
はてなキーワード:内定とは
適応障害を2回やって、それから責任ある仕事、人とのコミュニケーションが多い仕事を諦めて派遣社員をやっている。
子どもがほしい。そろそろ年齢的に……というところなので、現契約があるうちに妊活に入りたい。
と、思っていたら契約を切られたのが半年前だった。プロジェクト終了。居心地の良い職場で、暫く稼いでから妊活入るか、と思っていたところだったのに。
今また別の派遣の仕事をしているが、これまた条件が良くて居心地が悪くない。できれば長めに働きたい。でもまた途中で切られるかもしれない。そう思うと、勇気出して妊活に入らなければ。
産休育休に入るなら、もうその仕事は切られるだろう。別の仕事を探さなければいけない。でも今みたいな好条件の仕事が見つかるか既に不安だ。産休育休に入って歳を重ねているわけだし、小さい子持ちって嫌がられそうだし。
だから、正社員のほうがよいのだろう。と言っても今更無理なんだけど。
大学留年しなければな。新卒カードちゃんと使って大手狙ってればな。せっかくいい大学に入ったのに、留年からの内定辞退からの零細企業入社で全部だめになった。
虚言癖、遅刻癖、一人称が自分の名前と社不三神器を揃えている。帰国子女であることを盾に「そういう日本人特有のルール、分かんなーい♪」などと言って数多くのグループ課題のミーティングやサークルの仕事をバックれてきたことで有名。
周囲の女友達全員が認める超美人の彼女に対して「お前みたいなデブスと付き合えるのは俺くらい」等言い続け、洗脳に成功。彼女は整形を繰り返し、ガリガリになるまでダイエットを続けた結果、メンタル不調に陥り留年。罪悪感に耐えかねたのかこの夏に彼女を手放したようだ。
C先輩(I商事2年目)
某企業の社長の息子、ボンボン。同級生の彼女と並行して何人かの後輩女子と浮気を行っていたことが学園祭出展中、誰もいない部室でベロチュー&前戯をしていたことをきっかけに露呈。
・給与は内定時に読み合わせ確認して、書面にもハッキリ「月◯◯万」と書かれていた。
→引き抜きだったこともあって前職より若干アップ、昇給で更にアップしていく予定だった。
→実際は提示された金額(仮に50万)より額面が20万近く低い、書面については「若干手違いがあった」と改めて送付された。
・◯◯(東京都内某所)に勤務予定。
→◯◯(本来の勤務地は改修工事中なので、一か月ほど別の事務所に行ってほしいと言われた。(本来の通勤時間からプラスで1.5hかかる場所)
→週一で行く事になった客先へは最寄り駅からバスも無いので自腹でタクシーで行ってくれと言われた。(往復で7,8000円ぐらいかかる所)
→その資格の指導資格を持った人が休職していて復帰の目処が立っていないのでどうにも出来ない、と入社後に言われた。
これでも会社規模はそれなりの、一見ちゃんとした企業なんだぜ……
詐欺だろこんなの。
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
職場は極めていい職場で、不出来な自分にも優しく指導してくれますし、同期にも恵まれ、仕事は楽しくやれています。
ただ、今自分は無性に逃げ道を探しています。仕事の覚えが悪いし、要領も悪い、んでもってそれをどうにかする努力すら劣っている。(努力せずにこんなの書いてるのが典型例です)自分にに全て原因があるクセに、謎の劣等感を覚えて、あまりに惨めに感じるのです。何か今すぐにでも逃げ出したくなってしまいす。
でも、この仕事から逃げたくないのです。幼少期からの憧れでもありましたし、内定をいただいた時には両親も親族も、その時の学友も心から祝福をしてくれました。この会社にいることだけが自分をこの世に存在することを肯定してくれる唯一の手段なのです。
https://www.onlinegdb.com/fork/fNl_r9uqOh
https://codepen.io/Hujan-Rintikrintik/pen/GgoWdbQ
私は今、かなりいい会社で高卒で入社させていただいてる、旧制度ならまだ未成年の、絵に描いたような陰キャチー牛オタクなガキです。
職場は極めていい職場で、不出来な自分にも優しく指導してくれますし、同期にも恵まれ、仕事は楽しくやれています。
ただ、今自分は無性に逃げ道を探しています。仕事の覚えが悪いし、要領も悪い、んでもってそれをどうにかする努力すら劣っている。(努力せずにこんなの書いてるのが典型例です)自分にに全て原因があるクセに、謎の劣等感を覚えて、あまりに惨めに感じるのです。何か今すぐにでも逃げ出したくなってしまいす。
でも、この仕事から逃げたくないのです。幼少期からの憧れでもありましたし、内定をいただいた時には両親も親族も、その時の学友も心から祝福をしてくれました。この会社にいることだけが自分をこの世に存在することを肯定してくれる唯一の手段なのです。
そういう時は気分転換をするといいとは良く聞きますが、旅行や読書といった趣味が全く手がつかず、ただスマホに張り付いて、創作だったりに昇華することなく、楽に済むからという理由で自慰行為だけして仕事の準備をするという生活をしてしまっています。年齢が年齢ですから酒もタバコも逃げ道として使うことはできませんし、本当に困っています。こんなだらしない人間になったことを本当に恥ずかしく思うのに、それを変えられないのです。本当に恥でしかありません。
それに、SNSで仲のいい方がいるのですが、その方に片依存しているような状態が続いています。自分でも良くないし、相手に迷惑だというのはわかっているのですが、どうしてもその方とギリギリ手のつくゲームやアニメの話をすることだけが今の助けなのですが、その方は大勢のフォロワーがいますし、その方も生活がありますし、やりたいこともありますからそれをずっとしてもらうなんてわけにもいきません。
学校の頃の友達とも疎遠になってしまい、自分はどうしたらいいのかわかりません。
こんなめちゃくちゃな散文で申し訳ないのですが誰か助けてくれませんか。
一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである。
会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。
最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。
ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。
今はフリーランスの映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。
でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑
だから、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。
え、なに。守秘義務?エンタメ業界にそんなものはない。特定個人や企業の名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。
小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対ああいう面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生~中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。
勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学は早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)
就職活動の結果、テレビ局の内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生のピークだったかもしれない。
入ってみたら想像とは違った。
配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組の制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから。
