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。

バカすぎるし完璧すぎる。

作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。

 

社会風刺としても、高齢化自体1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。

また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイル彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見助長するのでは?と思ってしまった部分はある。

 

個人的に一番気になったのは介護看護献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。

まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ

 

あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公であるという部分。

厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動強制介護するマシン作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンOS内に喜十郎の奥さん人格形成され海に向かって暴走を始める。

そのOSペンタゴンが開発した軍事転用可能もので、介護用と言いつつも軍事技術データ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOS提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?

俺がマッチポンプ作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。

いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。

というのが一番のモヤモヤ

 

こういう作品だと役所人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれしまったという形で、マシン問題に気付いてから主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。

あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史キャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。

 

根本の部分が公開から35年たった今見ると、ええんか?ってなるところ以外はよくできた作品だと思う。

伝説の傑作ってほどではないけど、アニメ好きだったら見といて損はない。見てるとドヤれるし。

Permalink |記事への反応(1) | 08:48

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2025-10-22

フェミって思考が姑なんだよね

自らが一番なりたくなかったもののはずだけど、やっぱり嫌いなものや苦手なもの意識しすぎると脳がバグって言動再現をしちゃうってあるんだなあ

Permalink |記事への反応(0) | 05:34

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2025-10-21

コードを読めないプロCxOたち

APIを書き、CIを回し、バグを踏み、直し、また壊す。

そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。

──CIO、CTOCDOCISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。

PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。

1.コードを読めないプロCxOたち

うちのCxOはこう言った。

AIクラウド活用して競争力を高めたい」

翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーサービスの?」と返された。

その瞬間、何かが切れた。

──ケーキではない。

CxOたちはコードを読めない。

それ自体は罪ではない。

だが、読もうとしないことは怠慢だ。

経営層は「現場に任せている」と言う。

だがそれは委任ではなく放棄だ。

責任ある意思決定者が構造理解しないまま判断することは、

現場を信頼している”という名の無関心である

2. 「経営層はコードを読む必要はない」という言い訳

よく聞く反論がある。

経営層はコードを読む必要はない。経営判断こそが役割だ。」

かにそうだ。

ただし前提が抜けている。

経営判断とは、構造理解した上で行う選択のことだ。

構造理解せずに選択するのは、“判断”ではなく“賭け”だ。

まりコードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である

その区別がつかない時点で、DXを語る資格はない。

技術的なことは詳しくないが、成果は出している」

それはたまたまだ。

成果が出たという事実は、理解が正しかった証拠にはならない。

1回の成功は偶然でも、構造理解の欠如は必ず再現する。

3.PMたちの同調負債を増やす

PMたちはCxOの拡声器になりがちだ。

「上が言ってるから」「今期の方針から」「スピード優先で」。

その瞬間、技術判断政治的判断に変わる。

Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーけが毎日更新される。

技術負債意味を知らないまま「負債を減らせ」と言う。

借金の仕組みを知らない人間財務を回しているようなものだ。

リソースが限られているから仕方ない」

これもよく聞く言い訳だ。

しかし、リソースが限られているならなおさら理解の精度が重要になる。

「考える時間がない」と言う人に、考える力がある例はない。

4.技術理解しない意思決定帰結

僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。

キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。

半年後、アクセススパイクAPIが落ちた。

CxOたちは言った。

「想定してなかったのか?」

──想定してた。

ただ、あなたたちが理解しようとしなかっただけだ。

現場説明が難しい」と言う人がいる。

だが、理解できないのは説明問題ではなく、聞く姿勢問題だ。

理解する努力をしない経営層に、理解される説明存在しない。

CxOたちは「モノリスからマイクロサービスへ」と言うけど、

組織モノリスのままだ。

責任分散せず、報告だけがマイクロ化している。

そして障害対応現場に丸投げ。

Slackの“#incident”チャンネルけが、いつも一番アクティブだ。

5. 切れるのはコストだけ

CxOたちは「コストを切れ」と言う。

工数を減らせ、サーバを減らせ、障害をなくせ。

切れるのはコストだけ。

品質は切らない──なんて言葉、誰も言わない。

現場経営目線がない」と言う人もいる。

だが本当に経営目線を持つなら、

技術リスク経営リスクとして扱うはずだ。

理解しないことが最大のコストだと気づかない限り、

彼らの「経営目線」はただのスローガンだ。

削ったコストの穴埋めに、技術負債の利息を支払うのは現場だ。

リファクタリングは「次のスプリントで」。

セキュリティ対応は「リリース後に検討」。

Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントけが動くレガシーになる。

6. 「DX」という呪文の下で

CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。

だが変わっているのは、スローガンフォント会議資料の配色だけだ。

クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式しかない。

「我々は経営視点で見ている。現場とは違う軸だ」

──違う軸を持つのは構わない。

