
はてなキーワード:入院とは
二回やって一回目は俺が水のませて助かったけど三日ぐらい入院してた
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
これやばいやろ
796 優しい名無しさんsage 2021/05/22(土) 21:18:25.06ID:su+2jnUZ
なんせデイケアサボっただけで通院時にそのまま連れていかれてご入院ですからw
しかも勝手に病院変えるといきなり医者と看護師が家に乗り込んで来て医療保護入院にしますって宣言されて護送されますw
これ全部実話な
800 優しい名無しさんsage 2021/05/23(日) 13:26:36.97ID:zFP5Ojmt
クリニック行ってるけどデイケアも訪問看護もグループホームも作業所も何にも強制されないぞ
ただ診察して帰るだけ
何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、
ある種の社会風刺アニメとして見ると現代の感覚だと60点くらいかもしれない。
スタッフに言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。
大友克洋、北久保弘之、江口寿史、磯光雄、今敏、神山健治、黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。
なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。
アクション、コメディがバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。
主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。
作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。
社会風刺としても、高齢化自体は1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。
また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイルを彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見を助長するのでは?と思ってしまった部分はある。
個人的に一番気になったのは介護、看護に献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉の現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代の基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。
まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ。
あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品は老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公側であるという部分。
厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動で強制介護するマシンを作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院に入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンをハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンのOS内に喜十郎の奥さんの人格が形成され海に向かって暴走を始める。
そのOSはペンタゴンが開発した軍事転用可能なもので、介護用と言いつつも軍事技術のデータ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOSを提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?
俺がマッチポンプ系作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。
いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命を繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。
というのが一番のモヤモヤ。
こういう作品だと役所の人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省の役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれてしまったという形で、マシンの問題に気付いてからは主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。
あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史のキャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。
根本の部分が公開から35年たった今見ると、ええんか?ってなるところ以外はよくできた作品だと思う。
交通事故に遭って、左足を無くし、入院生活を経て晴れて障害者になったんだが
うちの自治体じゃ片足があれば働けるだろ?ってことで障害者手帳は出たが、障害者年金まではもらえなかった
それでまあ、ただ乗りもしないバスや電車が割引で乗れる障害者が生まれたわけだけど金がないのでマクドナルドでレジのバイトしながらって感じでずっと3年ぐらいギリギリの生活してた
これじゃダメだなって半年前から大谷の切り抜きをYouTubeであげ始めたんだけど今月月収が100万円超えた。。。!
年収だとまだ130万ぐらいだからマクドナルドよりちょっと多いぐらい・・・
でもこれでやっと人並みの生活ができるようになったよ
「ステータス重視」に見えても実際は現実的な選択をしているせいも多いのでは?
子どもを育てる場合、切迫流産(流産の危険があり絶対安静入院も多い)は
また周産期うつは、妊娠や出産によるホルモンバランスの急激な変化が影響して10〜20%が発症
