
はてなキーワード:内見とは
「45歳を過ぎて本当に全然仕事ができなくなった。本当の本当に何も出来ん。MTGの前日とかに間に合わせの資料を必死に作ってそれでなんとか誤魔化してるだけ。あとはぼーっとしてるか頭かきむしってるだけで殆ど何もしてない。10年前の百分の1くらいのパフォーマンスしか出ない。客先がいい人で今のところ叱られてもいないけど多分その内見捨てられる。どうすりゃいいんだ」
この実体験的証言は、現代日本のミドルエイジ労働者が直面する深刻な職業能力衰退現象を如実に表している。本稿では、この現象を単純な個人的問題として捉えるのではなく、日本型雇用システムの構造的特性、組織社会学的要因、認知心理学的メカニズム、および労働経済学的背景を統合的に分析し、その本質的メカニズムを明らかにする。
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労働政策研究・研修機構(2010)は、中年期が「仕事の負荷の増大や能力の停滞と限界感等が生じる時期」であり、これらへの対応を誤ると「諦めや思考停止」、「会社への過度の依存」を生じかねないことを指摘している。この現象は、清家(2011)が論じる日本的雇用慣行の相互補完性—(1)年功賃金、(2)終身雇用、(3)企業別労働組合—が現代の経済環境変化に適応できない構造的矛盾として現れている。
特に重要なのは、年功序列と終身雇用の相互補完性である。Milgrom and Roberts(1992)の内部労働市場理論が示すように、複数の雇用慣行間の相互補完性は制度の安定性をもたらすが、同時に変化への抵抗力も生み出す。これにより、45歳前後の労働者は既存のスキルセットでの成功体験に依存し続ける一方で、急速な技術変化や職務要求の変化に適応できない状況に陥る。
パーソル総合研究所(2017)の大規模調査(n=2,300)は、「42.5歳」で出世意欲が「出世したい」から「出世したいと思わない」に逆転し、「45.5歳」でキャリアの終わりを意識する転換点を迎えることを実証的に明らかにしている。さらに同調査では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込み、50代前半で会社満足度が最低値を示すことが確認されている。
この現象は、Lehman(1953)が技術者を対象とした古典的研究で発見した「30歳代前半で業績がピークに達し、その後は低下していく」パターンの現代版として理解できる。ただし、同一年齢内での業績評価の分散が大きいことから、年齢自体が自動的に能力低下を引き起こすのではなく、職務関連要因(仕事の割当の複雑性と挑戦性)が業績と密接に関係していることが明らかになっている
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パーソル総合研究所(2022)は、ミドル・シニア層のパフォーマンス低下について5つのギャップを特定している:
2.期待のギャップ:期待される業務と理想とする業務に差がある
3.成果のギャップ:出している成果と求められる成果に差がある
これらのギャップは相互に影響し合い、学習性無力感(Learned Helplessness)(Seligman, 1972)の状態を引き起こす。特に重要なのは、「働く意欲がない」状態ではなく「働けない状態」に陥っているという点である。
橋本・玄田(2023)の分析によれば、50-59歳層では職業スキル(ケア・科学技術・分析)すべてについて負の方向に移転しており、60歳以降では前職より平均2-4ポイント低いスキル水準での就業を余儀なくされている。これは単なる転職時の条件悪化ではなく、蓄積されたスキルの市場価値の急速な減衰を示している。
特に、定年や家族理由、健康上の理由を含む非自発的離職において、スキル水準の低下が顕著に現れることが統計的に確認されている。これは、冒頭の証言にある「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という主観的体験と一致している。
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労働政策研究・研修機構(2022)の分析では、ミドルエイジ層(35-54歳)の転職において、これまでの経験が活かせない業務や、新しいスキルが求められる環境への適応困難が主要な問題として浮上している。この適応困難は、単純なスキル不足ではなく、職業アイデンティティの再構築を伴う複雑な心理的プロセスである。
パーソル総合研究所(2023)の調査では、ミドル・シニア就業者の70.1%が「何歳になっても学び続ける必要がある時代だ」と認識している一方で、実際に学び直しを行っているのは14.4%に留まっている。この認識と実行の乖離は、「金銭的・時間的余裕のなさ」(30%超)と「学ぶ対象や学ぶ方法のわからなさ」(約20%)に起因している。
興味深いことに、学び直し層の年収は平均642万円(50-54歳)と高く、「高年収の職業についているため学んでいる」「過去の学び直しが年収を高めた」という双方向の因果関係の存在が示唆されている。
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梅崎・藤本(2021)は、日本的雇用システムが「継続的に長く務められる日本人男性だけにとって優位な制度」であったが、「女性や外国人のような本来従業員として期待される人材を逃してきた」と分析している。この分析は、同システムが特定の人口動態的特性を前提として設計されており、その前提が変化した際の適応力の欠如を示している。
厚生労働省(2013)の分析では、日本的雇用システムの課題として正規雇用と非正規雇用の二極化が指摘されている。45歳以降の労働者は、従来の正規雇用の枠組みでは価値を認められにくい一方で、非正規雇用への移行は大幅な処遇低下を伴うため、中間的な働き方の選択肢が限定されている。
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パーソル総合研究所(2017)の詳細な分析では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込むことが5つの指標(「任された役割を果たしている」「担当業務の責任を果たしている」「仕事でパフォーマンスを発揮している」「会社から求められる仕事の成果を出している」「仕事の評価に直接影響する活動には関与している」)で一貫して確認されている。
同研究所(2023)の推定では、学び直しを行わないミドル・シニア正社員と比較して、学び直し実施者の個人年収は平均+12万円、3年以上の継続的学び直しでは+30万円の差が生じている。この結果は、継続的な能力開発の経済的効果を定量的に示している。
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Becker(1964)の人的資本理論に基づけば、45歳以降の労働者の価値低下は、企業特殊技能(firm-specific skills)への過度の依存と一般技能(general skills)の相対的軽視の結果として理解できる。パーソル総合研究所(2024)の分析では、転機における学習度合い(「転機学習度合い」)が学歴に関係なく、個人年収や職位と正の相関を示すことが確認されている。
Argyris and Schön(1978)のダブル・ループ学習理論の観点から、ミドル・シニア層の活性化には既存の行動パターンや価値観の根本的な見直しが必要である。パーソル総合研究所(2022)が指摘するように、「管理職が気合と根性で指導しろ」とは言えず、心理学などのロジックを考慮したコミュニケーションが必要である。
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内閣府(2023)の推計によれば、2025年には65歳以上人口が総人口の30%を超える超高齢社会が到来する。この状況下で、40-60代の生産性低下は国家レベルの競争力低下に直結する。OECD(2023)の報告書でも、中高年労働者のパフォーマンス維持が先進国共通の課題として位置づけられている。
労働政策研究・研修機構(2022)は、ミドルエイジ層の能力開発について、「アップスキリング」(現在の仕事関連)と「リスキリング」(転職・キャリアチェンジ関連)の体系的な区別の重要性を指摘している。前者が71.1%、後者が47.0%という実施率の差は、既存職務への適応に偏重した能力開発の現状を示している。jil+1
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本稿の分析により、45歳前後のサラリーマンが経験する能力低下現象は、以下の多層的要因の相互作用として理解されるべきことが明らかになった:
冒頭の証言にある「間に合わせの資料で誤魔化している」「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という状況は、個人の怠惰や能力不足ではなく、システム全体の機能不全の症状として位置づけられる。
効果的な対策には、Senge(1990)の学習する組織理論に基づく組織変革、人的資本理論に基づく継続的能力開発システム、そして社会保障制度を含む包括的な制度設計の同時実施が必要である。特に重要なのは、個人の自己責任論を超えた社会システム全体の再設計である。
将来の研究課題として、AI・デジタル技術の急速な発展がミドルエイジ労働者に与える影響の定量的分析、および効果的な介入プログラムの実証的評価が挙げられる。
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フルリモートなので都心部から郊外に出たい→地域はどこでもいい→でもどこでもいいってわけじゃない→都心部へ電車で1時間圏内(広すぎる!)でよさげな地域を探す→家賃相場とか周辺施設とか部屋の設備とか比較検討(ここの絞り込み作業がいちばんつらかった)
候補をいくつかピックアップ→不動産屋問い合わせ→内見可能なら内見する→いちばんよかったところに申し込み→審査中(イマココ!)
