
はてなキーワード:入学式とは
最初の発語は、1歳半くらい。
Ball、アルファベットのE、いずれも書かれていた単語をみてそう読んだ。
ずいぶん遅いし、こっちが喋ったののオウム返しじゃなくて看板の文字からってのが変な感じだったが、自分も喋るのが遅かったそうなので気にしなった。
その後進歩がない。数字→アルファベット→ひらがなの順でなんとなくわかってる風だった。
「だ、る、ま、さ、ん、が」と順に指をさしたりしてたので。
2歳半くらいのときに、iPadのパスコードを教えたら、6桁を一発で覚えてしまった。
その後、勝手にiPadを開くようになったので番号を変えたら、何度も失敗されて3日くらいロックされてしまったので、元にもどして自由に使わせるようにした。
キーボードを触らせたら、すぐに配列を覚え、必ずアルファベット24文字を大文字と小文字で打ち、1から10まで数字を打つというルーティーン。
単語として最初に打ったのが、1one2two3three4four5five6sixで、3歳になる手前。
相変わらず、いくつかのアルファベットと英単語の他は喋らない。
しかも、画面や本にむかってつぶやくだけで、対人コミュニケーションはゼロ。
これはと思い受診。児童精神科への3か月おきの通院と児童発達支援センター(以下児発)での療育が始まる。
児発が好きらしく、休日に児発に行こうと脱走を試みて確保される。
確保されても「イィー!」しか言えない。
発達障害は自己肯定感が低くなりがちという言説を聞いたことがあるが、長男は真逆で「自分が絶対的に正しい」というスタンス。
どんなに周りに心配されても叱られても、本人的には「ブツブツうるせー」としか思ってないので、好き勝手行動してしまう。
道順とか一発で覚えてしまうので、道順が違うと騒ぐし、玩具屋のほうに誘導される。
「パパいた」と呟くのを目撃される。ようやく2語文。
弟のことをフルネームで呼んだところを目撃される。
家庭内で苗字をつけてよぶことなんかないのにフルネームってのが長男らしかった。
こっちがかける言葉への反応はずいぶんと良くなったような気がしたが、基本的に、利害が一致したら従う、それ以外は無視というスタンス。
例えば「公園でかけるよ!」と言ったらシュババっと出てくるけど、「ご飯できたよ!」といっても無反応。
当時、オムツを履いてないときはトイレにいけるが、オムツを履いてるとオムツにするという拘りで、トイレさせるためにフルチンで過ごさせていたのだけど、フルチンのときに数字をカウントアップする動画を見ると必ずちんちんをしごいて大きくしてた。どういう条件反射だ。
4歳の頃もそうだったが、5歳のときは物欲の権化だった。これが欲しいとスイッチが入ったら、ガンとして聞き入れない。
どんなに優しく言っても、怒鳴りつけても、叩かれても引かない。
自己肯定感の塊だから、ママに嫌われたら怖いという感情がない。
この時期、会話能力は伸びなかった。
相変わらず、都合がいいときだけ反応するのみ。
しかし、「ちょっと待って」と言われて文字通りちょっとだけ待てるようになった。
本当に「ちょっと」しか待たずに勝手にどっか行ってしまうのでヤバかったけど。
そこはさ、空気読めよって思うんだけど、自閉ってそういうもん。
全く持って、コミュニケーション意欲がない。
Big, Small
Long, Short
Hot,Cold
と対義語を並べて言い続けるだけ。
それと、時々だが「Yes!」と「OK!」と「No!」を言うようになった。数を数えるのは英語だった。
問に答えるっていうことができないからちゃんと調べられなかったけど、ちゃんと位取りもわかってるみたいで、100くらいまで数えられるっぽかった。
「Yes!」と「OK!」と「No!」が板につき、けっこう答えてくれるようになった。
テレビゲームをしながらよく「Yes!Yes!Yes!」と叫んでた。「イィー!」から進歩。
相変わらず対義語を言う遊びはよくやってた。
英語と日本語を並べたり日本語で対義語を並べたりもするようになった。