だが、座標を理解していなければ軸は存在しない。

現場理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。

どこかに向かってはいるが、それがどこなのか誰も知らない

7. 「ノーコードでいい」という幻想

最近では、CxOたちの間で新しい呪文流行している。

コードなんて書かなくていい。これからはノーコード時代だ。」

かに、ノーコード/ローコードは優れたツールだ。

反復作業効率化や、ビジネス部門自律化には意味がある。

だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コード抽象度を上げる”技術だ。

ノーコードは、コードを隠す。

だが、隠したコードが消えるわけではない。

ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。

それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。

「ノーコードでいい」と言うCxOは、

物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。

かに飛ぶ。だが、落ちたとき理由説明できない。

理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である

ツールコード隠蔽してくれる世界では、

理解しようとする努力さらに失われる。

そして、理解がないまま作られた自動化は、

人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。

DXとは、ツールを導入することではない。

ツールの背後にある構造理解する文化を持つことだ。

それを理解しない限り、

ノーコードで作るのは「システム」ではなく、次のレガシーだ。

8.結論ケーキではなくコードを切れ〜

CxOたちは、ケーキを切れない非行少年たちのように、

現実構造理解できずに「甘い理想」を切り分けようとする。

だが今の時代、切るべきはケーキじゃない。

理解しないことだ。

理解しないまま意思決定をすることは、

免許運転するようなものだ。

現場はずっとブレーキを踏み続けている。

それでも上層部は「もっとスピードを」と言う。

そして事故が起きたとき

真っ先に切られるのは、

──コストだけ。

最後

CxOたちは「未来を見ている」と言う。

だが、コードを読まない者に未来は読めない。

未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。

経営とは、方針を語ることではなく、構造理解して責任を取ること。

そして最後に、コミットログの一行が残る。

fix:typo in code

Permalink |記事への反応(2) | 16:23

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2025-10-18

AIに反対してたり、AIを嫌がって心を病んじゃうような奴らを中心に学習させてモデルを作り

無駄抵抗の末路」「(絵描き名前)不要宣言!お前はもう"いらない"よ😁」って感じのモデル名で無償公開(画風再現まで行えるプロンプト付きで!)してやりたいなって思ってる

ついでにそのリンクをその絵描きメアドツイッターDMにも送りつけたい、数時間の間隔で定期的に送りつつ、なにか言うたびにリプライも付けてやる感じで

なんでって?

楽しいからだけど?

楽しくて仕方がないし、嫌がる姿が滑稽で面白すぎるからだけど?

あんなに過敏に反応して嫌がってんだもん、じゃあきっと指向性を持った攻撃を受けた時、いい悲鳴を上げてくれるだろうから

Permalink |記事への反応(1) | 14:03

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[日記]

僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。

目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。

単一の刺激だとシナプス閾値適応で反応が減衰するからだ。

起床後の15分間は「視覚デチューンルーチンとして照明を極端に低くし、網膜適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。

朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール卵白ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位コーヒーブリュワー温度を93.2℃に保つ。

僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。

ルームメイトが朝から実験ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。

今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間位相不変量がホモトピー圏論スペクトルコホモロジー帰着するという仮説を立てた。

より具体的には、ラングランズ対応圏論アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categoricalsense)」で結びつける試みだ。

ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層スペクトル列(a nested spectral sequence indexedby ordinal-type filtrationsbeyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である

ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。

昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体光合成効率説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。

彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述倫理的義務だ。

午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。

僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda:Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。

BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日Wii UNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。

その後、難度調整のためにFromSoftware古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Souls2011年リリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。

夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel'sSpider-Man2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブパルス感(ゲームプレイテンポ)について議論した(発売日は参照)。

ここで重要なのはゲームを語るとき物理学比喩を使わないという僕のルールだ。

ゲーム設計原理計算的複雑性、ユーザーインタラクションフィードバックループトークン経済ゲーム資源流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理アナロジー曖昧さを持ち込むだけだ。

コミックについては、僕はパラテキストまで含めて精査する。

作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。

昨日はあるヴィンテージ単行本トーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語解釈に如何に影響するかを論じた。