この場合、妻だけでなく夫も無理に仕事を休んだり、辛い思いをします。
境界知能(知的障害まではいかない層)は約14%いるとされており※3
子どもが発達障害の場合、平日の病院通いや療育への参加が必要となり
もし不登校になった場合、どちらかが仕事を休まざるを得ませんが、
共働きでギリギリの生活をしている場合は家計が相当厳しくなります。
また老後の貯金も難しくなり、日常生活での不安感につながるかと。
子供が境界知能の場合でも通常の授業についていくのが困難になったり人間関係がうまくいかず、不登校リスクが上がります。
こうした現実で貧困や時間的貧困に陥いったり精神的な病が長引いたりしたり
それが原因で夫婦関係が悪化したり離婚しシングルマザーになることを避けたいと思う人は多いでしょう。
どの女性がプライドで選び、どの女性がリスクを避ける選択をしているのか、外野が見極めるのは難しいのでは。
◆ソース
https://st.benesse.ne.jp/ninshin/content/?id=27367
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/935206
就学以前の子供の風邪などの病気(けっこう頻回なことも多い)で
選ばれがちになるのはあって。
これも、中小企業勤めで休みが取りづらく長時間労働の場合の男性が
選ばれづらい原因の一つに、なっていると思います。
母が急速に弱って施設入所になるらしい。
そろそろお迎え近いのかなと思う。
疎遠とはいえ動揺したが、20年も前に父が首をつった時も動揺したことを思い出す。
父とも呼びたくない、人を騙し、嘘を繰り返し、面倒臭い全てからは逃げ、妹がした悪さ(些細な悪戯)は私を殴って気を晴らす男。
わざわざ小さい妹の前で私を殴り、妹が泣きながら、姉ちゃんごめん、と、歯を食いしばって泣きながら皿を洗う私のところへ言いに来る光景を30年経った今もよく覚えている。
若い頃は猫を上層階から投げ捨てて本当に地上へ着地できるのかを試みたり、イタコの所へわざわざ出向いて生きているのがわかっている知人を呼び出させてほらおまえは嘘つきだ、とやらかしたり、気に入らない宗教者に殺害予告を繰り返し電話したり、自分がこっぴどく振った女性を複数回逆恨みで脅迫したようで、丁寧な書面でハガキで向こうさんから警察に通報しますよと言う最後通牒のご連絡がきたり(当時、当方女子中学生)、
風呂に入る為着替えていると必ず突然脱衣所へ乱入してきたり(当時以下略)、おまえは俺の血を引いて淫売のはずだからこれを読めと18禁の本とコンドームを渡してきたり(当時以下略勿論未経験、そもそもアトピー重度を患いそれどころではない)、
ピアノを弾いてくれたらもう二度と脅迫の電話をかけてりしないよと言うから弾いてあげたら、全部弾き終わったあと満足そうに脅迫の電話をわざわざ私の前でかけ、唖然としていると嬉しそうに「脅迫じゃない忠告だ」と言い放ったり(たぶんそれをやりたかったんだろう)、
途中、たぶん私の中学生卒業あたりからは当時言うところの精神分裂症になり、より酷くなったが、脅迫の電話をかけたりコソ泥をして捕まったりしているのは私が幼稚園の頃、まだ発症前からだからな。お父さん病気だから仕方ないのよ、じゃないんよ。昔からだよ知らなかったのか妻のくせに。
とにかくズルをする。嘘をつく。人を傷つけるのが大好き。性欲は歪んでいる。キングオブクズ。
物心ついた時からこいつが気持ち悪かった。無理やり口をつけてくる。泣き喚いてしんどくて暴れても笑いながらくすぐる。可愛がっていると思っていたらしいが、こんな気持ち悪いクズは他人だと思って過ごしていて、小学生のある時どうしてもよだれをつけて欲しくないと言ったら他人じゃないんだからいいだろうと笑いながら言われた。母も同じだった。それで腹が立って、いやこの世には自分と他人しかいないと言い返した。どんな小学生だと我ながら思う。その時から誕生日祝いもなくなり、嫌がらせが始まったように覚えている。
この父が首を吊った連絡は、私が空港でまさに海外旅行へ発とうとしているうきうきの瞬間に来た。
同行者もいるのだし旅は続けたが、外にいる一週間、最悪の夢を見続けた。
この父が拝み倒したから結婚したのよ、とつんとして繰り返していた母は自分はまともなつもりだったらしいが、人への脅迫も、私への理不尽な扱いも、全部しょうがないわねえで済ます人間だった。
父は唯一この母を溺愛していて、とにかく言うことをなんでも聞いた。よって私は母の願いを叶えるいいお人形扱いをされていたが止める大人はいなかった。
そして今遠方で暮らしている私のところへ、母のケアマネさんから電話がかかってくる。
もう立って暮らすことがどんどんできなくなっていると。つきましては施設の入所をお勧めすると。
裏の、ずっとお世話になっている彼女の義姉も、もうあまり関わりたくないらしい。
そらそうだ、娘2人もいて1人からは完全に絶縁されているんだから。昨年連絡があった時、私から大伯母に話した内容も効いているのかもしれない。なぜ妹の方は連絡してこないのか、と聞かれ、もう絶縁しています、母の声を聞くと首を吊りたくなるほど情緒が不安定なので、とあの時伝えた。
私はもう乗り越えているのでひとまず電話は出る、時候の挨拶の品も余裕があればする。ただし決して私の家庭には立ち入らせない。母はあの父から私たちを守らないどころか、腹の立つことがあると普段蔑んでいる父に暴力を振るわせようとする人間だった。
その母の終わりが近いと聞いて、
もしかしたら忘れているだけでいい思い出が出てくるのではないか?と、思い出す為にこれを書いた。
残念ながら、掘り起こしたくない残念な思い出しか出てこなかった。
もっと小さい頃のすてきな思い出は、すべて母方の祖父母の家で形成されたものだった。
祖父母がいなかったら私のかろうじての良識、よりよく育っていくための地盤は育まれなかったと思う。
私の伯母も長い事入院していて、お子さんたちはやはり疎遠で他に頼りになる身寄りはおらず、成年後見人がいるようで、同じ人にお願いできると。
色んな話を聞くなか、あっさり話を進めてくれそうで良かったと思う。遺産だっていらんよ、というのは、妹とも一致した意見なので。どこへでも、誰でも、持っていってください。そして私たちの人生を産んでくださってありがとう。今後はたとえ来世があっても父と母になるどころか、一目会う事さえありませんように。
こういうひとって例えば嫁が妊娠中とか長期入院中とか異動などで遠距離恋愛中とかでもおなじ考えなのかな?
