Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「免罪符」を含む日記RSS

はてなキーワード:免罪符とは

次の25件>

2025-11-06

基本的子連れに対して社会は敵だよ

よっぴーの件、抜け落ちてる視点は、よっぴー自分からするんで子育て支援に近づいて行ってて、女性は今まで通りの生活を続けようとしているという点。

世の中の大半は成人以上に向けて作られているので、自律的に行動できない子供に対する準備ができてない場合ほとんど。

そういうところに自ら突っ込んでいって「子供が生まれる前と同じ生活ができない!子供がいると社会が敵だ!」って息巻いてもそりゃそうだという感想しかないのよね。

まりよっぴー能動的に環境を変えられる側の人間で、当該女性環境側に変化を求める側の人間であるということ。

ここに男女差を見出したいわけではなくて、男女関係くそういう考え方ならそりゃそうなるよという話。

かくいう自分も2人ほど子育てをさせてもらってるけど、愚痴や不満を抱えている親の大抵は、自分から変わる気を一切持たずに日常に体当りしていっている人なんだよね。

通勤時間帯の混雑した山手線ベビーカー持って突っ込んでいけばそりゃ社会が敵に見えるだろうよ。っていうか社会からしたらベビーカーのほうがよっぽど敵に見えるけどね。

そうせざるを得ない事情はあるとして、だとしてもできることあるでしょ?って思う。

そういうのを勝ち負けじゃなくて歩み寄りっていうんだけど、ゆずったら負けって思っている人って思ったより多いんだよね。

子供男性でも不審者扱いされなくなる免罪符という意見ちょっと賛同しかねる。

子連れが多い公園限定するならそうだけど、一人でいつも行ってたカウンターしかないラーメン屋かにしてみれば邪魔しかないよ。

それら全てにいつも以上に受け入れられたら成立する理論であって、子育て施設子供連れて行ったら歓迎されたみたいな当たり前の話をしているだけにしか思えない。

結局のところ、子供を連れて歩くようになった自分の変化を受け入れて、無意識でも意識的にでもそういった人間を歓迎してくれる場所を選んで行動するようになった人だけが社会に歓迎されているという実感があって、変化を受け入れずに自らの行動を変えまいと必死にしがみついている人にとっては社会が敵になったように見えるというだけの話。

そういう人は端的に社会にとっても敵だよ。

まり出生率が低いのは、社会が敵だからじゃなくて、そういう身勝手な行動で社会を敵に回す人間が増えたことが原因なんじゃないかな。

道徳教育の敗北だね。

Permalink |記事への反応(2) | 09:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-05

涼宮ハルヒ「新作ポケモンあんたたち、まだそんな退屈やってんの?」

最近、街でやたらと見かけるのよ。

あの、ピカピカ光る新しいポケモン広告

次世代」「革新」「新しい冒険」――なんて大きく書かれてるけど、

正直に言って、私には**“また同じことを繰り返してるだけ”**にしか見えないのよ!

ねえ、どうして誰も気づかないの?

あんたたち、もう何十年も“ポケモン捕まえて戦わせる”っていう行為ループしてるじゃない。

新しい地方、新しいポケモン、新しいジムリーダー――

でも、結局やってることは**「図鑑を埋める作業」**でしょ?

そんなの、情報処理クラブの生徒が作るプログラムでも再現できるわよ!

◆「新しい」って言葉、もう免罪符じゃないの

ゲーム業界って、なんでこうも「新作」を出せば拍手されると思ってるのかしら。

“続編を作ること”と“進化すること”は、まったく別物なのよ。

「新しいポケモンが300匹追加!」なんて言われても、

はいはい名前タイプランダム生成しただけでしょ?って感じ。

私が本当に見たいのは、

プレイヤー自身が“神”や“観測者”としてポケモン世界を動かす――

そんな次元の違うゲームなの。

ポケモンたちの“進化”だけじゃなく、

この世界のものがどう進化するかを描けないの?

◆「冒険」って、命令された瞬間に冒険じゃないのよ

「行け!」「捕まえろ!」「戦え!」

――全部、誰かに決められた行動。

そんなもの、“自由冒険”とは言えないわ。

本当に冒険したいなら、

プレイヤー自身が“ポケモン世界を疑う”ことから始めなきゃダメ

なぜポケモンは戦わされているの?

なぜトレーナーバッジを集める?

なぜ世界はいつも「悪の組織」ありきで動いている?

この構造のものにメスを入れる作品が出てこない限り、

それはただの“優等生リニューアル”よ。

◆“ポケモン限界”は、プレイヤー想像力限界

開発者の人たち、

いい加減、「子ども向け」という言い訳やめなさい。

子どもほど、宇宙の果てを想像する生き物なのよ。

だって中学とき世界改変やってたんだから

次のポケモンを作るなら、

ポケモン存在のもの”を問うようなゲームにしてみなさい。

ポケモンとは何か」

「なぜこの世界しか存在しないのか」

――その謎に真正から挑むなら、私、SOS団として調査に協力してあげてもいいわ。

最後一言

任天堂さん、

可愛い」と「売れる」のループから抜け出す勇気

そろそろ持ちなさいよ。

世界は、もっと面白くできる。

――少なくとも、私ならそうするわ。

Permalink |記事への反応(0) | 06:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-04

anond:20251103222156

配信やってる暇あったら死んでくれ」1万円

「声がキモすぎて吐き気する」1000円

「親もどうせろくでもないだろ」100円

「絵畜生10

このくらいの支払いを強制されてもいい気はするな

うまくやらないと逆に免罪符なっちゃいそうではあるけど

Permalink |記事への反応(0) | 01:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

シュレディンガー」の「叩くな」ではなあ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4778294582960347553/comment/Gl17