部屋の各種サイズは内見時に測ったが、いままで住んでたところとは広さとかがまったく違うので家電全部買い替え予定→冷蔵庫・オーブンレンジ(スチームいる?)・レンジ載せるワゴン・洗濯機(ドラム式乾燥にする?)・掃除機・空気清浄機・あーキッチン広いし調理器具も揃えたいな・コーヒーメーカー欲しい・ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ夢が広がるが選択肢が多いということはそれだけ大変ということなのだつらい
身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアだから公開なのですね)。
昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ等地域医療にもつながっておらずで死後1か月未満で発見。
・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社が警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車でベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住の警察署から親族経由で自分が警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車の請求はきてません
・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定
・「検死に回すので9万円必要になります、葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる
・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り
・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう
・特殊清掃会社の担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに
・自分とのやりとりで「匿名にしますので会社の宣伝で作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので
・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態で納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。
・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た
・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服でお別れの会を20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった
・火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)
・火葬日当日、我が家は斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族&僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず
・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者が内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父の形見(竹尺)を骨壺に入れる。
・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服は処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし
・親族はここで解散。我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了
・室内のものは衣服・家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書等財産関連書類 ・アルバム、手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分
・都市銀行、地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった
・通帳があるものはHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前に公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった
・とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続き人である自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書のコピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書の証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。
・母も80歳オーバーで自力で解約手続きができず、「お電話は相続人ご本人様から承ります」という企業がほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家に回線はなく、リモート云々は無理筋だった
・銀行、生命保険は書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店が移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこと自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバーで管理が簡単になるとよいと思う
・郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった
・相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった
・郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物をたまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった
・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑は複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…
・長年通っていたカルチャーセンターに挨拶に行き、同窓会に差し入れのお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状に訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホは個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)
・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてからの発見」にはならなかったのでは
・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った
・半年ほど前から「スマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホが認識できなくなっていたのだ
・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書を作成していた(兄弟は遺留分を請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続きを我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)
・銀行、年金、生命保険etc.の書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入
・銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行や保険の書類は捨てた
・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカーの共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた
・独身の自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。
※追記と誤字を直しただけなのに新規投稿扱いになってる? 前の投稿にトラバくれた方々、申し訳ない。増田の書き方が未だによく分からん…
↓ホッテントリにあったこの増田https://anond.hatelabo.jp/20250715102105
に対して、「自分が選ばなかった人生を(以下略)」というシャーデンフロイデ的なブログ