これらは一般的にはオタクしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。

僕の習慣はゲームプレイにも現れる。セーブ複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグ人為的に与えておく。

そうすることでメタ的な比較実験可能になり、ゲーム意思決定条件付き確率分布再現的に評価できる。

友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計同義だ。

夜中、帰宅した後にさらに2時間論文草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントカーニング段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。

寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。

結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察可能性と、ゲームコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。

次に実証すべきは、導来圏間の高次同型によって生じるゲージ的不確定性がディラック構造代数再構成に与える位相寄与だ。

寝言でその証明スケッチを口走らないよう寝具を固定してから眠ったつもりだが、多分失敗した。

Permalink |記事への反応(0) | 10:49

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2025-10-17

なんだ、このOSはッ!?

カラーバランスを微調整するのにガンマ調整から全部、初期値から設定しなおさせるのか!

しかスライダーに数値が表示されないから、現在の設定が再現できねー!

画面が、ほんのちょっと赤みがかってるんじゃよ!そのほんのをちょっと修正したいだけなんじゃよー!

ひょっとして、これはアレか?

将来的にはPCに関するよしなしごとは自力救済しようとせずOS搭載のAIイチャイチャして修正するようにしてくださいってなるのかッ!?

そっちの方がめんどくせー!

ギャワーーー!

Permalink |記事への反応(0) | 13:45

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2025-10-16

僕はネトウヨ弱者男性ですが、パヨク女性とチューしました

正直に言う。僕は典型的ネトウヨ弱者男性だ。

髪は脂っぽく、マスクの下には青春をすっ飛ばした顎ひげ。ニュースを見ると条件反射で「マスコミ偏向してる」と呟く。コンビニ弁当の値段を見て「岸田のせいだ」と言い、SNSでは保守論客投稿に「いいね」を押しては自尊心をつなぎ止めている。そんな僕が、まさか“敵陣営”のパヨク女性とチューするとは、誰が想像できただろう。

出会いは最悪だった。

都内の小さなカフェ。僕がWiLLを読んでいる横で、彼女リテラスマホで読んでいた。視線が合った瞬間、互いに嫌悪が走ったのがわかった。僕が「日本人ならまず自国を誇れよ」と言えば、彼女は「誇りじゃなくて反省必要なの」と返す。

そのやり取りはまるで冷戦再現だった。だが奇妙なことに、議論が進むほど、彼女言葉の選び方に惹かれていった。論理の切れ味があり、思想は違えど“思考の誠実さ”だけは同じだった。

二人で飲みに行ったのは、その一週間後。

焼き鳥屋の隅で、僕は生ビールを握りしめながら、「でもさ、結局日本人努力してるじゃん」と言い張り、彼女は笑いながら「努力って、構造を見ない人の逃げ言葉よ」と返した。その瞬間、僕は腹が立つよりも、むしろ安心した。

彼女は僕を“論破”しながらも、軽蔑してはいなかった。思想を叩いても、人を見下さない。僕は生まれて初めて、思想で殴り合いながらも“対話”というものをしたのかもしれない。

