はてなキーワード:入院とは
特別養護老人ホーム(特養)の費用に関する高額医療費制度は、医療保険と介護保険の両方の自己負担額を合算し、一定の上限額を超えた場合に払い戻しを受けられる制度です。具体的には、高額介護サービス費と高額医療・高額介護合算療養費制度があります。また、医療費控除も利用できる場合があります。
1ヶ月の介護サービス利用料が、所得に応じた負担上限額を超えた場合に、その超えた分が払い戻される制度です。
負担上限額は、所得段階によって異なり、生活保護受給者は1万5千円、住民税非課税世帯は2万4,600円などと定められています。
例えば、生活保護受給者が1ヶ月の介護サービス利用料が2万5千円だった場合、1万円が払い戻されます.
1年間の医療保険と介護保険の自己負担額を合算し、所得に応じた負担上限額を超えた場合に、その超えた分が払い戻される制度です。
世帯内で医療保険と介護保険の両方のサービスを利用している場合に適用されます。
例えば、75歳以上の住民税非課税世帯の夫婦で、医療費と介護費の年間自己負担合計が60万円の場合、自己負担限度額の31万円を超える29万円が還付されます.
医療費控除
具体的には、施設サービス費の2分の1、介護費用、食費、居住費などが対象となります。
また、病院への通院費や薬代、交通費なども対象となる場合があります.
その他
特養の費用が払えない場合は、ケアマネージャーや施設の生活相談員に相談することで、軽減制度の利用や多床室への移動などで費用を抑えられる可能性があります.
特養の3ヶ月ルールとは、特養に入居中に3ヶ月を超えて医療機関に入院した場合、退去となる規定を指します.
これらの制度を適切に利用することで、特養の費用負担を軽減することができます。不明な点があれば、施設や自治体の窓口に相談することをおすすめします
爺ちゃんも婆ちゃんも認知症で最後は特別養護老人ホームに入ったけど、入院費より年金のほうが多かったから、長生きしてくれて助かった。
年金だけで住民税非課税だったから、高額医療費制度で天井が2.5万くらい。
パジャマとかタオルとか、その他もろもろの費用が毎月2万くらいとして、そんでも6万くらい収支はプラスだった。
うちはたいした延命治療とかなかったけど、終末医療もなくなんないんじゃないかな。
延命したほうが心が痛まないし、財布にも優しい。
急に死なれるより時間稼ぎしてくれたほうが各方面への連絡も出来るし。
そんなわけで、親族が打ち切りを望むはずがないと思うんだよね。
賃貸なら引き払えるけど、持ち家とかだと簡単にそうはいかないだろうし、入院してたからっていって固定資産税がゼロになるわけじゃないから、収支がプラスっていっても微々たるもんだけどね。
それを言ったら、死んだからって固定資産税が消えるわけじゃないし。
同居して扶養に入れてたら住民税非課税世帯にならんから3万じゃすまないわけだけど、その場合だって、高額医療費の上限はだいたい10万円くらいで、年金の額によっては収支はトントンかプラスじゃないかな。
厚生年金と3号被保険者だったら、月に15万円くらいもらえるんだろ?
うちの爺ちゃん婆ちゃんは自営業だったからそんなになかったけど。
別に悪い制度じゃないし、残される遺族が不正に受給してるっていうつもりはないんだけど、生前は贅沢できないくらいの年金額なのに、医療だけは人生の最後で最高の贅沢をできるって不思議なもんだよな。
ボケちまって金の使い道を忘れてからは、余った年金を残された孫や子供に年金を分け与える。
これも世代間の不公平解消してるってことで、いいことなんかもしれないけど。
しょうがないとは思うよ。
代替を考えるとして、例えば、家を抵当にいれて金を借りたりできて、自腹で終末医療とか出来れば、もうちょっと高くたって、金がない貧乏人も最後に最高の医療をうけられるとは思う。
でもさ、人生の最後なんて、大病するかボケちゃったりしてるんだから、財産の処分なんかできないし。
IQ130超え、全人口のうち上位2%のIQであることが入会条件の団体、「Mensa」に入ってみた。
あまりにも生きづらく発達障害を疑う声も多かったので、WAISを受けてみた。一つだけ”異常”が見つかった。Mensaに入れる程度に、IQが高かったのだ。「IQが高い」「生きづらさ」で検索してみると、Mensa内で活動している自助グループのようなものが見つかったので、入会してみることにした。会費、安いし。
最初は、イベントへの参加も戦々恐々だった。高IQの人々が知力でマウントを取り合うような環境を想像していたのだった。だけど、予想とは全然違った。
最終学歴も職業も収入も、けっこうバラけている。そうはいっても、大卒やブランド大卒やコンサルや高収入者の割合は、世の中全体に比べれば高いようだ。とにかく、そういうことを自慢してマウントを取り合うような人々は見あたらない。いるのかもしれないけど、目立たない。
会員だけの集まりで、よく耳にするのは、「人口の2%だなんて、天才にしては多すぎるし、ギフテッドと言われてもね」という発言。会員のほとんどは、選ばれた何かだなんて思ってない。体重は、多いからといって喜べるものではない。身長も、高すぎれば服の選択肢が減るし、頭をぶつける機会が増える。それと似たような捉え方に見える。
IQが高いメリットを享受していると言える人は、意外に少ない。知力で勝負するタイプのテストでは、確かに不利にはなりにくい。だけど、難関校に進学したり競争率の高い就職先に就職したりしたら、周囲に似たような人が増えていく。その中で競争したり生き残ったりしていくわけだから、有利だと感じる場面は減って当然だ。
IQが高いことのメリットを享受したいと考える人たちは、いることはいる。だけど多数派ではない。
Mensa会員の中には、発達心理学や教育学のプロもいるし、特別支援教育に携わる専門職もいる。IQが知力のごく一部だけを測定している非常に不完全な尺度であり、活用には慎重さと注意が必要であることは、その人々がよく知っていて、周囲の会員に語ってくれる。そもそもIQは、要支援の知的障害者を発見して適切な支援を行うために開発されたものであるらしい。その目的のためには、確かに有効だということだ。だけど、高い側はどうなのか疑問が持たれていたりもするらしい。IQが70だと、100の人々の中では不利になる。でも、30多くて130だと同様に100の人々より「有利」とは言えないらしい。それは、実感ベースで納得できる説明だ。
