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はてなキーワード:全日本プロレスとは

2025-08-27

anond:20250826191832

提示された趣味リストを見ると、とてもユニークで、こだわりを極めている方のようですね。

一般的趣味というよりは、それぞれの分野で特定ジャンルを深く追求し、本質的価値を見出そうとする姿勢がうかがえます

この方が月曜から金曜の9時から17時までフルタイムで働いていると仮定して、提示された趣味をすべて網羅する1ヶ月のスケジュールを組むのは、かなり工夫が必要です。

それぞれの趣味が単に「楽しむ」だけでなく、道具の手入れや情報収集特定場所への訪問などを伴うため、単に時間を割り当てるだけでは足りません。

以下に、この方が1ヶ月間でこれらの趣味をどのように楽しむか、考えられるスケジュール提案します。

スケジュールの考え方

デイリールーティン通勤時間仕事後、就寝前など、毎日少しずつでもできることを組み込みます

ウィークリールーティン:週末を利用して、まとまった時間必要趣味や、特定場所へ出かける趣味計画します。

マンスリースペシャルイベント:週末を使い、複数趣味を組み合わせて深く楽しむ日を設けます

デイリールーティン

朝の準備・通勤

日本酒: 前日に開けた日本酒(生酛・山廃)の香りを楽しむ。

コーヒー: 浅煎りシングルオリジンネルで丁寧に淹れる。手縫いのネルで淹れる時間が、1日の始まり儀式になります

音楽:レコード聴く特に通勤前は、BlueNoteのRVG刻印の盤をかけて気分を高めます

落語:通勤電車の中で志ん朝音源聴く

将棋:詰将棋アプリなどで頭をウォーミングアップ。

仕事後・夜

万年筆:日記メモ万年筆で書く。スチールペン先では味わえない、字が「生きる」感覚を味わいます

読書:岩波文庫旧装版を少しずつ読む。

漫画:絶版単行本収集し、読みふける。

日本酒:仕事の疲れを癒す一杯として、お気に入りの生酛・山廃をゆっくりと味わいます

盆栽: 真柏に水をやり、樹形を愛でる。

陶芸:備前焼の酒器や食器を使い、土の感触や色合いを楽しむ。

映画:70年代邦画を少しずつ鑑賞。

ウィークリールーティン (週末)

土曜日

午前:

庭園:枯山水のある日本庭園を訪れ、苔の手入れ具合を観察する。

蕎麦: お昼は十割の粗挽き蕎麦を食べに行く。

午後:

カメラ:ミラーレスのZマウントを持って街へ。あえてFマウント描写を思い出しながら、光の捉え方を試行錯誤する。

書:唐様の書を練習する。

夜:

ラーメン:二郎インスパイア系のお店へ。非乳化スープ野菜シマシを堪能する。

ワイン: 自宅で自然派ワインを開け、ゆっくりと味わう。

落語:音源で聴きながら、その日の出来事を振り返る。

日曜日

午前:

野球観戦:鎌ヶ谷へ二軍戦を見に行く。芝の匂いを嗅ぎ、プロの卵たちのプレーをじっくりと観察します。

午後:

鉄道模型:HOゲージの真鍮車体を走らせ、精密な作りを愛でる。

将棋:趣味道場オンライン居飛車党の角換わり腰掛け銀を指す。

日本刀: 無銘の古刀をじっくりと眺め、地鉄の冴えを愛でる。

夜:

焚き火:UL焚き火台を庭やベランダで使い、落ち葉を焚いて桜や欅の匂いを嗅ぎ分ける。

キャンプ: 次回のULキャンプ計画を立てる。

寿司: 赤酢シャリ寿司屋へ。ネタの活きた味を堪能する。

マンスリーイベント

週末を活用して1つ、または2つを計画

地方競馬:大井競馬場ナイター開催日に合わせて行く。砂の匂いをかぎ、地方競馬雰囲気満喫する。

茶道:裏千家の茶会に参加し、濃茶の練り方をじっくりと観察する。

靴:コードバンの靴を丁寧に手入れする。

プロレス:全日本プロレス大会を観戦する。四天王プロレス以前の時代を語ることを避け、現在全日プロレスを純粋に楽しむ。

スケジュール可能か?