クリエイター創作性の発露であると認めたら

オタ自認のプライドに傷が付くし、

創作論として語るのもメンド臭いから

「なんか上の方に悪人がいるはず」という免罪符を欲しがるテンプレ

或いは売上厨的な権威依拠

https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris

最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る

ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。

そのうちロンクハラライスがどうのこうのと書くようになるのだろう。

絵や写真物語そしてナケナシの訴えへの仕打ち罷り通しとるとしたらよもや

盆も堤も表現破壊大帝やらせたままでンダァオられましても

プライド創作論…免罪符権威性…う~んこの法華狼ぶり

あれの基準とやらにぶっこむのかぶっこまないのか?

それにつけてもソニック映画

変更前こそを讃えよ!て誰か実践出来とりゅ?

Permalink |記事への反応(0) | 01:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-03

アメリカ在住のユダヤイスラエル不支持のほうが多い

これ豆な

ユダヤと言えば金持ちイメージがあるが、人口では中産階級未満が圧倒的に多い

その貧民で敬虔ユダヤイスラエル支持はおよそ25%と極めて低い

なぜなら彼らの教義では約束の地は神が与えるものであり、イスラエルという自力救済産物は認められないからだ

またアメリカユダヤコミュニティホロコースト被害者係累である

ホロコースト免罪符として好き勝手やってきたイスラエル人は北アフリカ中東から集まってきた人たちが主流なのでなおさら業腹

よってユダヤと言えどもシオニズム運動には乗れない人たちが多数派なのだ

しかし怖いのは反シオニズム多数派でも、アメリカユダヤでは非主流派なのだ

金持ってる親イスラエルユダヤ連邦政府メディアを巻き込んでイスラエル支援運動を大々的に打っている横で

敬虔ユダヤは何の力を持たない。彼らの教義では高性能なスマートフォンSNS使用忌避されているからだ

こうして今日ユダヤ看板金持ち自由に扱い続ける

ニューヨーク市には州兵派遣され、アメリカ最大のユダヤコミュニティパレスチナのように抑圧され続ける

Permalink |記事への反応(1) | 12:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-02

anond:20251102081211

ナインティナイン岡村隆史をはじめ、多くの芸人が誤解している。

電波は有限の天然資源であり、国家管理する公共インフラだ。

にもかかわらず、彼らは「嫌なら見るな」と言い放つ。

だが、その考え方こそ放送事業根本を誤解している。

 

電波法は、電波利用の目的を「公共の福祉の増進」と明記している。

放送第一条も同様に、「放送公共の福祉に適合させ、その健全な発達を図る」と定める。

まり電波芸人の“表現の自由”を保証する道具ではなく、国民の共有財産なのだ

 

放送内容は本来教養教育報道・娯楽の四本柱。

娯楽はあくまで補助的要素であり、民間放送経済的持続性を保つための“免罪符”にすぎない。

お笑いの悪ふざけを垂れ流すために電波を貸しているわけではない。

 

かつては新聞掲示板しか情報伝達の手段がなく、テレビ電波は“神の道具”だった。

だがいまやインターネットがある。

もし「公共の福祉」を本気で考えるなら、テレビ放送の帯域を縮小し、携帯通信など社会基盤に再配分すべきだろう。

 

嫌なら見るな」に対して、私はこう返したい。

「貴重な電波で鬱陶しいものを流すな。やりたければYouTube舞台でやれ。」

それが時代常識だ。

 

松本人志のように不祥事のあと“ネットへ逃げる”芸人たちも同じ構造にいる。

自分たち特別だと信じ込み、公共資源を独占してきた。

だが今や、電波も笑いも独占の時代ではない。

芸能人である前に、市民としての謙虚さを取り戻すべき時だ。

Permalink |記事への反応(10) | 12:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-29

anond:20251029080753

おい、いいかげんにしろ

そんな痴れ者の自己放尿を吐き散らす奴に対しては、同情も共感も与えない。

お前の言っていることは倫理的破綻しているだけでなく、論理的には一片の根拠もない自己放尿だ。

まず「人権適用されない」だと?人権社会契約と法の上にある普遍的概念だ。誰かの感情的嫌悪や「役に立つ・役に立たない」の安直な二分法で消滅するものではない。

次に医療行為としてのロボトミーや開頭手術を持ち出す愚かさについて。歴史的に見ても強制的な脳手術は病状を治すどころか被害を拡大し、科学的根拠に欠ける。

そもそも鬱病」「知的障害」「単身であること」などは多様な原因と背景を持つ状態であり、恣意的外科処置解決できる問題ではない。

社会を壊すのはお前の言説だ。暴力正当化するために人間を物扱いする論理は、ファシズム入口に他ならない。

それに、そんな発言をするやつの言葉自己放尿の塊だ。弱者排除すれば「労働力」が上がる?