HotCold
Hot あつい
Cold つめたい
あついつめたい
という感じ。
少しずつ発音もよくなってきたが、トイザらスから力づくで強制退場させるときに「Help! Help me!」と大声で叫ばれていろんな人にこっちを見られて焦った。
シンカリオンとニンテンドーラボを飽きずに何度もバラしては組み立てを繰り返してた。
説明書の文字はそこそこ読めるらしい。たぶん8割図からだろうけども。ミニ四駆も手伝われながらも理解して組み立ててた。
マリオオデッセイ、ピクミン4、スプラトゥーン2(ヒーローモード)を最後までクリアした。
ゲーム内の仕組みをわかってるし、数の概念もだいぶ育った気がする。
座ってられただけで凄いのに初めての「はい」
急に日本語を喋るようになった。
「いくわよー」
「だめよ」
「あかだよ」
という感じで、語尾に「よ」をつけるのは、学校の先生を真似てるからだろうか。ラッパーみたいでかわいい。
親とのコミュニケーションのなかで覚えるんじゃなく、「お勉強」で言葉を覚えるタイプのようだ。
例えば、スーパーマリオ3Dワールドのセーブデータを弟に消されたが、全く怒らなかった。
長男にとっては、どこにグリーンスターがあるかを覚えるのが重要で、セーブデータには興味がないっぽい。
大学受験でバーンアウトする人が多かった時代。今もか。昔はもっと多かったかも。わからないけど。
徹夜で赤本。朝寝て夕方起きて赤本。人と会わずに本だけ読んで、音楽聴いて幸せだった。
受検のときも、ホテルに泊まらせてもらって、誰ともしゃべらずに会場に行って。
東京の大学に行った。アパート借りた。どこでもよかった。1人だったら。家具も揃えて貰った。
入学式。じゃあこれで、と家族と別れた。テレビでセーラームーン見ながら泣いた。
授業が始まるまでの一週間、一言も口をきかずに過ごした。
親が買ってくれたシャンプー。髪に合わなかったのか、一週間で髪の毛がゴッソリ抜けた。
隣の部屋の男の子はすぐに彼女ができたらしい。壁越しに聞こえる。「シャンプー使っていい?」
生きてく術がない。1人で、普通に生きてく術が無い。ずっと受検勉強だった。
よく夜中にコンビニへ行ってた。同じ事をした。弁当とお惣菜と、タバコを買った。はじめてタバコを肺までいれた。これで決まった。
大学が始まった。語学の教室。え、また教室?友だちができるじゃない。いやだなあ。
帰りの電車で「友だち」としゃべる。うーん。
サークル。入った。一つはお酒を飲ませてくれたから、勢いで仲が良い感じにした。
忘れてたけど、この頃まで、人の目を見ることができなかった。
もう一つのサークルは、ダメだった。酔っ払ったセンパイに抱きつかれて、不機嫌なセンパイに八つ当たりされて怖くなった。
とにかく、早く家に帰りたかった。
自分もならった。サークルで2時までだべったら家に帰ってこれを聞いて、後は酒を飲んで寝ていた。
電話が鳴る。
大学受験でバーンアウトする人が多かった時代。今もか。昔はもっと多かったかも。わからないけど。
徹夜で赤本。朝寝て夕方起きて赤本。人と会わずに本だけ読んで、音楽聴いて幸せだった。
受検のときも、ホテルに泊まらせてもらって、誰ともしゃべらずに会場に行って。
東京の大学に行った。アパート借りた。どこでもよかった。1人だったら。家具も揃えて貰った。
入学式。じゃあこれで、と家族と別れた。テレビでセーラームーン見ながら泣いた。
授業が始まるまでの一週間、一言も口をきかずに過ごした。
親が買ってくれたシャンプー。髪に合わなかったのか、一週間で髪の毛がゴッソリ抜けた。
隣の部屋の男の子はすぐに彼女ができたらしい。壁越しに聞こえる。「シャンプー使っていい?」
生きてく術がない。1人で、普通に生きてく術が無い。ずっと受検勉強だった。
よく夜中にコンビニへ行ってた。同じ事をした。弁当とお惣菜と、タバコを買った。はじめてタバコを肺までいれた。これで決まった。
大学が始まった。語学の教室。え、また教室?友だちができるじゃない。いやだなあ。