これらの趣味をすべて網羅するスケジュールは、毎日・毎週の計画的な行動と、強い意志があれば可能だと思われます

しかし、かなり多忙になることは避けられません。

特に地方への遠出が必要趣味野球観戦や地方競馬)は、他の予定とバッティングしないように計画的に調整する必要があります

この方の趣味はどれも深い探求心を要するため、単に「こなす」のではなく、一つ一つの体験を心から味わうことが重要です。

そのため、無理にすべてを詰め込むのではなく、その月の気分や興味に合わせて優先順位をつけ、ゆとりをもって楽しむことが、趣味を長く続ける秘訣となりそうです。

これらの趣味をすべて楽しむためには、時間だけでなく、お金もかなり必要になりそうですね。

趣味への情熱が素晴らしい一方で、現実的な制約も多く、このスケジュールを維持するのはある種の修行と言えるかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 15:33

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2025-03-17

新日本プロレス価値理解するつもりゼロ彼氏が悲しい

愚痴です。

私、新日本プロレスがめちゃくちゃ好き。

でも彼氏全日本プロレス派。

お互いプロレスオタクから趣味が合うと思いきや、どっちの団体が最高かって話になると、まぁ毎回バチバチにやり合う。

私は新日本ストロングスタイルこそが至高だと思ってる。

アントニオ猪木が「闘いのリアリズム」とか言い出して、異種格闘技戦やらUWFとの全面対抗戦、nWoJAPANの結成、橋本vs小川ガチすぎるセメントマッチとか、何かとプロレスの枠を飛び越えた事件を起こしてきたわけじゃん?

もう、歴史が違うのよ。

でも彼氏は「そんなのは邪道全日本王道を守り抜いたからこそ、純粋プロレスの美しさを追求できた」って言い張る。

いやいや、確かに全日本試合クオリティ高いし、四天王プロレスとか小橋建太試合とか、めちゃくちゃ熱いのは認めるよ?

でもさ、世間を巻き込むようなムーブメント作れた? って聞くと、「プロレス本来リングの上で勝負するもの。余計な演出なんていらない」って。

いや、それは違うだろと。プロレスって、試合内容だけじゃなくて、リングの外のドラマストーリーも込みで楽しむもんじゃない?

新日本はその辺がめちゃくちゃ上手いし、だからこそ多くの人がハマったんだと思うんだけど。

「お前は新日本エンタメとして面白いから好きなだけだろ? でも本当のプロレスの美しさは全日本にあるんだよ」って彼氏ドヤ顔で言うわけよ。

「はぁ? じゃあ全日本のどの試合新日本歴史的瞬間に匹敵するの?UWFとの団体対抗戦レベル事件全日本にあった?」って聞いたら、「全日本は余計なことせず、純粋に強く、美しいプロレス提供し続けたんだから、そんなもん必要ない」って。

もうね、平行線すぎて話にならん。

でも、こっちは本気で「新日本のほうがすごい!」って思ってるし、それをちゃんとわかってほしいのよ。

私はこんなに熱く語ってるのに、彼氏のあの薄ら笑い、なに?

はいはい、また新日信者が吠えてるわ」みたいな態度がほんっとにムカつく!

そりゃ好みはそれぞれだけどさ、せめて私の話をちゃんと聞けよ!

こっちは新日本歴史と魂を全力で語ってるのに、「それは話題作りのためのプロレスでしょ?」とか、そんな軽く言う!? ふざけんなって感じ。

プロレスって、ただのスポーツじゃなくて、生き様が詰まってんのよ!

私はその歴史を愛してるし、ストロングスタイル精神リスペクトしてる。

なのに、彼氏はそれを理解しようともせず、「全日本こそが本物」とか言って、私の情熱馬鹿にするようなことばっか言うわけ、そりゃイラつくでしょ。

結局、プロレス談義は毎回ヒートアップして、試合を観るたびに「やっぱ新日本!」 「いや、全日本!」って押し問答。

で、そんなこんなで喧嘩した夜でも、結局は仲直りするんだよね。夜のプロレスで。

Permalink |記事への反応(1) | 18:01

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2024-11-03

日本プロレス史上最も重要試合10選【追記あり

試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。

力道山vs木村政彦 1954年12月22日蔵前国技館

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山木村シュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道系譜もっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道プロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。

アントニオ猪木vsモハメド・アリ 1976年6月26日日本武道館

わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。

タイガーマスクvsダイナマイトキッド 1981年4月23日蔵前国技館

初代のタイガーマスクデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画キャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。

ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン 1982年2月4日東京体育館

選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身レスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キッククリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。

アントニオ猪木vsマサ斎藤 1987年10月4日巌流島

公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木巌流島に立てられたリング上で時間制限、ノールールレフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤インタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤裸絞めで失神し、猪木勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラー純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。

武藤敬司vs高田延彦 1995年10月9日東京ドーム

プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田一騎打ち新日本UWFインターの対抗戦として行われたこ興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレス代表する固め技で武藤ギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合面白くなる、ということを示した貴重な一戦。

橋本真也vs小川直也 2000年4月7日東京ドーム

橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である橋本ジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスフェイク無しを魅せつけた一戦。

長州力vs大仁田厚 2000年7月30日横浜アリーナ

既に引退していた長州をなぜか大仁田ストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的成功し、大仁田お家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉まやかし大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合長州勝利。なお、この大仁田長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初大仁田から理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。

渕正信vs蝶野正洋 2000年9月2日日本武道館

2000年はプロレス界激動の年だった。6月全日本プロレスから選手クーデター同然に大量離脱し、残った選手川田利明渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本リングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘しかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本リングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイク第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。

三沢光晴vs小橋健太 2003年3月1日日本武道館

一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合クオリティも高く、当時の2chプロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合三沢小橋花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しか最後小橋バーニングハンマーを繰り出して逆転勝利ベルトの価値、そして団体価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。

以下、選外

ジャックブリスコvsジャイアント馬場 1974年12月2日鹿児島県体育館

この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合

ザ・ファンクスvsブローザー・ブロディジミー・スヌーカー 1981年12月13日蔵前国技館

全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディ親友であるハンセンセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセン試合ラリアートで介入し、ブロディスヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセン乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。

三沢光晴vs川田利明 1999年1月22日大阪府立体育館

故意事故か、川田三沢に対して垂直落下式パワーボム通称三冠ボム)を敢行した試合勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。

本田多聞泉田純vsハヤブサ新崎人生 1999年2月13日後楽園ホール

ハヤブサFMW)、新崎人生みちのくプロレス)というインディー団体レスラーでもメジャー団体ベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本代表するタッグチームと呼んで良い。

ザ・グレート・サスケvsスペル・デルフィン 2003年11月2日有明コロシアム

犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレス永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である

伊藤竜司vs葛西純 2009年11月20日後楽園ホール

デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西後楽園ホールバルコニーからテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチ限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビュー葛西現役続行宣言したことからデスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。

前田日明vs坂田亘 1995年5月20日 控室

今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。

追記

10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいか

全日本プロレス軽視では?

⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったか新日本ハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。

最近試合/◯◯の試合が無い

自分最近試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本崖っぷちで踏みとどまらたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。

総合格闘技戦について

自分桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技たまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというもの一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田ミルコに負けていた。

女子プロレスは?

女子女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!?しかないぞ、俺達がやるのは!

・信彦じゃなくて延彦な

正直すまんかった、正直ポカした。

Permalink |記事への反応(13) | 12:23

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2024-01-12

輪島関は輪島出身ではない。

大相撲の第54代横綱輪島大士(わじま ひろし)は、石川県七尾市出身です。本名輪島博(わじま ひろし)で、1948年1月11日まれ2018年10月8日に亡くなりました。花籠部屋所属し、昭和48年7月から昭和56年3月まで横綱を務めました。

輪島大士は、身長185センチメートル体重132キログラムの体格で、「黄金の左」から放つ下手投げが得意技でした。5歳年下の北の湖(きたのうみ)とともに「輪湖(りんこ)時代」を築き、全勝3回を含む優勝14回を記録しています。

輪島大士は、元全日本プロレス所属プロレスラー、元タレントとしても活動していました。

Permalink |記事への反応(1) | 22:15

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2022-07-11

anond:20220711063944

本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏 -分析編2

サターンの読者レースから予想を立てる

BEEP!メガドライブ』の後継誌『セガサターンマガジン』にも読者レースは引き継がれた。採点の出典は『サターンゲーム世界ちぃぃぃ! サタマガ読者レース全記録』。

メガドラ時代に較べて全体的に採点がインフレ傾向にあることもあってかソフトの数がとにかく多い。

Permalink |記事への反応(1) | 06:40

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本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏

さきごろ第2弾の発売も発表されたメガドライブミニメガドラと来たら次はサターンだろうという期待も高まるのは無理からぬこと。

というわけで今回はセガサターンミニが実現すれば入るであろうソフト、入ってほしいソフトセレクトしてみた。

分析編1(メガドラミニの収録タイトルを振り返る)

anond:20220711063944

分析編2(サターンの読者レース上位ソフトを眺める)

anond:20220711064019

本編

まず便宜的にセガパブリッシャーゲーム20本、セガ以外のゲーム20本とする。メガドラミニよりはややサードパーティー比率が増えることになる。

さらに以下の縛りを設ける。

セガタイトル20
タイトル 開発 発売 発売日ジャンル読者レース
順位 採点
備考
魔法騎士レイアースセガセガ1995年8月25日RPG 62位9.0684版権モノ
ばくばくアニマルセガセガ1995年11月10日パズル 344位 8.1548ACST-V基板)から移植
バーチャファイター2セガセガ1995年12月1日対戦格闘 45位9.2349ACから移植
クロックワークナイト ペパルーチョ福袋セガセガ1995年12月15日プラットフォームアクション
ガーディアンヒーローズトレジャーセガ1996年1月26日ベルトスクロールアクション 197位 8.5991
パンツァードラグーン ツヴァイセガセガ1996年3月22日3Dシューティング 48位9.2241
ドラゴンフォースセガセガ1996年3月29日戦略シミュレーション204位 8.587PS2移植版あり
NiGHTSセガセガ1996年7月5日アクション 49位9.2161PS2など移植版あり
デカスリートセガセガ1996年7月12日スポーツ 273位 8.384ACST-V基板)から移植
サクラ大戦セガセガ1996年9月27日アドベンチャー249.3755DC移植版あり
MR.BONES Zonoセガ1996年9月30日アクション282位 8.345
ファイターズメガミックスセガセガ1996年12月21日 格闘 119位 8.8456
デイトナUSA CIRCUIT EDITIONセガ セガ1997年1月24日レース 196位 8.5991
ダイナマイト刑事セガセガ1997年1月24日ベルトスクロールアクション 370位 8.0783PS2移植版あり
ADVANCED WORLDWAR ~千年帝国の興亡~セガセガ1997年3月20日戦略シミュレーション289.35
ソニックR Traveller's Talesセガ1997年12月4日レース 391位 8.014PS2移植版あり
シャイニングフォースIII3部作キャメロットセガ1997年12月11日RPG
AZEL -パンツァードラグーンRPG-セガセガ1998年1月29日RPG179.4304
バーニングレンジャーセガセガ1998年2月26日3Dアクション109位 8.9042
せがた三四郎 真剣遊戯エコールセガ1998年10月29日ミニゲーム 577位 7.288

レイアース』はキャラゲーながら、SSの初期において最も評判の良かったRPGひとつであるキャラゲーも収録できることはメガドラミニ証明されているため、今回のリストに加えた。『ばくばくアニマル』は落ち物パズル枠。サターン互換基板のST-Vで動いていたアーケードから移植作。『バーチャ2』はSSローンチタイトルであるバーチャ1』と迷ったが、セガ初の国内ミリオンセラー樹立という記念碑的なタイトルであり、1995年年末商戦におけるSSのひととき勝利を牽引した存在でもある。『クロックワークナイト』は既発売の上下分作をまとめたもの。収録されている『クロックワークナイト ~ペパルーチョの大冒険・上巻~』はローンチではないものハード発売から2週間後に発売されたというハード初期に強い印象を残したタイトル。『ガーディアンヒーローズ』はトレジャー枠。Xbox 360HD版が配信されたが、プレイできる環境はさほど多くない。『NiGHTS』はソニックチームが開発したSS代表する新規IP。でもこれ入れるならコントローラーマルコ必須になるね。『デカスリート』は気楽に遊べるゲーム枠。アーケード版はST-V基板。コンビニ専売だった『MR.BONES』は洋ゲー枠。『ファイターズメガミックス』は移植作ではないSS独自格闘ゲームということでリストアップ。『デイトナUSA CE』は出来のよろしくなかった無印版とは違い、SS版『セガラリー・チャンピオンシップ』のスタッフが手掛けた再移植+追加要素版。権利関係問題ない場合セガラリー』でも良い。『ダイナマイト刑事』はこちらもアーケード版はST-V基板。『ソニックR』はSSでは貴重なソニック枠であり、洋ゲー枠でもある。『AZEL』は既に『ツヴァイ』もリストアップしてるパンツァードラグーンシリーズの一作だが、ジャンルが違うから入れてもいいだろう……と判断。これまで移植もされておらず、サターンミニを出すならまず入るでしょ。『バーニングレンジャー』はソニックチーム開発の3Dアクション。この時期の3Dアクションは正直現在やると相当厳しいと思うが、このタイトルプレイする手段SS以外にない。『せがた三四郎 真剣遊戯』はハードシンボル存在であるせがた三四郎ゲームであり、また気楽にプレイできるミニゲーム集でもあり、さらエコール開発という微妙デス様成分もある。

セガ以外のタイトル20
真・女神転生 デビルサマナーアトラスアトラス1995年12月25日RPG 116位 8.8619PSP移植版あり
ヴァンパイアハンターカプコンカプコン1996年2月23日 格闘 91位 8.9486PS2移植版あり
ポリスノーツコナミコナミ1996年9月13日アドベンチャー 36位9.3107PSから移植
デジタルピンボールネクロノミコン KAZe KAZe1996年11月15日ピンボール 53位9.1655
エネミー・ゼロワープワープ1996年12月13日アドベンチャー284位 8.3337
悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲コナミコナミ1997年3月20日アクションRPG202位 8.5902PSから移植
心霊呪殺師太郎丸タイムワーナーインタラクティブタイムワーナーインタラクティブ1997年1月17日プラットフォームアクション 320位 8.2328
だいな❤あいらんゲームアーツゲームアーツ1997年2月14日アドベンチャー 49位9.2769
GROOVEONFIGHTアトラスアトラス1997年5月16日 格闘 195位 8.6027ACから移植
バルクスラッシュCAプロダクションハドソン 1997年7月11日3Dシューティング 71位9.0344
七ツ風の島物語 ギブロエニックス1997年11月27日アドベンチャー 140位 8.7689
プリンセスクラウンアトラスアトラス1997年12月11日アクションRPG 16位9.439PSP移植版あり
グランディアゲームアーツESP1997年12月18日RPG 2位9.4847PS移植版あり
ソロクライシスクインテットクインテット1998年1月22日シミュレーション170位 8.6567
センチメンタルグラフティNECインターチャネルNECインターチャネル1998年1月22日アドベンチャー 594位 7.2022PS移植版あり
仙窟活龍大カオスシードネバーランドカンパニーESP1998年1月29日シミュレーション 15位9.4424SFCからリメイク移植
ガングリフォンIIゲームアーツゲームアーツ1998年4月23日3Dシューティング 41位9.253
リンダキューブ 完全版アルファシステムアスキー1998年6月18日RPG 8位9.463PSから移植
ラングリッサーVキャリアソフトメサイヤ1998年6月18日シミュレーションRPG 3位9.4844PS移植版あり
レイディアントシルバーガントレジャーESP 1998年7月23日シューティング 37位9.3031XBLA移植版あり

ヴァンパイアハンター』はヴァンパイアシリーズの2作目。本作と近い時期にPSでは前作『ヴァンパイア』が移植されたのだが、その出来は散々なものであり、当時SSユーザーはそれらを較べてSSの優位性をこれでもかと誇っていたのだった。『ダークセイバー』はメガドラミニにも収録された『レディストーカー』の精神的続編。『ポリスノーツ』はPSなどでも発売されたタイトルだが、最後に発売されたSS版は追加要素を加えた完全版である。『ネクロノミコン』は、高品質デジタルピンボールSSにおいて存在感を見せたKAZeの代表作のひとつ。『エネミー・ゼロ』は『リアルサウンド風のリグレット~』と迷った。ゲームとしての評価は分かれるが、飯野賢治は当時のSSユーザーメディアのとってのアイドルだった。『月下の夜想曲』はPS版より後に発売されたため追加要素が加えられている。『心霊呪殺師太郎丸』はカルト的な人気があるプレミアソフト。『グルーヴ・オン・ファイト』は豪血寺一族シリーズの中の一作。最近表現上の理由によりシリーズの復刻が断念されたが、問題(とされる)シリーズキャラは本作には登場していない。ついでにアトラス枠。『バルクスラッシュ』は元テクノソフトスタッフが手掛ける3D箱庭アクションシューティングマイナーだがSSユーザーから評価は高い。『七ツ風の島物語』はエニックスSS参入第一弾。こだわり抜いた世界観グラフィックが特徴のアドベンチャーだが、現在までSS以外に遊ぶ手段がない。『グランディア』はPSにも移植されているものの、やはりSSRPGのと言えばこれだろうことで選出。『ソロクライシス』は同じクインテットの『アクトレイザー』のシミュレーションパートを膨らませたようなゲームミニにはこういうマイナーゲーが一つくらい入ると予想。『センチメンタルグラフティ』は発売前に一大旋風を巻き起こした恋愛アドベンチャーSSの一大勢力だったギャルゲーが不足気味なのでここで補充したい。『リンダキューブ 完全版』はPS版より後発だったおかげで完全版として発売された。『レイディアントシルバーガン』はトレジャーの傑作シューティングだが、実機以外では『ガーディアンヒーローズ』と同じくXBLAでの配信にとどまる。