だとしたら脳みそがさすがに性欲に左右されすぎてて動物じみてて怖いし、違うならそういうときは自分で慰められてたのに今は無理な理由って何?ってなる
半年成長のない新卒。資格持ちだが資格職は務まらないと一般職に応募してきた。
言われたことやるだけ。先輩がなんかしてても手伝いに来ないしそもそも知りません気づきませんて顔。
お偉いさんの荷物持ちで出張行くのに、免許持ってるけど運転できませんと答えてお偉いさんに往復10時間運転を押しつけて、しかも日傘を持っていってもいいですかと平然と尋ねてたあたりで俺が代わりに悲鳴をあげそうになった。
半年経ってもあまりに周りを気遣わない動きに少し注意したら、いきなり泣き出して翌日まで仕事を休む。
二日後普通の顔して出てきたので、繁忙期に仕事休んだら全員に謝罪してこいってのが俺らも全員守らされてきた職場ルールなんでそれをさせ、あらかじめやらせる予定を組んでいた仕事も期日があるのに泣いて休んで放り出したわけだからもうさせられないと言ったら、翌日から来なくなった。
上席だけ呼ばれて会議してるからなんだったのか聞いたら、大変なことになったとしか言わない。
まあおおかた手首切ったとか入院したとかで親激怒ってあたりなんだろうが。
ここでようやく思い至った。ああこれ、精神疾患既往歴隠しだ、と。
前にもいた。うつ病隠して入ってきて、繁忙期前に遊び回って仕事舐めて、肝心の繁忙期のそれも仕事中にいきなり客前で硬直して無反応になって救急車呼ばれたやつ。
半年くらいそのまま休んで、しかも診断書も出さずに病休扱いにしろって親ともども怒鳴り込んできて、何度もゴネて要求が通らないと知ると即退職したやつ。
周りは真面目に仕事してるんやぞと。
在学中にメンタルブレイクした奴で、それでも資格取得を諦められない奴は、楽な実習、楽な役のみ経験して資格取れる。
というか追い出される。職場に。
で、4月中にメンタルやられて実家帰ったり、一年経たずに自殺したりして親が写真探してたりとか、普通に聞く。
親が子を鍛えるのを怠って、学校が生徒鍛えるのを怠って、そのツケは職場が払わされるわけだ。爆発時に爆弾押しつけられてた奴が悪いってことにされる。みんな歯ぁ食いしばって同じ苦労して仕事し続けてんのになあ。
うつ病歴は隠すな。
女の病気は軽く見られがちって話、昔のやつそうだったのか〜っていうことが2つある
一つ目は中学生の時、生理の血が出過ぎて貧血で病院に行って、その場でぶっ倒れたけどこの位の子にはよくありますから〜と点滴だけされて帰された
数日後もまだ調子悪くて血も止まらずで病院に行った時そんなに具合悪いなら検査する〜?でヘモグロビン3.5で緊急入院、3週間入院した
ただまあ本当にこのくらい子にはよくあることなんだろう、ただ最初から検査してくれ
気のせいだから服を脱がせてもう一度はかれと言われた
もう一度測っても熱があって電話したが同様の回答だった
結局その後痙攣が出て救急に連れて行ったが、医師からは1ヶ月以内の新生児が熱が出るなんてありえないから必ず連れてきてほしいと言われた
なお脳梗塞を併発していて1ヶ月入院して奇跡的に回復したが原因は不明のままだった
どちらにしても大騒ぎしてなんともなかったということがよくある話なのかもしれない
でも病気なんて全部そうなのだから、検査して可能性を潰してくれよ〜と思う
