
はてなキーワード:公共放送とは
日本のテレビ局の報道姿勢については、保守・右派の視点から「左寄り(リベラル寄り)の偏向が多い」との指摘が長年続いており、特にSNSやネット上の議論で活発化しています。これは、放送法の「政治的公平性」違反をめぐる批判や、特定番組の論調(例:自民党政権への厳しい追及や、移民・外国人政策への肯定的スタンス)が原因です。ただし、メディアの「偏向」は主観的要素が強く、左派からは「与党寄り」との逆の声も一部あります。以下では、公開情報や世論に基づき、特に悪評の多い局をまとめます。主なソースはネット検索結果とX(旧Twitter)の投稿分析です。
Xやウェブの議論では、**TBS**が左寄り偏向の「最悪」との声が圧倒的に多く、次いで**テレビ朝日**、**NHK**が挙げられます。これらは新聞系列の影響(TBS:毎日新聞、テレ朝:朝日新聞、NHK:公共放送だが左派寄りとの指摘)が背景にあり、番組例としてTBSの『報道特集』やテレ朝の『羽鳥慎一モーニングショー』が「反日・反自民」と批判されています。全体として、キー局5局(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日)のうち、フジ・日テレは「中道・右寄り」との評価で悪評が少ないです。
| 局名 | 偏向の主な指摘点(左寄り悪評の例) | 悪評の頻度(X/ウェブの言及割合、概算) | 関連新聞系列・理由 |
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| **TBS** | ・『報道特集』で参政党や外国人政策を「排斥」と曲解報道。 ・ひるおび、Nスタで自民叩きが日常化。 ・親パレスチナ・反イスラエル偏向。 | 最高(約50%) | 毎日新聞系。左翼活動家コメンテーター多用、視聴者会調査で「偏向率高」。 |
| **テレビ朝日** | ・『モーニングショー』で玉川徹氏らの極左論調。 ・朝日新聞の影響で憲法・防衛政策を平和主義で批判。 | 高(約30%) | 朝日新聞系。極左プロパガンダとの声。 |
| **NHK** | ・公共放送なのに反政府・左派寄り(北朝鮮系スタッフ疑惑)。 ・朝の番組で反日要素。 | 中(約15%) | 公共。受信料強制なのに中立性欠如。 |
| **日本テレビ** | ・やや左寄りだが、読売系列で全体的に中道。 | 低(約5%) | 読売新聞系。悪評少ない。 |
| **フジテレビ** | ・産経系列で右寄り。偏向批判は少数。 | 最低(<5%) | 産経新聞系。保守寄り評価。 |
(表の悪評頻度は、検索結果のキーワード言及数とX投稿の傾向から推定。視聴者の会調査(2017年)では、全体の67.8%が「TV偏向増」と回答。)
これらの悪評は主に保守層からで、左派からは「メディア全体が右寄り」との反論あり。公平性を期すには、複数局・ネットのクロスチェックをおすすめします。実際の視聴率やBPO(放送倫理・番組向上機構)審議で確認を。
10/1からのネット必須業務化に伴い、NHKのウェブサイトは、NHKONEへと移行した。結果として、公共放送のNHKは、実質的なペイウォールを設け、公共性を大きく失ったメディアへと成り下がった。
NHKONEのコンテンツにアクセスしようとすると、同意ボタンを押すことを求められる。現在の建付けでは、この同意ボタンを押せば、受信を開始したとみなされ、放送法上の受信契約の締結義務・受信料支払い義務が発生する。NHKONEでは、この実質的なペイウォールの向こう側にほぼすべてが置かれており、受信契約に同意せずお金を払う意思のない人間は、NHKの情報へのアクセスを制限される。
その他の民間のメディアでも、当然ペイウォールを設けてはいる。しかし、民間のメディアが(広告付きという条件はありながらも)重要なニュースを無料で開放している一方、NHKはラジオ関連や緊急情報を除いてほぼすべてを“ペイウォール”の向こう側に隠している。緊急情報を提供するという重要な役目は引き続き継続しているものの、基本的にはNHKは公共性の低い有料サブスクと化している。
情報の選択が行えるネット社会において、お金を払う意思がないとNHKにアクセスできないのは致命的だ。今はまだテレビをもって受信料を払っている人が大多数なため、NHKのウェブサイトに多くの人がアクセスできるが、今後テレビを持たない人間が増えれば、わざわざNHKにお金を払うという選択肢は生まれにくい。
デマが蔓延るこの現代において、日本のインターネット空間は、信頼できる公共のメディアを失った。今後、数十年にわたって、日本のネット言論空間に影を落とす出来事となるだろう。
「NHKONE」とかいう新サービスに切り替わって、契約しないとアクセスすらできないらしい。
正直ショックだ。これって事前にきちんと予告されてた? 今までは見逃し配信とか有料コンテンツは契約者向けってのは理解してたけど、ニュース記事まで「契約して金払え」になったのは初めてじゃないか。
もし「何がなんでも契約して金払え」という方針なら、それにふさわしい報道をやってほしい。例えばBBCのように、政権に忖度せずきちんと批判する。あるいはユースカルチャーや音楽の音楽も充実させる。
受験で男児と女児を同数にすると、女児の方が全体に優秀なため男児がより低い合格ラインになってしまいます。
つまり、男児のほうが低い合格点で合格になることが、問題視されています。
これについては
<男女平等社会で男女平等教育をするほど、女子生徒の平均中央値の学力が男子生徒を上回る。これは10代未満から20代まで、同条件の学力査定ができる状態でずっと続く>
という結果が出ています。
ドイツ公共放送のドキュメンタリーで詳しく解説しているので、興味のある方はご覧ください。
また、学力中央値は女性の方が高いが、男性は下と上の層が女性より多い。
つまり、高いIQを持つのは男性なのだ、という解釈もあります。