帰りの電車で「友だち」としゃべる。うーん。
サークル。入った。一つはお酒を飲ませてくれたから、勢いで仲が良い感じにした。
忘れてたけど、この頃まで、人の目を見ることができなかった。
もう一つのサークルは、ダメだった。酔っ払ったセンパイに抱きつかれて、不機嫌なセンパイに八つ当たりされて怖くなった。
とにかく、早く家に帰りたかった。
自分もならった。サークルで2時までだべったら家に帰ってこれを聞いて、後は酒を飲んで寝ていた。
電話が鳴る。
童貞歴17年。弱者男性高校の2年生。趣味はVtuberのスパチャと三国志。髪はベトつき、眼鏡は曇っている。
「下方婚を愛せ」「上を目指すな、下を極めろ」などの名言を残す謎の人物。存在そのものが思想。
私立メンヘラ女子学院の3年生。過去に5回メン地下のセンターをやったが、全部クビ。
「私って……価値、ないよね?」が口癖。メンヘラだが料理はうまい。
講師歴20年、交際歴ゼロ。弱者男性のすべての敗北を知るプロフェッショナル。
春。
そこに集うは、希望も夢も見ない者たち。
壇上に現れたのは、白衣をまとい、口ひげをたくわえた校長・尊師。
そして開口一番、怒鳴る。
生徒たちは混乱した。
下方婚?
「だが、地を這う者には、地を這う者なりの幸せがあるッ!!」
こうして彼らの三年間が始まる。
目標はただ一つ――
「女は“リスク”を取らない!イケメンのダメ男なら許されるが、お前らの“優しさ”は値段ゼロ!!」
「“へぇ〜そうなんだ”を繰り返せ。会話が成立してる気にさせろ!」
「ブサイクでも清潔感があれば戦える? そんなもん幻想だ!!」
「だからこそ逆手に取れ。“俺はブサイク”を武器にして、相手の優越感を刺激しろ!!」
生徒たちはメモを取りながら泣いていた。
「ここまで貶されると、むしろ清々しい……」
合同文化祭「LRG」が始まる。
元キャバ嬢、境界性人格障害、SNS依存、ポエム投稿女子……まさに「属性地雷オールスター」。
第一印象は、最悪。
「なんか……目、死んでない?」
「いや……お前も相当死んでるよな……」
だが、不思議と話は合った。
将来の夢:どちらも“愛された記憶が欲しい”。
ナツキは呟いた。
「私さ、ほんとはずっと……下でもいいから、誰かに必要とされたいって思ってた」
その瞬間、マサヒコの心に雷が落ちた。
だが、すぐに問題が出る。
「え、彼女が全SNSアカウントを消して失踪!? ……あっ、これ地雷の“本気”や……!」
弱者男性たちは悩みながらも動き始めた。
「でも、逆に言えば、地雷を処理できるのは……俺たちだけだ!!」
弱さを知る者が、弱さに寄り添う。
それは、恋ではなく、共依存かもしれない。
だが、マサヒコは言った。
「それでもいい。俺は、誰かの最後の選択肢になれるなら、それでいいんだ」
卒業式の日。
「弱者男性よ!!」
「お前たちは“勝ち組”ではない!! でもな!!」
涙を流しながら、生徒たちは社会へ飛び出していく。
相手のスペックを問わず、自分を受け入れてくれる誰かを求めて。
リングは安物。
でも、彼の声はまっすぐだった。
「俺と、地獄でも一緒にいてくれ」
子どもにiPhoneを持たせないとハブられるとかいじめられる問題について書いてみる。
ウチの子どもは3人、女、女、男。全員中学生になるときにスマホ所持。そして全員Androidでした。理由は夫婦ともにAndroidで、iPhoneだとペアレンタルコントロールができないため。キャリアはIIJmioです。
一人目(女)
やはりiPhoneがほしいという。理由は「みんなiPhoneだから」というありがちなもの。ペアレンタルコントロールの問題を話して、未成年のうちはAndroidにしてほしいと話した。長女は納得して、ファーウェイのスマホを所持。当時同じクラスの子どもたちはiPhone7か8あたり(あの丸いボタンがついてるiPhoneです)を持ってる人が多かったと思う。結果として特に不自由はなかった。ファーウェイは写真がきれいなので、大事な記念写真とかは長女のスマホで撮ることも多かったらしい。