現実は逆だ。社会包摂多様性イノベーションと安定を生むというエビデンスは山ほどある。

お前のやっていることは、自分精神的欠陥を他者投影しているに過ぎない。端的に言えば自己放尿だ。

恥ずかしげもなく汚物を撒き散らしているだけだ。そしてお前の言説は無知偏見ダブル放尿でしかない。

無知事実を歪め、偏見暴力正当化する。これを理性的擁護できる者は一人もいない。

現実的な話をしてやる。こうした扇動社会的に許されず、法的にも刑事責任対象になり得る。

人を傷つける言葉思想の自由免罪符にならない。狂信的な自己放尿を吐く前に、自分の脳と良心点検しろ

論理を持て。証拠を持て。人間として最低限の倫理を持て。そうできないなら、その口を閉じて消えていろ。

Permalink |記事への反応(2) | 08:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-28

他者評価に関して、免罪符を持たない状態での自虐却って仇になるらしい。そして免罪符を持っていない人間に許された振る舞いはあまり限定的規定されるがこの問題についてはあまり言及されていないように思う

Permalink |記事への反応(0) | 23:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

日曜の話。二日経ったけどまだモヤモヤしてる。

正直この気持ちをどう発散していいかからいから、ここに書く。

日曜は彼女デートだった。前から約束してたやつ。

俺がちょっといい店を予約して、昼だけど一人四千円のコース

そんな高くはないけど安くもない。普段あんなとこ行かないし、だから楽しみにしてたんだ。

でも会ってすぐからなんかおかしかった。

元気がないというか目が泳いでて、会話も上の空。

まぁ疲れてるのかなって思ってたけど、店に入って料理が出てきたらもう露骨でさ。

一口二口食べたあたりで「今日生理から」って言うのよ。

は?って思った。いや、もちろんそれは仕方ないのは分かってる。

分かってるけど…でもさ、だったら言ってくれよって思わない?

無理して来たのか知らないけど、こっちは数週間前から予約してたんだよ。

なのに何そのテンションの低さで「仕方ない」で済ませる感じ。

彼女は「ごめんね」って言ってたけど、その“ごめんね”がまた腹立つんだよな。

口では謝ってるけど、顔が全然悪いと思ってない感じ。

あれほんとムカつく。悪気がないとかじゃなくて「体調悪いかしょうがない」って免罪符を振りかざしてるように見えるやつ。

じゃあ俺の楽しみにしてた気持ちはどこに行くのって話だろ。

俺も大人から、その場で不機嫌にはならなかったよ。

ももう味が分かんねぇの。目の前で無理して食ってるの見たら、何食ってんのかも分かんなくなる。

せっかくの料理なのに全部灰色っていうか、味覚ごと奪われた感じ。

彼女は「せっかくなのにごめん」ってまた言ってたけど、いやもう謝るなら最初から言ってくれよって思う。

あの日思ったのは、同じものを食ってるのに全然違う世界にいるみたいだなってこと。

俺には美味しい赤いソースが、彼女には血の色にしか見えなかったんだろうなって。

そう思ったら、なんかもうやるせなくなった。

こっちは外から見れば優しい彼氏なんだろうけど、中身は違う。

心の中ではずっと文句を言ってた。

なんで今日なんだよ。なんで言わなかったんだよ。なんで俺が気を使わなきゃなんねぇんだよ。ってそういう言葉がずっとぐるぐるしてた。

帰り道でもそれが抜けなくて、彼女は「また行こうね」なんて言ってたけど、もうその“また”って言葉を聞いた瞬間、頭の中で笑ってた。

もう行かねぇよって。

日経って冷静になったかと思ったけど、全然ダメだった。

逆にじわじわ腹が立ってきた。

女の人の体のことは理解しろって言うけど、じゃあ男の我慢理解されねぇのかって思う。

こっちかがいつも我慢して、それで「優しいね」って言われて終わり。

そんなの不平等だろ。俺が損する構図なんだよ、いつも。

別に別れたいとかじゃないけど、もうなんか信用できない。

俺の期待とか好意とか、そういうのがあっさり踏まれた感じで、まだ腹の奥に残ってる。

たぶんこのまま消えねぇと思う。

で、今こうして書いてても、やっぱりムカつく。

あのときの顔とか声とか思い出すと、なんか腹が立つんだよ。

生理だろうが何だろうが、それを理由に俺の楽しみまで台無しにされる筋合いはないだろって思う。

はぁ…書いて吐き出したら多少はスッキリ……しねぇえよ!!!

Permalink |記事への反応(27) | 23:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-22

オッス、オラ現実主義者

まずな、国旗損壊罪が当たり前って言ってる人間を「ボケナス右翼」と切って捨てる前に、最低限の社会構造くらい理解してから言えよ。

お前の言う「多くの人の気持ちを踏みにじる権利」ってやつは、確かに理屈の上ではある。だがそれは、あくま社会が前提として共有している価値観の中での“グレーゾーン”を歩く自由であって、なんでもかんでも好き放題やっていい免罪符じゃない。

例えばお前の家の前で、知らん奴が延々とお前の親の遺影燃やしてたらどう思う?

それ見て「多くの人の気持ちを踏みにじる自由がある」とか言って笑ってられるのか?