Mensaの中で時々目立つのは、IQが高いゆえの生きづらさの共有。近年は、公立学校でも「浮きこぼれ」「ギフテッド」を疎外しないようにという動きがある。だけどそれ以前、高IQの子どもたちは辛い思いをすることが少なくなかったようだ。
子ども時代に高IQであることが判明した場合、「勉強させない」「進学させない」といった方向の圧力が家庭から加えられることも少なくなかったようだ。背景にあるのは、親の嫉妬や劣等感、家業を継いでもらわなくては困るという思惑など。また高IQが学業成績に結びつかなかった場合、その子のIQを知っている教師が低い評価をすることもあったようだ。そのような語りが漏れると、他の会員から「私も」「そういう話は他でも聞いたことが」といった共感や理解が語られる。私も同感だ。というより、私と同じような経験をしてきた人々が周囲にたくさんいるという経験は初めてだ。
入会して数ヶ月間、いろんなイベントに参加して社交を楽しんでいるうちに、2つのことに気がついた。
まず、Mensaの実質的な役割の一つは「ピアサポート」、仲間による支え合いだ。
障害者の世界でもフェミニズムの世界でも、「ピア」の力は非常に重要視されてきている。精神科入院患者が異様に多い日本の状況を解決する方法の一つとしても、「ピアサポート」は注目されている。地域で生活するにあたって、輪別と闘うためにも差別的な社会と折り合っていくためにも、仲間はいたほうが良いに違いない。
身長が高かったり体重が多かったりする人々のために専用のファッションサイトがあるように、おそらく、高IQの人々にも何かが必要なのだろう。そして、まずは同類で集まってみることが大切なのだろう。
人口の2%だから、100人いれば自分以外にもう1人いるかもしれないけど、その1人と仲良くなれるかどうかは分からない。
1000人いれば、自分以外に19人いそうだが、その19人をどうすれば見つけられるのか。
同じ特性を持った人々の集まりがあり、そこに数千人が集まっていれば、同じ高IQという特性を持ち、気が合ったり話が合ったり共に活動出来たりする人を見つけられるかもしれない。
今のところ、私にとってのMensaの意義は、そういうところにある。
次に、Mensa会員になると「多様性」について考える機会が増え、「多様性」を大切にしたくなるかもしれない。「IQ130以下の人がいない」という意味で多様性が阻害されている団体であるゆえに、逆説的に。
「ダイバーシティー」とも呼ばれる「多様性」は、もちろん大切なのだろう。だけど、どうすれば実現できるのか? どのような人がいても「共生」できるという世界は、本当に実現することができるのか? 人間は、多様性が尊重されて全ての人が共生できるユートピアを作って維持できるほど賢明なのか?
人間はおそらく、完全な多様性には耐えられない。処理しなくてはならない情報が多すぎて、人間の能力では処理しきれなくなる。言語も価値観も見た目も違う人々が、旧約聖書のバベルの塔のようにゴチャ混ぜにされたら、多様性を尊重して共生するというわけにはいかないだろう。そのヴィジョンを共有することすらできないのだから。
そこにいる人々が処理できる範囲まで多様性を減らさないと、共生はできない。だけど限定付きの共生を実現しながら、各個人や各社会集団が処理できる情報量を少しずつ増やしていくことはできる。その延長に、いつか多様性を喜び合う共生社会が実現するかもしれない。多様性の「限定解除」だ。といっても、向こう数十年や数百年では無理そうだし、その前に人類滅亡という成り行きもありそうだけど。
高IQ集団の中で多様性と共生を経験した会員たちの中には、IQではなく別の何かで多様性を減らした別の集団の中での多様性や共生を自然に実現する人々が、一定の割合で現れるだろう。他の特性や志向性を持った人々の集団、たとえばフェミニストやLGBTQや障害者の集まりからからも、そういう人々が一定の割合で現れてきたのと同じように。その人々が少しずつ世の中を変えていく成り行きには、希望を託してよさそうな気がする。
誰もが、自分が持って生まれるものを選べない。時代も親も家庭も性別も選べない。与えられたものを使って、試行錯誤を重ねていくだけだ。そして、「選べない」ものが不幸をもたらすことは、誰もが選べない以上は避けようとするのが人道だろう。
「生まれた後なら選べるものもあるのだから自己責任」という考え方もあるけれど、自己責任のもとで何を選ぶことができるのかを含めて、あらゆる人が実は狭い選択肢しか与えられていないのだと思う。せいぜい、「今日、昼食に使える200円の範囲で、コンビニおにぎりの何を選ぶか」程度の選択肢だ。
選べない中で、選べるものは選び、小さな満足や達成を積み重ねていく。誰もが、そうしている。高IQでも、そういうふうに生きて悪いわけはないはずだ。
自分と共通するところのある人々との出会いや交流の中に閉じこもってしまうのは、どういう共通点があっても良くない。だけど、仲間とのつながりは必要だ。高IQだからといって、「私は一人ではない」と実感してはならないはずはない。
私は、持って生まれた高IQという特性が自分を不幸にせず、結果として自分の周囲の不幸も減らせるように、Mensaと仲間たちとの出会いを活かしていきたい。
なんか真面目に政治のことを考えても今までの投票先で目新しいことを意識して投票すると新興政党、第三極が多くなるけど、10年持った試しがない。
みんなの党とか維新とか古くは新党さきがけとか日本新党とか国民新党とかあったけど、
みんな新鮮なことを言うんだけど、多いのは予算を減らしたいってので、医療費45兆円をつついて減らそうとか言ってても
前はだいぶ小泉政権とかで全体のシーリングって言われてて予算の天井を作って支出を減らすとかやってたけど
民主党政権のときはコンクリートから人へとか言って建築土木の公共事業を止めてみたり
今出てる新興勢力が名前などどうでもいいほどどうでもよくて、医療費削減とか言っても昔から医療費削減はやってて、