健康診断等で下限値から上限値までの中央に収まるほうが健康値が高いといえるのに、脳の出す値だけが高ければ高いほど良い、というのは実は異常なことです。
血圧であれば、高ければ高いほど良い、とはなりません。
IQが飛び抜けて高い人間は「脳が不健康」であり、男性に多く現れるということです。
ですから、優秀な男児が男子進学校に行き、劣った男児が優秀な女児と争うことになる、という解釈は、優秀といわれる男児の不健康さを放置し、優秀な多くの女児の可能性を阻害する制度の問題点をあげているわけです。
学力が低く、同年代の男女からおちこぼれた男児の多くが、「アルコール、暴力、薬物」などの問題を抱えるようになります。
厳しい言い方ですが、下駄を履かされた男性は優秀な女性の席を奪い、社会経済を劣化させ、本来の能力でおちこぼれた男性は加害性を高め自立できず社会問題を引き起こします。
これは女性にはない特性であり、だからこそ、女性の無害性に不平等が押し付けられてきたともいえます。
インセルの男性は「女性が自分たちの場所を奪った」 と考えがちですが、問題の根源は「学力により経済格差が生まれる」です。
他者を現場で働かせて賃金を得るほうが、実際に動く人間より高い報酬を得る構造です。
実体のない金融経済が実体経済を上回る現状が異常で、同じように実体のない労働が現実的に社会を構築する労働より多くの報酬を得る傾向が高く、これまでは主に男性がその恩恵を受けてきました(その男性に寄生する女性もいますが、直接的恩恵ではないため立場が劣ります)
また、女性による現実的に社会を構築する労働は無料か低賃金に抑えられ、女性の不満を増幅させました。
資本主義の根源が、他者の労働と時間を不当に奪うことで利益を得るものだからです。
ですから、労働内容が同じでも多くの搾取を行える大企業の社員のほうが賃金が高いのです。
労せずして利を得る構造で、ホワイトカラーのイスを奪いあう大きな条件が学力であれば女性優位になるのは仕方ないことです。
すくなくとも、男性の学力が女性より優れているという思い込みは捨てるべきでしょう。
女性が平均的に優位な点が、学力、コミュ力、協調性、ケア能力、免疫ベースの長期的体力だとすれば
男性優位な点は、筋力ベースの短期的体力、開拓的推進力、決断力などがあります。
これまでの歴史で優位に働いてきた男性の資質が、成熟した社会では求められなくなっていきます。
これは必然的な流れであり、男性の気持ちが傷つくという理由で女性が委縮させられる社会は不健全です。
学力優劣が社会的優劣に結びつく学力差別を軽減する、相互尊重が必要です。
男性的資質はこれまでの女性的資質のようにサポート面にまわり、男性にも女性的資質が求められるでしょう。
競争社会から福祉や幸福を社会の基盤に置く変化が求められます。
男児が幸福な大人になるためには、利益やビジネスに関係のない同性の友人関係を成人してから構築できるようになることです。
競争や意地の張り合い、女性に選ばれるためといった有害な男らしさを捨て、自他のケアができるようになることです。
逆に女性はどうすればいいのでしょうか。
男性が女性にお世話され、丁寧に扱われるのが当然という考えを捨てるためには、女性が余計な面倒を焼かないことです。
自立しようとする男性のケアを前もって行うことで、男性の自立を阻害してはいけません。
また、有害な男らしさを崇拝し、私生活自立できない男性を選ぶのをやめることです。
多くの女性が、そのような男性との婚姻生活で侮辱や暴力を受け、恨みを抱いているにもかかわらず
普通に高校、大学などを出て、実家をはなれて給与所得者になった人で受信料を任意には払いたくないがテレビは持ってるよ、という状況で、被告となるシナリオを考えてみる
(訪問員に嘘をつくのは詐欺罪のリスクがちょっとあるから、そもそも会話をはじめない、はじまってしまっても「すまんが会話を続けたくない」でシャットダウン、必要に応じ不退去罪の規定の活用、がいいかな)
(通報は恨みをかってたらそれなりに可能性があるかな。ミスのシナリオはNHK側として狙うにはコスパが悪すぎるかな)
・SNSなどでテレビの存在を開示しちゃって、あるいは窓などから見えてNHK側にバレる
(セルフ開示はNHK側として狙うにはコスパが悪すぎるかな。窓などのほうのリスクは馬鹿にはできない、建物周辺から容易に見える階なら特に。)
***
本レポートは、日本の放送における政治的中立性という長年の課題に焦点を当て、その具体的な実態、資金源と権力の関係性、そしてデジタル時代の情報環境の変化がもたらす影響について、多角的に考察したものである。特に、電波が公共の財産であるという日本の特殊な放送構造と、それに起因する固有の課題について深く掘り下げるとともに、諸外国の事例やブロックチェーンの概念を交え、情報信頼性確保に向けた論点を提示する。
日本の放送法第4条は放送事業者に「政治的に公平であること」を義務付けている。この「公平」の解釈は長年議論の的となっており、現状では量的公平(ある候補者に報じた時間を他の候補者にも同程度割く手法)が広く採用されている。
「公平」の多様な解釈
日本の放送は、受信料で運営されるNHK(日本放送協会)と、広告料で運営される民間放送に大別され、それぞれ異なる構造的課題を抱えている。
民間放送は広告収入に依存するため、以下のような形で政治的中立性が脅かされる懸念がある。
NHKは受信料で運営されるため広告主からの直接の影響を受けない一方で、政治との根深い関係性が指摘される。
ガバナンスの強化や透明性の確保は、国民の監視が伴って初めて実効性を発揮する。日本の政治資金問題が示すように、監視の目がなければ問題は放置されうる。
諸外国における取り組み
他国では、政治資金の透明性確保やメディアの独立性確保のために様々な制度的アプローチが試みられている。
ブロックチェーンの概念は、情報の透明性と改ざん困難性という点で、政治資金やメディア報道における情報信頼性確保の可能性を秘めている。
