
はてなキーワード:公民館とは
本当に酷い話だと思う。
そして今でも自分は悪くなかったと思ってる。
でも、時々思い出して胸がぎゅっとするから、思い切って書き殴る。
私の通っていた中学校には、募金活動とか、福祉施設の手伝いとかをするボランティア部みたいな団体があった。
ただ、それは学校の部活じゃなくて、PTAが主体で運営していたものだった。
中1の春、面白そう、なにか手伝いとかできたらいいな〜と思って、友達と見学に行った。
チラシには「○月✕日に見学会をやります!お気軽にどうぞ!」って書いてあったから、完全に軽い気持ちで。
「こんにちは〜」って扉を開けた瞬間、空気がピリッと張り詰めてた。
知らないおばさんが「はい、そこに座れ」と言うから、ビビりながら正座。
「え?見学会じゃないの?何か間違ってる??」って、ずっと頭の中ぐるぐるしてた。
するとそのおばさんが言い出した。
「お前たちはどんな気持ちでここに来た?
人のために行う崇高なものだ。」
まるで説法。
1時間くらいそんな話を聞かされたあと、急に
「じゃあ目を閉じろ。
ボランティアを“本気で”やりたい者だけ残れ。
他は帰れ!生半可な気持ちなら今すぐ帰れ!!」
って言われた。
いや、こっちが聞きたいわ。何これ。
結局、友達とアイコンタクトして帰った。足も痛いし、ただボランティアに興味があっただけなのに、なんか宗教味を感じて怖かったし。
帰り道、
「一体なんだったんだろうね…」って友達に謝りながら帰った。
後から聞いた話では、あれは儀式みたいなもので、帰る人なんて今までいなかったらしい。
いや、帰るでしょ普通。
「1年にとんでもない無礼者がいた!話の途中で帰った奴が!」
って言われたらしくて、完全に悪者扱い。意味がわからない。帰れって言われたから帰っただけなのに、そもそも見学会じゃないの?
同学年だけじゃなく、知らない下級生からも何か言われたり。
そのボランティア部の部長が吹奏楽部だったんだけど、母校は吹奏楽部がものすごい人数いたんだよね。そのものすごい人数が全て敵になった。
何度も泣いた。
「私が何したんだろう」って思いながら。
弟が少し後に同じ中学に入ったんだけど、
「昔、やばい奴がいたらしいよ」って話を聞かされたらしい。
それは完全に私のことだった。
しかも話が盛りに盛られてて、伝説みたいになってた。すごい不良で暴れた奴みたいになってた。誰だよ。ただ私は正座して話を聞いて、帰って、と言われたから扉を開けて、失礼しました、って帰っただけなのに。
顧問でもないし、ただの保護者的な立ち位置だったはずなんだけど、なんであんなに威張って権威を振りかざしてたのか意味不明。
その大人が、あいつはやばいやつだ!話すな!!とか言ってたらそりゃさ、従うよ。
実は、何人か、話しかけてくれた人もいた。
色々話聞いてるけど、接した限りそういう人じゃないよね?って言ってくれる人がいて、また泣いた。
そういう人たちに救われて何とかやってきた。でもそういう人たちもターゲットになりそうで、あまり頼ることは出来なかった。本当にありがとう。
全員が敵だったあの3年間は一体なんだったんだろう。
部屋の片付けしてたら、中学の時の文集が出てきて。
「一生結婚できなそうなランキング」「友達が少ない人ランキング」どちらも1位になっていた私の名前を見て、悲しくなって思い出した。
政府「女性に子供を産ますには、どうしたらいいの…」 [782667645]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/190
190番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:08:17.05ID:r67/HxiM0
女性の場合セックスを不特定多数とする方が、社会に出て働くより給料が高くなればいい
この流れをもう少し強化し、売春の合法化とセックス文化の形成を進める
男性が収入で脚切りをされるのなら、女性はセックスをより多くする人がモテるように
セックスが無ければ男女共に惚れるなんてことはありえない、そこから結婚にも繋がらない
セックスできる場の提供(公民館や専用施設でもセックスしていい場所を作る)
セックスしていないと生きていけない、セックスをある程度していればそこそこ裕福に生きていけるような社会であれば調和が取れる
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/192
192番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:21:44.44ID:r67/HxiM0
今の社会は女性は自分が結婚市場のどの立ち位置にいるかランクが分からない
男性の高い高いランクと自分が釣り合っていると錯覚し、それが男女共に不幸を呼んでいる
また、女性は男性に優しくするとレイプされるとの危険性から男性に親切にすることを控えている傾向がある
また今のフェミニズムは、実際には向かう方向性を失っているのにも関わらず、今後女性の一方的なファンタジーが夢物語のように展開されると今も信じ続けられている
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/197
197番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:31:01.10ID:r67/HxiM0
そもそも男性側が優しさや女性相手に気を使うのは、その女性とセックスできる可能性があると男性側が思うからだ
男性があらゆる努力を行うのは、それが社会的価値の向上に繋がり、女性に選ばれる確立が高くなるからだ
セックスは、すればするほどお互いの親密度が高くなる行為である
日本はセックスを軽視し過ぎた、そして、女性とセックスが出来るなら、と、女性の言い分を通し続けてきた
結婚はセックス許可証のようなものである。セックスレスが離婚の理由になるのだから
セックスするために男性側は人生の大多数のものを捨てなければならない。人権を捨てなければならない
そんな墓場に首を繋がれる契約、その代わりにセックスを「させてあげますよ」としているのが今の女性の言い分である
1度子どもが出来てしまえば、子どもを脅しに使い、養育費の無限搾取を行える(それが実際に子どもに使われる事は限らないのに)
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/201
201番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:45:52.59ID:r67/HxiM0
ならば現実をどう変えていくか
女性が男性の性欲を満たして余りあるようにしなければ釣り合わない社会に
