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2025-07-27

明鏡訪談 劉仲敬(2017年6月5日)『顛覆大一統中國史觀』

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

1.問題設定──「大一統史観」の枠組みを疑う

劉仲敬は理系思考(可否の証明反証)を重視し、問題解決できないなら“問いの立て方”自体が誤っている可能性を指摘。

近代中国史は「日本はできたが中国はできなかった」「帝国主義ソ連のせいだ」といった恨み節に終始。各論有効でも、全体像説明できない点で枠組み自体を見直す必要がある。

2.民主憲政と「帝国」──そもそもの発生背景の違い

民族国家民主憲政は同期形成

英仏などの「地方国家」は、一度ローマ神聖ローマ帝国を脱してから成立した。

中華帝国大清中華人民共和国)は「多民族多文化大帝国」で、帝国体制下で民主憲政は成立しない。

帝国要件

日本明治維新で「東アジアイングランド」として帝国体制離脱

韓国近代大清帝国の外へ出て民族独立国家

台湾香港中華民国という限定的枠組みの下で事実上自治民主化を経験

3. 「諸夏/諸亞」モデル

諸夏(Zhuxia)

周代以降、文化的儒家文明を共有する諸侯国群を指す古典用語。「中華」「華夏」の原義に近い。

諸亞(Zhuya)=内亞(InnerAsia

草原地帯ウクライナ満洲モンゴル新疆中東)の遊牧文化圏。騎馬・商隊による技術情報交流が活発。

対立構造

春秋戦国期の分裂状況をモデルに、現代東アジアも「諸夏の群雄割拠+諸亞の衝突」で捉え直し、宋明以降の大一統体制が「競争」を奪い、技術市民社会発展を阻害したと論じる。

4.民族主義の三モデル比較

東西の大多民族帝国大清神聖ローマ帝国オスマン帝国)を例に──

大帝国主義大清・大俄/大オスマン

文化的包摂主義華夏・泛斯拉夫/泛突厥

小民族主義(諸夏/小波蘭・トルコ共和国

成功例は「小民族主義」:帝国解体後に小さな民族国家民主化を先行して実現。

5.台湾香港──「植民地文化民族主義政治民族主義」の連鎖

台湾

「華独」(中華民国枠のまま台湾のみ統治)と「台独」(台湾共和國)を使い分けるが、後者欧州民族発明典型

冷戦下のサンフランシスコ条約体系(1952年「臺北条約」)を“盾”に、事実上安全保障を獲得。法理的に「中華民国在台」を温存する方が有利。

香港

粤語という文化的共通性が古くからあり、文化民族主義は既成事実

返還交渉での「一国両制」失敗と梁振英政権裏切りから政治民族主義(港独)が急浮上。

「退出六四集会」など符号化された分断動員によって、反中本土派選挙勢力を拡大。

6.公民民族主義 vs.文化民族主義

公民民族主義市民社会成熟度が基盤)は論理的には最も合理的だが、選挙運動動員の「シンボル」としては文化言語的な分かりやすさに劣る。

香港台湾でも「粤語」や「中華民国枠」といったシンプル記号 πολιtics が大衆動員を左右。

7.思想役割──歴史的必然の“追認”にすぎない

劉仲敬自身も「思想歴史を変えるのではなく、歴史の潮流が思想を求める」ことを強調。

東アジアの大一統体制から分権競争へ──「諸夏」モデル東アジア適用される時代が来る、という予見。

まとめ:

近代中国の「大一統・大中華」史観は、帝国民主民族国家歴史的段階論を見落としている。

民主憲政は「小さな競争する民族国家」でしか成立せず、東アジアの再民主化は「春秋戦国的分権と競争」の再現から始まる──この視座が本インタビューの核心です

https://liuzhongjing.medium.com/%E6%98%8E%E9%8F%A1%E8%A8%AA%E8%AB%87%E5%8A%89%E4%BB%B2%E6%95%AC-20170605-%E9%A1%9B%E8%A6%86%E5%A4%A7%E4%B8%80%E7%B5%B1%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A7%80-793c1956ff24