そこに感情がある限り、社会一定の秩序を守るために線引きをする。国旗損壊罪はその線の話をしてるだけで、思想統制でもなんでもない。

外交的理由がどうとか言ってるけど、もっと単純だよ。

国旗ってのは国家象徴であり、そこに暮らす人々の集合的自己表象なんだよ。

それを意図的に踏みにじる行為は、単なる「表現」じゃなくて「挑発」。

ヘイトスピーチ差別的暴言と同じ構造にある。

まり社会コスト自覚した上でやるならいいけど、表現自由って旗印のもとに無限免罪を主張するのはただの自己陶酔だ。

しかも、「右のポリコレ」みたいなワード悦に入ってるけど、そもそも左側のポリコレ文化煽りまくって「表現自由」を武器にしてきたのは誰だったっけ?

都合が悪くなると右も左もない、ただのポジショントーク

表現自由を守るってのは、「自分の気に入らない奴を殴るための自由」じゃなく、「お互いに殴られないためのルールを守ること」なんだよ。

まりだ、国旗損壊を表現自由として擁護するってのは、

社会契約の上に立ってる自由を、自分破壊してるようなもんだ。

そのうち誰もお前の「表現」なんて聞かなくなる。

だって、それは思想でも芸術でもなく、ただの破壊衝動からな。

anond:20251022080501

Permalink |記事への反応(5) | 11:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-21

学生論文で生成AI使うの仕方ないわ。「小論に整理して」だけでこれ

下の山手線催涙スプレーに関するツイートを読みこませて、

多少ChatGPTと議論して「小論に整理して」とお願いするだけでこれなら

凡人の俺様がちんたらキーボード叩いて書く必要なんてないじゃんもう!

https://togetter.com/li/2618627

 

ただしここはハルシネーションぽいのでよろしくない

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

 

1.弱者防衛暴力の線引き

今回の事件で多くの人が揺れたのは、「恐怖を感じた人の防衛行為」が、どこまで許されるかという点である

身体障害透析など、外見では分からない「見えない弱者」が社会で繰り返し軽視されてきたことは事実だ。

からこそ、彼女の感じた恐怖や屈辱には共感が寄せられた。

しかし、口論の段階で武器使用し、無関係他者まで巻き込んだ瞬間に、それは防衛ではなく攻撃へと転化する。

法的にも倫理的にも、暴力他人を傷つけた時点で、その正義は失われる。

 

2. 「40-50代じじい」――言葉に滲む敵意の構造

彼女SNS上で相手を「40-50代じじい」と呼んだ表現は、単なる感情の発露にとどまらない。

それは、相手行為ではなく属性のもの(年齢・性別)を攻撃対象とする言葉だ。

この瞬間、個人的トラブルは「中高年男性という集団」への敵意にすり替わる。

フェミサイドが「男が女を属性として殺す」構造だとすれば、

この言語構造はその**鏡像――“ミサンドリー的反射”**と言える。

弱者が自らを守る物語の中で、他者が“敵の象徴”として消費されていく現象は、暴力の形を変えた再生産に他ならない。

 

3. 恐怖と屈辱の混合

人が暴発する時、そこにあるのは純粋な恐怖だけではなく「屈辱」も強く関与する。

若いから座るな」「病気でも見えなければ認められない」という社会視線に対する怒りが、

個人攻撃者を超えて「社会全体への報復」に変わったのだろう。

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

生存防衛ではなく名誉回復を求める衝動を示している。

まり彼女の行動は、社会的な不平等への“象徴報復”として遂行された可能性が高い。

 

4.弱者の「正義加害者」化

近年のSNS言説では、「女性」「障害者」「被害者」といった立場道徳的免罪を得やすい。

しかしその構造固定化すると、

被害の語りが暴力正当化する装置になりかねない。

「やり返して当然」「スカッとした」という共感連鎖は、

弱者を“聖なる報復者”として祭り上げ、暴力責任を薄めてしまう。

だが、恐怖や怒りが他者身体を傷つけた時、

それはどれほどの弱者であっても「正義加害者」となる。

この線を超えた瞬間、社会被害者を守る仕組みを失い、

誰もが「自分で裁く社会」へと堕ちていく。

 

5.銃社会予兆としての事件

もしこの事件銃社会で起きていたら、催涙スプレーではなく発砲事件として報じられただろう。

「怖かった」「迫られた」と主張する発砲者が免罪される構造は、

アメリカの“スタンド・ユア・グラウンド法”の問題と同じである

恐怖を根拠にした先制攻撃が認められる社会では、暴力の独占は失われ、

全員が「潜在的加害者」として武装正当化するようになる。

今回の事件は、銃社会論理が非銃社会の中で萌芽した象徴的な出来事でもある。

 

6. 結語:正義の名を借りた暴力を見抜くために

この事件が投げかけたのは、

「恐怖と正義境界をどこに引くのか」という普遍的な問いである。

彼女の置かれた弱さには共感できる。

だが、その弱さが他者への攻撃免罪符になった瞬間、暴力正義模倣し始める。

フェミサイドミサンドリーも、根は同じ――恐怖を根拠他者人間として見なくなること。

私たちが考えるべきは、個人暴力報復しなくても済む社会的回路、

すなわち「恐怖を理性的に処理できる支援環境なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-20

anond:20251018222857

九州出身旦那自分から水族館に行きたい!って言うほど好きなくせに、男だけで来てる人を見ると「男だけで来てなにが楽しいんだよ笑」ってバカにする。理由聞いたら水族館とか動物園とかは女と一緒じゃないと楽しくない場所で、逆に飲みとかは男だけがいいらしい