女性でセックスできる人口は限られてくる。妊娠でセックスが出来ない時期の人を除くと、もう既に男性余りが起こる。そして年齢が高くなると、男性側が「この人とセックスしたい」と希望する事も少なくなる
望まれない男性とセックスを一定回数、不特定多数の人と一定人数する
そうすれば毎年1000万円を最低支給、生涯支給されるようにすればいい
人数や頻度や回数によって段階的に支給すれば良いと思う
セックスの計測時期は排卵の適齢時期で考え、妊娠できる年齢までにセックスの基本的なことを教え、セックスをすることをメイン収入として、後は研究機関や会社に入社、セックスしながら雑事をこなすような生活であればいい
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/202
202番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 04:50:48.29ID:r67/HxiM0
参政党はもう既にロリコンの許容や弱者の立場の男性の耳障りの良い発言をしている
だからこそ本当に危ない
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/207
207番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 05:15:38.65ID:r67/HxiM0
勿論避妊の技術をもっと発展させ、男女共に身体により少ない影響で避妊が出来る技術を開発しなければならない
そして性病の撲滅にも全力で取り組まなければならない
これを徹底的に行なったうえで、国民全員、男女共に長期間避妊ピルを配布し、全力でセックスさせる
このようにすれば望まない妊娠は防げるし、政府の側にとっても、効力解除ピルを配布するのに制限をするなどで人口調整機能が働いて将来の人口爆発も防げる
男性はセックスした人の中から、この人なら生涯添い遂げても良いという人を選べば良い
女性も充分にセックスをしていれば収入は申し分ないし子育て費用もセックスで稼げているので、男性に収入を求めることなく経済的自立が出来る
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/210
210番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 05:29:52.35ID:r67/HxiM0
そもそもセックスが不浄なこと、隠すべきこと、辛いこと、忌避すべきことという概念自体が間違いなのだ
現在の性教育を教えた結果セックスを危ないもの、暴力であることとしか認識していない
概念は適切に教えるべきだ
この人はイヤではないという男性にはビキニラインを隠すのではなく積極的に見せるべき
そこに魅力の8割があるのだから
男性にとってセックスに繋がるものは全て報酬である、だから性的表現やフェティッシュなものはより過激であるほど人気が上がる
幼少時に大事な場所を見せてくれた、初体験をさせてくれた女性であったら、男性であれば現在のどんなに好条件の女性とでも天秤にかけて釣り合ってしまうもの
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/212
212番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a3e0-pgBA)sage 2025/09/13(土) 05:32:09.55ID:OV8Lxe+e0
210
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/217
217番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 05:55:01.88ID:r67/HxiM0
統一教会のやり方は自身を悪しき共産主義として悪魔化させたような構造になっていた
所有の概念は一夫一妻制の広がりと同時期に起こっていると考えている
合同結婚式では結婚する人を選ぶ権限は組織に決定権があり、国籍もミックスさせていた
このやり方は共産主義の所有がないという概念を悪魔化して支配しようというやり方から発想しているものであると考えている
女性には個々人とセックスをしない権利は残っているし、誰とでも絶対に拒むなというわけでもない
その結果望まれない人とセックスをせず将来貧乏になったとしても自己決定権の行使をしていてそれは自由だ
誰の子どもを産むかも男女の自己決定権があり、それを国が承認し子どもを妊娠できる
統一教会と一緒にしないでほしい
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/222
222番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5)sage 2025/09/13(土) 06:13:26.24ID:r67/HxiM0
統一教会とは異なることを明言した上で、それでもセックスの普遍化には宗教が必要だと思う
カトリックのように、性行為の様式や作法などを細かく決め、その方式を時に柔軟に変化させながら守り続けることがやはり必要だと考える
性行為そのものが宗教行為ならば、尊いものとして捉えやすいし、作法や様式を広めればレイプまがいの乱暴な相手の承認な暴力的セックスを行う人も減るだろうと思う
宗教施設として誰でも使用できるセックス部屋を提供し、カップルはそれを使用し、男性一人でも相手してくれる女性と宗教行為を行い、お布施を支払う
こうすることで
地位の高い人は「最も多くの恵まれない人とセックスした女性」であり、その人は多くの男性から望まれた人でもある
だからこそ男性のことが分かりつつ宗教の方向性が決められるし、男性の勘所が分かるからこそその宗教は支持されていく
宗教の献金で避妊ピルや性病撲滅資金も出せるし、コンドームの設置、全国配置も可能
女性が宗教をセックスのために行うことで、男性にレイプされる危険も下がるし、教義を守り続ければ望まないセックスをすることもなく、望まないセックスという概念が無くなりセックス行為は尊敬されるものという共通認識がなされれば、社会に我々は充分貢献しているんだ、という考えが芽生え、今の女性の社会的進出という実質的な男性の領分への侵食を考える事もないと考えるから
選挙権がある
=大人になった証
お酒飲むのは体質に合う合わないあるし、車の免許を取るのはお金も時間もかかる。けど選挙行くのは簡単で無料だったから大人を味わうのにコスパがよい。
(なんとなく大人になったなーって手軽に思ったのがお酒と車の免許ってだけで他にもあるのは認める。ごめん)