Permalink |記事への反応(0) | 15:09

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2025-04-11

教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり

「教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり」

柳 傲雲『照道遺詠』より

一、詩人・柳 傲雲について

柳 傲雲(りゅう・ごううん、紀元前192年~紀元前120年)は、前漢時代中期に活躍した思想詩人であり、孔子以降の「徳の詩人」として名を馳せた人物です。

若年より老荘儒家墨家の教えに通じ、詩を通じて「師弟の縁」や「教えの永続性」を主題とした作品を数多く残しました。

晩年には宮廷を離れ、楚の山中隠棲し、弟子たちに囲まれながら「照道遺詠」という詩集を著しました。本作はその中の最後の詩とされています

二、和歌意味と深さ

この和歌は、表面的には師の死を悼む詠でありながら、真に歌われているのは「教えの光の永続性」です。

教え子の 胸に灯しし そのひかり

師は言葉や行いによって、教え子の胸に灯(ともしび)を灯した。

絶ゆることなく 世を照らしけり

その灯は師の死によっても消えることなく、教え子の行いを通じてさら世界を照らし続ける――。

この詩には、儒家思想の「仁」や「伝道」、道家の「自然と永劫」の観念絶妙に融合されています

また、「灯」という語の使い方は仏教的な転生・灯明思想を先取りしているともされ、一説には仏典中国に伝来する以前に、すでに精神的な「継承光明」の象徴表現確立していた証左とも言われています(※創作的解釈)。


三、後世への影響

柳 傲雲のこの詩は、後世の科挙制度における受験生たちの座右の銘とされ、師弟関係理想像として長らく引用されました。

唐の杜甫はこの詩を範として「懐師詩」を詠んだという伝承もあり、宋代朱熹は『朱子語類』の中でこの詩を「教化の極み」と称しました。


四、現代への示唆

この詩が現代においても語り継がれる理由は明快です。人は去っても、志は残る。光は受け継がれ、やがて新たな光源となる。

教えるという行為は、単なる知識の伝達ではなく、「未来の光を託す営み」であるという深い真理を、たった31音で語りきったこ作品は、まさに時空を超えた遺産なのです。

Permalink |記事への反応(1) | 12:35

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2021-11-05

anond:20211105123737

こっちは法家が負けて儒家が勝った世界線なので

Permalink |記事への反応(0) | 12:40

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2021-08-06

韓非子じゃん

矛盾」は、韓非が『韓非子』の中で儒家孔子孟子がその代表、ここでは孔子批判のためのたとえ話の中で、「矛盾」という言葉を使ったもの儒家伝説時代聖王の「堯」と「舜」の政治を最高で理想だとし、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けたから堯は舜に禅譲したとした。しかし、韓非によれば、堯が名君で民を良く治めていたとすれば、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けるということはそもそも起こりえない。一方が立派な人物だとすれば他方はそうではなくなってしまう。したがって、両方の者が同じく最高の人物で、理想的な政治を行ったというのは話が合わず、あり得ないという意味を込めて批判的に矛盾の喩え話をした。

anond:20210806171828

Permalink |記事への反応(0) | 17:44

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2021-03-24

anond:20210324123359

2000年前の中国に、これと同じことを言った人がいます。それは老子です。老子儒家批判してこう言いました。

「お前らのやってることって、仁とか言って相手レッテル貼って反対意見封じ込めてるだけだろ」

現代でも、政権与党が何をするにも、立憲主義崩壊だとか、軍靴の足音が聞こえるとか言っている人たちがいますね。彼らがファシストなんですよ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:40

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2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:05

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2020-07-05

株を守る

韓非は韓の諸公である。彼の著作(『韓非子』)「五蠧篇」を読んだ後の始皇帝は「この著者と親交を得られたならば死んでも構わない」と感嘆したが、いざ彼を手に入れた際には李斯讒言により死なせてしまった。

「守株」は、その韓非子五蠧篇に著された故事である

宋人有耕田者。田中有株。兔走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀復得兔。兔不可復得、而身為宋国笑。今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。

五蠧篇の要点は「世異なれば則ち事異なる」「事異なれば則ち備え変ず」という点にあり、したがって「守株」も先王の政の踏襲理想とする(儒家的な)思想を戒めるものであり、故に現代語としても「いつまでも古い習慣にこだわること」の意で用いられる。