彼女は大学に行って、バイトしてiPhoneを購入したが、社会人になってAndroidに戻った。「iPhoneよりAndroidのほうが使いやすかった」という理由。今はGalaxyの結構いい奴を持っている。
二人目(女)
姉がAndroidだったので自然にAndroid。OPPOのスマホだった。今は高校生で地元の進学校に通っている。入学式のときにみんながエアドロで写真を交換しているのにビビっていたが、彼女のいたグループは彼女に配慮して写真の交換がグループLINEになり、部活は男子が多くそちらの方はAndroidユーザーは結構いたのでハブられることはない。彼女にとっては「みんなと違うものを持つのがいい」らしい。OPPOのスマホを4年使って、今はPixel8aになっている。
三人目(男)
去年スマホを持ったばかりの男子中学生。彼は自分で色々調べてXiaomiを選んだ。自分で選択したので文句を言うことは当然無い。割と男子の間ではAndroidは多いという。
何となく思うのだが、iPhoneを持たないとハブられるのではなく、「iPhoneを持つとハブられる」という不安に怯えているだけじゃないかと思う。確かに女子はiPhoneが多いが、今は男子生徒はそうでもない。子どもたち聞いた限りでは次女だけが「貧乏だからiPhoneを買ってもらえないの?」といったことを言われたらしい。しかしこれは、そんな事を言うことが問題なのであって、だからiPhoneを買ってあげないと可愛そう、という話ではないだろう。
ちなみに私は個人のスマホはAndroidだが、会社からはiPhoneを支給されているので両方使っている。10年前くらいはiPhoneのほうが格段に使いやすかったが、今はAndroidのほうが使いやすいと感じる。
子どもにiPhoneを持たせないとハブられるとかいじめられる問題について書いてみる。
ウチの子どもは3人、女、女、男。全員中学生になるときにスマホ所持。そして全員Androidでした。理由は夫婦ともにAndroidで、iPhoneだとペアレンタルコントロールができないため。キャリアはIIJmioです。
一人目(女)
やはりiPhoneがほしいという。理由は「みんなiPhoneだから」というありがちなもの。ペアレンタルコントロールの問題を話して、未成年のうちはAndroidにしてほしいと話した。長女は納得して、ファーウェイのスマホを所持。当時同じクラスの子どもたちはiPhone7あたりを持ってる人が多かったと思う。結果として特に不自由はなかった。ファーウェイは写真がきれいなので大事な記念写真とかは長女のスマホで撮ることも多かったらしい。
彼女は大学に行って、バイトしてiPhoneを購入したが、社会人になってAndroidに戻った。「iPhoneよりAndroidのほうが使いやすかった」という理由。今はGalaxyの結構いい奴を持っている。
二人目(女)
姉がAndroidだったので自然にAndroid。OPPOのスマホだった。今は高校生で地元の進学校に通っている。入学式のときにみんながエアドロで写真を交換しているのにビビっていたが、彼女のいたグループは彼女に配慮して写真の交換がグループLINEになり、部活は男子が多くそちらの方はAndroidユーザーは結構いたのでハブられることはない。彼女にとっては「みんなと違うものを持つのがいい」らしい。OPPOのスマホを4年使って、今はPixel8aになっている。
三人目(男)
去年スマホを持ったばかりの男子中学生。彼は自分で色々調べてXiaomiを選んだ。自分で選択したので文句を言うことは当然無い。割と男子の間ではAndroidは多いという。
何となく思うのだが、iPhoneを持たないとハブられるのではなく、「iPhoneを持つとハブられる」という不安に怯えているだけじゃないかと思う。確かに女子はiPhoneが多いが、今は男子生徒はそうでもない。子どもたち聞いた限りでは次女だけが「貧乏だからiPhoneを買ってもらえないの?」といったことを言われたらしい。しかしこれは、そんな事を言うことが問題なのであって、だからiPhoneを買ってあげないと可愛そう、という話ではないだろう。