これが実は花粉症だったくらいなら言わないけど、うっかりしたらどっちも死んでたし、そもそも7119なんて病院に迷惑かけちゃいけないと思ってかけてるのにそこが間違った判断だと信用を失うだろ
会陰切開って麻酔しないのか?と思ったが、まあするよな。知り合いもしてたし。
局所麻酔をするので、切る時は痛みを感じません。出産後は、切った傷と自然にできた裂傷部を縫い合わせます。痛いみが強い場合は、局所麻酔を追加することもできます。抜歯は、5日目の退院時診察の際に行います。入院中しばらくは、縫った部分の痛みがあります
https://www.ncchd.go.jp/hospital/pregnancy/column/einsekkai.html
会陰切開は、分娩中に局所麻酔を行ってから切開するため、切っているときの痛みはほとんど感じません。無痛分娩を選択している場合は、追加の麻酔は行われず、そのまま切開されることが多いです。縫合後、麻酔が切れた後から産後しばらくは、痛み、腫れ、違和感を感じることがありますが、時間とともに和らいでいきます。
もし入院すると、概ね一ヶ月20万ぐらい飛んで行く。高額療養費で10万、食事代等で10万という具合。
それが6ヶ月で180万円と言う様な計算になる。(逆に、大企業の健保組合で独自の付加給付があるとかだとこの金額は少なくなる)
ほぼワンオペで事務仕事をこなしていた前任代表が、オンライン業務に不慣れな後任代表になり、残ったメンバーも大混乱。
で、日中の事務業務は奥さんがするとか・・・って・・・うそでしょ・・・。
やたらウェブ会議をしたがるけど、こっちも3社掛け持ちで仕事してるのにそんな時間ないわ!!
しかも、現状の仕事の把握もできていないのに、やたら効率化を目指してるけど、いやまず既存の仕事をしっかりせえや!
引き継いでまだ1週間だよ?!
代表が変わると聞いた地点で、この会社ヤバいな、と思ってて、業務提携の次の契約の半年後までに乗り換え先を探そうと思ってたけど、その前に会社潰れるかもーwあははーw
今担当しているクライアント対応は自分で回せるから、その人たちが終了するまでサポートしつつ、新規の営業は断る方針にしようかと。
でないと、私がストレスで禿げる。
正直収入の柱の1本が減るのはかなり痛いけど、資格試験の勉強中で、来月手術と入院して、通常業務しながら乗り換え先も探すのに、新規顧客の獲得なんてしてられない。
ただでさえ初めての大きな手術と長期入院でナーバスで泣きそうなのに、こんなタイミングであんまりだわ。
前代表も、自分が立ち上げた仕事をなぜこんなおっさんに譲った?
それなら最初から自分の手で畳んだ方が、残ったスタッフもクライアントもよっぽど良かったよ。
年齢は関係ないかもしれないけど、少なくとも、会社の代表を務めるのなら、専業でやってくれよ。
私は、戦う。
このおっさんとじゃなくて、新しい収入源の確保と病気と資格試験とだ。
体が元気になったら、タイミーで足りない分を補填しながら就活するぜ。
フリーランスも7年目、ただではへこたれない。
ほぼワンオペで事務仕事をこなしていた前任代表が、オンライン業務に不慣れな後任代表になり、残ったメンバーも大混乱。
で、日中の事務業務は奥さんがするとか・・・って・・・うそでしょ・・・。
やたらウェブ会議をしたがるけど、こっちも3社掛け持ちで仕事してるのにそんな時間ないわ!!
しかも、現状の仕事の把握もできていないのに、やたら効率化を目指してるけど、いやまず既存の仕事をしっかりせえや!