急性期医療の大病院は入院の日数制限してたりして減らすものはすでに減らしてて、新しいことを言ってるふうに見せてても意味ないし
N国のほうがNHKを攻撃してなんかタブー破りをしたのが出来たのかわからんけど
真面目に考えて候補者に投票したとしても、多額の歳費を受け取ると東京で舞い上がってしまって不倫セックスに走るとか
考えても意味ないんだよね。
16年前のガンが再発し、再闘病8年目の今年2月、これ以上の治療は困難とのことで緩和ケアへ移行することになりました。
この時私は妊娠6ヶ月でした。念願の初孫だと喜んでくれていたので、この告知はとてもショックでした。
予定日は7月2日、母の余命は4ヶ月ほどだろうと言われました。主治医の先生には被るのではないかとまで言われたそうです。
去年は友達と九州へ旅行に行ったり、好きなアーティストのコンサートに行っていたのに、本当に急でした。
もちろん里帰り出産なんて出来ませんでした。さらに今後、私がお腹の子を育てていく際に母の支えが無いのだということに絶望しました。孫の手を引くお母さんを見ることは出来ないんだと、孫を甘やかすおばあちゃんがいないのだと。
しかし1番悲しいのは母自身です。私は期待を持たせて悲しさが大きくなるのが怖くて、孫に会わせたい、孫を抱いて欲しいという願いをグッと飲み込み、母は母の病気に向き合って、私は私の出産を頑張るからと伝えました。
遠出を避けなければならない妊娠後期ギリギリまで何度も帰省しては、母にたくさんお腹を撫でてもらいました。撫でてもらうたびに、お腹の子に会わせたいという淡い思いで胸がいっぱいになりました。
最後に会ったのはGWでした。またね、頑張るんだよと声を掛けてくれた姿は比較的元気そうでしたが、今思えば妊婦の私を気遣って無理をしていたのでしょう。
その後、母はみるみるうちにやつれていきました。ご飯が咀嚼出来なくなり、ゼリーなどの流動食ばかり食べていたようです。肺に水が溜まり、心臓が痛くなり、起き上がるのが苦しくなっていたのです。また薬の副作用や症状の悪化でせん妄が顕著に現れていました。テレビ通話やメッセージが支離滅裂になっていく母の姿を見るのは辛かったです。
しかし私のお腹の子はどんどん大きくなって来ます。とうとう正期産の日になりました。その当日の妊婦健診時の「いつ生まれて来てもいいからね」という先生の言葉を聞いたからなのか、はたまたこの後のことが分かっていたのか、その日の夜、子は予定より3週間も早く産まれてくれました。
小さく生まれたものの、2510gとギリギリ体重をクリア、増加率も問題なく、一緒に退院することが出来ました。
旦那が無事に出産したと実家にメッセージを送ると、混濁していた母の意識が急にはっきりして、母子の無事を泣いて喜んでくれたと聞きました。喜怒哀楽を娘にあまり見せない親だったので、大泣きする母の姿が想像できませんでした。
母がしっかりと会話できたのはこの日が最後でした。
介護をしている姉から送られてくる母の様子は、かなり厳しいものでした。言葉が出てこなくて癇癪を起こしてしまう、姉の顔を忘れてしまった、ベッドから起き上がれなくなった、トイレに行けなくなったとゆっくりと、しかし着実に一生を終える階段を登っているようでした。
ついに1週間前、母が入院になりました。最後の入院になるだろうとのことでした。医者の見立てというものはすごいです。2月の段階ではここまで進行するとは思えないほど元気だったのに。
私は姉に伝えました。1ヶ月健診が終わったら帰るから、それまで頑張るんだよと伝えて欲しいと。
子が早く生まれてくれたから、早くに外出できるようになったのです。母に抱かせられるかもしれない。諦めたはずの期待が溢れてしまいました。
無事に1ヶ月健診を終え、急いで実家に帰省しました。母を見舞う前日、姉から「ご飯が食べられなくなった。それに伴って持病の薬を全て中止した」と言われました。全身に転移したガンとは別に心臓の持病を抱える母にとってそれは、最期へのカウントダウンでした。
月曜日、特別に許可をもらい子を連れて病室に向かいました。母は息をしていました。意識はほぼなく、呼吸器をつけてやっとしていた息ですが、心臓を動かして待ってくれていました。痩せて骨と皮だけになった母の手を取り、子の手を触ってもらいました。発熱していたこともあり、温かい指先でした。目を少し動かし、私を、子を追っているように見えました。待っていてくれてありがとう、私もお母さん頑張るよと伝えて病室を後にしました。
その日の深夜、日付が変わる時に母は旅立ちました。主人に子を預け、最期に立ち会うことが出来ました。
息を引き取った母を見て、ああ本当に待ってくれたのだと思いました。また、子は母の命の時間を知っていて早くに生まれてくれたのだと思いました。
そうとしか思えないのです。
そう思ってもよいでしょうか。
母の病気が治らないと知った時、奇跡なんてものはなく、神もいないのだと悟りました。
でも抱かせることは叶わなかったけれど、無事出産できたことを知らせることができ、孫の写真を見せられて、直接孫の顔を見せることも、孫の手に触れさせてあげられたことも出来ました。
このタイミングが偶然のものだとしたら、出来すぎだなあと笑ってしまいます。
そして未明に母が帰宅し、授乳の合間を縫って仮眠を取り、やっとジワジワと母が逝ってしまったことを実感しています。
死に目に遭えたからとしても、やはり私のこの先の人生に母の姿がないことに変わりはありません。その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、胸に重くのしかかってきています。寝不足のまま、微かに一階から流れくる線香の匂いを嗅ぎ、理由なく泣き続ける子をあやしながら、広くなって静かな家の廊下を歩いていると、今日がきっと人生で1番辛い日なのだと思います。
程度は変わるのでしょうが、一生この辛さは消えないのでしょう。ここに母がいたら、母だったら何を言ってくれただろう、と。道ゆくおばあちゃんと孫の姿を見かけるたびに、私は一呼吸置いて鼻の奥が痛くなるのを堪えるのでしょう。
それでも我が子を抱きながら、この子と母の奇跡のような巡り合わせを思い出して、痛みを少しだけ溶かしていくのだと思います。