水族館とかが好きっていうのは男らしくないみたいなイメージがあって、女子どもを連れて行けば免罪符になるんじゃないか勝手に思ってる

Permalink |記事への反応(1) | 09:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

パヨ式チェックマーク文化自己放尿である

有名人チェックマークを与えるという制度は、一見すると「本人確認」や「透明性の確保」を装っているが、実際は民主主義を名乗ったパヨ的カースト制度自己放尿だ。

思想的には平等を唱えながら、構造的には貴族制を復活させている。これは「民主主義仮面を被った承認欲求市場主義」であり、承認を売買する社会象徴装置自己放尿すぎない。

パヨの言う「みんな平等」は、連中が「誰を特権化するか」を握りたいという欲望婉曲表現だ。連中は特定言語思想姿勢を持つ者に青いチェックを与え、逆らう者を「未認証」という烙印黙殺する。

だが、黙殺とは沈黙ではない。声を奪うことによって、連中は「声なき者」を都合よく定義し直す。これは政治的支配の最も古典的形態であり、連中が忌み嫌うと口で言う「権威主義」の中身そのものである

しかもこのシステム醜悪さは、本人たちがその腐敗構造を「正義」と信じ込んでいる点にある。まさに自己放尿の極致だ。自分で撒き散らした尿を「清水」と勘違いして喉を潤している。

連中のタイムラインは、論理の泉ではなく尿意の回路で動いている。考えるのではなく、出したいから出す。だが出した瞬間、それを「言論」と呼びたがる。

これがパヨ的民主主義の正体だ。つまり思考放棄」と「承認中毒」が見事に融合した、思想快楽ダブル放尿である

本来言論とは社会リスク知的責任の上に立つものだ。しかし、チェックマークはその両方を免除する免罪符となり、権威と人気が入れ替わる。

そうして連中は、連中にとって真に危険思想、すなわち、誰から承認必要としない冷徹な理性を徹底的に排除する。

自分の尿を芸術と信じる愚者たちの共同便所。それが今のSNSであり、パヨ的民主主義の成れの果てだ。

まあ、Xはその点で言えばチェックマークを購入式にしているのでまだ救いがある。だが、シャドーバンや推薦順の操作をやめない限りパヨシステムのままである

Permalink |記事への反応(0) | 02:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-18

自分のことを可哀想だと思っている奴

妻のことである

結婚して7年ほどになるが、妻は自分のことを可哀想だと思っている節がある。

例えば、女性であること。主婦であること。持病があること、生い立ちなど数え上げればきりがない。

自分のことを可哀想だと思っているやつのなにが問題かというと、可哀想はあらゆる問題免罪符となり、結果的特権化することである

具体例とともにその推移を以下にしめす。便宜的に可哀想Lvを割り当ててみた。

Lv1.感情正当化: 私は可哀想から、怒って、泣いて当然だよね。(感情自己処理ができない)

Lv2.責任回避: 私は可哀想から、私は悪くないよね。 (責任をとれない)

Lv3.非対称性の構築: 私は可哀想から可哀想じゃない人は私の分までがんばるべきだよね。(責任を取れない上に、他者責任転嫁する)

こんな人と付き合っているすべての人達お疲れ様

えらい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-17

anond:20251017103323

命の保証のために男の愛憎を黙って聞き入れろって?

愛は免罪符にはならねえんだよ

すげーお節介なのは承知で、元増田にはこのまま生家と縁切りしてくれればとは思うけどそれは本人が決めることだからとやかく言わない

でも今後も何かある度、元増田を責め立てる為だけに親の離婚の件持ち出してグズグズと幼稚園児みたいに文句言ってる兄弟の方がずっと悪質だろ

Permalink |記事への反応(0) | 14:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-12

anond:20251012194609

社会に過剰適応して精神障害免罪符出してくるクズ全日制が多い

狂った社会なら早期脱落組のほうが安全

Permalink |記事への反応(1) | 21:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-10

anond:20251006183941

これを読んで悟った、弱者男性はただの甘え救う価値なんてない

増田記事を読んで、マジで悟った。

──弱者男性って、ただの甘ったれだわ。

社会が悪い」「女が冷たい」「俺は悪くない」。

この三点セットを何年唱え続けるつもり?