引き継いでまだ1週間だよ?!
代表が変わると聞いた地点で、この会社ヤバいな、と思ってて、業務提携の次の契約の半年後までに乗り換え先を探そうと思ってたけど、その前に会社潰れるかもーwあははーw
今担当しているクライアント対応は自分で回せるから、その人たちが終了するまでサポートしつつ、新規の営業は断る方針にしようかと。
でないと、私がストレスで禿げる。
正直収入の柱の1本が減るのはかなり痛いけど、資格試験の勉強中で、来月手術と入院して、通常業務しながら乗り換え先も探すのに、新規顧客の獲得なんてしてられない。
ただでさえ初めての大きな手術と長期入院でナーバスで泣きそうなのに、こんなタイミングであんまりだわ。
前代表も、自分が立ち上げた仕事をなぜこんなおっさんに譲った?
それなら最初から自分の手で畳んだ方が、残ったスタッフもクライアントもよっぽど良かったよ。
年齢は関係ないかもしれないけど、少なくとも、会社の代表を務めるのなら、専業でやってくれよ。
私は、戦う。
このおっさんとじゃなくて、新しい収入源の確保と病気と資格試験とだ。
体が元気になったら、タイミーで足りない分を補填しながら就活するぜ。
フリーランスも7年目、ただではへこたれない。
青
5階建ての古い団地で、俺の部屋は3階の角部屋だった。
A、B、それと青。
青だけは仲良くなかった。
いつも一人でいて、誰とも喋らない。
あとなんか肌に青みがかかってて、変な臭いがした。
クラスの奴らは青を避けてた。
ただ、関わりたくなかった。
青の家族も変だった。
青も父親も、何か怖かった。
鬼ごっこしてて、俺が鬼だった。
Bが駐輪場の奥に隠れた。
俺も追いかけて入った。
そこで、青を見た。
青は駐輪場の一番奥で、しゃがみ込んでた。
何かしてる。
近づいて見たら、青は地面に何か書いてた。
白いチョークで。
丸と線を組み合わせた、変な記号みたいなやつ。
「何してんの?」
俺が声をかけたら、青がゆっくり振り向いた。
目が、笑ってなかった。
口は笑ってたけど、目は怒ってるみたいだった。
「おまじない」
青がそう言った。
「何の?」
青はまた地面に向かって、記号を書き続けた。
気味が悪くて、俺はその場を離れた。
AとBにそのことを話したら、二人とも「やっぱ変だよな、青」って言った。
担任が「青くんは、お父さんの都合で転校しました」って言った。
急な転校だった。
誰も気にしなかった。
むしろ、ホッとした。
でも、その日の夜、変なことが起きた。
「コンコン」
3階なのに。
窓を見たら、誰かいた。
暗くてよく見えないけど、人の形。
子供くらいの背丈。
俺は怖くなって、カーテンを閉めた。
でも、音は続いた。
母はまだ帰ってない。
俺は布団にもぐって、耳を塞いだ。
30分くらい続いて、やっと止まった。
次の日、ベランダを見た。
何もなかった。
でも、窓ガラスに、手の跡があった。
小さい手。
子供の手。
俺は母にそのことを話した。
母は「鳥でも当たったんじゃない?」って言った。
でも、あれは人の手だった。
それから毎晩、音がした。
いつも夜の10時。
母が帰る前。
俺が一人の時。
でも、ある日、我慢できなくて開けた。
誰かいた。
青だった。
ベランダに、青が立ってた。
でも、おかしい。
3階のベランダに、どうやって?
俺は叫んだ。
母が駆けつけてきた。
でも、ベランダには誰もいなかった。
母は「疲れてるのよ」って言った。
俺は頷いたけど、確かに見た。
青がいた。
次の日、学校でAに話した。
「青、昨日俺の家に来た」
「は?転校したじゃん」
「でも、見たんだ。ベランダに」
Aは笑った。
「お前、怖い話の見過ぎ」
震えた声で。
「青、いた」
「どこに?」
「窓の外」
Aの家は2階だった。
「何してた?」
「ずっと、こっち見てた」
Aは泣きそうだった。
次の日、Bも同じことを言った。
「昨日、窓の外に青がいた」
俺たち三人は、怖くなった。
何かがおかしい。
青は転校したはずなのに。
俺たちは、青の家に行くことにした。
確かめないと。
放課後、三人で青の家のある棟に行った。
青の部屋は4階だった。
ドアをノックした。
誰も出ない。
もう一度ノックした。
やっぱり誰も出ない。
隣の部屋のおばさんが出てきた。
「あんたたち、何してるの?」
「青くんの家に用事があって」
おばさんは首を傾げた。
「もう引っ越したわよ」
「いつですか?」
「1週間くらい前かしら」
やっぱり、いない。
でも、じゃあ俺たちが見たのは何だったんだ?