義実家とは結婚の時に縁が切れています。そのため頼れる家族が、認知症を患う父と陸の孤島と呼ばれる県内の果ての地で教鞭をふるう姉しかいません。
あーありそう、じゃねえよ。憶測を平気で肯定するお前こそ病院行けよ
ムキになったために服薬を拒絶しているような言い方をしたことがあるが実際は正規の手順を踏み今に至る。
最初の医療保護入院?のときこそ母が薬の内訳を見たらしくそれが明らかに過剰投与であるように見えたらしく早期の退院になるよう病院に積極的に働きかけた。担当医にはどうなっても知らない旨言われたそうだが、母は自分の方が大事だったと言っている。
と言っても退院日までに処方されていた薬は退院後も続けた。具体的に飲む薬を変えるには医者の指示に従うべきことは心得ていた。
素人目に見てとっくに陰性期もとい寛解の病態だったのにそれに対して過剰すぎるのを問題視していた。またそもそも診断が誤りで発達障害の二次障害の可能性も検討していた。
よって児童精神科医がいる大学病院へ行き、まず精神科の見地からみてセオリー通りではない過剰投与であること、そして1時間以上の診察だったと思うがそこで発達障害と診断名が変わった。
いや、大学病院にたどり着くのも予約がとれるのもすぐではなくて、その間に病院とは主にアカシジアの問題で相談しての減薬があった、と思う。
結局一連の精神症状に関してお世話になった病院は5つを超える。そのなかで入院時の処方状況について質問したところはどこも過剰投与だと認定した。ちなみにその担当医は開業独立したらしい。
最近は経過観察だけでそのなかで睡眠のサイクルが悪そうだからとロゼレムはどうですかというふうに言われたことはあったが、母にやめておけと言われた。もう一つの睡眠改善薬は悪夢を見るからともし勧められたらやめておけと事前に言われたが、ロゼレムはさて何が理由だったか覚えていない。
確かに私は薬で悪夢を見やすい体質かもしれないと思うのは、インフルエンザのときも薬を飲んで結構すぐに妙な明晰夢を見始めたからだ。いやそれだけではインフルのせいな気もするしこれは蛇足かな。
https://x.com/bot89672711/status/1943579830408388866
引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は少なくとも10年以上それなりに大きな病院で総合内科、糖尿病内分泌内科として勤務してきた。その中で日本の素晴らしい医療を継続するために変えた方が良いと思う事。
救急車をタクシー扱い、昼間の外来は混んでいるから夜の救急外来を受診、訪問診療を些細な事で呼びまくる。少額でもよいから支払う制度に変えて、少しでも受診のハードルを作ってほしい。
意識がなく老衰に近い方もCVや胃瘻で延命されている現実があります。家族の気持ちもわかるし、それを否定するわけではない。ただ、限りある医療資源を有効に使うためにもし希望するなら自己負担を上げるべきだと思う。
大学病院の経営は厳しく、スタッフの給与も安い。すでに慶應病院が美容医療外来を始めたが、大学病院のスタッフのクオリティを考えればクリニックよりも質の良い医療を提供できる可能性は高く、需要もあるだろう。スタッフの給与向上のためにも取り入れてほしい。
引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
というツイートだったが、ざざっと積算したら医療費45兆円のうち、3000億円程度しか削減できないらしい。
3000億円でも大きいけど。
実際の医療行政ではすでに急性期医療は短期入院で慢性期に移ると在宅医療中心になり、削減はしているそうだ。
医療費の大半は高齢者となるそうだが、すでに自己負担が大きくなっている。
自分はゼネコン設計が長いのだが、建設業界の前線にいるからと言って建設行政に明るいわけでもない。
つまるところ、この医師の要望は、嫌な顧客は対応したくなくて、モンスター顧客の場合は割増料金で見積書作れと言っているようなもので、
先日90歳の祖父が入院したので、「万一の場合無駄な延命治療は希望しません」的な念書にサインして思ったのだが
最近ネットで「延命治療反対」だの「緩和ケア反対」だとか言われてるの、「こいつら延命治療や緩和ケアの定義分かってないな(自分もよく分からん)」ということで調べた
とはいえ「こういうのはっきり線引きできるもんじゃないからさ~」とか言ってると、社会保険が逼迫するにつれて平均寿命より上の人間は全員まとめて負担増という結果になる気がする
また、老人福祉はその子供である現役世代に対する福祉でもあるという意見が多々見られるが、今後高齢者に対する現役世代の比率が1を割ると、自分の親だけ面倒見る方が期待値が得になるため長続きしない論法である
(こういうときにかつて見られた「今の高齢者福祉削ると当然自分が高齢者なった時の分も削られるんだぞ」という意見が今では見られなくなり、つまり自分が高齢者になったときは削られてるのが前提になっているのも時代の経過を感じる。上記の意見も同様に消えていくだろう)
早めに行くと人が少なくていいね
自分がセクマイだから反LGBTな政党(参政党とか保守党とか)は勢力が伸びるとマジで生活に悪影響が出るだろうし(ただでさえセクマイ仲間に日本の暮らしがキツ過ぎて移民する人とか出てきてるのに…)、まず票は入れられないし、暮らしも楽ではないから労働者の権利やら貧困やらについてちゃんと語ってるところがいい
そんなふうに考えていくとうちのあたりだと条件を満たすのが共産党の人くらいだから、小選挙区も比例代表も共産にした
まあ、共産党は議席多くはならないだろうし、特に希望は持ってないけど
とりあえず結婚したり、パートナーにちゃんと遺産残したり、保険料の控除受けたり(法律婚じゃないパートナーが受取人だと控除受けれない!)したいぜ
入院してもパートナーが家族扱いされなくて苦労したカップルの話とかも周りでよく聞くし、法律婚できるだけでかなり不安がマシになるんだけどな
今回も女、セクマイ、障害者、移民、貧困層etcにはしんどい結果になるのは目に見えてるけど、どうにかこうにかやっていこうな!