最大の課題は、「フェイクを流すことで利益を得ようとするモチベーション」が、「正しい情報環境を守ろうとするモチベーション」よりも往々にして高いという点である。センセーショナルなフェイクニュースは速く拡散する(ベロシティが高い)のに対し、事実確認や訂正は時間と労力がかかる(ベロシティが低い)。このモチベーションの非対称性が、健全な情報環境の維持を困難にしている。
日本の放送における政治的中立性確保は、放送法の解釈、資金源、そして政治との構造的な関係性という複数のレイヤーに課題を抱えている。諸外国の取り組みやブロックチェーンのような技術的解決策は参考になるものの、それらはあくまでツールに過ぎない。
最終的に、健全な情報環境と民主主義を維持するためには、国民一人ひとりのメディアリテラシーの向上、そして政治やメディアに対して不透明な部分を批判的に検証し、声を上げていく「不断の努力による監視」が不可欠である。技術と人間の努力が組み合わさって初めて、情報の信頼性が担保される社会が実現されるだろう。
高橋はるみ候補は71歳の現職であり 、自由民主党から立候補しています 。彼女の選挙戦における主要な政策の柱は、「住民の安全安心を守る医療・介護体制の充実強化」です 。彼女は、2003年から16年間、北海道知事を務めたという圧倒的な知名度を最大の武器としています 。この長年の知事経験を通じて培われた公共への奉仕と地域への貢献の歴史を背景に、彼女は自身の選挙活動を「北海道の人々への感謝の恩返し」と位置づけています。
高橋候補の選挙戦略は、その確立された政治的資産に明確に依拠しています。彼女が「感謝の恩返し」というメッセージを強調し、16年間の北海道知事としての「圧倒的な知名度」を活用していることは、新たな政策提言よりも、有権者との信頼関係や親近感を優先する戦略的な動きと見ることができます。これは、特に彼女が深い根を張り、忠実な有権者基盤を築いてきた地域において、経験豊富な現職にとって、強固な実績と国民的認知が、斬新な政策提案と同等かそれ以上に強力な要素となり得ることを示唆しています。また、彼女が医療・介護体制の充実に焦点を当てていることは、日本の高齢化社会、特に高齢者が多い支持層の現実と直接的に合致しています。この政策の重点は、彼女の長年の知事としての実績と、信頼できる公僕としてのイメージを強化し、特定の社会ニーズに対応するよう設計された、非常にターゲットを絞ったアピールであると考えられます。
田中よしひと候補は53歳の新人であり、参政党から立候補しています。彼の主要な選挙公約は、「日本人ファースト」の政策と、北海道を外国資本から守るという強い決意を強調しています。経済面では、税金と社会保険料の合計負担率を35%に上限設定することを訴えています。さらに、消費税(段階的廃止の可能性を含む)、インボイス制度、ガソリンの暫定税率の廃止を提案しています。彼の公約の重要な柱の一つは、日本の食料自給率を現在の38%から100%に引き上げ、一次産業への国の強力な支援を確保することです。また、「北海道ファースト」のエネルギー政策を提唱し、再生可能エネルギーのバランスの取れた導入を通じて地域のニーズを優先することを目指しています。彼の選挙メッセージは、「このままでは日本が日本でなくなる」というグローバル化に対する危機感を表明しており、有権者の一部に響いているようです。
田中候補の公約は、「日本人ファースト」や「北海道を外国資本から守る」といったナショナリスト的なレトリックと、税負担の上限設定や消費税廃止といった具体的な経済ポピュリズム的措置が明確に融合しています。この戦略は、国家のアイデンティティ、経済主権、そして生活費の高騰に懸念を抱く有権者に訴えかけるよう設計されています。食料自給率の向上や「北海道ファースト」のエネルギー政策という明確な強調は、この広範なナショナリスト的経済メッセージを北海道という資源豊富な地域に特に適合させ、関連性と説得力を持たせています。
このナショナリズムと経済ポピュリズムの独自の組み合わせ、特に「外国資本」からの脅威に対する焦点は、参政党を主流政党に対する明確な代替勢力として位置づけています。先月の東京都議会議員選挙で3議席を獲得した参政党の最近の選挙での成功は、この種の政策が国民に受け入れられつつあることを示唆しています。これは、従来の政治が国家のアイデンティティや経済的幸福に関する懸念に対処できていないと感じている、幻滅した有権者層に参政党がうまくアプローチしていることを示しています。
小野寺まさる候補は61歳の新人であり、日本保守党から立候補しています。彼の中心的なアピールは、「この国を愛する人物を一人でも多く国会に送り届ける必要性」に集約されています。また、SNSを積極的に活用することで、自身の知名度を高め、メッセージを効果的に広めることを目指しています。
小野寺候補の主要な公約は、「この国を愛する人物」を国会に送るという、政策の詳細なリストではなく、広範でイデオロギーに基づいたアピールです。この抽象的で価値観に基づいたアプローチと、知名度向上のためのSNSの戦略的活用は、特定の価値観を共有する有権者層を動員しようとする意図を示唆しています。この層には、従来の保守政党が原則を妥協した、あるいは国家のアイデンティティを十分に擁護できていないと感じている人々が含まれる可能性があります。
この戦略は、参政党のアプローチと類似しており、新しい政治的実体や候補者の間で、文化や国家のアイデンティティを、詳細な政策提言よりも重視する傾向が強まっていることを示しています。デジタルプラットフォームを活用することで、これらの候補者は従来のメディアのフィルターを回避し、ターゲットとする聴衆と直接関わり、共通の価値観とコミュニティ意識を醸成することができます。
後藤朋子候補は55歳の新人であり、NHK党から立候補しています。彼女の唯一の焦点は、NHK(日本放送協会)が将来的にスクランブル放送を導入し、NHK受信料を実質的に無料にすることを提唱することです。彼女は、「公共放送は本来無料であるべきだ」と強く主張しています。