そして、あの瞬間が来た。

店を出て、夜風が吹く路地裏。彼女が「あなた、ほんとは優しいのね」と言った。

その言葉が、僕の防衛本能をすべて解除した。気づいたら、彼女の頬に手を伸ばし、唇が触れた。

最初は拒絶されると思った。だが彼女は微かに目を閉じて受け入れた。

その一瞬、右と左も、保守リベラルも、国体多様性も、すべて霧のように消えた。そこにあったのは、ただ人間人間の体温だった。

帰り道、僕は混乱していた。

「俺は裏切ったのか?」

思想寝返りをしたのか?」

いや違う。

チューしただけだ。だが、あの接触は僕のイデオロギーの壁を融かした。

しかすると、国家歴史認識も、すべてこの小さな接吻の延長線上にあるのかもしれない。相手否定するほど、実は似ていたのだ。

今でも僕は“ネトウヨ弱者男性”だし、彼女は“パヨク女性”のままだ。

だけど、もし国会罵倒し合う政治家たちが、一度でもお互いとチューしてみたら、少しは世界がマシになるんじゃないか。そんなことを本気で思ってしま自分がいる。

思想より先に、唇が理解した夜だった。

Permalink |記事への反応(2) | 15:20

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2025-10-15

昨日、妻の誕生日だった

いつもは気丈にしていて、どちらかといえば理論派。

料理とかも自己流ではやらずにきっちりレシピを守り、洗濯における洗剤の量も順守する(それで以前には適当に入れていたの見られて怒られたことがある)。

そんな妻が昨夜は珍しく酔っぱらった。元々飲める人で、いつもは規律に厳しいのでふらふらになるのは本当に珍しかった。

すると埃みたいに愚痴がだくさん出てきてさ、それだけでもちょっとかわいかった。

いつもとまるで違って甘えてきたし、抱き着いて来た。

終いには結婚指輪を外してテーブルに置き、ここでもう一度結婚式やろ?とまで言ってきた。

流石にそれはちょっと照れるので断ろうとすると泣くので仕方なく…結婚式再現

指輪をはめ、愛を誓い、その後キスをした。

妻は何度も俺に愛してると言い、俺も愛してると言った。結婚後に面と向かって言うのは恥ずかしかったが、しかし悪くはなかった。

そのあと妻はすぐに寝てしまって翌朝にはあまり覚えていないと言っていたが、それでも目を逸らして笑うその姿は確信犯だった。

なんだろう…結婚っていいなと久しぶりに思えた結婚6年目の所感です。

Permalink |記事への反応(8) | 00:06

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2025-10-14

映画】キル・ボクスンを見た

前に見た時はうーん60点くらいかなと思ってたんだけど、スピンオフの「カマキリ」を見た後に見返したら、意外とっていうかかなり頑張ってて72点に上方修正した。

 

スピンオフカマキリは「殺し屋はつらいよ会社編」で、既存大企業とそこに振り回される中小零細企業、そして新興のテック大企業という世界中で繰り広げられている仁義なき企業バトル、を殺し屋再現した感じだったけど、キル・ボクスンは「殺し屋はつらいよ社会人編」って感じの映画だった。

バリキャリエリート殺し屋シングルマザーのボクスンは娘とはちょっと険悪で、格下の同僚とセフレ関係にあり、社長からは寵愛され社長の妹の理事からはなんか嫌われてる。他社の殺し屋仲間と定期的に集まって酒盛りをするくらいには社会性があるけど、エリート世界が違いすぎてみんなからちょっとずつ疎まれている。またシゴデキすぎて後輩の育成をサボっておりそこも会社からまれている。属人性が高すぎるのだ。

な~んか居心地悪いし忙しすぎて娘とはうまくいかないので契約更新しないで退職しようかなと思ったところで、絶対受けないと宣言していた仕事理事陰謀で受けさせられまんまと失敗(拒否)。社長理事からは示しがつかないと叱責を受け、その仕事セフレの同僚に。さら理事陰謀飲み会仲間全員から命を狙われ返り討ちにするも、他社の人間に手を出したことでより状況が悪く。ブチ切れたボクスンは理事殺害し、社長との決闘に挑むのであった。

ここにセフレの同僚はボクスンを寵愛する社長に目を付けられて仕事を絞られてたり、娘はレズビアン学校すったもんだりあったりと人間関係が複雑に絡み合い、ボクスンはうんざりする展開が続く。

 

よかったところはまずアクションカマキリアクションインフレーションについていけてない感があったけど、ボクスンは今見てもやっぱり頑張ってた。多対多のアクションもいいし、一対一のアクションもいい。壁を挟んでぐるぐる回りながらボクスン組2人と飲み仲間3人がアクションを繰り広げるところはフレッシュだった。

読みの鋭いボクスンが「先の展開が読める」のを実際にアクションをしてそれが巻き戻る、という手法自体はまぁありがちではあるがそれが「永遠に手を読んでも読んでも勝てない」という圧倒的な戦力差の表現に使っているのもアクション一つ一つが頑張っているのもあって見ごたえがあったし、そこまでして最後には「お前私のこと好きだろ、いつからだ?」とめちゃくちゃ俗な心理的さぶりをかけて勝つという展開もバリキャリ実務屋のボクスンらしくてよかった。

ボクスンは徹頭徹尾、冷酷な実務屋で勝つの美学というのが冒頭のヤクザとの決闘シーンから貫かれており、同じように実務屋でありがならもある種のロマンチストである社長と対を成していてよかった。これも社会人あるあるかもしれない。

 