熱中症の救急搬送1週間で今年初の1万人超え、死者8人…北海道など北日本での増加目立つ
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20250709-OYT1T50078/
>北海道は前年同期から3・2倍の280人、宮城は同2・7倍の187人となるなど北日本での増加が目立った。
熱中症の恐ろしいところは、直接の死だけではないことを書き残そうと思う。
発見が遅れ重症→入院→高次脳機能障害、認知能力の低下(1~2年かけて徐々に)+身体能力の低下→衰弱→死亡
このコンボが存在しており、すぐに数字には出てこない死者がいることである。
感染症対策による制限もあるため、長期入院では急速に認知能力が低下する。
知り合いに、地元でも有数の屈強さ、高い筋力を持つおじさんがいた。
冷房故障事故による重度熱中症、その入院を境に急速に衰えた姿を見て、衝撃を受けた。
あなたの周り(親族、知人など)でも熱中症で後遺症が残った方もいるのではないだろうか。
超巨大コンテナをポンポン動かす屈強なおじさんも倒れるのだから、なんだって熱中症になる。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000198.000028421.html?utm_source=chatgpt.com
https://www.daktari.gr.jp/diseases-and-cases/disease21/
犬にも人にも死神の魔の手はやってくる。
メモ書き程度だが、数字を整理しネットの海に流すことで、一人・一匹でも死神の魔の手から逃れられることを願う。
■去年までの搬送者数
2024年 97,578人
2023年 91,467人
2022年 71,029人
2021年 47,877人
2020年 64,869人
今年、2025の増加ペースは
https://www.cbnews.jp/news/entry/20250708172442?layout_id=1051&utm_source=chatgpt.com
>総務省消防庁が8日公表した熱中症の1週間(6月30日-7月6日)の救急搬送状況の速報値によると、
>搬送者数は前週比115.4%増の1万48人と2025年で初めて1万人を超えた。前年同期比では34.6%増となっている。
とのことから、年間で12万人超えもありうる暑さかなと推測する。
特に北日本の環境は、この数年の急激な猛暑化に設備・警戒が追いついていないように思う。
・まず自宅へのエアコン普及率が低いし、使う習慣も少ない(屋内で倒れる)
・畑や庭、工場、労働ルーチンが5年前以前の気温基準(仕事中に倒れる)
・学校も小中学校のエアコン設置率は16%(幸いにも夏休みが延長されることになった)
毎日暑い東京に比べれば対策のコスパが悪いことも想像に難くない。
北日本は夏でも風がふいて涼しい日があるし、そんな日は最高の気分だ。
だいたい冬には大雪が降って寒いから暖房設備を強化しているっていうのに
たった1日のためだろうと、予防の準備を整えてほしいと願う。
https://www.fdma.go.jp/disaster/heatstroke/post3.html
どの地域も前年超えで真っ赤だ。
プログラマー各位はここからデータを取得し、ちょっとしたサービスの気温表示の横にWGBTを記載するなど、
遊び心を働かせててもいんじゃないだろうか。
もうとにかく暑い!