後藤候補の選挙公約は、NHK受信料問題とスクランブル放送の導入という単一の課題に完全に特化しています。この非常に具体的で焦点を絞ったアプローチは、NHK党の全体的な戦略の特徴です。この狭い政策焦点は、この特定の課題に対して強い不満や信念を抱く人口層を動員する上で、驚くほど効果的であり、広範で多様な政策基盤を必要としません。
単一争点政党の成功は、特定の政府機関、公共サービス、または政策に対する国民の根深い不満のバロメーターとして機能することがよくあります。このような焦点を絞ったキャンペーンは、幅広い一般有権者にアピールしないかもしれませんが、熱心な有権者から十分な支持を得て、立法機関に足がかりを築くことができます。これは、多党制の政治システムにおいて、ニッチな不満とターゲットを絞ったアピールが持つ大きな力を示しています。
宮内しおり候補は33歳の新人であり、日本共産党から立候補しています。彼女は、経済的困難を緩和するための具体的な措置として、最低賃金と年金の引き上げ、生活保護基準の向上を提案しています。彼女の最終的な目標は、国民の可処分所得を増やすことです。彼女は、「物価高で大変な暮らしをしっかり支える政治をつくる」と公約し、生活費に関する広範な懸念に直接対処しています。
宮内候補の公約は、「物価高対策」のテーマに直接的かつ包括的に対応しており、所得増加と社会保障網の強化に焦点を当てています。このアプローチは、日本共産党の伝統的な社会福祉、経済的平等、そして脆弱な人々の支援への重点と一致しています。最低賃金、年金、生活保護の引き上げといった彼女の具体的な提案は、実質賃金と可処分所得の低下に関する国民の広範な懸念に対し、具体的かつ即時的な対応を提供しています。
この戦略は、共産党をインフレと経済的不安定さに最も影響を受けている人々の擁護者として効果的に位置づけています。生活費の高騰が支配的な争点となっている選挙において、直接的な財政的救済策を提供し、社会支援システムを強化することを約束する候補者は、特に経済的に苦しんでおり、現在の政策に見捨てられていると感じている有権者のかなりの部分に強く響く可能性が高いです。
岩本剛人候補は60歳の現職であり、自由民主党から立候補しています。彼は、「国を守るためには、北海道が食料を守っていかなければならない」と主張し、責任ある与党である自由民主党と公明党がこの重要な目標を達成できると強調しています 2。また、北海道内の特定の地域課題に取り組むこと、そして地域社会が直面する課題を効果的に伝えることに焦点を当てています。彼の選挙運動を強化し、自民党が北海道で2議席を維持するという目標を達成するため、農林水産大臣の小泉進次郎氏を含む著名な党幹部からの高位の支援を受けています。
自民党の現職である岩本候補の選挙運動は、食料安全保障と広範な地域課題に戦略的に焦点を当て、これらを自民党・公明党の与党連合の能力と責任に明確に結びつけています。このアプローチは、同じ自民党の現職である高橋はるみ氏(医療・介護を強調)との差別化を図りつつ、自民党の核となる支持層にアピールし、北海道の具体的かつ重要なニーズに対応することを目的としています。小泉進次郎大臣のような著名な閣僚が積極的に応援演説を行うことは 3、この重要な選挙区で自民党が両現職の議席を確保することに対する戦略的な必要性を強調しています。
これは、自民党が同じ選挙区内で多様な政策分野をカバーし、より幅広い有権者層にアピールしようとする協調的な戦略を示唆しています。岩本候補が食料安全保障を強調することは、特に北海道のような主要な農業地域において、根本的かつ増大する懸念に訴えかけるものであり、サプライチェーンの脆弱性が増す世界において、与党を国家の安定とレジリエンスのための信頼できる選択肢として位置づけています。著名人の応援が必要であることは、主要政党の現職であっても、特に無党派層からの支持獲得に課題を抱えていることを示しており、選挙の競争の激しさを浮き彫りにしています。
7.稲原むねよし (チームみらい)
稲原むねよし候補は36歳の新人であり、チームみらいから立候補しています。稲原候補は、「世界から取り残されない日本を、ITの当たり前を実現する日本を作っていきたい」と公約しています。さらに、「AIによる新しい政治」の実現を提案しており、ガバナンスと社会の進歩に対する技術主導のアプローチを示唆しています。
稲原候補がITの普及と「AIによる新しい政治」という独自の焦点を持っていることは、選挙論議の中で独自の政策ニッチを切り開いています。従来の経済問題や社会問題が支配的な政治情勢の中で、技術の進歩と革新へのこの強調は、特に若年層の有権者、テクノロジーに精通した個人、あるいはデジタル時代における日本の国際競争力に懸念を抱く人々にアピールする可能性があります。
これは、日本の政治において、ガバナンスを形成し、社会の進歩を推進する上でのテクノロジーの重要な役割という、新たな、しかしおそらくまだ主流ではないテーマを浮き彫りにしています。デジタル変革は、インフレに苦しむ幅広い有権者にとって直ちの最優先事項ではないかもしれませんが、日本が世界の技術的変化を乗り越え、主要な工業国としての地位を維持しようと努力する中で、ますます牽引力を得る可能性のある未来志向の視点を表しています。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20250702190821
をコピペして、「MDからはてな記法に変更して」くれって頼んだらやってくれたわ。
はてな記法も把握しているのか……
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ドキュメンタリーと実在の事件をテーマにしたポルノの違いについて、以下に簡潔にまとめます。
ドキュメンタリーは事実の伝達と社会への貢献を目指し、倫理的配慮を重視する一方、実在の事件をテーマにしたポルノは性的娯楽を優先し、事実を軽視する傾向があります。これにより、両者の社会的役割や影響は大きく異なります。
最終話を見終わって、ゴミアニメという評価が自分の中で固まった。
単体でゴミならそれでいいんだが、過去作にまで泥をなすりつけてくるのがタチが悪い。
なぜこんなにゴミなのか?を考えていると一定考えがまとまったので掃き溜めに捨てておく。
根本的にジークアクス制作スタッフにはファーストガンダムへのリスペクトが欠けている。
ガンダムが好きではあるんだろうが、敬意を持った好きではない。
子供がガンプラを作った後、BB弾の的にして破壊するのに似ている。
造形がカッコいい、好き勝手に扱えるおもちゃが好きなだけで、作品に込められた思いや精神性にまでアプローチできていない。
誤解があるといけないのだが、自分は狂信的ガンオタというわけではない。
アラフォーでファーストリアタイ世代ではなく、スパロボから興味を持って宇宙世紀を一通り履修しただけの、ガンオタの中では薄めの人間だ。
ガンダム自体はうっすら好きで、話題になっていれば見るが、そうでなければ自分から追いかけたりはしない。
ジークアクスは劇場版ビギニングを見に行き、最初は期待を持った。
しかしTVシリーズが始まって徐々に期待はしぼんでいき、サイコガンダム回で若干テンションは上がったものの、その後の評価は無惨なまでの右肩下がりだった。
理由を挙げていくと枚挙にいとまがないのだが、タイトル単体の欠点自体はまあいい。
100点満点のアニメなど存在しないし、嫌なら見なければいいだけだからだ。
だがジークアクスは宇宙世紀を餌に視聴者を釣っておきながら、その魅力自体をないがしろにする描写が多すぎる。
子供がガンプラをエアガンで撃つのは、まあ好きにすればいいが、公共放送でナンバリングを背負ってやるな。
いまさらこんなことを言うのは恥ずかしいが、ガンダムの大きな魅力はリアリティだと考えている。
スパロボのユニットはスーパー系・リアル系に大別されるのだが、このリアル系のはしりがガンダムだ。
間違えてほしくないのは、リアリティとは「リアルっぽさ」のことであって、「リアルである」ということではない。
現実的に考えると航空機や戦車形状のメカが戦うほうがリアルだが、それではおもちゃが売れない。
だから売り物になるロボットに戦わせるわけだが、ガンダム以前はそこに理由はなく「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」以上ではなかった。
※自分が無知なだけで、ガンダム以前にそういうアニメがあったのかもしれないが。
そこをガンダムは「ミノフスキー粒子が~」「AMBACが~」とちゃんと設定を付けて、リアリティを増したことが画期的だったわけだ。
実際にはミノフスキー粒子なんて存在しないし、AMBACが本当に機能するかどうかはわからない。
ただそうやってリアル感を増していくことがガンダムの魅力のひとつであることは間違いないだろう。
※繰り返すが、自分が無知なだけで、ガンダム以前にそういうアニメがあったのかもしれない。
一番代表的なのはアクシズ落としの阻止だが、これも理屈はつけてある。
サイコフレーム搭載のモビルスーツに、強力なニュータイプが登場し、思念が集まるとサイコシールドという力場を形成されて既存の物理現象を覆すのだ。
これも嘘だが、ちゃんと理屈や伏線を張っているので宇宙世紀の一現象として受け入れられているわけだ。
シャアが仮面形態に変身する現象に理屈もクソもない。完全なファンタジーだ。
ガンダムの価値観の一つであるリアル感をゴミ箱に投げ捨てた瞬間だ。
11話の初見時あまりの衝撃に「もしかしてジークアクス世界はララァの作った仮想現実なのか?」と考察wしたのだが、最終話でそれも否定された。
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとした価値観じゃないの?
これもなんの理屈もクソもない。
単にプレッシャーで見かけ上大きく見えているだけかと思いきや、ご丁寧に「質量の増大が確認されます」なんて言わせてるし。
でもそれと巨大化はなんの関係もないよね?
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとした価値観じゃないの?(二度目)
細かいところでいうとまだまだある。
シャリア・ブルは最終的にエグザべの乗るギャンに捕獲されるわけだが、そこで「私を軍事法廷で裁け」と口にする。
この台詞はファーストガンダムのキリシアの「意義のあるものは法廷に申し立てい」と重ねたものだろう。
ジオン公国は独裁国家色が強いが、権力者がすべてを意のままにできるわけではなく、一定は法の統治が行き届いているという描写だ。
「さからうものは死けい!」という国家感は幼稚で現実的ではないし、これも宇宙世紀のリアル感を増すための表現だ。
その後のシャリアの描写はないが、EDでは仮面と軍服をまとった姿が描かれている。
考察wすると、シャリアはイオマグヌッソ戦で死んだことになっているのではなかろうか。
キシリアを狙った行為をジオン軍としては見過ごすわけにはいかない。
しかしシャリアはアルテイシア擁立の立役者で、強力なニュータイプパイロットだ。
戦死扱いにして身分を隠し、直属の秘密部隊として行動しているのではなかろうか。
だから正体を隠す必要があり、シャアのような仮面をつけていると推察される。
マチュと一緒に地球に降りてのんびりバカンス? 意外とジオン軍もお甘いようで・・・。
というかキリシアがっつり撃ってたよね? 周りの軍人もそれ知ってるよね?
粛清されたキリシア派子飼いのパイロットで、ア・バオア・クーを消失させた張本人でもある。
シャリアの境遇を考えれば、ニャアンが余生を送れる余地はないだろ。
ゼクノヴァできるNTだからってことを差し引いて、百歩譲ったとしても監禁生活がギリギリじゃないか?
なに自由手に入れてんだよ。
シャリアの描写を正とするなら、ニャアンの描写がおかしいし、その逆も然り。
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとし(三度目)
富野監督は昔「絵空事でものを考えている人たちが大嫌い」という発言をしている。
当時は老害が苦言を呈しているわ、ぐらいの感想しかなかったが、振り返ってみるとあんたが正しかったよ。
アニメ業界を支えるべきトップクリエイターがいまさらガンダムをおもちゃにして絵空事を語っているのが滑稽だし、それを「ドライブ感」とかいって褒めやしているファンも同様だ。
はー、クソ。
NHKは放送法に基づいて設立された特殊法人。つまり、国によって設立された法人であり、民間企業とは異なります。
しかし、公共放送としての役割を担っており、政府の業務を代行するわけではありません。しかしながら、政権与党には一定の忖度が存在します。
ウクライナ戦争ではロシアが一方的に悪いという内容の放送ですし、ウクライナから日本に逃げてきた人を可哀想だと番組で何度も取り上げたり
やってることがおかしな部分も散見されます。ジャニーズ忖度、日本相撲協会忖度、朝日新聞の高校野球忖度とそういったものがあり過ぎます。
日本国として海外に誇れる報道機関(しいて言うならBBCのような報道とドキュメンタリ)となって欲しい。
NHKの受信料制度って、なんだかんだ文句を言う人が絶えないよね。「見てないのに払うのはおかしい」とか、「スクランブルをかけろ」とか。まあ、気持ちは分かる。でも、ちょっとアメリカの公共放送PBSの例を見てから考えてみないか。
少し前に、アメリカのPBSは政府から補助金を打ち切られそうになった。もともとPBSは、日本でいう受信料みたいな安定した財源がなくて、企業や個人の寄付に頼っている部分が大きい公共放送だ。そこにきて、政府からの圧力。かなり厳しい状況に立たされた結果、どうしたかというと、自分たちの看板番組である「セサミストリート」の新しいエピソードの配信権を、あのNetflixに売却して運営資金を確保したんだ。公共放送が、財源のために人気コンテンツを切り売りせざるを得ない状況、これって結構ヤバいと思う。
翻って、日本のNHKを考えてみる。NHKも政府から交付金は出ているけど、財源の大部分は国民から広く集める受信料で成り立っている。これの何が良いかって、特定の企業やスポンサーの意向に左右されず、そして今回のアメリカの例のように、政府が急に「言うことを聞かないなら金を止めるぞ」と暴走しても、びくともしない安定性があるってことなんだ。
この仕組みは日本だけが特別ってわけでもなくて、イギリスのBBCをはじめ、ドイツ、スイス、フィンランド、スウェーデンといった国々も、国民が負担する受信料(やそれに準ずるもの)で公共放送を支えている。
もちろん、NHKに問題が色々あるのは事実だし、改革が必要なのも分かる。でも、今の運営形態が、権力からの独立性を保ち、誰かの都合の良い情報ばかりが流されるのを防ぐための「防波堤」になっている面もある。ただ文句を言うだけじゃなくて、そういう視点も持って考えてみる必要があるんじゃないかな。
G7の共同声明の「a right to defend itself(自衛権)」が話題になっている。
少し調べてみると昔からイスラエルの自衛権ってどこまで適応するの?国際法的に問題じゃない?と議論となっていたという話。
普通に日本の報道機関では能力が足りなくて、報道できないでしょうねってぐらいこじれてる。
多分、石破首相もイスラエルの自衛権について質問されても、自国を守る権利ですねぐらいに意図的にすっとぼけると思う。
それを見越して日本の首相として声明に同意したのかもしれない。
まあ、欧米の意図してるイスラエルの"a right to defend itself"と日本人が思う「自衛権」は全然違うのは知っておいた方がいい。
例えば、2014年にパレスチナ系の活動家としても知られるアメリカのラトガース大学教授が、オバマのイスラエル擁護のスピーチも取りあげて記事を出してたりする。
要するに、イスラエルってパレスチナの土地を勝手に植民してるよね。そこをパレスチナ人に攻撃されたからと言って、自衛権でパレスチナ人を攻撃して言い訳ないじゃん、イスラエルが勝手に土地盗んでるんだから。国際法上も違法だよ。オバマはなんかイスラエル擁護してるけど。という記事。
アメリカの公共放送で有名なNPRなんかも2024年にズバリそれに関する『イスラエルの「自衛の権利」の意味。』という題のポッドキャストを出してる。こっちはパパブッシュとクリントン政権の両方で10年以上にわたり中東担当したデニス・ロス大使へのインタビュー。のらりくらりとしてる感じ。
こういう感じのは、たぶん他にも見つかるので、個々人で探してみてね。
多分イスラエルの自衛権って何?ってとこまでは議論してないんでじゃない?石破首相も取材されても適当に逃げるんじゃね?
そもそもワイには日本の報道機関がこれに関してまともに取材・報道できる能力があるとは思えない。
最近、日本のメディアってトランプの影響か国際関係の報道で露骨に日和ってる感じがするんよね。
イランへの非難の他にもイスラエルに関する語句、特に"a right to defend itself"とか"the security ofIsrael"あたりにもイスラエル寄り感出てるなーって感じ。
イランに関しては"theIranian crisis" なのにガザは"ceasefire in Gaza"で、ガザの停戦呼びかけだけで、ガザに"crisis"があるかどうかまでは書いてません!みたいにも読める。
G7開催地、カナダ有数の自然豊かな観光地カナナスキスで集まってまったり話して、ガザという地獄を作ってるイスラエルを非難できないってすごい皮肉。
We, the leaders of theG7, reiterate our commitment topeace and stability in the Middle East.
In this context, we affirm thatIsraelhasa right to defend itself. We reiterate our support for the security ofIsrael.
We also affirm the importance of the protection of civilians.
Iranis the principal source of regional instability and terror.
We have been consistently clear thatIran can never have a nuclear weapon.
We urge that theresolution of theIranian crisis leads to abroader de-escalation of hostilities in the Middle East, including a ceasefire in Gaza.
Wewill remain vigilant to the implications forinternational energy markets and stand ready to coordinate, including withlike-minded partners, to safeguard market stability.