ちなみに私は個人のスマホはAndroidだが、会社からはiPhoneを支給されているので両方使っている。10年前くらいはiPhoneのほうが格段に使いやすかったが、今はAndroidのほうが使いやすいと感じる。
ーーーーーー追記ーーーーーー
朝起きたら随分ブクマが伸びていた。びっくり。
いろいろ言いたいことはあるが、少しだけ。娘たちのスマホが中華ブランドであることを小馬鹿にするコメントがいくつかあったが、君たちが大事にしているiPhoneは中国製であり、アップルは中国の技術とサプライチェーンに深く依存している会社だと知らないのだろうか。
また、高くてもiPhoneくらい買ってやれよというコメントもあるが、Androidにしたのは安いからではなくペアレンタルコントロールの問題。実際長女のときにはiPhoneもAndroidも価格はそう変わらなかった。これは、Androidを買う人は貧乏人という無意識の差別心なんだろう。
さて、私は今やサイタマに住んでいるが、高校生までは関西の南の方の地方都市に住んでいた。そこは人権教育が盛んなところで、「差別されるのが嫌だから差別する側に回る」という考えが、どれほど差別を助長するのかを徹底して教えられていたのだな。これは自分の中に今も染み付いている。大事なのは自分が差別されないことではなく、「差別をやめよう」と声を上げることだと。
同調圧力で高価なスマートホンを持ち、それを持てない人が暗に見下されたりハブられたりするのを見て、そうなりたくないなら「持つ人達」の中に入ったほうがいいと勧める。そしてその考え方を「善意」だと考え「差別」だと気づかない。これは、まずいことなんですよ。君たちは本当に経済的事情でiPhoneを持てない子どもがいても、そういう態度を許すのですか。
少し考え直した方が良いですよ、あなた方のその「善意な差別心」が、あらゆる差別の根本にあるってことを。
Permalink |記事への反応(23) | 20:11
「君が代」は正式な国歌ではなかったが、実質的な国歌として扱われていた。
学校教育、軍隊行事、儀式、国際大会(オリンピックなど)で演奏・斉唱された。
昭和11年(1936年)に文部大臣・平生釟三郎が、歌詞の意味を理解していない子どもが多いことに気づき、小学校教科書に掲載を指示。
教科書には「君が代」の意味を明記:「天皇陛下の万歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります」
「君が代」は「天皇の治世の永続」を祈念する歌として、国民的義務感を伴って歌われるようになる。
学校では「教育勅語」「修身」とともに重視され、起立・礼と共に斉唱される。
併せて「海行かば」や「紀元節の歌」なども準国歌的に使われた。
終戦後、GHQ(連合国軍最高司令部)は「君が代」斉唱を一時禁止(特に初期には日の丸掲揚も制限)。
昭和21年(1946年)11月3日、日本国憲法公布記念式典では例外的に「君が代」が斉唱された(昭和天皇・香淳皇后が出席)。
昭和22年(1947年)憲法施行記念式典では「君が代」が演奏されず、代わりに新国民歌「われらの日本」などが使用。
当時は「君が代」が旧体制の象徴とされ、GHQや日本国内の一部では批判的な見解があった。
しかし、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に開催された憲法施行記念式典では「君が代」でなく憲法普及会が選定した国民歌「われらの日本」(作詞・土岐善麿、作曲・信時潔)が代用曲として演奏され、天皇還御の際には「星条旗よ永遠なれ」が演奏された[46]。「君が代」の歌詞について、第二次世界大戦前に「国体」と呼ばれた天皇を中心とした体制を賛えたものとも解釈できることから、一部の国民から国歌にはふさわしくないとする主張がなされた。たとえば読売新聞は1948年(昭和23年)1月25日の社説において、「これまで儀式に唄ったというよりむしろ唄わせられた歌というものは、国家主義的な自己賛美や、神聖化された旧思想を内容にしているため、自然な心の迸りとして唄えない」とした上で「新国歌が作られなくてはならない」と主張した[47]。