1人でやると高くつくが、みんなでやれば少しは値段が抑えられるかもしれない。
こちらのサイトを見てください。基本的なことは全部載ってます。
熱中症ゼロへのサイトはレポートも充実しており、読み物としても面白い。
考えてみると当たり前だが知らない情報を知れるため、おすすめする。
https://www.netsuzero.jp/netsu-lab
・サンシャイン水族館の飼育員さんに聞いた「水辺の生き物」の暑さ対策レポート
・熱ゼロ研究レポート:訪日経験のある外国人に聞いた「日本の暑さ」に関する調査
個人的には、晴雨兼用日傘は直射日光を避けられ、体感温度が変わるため、おすすめします。
現実的な話すると、今入院して誰かに付き添ってもらおうにも誰もいないのは怖いだろうけど。
妻子は守る存在じゃないし、日本は戦争してないし、まだ生きてるならいかようにもなると思う。互助関係を誰かと作りたいならなんかのコミュニティに今から入ってもいいと思う。宗教より、ボランティアかNPOみたいな役割を持って誰かに与えられるやつがいい。町おこし隊的なやつとか。割と「いてくれるだけで助かる」って場所はあると思うよ。
ムキになったために服薬を拒絶しているような言い方をしたことがあるが実際は正規の手順を踏み今に至る。
最初の医療保護入院?のときこそ母が薬の内訳を見たらしくそれが明らかに過剰投与であるように見えたらしく早期の退院になるよう病院に積極的に働きかけた。担当医にはどうなっても知らない旨言われたそうだが、母は自分の方が大事だったと言っている。
と言っても退院日までに処方されていた薬は退院後も続けた。具体的に飲む薬を変えるには医者の指示に従うべきことは心得ていた。
素人目に見てとっくに陰性期もとい寛解の病態だったのにそれに対して過剰すぎるのを問題視していた。またそもそも診断が誤りで発達障害の二次障害の可能性も検討していた。
よって児童精神科医がいる大学病院へ行き、まず精神科の見地からみてセオリー通りではない過剰投与であること、そして1時間以上の診察だったと思うがそこで発達障害と診断名が変わった。
いや、大学病院にたどり着くのも予約がとれるのもすぐではなくて、その間に病院とは主にアカシジアの問題で相談しての減薬があった、と思う。
結局一連の精神症状に関してお世話になった病院は5つを超える。そのなかで入院時の処方状況について質問したところはどこも過剰投与だと認定した。ちなみにその担当医は開業独立したらしい。
最近は経過観察だけでそのなかで睡眠のサイクルが悪そうだからとロゼレムはどうですかというふうに言われたことはあったが、母にやめておけと言われた。もう一つの睡眠改善薬は悪夢を見るからともし勧められたらやめておけと事前に言われたが、ロゼレムはさて何が理由だったか覚えていない。
確かに私は薬で悪夢を見やすい体質かもしれないと思うのは、インフルエンザのときも薬を飲んで結構すぐに妙な明晰夢を見始めたからだ。いやそれだけではインフルのせいな気もするしこれは蛇足かな。
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今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士を外注できるようにして、その病棟の看護師と患者家族全員が参加必須な掲示板アプリ作って育児と看護の相談が24時間できるようにするよ。けど無理なんでね。医療者に喧嘩売るような姿勢も取れないのでね。
だから慰めにしかならないけど、「付き添い入院の日常」を不平不満を全部隠してほんわかのんびり書くことで、他の家族が少しでも悲観しないで済むようなものが書きたいんだよねえ。これは本書を読む前から固まってたこと。本書を読んだことで、それをより説得力ある読み物にするために取り入れられるものが何か、体系的に学べた。
付き添い入院からこれまでやってきたことを総括してくれるような、穿つような学びだった。いい講義を受けたなあ〜。
学ぶことはわからなくなること:こんなにいっぱい学んだのに、「どう活かすべきか」はわからないや。でも絶対忘れないし、何をやるにしても本書に書かれていたすべき、すべきじゃないについて、参考にするだろうと思う。
なぜ奪われた側に立ちがちなのか:データが稀少だからだとある。これは私が書こうと思った理由と同じ。付き添い入院の問題や受難について書いてあるものは多いが、その日常を淡々と「描き続けている」人はあまりいなかった。病名と月日と私的な特徴を照らし合わせると個人の特定が容易になるからだ。(個人の特定どころか子の顔も居住地もほぼ公開して毎回の診察記録をインスタで上げてる人もいて、肝据わってるなあと感心するしめちゃくちゃ助かっている)。
周辺から見る、解釈労働:この辺は概念として新しい学び。社会学で「肉体労働」と「知的労働」と「感情労働」があることは学んだが、解釈労働は感情労働の一部かなと思う。
楽しみと苦しみ:『次なる一歩を踏み出すのは、楽しみではなく苦しみを動員にすることによってなのです』。研究は、それでいいんじゃないかなと思う。私はなんかずっと、「最悪の事態を想定してネガティブに考えておけばとりあえず正しい」と思っていたところがあって、そのために、付き添い入院をしろって言われた時、最悪の事態に陥ったと思って、それを社会が私に強いてきたと思って、メンブレしてしまった。色々荒ぶって抵抗して、妥協案を病院側から引き出すこと成功した(付き添い入院の期間を短縮してもらった)ので、そこからはネガティブでいるのをやめた。「付き添い入院楽しもう、得難い体験だと思って全部覚えておこう」と。結果、大部屋4家族での共同生活に初日で慣れ、使えるもの全部使ってのんびり暮らすことができた。当事者は心が折れちゃいけない。苦しい苦しいって思ってると、より苦しくなってしまう。ネガティブに「なっちゃう」のは仕方ないけれど、ネガティブで「いようとする」のは間違いだと思い始めている。けど意識してポジティブでいるのも、心が拒否反応を…本題から離れそうなので戻す。私は、苦しくなるのはうんざりなので、楽しくなるようにしていこうと思うし、同じく病児看護に関わる人たちが、苦難ではなく、日常を平穏無事に過ごせる一助となるようなものを発信していきたいと思う。
子の付き添い入院を経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。
この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。
買って一日で読み切ってしまった。
この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。
私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。
その文章の説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想。
エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。
賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。
『エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいるものの確実に生活が営まれている。
フィールドで見た場面と研究主題の接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。
フィールドと自分の普段の生活を二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。
フィールド調査の十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的に振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールドの文化と歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟の見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。
書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態で脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要な思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離。
章間にあるコラム全部面白い。ストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。
エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のものの記述とは、具体的には②生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている③時間に参与することが必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むことで着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して、特定の主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院の必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?
客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身や自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手の立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院で経験したことを有益にしたかった。
この章に出てくる市について『2024年の能登半島地震で被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!!??出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。
私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママは大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。
アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。
フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。
ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから、先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。
部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち。
エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。
買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授が自身の研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。
その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間に参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験をエスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である。
参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか、経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからはめっちゃ人と話した。
この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。
そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究や分析みたいな深みを得そうな気配がした。
それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。
あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間的経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。
対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院は初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点、気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューやフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者のインタビューはリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。
私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学の文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。
子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院の外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親が病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師と看護師と病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまうものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である。
時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚したからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月やGWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子を人質に医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれてから、治療が終わるまで、年単位でスケジュールが未定になる。純粋に病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。
病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。
ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的な見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの。
ミクロな視点からマクロを見る:付き添い入院がマクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族をターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。
ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家がシロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白い」ものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイやルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学の文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象からの発見を記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。
長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールドが強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供の貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題と関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。
研究とお金の話は文系も理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。
私が今付き添い入院をフィールドにエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学の視点からみれそうな表現で問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士を外注できるようにして、その病棟の看護師と患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51
入院してる。足の手術のためにしばらく病室生活が続く。静かに療養できると思っていた。甘かった。
同室の高齢男性。入って早々、「どんな病気ですか?」とニヤニヤしながら訊いてきた。
は?ってなった。なんで初対面の他人にプライベートな病名言わなきゃならんの?