しかし、守株の故事だけを抜き出すならば、ウサギ切り株で転ぶという再現性のない幸運に遭いその再現を当てにして無為となることの愚かしさを描写したものだ。林修が言うところの「成功体験は人の目を曇らせる」という例である

緊急事態宣言前の自粛要請によって十分な接触減が達成されていたことの再現を当てにして「緊急事態宣言はやりたくないか努力しろ」等とだけ述べて無為でいるのは、株を守る行動に等しい。

株という単語現在有価証券一種を指しているのは、よくできた偶然である

Permalink |記事への反応(0) | 21:23

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2020-04-12

儒教は国を滅ぼす

儒教信者法律否定する。

儒家法家歴史的対立している。

マナー講師儒教信者

要するに儒教はクソ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:41

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2019-09-14

法治国家って、いる?

から何?って程度の話なんだけど、地球上で大半の国、法治国家じゃん。

歴史的に、力があった国々が「法」ってもの発明たからなんだろうけど。

まあ、法治国家で暮らす上で文句はないんだけどね。

でも、法治国家以外の国家が、(法治じゃなかったら国家と言わないかな?部族か?)が科学技術を発展させることは可能だったんだろうか?

概ね幸せだが、法という制度が万能じゃない、というか設計コンセプトとして間違ってるような気もする。

例えば、僕が誰かを傷つけたとする。

なんかの不注意で追突でもしたとしよう。

法で、僕が賠償責任があると言われても、払うかどうかは、それ以前に結局僕に賠償額を払える能力があるかどうかによる。

払わなかったら、僕が刑務所、となったところで、被害者はなんの得もない。

法が規定する責任があるから払うとか、そういう問題じゃないと思う。法の役割が、人をむやみに傷つけないようにしましょうっていう啓蒙程度の役割なら、儒家がいうような徳治だって十分だ。

被害者救済のための高度なシステム事故被害者のための基金を作って、その原資の調達のために徴税して、ということをするためには法律という仕組みが都合がよいけれど、加害者を叩いてもなんの意味がない。

被害者救済のコストならとにかく、刑務所コスト市民が分担するってどうなんだろう?

弱者救済の仕組みというのは、最大のものはいわゆる社会保険なんだろうけど、これはホント資本主義経済との相性が悪い。

払った額より貰う額が少ない年金10負担で窓口で払う医療費より月々の健康保険料が高い、となると、払わない方が徳じゃね?

となるわけで。

その辺のガス抜きのために、本当の弱者のためだけに、みたいなことを言い出すと、余分なコストをかけて6300ページのpdfが作られるわけで。

話を戻して、ぶっちゃけ自由とか平等とか、そんなきになるんですかね?

技術屋の僕は宇宙とか深海かのことだけ考えて生きたいんですよ。

Permalink |記事への反応(5) | 12:04

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2019-08-24

anond:20190824201546

詳しく無いけど、墨子儒家の唱える仁愛身分秩序に応じた差別愛と見なしてぶっ叩いたのってそれと似たような発想じゃねと思うし(墨子はその後で平等兼愛を唱えてるけど)

現実世界に今までに無い全く新しい問題提起をしてる意味での「架空哲学」ってなかなか探すのに難しそうだと思う

多分それ思いついたら物語より哲学論文にしたほうが良いだろうし

作品世界の中で独自の発展したことになってる学問体系って意味の「架空哲学体系」なら多分いっぱいあるんじゃん?

Permalink |記事への反応(0) | 20:46

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2016-07-13

 「明治」の出典は『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられました。明治改元にあたっては、学者松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号候補の中から明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました。

五経の一つ。儒家重要経典宇宙原理・万象の変化を陰陽二元をもって説き、人間道徳も陰陽消長して万物を生成する天道に従うべきだと説く。

※『書経五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典

※『五経中国古典である経書のうちでも代表的な五つの書物。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。前漢武帝時代に、この五書を五経と名づけ、それを専攻する五経博士を置き、儒教国教化したときに始まる。儒家基本的教科書であった。

※『史記二十四史の一つ。黄帝から前漢武帝までのことを記した紀伝体の史書。

ふーん。て事は、やっぱ漢文とか国語学者みたいなのと一緒に決めるんかな

公募はないよね

Permalink |記事への反応(0) | 22:15

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2015-12-22

堯觀乎華。華封人曰、嘻、聖人。請祝聖人、使聖人壽。堯曰、辭。使聖人富。堯曰、辭。使聖人男子。堯曰、辭。

 荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである

彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人

間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何

ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」世界にあ

こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺皮肉や寓言に

託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの

話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史

実ではない。

 