また、「君が代」に代わるものとして、1946年、毎日新聞社が文部省の後援と日本放送協会の協賛を受けて募集・制作した新憲法公布記念国民歌「新日本の歌」(土井一郎作詞、福沢真人作曲)がつくられ、1948年(昭和23年)には朝日新聞社と民主政治教育連盟が日本放送協会の後援を受けて募集・制作した国民愛唱の歌「こゝろの青空」(阿部勇作詞、東辰三作曲)がつくられた。前者は日本コロムビアより、後者は日本ビクターより、それぞれレコード化されるなどして普及が図られた[46]。1951年1月、日本教職員組合(日教組)が「君が代」に代わる「新国歌」として公募・選定した国民歌として「緑の山河」(原泰子作詞、小杉誠治作曲)もつくられた。しかし、1951年(昭和26年)9月のサンフランシスコ平和条約以降は、礼式の際などに、再び「君が代」が国歌に準じて演奏されることが多くなった
サンフランシスコ講和条約(1951年)によって主権回復後、公式行事で「君が代」が再び演奏されるように。
法的根拠はないが、「事実上の国歌」として扱われる慣習が確立。
ただし、特に教育現場では教職員組合(日教組)などが反発し、「起立・斉唱を強制するな」との議論が起きる。
1950年代には日教組が新国歌の公募を行い、「緑の山河」などが制作される(普及は限定的)。
一部の学校で「不起立運動」や「歌わない自由」を主張する教職員と教育委員会の間で摩擦が激化。
国旗国歌法(正式名:「国旗及び国歌に関する法律」)が制定。
「気丈にふるまっていたけど,あの人自殺したよね」「あいつ死ぬ死ぬ言ってる割に全然死なねーじゃん」
30代になる程度には年を重ねると,一度や二度とは言わずにこういったことを経験することもあるのではないだろうか.
では,この人たちの思考の境界線,自殺へ発展するか否か,はどこにあるのだろうか.
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僕は双極性障害とADHDとASD(共に診断済み)を持っていて,精神手帳2級と障害基礎年金2級を持ってる,博士課程(理系)の学生だ.
(おそらくASD傾向が強くて)自身の思考を内省したり,薬を調節して自身の人体実験をするのが結構好きである.
希死念慮が強いときも結構あり,死にそうになるたびに「今日も自殺願望湧いてて草,頓服飲むか~死にてー.殺してくれないかなぁ」などと思っていたりツイートしたりする.春になり,暖かくなり,生物の活動が活発になるほど,自分のことを惨めに感じ,死にたくなる.
そんな僕が最近"自殺の境界線を越えたな"と感じる場面が,先週うつ転して以来,多々あるので,死ぬ前に見えるところに日記を残そうと思い筆をとった.
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普段の思考はいわゆる一般人と変わらないであろう,と思ってる.それなりに勉強できるし,友人とのやり取りやツイッターなども楽しめる.たまには知り合いとディスコードで雑談したり,Youtubeの面白い動画をみて笑ったりできる.正直,そこには障害も何もない.神経多様性も何も感じない,普通の人生.
お薬を飲んで,早めに休憩を取って,適切なタイミングで頓服を取れば,皆と同じように博士課程も進めることが出来るだろう.ドクター後の研究者人生は大変なのかなぁなどとぼんやり考えていた.
実際,ここ2ヵ月,修論発表や博士課程入試後,は気分がよかった.簿記を勉強してみたり,専門科目の勉強をすすめたり,研究会に行ってみたりと落ち着いた生活を送っていた.
だが,春になり入学式のシーズンが始まると,やけに思考の歯車が狂ってくるのを感じる.うつ転した.