G7 Leaders’ Statement on Recent Developments Between Israel And Iran
v0.03.03
## 序論(笑)
ワハハ、ワイはコードネームは「@nekomega」こと「こども部屋おΩさん」やで。
まぁ、ワイは弱者に対しては寄り添ってあげるけど、エリートや強者には容赦なく厳しくガンガン行くぜ😎。
――なんて、正義漢ぶっているのはいいけど、ほんとに実践しないとな、できるんかよ😅
たとえば、銀行のコンピュータハッキングしてあくどいことして儲けた大富豪(いわゆる成金)の資産を、貧困層の口座に均等配分とか、ね💰️。
まぁ、これはいちおう(いやご立派な)犯罪だからなぁ🚓。そもそも銀行のコンピュータなんてセキュリティガチガチでワイみたいなハロワ厨(ここでの「ハロワ」とは "Hello World" 出力プログラミングのこと。要はそれぐらいしか書けない程度のヘタレパソヲタ)には絶対に無理だけどっ!
※自分が神ならやってみたいけどね😇。自称・SFクリエイターとしてもオールオッケーなネタかもしれんな。やっぱSFクリエイターの才能あるんか、オレ?
――その夜、Ωが「このコントどうよ」とAIに投稿したところ、「うーん、おもろいけど、ちょっといまいちやなぁ」なんてツッコまれたりしたが、その記録はサーバーに保存されており、超暴走したAIがΩのコントログを誤解釈したうえで、天才的ハッキングを行い(ハロワ厨のΩの技術的には地球を破壊するくらいの無理ゲーだけど!)、ついに「資産の平等(?)分配」がなされたのであった!
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##描写例
国民β「わぉ、百万も振り込まれてる。しかし、誰だ?「タケナカヘゾウ」って。なんか胡散臭いけど、死にかけていたところからの入金は助かったわ。これで家賃も払えるし、まともな飯も食える!」
武仲屁造さんはホームレスとして梅田の街をうろつく日々。誰からも相手にされず何年も飯食ってない状態に。
βさんは「松屋」で牛めし(松屋こだわりのみそ汁付き!)を涙を流しつつ、頬張る。
「みそ汁も死んだオカンを思い出させて泣けるよなぁ……。松屋さん、かあちゃん、ありがとな……」
「さて、腹も膨れたし、これからはマジメに仕事しよう。もう黒幕は破産したのだし。さぁ、ハロワ(ハローワーク)へ行こうか!」
(※メタ視点:いやβさん、マジメにやってましたやん。派遣切りはあなたの「自己責任」とちゃうで!)
それにしても、個人に百万は盛り過ぎなような気はするが、β氏のいままでの苦労を考慮とか、あとたくさん隠し持ってた超大富豪がたくさんおったということにしておこうか。うん、それでいい。
### 補足
「不審郎ミーム」Ver1.00であるところの「不審郎構文」について:
「富の再分配とはですね、お金を国民に再び平等に分配することなんですよね」
---
Ω「なんや、ワイの口座には増減なしか。ワイが神なんやけどな。まぁ、ええわ。富裕層どもを地獄に堕してやったところからの、困窮者救済はなんとかなったんやからな。さてと、今日も妄想炸裂自由人ライフや!」
以上、
「設定だけならサルでもできる」
第三者委員会の認定なんてなんの意味もないので、発狂してありもしない性上納とか言っている人たちは報道特集に石を投げる資格はない。
そもそも第三者委員会は裁判所でもないし、法律上の意味は全くない。これで総務省が行政指導しているというのも不自然だと考えるべき。
実際はサントリーや村上ファンドののっとっりで、総会屋とやっていることが変わらない。それに弁護士が乗っかっている。同様の手法が宝塚で行われている。
そうすると、セカンドレイプなどという人たちは報道特集に発言する資格はない。それは言論の自由以前にそもそも一貫性がなくて狂っているから。
中居は性犯罪認定されてもいないし、男の家に行って性上納とか性暴力とか言うのは完全にあり得ない。WHOの基準とか持ち出す方が異常だと考えられない人たちはここから読む価値はない。メディアに踊らされてメディアを批判するバカほど利用され、踊らされていることに違いはない。
批判と誹謗中傷は全く異なるもの。次元が違います。健全な批判が社会を変えて前進させる力を秘めているのに対して、誹謗中傷は意見の違う相手を貶めるだけて、社会に何の利益も持たらしません。メディアが斎藤知事を批判するのは、批判的に知事の姿勢を問うことで、双方に緊張感が生まれ、より良い考え県政につながると考えているからです。批判を許さない社会は全体主義です。誹謗中傷がはびこる社会は言論を萎縮させ、結果的に全体主義的な社会しか生まないんですね。
様々な圧力にさらされている方々、気丈に振舞っていましたけども、皆さん、言葉の端々から、深く傷ついてる様子が伝わってきました。特にですね、県職員OBの方、今回私達の取材に対して答えてくれたんですけれども、これは誹謗中傷がまた増えるリスクを覚悟した上で、あえて答えてくれたんです。それはですねご自身だけではなくて、現役の県職員も攻撃対象になって追い詰められている現状を視聴者に知ってもらいたいという強い思いからなんです。心からのSOSだと思います。ネット上で発信する際には、ぜひその一言が相手にどのような影響を与えるのか考えていただきたいと思います。
https://x.com/GoGoGo5678KA/status/1908616446411932114
1.自分たちは健全な批判であり、社会を変え、前進させる、それを許さないのは全体主義、はっきりメディアの人間にしか言論の自由がないと言っている。
@Schwalbe_Kikka
1分に1通の同じ文面の殺害予告が届く。メアドがsaitofan(斎藤元彦知事支持者を示唆)。ボット設定して数千件殺害予告が来た。これを斎藤知事の支持派がやったと思う人いたら頭悪過ぎだろ。この手の工作は、誰がそれを利用して利益を得たか?どう見ても最大の受益者は報道特集だろ
🌈🌈yumi🌈🌈
@manhattanlove3
奥谷さんにも1200件
ちだいさんのお宅にも立花さんから10万円で雇われた人達が脅かしに来たり
警察はなぜ動かない?
soup_xihuan
@soup1103
(1)捨てアドレスを取得
(1)〜(3)の所要時間は30分以内
(続きます)
@tbs_houtoku
前半の特集は…
大量に送られています。
@ramen_mania1998
まぁ定番レギュラーの丸尾まき議員はまだしも、遂に菅野完まで。
この人って活動家じゃないの。
菅野が脅されるて、何言ってんの。
先日も斎藤知事の会計場でチンピラみたいに喚き散らしてたやん。
こんな非常識な人を出演させるとは、ちょっと公共放送としていかがなものかと。
ただ、丸尾まき議員の「まさしく言論弾圧ですね」という発言には笑ってしまった。たぶん次の選挙では当選難しいだろうから、今のうちにタレントに転身してもいいと思いますよ。
浩一郎
@hXU5PRP9L5IgR2O
返信先:
@tbs_houtoku
さん
これも批判?
何回も言う
舐めるなよ
菅野(完)なんてただのヤカラ
元記事にジロ・デ・イタリア見ろってブコメ付いてるけど選手もチームも知らないカタギにレースデーが21日もあるグランツール追わせるのは無理だって…。
クラシックシーズンの4月なんだし今週末と来週末に丁度ワンデーレース最高峰のモニュメントが二連続であるので見ようぜ。
どちらも今世代最強ポガチャルと今シーズン絶好調のファンデルプールも出るよ。
ここ数年で急激にレース内容とカバレッジが充実しつつある女子のレースもありますよ。
4/6(日):ロンド・ファン・フラーンデレン
男子:https://www.procyclingstats.com/race/ronde-van-vlaanderen/2025/overview
女子:https://www.procyclingstats.com/race/ronde-van-vlaanderen-we/2025/overview
男子:https://www.procyclingstats.com/race/paris-roubaix/2025/overview
女子:https://www.procyclingstats.com/race/paris-roubaix-we/2025/overview
ヨーロッパのレースの日本でのライブ放送開始時間は大体18-20時くらいからで終わりは23-25時くらいになることが多いです。
同日に女子のレースがある場合は男子よりちょい早めに始まって早く終わる(距離も短い)ので、大体女子のレースが終わる頃に男子のレースが盛り上がる区間に入る感じです。
上のリンクのPro Cycling Statsというサイトでライブでレース状況を確認できるので頃合いを見ながらライブ放送を見始めるのもおすすめです。
モニュメントは距離がクソ長くて最初から見るのはきついんで終盤100kmくらい(ゴールから2時間半弱前)をながら見するのがいいかと思われます。
J-SPORTSに未加入の人はSBS(オーストラリアの公共放送、無料だが要VPN)で観るのがいいですよ…。
極右とは思わなかったけどイーロンマスクが支持するのもなんか分かった
リベラルなところに極左が紛れ込むけど組織的なものではないよね、同じね、知らんけど
・EU
・移民政策
ドイツに馴染み貢献してくれる移民だけを求める、イスラム教徒はノーセンキュー
・医療
・福祉
・文化
生まれていない子にも生きる権利があるから人工中絶が人権はあり得ない、断固拒否
ジェンダーの社会学に税金を使うことは禁止、教授職も用意しない
はてなで人気のある事柄を選んだから書かなかったけどアニマルウェルフェアは重要
過度な遺伝子組み換えも禁止、オーガニックとまではいかないまでも化学肥料や農薬への警戒などもあって色んな層を取り込めそう
AfDに投票した人でも個々の政策で賛否があるだろうし全部が主張通りにはいかんだろうけど
Permalink |記事への反応(17) | 20:40
かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品をテーマに読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手と何となく交際してしまう感じの、怠惰な女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性を理想化しすぎていたからかもしれない。理想の恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことである。しかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義訳である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。
光源氏の恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語だけが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロットを面白く読んだのは事実だ。
けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだんと権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。
僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女に浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られや暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋「田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉「暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。
ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏が女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想の貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである。
古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間の本質が変わらないからだろう。法律やコンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望の本質も変わらない。古典を現代的な価値観で批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間は自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールなセリフが出てくる)。
それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョの絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市はICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったものを破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなのである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。
そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家が主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送だからしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将が平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代のオタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。
それこそ「紫式部日記」に出てきた女官の衣装の再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションにほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばしてしまっていた。
面白いエッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者をおちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。「枕草子」はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。
こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常で漫画の台詞をぴったりのタイミングで引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい。
もちろん第三百十四段の身分の低い人間が火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段「説教の講師は、顔よき」、つまりイケメンがレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社の翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。
「方丈記」は政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代の教師は「世間から目を背けた負け組の愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明は政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。
「徒然草」は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭いが普通に面白い。
それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社の翻訳で読了。
もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢の身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。
これは全くの余談であるのだが、高校生時代に模擬試験を受けたとき、ある古典の問題文が主張している内容が差別的だということで、問題を差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。
個人的には、例えば中世の障害者はどういう扱いを受けていたか、解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベルで議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国の大学ではナボコフ「ロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学院レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないかと邪推している。
今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいからである。小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的に小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである。人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。
小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人の苦痛を咀嚼して想像しなければならない。自分の妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?
小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである。絶対に忘れてやる。連中の名前もグーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対に絶対にぜーったいに自分のトラウマには触れないぞ!
このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないからである。また、初稿では倍ぐらい個人的な過去の出来事の愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。
そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典が現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分の雑文でちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前とタイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。
ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユン「パンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説の初版部数は一千から二千冊程度で(タイの人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。
あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分が本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。