https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2025/07/16/050630
もホッテントリ入りしてたが、私は、少なくとも大人になってからは人の不幸を蜜の味と感じたことはない。
20歳前後に色々と不幸な経験をしたので、他人の不幸を知ると、自分の不幸の質や量と比較してしまう。立場も何もかも違うし比べようもないが。
自分と無関係な職種や芸能人の幸福には興味がない。自分と似た境遇だった人の成功譚に、心の底から「不平等嫌悪」が湧く。歳を取るごとに耐え切れなくなってきている。
その理由を時系列に沿って書いた。長文なので、不幸や不平等に興味のある方だけどうぞ。AIに要約させたらどうなるんだろ。
00年代に専門の学校を卒業した私は、学生時代に頑張ったお陰か、その業界では日本有数の会社に入社。会社といっても有限会社でいわゆる個人事務所だが、業界ではそこのボスと事務所の名を知らぬ者はいないレベルの有名どころ。少数精鋭の零細体制なので、運良く社員に空きが出るタイミングと、相応の技量がないと入れない。
加えて、就職情報誌やサイトにも求人募集を掲載しないのが通例の業界。ツテが無い学生でも自分から売り込みに行かなければならないので、当時の私は何度もメールや電話をしてようやくアポを取り、必死に自分をアピールした。
入社後に告げられたのが以下の条件。学生でも噂程度には知られた話だったし、何より憧れの職場だったので素直に受け入れた。
・月給は手取り17万円弱(この業界の給与はブラックボックスなことが多かった)
・正社員としての入社だが社保は無く、社員全員が薄給の中から自腹で国保に加入。
・残業代も無し。というより、ボス含め深夜・徹夜作業が当然なので「残業」という概念自体が無いといえる。
・代わりに、出社時間は自由かつ遅め。社員は朝11時前後に揃う感じ。連日夜遅いから当然かもと思うが、改めて書く。終電まで残っても残業代は皆無だ。
年に一度の昇給は6,000〜10,000円弱。賞与は一切無し。これは参った。哀しく惨めな気分になった。
そして入社数年後に「同規模の競合他社は違う」と判明。私の事務所の社員待遇が極度に悪いだけだった。
以降、梅雨と秋に「今度のボーナスで!」と喧伝する小売店を忌避するようになった。
私は、入社したての頃から最初の1年間ほどは朝10時頃に出社するよう頑張った。
帰宅はほぼ毎日終電。間に合うように事務所を出るのは0時ちょい過ぎがリミット。終電に間に合わなそう(〆切ギリギリ)なときは、21時頃に徹夜を決め込む。
自分で言うのも何だが、私の作業は早い方だった。10件の別案件を同時進行させたこともある。他の社員も同様に忙しかった。
この事務所の特徴として、社員は全員個別に別案件を担当する。社員同士で共同作業をしない。クライアントとの窓口を一つに絞ることで、クライアントや社員間の齟齬や混乱を防ぐには妥当な方法といえる。
だが、案件の複雑さや規模を問わないのが時にはネックとなる。一般的な案件を5件抱えてるとき、そこに本来なら社員総出でやるような案件が加わっても担当社員は1人で作業しなければならない。
半年ほどで私の心に不調が表れたが、若さゆえか乗り切れた。仕事自体はとても面白く興味深かったし、やり甲斐も充分過ぎるほどあった。
とはいえ勤務体制も仕事量も変わらないので悪化する一方。薬の種類と量も増え、のちに鬱を併発してから薬は更に増え悪循環が始まった。
私が入社できたのは前述の通り、社員に空きが出たから。そこに私が学校を卒業するタイミングが合った。
それから半年ほど後、その独立した元社員は借金苦と鬱で自殺。独立前から抱えてたらしい。
入社後まもなく、私は1Kのクソマンションモドキに住み始めた。学生時代は実家から通ってたので初の一人暮らし。
1Kといってもキッチンは1畳分もない。蚊取り線香みたいな役立たず電気コンロ。
24cmフライパンすら洗えないような狭いシンク(柄の長さが邪魔になる)。
ビジホやラブホにあるような小さい立方体の冷蔵庫付き。内部上端が、製氷皿しか入らない冷凍コーナーになってるやつ。不要なのでクローゼットに仕舞い、空いたスペースには食器用のラックを置いた。
追い焚き機能の無い風呂は、冬場に浴槽に湯を張り温まる→体を洗う→シャワーで流してる途中でタンクの湯が切れて水になる。
それでも、当時の目安とされてた「家賃は手取りの3分の1以下」よりもかなり足が出る賃料。とにかく職場からできるだけ近く、衣食住全てのレベルを下げれば何とか払えるギリギリのライン。
私は料理好きなのでキッチン重視に選ぶべきだったが、他にいくつも内見した物件が更に酷かったのと、不動産屋が吐いた多くのウソに騙され選んでしまった。
2年の契約期間が終わったらまともな部屋に引っ越そうと思ったが、2年後も4年後もそんなカネは貯まらなかった。
私が退社する少し前、ボスは都内の一等地に注文住宅を建て、ボスの住居と事務所は移転。それはそれは立派でお洒落な一軒家。2階と3階の天井は通常よりかなり高く、一般的な家屋より広く感じる作り。
移転前の事務所は賃貸だったが、そちらもボスの住居を兼ねており、これまた都心の一等地。家賃は約70万円。
リモート作業が物理的に出来ない職種だし、社員もそんな仕事の仕方で家賃相場の低い遠方に住める訳もない。通勤時間30〜45分圏内が限界。
結果、先輩社員たちも上京したての学生が住むような狭小ボロ部屋暮らし。
新居への移転後にボスは「これから35年ローンが〜」と冗談めかして嘆いてた。
一方の私は、6年ほど勤めて病んだまま退社。
退社時の手取りは22万円弱。
(はてブでも話題になってたけど「〜弱」ってのは「〜より少ない」って意味です!)
退社後の私は「燃え尽き症候群」状態で、何年も経った現在も鬱と不眠症を引き摺り仕事も少なく、貯金も無いので未だにその1Kクソマンションモドキで生きている。
本題はここから。
今年に入り、久し振りに学生時代の友人2人に用事があり連絡した。同じ学校出身の同級生だが、私を含めた3人の学生時代の専攻は異なる。
友人2人は卒業後、初任給こそ低いがきちんとした額が昇給され、保険もマトモな会社に就職した。
今回の連絡と近況報告で知ったのだが、2人とも
いつの間にか会社を起業してた。更には結婚し子供を儲け、注文住宅を建てて暮らしているそうだ。
身バレ防止で敢えて濁すが、私の仕事は大勢の人を喜ばせる物を作る。私の名前も製作者としてオモテに出る。学生時代はこの業界自体にも関心があったが、作った物と名前が後世に遺ることも、この仕事を選んだ理由の一つだった。
前者を選んだ若き日の自分を責めても不毛だが、今の私には貧相な老後しか見えない。最近は、間近に死が見えることも多い。
自分は経営者向きではないが、その友人2人も同じタイプ。元から起業願望があったワケでなく、なりゆきだったそうだ。自分の専業以外は社員に任せ、当人たち自身は各々、学生時代の専攻と同じことを生業としている。
私と同じように、その2人も駆け出しの頃はプライベートを犠牲にして働いてきたという。
私は、何を間違えたのか。
憧れていた業界と事務所に入れた喜びで、人生設計を楽観視していたのか。極端な上昇気流に乗れなくとも、一定の幸福が続くと勘違いしていた。
私は趣味や興味の範囲が広いので、やりたいことや夢や目標は山ほどある。「貯金は絶望的だから、独立後はそれらを叶えるために働いて稼ごう」と、事務所在籍中に心を病む前はそう思ってた。
十中八九、それらはもう叶わない。あんなに身を粉にして働いたのに、酷い待遇にも耐えたのに。
不平等嫌悪と書いたが、嫌悪の対象は、成功を掴んだ友人たちではなく、そんな事務所と業界に惚れてしまった過去の自分自身に向いている。
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A. 仰る通りバカなんでしょう。発達障害についても心当たりしかないので、通院中の心療内科に検査機関を紹介してもらう予定です。判明したところで生活が変わるかは疑問ですが。
A. 仮に運というものがあるなら、私は憧れの事務所に入れた時点で使い果たしたのかも。
そしてボスは、バブル全盛期にやりたい放題やったことで一躍有名になりました。これも運でしょう。
A. その通りですが、やり甲斐搾取を肯定されるのですか、それとも搾取する側のヒトですか?
A. 散々書きましたが、仕事自体は本当にやり甲斐があったんです。興味深い案件や、私が昔から関わりたかった案件が次々と舞い込む事務所でした。一時期は毎月のように数多くの専門誌やメディアの取材があり、テレビの密着取材も入りました。
私自身、他事務所や大手代理店社員の同業者に羨ましがられたことも多々ありましたが(相手は勿論カネや保険のことは知らず)、社員待遇と仕事のやり甲斐を天秤に掛け、後者を損切りする冷静さを当時は持てませんでした。
A. 「業界地図」で斜陽産業ワースト3に入る業界なので、ご依頼は減る一方。鬱も重なり、飛び込み営業の気力すら湧きません。結婚や出産・子育てどころか、マトモな部屋も借りられません。
他の元社員も(鬱はさておき)需要の減少で苦しんでると伝え聞きました。
余談ですが、私の退社と入れ違いに入社した新卒の若い男性は一年足らずで辞めたそうです。懸命ですね。
・興味ないけど買おうと思えば中古車も買えるくらいの貯金ができる。
・実家に墓はあるけど入りたくないので東京近郊の無縁仏と契約できる。
…これら、ごく普通(敢えて“普通”と書きます)のことができる程度の貯金ができることです。
結局カネかよ!と思いますが、カネが無いと生活基盤を築けないでしょう?
A. 私の仕事の業界は、クライアントの9割以上が都内に集中してます。しかも、打ち合わせはメールや電話で済みますが、物理的な現物チェックが最大の肝です。Uターンした地方在住の同業者と話すと「こっちも依頼が激減してるし、仕事もつまんない案件ばっかり。でも家賃が安いからねー」等とよく聞きます。
A.20年来のパートナーに迷惑を掛けるので今すぐには死ねません。
「自分が選ばなかった人生を(以下略)」というシャーデンフロイデ的なブログ
https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2025/07/16/050630
がホッテントリにあったが、私は、少なくとも大人になってからは人の不幸を蜜の味と感じたことはない。
20歳前後に色々と不幸な経験をしたので、他人の不幸を知ると、自分の不幸の質や量と比較してしまう。立場も何もかも違うし比べようもないが。
自分と無関係な職種や芸能人の幸福には興味がない。自分と似た境遇だった人の成功譚に、心の底から「不平等嫌悪」が湧く。歳を取るごとに耐え切れなくなってきている。
その理由を時系列に沿って書いた。長文なので、不幸や不平等に興味のある方だけどうぞ。AIに要約させたらどうなるんだろ。
00年代に専門の学校を卒業した私は、学生時代に頑張ったお陰か、その業界では日本有数の会社に入社。会社といっても有限会社でいわゆる個人事務所だが、業界ではそこのボスと事務所の名を知らぬ者はいないレベルの有名どころ。少数精鋭の零細体制なので、運良く社員に空きが出るタイミングと、相応の技量がないと入れない。
加えて、就職情報誌やサイトにも求人募集を掲載しないのが通例の業界。ツテが無い学生でも自分から売り込みに行かなければならないので、当時の私は何度もメールや電話をしてようやくアポを取り、必死に自分をアピールした。
入社後に告げられたのが以下の条件。学生でも噂程度には知られた話だったし、何より憧れの職場だったので素直に受け入れた。
・月給は手取り17万円弱(この業界の給与はブラックボックスなことが多かった)
・正社員としての入社だが社保は無く、社員全員が薄給の中から自腹で国保に加入。
・残業代も無し。というより、ボス含め深夜・徹夜作業が当然なので「残業」という概念自体が無いといえる。
・代わりに、出社時間は自由かつ遅め。社員は朝11時前後に揃う感じ。連日夜遅いから当然かもと思うが、改めて書く。終電まで残っても残業代は皆無だ。
年に一度の昇給は6,000〜10,000円弱。賞与は一切無し。これは参った。哀しく惨めな気分になった。
そして入社数年後に「同規模の競合他社は違う」と判明。私の事務所の社員待遇が極度に悪いだけだった。
以降、梅雨と秋に「今度のボーナスで!」と喧伝する小売店を忌避するようになった。
私は、入社したての頃から最初の1年間ほどは朝10時頃に出社するよう頑張った。
帰宅はほぼ毎日終電。間に合うように事務所を出るのは0時ちょい過ぎがリミット。終電に間に合わなそう(〆切ギリギリ)なときは、21時頃に徹夜を決め込む。
自分で言うのも何だが、私の作業は早い方だった。10件の別案件を同時進行させたこともある。他の社員も同様に忙しかった。
この事務所の特徴として、社員は全員個別に別案件を担当する。社員同士で共同作業をしない。クライアントとの窓口を一つに絞ることで、クライアントや社員間の齟齬や混乱を防ぐには妥当な方法といえる。
だが、案件の複雑さや規模を問わないのが時にはネックとなる。一般的な案件を5件抱えてるとき、そこに本来なら社員総出でやるような案件が加わっても担当社員は1人で作業しなければならない。
半年ほどで私の心に不調が表れたが、若さゆえか乗り切れた。仕事自体はとても面白く興味深かったし、やり甲斐も充分過ぎるほどあった。
とはいえ勤務体制も仕事量も変わらないので悪化する一方。薬の種類と量も増え、のちに鬱を併発してから薬は更に増え悪循環が始まった。
私が入社できたのは前述の通り、社員に空きが出たから。そこに私が学校を卒業するタイミングが合った。
それから半年ほど後、その独立した元社員は借金苦と鬱で自殺。独立前から抱えてたらしい。
入社後まもなく、私は1Kのクソマンションモドキに住み始めた。学生時代は実家から通ってたので初の一人暮らし。
1Kといってもキッチンは1畳分もない。蚊取り線香みたいな役立たず電気コンロ。
24cmフライパンすら洗えないような狭いシンク(柄の長さが邪魔になる)。
ビジホやラブホにあるような小さい立方体の冷蔵庫付き。内部上端が、製氷皿しか入らない冷凍コーナーになってるやつ。不要なのでクローゼットに仕舞い、空いたスペースには食器用のラックを置いた。
追い焚き機能の無い風呂は、冬場に浴槽に湯を張り温まる→体を洗う→シャワーで流してる途中でタンクの湯が切れて水になる。
それでも、当時の目安とされてた「家賃は手取りの3分の1以下」よりもかなり足が出る賃料。とにかく職場からできるだけ近く、衣食住全てのレベルを下げれば何とか払えるギリギリのライン。
私は料理好きなのでキッチン重視に選ぶべきだったが、他にいくつも内見した物件が更に酷かったのと、不動産屋が吐いた多くのウソに騙され選んでしまった。
2年の契約期間が終わったらまともな部屋に引っ越そうと思ったが、2年後も4年後もそんなカネは貯まらなかった。
私が退社する少し前、ボスは都内の一等地に注文住宅を建て、ボスの住居と事務所は移転。それはそれは立派でお洒落な一軒家。2階と3階の天井は通常よりかなり高く、一般的な家屋より広く感じる作り。
移転前の事務所は賃貸だったが、そちらもボスの住居を兼ねており、これまた都心の一等地。家賃は約70万円。
リモート作業が物理的に出来ない職種だし、社員もそんな仕事の仕方で家賃相場の低い遠方に住める訳もない。通勤時間30〜45分圏内が限界。
結果、先輩社員たちも上京したての学生が住むような狭小ボロ部屋暮らし。
新居への移転後にボスは「これから35年ローンが〜」と冗談めかして嘆いてた。
一方の私は、6年ほど勤めて病んだまま退社。
退社時の手取りは22万円弱。
(はてブでも話題になってたけど「〜弱」ってのは「〜より少ない」って意味です!)
退社後の私は「燃え尽き症候群」状態で、何年も経った現在も鬱と不眠症を引き摺り仕事も少なく、貯金も無いので未だにその1Kクソマンションモドキで生きている。
本題はここから。
今年に入り、久し振りに学生時代の友人2人に用事があり連絡した。同じ学校出身の同級生だが、私を含めた3人の学生時代の専攻は異なる。
友人2人は卒業後、初任給こそ低いがきちんとした額が昇給され、保険もマトモな会社に就職した。
今回の連絡と近況報告で知ったのだが、2人とも
いつの間にか会社を起業してた。更には結婚し子供を儲け、注文住宅を建てて暮らしているそうだ。
身バレ防止で敢えて濁すが、私の仕事は大勢の人を喜ばせる物を作る。私の名前も製作者としてオモテに出る。学生時代はこの業界自体にも関心があったが、作った物と名前が後世に遺ることも、この仕事を選んだ理由の一つだった。
前者を選んだ若き日の自分を責めても不毛だが、今の私には貧相な老後しか見えない。最近は、間近に死が見えることも多い。
自分は経営者向きではないが、その友人2人も同じタイプ。元から起業願望があったワケでなく、なりゆきだったそうだ。自分の専業以外は社員に任せ、当人たち自身は各々、学生時代の専攻と同じことを生業としている。
私と同じように、その2人も駆け出しの頃はプライベートを犠牲にして働いてきたという。
私は、何を間違えたのか。
憧れていた業界と事務所に入れた喜びで、人生設計を楽観視していたのか。極端な上昇気流に乗れなくとも、一定の幸福が続くと勘違いしていた。
私は趣味や興味の範囲が広いので、やりたいことや夢や目標は山ほどある。「貯金は絶望的だから、独立後はそれらを叶えるために働いて稼ごう」と、事務所在籍中に心を病む前はそう思ってた。
十中八九、それらはもう叶わない。あんなに身を粉にして働いたのに、酷い待遇にも耐えたのに。
不平等嫌悪と書いたが、嫌悪の対象は、成功を掴んだ友人たちではなく、そんな事務所と業界に惚れてしまった過去の自分自身に向いている。
─────────────
A. 仰る通りバカなんでしょう。発達障害についても心当たりしかないので、通院中の心療内科に検査機関を紹介してもらう予定です。判明したところで生活が変わるかは疑問ですが。
A. 仮に運というものがあるなら、私は憧れの事務所に入れた時点で使い果たしたのかも。
そしてボスは、バブル全盛期にやりたい放題やったことで一躍有名になりました。これも運でしょう。
A. その通りですが、やり甲斐搾取を肯定されるのですか、それとも搾取する側のヒトですか?
A. 散々書きましたが、仕事自体は本当にやり甲斐があったんです。興味深い案件や、私が昔から関わりたかった案件が次々と舞い込む事務所でした。一時期は毎月のように数多くの専門誌やメディアの取材があり、テレビの密着取材も入りました。
私自身、他事務所や大手代理店社員の同業者に羨ましがられたことも多々ありましたが(相手は勿論カネや保険のことは知らず)、社員待遇と仕事のやり甲斐を天秤に掛け、後者を損切りする冷静さを当時は持てませんでした。
A. 「業界地図」で斜陽産業ワースト3に入る業界なので、ご依頼は減る一方。鬱も重なり、飛び込み営業の気力すら湧きません。結婚や出産・子育てどころか、マトモな部屋も借りられません。
他の元社員も(鬱はさておき)需要の減少で苦しんでると伝え聞きました。
余談ですが、私の退社と入れ違いに入社した新卒の若い男性は一年足らずで辞めたそうです。懸命ですね。
・興味ないけど買おうと思えば中古車も買えるくらいの貯金ができる。
・実家に墓はあるけど入りたくないので東京近郊の無縁仏と契約できる。
…これら、ごく普通(敢えて“普通”と書きます)のことができる程度の貯金ができることです。
結局カネかよ!と思いますが、カネが無いと生活基盤を築けないでしょう?
A. 私の仕事の業界は、クライアントの9割以上が都内に集中してます。しかも、打ち合わせはメールや電話で済みますが、物理的な現物チェックが最大の肝です。Uターンした地方在住の同業者と話すと「こっちも依頼が激減してるし、仕事もつまんない案件ばっかり。でも家賃が安いからねー」等とよく聞きます。
A.20年来のパートナーに迷惑を掛けるので今すぐには死ねません。
たぶん今まだ不動産屋に直接出向いてないし内見もせずに頭の中だけでごちゃごちゃ考えてる状態だと思うので、とりあえず内見の数をこなして現実を見るところから始めてください。
初めての一人暮らしのときは誰しもがあなたのようなファンタジーを空想するものです。経験がないのだからそれは仕方がないこと。
あなたと主治医の間で一人暮らしと障害年金更新についてどういう話し合いが行われているのか知りませんが、働けている上に特に理由のない一人暮らしの開始は等級落ち(年金打ち切り)の可能性があります。障害年金が無くなった場合、生活費はどうするのかは最低限考えておいたほうがいいと思います。
①食にこだわりがある
23区内RC造であなたの予算内の家賃だと、2口コンロを置ける物件はそこそこあるものの、まな板を置いて調理するスペースがない物件が圧倒的に多いです。今まで通りの調理はできないと思ったほうがいいです。今まで通りを貫き通したいなら場所を妥協するか家賃の予算を上げるか、都営住宅に住むかでしょう。
オーガニックのブロッコリーなんて23区内ならGreenBeansなどのネットスーパーで買えますし、成城石井なんてAmazonネットスーパーで利用できます。
②聴覚過敏
私も聴覚過敏と光線過敏があるけど木造アパートでモルデックスの耳栓で乗り切ってます。ノイキャンイヤホンか耳栓しろ。ていうかRC造なら音しないとか幻想。木造より圧倒的にマシだが普通に音はする。
③人の気配が怖い
なら戸建てしか選択肢ないじゃん。人の気配が苦手なのに23区中心部にこだわるの矛盾してない?東京都下が一番合ってるんじゃない? それか都営住宅も選択肢に入れたら?
④東京23区が好き
⑤日当たり
まず内見してください。行動。
オートロックはいいとしても安心安全重視において階数にはこだわりないわけ? 1階は家賃が安いけど洗濯物盗まれたりとかするし危ないよ。
⑦洗濯
一人暮らししたこと無くて洗濯する機会が無かったんだから知識がないのは当たり前では?
これから身につけていくべきことでしょ。
それとあなたの条件のワンルームだとドラム式洗濯機はたぶんサイズ的に入らないのではないかと思う。
大型冷蔵庫の件もそうだけど、まず自分が欲しい洗濯機や冷蔵庫のサイズを計ってメモしておいて、内見のときにそれが置けるスペースがあるのかを把握する必要がある。つまり、まず行動。
⑧ゴミ捨て
だから一人暮らししたことないんだから誰でも最初は分かんねーよ。
分別の基準は区によって違う。厳しい区とそうでもない区がある。どの区が厳しいのかはネットで調べれば分かるので事前にチェックしておいたほうがいい。
分別の仕方は自治体から配られる(一人暮らし開始と同時にポストに投函される)ゴミ出し曜日カレンダーという冊子に書いてある。ネットでも自治体HPに載ってるから検索すればすぐ分かる。それでも分からないようなものは清掃事務所に電話して聞いてくださいって冊子に親切に書かれてる。
・缶は洗うのか?(当たり前だろ!)
・ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?(お前は資源ゴミの回収日に黄色や青の箱が道に並んでるのを見たことないのか?)
分別をうっかり間違えることは誰にでもある。怒られたら同じことを繰り返さないように学べばいいだけ。
⑨完全遮光
普通、2つのカーテンレールはレースカーテンと普通のカーテンを重ねて使うと思うが、私の場合は完全遮光カーテンを2枚に重ねている。隙間から光が洩れるのが嫌なので2枚組のカーテンは使わずに、2枚分の幅の1枚のカーテンをオーダーした。これでも上から光が少し洩れるが、それが気になるならカーテンカバーやカーテンボックスをつけてください。
古い賃貸住宅に住んでいるのですが、古くていろいろなところがボロくなり非常に暮らしづらくなってきたので引っ越しを考えています
兄は行きませんでしたが内見にも行き、ここに決めたいと思っていたのですが兄が受け入れずすぐ申し込みができなかったため他の人が入居してしまいました
兄はプラモデルが好きで兄の部屋は布団を敷くスペース以外ほぼプラモデルの箱などでいっぱいです
引っ越しはもちろん大変でしょうし、引っ越しでプラモデルが破損するリスクもある上に環境が変化するのを嫌い引っ越しを嫌がっているのだと思います
引っ越しすることになったので駅前によくある不動産屋で新しい賃貸を探している。
問い合わせした物件が週末に内見に行ったらもう埋まっていたなんてことはよくあることだと思うんだけど、
担当営業が耳にタコができるんじゃないかってぐらい同じことを言ってくる。
物件紹介の後に
「今紹介している物件はいましか紹介できないかもです。埋まっていたらすいません。」
「今紹介している物件は人気物件です。人気物件なのでほかの不動産で案内していますし、ほかの不動産を通して内見しているお客様もいます。すでにほかのお客様や法人のお客様が確定済みかもしれませんしそうでないかもしれません。ですので、週末に内見したいとおっしゃっても内見できるかもしれませんし、できないかもしれません。ほかの物件も同様で人気の物件は常に不動産で紹介されていますし、物件の仮押さえも難しいしできません。」
ぐらい言ってくる。
まず話が長い。不動産の契約は早い者勝ちなのはこっちもわかっている。
最初のうちはヘーソウナンデスネワカリマシタぐらいに流しているんだけど、同じ電話で同じようなセリフを2回ぐらい言われたのでさすがに勘弁してくださいってなってしまった。
「AとBが気になっています」と伝えると
みたいな感じで何度も聞かされている。そんな何回も説明しなくてもわかるし、そんなことうだうだいう暇があったら、物件探しをするかどんな条件を情報すればいいのか教えてほしい。
コロナ禍での部屋探し中に、内見に行った部屋で小指の爪サイズの黒い蜘蛛を発見した。
引っ越し日の夜にも見かけたので、「先住民」として共存していくことにした。他の虫も食べてくれるはずだと期待して。
それから数カ月間、付かず離れずの距離感で2人暮らしをした。人との付き合いも少ない時期だったし、頼もしかったね。「またいるじゃん」「今日は出窓で日にあたってるじゃん」みたいな。
でも、ある日起床した時に布団を蹴っ飛ばしたら床にいた蜘蛛の上に塊で着地し、それ以来目撃しなくなった。
あれからずっと、家にいる蜘蛛は殺さず逃さず、共存するようにしている。益虫としての働きにも期待して。
今住んでいる部屋にも一匹いる。同棲中の彼女は虫が嫌いで嫌がっていたけど、「他の虫を見なくなるかもよ」と説得したら受け入れてくれて、今では「またいるじゃん」と笑うようになった。
家を買った。
数ヶ月におよぶ物件探しと、終わらないローン計算、毎週末の内見、冷たいコンクリートの床に膝をついて、図面をにらみ続けた果ての、ちいさなマイホーム。
「ちいさな」って言葉、まさか自分の家に使う日が来るとは思わなかったなあ。
実家と比べたら——もう、比べるのもバカバカしいってわかってるけど——いちいち劣って見えてしまって、引っ越しの日なんてちょっと涙ぐみそうになった。嬉しくて、じゃなくて、惨めで、ね。
そして、その新居にやってきた母が、開口一番、こう言った。
……え、そこまで言われるような家、だった? って、思った。
もちろん言葉には出さなかったけど、脳内では100回ぐらい叫んだ。「この“まあまあ”のために、私はどれだけ血を吐く思いでがんばったと思ってるのよ」って。
不動産も、株も、現金も。ざっと数億円。人生で「カラカラに乾いた財布」っていうものに出会ったことすらないような人だ。
けれど、その豊かさは、なぜか私の代でぴたりと止まった。いや、もはや、ここで絶やすつもりらしい。
私は、家を買うとき、ほんの少しだけ援助を受けた。ほんの、ほんの少し。
「これで足しにしなさい」って言いながら渡されたそのお金には、どこか“情け”みたいな湿っぽさがついていて、受け取ったあと、手を洗いたくなったのを覚えてる。
一方で父は、昔から財産をチラつかせて言うことを聞かせようとしてきた。
「あの土地はお前にやってもいい」「将来のために今は我慢しろ」って。
でも、あの土地も、あの金も、結局は“母の実家のもの”だった。つまり、父のフリをしてきたただの管理人。
親の持ってる富と、私の持ってる現実。
そのあいだの深い谷を、ずっと飛び越えようとしてきた気がする。
でも、飛び越えられなかった。親の世代の「豊かさ」って、私たちには渡されないシステムだったらしい。使い切って、終わり。
私が家を買ったという事実は、「ようやった」じゃなくて、「まあまあ」になる。
たぶんその言葉のなかには、母のうっすらした哀れみとか、「自分ならこうはならなかった」っていう見下しとか、いろんな感情が詰まってる。
でも一番つらかったのは、「その家に私が住むのが、当然のこと」みたいな空気だった。がんばったね、のひとこともなく。
なんていうか、悔しいんですよね。
お金が欲しかったわけじゃない。いや、正確に言えば、お金は欲しかったけど、それ以上に「祝福」が欲しかったんだと思う。
私は私なりにがんばって、この“まあまあ”の家を手に入れたんだから、せめてちょっとくらい誇らせてほしかった。
子どもが何かを成し遂げたって、それは「親の補助がなければできなかったこと」に分類されてしまう。
実際はほとんど自力だったとしても、ほんの少しでも援助があったら、全部“親の功績”になる。地味に地獄。
だけど、そんな“まあまあ”の家で、私はいま毎朝コーヒーを淹れている。
陽の光が差し込むリビングで、ちょっとボロくなったソファにもたれながら。