双極性障害やうつ病といった気分障害というものを知らない方たちに説明するが,気分の落ち込み,即ち抑うつ気分は病的なものであり,希死念慮や自殺企図といったものもある種病的な自然発生の仕方で,脳内で発生し,循環する.
そのたびに,僕は「このような思考障害はドーパミン系の回路を含む脳の血流の問題であるだろう*」とか,「思考制止が表れてるか判断する方法はないのか」などといった,片手間で眺めていた精神医学の本の知識を思い出す.
(注*直接は書いてないが,電気けいれん療法などがうつに聞くということから,脳の回路の循環をとめ,血流をよくすると治療抵抗性のうつなどがある程度寛解するのではと考えている.精神医からすると違うかもしれないが.)
とにかく,自殺願望は自然現象であり,止める手段といえば頓服(抗精神病薬)を飲み,休憩することで少しは改善するが,基本的に避けようがないものである.
では,このような自殺願望が止められないというようになったらどうするべきか,それは入院である.
入院して,テレビや数年前の雑誌,かるたやオセロといった制限された娯楽しかない場所に行き,2-3か月療養することである程度は回復する.死ぬといって暴れれば,保護室(ベッド以外何もない部屋,持ち込み禁止で水を飲むか思考するかしかできない)へ送られる.そんな人生.
もちろん,一度入院した身としては思考の歯車が狂い,希死念慮を唐突に感じるようになったとて,数週間も入院はしたくない.その思いが強く,うつ転し,希死念慮を鋭く感じて手元にあった薬でODして吊るか悩んだあの夜は乗り越えた.
そう,希死念慮から見ると自殺企図はすぐそこにあるのだ.手段を考え,行動に移すかはほとんど希死念慮を感じ取っているときから始まっているといっても過言ではない.少し大げさだが,高学歴の大学を出て,修士課程まで専門分野をある程度修めて,博士課程でやっていこうとする人間が言う位である.こんな僕でも,この瞬間は大真面目に自殺を一時間位考えていた.あの瞬間に,決意のようなものが漲っていたならば,今この場には居ないと思う.
一度目の入院以降,ヘルパーさんといった家事のお手伝いの人や,訪問看護師が週3回入って傾聴してくれていて,二週間に一回は必ず病院に継続的にここ4年程通っているという状況だ.病気の人ならこれ以上努力すべきところはないといってもいい.なのに自殺願望は訪れる.うつ転,抑うつ気分,希死念慮は避けられない.
普段はナイーブなことなど微塵も考えてない.面白いコンテンツに触れることが出来るし,みんなも普通に会話してくれる.なのに唐突に死にたくなって仕方がなくなる.自分の価値を否定して,自らの生を否定する.
まずは自分の死にたさがどこからどの程度来るのかを観察しよう.うつ病ならうつ病の薬を貰い,適応障害なら職場からいったん離れよう.自分を否定し殺そうとする職場なんていても意味がない.好きな職場なら,少し回復を待ってからでもいいではないか.僕も指導教官から少し見放されてはいるが,回復という名目で少し距離を置いていいと思う.見放される原因は一過性のストレス障害である,適応障害だった.
今死にたがってる人を見かけてるみんな,生存戦略しましょうか.
青年期なら,青年期特有の心の動きというものがある.死にたくなったり突然幻覚幻聴といった一過性の精神病の症状がでることだってある.その子も,一つ一つの自殺願望を乗り越えれば,一歩ずつ大人になれる.大人になると,発達障害を含むいろんな障害が少し和らぐ.対人関係の距離感というものがあるが,仲良いなら仲いいほど良い距離感でいてあげればいい.対人関係という網は自殺からその子をある程度守ってくれる.
既に病気を持っている人なら,落ち着いて入院セットを整えよう.次に自殺願望がわいた時が最後かもしれない.
自殺というのは,現代社会において1,2位を争うほどの死因であるところの,「病気」である.その病気は最善を尽くしても避けられない場面は多い.対人関係などのバックグラウンドがあるとその病気を改善しないにしても守ってくれる.みんなも自分の身や大切な他人の身を守ってほしい.「死にたい」のすぐ先に「死」がいつでも待っている.