逆に娘のレズビアンパートは正直、まぁ、興味深くはあったけど別にいらんかったかな。

お互いに秘密がある親子っていうのはテンプレでそれ自体面白くはあるし、最終的に娘を守るために弱さを見せることで娘の信頼を勝ち取るボクスンという構図は美しくはあるけど、でもやっぱ「殺し屋」と「レズビアン」を同じ秘密があるといするのは倫理的にどうなんだという気持ちもある。

 

カマキリは正直あんまハマらんかったけど、キル・ボクスンを見直してみたらやっぱりこっちはよくできてた。

作中でカマキリのことや、カマキリヴィラントッコ爺さんのことも話だけは出てきていて、そこもニヤリとさせられたのもよかった。

カマキリ見けどキル・ボクスンは見てなかったって人は見たほうがいいと思う。面白いよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:27

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anond:20251014144259

素人感想ってこんなんばっか

話が面白いかつまらいかばっか

絵作りとか演出意図とか美術時代背景をどれだけ再現ししようかとか月とキャベツをなんでTSUTAYAで借りるのかとかそういうところにも刮目しろ

IT技術者ならマスタリングTCP/IPも読み直せ!

Permalink |記事への反応(0) | 14:48

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anond:20251008194118

見てきますた

実写みたいなキラキラした背景をそのまま実写で再現しようとしててツッコミどころ満載です

CGっぽいのに生成AIっぽいのに実写という奇跡を君も目に焼き付けるといいよ

あと森七菜がかわいい

Permalink |記事への反応(1) | 14:40

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水の再現ゴリ押しでできるのって何年後なん?

あと10年?

Permalink |記事への反応(0) | 11:56

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映画リアリティを見た

まぁ40点くらい。

試みとして面白いもの映画として面白いとは限らない。という当たり前の知見を得た。

 

この作品一言で表してしまうなら「超厳密再現VTR映画」。

というのも脚本づくりが非常に特殊で、実際にFBI国家機密漏洩犯を逮捕する際に録音したもの文字起こしをそのまま脚本として採用している。もろちん、捜査機密の部分は政府お得意ののり弁でお出しされているが、その部分も忠実に再現されている。具体的にはその部分だけ登場人物が消えるという表現がなされている。この表現は割と面白い

ただ、いかんせん非常に地味である

家に帰ってきた女性FBIに囲まれ家宅捜索されながらその場で事情聴取を受け、最終的に自供して逮捕される。

もうこんだけ。その中で実際の録音音声が流れたり、実際の写真がインサートされたり。うむ、再現VTRである

特別トリックがあったりするわけでもなく、単に捜査官が捜査資料に基づき女性を延々と堅実に詰めていくさまが描かれるだけである。ただ「家宅捜索中にペットをどうするのか」みたいなところまで再現されていて、そういうところを描く作品は珍しいかもしれない。

女性犯行動機も非常に「あー、ありそう」って感じで驚きもないし、方法めっちゃ原始的機密文書シャツの中に隠して持ち出した)だし。なんていうか、見ていてキラキラがないよね。

 

脚本がほぼ全部事実――政府が公開しているもの事実だとすれば(唐突陰謀論)――であるがゆえに「リアリティ」は非常に高いのだろうけど「リアル現実的)」であることは面白さを担保しないし、映画でいうところの「リアル」とはまた違うのだなということを教えてくれたという点では非常に興味深い映画体験ではあった。

Permalink |記事への反応(0) | 08:57

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自然言語処理10年ぐらいやってきた

学業でも仕事でも趣味でも、ずっと自然言語処理をやってきた。

別に最初からAIだのNLPだのに興味があったわけじゃない。

きっかけは、学生時代ちょっとしたレポートテキスト単語出現頻度を数えようとしたとき、「あれ、そもそも日本語ってどうやって単語に分けんの?」って疑問が出たところからだ。

英語ならスペースで切れるけど、日本語はそうはいかない。で、いろいろ調べて「形態素解析」って言葉にたどり着いた。

その瞬間にちょっとハマったんだよね。

辞書をもとに文を機械的に切り刻んで、品詞をラベル付けして、統計を取って、構文を推定する。まるで人間の頭の中を数理的に覗いているようで。

そこからMeCabとかJumanとかKyTeaとか、いろんなツールを触った。

Pythonテキスト処理のパイプラインを組んだり、mecab-ipadic-NEologdを突っ込んで新語対応させたり。

言葉を数理で扱える」って発見が、ちょっとした中毒になった。

その頃はMosesとかGIZA++とか、ああい統計翻訳系のツールも触ってたね。

単語ラインメントの確率モデルをいじって、「確率的に対訳辞書を作る」みたいな遊びをしてた。

とにかく、NLP世界には「人間言葉数学再現できるかもしれない」という変な魅力があった。

深層学習がまだ主流じゃなかったから、n-gramやHMM、CRFなんかが主戦場で、論文読むたびに確率式の展開を手で追ってた。

今思えば、あれが一番自然言語処理っぽい時代だった気がする。

で、いろいろあって自然言語処理系の企業入社

最初はPoC(Proof of Concept)しかやらせてもらえなかった。

感情分析とか、Stance Detectionとか、「この文は文法的典型か非典型か」を判別するための言語モデルの構築とか、エンティティリンキング質問応答(Question Answering)。とにかくNLP典型的なタスクを一通り。

学術的には面白かったけど、現場で求められてたのは「論文再現じゃなくて、実用的な精度と速度」だった。

PoCで終わって、実装には至らない案件が山のように積み上がっていった。

あの時期、NLP業界全体が「技術的にはすごいけどビジネスには落とし込めてない」って空気だった。

でもさ、LLM(大規模言語モデル)が出てきてから世界がひっくり返った。

正直、最初は「Transformerの延長だろ」と思ってたけど、数ヶ月で実感が変わった。

それまでチマチマ特徴量を設計して、分類器を学習して、F値を0.02上げるために夜中までパラメータをいじってたのが、全部一瞬で過去になった。

ChatGPTが出て、蒸留ファインチューニングほとんどのNLPタスクが置き換えられるようになったとき、「あれ、今までの俺の知識ほとんど無駄だったんじゃね?」って一瞬マジで虚無になった。

でも、そこで終わらなかった。プロダクション環境を任せてもらえるようになって、推薦システムとかパーソナライゼーションの設計をやるようになって、ようやく「ユーザーベクトルを使う」という文脈NLPが再接続した。

単なるテキスト処理から、「テキスト媒介にして人間の行動を理解する」方向に進んだ。

埋め込み表現ベースユーザーの嗜好を推定して、レコメンドメルマガのパーソナライズをやる。

自然言語はもう目的じゃなくて、インターフェイスになった。そうやって初めて、「NLPビジネスに食い込む瞬間」ってのを肌で感じた。

PoCなんてやってても金にはならん。動くシステム、回る仕組み、再現性のある成果、それを出せないと、どんなに学問的に立派でも意味がない。

でも、PoCの積み重ねがなかったら、今の設計思想もなかったと思う。無駄に見える実験が、実は土台になってる。

自然言語処理って、そういう「積層的な知識挫折の積み上げ」が一番の資産なんだよな。

Permalink |記事への反応(15) | 06:37

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2025-10-13

[今日知った言葉]ボブルヘッドデー

ボブルヘッドデー」とは、MLB球団主催する人気の来場者特典イベント(ギブアウェイ)のひとつで、試合観戦に球場を訪れたファンへ「ボブルヘッド人形」を無料配布する特別な日です。

ボブルヘッドとは、頭がバネで揺れる野球選手フィギュアのことで、選手の特徴をうまく再現したデザインや記念ポーズアイテムが人気を集めているアイテム

https://travel.buyma.com/contents/magazine/america-losangeles-dodgers-mlb-bobblehead-day/

Permalink |記事への反応(1) | 13:17

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書いた消えた文章はどこに行ったの増田スマの立っ医にこど這うょ新豚液体化(回文

おはようございます

そんな朝のご機嫌さんをよそに

私はうーんと唸っていたの。

うーん、

書いていた文章が消えてしまったショックを隠しきれないさまを表す英単語がぴったりなものがあったの「Texomna」。

こんな心情表せないは日本語一言では。

えーんしくしく。

壊れかけのラジオとはよく言ったものだけど、

書きかけの文章が消えたってこと悲しいわ。

ちょっと一所懸命書いていたものだったのに。

でもまあ、

これと同じものを思い出して同じように再現して書けなかったら、

その程度の内容のものだったのねって10年早いんだよ!って言ってたアキラだって明らかに諦めがつくものよ感じよ。

そんなTexomnaな気持ちになっていて鰯気な気持ちになっているわけには行かないわ。

原因はおおよそわかっているの。

パソコンで書いたものの保存先をダイレクトクラウド的なドライブへ保存していたの。

それをちゃんと保存されたかもどうか確認していたのかどうかもわからないうちに、

ネット回線が切り替わって保存していたのかわからないうちにパソコンも閉じちゃって

いつもさ、

テキストファイルも開きっぱなしなのに、

この日に限っては全部ウインドーウを閉じてしまってて、

最悪再開したときからその文章が生き返る的なことが起こるかと思ったけれど起こらなくてぴえん。

保存先を直接クラウドへするのじゃなくて、

クラウドサービスと使った文章ツールで書いておいた方がまだ救いがあったかもしれないという希望的なことを思い出して、

こういうとき念の為に、

書いたものを保存しつつ、

コピペしてコピーアンドペーストクラウド文章書くツールコピペしておいてコピーアンドペーストを華麗な超絶技巧テクニック披露しておけば、

しかしたら万が一のためのときに、

そっちに保存できていたかもしれないの。

あーあ。

いつもの手順とちょっと違って、

自分でもちょっと大丈夫かなと思う違和感のある流れだったので

案の定こういう事になってしまったわ。

消えちゃった文章もう一回思い出して書くわ。

デジタルクラウドに全体的にプクプクとまるまると太った美味間違いなしの太鼓判を押された美味しいサンマのように

全幅の信頼を寄せては返す波のように怪しさを時には疑ったほうがいいと思いつつも手元にデータを残しつつもいいかも知れないことを現に実感したところよ。

RADWIMPS野田洋次郎さんなら全全全幅!つっていってたことをドラマの『舟を編む』であって言っていたあのセリフ「念念念校」ってのは私忘れないから!

そんなこともあってか、

これはまさかこれが原因じゃないことは分かっているんだけど、

ちょうど買い替えて新しく届いた無線LANWi-Fiの親機が届いたの!

わーい!って

やっと私の家も無線LANレッツ回線ing!って嘘をぶちかましたところで

往年使っていた古い無線LAN機械をどの機種にしていいのか超慎重に考えて新調したのね。

新しい機械インターネッツの速度は古いものに比べてなんか10倍ぐらい早いの!

256倍ぐらいの気持ちは高鳴っているわ。

NIKKEだって65535倍快適な大量な大容量のアップデートデータ受信に手をこまねいていたんだけど、

この速さ奈良勝る!って三都物語ってレヴェルな速さを手に入れたの!

古い無線ネットワーク機器は窓から投げ捨ててスッキリよ!

無線なんて繋がっていたら何でも一緒でしょ?って

たかも2番じゃダメなんですか論法に則ってしまいそうでずーっとその古い無線ネットワーク機器で暮らせるかと思っていたけれど、

その政治家の人に二番煎じお茶を飲んでも満足してもらえるのかしらと今突然にふと疑問に思ったわ。

そんで、

気分転換に新しいものと3000円ぐらいだし、

えいや!って勢いで買ってみたら、

超快適すぎて笑っちゃったわ。

古いものだったら今すぐ新しいものに取り替えるべきだってことをべきべきに学んだときでもある私の新シーズンの幕開けよ!

なんかそれを祝してくれるのかわからないけれど、

スプラトゥーン3!

Sクラス昇格でーす!

久しぶりの昇格戦勝利での昇格に仔山羊の上で小躍りを踊りつつな様を一言で表している英単語の「Caprinkle」ようだわ。

すごくない!

久しぶりに昇格戦、

ライドオンタイム

2連敗からの劇的3連勝!

2連敗からの暗さマックスだったけれど、

3連勝なるかのクライマックスときは手に汗握るコントローラーよ。

昇格戦で緊張で2連敗から逆転3連勝するときコントローラーを汗かいた手で滑って操作ミスしないようにしっかりと握りしめるこの思いを一言で表している様の英単語「Clutchure」の気持ちでしっかり握りしめたコントローラー勝利を勝ち取ったのよ!

すごくない?

3連勝!

どーでもいいとき無駄に5連勝とかしちゃうのに、

ここ緊張一番!

日本の夏金鳥の夏とはよく言ったものだけど、

これから秋口にかけて絶対に蚊が出てくっから液体電子蚊取り線香は大活躍して欲しいの!

つーか活躍して欲しいというか、

絶対に秋を快適に過ごす快適グッズの1つとして取り上げられるの間違いないはずだから常備して装備してそして電源を入れて使って欲しいの!

絶対に蚊に刺されるから

気をつけて!

ちなみに、この時のブキは得意の「オーバーロッシャー」ねギア相手インク影響軽減の安全靴多めね!

なんか相手チームのインクにハマって動けないうちにキルされることが多かったので、

赤い安全靴を履いてみたの!

赤い靴履いてたら〜コケた曾祖父さんに連れられていった歌とは正反対

うわー!

効果テキメンね!

一番得意のブキの熟練度星5つをもぎ取った「セブンファイブオーライダー」ではないのがちょっと残念だけど。

勝利勝利よ!

勝ちに不思議の勝ちあり!負けに不思議の負けなし!

得意なときは得意げに虚勢を張って言っちゃうわ!

なんかこれからのSプラスへの道のりがハードそうよ。

私もまだそこまで到達できてないので。

頑張りたいところよ!

無線LAN機械を新しくした嬉しさに昇格戦勝利の昇格で、

この瞬間すっかり消えた文章ことなんて忘れちゃったわ。

でも本当に、

クラウド保存したつもりだったけど、

たかも雲のように消えてしまった私の文章は本当にどこにいったのかしらね

パソコンの中に確かにたかもしれないのに。

うふふ。


今日朝ご飯

休みモードなのでゆっくり近くのカフェーで書きながらってところよ。

つっても

いつもの地元みかん花咲く丘公園前駅の駅前商店街喫茶店モーニング

焼き魚定食を朝からいただくんだけど、

今日は何かしら?

おおよそランダム提供される焼き魚定食

どっちにしろ多いのが鯖か鮭かと相場が決まっているのに、

まあまさかからサンマはないわよねSSRよ。

そうまた鯖か鮭かーって思ってたけど、

今日アジの開きの焼き!

開きまくりまくりすてぃー!

おお!と思わず心のなかでレアフィッシュ出た!ってガッツポーズ

レアっていっても焼き加減のことじゃなくて出現頻度が珍しく希少だって意味の方のレアね。

しっかり香ばしくこんがり焼けたアジの開きの朝食は今日もいいあっかも!って期待しちゃうわ!

デトックスウォーター

コーン茶ウォーラー茶ね。

こっちも継続して美味しい中のウォーラー絶賛飲み中!

でもたまには果物系も、

今日ぐらいはマーケット果物探してみようかしらね

良い休日を。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(2) | 10:20

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anond:20251013093801

アンディ・ウォーホル江口寿史とは並べられるような格なのかという点は気になるが言及しない

絵画におけるサンプリングなどというのは世迷い言で、スケッチという技法で知られているもの本質的に同一だ

音楽では機械を使わなければ再現できない音が存在するのに対して、絵画では二次元への写像原理的にキャンバス上で再現できる

実際予備校で訓練を受ければ「時間をかければ見えるものは描ける」レベルまではかなりの割合の生徒が到達する

そうなってくると写実的であることに技術的優位性はなくて、紙と鉛筆でやっても、フォトショップと液タブでやっても精神的には同じことだ

ダビンチもフェルメールカメラ(・オブスクラ)で立体を平面に写し取っていた

ただ、フォトショップと液タブでやるのは、めちゃめちゃダサい

サンプリングとかなんとか、新しい名前をつけなければならないくらダサい

技術的に予備校生にも劣るという誹りは免れえない

この点は法律とは分けて評価を受けるべきだ

もうひとつ写実的に描くことが商売として成り立つかどうかという点について、スピード無視できない

たとえ3時間かければ紙と鉛筆完璧輪郭線が引けるとしても、フォトショップと液タブでなら同じことが25分でできるならば経済的優位性がある

日に何枚も完成しなければ生活が成り立たない駆け出し専業イラストレーターにとっては、フォトショと液タブとnon・noで手抜きをして量産し、糊口をしのぐのは正当化されえる

単価を上げられるベテランと、明日をも知れぬ駆け出しのイラストレーターでは、分けて評価を受けるべきだ

Permalink |記事への反応(0) | 10:07

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刺激の強いポルノを大量摂取すればただ女体が存在する程度では興奮しなくなってむしろ性的消費はされなくなるのになんで規制しようとするんだろう

まあでもポルノって現状視覚聴覚情報しか再現できないから女体に触れてみたいってなったとき被害甚大化という心配はあるかも

ラブドールとかオナホとかも実物に一度は触れてみないと再現度は分からないもんね

Permalink |記事への反応(1) | 01:56

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2025-10-11

石破総理の所感には真面目に感動した

先の大戦の成立メカニズム再現的に理解せよ。

そのためには、あの時代人間の実感を追体験する努力が要る。

その追体験国家戦略に活かせ。

重要な学び方を示してくれたと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 09:09

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