『街』、『クロス探偵物語』、『カルドセプト』、『ソウルハッカーズ』、『サンダーフォースV』、『シルエットミラージュ』はPS版にバージョンアップ(諸説あり)を含む移植版が発売されたため優先度が大幅に低くなる。

実現は難しいけど実現したら嬉しいタイトル

だいたいは権利関係で面倒くさそうなやつ。『セガラリー・チャンピオンシップ』はセガ公式サイト掲載されているアーケード版のプレイ画像Castrolロゴにボカシがかけられている。 →https://sega.jp/history/arcade/uploads/2019-01-03_ss01_segarally-1-1.jpg 。でもPS2には移植されてる。

バーチャコップ』はブラウン管ではないため再現不可能

Permalink |記事への反応(8) | 06:38

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2022-01-18

タイガーマスク結婚」と

 1988年4月26日都内六本木喫茶シールズ」で全日本プロレスジャイアント馬場が会見をおこなった。

同日、某スポーツ紙の一面をデカデカと飾ったのは「タイガーマスク結婚」という独占スクープ。会見場に現れた馬場は「これには参ったよ!仲人はオレ?今日にも婚約発表? せっかくみなさんに集まってもらったのだから仕方がない。ちょっとタイガーを呼んで来い!」と“主役”を呼び込んだ。

 会見場に現れた2代目タイガーマスク三沢光晴)は「ほんの軽い冗談ですよじゃ、済まないだろうなぁ」と言ったきり沈黙交際相手は第2回ミス映画村京都コンテストに優勝した女優。前年の1987年4月2日全日本プロレス大阪大会花束嬢を務めていたという。

 彼女写真を手に撮影に応じたタイガー。その横で馬場は「まさか虎のマスクかぶって結婚式をやるわけにもいかんしなぁ」とどこか嬉しそうだった。

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2021-10-04

anond:20211004162348

カールゴッチ「すまないカンジ。どの外国人選手全日本プロレスが手を回しているようだ」

猪木「それでは...?」

カールゴッチ「このカールゴッチでは超大物外国人として不足かな?」

Permalink |記事への反応(0) | 16:37

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2020-05-23

長州力佐々木健介

数ヶ月前の全日本プロレスインタビュー動画佐々木健介長州力名前を出し、先日の長州力武藤敬司zoom飲み会動画長州力佐々木健介名前を出し、その中で武藤敬司長州力佐々木健介試合をするよう持ちかける。

WJプロレス崩壊後、完全に袂を分かった長州力佐々木健介はお互いに名前を出すことも無かった。

それにも関わらず2020年に入って両者がお互いに名前を口にした。

さすがに試合をするとまではいかないまでも、これまでと比べて両者は歩み寄りを見せてるのかもしれない。

ここからは完全に妄想だが長州力佐々木健介和解は両者にメリットがある。

長州力過去佐々木健介から借りていた500万円を踏み倒したという噂があった(先日の動画長州力借金存在について否定はしていたが、貸し手側とされる佐々木健介側の証言はない。)。

佐々木健介新日本プロレス時代過激な扱きを行い後輩レスラーから忌み嫌われており、新日本プロレス一強の現代においてプロレス関係仕事は厳しい状況にある。

長州力佐々木健介に対する500万円の借金を帳消しにする代わりに、長州力佐々木健介新日本プロレスの間を仲介して、佐々木健介新日本プロレスへの復縁を手助けする旨の約束があったのかもしれない。

両者が和解したとして、この和解に興味があるのは100%プロレスファンだろう。

両者は結構な年齢であり新日本プロレスでの復帰は現実的ではない。

そうなると長州力佐々木健介関係改善アピールし金儲けをするために最も適している団体こそ、武藤敬司プロレスリング・マスターズである

長州力Twitterがバズりまくっている2020年プロレスブーム後で最も長州力名前が売れてる時代である

この時に長州力佐々木健介の旧師弟マッチをやればプロレスファンは食いつくため、その試合で金の雨が振る…かもしれない。

武藤敬司がそこまで考えて裏で長州力佐々木健介の間を取り持っていればすごいと思うけど、そんなプロレス界の寝業師的なことが出来ればWRESTLE-1あんなことになってないか…。

Permalink |記事への反応(1) | 13:57

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2020-03-24

K-1が叩かれてる陰で

しれっと全日本プロレス興行しとるやんw

Permalink |記事への反応(2) | 10:41

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2019-07-29

anond:20190729105457

マジレスすると、力道山が作った「日本プロレス」が分裂して、ジャイアント馬場の「全日本プロレス」とアントニオ猪木の「新日本プロレス」になった。

Permalink |記事への反応(0) | 10:57

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2009-09-03

プロレスダメにしたもの

それは「TV放送を低く見ている」事だと思う。

例えば最近だと、丸藤・潮崎・田上ホール端っこで全試合をじっくり見ている事が話題になった。

それじゃダメなんだよ。それじゃ足りないんだ。

多くの人間が、プロレスを見るのはTV(ケーブルやら衛星やら含む)。だからTV中継が面白くない場合、それはそのままプロレスが面白くなくなる事を意味する。

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新生全日本、つまり武藤社長になってからの全日本が浮上したのは、「全日本プロレス中継~夜のシャイニングインパクト~」がきっかけだった。

プロレスの試合自体はあまり流さず、アングル中心の番組構成。

バラエティ色豊かな番組は、流してみてるだけで面白かったし、その頃の全日は「どうしたら面白くなれるか?」をプロレスラー全員が悩んで考えていたと思う。試合そのものも面白かった。

全日本プロレス側がお金を払い、番組全日本側が作ってTVに売り込んでいた。

だから1年限りの番組だったが、その分面白かった。

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ノアは全日を離れた後、テレビ放送のつくりを変えた。

具体的には、解説者を必ずプロレスラーにした。百田さんなり、秋山なり、KENTAなり、丸藤なり。

実況もスタイルを変えて、プロレスラーである解説を生かすようなトークになった。大事な部分は解説に喋らせる。終始、プロレスラーの細かいデータと大きな動きをしゃべるだけ。

正直、彼らのトークはちょっとダメプロレスラーだからっていう価値はあるけど、トーク自体は長い間聞いていて面白いものではない。

そして何より、プロレスファン以外にとっては、プロレスラーが喋っても嬉しくとも何とも無いのだ。

そう、そこ。

ノアのTV放送は、結局のところ「プロレスファンに向いた」番組作りだったのだ。

プロレスファンを拡張する動きではなかった。

プロレスファンは増えたが、それは丸藤やらKENTAやら、若手プロレスラーへの女性ファン。

「見ていて面白いプロレス番組」で、非プロレスファンをプロレスファンにする、そんな意気込みは無かった。

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プロレスの人気を取り戻したかったら、まずは実況と解説を見直すべき。

かつて、多くのプロレスファンを作り出した、全日本プロレス中継並みにレベルを戻すべきだ。

プロの解説、具体的に言えば小佐野ベストプロレス界全体の事を知りつつ「いい事言う」のが出来る小佐野全日本プロレス中継は小佐野で成り立ってる。

実況は若林使っておけ。というか何でプロレス実況の腕が一番いい若林が干されてるんだ?

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実際のところ、プロレス番組は実況と解説の2人が、番組の面白さの50%ぐらいを担当してると思うんだ。

ノアの過去の名勝負を若林-小佐野ペアで実況・解説しなおしたバージョンDVD作って欲しいとさえ思ってる。

少なくとも、今の解説ヨイショに一生懸命な実況は聞きたくない。

Permalink |記事への反応(1) | 11:16

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2007-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20071113212351

ごめん。話の腰を折りかねない危険な発言だった。

いわば喩えの全日本プロレス

Permalink |記事への反応(1) | 21:28

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