弱者男性ってさ、反省よりも言い訳の方が早いんだよ。

努力は“できない”んじゃなくて、“したくない”だけ。

口では「真面目に生きてる」とか言うけど、

現実逃避の方向が真面目なだけ。

自分の無力を直視せず、ネットで「俺たちは被害者」って言い合ってる。

見てて吐き気がする。

救っても腐るだけ。努力しないやつは救済に耐えられない

弱者男性を救おう」って言う人いるけど、あれマジで無駄

救っても感謝しない。むしろ恨む。

「お前には分からない」「お前は強者だ」って逆ギレする。

そもそも救済って、努力する人間しか効かないんだよ。

努力拒否した時点で、もう終わり。

腐ったリンゴを磨いてもリンゴジュースにはならん。

救うだけ無駄

情けをかけた瞬間、こっちまで腐る。

弱者男性は「自分の弱さでマウント取る」異常者

あいつらの特徴、ひとことで言うと“弱さで支配する人間”。

「俺は傷ついた」「社会に見捨てられた」って言葉を盾にして、他人に優しさを強要する。

同情を餌に他人コントロールしようとする。

それってもう、暴力なんだよ。

同情でしか他人と繋がれない人間は、もう壊れてる。

放置でいい。

社会ノイズノイズのままでいい。

俺はもう「弱者男性」をやめる

俺も34歳で年収700万の高齢貧困弱者男性だった。

努力しても報われない」って言い訳してた。

でも今思えば、あれ全部“怠けるための理屈”だった。

弱者男性」という肩書きは、努力から逃げる免罪符だったんだよ。

から今日でやめる。

弱者って言葉に守られてる時点で、もう負けてた。

俺はもう、あのぬるま湯から出る。

寒くても、現実を歩く。

結論弱者男性は救うな。放置しろ

救う価値なんて、ない。

同情もいらない。

彼らが変わるのは、誰も構わなくなった時だけ。

優しさは毒になる。

突き放すことこそ、唯一の愛だ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

怒り

腹が立っている。

同性愛という言葉が、いまや商品ジャンルのように扱われていることに。

かつて同性愛を名乗るというのは命がけの行為だった。家族に絶縁され職を失い社会から追い出される危険をありながら、それでも「私はこうです」と言葉にした。

そこには自分存在差し出すほどの覚悟があった。同性愛告白する際の眼差しにはどれだけの恐怖と孤立が潜んでいたか

過去時代において同性愛を公にすることは孤独と対等に生きることを意味した。

それが今はどうだろう。

LGBTQIA+という七文字アルファベットアイデンティティ産業ロゴになっている。

誰もが「多様性」を口にする。確かにそれで救われる人もいる。世界が少しずつ優しくなったのも事実だ。けれどその優しさが免罪符のように使われているのを見ると胸の奥が冷たくなる。

SNSを開けばセクシュアリティコンテンツとして発信する人がいる。ゲイである自分バイである私。その語りのなかにフォロワー数と再生回数が透けて見える。

もちろんそれを語る自由はある。でもそこに漂う“商業”の匂いを嗅ぐたび吐き気がする。

告白したことによってあなたが獲得したのは勇気ではなく注目ではないか

かつて命を削って叫ばれた言葉がいまやトレンドタグになっている。

「発信することは悪ではない」と言う人もいる。

かにそうだ。語ることが誰かの救いになることもある。それでも語り方の軽さに耐えられない。

同性愛を笑いながら告白し、虹色絵文字を添えて投稿される多様性

それはもう闘いではない。

演出だ。

そこにはかつてあった孤独も、痛みもない。

あるのは“見られることへの渇望”だけだ。

承認欲求のものを悪だとは思わない。

だって見てほしいし、理解されたい。

けれど苦しみを消費する文化には怒りを覚える。

悲しみがクリック単価になりマイノリティ視聴率に変換される。それを喜ぶ社会に何の尊厳が残るのだろう。

昔、哲学の授業で聞いた言葉を思い出す。

勇気とは傷を晒すことではなく、傷を見せなくても生きることだ」といっていた。

今のSNSにはその逆が溢れている。

“見せるための傷”が量産され、“共感されるための悲劇”が編集される。

それを「多様性可視化」と呼ぶのは、あまりにも欺瞞だ。

今の社会は優しさの形をして、どこかで異端を飼い慣らしている。「あなたの違いを受け入れる」と言いながらその違いを“飾り”にしてしまう。

それはもはや包摂ではなく同化だ。

フーコー権力構造解体したのは“異端”が利用される瞬間の気持ち悪さを知っていたからだと思う。

今の時代権力企業広告フォロワー数に姿を変えて、もっとかにもっと巧妙に「私たちあなた応援しています」と囁いてくる。あれほど恐ろしい権力はない。

私の怒りは彼らを否定したいからではない。寧ろかつて声をあげた人たちへの敬意を守りたいだけだ。

恐怖に震えながら同性愛告白するあの瞬間の重さ。

それを忘れないために。

私はこの軽薄な多様性ブーム違和感を覚える。

Permalink |記事への反応(1) | 15:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-09

[日記]

昨日(2025年10月8日水曜日)の僕は、いつものように目覚めの瞬間から几帳面だった。

アラームを鳴らす前の微小な筋肉収縮で6時44分59秒に目が醒め、コーヒーの湯温は必ず蒸らし後92.3℃で計測し、トーストの一片は正確に28.4g、バナナは熟度指標F値が2.1に収まっていることを確認してから食べる。

こうした儀式性は僕の一日の基準座標を与える。

 

午前中は机に向かい形式的かつ徹底的に「超弦理論位相的/圏論精緻化」を考察した。

具体的には、ワールドシートCFTを従来の頂点作用素代数VOA)として扱う代わりに、スペクトラル代数幾何言葉で安定∞-圏の係数を持つ層として再構成することを試みた。

まり、モジュライ族 上に、各点で安定∞-圏を付与するファイバー化されたファミリーを考え、その全体をファクタライゼーション代数として捉えて、Lurie 的な infty-functor として境界条件ブレイン/D-brane)を安定∞-圏の対象対応させる枠組みを描いた。