この家は、たしかに実家ほど広くないし、ゴージャスでもない。でも、冷蔵庫の中のプリンも、洗面所のうがい薬も、ぜんぶ自分で選んだものだ。
“まあまあ”どころか、案外、すごくいいものだったりするんだよね。
どうしようもなく悔しいし、わかってほしかったって気持ちは消えない。
でも、母の“まあまあ”に傷ついたのと同じくらい、いまの暮らしにちょっとずつ誇りを持ち始めてる自分もいる。
私は“まあまあじゃない私”になっていく途中、なのかもしれない。
家を買った。
数ヶ月におよぶ物件探しと、終わらないローン計算、毎週末の内見、冷たいコンクリートの床に膝をついて、図面をにらみ続けた果ての、ちいさなマイホーム。
「ちいさな」って言葉、まさか自分の家に使う日が来るとは思わなかったなあ。
実家と比べたら——もう、比べるのもバカバカしいってわかってるけど——いちいち劣って見えてしまって、引っ越しの日なんてちょっと涙ぐみそうになった。嬉しくて、じゃなくて、惨めで、ね。
そして、その新居にやってきた母が、開口一番、こう言った。
……え、そこまで言われるような家、だった? って、思った。
もちろん言葉には出さなかったけど、脳内では100回ぐらい叫んだ。「この“まあまあ”のために、私はどれだけ血を吐く思いでがんばったと思ってるのよ」って。
不動産も、株も、現金も。ざっと数億円。人生で「カラカラに乾いた財布」っていうものに出会ったことすらないような人だ。
けれど、その豊かさは、なぜか私の代でぴたりと止まった。いや、もはや、ここで絶やすつもりらしい。
私は、家を買うとき、ほんの少しだけ援助を受けた。ほんの、ほんの少し。
「これで足しにしなさい」って言いながら渡されたそのお金には、どこか“情け”みたいな湿っぽさがついていて、受け取ったあと、手を洗いたくなったのを覚えてる。
一方で父は、昔から財産をチラつかせて言うことを聞かせようとしてきた。
「あの土地はお前にやってもいい」「将来のために今は我慢しろ」って。
でも、あの土地も、あの金も、結局は“母の実家のもの”だった。つまり、父のフリをしてきたただの管理人。
親の持ってる富と、私の持ってる現実。
そのあいだの深い谷を、ずっと飛び越えようとしてきた気がする。
でも、飛び越えられなかった。親の世代の「豊かさ」って、私たちには渡されないシステムだったらしい。使い切って、終わり。
私が家を買ったという事実は、「ようやった」じゃなくて、「まあまあ」になる。
たぶんその言葉のなかには、母のうっすらした哀れみとか、「自分ならこうはならなかった」っていう見下しとか、いろんな感情が詰まってる。
でも一番つらかったのは、「その家に私が住むのが、当然のこと」みたいな空気だった。がんばったね、のひとこともなく。
なんていうか、悔しいんですよね。
お金が欲しかったわけじゃない。いや、正確に言えば、お金は欲しかったけど、それ以上に「祝福」が欲しかったんだと思う。
私は私なりにがんばって、この“まあまあ”の家を手に入れたんだから、せめてちょっとくらい誇らせてほしかった。
子どもが何かを成し遂げたって、それは「親の補助がなければできなかったこと」に分類されてしまう。
実際はほとんど自力だったとしても、ほんの少しでも援助があったら、全部“親の功績”になる。地味に地獄。
だけど、そんな“まあまあ”の家で、私はいま毎朝コーヒーを淹れている。
陽の光が差し込むリビングで、ちょっとボロくなったソファにもたれながら。
この家は、たしかに実家ほど広くないし、ゴージャスでもない。でも、冷蔵庫の中のプリンも、洗面所のうがい薬も、ぜんぶ自分で選んだものだ。
“まあまあ”どころか、案外、すごくいいものだったりするんだよね。
どうしようもなく悔しいし、わかってほしかったって気持ちは消えない。
でも、母の“まあまあ”に傷ついたのと同じくらい、いまの暮らしにちょっとずつ誇りを持ち始めてる自分もいる。
私は“まあまあじゃない私”になっていく途中、なのかもしれない。
当方30代サラリーマン。妻も同い年、会社員。結婚して2年ほど、子無し。お互いに生活費や夫婦貯蓄を毎月決まった金額出し合って、残ったお金は自由に使う方式。現在は借家だが、戸建てを購入予定。
妻はFPSが趣味。といっても、ガチゲーマーという感じではなく、時々にハマるゲームがあって、ハマったときはとことんハマる感じ。
ゲームにハマってること自体は別にいいのだが、その時間の長さにモヤモヤしてる。
平日:妻は定時上がりが多く、18:00~19:00には帰宅し、21:00~25:00くらいまでゲーム。自分は残業&通勤時間の長さもあって22:00ごろ帰宅することが多いのだが、帰った時にはだいたいゲームをしている。自分が食事やら風呂やらを済ませたところで、妻はゲームを終えて歯を磨くところで合流して一緒に寝る感じ。翌朝早かったりするときは自分が先に寝る事もしばしば。
休日:まず休前日に妻は明け方までゲームをしているため、起床はお昼すぎ。そこから昼食やら平日に溜まった家事やらを一緒に片付けたり片付けなかったりして(妻の起きる前に掃除やら洗濯やらはだいたい終わらせている)、夕方16:00くらいからゲーム。夕飯を途中で一緒に食べることもあるが、食べずにそのままずっとゲームをしてることも多々。そのまま28:00くらいまでゲームをして、また翌日も同じ感じ。2人で動く予定(家の内見やら買い物やら)があるときはあまり寝てない状態で行くことも。
と、わりとゲームに熱中しすぎて二人の時間というのを取れない状況。ゲーム中もdiscordをつないで通話しながらのパターンが多く、その最中に話をするようなことも出来ない。
家事は分担(気付いた方がやる方式)ということになっているものの、ゲーム優先で正直自分の方がやってる気がしている。
趣味をとよかく言うつもりはないし、普通に一緒にご飯を食べたり雑談したり出かけたりが無いわけでもなく、仲は悪くないとは思っている。自分も1人で遊びに行く(会社の飲み会やらゴルフやら、遊びではないけど残業も個人の予定のうちだろう)ので、妻の1人の予定やら時間やらを疎ましく思うつもりも無い。ただ、もうちょっと大人として時間のコントロールをしてもらいたいと思うのは傲慢なんだろうか。せめて24:00~25:00くらいに寝て、7:00~8:00くらいに起きるという生活を休日も送るわけにはいかないか。
ネットで探してみると、旦那がゲームばかりで家事や子育てをしてくれないというのはめちゃくちゃ出てくるが、あまり逆のパターンを見かけず、ゲームでなくても妻が時間のかかる趣味を持っている世の旦那さまはどのように折り合いをつけているのかが気になるところ。それとも、そこまで気にかける方が執着してしまっているのだろうか。