しかも別に仲良くなりたいとも思ってない相手に。デリカシーのかけらもない。完全無視。
それだけでもう関わる気失せたけど、問題はそれだけじゃなかった。
こいつ、ずっとイヤホンもつけずにスマホから大音量でYouTube垂れ流してる。
こっちは療養中だっつーのに、まるでパチンコ屋の隅っこにいるみたいな気分にさせられてる。
しかもその内容が最悪。
選挙シーズンなのもあって、「日本保守党」とか「参政党」とか、いわゆるネトウヨ界隈の動画ばっかり。
北村弁護士が演説してる街頭の映像だの、「参政党の勢いが止まらない!」だの、そういうのを繰り返し大音量で再生してる。
おすすめ動画が全部その手のものなんだろう。疑いもなく全部鵜呑みにしてるっぽい。
陰謀論とか、裏付けゼロの話とかを、まるで真実みたいに受け止めてる姿は、正直ゾッとする。
たぶん、こういう高齢のネトウヨって、日本中にごまんといるんだろうな。
だからこそ、こういう「病院」みたいな場所で初めて気づく。「断絶」が可視化される瞬間。
https://x.com/hama38_103/status/1941833402929569990
入院時に、旦那が何をほしいか聞いてくれなくて、着替えも持ってきてくれなくて着たきり雀だったとかいう苦労話。
働けない。
大学には入ったけど初年で不登校になって、次の年だけ進級できたけどその次の年も不登校になって、最終的に退学ってなった。
バイトはコンビニやスーパーでやったけど、1日目ですごくダメ出しが多くて、2日目に体調不良になったと伝えたら来なくていいと言われて、仕事内容的にも無理そうだった。
その後地元の工場に就職が決まった時もあったけど、2日で続けられなくなってやめた。体力が持たなくて、次の日にマジで出社するのが怖いなと思った。
普通に脳があまり働かない。大学を中退した後に精神科でADHDとASDだとは診断された。最近になって投薬治療も始めたけど、あまり効果を感じない。というかむしろ副作用で眠気がすごい。
あとは何かバイトに応募してみたりもしたけど、履歴書の用意みたいなのが分からないし、あとは知らない番号から電話が掛かってきたりして、派遣の登録がどうみたいな話が来る。あとWeb面接の予定を入れてほしいみたいなのも来るけど、応募しても日時を忘れてしまう。
ハローワークで精神的な問題みたいなのを伝えたけど、精神科側に一度通ってくれ、精神科側も仕事の紹介はしてないのでハローワークに言ってくれという感じでたらい回しだった。
無理やり働こうと思うんだけど、気力が続かない。無気力というか根性がないのかもしれないが、一度は無理して隣の県の求人にまで応募したりまでは行った。でも無理だった。
生活保護とか障害年金とかいうのも考えたけど、ちょっと手続きがよく分からない。というより社会復帰というか社会参加を完全に諦めるのは良くないよなとも思う。
酒とかタバコとかギャンブルも一切やってないのに、どんどん頭が鈍っていくような気がするし、これは良くないなと思ってる。
別にいじめとか虐待とかされたわけでもないし、子どもの頃から両親や祖父母にはすごくよくして貰っていて、同級生からもとても親切にしてもらっていた。なのでどうしようかなあと困っている。小学生ぐらいの時だけ天才だったねみたいなパターンになってしまう気がする。ただ検査の結果だとIQだけはかなり高いらしいので、なぜ上手く行かないのかなと困っている。
自殺は絶対ダメだなとは思うんだけど、このままだとまずいなと思うし、死んだ方が楽なのかなとも思ってしまう。でもそれはそれで両親が悲しむだろうし。このような状況なら普通はさくっと切り捨てられてて当たり前だよなあとは思ってるんだけど。それに兄弟もいないし、両親に育ててもらった分を返せないのはダメだよなあと。なので両親の老後の介護のための資金とか、それはそれとしても自立のためにも働かないとなあと思いながら、色々な求人を見て応募はするんだけど、知らないメールや電話やSMSが一気に来るたびに、ちょっと少し混乱して、それで対応できるタスクがオーバーして全部無視してしまう。
正直なところ、子どもの頃に栄養失調になって後少しで死にかけというところで入院した事があったので、そこで助けてもらったのはものすごくありがたいんだけど、その頃の家族やお医者さんにどう申し開きをしたら良いだろうかと。まともに働けずに社会のお荷物になるぐらいなら、あの時に助けなければ良かったねと思われてしまうだろうか。
なんというか、無敵の人のように無関係な弱い人間を狙うような卑劣な事はしたくないし、弱い人間じゃなくても危害を与えるような事はしたくないんだが、それはそれとして自暴自棄になった時にどうしようかなあという思いはある。自殺はダメだし無敵の人まがいの事をやるのももっとダメ。なので何をしたらいいか。立花孝志さんとかものすっごく叩かれてるけど、ああいうアウトローな形で一旗揚げて食い繋げるなら、ああいうのも悪くないんじゃないかなと正直思う。もちろんやりすぎたらダメだけどね。
根性でダメなら薬で治せと思ったけど、それも上手く行かない。それじゃもうどうしようもないんじゃないかなあ。じゃあ何をしたら良いのか。なんか転売ヤーとか嫌われてはいるけど、儲かるんだったら正直そういうのやるよなと思う。今はやり方分かんないからやらないけど。あとは暴力団かどこかにでも頭下げて入るぐらいかなとか。まあ暴力団すら根性が足りずに続かない可能性もあるし。