自分はADとして入った。一般的なルートである。珍しい新卒だと、最初がカメラマンや大道具という珍しいパターンもあるにはある。
仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから、出演者から、下請けの制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代にイベント運営の仕事をしておけばよかった。
正式じゃない企画会議(デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。
ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分の仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。
それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……
「明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」
とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。
職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ、憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。
仕事ができる人でもそうだった。
疲労が極限に達すると、おそろしいくらい残酷になる。ある時、先輩ディレクターと女性ADが現場の配置関係で口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。
その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。
その女性があまりに文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具(ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。
自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。
案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。
男性ディレクターは、そんな様子をさらにからかっていた。これが、疲労が人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。
あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。
「バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか、増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」
何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。
この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンのタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。
そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディーの楽曲をテレビで披露していた。
性被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持である。アナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。
30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。
身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。
さて。この頃の俺は、ディレクターになる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的なディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。
だから、企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。
なんで、あんな会社で働いてたんだろう……と言うと、理由はひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。
ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけてしまおう。皆そういう認識だった。
今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間の本質の一部である。
人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会の矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである。
一度だけ、飲み会の場でそういう発言をしたことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。
自分らはテレビ局の奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である。視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。
そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。
地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社の作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。
その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』だった。
見たことある人がいるかもしれないが、世界のヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。
最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。
あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望と疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。
「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。
俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間の本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの。
画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。
自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。
上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ。自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。
テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。
退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。
でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。
そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑
最初は大変だった。フリーランスになったものの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃんと仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。
初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパートに引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。
後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。
今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画の仕事でも、ドキュメンタリーの編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。
特に大きかったのは、サブスクの動画配信サービスでの番組制作の仕事だ。2025現在、アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。
ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分の企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放もののストーリーである。社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。
その動画配信サービスのプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。
一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である。
朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。
テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。
今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。
年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である。結婚はできないかもしれない。
でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分が自分でないみたいで。
あのグルメリポートの番組に感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分に感謝してる。
不安でしょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分がいるから、足掻いていた頃の自分がいるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう。
もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。
Permalink |記事への反応(27) | 21:04
家も妻が欲しいと言うから買うことにしたし、どこが良いかも妻がほぼ決めた
自分は職場に行きやすければどこでもいいよという要望しか出さなかった
子供も一応女だが、たぶん男の子だったとしてもこれ欲しい〜と言われたらおもちゃを買っちゃってたと思うので割愛する
が子供を産んだのも妻が子供欲しい、母が孫の顔が見たいと言ったからだっけ
就職先も複数内定をもらえたが、最終的には結婚相手の勤務先として望む企業ランキングを見てより高い方を選んだ
はるか昔に遡っても、高校も当時好きだった子が進学するからという理由だけで選んだ
かなり有名は進学校だったこともあり、結果その好きな子は落ちて俺だけが受かっちゃったけど
そういう人生の大きな判断以外の細かいところでも女が潜んでいる
ローンをフラット35にしたのも、表向きは変動金利が上がりそうでフラット35は10年くらい優遇措置があるからということにしているが、実際のところはまいやん(白石麻衣)がCMをやっていたからというしょーもない理由だ
INPEXの株を買ったのもINPEXが何してるかわかったからではなく、INPEXは何してる?と歌ってる子が可愛かったから
まぁ、妻が邪魔と言うし実際最近あまり触ってないからそれも捨てる準備をしてるけど
これから2ヶ月半。
求人募集に数十件応募して、最終面接まで通過したのが1件。この一件から内定が出そう。
でも面接の感じだとブラック企業のニオイが香ってくる。結構仕事忙しそう。
あまりにも面接落ちすぎて、受かったところも(ブラックだから人材不足で自分でも通ったんじゃないのか?)と思ってしまう。
前職辞めてブランク明けのリハビリと考えると結構厳しいんじゃないのか?
とはいえ経済的な問題があるから働けるなら働いたほうがいいが……
本社はそこそこデカい都市にある。社員は50人くらい。仕事に慣れて若手をこき使ってる40代たちと、転職したがってる20代がほとんど。同期や歳の近い人はみんな転職していった。俺は沈みゆく泥船から逃げ損なった。
支店がいくつかあって、その1つに鹿児島支店がある。支店といっても現地採用された職員が5人だけいるらしい。どんな人なのか知らないし、どんな仕事をしてるかも知らない。
というのも今日、社長から本社近くの喫茶店に呼び出され「来年から鹿児島の支社長になりなさい」と言われた。キミのためを思ってゴニョゴニョと言っていた。
「今後の成長を期待して」というが「本社には要らない」と言われていた気もする。ぶっちゃけ、俺は優秀じゃない。優秀だったらさっさと辞めているし、実際数字も大して上がってない。今の仕事も面白くはない。
甘えたことを言えば、環境を変えたら何か変わるかも。心のどこかで思っている。もしかすると会社もそう思ってくれているのかもしれない。
厳しいことを言えば、環境を変えたらさっさと辞めたくなるかも。もしかすると会社もそれを狙っているのかもしれない。
支社長になると役職手当が出るらしい。どうせ本社でつまらなく過ごすなら、鹿児島で、会社の金で武者修行も悪くないと思っている。
そして次も問題。
そもそも数ヶ月前から会社に黙って転職活動をしている。転職エージェントの紹介でとてもおもしろい会社と出会うことができ、内定がもらえれば是非入社したいと思っている。すでに2回面談が済んでいる。役員との面談で「次は社長と会ってみてよ」と言われている。
だが、それから一ヶ月待たされている。もし俺が優秀だと思っているならすぐさま囲い込むだろうから、きっと当落線上なのだろう。
転職エージェントと転職候補先とで「あいつの他にもっといい人いないの?」なんて話しながら、別の候補者探しでもしているのだろう。俺はいわゆる『キープ』。もし単に時間にルーズなのであれば、とてもホワイトな会社らしい。それはそれでいいなと思う。
私も気長に付き合うつもりだったから、平謝りするエージェントに「業界研究して待ってますね」などと生ぬるい返事をしていた。
だが、話が変わってしまった。
奴隷商…じゃなかった、転職エージェントにはポスト打診の話を伝え、早く面接しなきゃ支社長になるぞと脅した(そのLINEは未読だが)。
もし転職候補先が俺を評価してるなら急いで面接を取り付けるだろう。それほどなら交渉を打ち切るはず。
まずはそこの出方を伺いたい。
一番望ましいのはさっさと面接して内定をもらい転職すること。会社というより、業界がもうダメだ。
一番最悪なのは、鹿児島話を断って本社に居座り続けた挙句、転職にも失敗するパターン。これだけは避けたい。
考え方を変えて、支社長経験を数年積んで転職活動をするのもありかも?ただ、もうそのときはきっとアラフォー。別の問題になってくるだろう。
あれ、これ、1週間で決められなくない?