おばさんが続けた。
「可哀想にねえ」
「何がですか?」
「息子さん、亡くなったのよ」
「え?」
「お父さんが、その、ね」
おばさんは小声で言った。
「虐待してたらしいの。それで衰弱しちゃってね。」
背筋が凍った。
「いつですか?」
「半年くらい前」
半年前。
でも、俺たちは1週間前まで青と同じクラスだった。
じゃあ、あれは。
おばさんが続けた。
「お父さん、捕まったけど、すぐ出てきたのよ。証拠不十分だって」
「それで引っ越したんですか?」
「ええ。でもね」
おばさんは声をさらに小さくした。
「引っ越す前の晩、お父さん、発狂してたの」
「発狂?」
俺たちは黙った。
おばさんは「まあ、気の毒な話よ」って言って、部屋に戻った。
誰も喋らなかった。
青は、半年前に死んでた。
じゃあ、学校にいた青は。
俺たちが見てた青は。
Bが震えた声で言った。
「俺たち、死んだやつと一緒にいたの?」
Aが「そんなわけない」って言ったけど、声に力がなかった。
家に帰った。
母に全部話した。
母は信じなかった。
「疲れてるのよ、三人とも」
でも、その夜。
また音がした。
俺はカーテンを開けた。
青がいた。
無表情。
だけどその姿は異常だった。
俺は叫んだ。
母が来た。
でも、やっぱり誰もいなかった。
毎晩、青が来る。
ベランダに。窓に。部屋の中にも。
青が、ずっと咀嚼している
眠れない。
AもBも、同じだった。
三人とも、学校を休むようになった。
2週間後、Aが入院した。
精神科に。
Bも、その次の週に入院した。
俺も、限界だった。
母が、引っ越しを決めた。
「もう、ここには居られない」
引っ越しの準備をしてる時、部屋の隅で何か見つけた。
白いチョーク。
そして、床に、うっすらと記号が書いてあった。
俺は気づいた。
青は、呪いをかけてたんだ。
俺たちに。
なぜ俺たちに。
青は来なくなった。
ホッとした。
でも、AとBは、まだ入院してた。
俺は二人を見舞いに行った。
Bは、何も喋らなかった。
ただ、窓の外を見てた。
俺は、二人を見て、泣いた。
そして、俺は30歳になった。
Aは、5年前に自殺した。
自分の手を飲み込もうとして窒息死した。
Bは、今も入院してる。
20年間、ずっと。
喋らない。
ただ、窓の外を見てる。
ずっと。
俺は、普通に生きてる。
結婚もした。
子供もいる。
でも、時々思い出す。
青のこと。
あの咀嚼音。
俺たちは、青を助けなかった。
変だからって、避けてた。
虐待されてたのに。
そして、青は死んだ。
そして、俺たちを呪った。
でも、何で俺だけ。
何で、AとBだけが。
それが、一番怖い。
先月、Bの病院に行った。
20年ぶりに。
Bは、変わってなかった。
窓の外を、ずっと見てた。
俺が声をかけても、反応しない。
看護師に聞いた。
「何を見てるんですか?」
看護師は首を振った。
「分かりません。でも、ずっとあそこを見てます」
俺も、窓の外を見た。
何もない。
ただの、駐車場。
でも、Bは、何かを見てる。
俺には見えない、何かを。
帰り際、Bが小さい声で言った。
「お腹いっぱい」
俺は振り返った。
Bは、初めて俺の方を見た。
そして、笑った。
最近、娘に変な癖がついた。
気づいたら指を口いっぱいしゃぶってる。
もう5歳になるのに。