 その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された

ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい

で、ご挨拶を申し上げた。

 

 「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは

  あなた様の御寿命の幾久しくあられますように。」

 

 「いやいや。」

 

 堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。

 

 「わしは寿命を望もうなどとは思わぬものじゃ。」

 

 「ならばあなた様の御富のますます豊かにあられますように。」

 

 「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」

 

 「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう

  に。」

 

 「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」

 

 「はてさて。」

 

 関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。

 

 「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう

  に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで

  ござりましょう。」

 

 「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、

  かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、

  寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう

  というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が

  身の徳を養うには無用のものといわねばならぬわい。」

 

 それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。

彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。

 

 「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言

  い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供

  が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ

  るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の

  面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を

  選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと

  く自由自在であるべきもの世間がまともであれば、皆人とともに

  その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて

  隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時

  は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・

  老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿

  くともなんで辱の多いことがあろうものか。」

 

 こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、

ハッと気を取りなおして後を追いかけ、

 

 「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」

 

 と声をかけたが、かの人は、

 

 「えい、うるさいわえ。」

 

 と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。

 

 荘子はこの寓言によって、「儒家」的聖人である堯と対比しつつ

「道」世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう

としたのである

 

Permalink |記事への反応(0) | 06:42

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2015-11-20

「○聖」という尊称について

「剣豪」「剣聖」という呼称の誕生について - Togetterまとめ

の流れからコメント欄で、

元ネタというか発想の元は李白杜甫の詩仙や詩聖なんだろうがな。

と言われているのだが、

詩仙李白

詩聖杜甫

詩豪 劉禹錫

詩魔白居易

詩鬼 李賀

詩佛 王維

詩囚 孟郊

詩瓢(詩奴) 賈島

詩骨 陳子昂

詩狂 賀知章

詩傑 王勃

詩家天子/七絶聖手 王昌齡

詩佛,詩聖,詩仙,詩鬼,詩魔各是誰?-百科問答-中文百科在線

これらは優れた詩人にそれぞれの特徴を捉えたアダ名をつけているだけであり、

杜甫の詩には儒教的思想が反映されているから「(儒教における)聖人」という意味での「聖」なのであって、

思想方面,杜詩中有儒家思想,洋溢著仁民愛物的情懷和濃烈愛國主義色彩,有「詩聖」之譽。

杜甫 - 维基百科,自由的百科全书

日本で言うときの「最も優れているから『聖』なのだ」というようなニュアンスは、そこには無いような感じがする。

では日本における「○聖」はと考えて古今和歌集に思い至る。

かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。

古今和歌集仮名序 - Wikisource

これは柿本人麻呂儒教的だと言われているわけではなく、単純に「優れた歌人」という意味での「歌聖」だろう。

そして同じく古今和歌集仮名序に登場する六人の歌人は後世に「歌仙」と呼ばれている。

このあたりが日本における「○聖」「○仙」といった尊称の、最初期の用例なのではあるまいか。

Permalink |記事への反応(1) | 20:14

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2015-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20150117173541

そこら辺は多分、仏教の主流概念である因果と無我を説く際に邪魔になるんで語らなかったんだと思う

仏教バラモン教対峙するために自我否定して純粋因果関係だけで世界を説明しようとしたんだけど、

そこを突き詰めると世界は初期パラメータで決められたとおりにしか未来に遷移しないということになり、「じゃあ初期パラメータは誰がどうやって決めたんだよ」って話になる

この問題についてブッダはまともに回答するのを避け、

「その問題を考えても苦しみから逃れられないよ?それはお前の目的なの?」みたいなことを言った。

というのが俺の理解

 

この傾向は中国哲学でも同様で、諸子百家でも無神論儒家は「怪力乱神を語らず」みたいに言って避けようとしてる

有神論で一神教墨家はそうでもなかったんだけど、こいつらが生き残っていたらきっと今の西洋哲学みたいに発展していったんだろうなー。

Permalink |記事への反応(0) | 18:10

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