どうすればいいんだ?
往来歴や持病を聞くのは厚生労働省のガイドラインで禁止されてるだろ
再投稿は許して下さい
〜〜〜〜
【2ch面白スレ】精神科医者「ワイさんのアスペとADHDは正直重めですねぇ」ワイ「えっ」【ゆっくり解説】
ttps://youtu.be/XH5uMIDqar4?si=a_icuYzkHfHJ6h5L
〜
知覚110代前半
処理速度60代前半
全IQだと
言語性130代前半
全検査131
自分はアスペルガー症候群テストではボーダー下だったけどASDとADHDの掛け合わせ
この世は地獄
書いたもの
■もう自分は狂ってるんだと思う
https://anond.hatelabo.jp/20250927012140
https://anond.hatelabo.jp/20250921123108
https://anond.hatelabo.jp/20250913061950
■男がレディファーストを究極まで考えると
https://anond.hatelabo.jp/20250910234307
https://anond.hatelabo.jp/20250907042025
https://anond.hatelabo.jp/20250905224655
https://anond.hatelabo.jp/20250818033637
なんで生セックス前提なの?
https://anond.hatelabo.jp/20250816113733
指摘されるから書いておくけどお金溜まったらソープには行こうと思います(童貞)
でも行ってもそんなに変わらないと思う、優しい人が相手してくれるだけで、「この人は優しかった」で終わりだと思う
(過去幼い時に姉弟で犬の散歩に行ったら眼の前で姉へ痴漢があって(2人とも直ぐ一目散に逃げた)警察が来たことはずっと覚えてる
色んなところ見て、研修とか介助者へ手厚いことしてるお店に行こうと思う(その店が繁盛してほしいから)
はてなの人が普段から狂人(小山)氏やrei氏、CDB氏のことを「女性憎悪」だと言って叩いていて、でも自分にはなるほどと思える評論が多く、自分が同じ思考ならそれはもう「女性憎悪」だろうと思ったからそう書いた
根は優しい人って書いてくれた人、ありがとう
自分は、自分を拒否した人にも何かをgiveしてしまおうという癖があり、今度からは(たぶん相手も迷惑だろうから)やらないように訓練しようと思っている
ttps://showa.repo.nii.ac.jp/record/4130/files/ko3359_summary.pdf
こういう感じなのは当事者なら自分で調べていけばすぐ分かることなのだ
何も言わなかったけど
・一人に愛されろ・憎悪をやめろ・賽を振り続けろ
ttps://anond.hatelabo.jp/20250928210720
これ対象を自分に想定して書かれた、女性が書いた創作文なんだと思うけど、
当事者特有の気を付けるべきこととかも書かれていないし、出身を偽って書くにしても調べが足りないので当事者に余りに不誠実だし
寄り添うふりして自分の「こうしたら良いから!」を押し付けて我田引水してると捉えた
こういう悪意を持った女性からの1回1回が男性の女性嫌悪に寄与してると思う
(自分は30代前半だけど20代前半とかの若い人の方が今は女性憎悪強いんじゃないかな
ttps://anond.hatelabo.jp/20250929085754
この人が過去どんな経験をしてきたか定かじゃないけど、自分はこういう人とは付き合いたいとは思わない。
これを書いた人が40代の人なら、10年後こんな人には絶対なりたくない
その人の人格を形成してきた大事な物を全て全否定する物言いだし、自分がこれを真に受けても(捨てる方でも捨てられる方でも)、相手をリスペクトしない態度だから自分は絶対幸せになれないと思うしやりたくない