【追記202504061800】
深夜の吐き出しにも関わらず様々なコメントありがとうございます。コメントでも頂いていた通り話し合い案件なのはその通りで、早々に話し合いました。
妻曰く、
・二人の時間をとれていないのはその通りでどうにかしたいと思っていた
・ゲームだけでなく、discordのメンバーと悩み相談などもしており、それで夜中まで話すことが多い
・ゲームは自分の意思でコントロールできるけど、メンバーとの会話はその時々で時間も読めないし、制限されるのは困る
とのこと。
・ゲームも会話も、その時間を制限しようとは思っていない。朝から晩まで何時間やっていても(寂しいとは思うが、)構わない
・ただ、せめて寝る時間くらいは合わせられないか。夜中に寝てない、生活リズムが変わるのはよくないと思う
・例えば、平日24:00、休前日25:00とかに寝るようにしたらどうか(朝起きる時間までは言及せず)
と提案。
妻からは、
・きっちりその時間とされてしまうと時間が分からないこともあるので窮屈
・子どもが生まれたらどの道その生活になるのだから、今くらいは自由にしたいし、増田に話せない相談もあるのにそこまで制限を加えられるのはおかしい
と泣きながらの反論。
ここあたりが落としどころかと思い、
・原則、平日24:00、休前日25:00には就寝するようにする。厳密な運用ではなく、柔軟性は維持
・超えそうな時には夕食は先食べといてとか、遅くなりそうだから先に寝ててとか、連絡を入れること
大人としてコントロールというのはコメントにも頂いたとおり、勝手な価値観の押しつけだと思いましたのでそこまでは言及しませんでした。
現在子なしながらも、妊活中です。ストレスもありつつなので、あまり制約は置きたくないと思う一方で、夜中まで起きているのは健康的にどうなの?と心配もありつつ……
とりあえずお互いの合意点を見つけたので、しばらく様子見です。ありがとうございました。
Permalink |記事への反応(27) | 00:40
24時間楽器演奏可能な防音マンション「ミュージション」というのがある。
2000年から始まったリブランマインドという不動産の賃貸マンションブランドで都内近郊に物件が多数。
もちろん高価格帯だ。
なお、アンプにつなぐ系の楽器や重低音が出る楽器は時間制限があるため、人によっては誇大広告に感じるだろう。
自分は音楽鑑賞と趣味の歌唱を周りに気兼ねなく行えること、他の部屋の音が聞こえないことにメリット感じて入居。
複数のミュージション物件に住んだため、それを元にメリデメをだらだら記載する。
先に言っておくと、大きなメリットもあるが大きなデメリットもある。
個人的には高価格帯のものを扱う会社はそれなりにしっかりしていると思っていたのだが、リブランマインドは悪い意味で不動産らしい会社だった。
人によるとこ
持ち家のローンぐらいの値段(のはず)。
もともと高いが、最近は家賃は値上がりし続けている。新しい物件はかなり高めの値付け。
既存の物件も人が入れ替わるタイミングで上がっていることが多い。
毎年のように新しいマンションが建っているがまだまだ需要がある様子。
家賃を上げすぎて中々埋まらない新築も数ヶ月経てば少しすれば埋まってたりする。
退去が決定した物件の情報が公式LINEで流されるんのだが大体すぐ埋まる。物件によっては流れた瞬間に埋まる。
基本的に内見は契約後で、前入居者が退去した後のクリーニング前に可能。
数年前には入居者用のサービスサイトを勝手に立ち上げ、その使用料として年間1万円以上の支払いが必須に。
内容は入居時の案内や設備マニュアル、お知らせ、解約申請、問い合わせなどがあるがいずれも別で参照できたり申し込めるため不要。
基本的に不動産側の広告媒体にしかなっておらず、イベントの告知や任意の有料サービス各種、オウンドメディアなどが置いてある。
入居者はほぼ使う機会が訪れず不動産側も使いこなせていない謎の有料サイト。
敷金が全額回収される契約→違った。申し訳ない。高い修繕費を差し引いた額が振り込まれる。
退去時は修復箇所をチェックする外注の人が来て見積もりを渡されるのだが金額はかなり高い。
自分はかなりキレイに使うほうで過去の他社物件も含めて追加費用を払ったことはないが、ミュージションは敷金ギリギリの見積もりだった。
他にも駐輪場は別途月額料金がかかるし駐車場も付近の相場より高めで設定されている。
他のデメリットの内容も含めて一部分なら納得できもするが…ここまでになると自社だけの利益を上げようとする姿勢に辟易する。
有料サービスサイトの問い合わせ窓口に連絡しても1週間以上返事がなく別ルートで問い合わせしなおし。
入居後に自分が設備の不備を発見したのだが、業者が直した後に確認や謝罪の連絡をしてこない。補填もない。
ちなみにその不備は工事しないと直せないもので一時対処で終了。
クリーニング時に直すべき箇所がそのままになっていることがあった。一時退去しないと補修できないため対応なし。補填なし。
楽器演奏ルールを守っていない騒音入居者を長期間放置したことがある。
事前に告知しないと引っ越し直後にトラブルになりそうなゴミ捨て系の自治体ルールなどの事前周知がない。
物件によってはゴミ捨て場がかなり汚い。(掃除のおばちゃんはいるから建物のコストカットしすぎ?)
マンション入口が電球切れで真っ暗だったが1ヶ月以上放置したことがある。
細かい部分でたくさん不満があるが割愛。基本的には住みやすさを軽視している感じ。
一番「は?」と思ったのは長方形の片側の短辺にエントランスがあって、反対側の短辺にエレベーターがある物件。エレベーターまで遠すぎ。
ただし、ここ2、3年ぐらいの物件は入居者の声を取り入れて改善してきているようす。
逆にいうと2000年に始まったブランドなのにそれ以前は改善できていないということかー…となるが。
担当者に聞くと素知らぬ顔でそれらしい言い訳をするがコストカット以外の何者でもない。
それで躱せると思ってるとこからしてアレ。
もともと家にこだわりが強いので不満はめちゃくちゃあるが、防音の部分だけで選ばざるをえない…。
防音性のためにそうなっているとのこと。
通常は左右の物件との区切りは簡易的な衝立みたいになっていて、上部は開放的になっていると思う。
ミュージションはベランダの左右も上から下までしっかりコンクリで覆われている。
開口部が狭いから最初は圧迫感があるし若干日差しも入りにくい。
ミュージションには頑張ってほしいところだけどどうだろうなあ。