とにかく根性が足りてないのかなあ。父親からは根性が大事だと言われていたけど、結局ちょっとそういうのには応対できなかった。なぜ私の両親のような人間から、私のような腑抜けた腐り切った根性のない出来損ないのような人間が生まれるんだろう。私の従兄弟だって発達障害があるから将来が心配と言われていたけど、それでも無事に大学まで行ったというのに。私の努力不足、甘え、怠惰、としか客観的に見ればいいようがない。
常にもうこんな人間は首を括って死ねばいいのに、と思ってしまう。でもそれは既に亡くなった祖父母を失望させるだろうし、両親に深い傷を残す事にもなるので、どうしようもないなと思ってはいる。いっそのこと、命を刈り取る死神でも来てくれればいいのにと思ってしまう。無料のホラーゲームで「楽に死ねる薬」っていうのがあるが、時々その事を考えてしまう。
その人の夫はケモナー男性で、ペドフェリアについてガチの言論を発信してる…多分一度見たことある増田もいると思うがここでは名前を出さない
その人には妻がいて、子供の話もしなかったことから子なしだと思われる
その妻は精神疾患があり、子がいないことが原因で自殺したわけじゃないのだが…
結論から書くと、その妻が自殺したことでその男性は大きく精神を病み、精神科に入院までして仕事も退職した
その後薬物をODしたりアルコール浸りになったり散々だった、その後なんとか再就職出来たらしいが…
似たもの同士だというのは簡単だが、もしこの人の妻が自殺してなければこの人はこんなにも精神が病まずに済んでたと思う
一応これを書く前に本人見といたほうがいいだろと思って本人の呟きを見てるが、やはり亡き妻のことを回顧して恋しい、戻りたいと書いている
丘田 英徳
@okada_2019
少々長文ですが
ことの発端は1998年の夏
「桃の天然水」
※既に発売中止になっているので
このネーミングに騙され
これをひと夏(2か月くらい)続けた結果
がぶ飲みするようになった
2~3年後
ラッパ飲みする私を見て実姉が
と警告してくれたが
体の変調など
この警告を無視
更に2~3年後
ゲームしながら指をもんでいたら
指先の毛細血管の異常を察知したのか
糖尿病じゃないのか?と教えてくれ
即入院した方がいいですと言われたが
自分的には
徹底した食事療法をすれば
糖尿病にはならなかった
この後
一切飲まなくなったが
それで問題ないと思ってた
血管も徐々に蝕まれていた
今から5年ほど前に
目の異常で眼医者に行ったところ
”糖尿性網膜症”診断された
目の治療と並行して
糖尿病が原因で
思いもしなかった
日々の生活の中で
やたら疲れがちになってきた
激しい運動のあと
体がくたくたになって動けない感じ
あの症状が頻繁現れるようになった
腎臓でろ過され
排出されるはずの老廃物や
所謂”毒素”が体内に回るのだ
3年ほど前の夏
東京駅の構内で倒れた
目や指は動くが
全身がもうピクとも動かない
「尿毒症」の症状といわれ
ご親族に連絡を取っておいて下さい
こう言われたそうです
この食事療法を徹底すれば
みなさん
甘い飲料水は控えめにした方が身のためです
せいぜい一週間に500ml一程度に。
一年半の不妊治療を経て産まれた、2歳半くらいの娘がいてスーパースーパーキュートです
ただし出産がマジで本当に大変だった、私の場合産むまでつわりで苦しんだうえ、出産時には5日かかって緊急帝王切開、子は低体重でNICUへ移送、そのとき腕の神経麻痺があってこれが一生残るかもしれないし残らないかもしれないとか言われるもう産後メンタルボロボロ
そこで大事件、家に帰ってきた娘ちゃんが新生児なのに風邪を引いた❗️夜中に救急車で搬送されて1週間入院❗️1日2ー3時間しか寝ないで見張ってたのに風邪をひかせてしまった私のメンタルがブレイク❗️泣く❗️命より大事な産まれたての子が死ぬかもって言う恐怖妄想❗️私のお世話のせいで❗️泣き喚く❗️爆誕産後うつマザー❗️
我が子が死んじゃうのかも…ってことが自分が死ぬより怖くて怖くて、自分がお世話してても怖いし、人のお世話も怖いし、何しても怖くて怖くて涙が止まらなくて、産後1ヶ月でメンクリでお薬処方❗️以後2年半まだメンクリにお世話になって鬱治療中です(既往歴があると長期化する場合もあるらしい)
代わりに夫が一年育休とって、慣れないながらも育児を担ってくれて今では私より育児うまい。
しかも今はまさかの時短社員で育児にコミットしてくれてて、私より育児してる。夫も娘にはかわいいかわいいしてる。ある日数えたら半日で78回くらい言っていた。
娘は宝物、愛、かわいい
でもどうしても疲れやすくて体が動かなくて自己嫌悪がたまらなくなって死にたくなってくる。でも娘を残して死ぬわけにはいかないので、耐えて休み休み生活を送っている。ちなみに端折ったが福祉のサポートも借りている
でも調子がいい日に散歩に行くと、なんのためらいもなく娘のもみじみたいな手が私の手を握ってきたりして幸せになる。寝る前に「ママパパすき…」とつぶやいてくれると笑顔になる。
人生全然思い通りに行かないけど、子が幸せでいてくれたら良いな…と寝顔を見ながら願う。
出産を後悔することもあるけど、でもやっぱり娘以外の娘は考えられないし会えないなんて耐えられない。そんな人生❗️って感じの山あり山ありの5年間を送っていました、早く元気になって一緒にディズニーランドに行きたいなぁ。
みんなも健康には気をつけてね。