自分は定職に着いているけど、発達障害の当事者が簡単に定職には付けないことを理解せずに無自覚にヘイトをしてる
自分はそうでなかったけど大抵の人は、
大概は就労移行支援を上限2年間、給与なしの場所でひたすら自分が悪いということを叩き込まれ、
障害が軽い人は運良く企業に拾われ(大概どこかの特定子会社)、重い人はA型作業所で最低賃金以下+障害年金の生活になる
(自分は知人でそういう人(それでもなんとか密やかに人生楽しもうとしてる)も知ってる)
自分は公務員系の定職ついてから発達障害が分かって、2時ぐらいまで残業したり何度も帰り道座り込んだり電車に飛び込もうか考えながら、就労移行支援に体験に2回別の所行ったりしてずっと悩んで
一回一般企業に内定受かって辞職願い出して実家の親に報告したら「辞職取り消せ」と言われ、当時は朝起きれる自信がなかった(それくらい発達障害にとって眠気は鬼門)から泣く泣く取り消して、家も職場も生き地獄だった
(公務員系だったから親的には本人<本人が続けること、だったんだと思う)
そのまま職場で清水の舞台飛び降りる覚悟で一人暮らし始めて、1年後に、1回目に、前回転職活動して感触良くて落とされたとこ電話して受けたらぽろっと受かった
辞めるまでも自分の心が複数あって張り裂けそうだったけどなんとか生きて今もそこで働いてる(給料は低くなったけど異世界転生かと思うくらい違った
というかアウシュビッツから出てきたユダヤ人の気持ち、今でも(夜と霧読むと分かる))
これは自分の、本当に幸運な例(これは本当に本当に幸運な例)なんだけど、世の人がそんなに幸運だとは思えないし、自分だってあの時親を◯してたら今の道はない(ADHDの衝動性)し、そういうことを当事者男性は(発達障害当事者の女性も)皆持ってるんだよ
現実にソシャゲに出てくるような女性がいたら、それは既婚者だと思う(仲良くなったそういう人とやり取りしてる)
「総意は違うよ!現実の女性にはもっといい人いっぱいいるよ!!インターネットに毒され過ぎだよ!!」
そうだといいなと思う。素敵な人達ばかりだといいなって。
たださ、昔言われたんだけど、「いじめ無視してる奴もいじめ」なんだよね
そんなに素敵な人ばかりなら、何故インターネット上でも女性がラディカルフェミニストにカウンターを出来ていない?
見て見ぬふりをしているだけと捉えるよ?被害者は
特に発達障害の当事者は、スケープゴートにされて、散々言葉で刺されて、見返りもない、ただ現実が広がるだけ
叩きたいだけ叩いて、後は知らん、ポイッって打ち捨てられて。
今発達障害の男の子産んでる親は、これについてどう思ってるの?
ラディカルフェミニストは「男子なんか◯しゃあいいんだ」って言うけど
(余談なんだけど左派でニュースを見たいからはてな読んでたんだけど、はてな見ないなら何処を普段見ておりますか、皆様)
(あとトランスジェンダーの人、種類は違うしお前なんかに寄り添われたくないって言われるかもしれないけど、自分は応援してる
なんにも分かってない奴に雑に叩かれる人は増えて欲しくない)
言われると思うから書いておく
発達障害当事者として、2次障害の鬱に薬無しで対抗するには正直性欲を発散させるしかないから
生きるか死ぬかでやってた狩猟民族の生き残りということもあるし、リビドーっていうのは生の欲(デスドルドーは死の欲)っていうのは昔何度も縋るようにエヴァ見ながら考えてた
薬無しだと直ぐ◯にたくなるし、鼻水出るし指とか肌がカサカサになる
その中で良く生きてきたなと我ながら思う(今は薬飲んでるから希死念慮や幻聴はでていない、手荒れや鼻詰まりもない)
男の性欲自体を認められない人は苦手だ、本当に
性欲を捨てろ?