小さい頃に盆踊りの練習でしか入ったことなかったからか、あんなにしーんとした公民館の雰囲気初めてだった。あのちょっとヒリついた感じも好きだった。
あの雰囲気に立ち入ることを認められたというのも自分の中でよかったのかもしれない。
あと毎月チャンスがある、とかじゃないのもよかった。面倒くさくないし、希少性が増してレア感もあるから。
もうそんな新鮮味を感じないくらいに年月が過ぎてしまった。もう誰からどう見ても自分は大人だ。自認も同じく。だけど来月の選挙もちょっと楽しみにしてる。
この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代の戦争体験を生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d
「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦で母子を撃った90代の元日本兵が謝罪
6/19(木) 6:04配信
元兵士の照屋さん(仮名)が住民をあやめてしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日、沖縄本島(竹花徹朗撮影)
「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」
2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。
臨床心理士の吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。
参加の意思があるか、ないか。体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。
事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身の過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。
体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。
「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。
それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさらで申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。
慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。
意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。
そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。
「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。
90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。
所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民が避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。
告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。
帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまったことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。
照屋さんは1915年、沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性と結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。
太平洋戦争で東南アジアの戦地に出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。
45年8月15日、日本の敗戦を伝える玉音放送を収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。
2人が長崎に疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望感から沖縄を離れたが、仕事の関係で間もなく戻らざるを得なくなった。
それでも故郷の集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。
戦時の体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士の吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分の行為を正当化したかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。
「照屋さんにとってこの場なら大丈夫と安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間が必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班・吉田伸)
この記事、読んでいて本当につらかった。
なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分が家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。
きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機にさらされた極限状態では働かなくなってしまうものなのだろう。
一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎で原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまりに残酷すぎる結末だ。
このおじいさんは1915年生まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代の体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平や奥崎謙三、俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれた将校が海に放り込まれたエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代の下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。
第一に、1910年代以前の生まれの「戦争を指導した大人世代」。上官や責任ある立場で戦争に関与し、戦後は沈黙を保って生き延びた人々。戦場で人間性を喪失し、それでも帰ってきた。
第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫、鶴田浩二、吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理を見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八の映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。
第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代と国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代間ギャップがみえていたはずだ。
このうち、戦後に戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去に沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。
特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分の運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後の道徳観につながり、吉田満に代表される感性は現代の保守層に理想視されてもいる。
しかしその倫理観には、自己満足や欺瞞が含まれている可能性もある。過去の自分の非を、倫理的になった「現在の自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足と偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。
そして、その倫理観は被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨は抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。
脚本家・橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たちを戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。
死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分も戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人の自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。
知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。
岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかしてしまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも「自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分がコントロールを失って暴れた自分を自省し、本来の自分は倫理的で、酔って暴れた自分は本来の自分ではなかったという卑怯なポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。
現代のSNS社会では、こうした加害者の欺瞞的な贖罪を被害者がつけ込む形で、この構造がさらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。
ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジションに依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。
でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪は再生のきっかけにすぎない。
この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去の行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。
この世代の葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作『少年寅次郎』(脚本・岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらんな性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場で倫理が破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。
これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一のドラマ『男たちの旅路』も思い出す。特攻の記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり、上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前派からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。
記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地で暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。
「贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。
私たちは「贖罪の涙」や「被害者のトラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。
「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループの存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。
被害者の側も、いつまでも「被害者であり続ける」ことはできない。
辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピンの住民が「日本兵に家族をブタの丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。
人生って、つらい経験ほど上書き保存、楽しい記憶は名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。
贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。
人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。
65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争が人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。
山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一の番組降板が話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。
もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしまう自分がいる。
引っ越し直後の不動産屋の説明では、不燃ゴミだけはあの公民館の前辺りに捨ててくださいと言われた。
何も目印が無いから何処だよと思い、捨てる曜日に視察に行ったりしたけど、結局捨てられている形跡が無かった。
それでも2程年住んでると粗大ゴミが増えて行くため、言われた通り公民館の前に置いておいた。
会社の帰りの際に回収されていないのを確認したが、それ以外の捨て場所を知らないため、見てないふりをした。というか捨て場所を知らない。
2日経つと勝手に消えてるから、誰かが片付けたんだろうなって思ってる。
不動産屋に聞いても同じように公民館の前としか言わず、確認するんで後で連絡すると言ったっきり連絡は来なかった。
そんなこんなで3年が経ち、正しいのか分からない場所に不燃ゴミを置きに行っている。
はてな匿名ダイアリーは、学校帰りの週末夜に寝転がって読んでます。ランキングに載ってるのだけ。新着はあまり読まないです。
多くの記事は斜め読みだけど、たまにトンデモなく面白いのを見つけた時に感動する。高1から読んでいる。はてなユーザーがうんこを漏らしがちなことは知ってます。※冗談だってことも知ってますよ
これって匿名で日記が書けると言うので、今回ちょっと普段の後ろ暗い思いを綴ってみます。
自分は、府中東高校と同じエリアにある学校に通っている。ちょっとだけ真面目な方かもしれない。
正直子どもだけど、受験勉強や部活は頑張れる人間のつもりでいる。実際に努力はしてきた。
ただ、少なくとも、同じ高校生とは思えない人達のせいで困ったことが何度もある。。
たとえば、学校帰りに自習に使う文化施設(公民館?)でのこと。静かに教科書とチャートを広げてると、たまに騒がしい一団が学習机が並んでるスペースのところにいる。
学校帰りの東高校の生徒で、勉強している府中高校の女子に平気で話しかけている。ナンパってやつなんだろうか。したことないからわかんないけど。迷惑以外の何物でもない。
一度なんて、学習スペースの隅っこで男女(東高校の制服)がベタベタしていて、明らかにただのイチャつきじゃない雰囲気だった。
しまいには公民館職員のおじさんに注意されて、男女はすごすごと出て行った。見てるこっちが恥ずかしくなった。あれ、ほぼ性行為じゃん……さすがに言い過ぎか。でも、マジでそんな感じだったんだよ。
通学の時も、彼らを見かけることがある。大きいバイクを乗り回している東高校のやつ。ヘルメットは被っているけど、こないだ駅近くの交差点のど真ん中でエンストして、その様子を同じく東高校の女子生徒数人に笑われてた。
それからそいつは、横断歩道のすぐ手前までバイクを押して来て、女子生徒数人と楽しそうに話を始めた。通行人にとって邪魔だった。
自分はそこにいたけど、チキンなのですごすごとその集団を避けて学校まで行った。
あと、バス停で東高校の女子生徒を見かけることもあるんだけど、たまに信じられない子がいる。
バス待ちでしゃがんでるんだけど、明らかにパンツが見えているのに、全然気にしてない。
自分でわかってないんだろか?あれは一体どういう感覚なんだろう。
同じ女子高生でも、うちの学校の子はもっとちゃんとしていると思う。学校の階段とか、教室の中で足組み替える時にパンツ見える子もいるけど、それは男子の側にもそういう気持ちがあるかもしれないから、まだ許せると思う。※許してほしいです
はっきり言うけど、近隣の中学校の中でも、ちょっと……言葉は悪いけど「掃きだめ」みたいな環境で生きてた生徒が通う学校である。少なくともうちの中学ではそうだった。
東リベの漫画読んだことあるけど、あれって20年以上前の話なんだろ。でも、東高校の人らは、あの世界観で生きてるような気がする。
駅の近くで、東高校の制服を着た数人に囲まれている中学生を見かけた。
近くに大人がいるのを確認して、思わず声をかけたら、連中は舌打ちしてどこかへ行った。
あの時はマジでドキドキした。中学生からは感謝されたけど、たまたま居合わせただけだ。大声を出したら聞こえる距離に大人がいなかったら、絶対やってない。
ここからが本題なんだけど、正直、これからどんな気持ちで公民館とかに行けばいいんだろう?また東高校がいたら集中できないし、自分自身が被害に遭ったら嫌だなと思ってしまう。勉強に集中したいのに。
どうしても、周りのことが気になってしまう。うるさい環境だとマジで集中できないよ。ちゃんとした大人だったら、一般的なはてなユーザーとかだったら、なんとか知恵が浮かぶのかもしれないが、自分は無理だ。経験が足りない。
申し訳ないけど、自分はあの学校の生徒たちを差別していると思う。そういう感情がある。はっきりわかるんだ。
ふと思ったんだけど、社会人になって大企業とかに入っても、ああいう感じの、常識がない人っているんだろうか。もしそうだとしたら、今からちょっと憂鬱だ。高校生の世界だけならまだしも、大人になってもああいう人たちと関わらなきゃいけないのかと思うと、気が重いのである。
はてなの人たち、人生の先輩って、未成年の頃にこういうのが気になったことはあるんだろうか。
こういうのって、どう考えればいいんだろう?気にしすぎなのかな。
(終わりです)