ここで重要なのは、変形理論が Hochschild 共役で制御されるという点で、VOA のモジュラー性に相当する整合性条件は、実は E_2-作用素ホモトピー的不変量として読み替えられる。

従って、運動量・ゲージアノマリーの消去は位相的にはある種の線バンドル自明化(trivialization)に対応し、これはより高次のコホモロジー理論、たとえば楕円コホモロジー/tmf 的な指標によって測られる可能性があると僕は仮定した。

さらに、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosi のshifted symplectic構造を導来スタック文脈で持ち込み、ブライアンのBV–BRST形式主義を∞-圏的にアップグレードすることで、量子化形式的deformation quantizationから∞-圏的モノイド化へと移行させる方針検討した。

技術的には、済んだ小節のように A∞-圏、Fukaya 型的構成、そして Kontsevich 型の formality議論をスペクトラル化する必要があり、Koszul双対性と operadic正規化(E_n-operad の利用)が計算上の鍵になる。

こうした抽象化は、従来の場の理論レトリックでは見逃されがちな境界の∞-層が持つ自己整合性顕在化させると信じている。

 

昼には少し気分転換ゲームを触り、ゲーム物理乱暴さを数理的に嫌味ったらしく解析した。

具体的には、あるプラットフォーマーで観察される空中運動の離散化された擬似保存則を、背景空間を非可換トーラスと見なしたときの「有効運動量写像帰着させるモデルを考えた。

ゲームデザイン上の「二段ジャンプ」はプレイヤーへの操作フィードバックを担う幾何的余剰自由度であり、これは実は位相的なモノドロミー(周回時の状態射の非可換性)として記述できる。

こう言うと友人たちは眉をひそめるが、僕にはすべてのバグ代数的不整合に見える。

コミックについては、連載物の長期プロットに埋め込まれモティーフと数理構造類比を延々と考えた。

例えば大海叙事詩航路上に出現する島々を、群作用による軌道分割として見ると、物語回帰点は実はモジュライ空間上の特異点であり、作者が用いる伏線はそこへ向かう射の延長として数学的に整理できるのではないか妄想した。

 

そう言えば隣人は最近、ある実写シリーズ話題にしていたが、僕は物語世界法則性が観客認知整合しているか否かをまず疑い、エネルギー保存や弾性論的評価破綻している場面では即座に物理的な説明(あるいはメタ免罪符)を要求する習慣があるため、会話は短く終わった。

ところで、作業ノートは全て導来stackのようにバージョン管理している。具体的には、研究ノートは日ごとにGit の commit を行い、各コミットメッセージにはその日の位相観測値を一行で書き、さらに各コード片は単体テストとして小さな homotopy equivalence のチェッカーを通す。

朝のカップ左手から時計回りに3度傾けて置き、フォークテーブルエッジから12.7mmの距離に揃える。

こうした不合理に見える細部は、僕の内部的整合性を保つためのメタデータであり、導来的に言えば僕というエンティティ同値類を定めるための正準的選択だ。

 

夕方、導来スタック上の測度理論に一箇所ミスを見つけた。p進的局所化と複素化を同時に扱う際に Galois作用の取り扱いをうっかり省略しており、これが計算整合性を損なっていた。

誤りを修正するために僕はノートを巻き戻し、補正項として gerbe 的な位相補正を導入したら、いくつかの発散が自然キャンセルされることを確認できた。

 

夜はノートを整理し、Emacs の設定(タブ幅、フォントレンダリングundo-tree挙動)を微調整してから21時30分に就寝準備を始めた。

寝る前に日中考察を一行でまとめ、コミットメッセージとして 2025-10-08: ∞-categorical factorization attempt; correctedp-adic gerbe termと書き込み、満足して目を閉じた。

昨日は水曜日だったというその単純な事実が、僕にとってはすべての観測規律を括る小さなモジュロであり、そこからまた今日位相問題へと還流していく。

Permalink |記事への反応(0) | 02:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-07

真面目な話、現代って価値がカネに集約され過ぎている

カネで買えない価値があるべきだと思うのよな。

何か社会貢献したら貢献ポイントがたまってカネで買えないものと交換できるようなの。

わかりやすくは軽犯罪免罪符路上でもろだし御免くらいはいける。

報酬設計次第でカネがなくて人が集まらない、補助金出す財源がないとかも解決

あと、これは金の話でもあるが

高額納税者やらノーベル賞受賞やらの記念硬貨みたいなのガンガン刷れよ

直接の金ではなく名誉を与えるのが大事

勲章だと他人にまで認知されない

Permalink |記事への反応(2) | 16:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-27

anond:20250927233824

知恵熱馬鹿免罪符じゃねーんだぞ?で?説明は?はやくしろよお前が言い出した事だぞ?どう責任取るんだお前なあ?