あなたは俺の障害や2次障害ふっ飛ばして文字通り粉骨砕身して、その上家事もして、その上で手を出すなということも守り続けられるくらい、
在宅です
出社する時はエア台パンにしてる
でもまぁ近所迷惑になりそうなので気をつけるね(過去からのトラウマを不意に思い出すことが多い)
ソープには行くとして、給与が転職したてで低いからメンタルが落ちてるのもあると思う
でも精神は結構安定している方なんです、これでも(希死念慮や幻聴は出てないから)
先ずは本業を頑張る
(趣味でlinuxを好きで触ってて良かった、違う業界だったとしても、と思って続けてて良かった、今の本業で苦労がない)
結婚かぁ、結婚は分からない(発達障害は遺伝と言われている)。相手も子どもを望んでいないかもしれないし分からない
まず生活で今自分一人でなんとかなってるけど、他人と、子ども(確率的に発達持ち)とが増える未来
まずそんなに体力がない(休日ずっと寝てる(発達障害は疲れやすい))
まぁ、昔から無印の服は着てる(前職の時は30歳位からハイブランド買ってた(発達障害の衝動浪費癖(今は無理)))し、
これからも、これまでやってきたように、怪我して、1回1回傷付いて、トラウマになるくらい強烈に自覚させて、なるべく失敗しないようにして、それでも失敗して
同胞の人、それでも笑って生きてほしい
祈ってるから
内定式の後、先輩方との飲み会→同期飲み二次会があったが、話題が気持ち悪くてすでに幸先が不安すぎる。
具体的には、風俗利用履歴自慢や経験人数、この先のセックス相手の希望条件の話題など。
同期みんなが男女も関係なく皆ノリ良く楽しそうにそういった話題に参加していて、心底気持ち悪い。
何より嫌だったのが、場の空気に飲まれて、私も恋人との性行為について話してしまい、そういう話を振っても大丈夫な人間であると認定されてしまったことだ。
元々自分は八方美人かつ緊張して話すぎるタイプで、話題に乗らない、シカトする、といった選択肢を取ることができず、混乱したまま恋人に関する、人に言ってはいけないような話をしてしまい、本当に後悔している。
酒女タバコギャンブルのうち酒には耐性がある。残りの三つが心底嫌いだ。嫌いなのにノリ良く楽しく場を盛り上げてしまう自分の習性に嫌気がさす。
社会人は皆こんな汚いのか?
社会人の皆さんに聞きたい
・ほぼ初対面の同期にそういう話をした事が恋人にバレたら絶対に傷付かれる。ここからどうリカバリー出来るか?
・社会人になったら、どこに行ってもこのような下世話な下ネタに耐えねばならないのか?
・バリバリ出世して、出来る事なら社長や役員を目指すつもりでいた。こう言った下ネタに適性のない人間は出世ルートから外されるのか?(増田は女)
30歳の頃に転職を考えていて、同業他社か下積みからスタートのプログラマーになるか迷っていた
客先常駐のSES会社を面接して1週間音沙汰がなかったので落ちたと判断して次の同業他社に面接に行った
その同業他社から無事内定が出たタイミングでSES会社から1ヶ月ぶりに連絡があった
内定の連絡だったが、明らかに地雷の臭いがするから「他社から内定が出ているので…」と伝え断った
しかし給料アップなどいろいろな特典が話す内に追加されていき、何か切羽詰まっていることだけは伝わってきた
「考えさせてほしい」と一旦電話を切り、ジョブチェンジのチャンスかも、と一瞬だけ考えたあと翌日当然断りの電話を入れた