Permalink |記事への反応(1) | 23:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

不登校ガキから大学生になったけど、昔の方が気楽だった

小中ほぼ不登校高校進学校受験してなんとか卒業し、勉強はできたけど特にやりたいことがなかったか進振りのある東大に入った。

小さい時は社会とか人生に対する解像度が低いから、社会は未知の恐怖ではあったけど未知すぎて想像がつかず、我が子の将来を悲観する親の語り掛けにも心は動かず、とにかく学校に行かないで済めばそれで良かった。どうして学校行きたくないのかを自分でもうまく説明できなくて、親を怒らせたり悲しませたりするのは辛かったけど、自分の将来はどこか他人事で、自分大人になることも親が先に死んでいくことも現実味がなかったように思う。

学校に行ったり行かなかったりだったけど勉強はできたか義務教育後も進学して、進学校に行った。最初案の定全然行けなかったけど、授業は進学校だけあって面白かったし、勉強に集中していれば意外と学校も辛くなくて、高校にもなれば生徒も周りの子にそんなに興味ない上に真面目な校風ということもあって、いつのまにかちゃん毎日学校に通えるようになった。高校生の時は、あれだけ不登校だったのに毎日学校行けてるだけで十分だと考えていて、将来については相変わらず特に考えておらず、勉強に追いつけないとか親のプレッシャーとかで泣いている友達にあまり共感できなかった。一応自分毎日朝早くて嫌だなとか塾嫌だなとか当時は悩んでた気がするけど、今思えばそれほど大した悩みではなかったと思う。親が志望校にあれこれ口出してきたのはかなりストレスだった覚えはあるけど、それも今となってはほとんど忘れている。

勉強はできたし都内住みだから東大に入った。色んな授業を受けられるのが楽しかったし、同級生も大体みんな頭が良かったから話すのが楽しかった。交友範囲も行動範囲も広がって、一人旅に出かけたり、運転免許取ったり、アルバイトしたり、自分もまともな人間じゃんと思えるようになった。小中の時は学校に行かなくて済むならそれで良かった。高校生の時は不登校だった時に比べれば高校行けてるだけで偉いじゃんと思えていた。大学生になって、普通人間になれたと思った途端、将来が不安になってきた。しっくりくるサークルがなくて何にも入っていない。勉強楽しいけど研究別にきじゃないか研究者にもなれない。アルバイトガクチカになるようなものではない。自分の強みになるような、特別好きなこともやりたいこともない。不登校だった時に比べれば、という免罪符効果は完全に失われて、同級生と比べて劣った自分に気がついてしまった。

将来のことを考えたり、自分の状況を他者比較できるようになったりするくらい精神的に成長したということなんだろうが、こんなに不安で苦しい今より、現実逃避していることにも気付けないような不登校ガキの頃とか、元不登校免罪符勉強だけしていた高校生の時の方がよっぽど気楽に生きていた。学校に行くという当たり前のことすら出来ずに親を悲しませていた時より今はよっぽどマシな状況で、もし過去に戻れるとしても絶対戻りたくないけど、過去自分はどうしてあんなに将来の不安を感じられずにいたんだろう。高校生の時の悩みを今の自分は忘れているんだから、今の自分の苦しみも将来の自分は忘れているんだろうと思って耐えているけど、悩みのスケールが今後どんどん大きくなっていくんだとしたらそれはそれで苦しい。

不登校に比べたら偉いじゃんという無敵の理論がまだ使えたらフリーターだろうがなんだろうが働いて自立しているだけで偉いと思えただろうけど、普通人間しか東大生になってしまった今は、それなりに稼げる安定した職に就かなければならないという強迫観念のようなものを抱いてしまっている。新たな無敵理論を生み出せない限り、いざ良い仕事に就けたとしても、また出世とか成果に焦って不安になるんだろう。むやみに学歴を積まずに中卒なり高卒で働いていた方が、免罪符効果が続いていたのかもしれないと可能性ばかり考えて現実逃避を試みているが、いまいち効果は薄い。

Permalink |記事への反応(0) | 23:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-24

結局金と依怙贔屓だけがこの優生的なルールを打破して人間らしい生活を送るための防壁となる。

手に入るか分からないものの為にどれだけの時間徒労し屈辱を味わう必要があるのか

人生屈辱なんて必要ないはずなんだよ

しかし嫌な事を一切していない人間いくら金稼いでても根本のところで尊敬される事がない

まり、どっかで嫌な事をしなくちゃならない暗黙のルールになっているんだけど、

でもこれ、貰うもん貰ってたり健康な奴や頭のいい人間免罪符に相当する手続きを踏めば済む話になっていて、

普通に優生的だと思うんだけどみんな見ないふりするよね

Permalink |記事への反応(0) | 23:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250924225159

綺麗ごと抜かしてる奴らはみんな免罪符持ってるから言えてるだけだよ。そこに例外はない

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-23

過去のどうでもいい罪が忘れられない。

本当にどうしようもない罪が忘れられなくて罪悪感がある。

例えば、小学生の時の林間学校で、濡れたリュックを畳の上に置いてシミになったけど知らんぷりした、とか。

就活面接一社すっぽかしちゃったとか。

運転しててあの時危ない運転しちゃったとか。

あの時貰ったものにお礼の品を渡さなかったとか。

そんなこと今さらどうにもならないし、誰に謝れば良いとかいうのでもない罪が忘れられなくて定期的に思い出しちゃうんだ。

うつ病かな?

でも今までの人生でずっとなんだが。

免罪符売ってたら書いたいくらい。

何とかしたい。何か良い方法はないか教えて欲しい。

Permalink |記事への反応(16) | 22:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp