
はてなキーワード:修行とは
https://www.youtube.com/watch?v=SqQXvgaiZ_U
❤️ ニサルガダッタ・マハラジは、インドの非二元哲学の偉大な教師のひとりで、世界中のスピリチュアル・シーカーに大きな影響を与えた存在です。彼の最も有名な著作は、弟子が語録をまとめた『IAm That(私は在る)』です。
❤️ 特徴
❤️ 教えの核心:「私は在る」
マハラジの教えは、非常にシンプルかつラディカルです。その中心はこの言葉にあります:
つまり、思考や感情、記憶、身体、役割などの一切を横に置き、ただ「私が存在している」というシンプルな自己意識に集中しなさいという教えです。これを続けていくことで、やがて「私」という感覚すら超え て、真我(純粋な意識)そのものに気づくと言います。
👉時間・労力・費用を考えると“割に合わない”、というのが冷静な評価。
正直に言えば、「合理的に見れば損なのに、心理的には“得した気分になれる”ように設計された仕組み」です。
つまり、
「あと少しで達成」という状態を維持させると、人はハマる。
面白いのは、航空会社もこの仕組みで利益の3〜4割をマイレージ事業から稼いでいること。
いい歳こいて満たされない愛欲にうつつを抜かすアホなど放っておけば良いのだ。
彼等はどうせどうやっても幸せにはならん。
彼らは別に恋人が欲しいのではない。自分の飢えを満たしてくれるものが欲しいのだ。
うだつの上がらない人生を輝かせてくれるものの象徴が理想の伴侶なのだ。
だが年齢相応の落ち着きを持てず、我欲をコントロールできない人間は、何を手に入れてもどうせ心の飢えを満たせんのだ。
なぜなら、彼等に見えているものはいつも『自分が持っていないもの』だから。
持っているものに目が向かないから、何を持っていても、何を手に入れても満たされない。
八苦でいうところの『求不得苦』。足るを知らないがゆえに苦しむ。
ようは下手くそ…って事なのかな?
自分が痛くないよう模索して動いてみると角度とか分かりやすいんじゃないかな…
伝えるって、痛いって伝えるのもいいんだけど、どう動いてほしいとか、乳首触りながらやってとか、相手のテンションを落とさないまま自分のいいようにチューニングする意識で伝えてみるのはどうかな…?
というか相手が下手なせいで性行為できない+修行に付き合うのもしんどいなら風俗で練習してきてもらうというのも選択肢のひとつのように思う(もちろん増田自身が女風行って学ぶでもいいんだけど)
結局セックスって経験値だし、上手い人は元々痛いか気持ちいいかを確認するためのコミュニケーションが上手いってだけで、テクニック的な部分は他の女性が経験を積ませた事によるものだと思う…
性行為苦手な知り合いも「痛みがある」とか「やりたくない」とかをちゃんとコミュニケーション取ってると言うんだけど、それは協力的なコミュニケーションではないんだよね
そりゃプライドも傷つくし楽しいとも思えないし満足するのも難しいと思う
仕事と同じ、不満があるなら解決策まで一緒に練る(これは増田夫にも言いたい。嫁とコミュニケーションを取って二人で満足するのを諦めて逃げたわけだから。)
訂正したあとは布教はうまく言ったのか
唯一絶対の神とか言うとそれを言い訳にして他者をないがしろにするんじゃない。日本式にすべてに耐えるということをなぜ織り交ぜなかったのか
日本では色即是空、すべてのものは無、無はすべての物質という仏式の日本式のものがあって、その仏教すら絶対ではないと思うよ
ブルース・リーは考えるな、感じろっていうけど、日本式では感じることもしない
考えない、感じない、ただ行うという感じ
耐えるというのが根底にあるので、どんな宗教も入り込めないかも
震災で並んでいた人が立っていたのも仏教とも神道とも関係ないかも
論理的に自己啓発であれこれ言われても、日本古来の耐える以上の教えにはならないのかも
日本社会が整っていて略奪も起こらないのは、宗教では説明がつかないよね。誰も信心深くないもの
日本代表のサッカーが当初弱かったけど、西洋式個人主義みたいなものをそのまま実行しようとして合わなかったと思う
日本人同士をお互いに見ていて、日本人的なサッカーしかできないでいたけど、
なんだかいつからか、禅のような、ただ行うみたいな雰囲気でやりだしたような気がするけど、誰と張り合って勝つみたいなものではなく、
三笘さんを見てると誰も気にしてない、ただ走っているという感じに見えて、いつも自分と対話をしている
対話をしているといっても何か考えを巡らしているわけではなく、ただ行っているという姿が作られ始めて、
無論西洋的に自我を作ろうとしている選手も多いけど、なんだか三笘さんを見ていると極めて日本人的と感じるんだよね
日本人的禅感覚、日本古来の「耐える・考えない・ただ行う」精神の現代的表現
うつ病になったときにカウンセリングだと聞いて受けたけど、まるで合ってないと感じたよ
アメリカ映画に出てくる断酒会とかの集まりも、ぜんぜん日本人にあってなさそう
カウンセリングのときだけ後悔して学んでというのが、その他の時間はけっこうケロっとしてる西洋人を見てると、
生活そのものを修行として生きるという日本の形式に、西洋式のカウンセリングもグループセラピーも合ってないの
個人個人がこの感覚でいいのかって日々やってみることでしかうつ病も回復しないよね
告解みたいなことやり始めると、依存っていう感じになってぜんぜん日本的でないというか
いや、正直20年前に見たエアマスターのほうが面白かったまであるわ。
なんか今の人って格闘ゲームみたいな殺陣しか出来ないんだなと感じる。
人体の可動域とか重力とかそういうのを感じさせつつも、非現実的な身体能力を持つ者同士の戦いを描くってことができなくなってる。
原作はぶっちゃけギャグ漫画だからアクションも勢い任せのギャグでもいいんだけど、アニメにした場合はコマとコマの間を正しい力学で繋げないとキャラの積んできた修行がただのお遊びになっちゃうのよ。
押し付けがましく「僕は好きです!大好きです!」と叫ぶでもなく、当たり前のように展開され繋がる完璧でリアルで滅茶苦茶な技の掛け合いの中に「あっ、この人達マジで凄いのでは?」と感じさせなきゃ駄目なのよ。
分かる?
kosumi で、5マス盤で修行すればいい。
起きたら、箕輪と妹が目の前にいた。「あれ、なんで箕輪が目の前に?」と俺は言った。
そこはなぜか修行寺だった。死にそうな顔をしている人たちが顔半分に赤い何かを装着していた。
俺は僧侶にその「修行のための怒りのお面」を被せられた。一定時間以内に何かを倒しに行かないと、お面の何かが発動してしまう。
俺は外にその何かを倒しに行こうと出たが、「寺に爆弾がある」というお告げがあり、戻って爆弾探しをし始めた
オカンがそこにいたので、「オカン、爆弾があるから、帰って」と言った
シーンが変わり、そこには女芸人1人と女優1人がセクシードレスを着てくねくね踊っていた
裏口も探したが、やはり靴がない
椅子に俺の靴が置いてあったので「あった!」といって履いた
かつての世界では「弱者男性」と呼ばれた存在でありながら、実は最強の戦士だった。
孤独と蔑みを力に変え、数多の魔を討ち滅ぼした。
……はずだったのに、気がついたら見知らぬ世界で目を覚ましていた。
声をかけてきたのは姉のエミリアだ。この異世界では本当の家族らしい。
その一言で、胸を深く抉られた。
――そう、この世界では弱者男性は“女性のみに宿る特異な種”とされていた。
彼女たちは生まれながらにして「弱者男性」という宿命と力を持ち、世界から忌避されながらも恐れられていた。
では、ぼくは何なのか?
だが、その疑問に答えるかのように、ある日魔物の群れに襲われたときだった。
反射的にぼくの手が、闇を纏った光を放つ。
――ドシュッ!
魔物たちは塵となって消え失せた。
「……やっぱり……使える」
かつての世界で培った弱者男性の異能力は、ぼくの中にそのまま残っていた。
なぜ男のぼくが弱者男性の力を持ち続けているのかは分からない。
「ぼくは影に隠れて生きよう。世界で唯一の“男の弱者男性”として」
表の顔はただの少年。
どんな発言も、その単語の組み合わせだけでなく、どのような体勢表情仕草発声を伴って行われたかというノンバーバルな要素も込みで、というより「綴り」よりノンバーバルな情報こそ本心が込められているということくらい、人間の常識として知っておくべきだろう。
いくら口で「愛してる」という言葉を何千回も言ったところで、その相手に正対しているか等々で、その言葉は嘘である、ってことがわかり、そちらが正しいことがある。
ことがある、じゃない。
そちらが常に正しい。
ちなみに、この辺りは俳優修行の初期の初期に「意識的に」やることではある。
あの一連の発言の文字書き起こしだけを見るのではなく、発言前後の表情、なぜ聞こえるように発音しなかったのか、それまでの一連の騒動といった背景、コンテキストを考慮に入れてみるといい。
あの場面だけを拡大して何千回見ても、そこだけ切り取って確認するだけじゃわからんよ。
「なぜ聞こえるように発音しなかったのか」
これが全てだ。
聞こえないようにして「わかる人にはわかるよね」とやった。
自分の味方だけが集まる場である、と油断していたためにやらかした。
それ以外に、ない。
あそこが"by the way"であった場合、前後に断裂、歪みが生じる。
JKローリングが「作家」であり、「世界や人物の流れに注意深い人間」であることを、そこら辺の雑草と違って敏感な人間であることを考えれば、あの流れであのキャラクターが"barone"以外の単語を選択はしないと判断したことは、あまりに当然すぎると思う。
エマワトソンを神と崇める連中は擁護しているようだが、それはない。
後になって本人がそれを否定したとして、そんなつもりはなかったと言ったとして、その全てはただの自己保身のための嘘だ。
全ては記録されている。
まぁ、自分のことしか考えられない絶望的に無神経な人間は、読み取れないで「絶対 "by the way" と言ってる!」ってなるだろうけど w
作家とか演出家とかいう人の中には、信じられないくらい敏感な人がいる。
そう言う人を誤魔化すことは、不可能だ。
もちろん、作家とか演出家とかを「名乗る人」全てが敏感な人である、とは言ってないからなwww
(業界のあっち界隈にはそういうのが多すぎるんだが……)
で、なぜこの話を取り上げたのかというと、これはAIの危うさに直結しているからだ。
つまり、口だけで「愛してる」と言う人間も「愛している」と評価する存在だと言うこと。
古めのSF(サイエンス・フィクション)では、アンドロイドやロボットとの会話が噛み合わない、的な描写は大量にある(アシモフあたり)。
SF(サイエンス・ファンタジー)では話のためにそういうところをあえて、わざと外しているものが増えてくるが(例えばエイリアンとかは、科学的アンドロイドではなく、人間性の鏡としての存在だ、とかね)。
サイエンスフィクションの方が、人工知能が論理学の延長線上に構築されるというところから、したらこうなるよね、という思考実験から導かれている。
「我はロボット」とか読んで、人間とアンドロイドのやり取りのどこが面白いのか理解できないようだったら、そういうのに鈍感な人間だ、ってことだろう。
逆やで
これまでの履歴が皆無=いい年して返済経験がないor若くして重大やらかしで履歴抹消のいずれか(やらかしても5年経てば消える)
こういう人はスマホを通信キャリアで割賦で買うとか、ペイデイでなにか分割で買う、PayPayやメルペイの後払いで修行する
12歳くらいから25歳まで頭のてっぺんからつま先までどっぷり腐りきってて、BL漬けの生活で、ものすごい量の物語を摂取していたから、あのときの若い私は小説とはこういうものなんだ、BLはこうやって書けばいいんだっていうのが頭の中でしっかりわかってた
妄想力凄まじい
今の私には書けない文章
腐女子としての活動をスパッとやめてダイエットして結婚して子供を2人産んで、家族のために動いてたら
もうあの頭のてっぺんからつま先まで腐りきってた自分はいなくなってた
あのときのノリノリで文章作成していた冴えた頭の若い自分がいなくなってたのが寂しくて寂しくてしょうがない
でも、加齢により読解力は上がったようで若い自分のときでは理解できなかった文章が理解できるようになったと思う
友達にすすめてもらったあの作家さんの良さが昔の自分にはわからなかったけど、今の私なら理解できるかもとか考えてる。
昔の自分はいなくなってしまったけど、今の自分を鍛えたら、自信を持ってまた文章を書けるはずと思って修行してる
昔の独身の自分は過集中ができたんだけど、今の私が過集中しようと思ったら途中で絶対「ママ!」と呼ばれて思考が途切れるのがつらい。
発売延期への謝罪をこめ、このDLCは事前予約購入者には無料提供されている
弥助と並ぶもう一人の主人公・藤林奈緒江は伊賀の忍者で、実在した忍者・藤林正保(藤林長門守)の娘である
奈緒江が幼い頃に母は姿を消し、彼女は正保から忍術修行を受けながら父子家庭で育った
失踪した母・つゆは、世界を股にかけて活動する陰謀組織「テンプル騎士団」と戦う「アサシン教団」の者である
後奈良天皇が持つ三種の神器(ガチの魔法アイテム)がテンプル騎士団に狙われているため、日本の安寧のためにつゆは家庭を省みる暇もなく奔走している
禁忌を犯したため教団から追放され日本に漂着したスペインのアサシン・カタリベラは哀れんでつゆを拾い、つゆにアサシンとしての暗殺術を教えた
疑似父のカタリベラでも感情が読めないほど情動の薄いつゆであったが、神器を守るための支援を求めて訪れた伊賀の里で、真面目で優しい正保と恋をして奈緒江を産んだ
本編では生死不明のつゆだが、「淡路の罠」では、淡路島がカルトに乗っ取られておりカルトのボスにつゆが捕まっているとの情報が入り、奈緒江と弥助は淡路島へ向かう
かくして奈緒江はつゆと再会する
つゆはあらゆる種類の拷問を受け続けていたが、情動が薄いので全然効かないでケロッとしており普通に元気だった
淡路島のカルトはオレンジ色がテーマカラーで、幹部たちはみんなオレンジの着物を着ている
島民を支配しながら、排外主義を掲げ、我らがいなければお前たちは蹂躙されると言う
というわけで「参政党をdisってる」ネタでまたにわかにアサクリ陰謀論界隈が盛り上がっている
弥助「それがしは一体いつ許される?」
淡路編はストリー的には奈緒江パートが主眼な分、ボスキャラは弥助向けの一気に体力削ってきて奈緒江だと即死するような奴が配置されている
奈緒江はコソコソ侵入して敵を隅っこから一人ずつ暗殺して全滅させるのには向いてるが、剛腕キャラと一対一で戦うには体力が少なく一撃が軽い
奈緒江で倒すことにこだわると、ボスの攻撃を一切受けずに一発当てる→逃げる→当てるを繰り返してジワジワ戦うマゾプレイで時間がかかる
おとなから叱られたり褒められたり採点されたりする立場の、子供のメンタルから成長してないんだよ。
自分が自分の決断の責任を引き受けざるを得ない立場にあれば、過ぎたことをウジウジ言ってはいられないはず。
そういう修行の機会を避けて生きてきたんだろうね
飼える住環境だったり、適性がある人のところに猫が送り込まれてくるとかいう都市伝説、NNN。信じていない。猫のことをやれ構成員とか諜報員、エージェントって呼んだり、ニンゲンは常に見られているとか、こんなのぎりぎり陰謀論じゃない?
少し前に生後4ヶ月いかないくらいの子猫を拾った。(拾ったていうか、通勤で何回か見かけていた子猫を餌やり好きな近所の人が捕獲して、通りすがった自分のところに回ってきた…という流れだから正確には少し違うんだけど)
たまたま、自分の住んでいるワンルーム賃貸はペット可で、猫じゃらしやら洗いたてのシステムトイレやら、成猫用ではあるけどフードやおやつもある。そこで今は3段ケージで家猫修行中のキジトラが自分の一挙一動を監視している。しかもきょうだい2匹。
猫がいない生活って思いつきで旅行に行けるし、早起きも強制されないし、残業もやり放題で、ここら辺で少し稼いで貯めつつ適度に楽しく使って…なんて穏やかなものだった。2ヶ月弱しか続かなかったけど。
四十九日を過ぎたばかりで新しい、しかも若い猫を連れ込むなんて、君は呆れるだろうか。光源氏でももう少し節度があったんじゃないか?先代って呼ぶにはまだ距離が近過ぎて、冗談に包んだ「〇〇大明神」とか「〇〇大権現」なんて言わないと次のことばが出なくなる。ここ五十幾日は人生迷走していて、家賃を払った記憶が丸ごと抜けていて焦ったり、冷凍庫に記憶に無いパンが入っていたり、挙句の果てには航空券のチケットの姓名を逆で予約したりしていたよ。ここで幼猫2匹抱えてもう一回地に足を着けて生きていけって言われているみたい。この滅茶苦茶が避妊去勢の準備とか、ばりばりのカーペットとか、カーテンは登らないで!に変わるんだろうか。
最近まで一緒に暮らしていたのは、こっちは正真正銘自分で拾った猫で、ずいぶん賢くてニンゲンの言葉を理解し、小さな顔に長い手足としっぽが際立った綺麗な白黒だった。
それが某区猫スラングを使い、寝るとか食べるとかの生活動作以外は「うなる」コマンドで済まそうとする、区中の縞猫を集めたら見分けがつかなそうな柄×2だ。可愛い顔をしてはいると思うけど、保護猫の譲渡会に行くことがあったとしたら、きっと選ばなかった2匹だろうから、何があるかわからない。
こんな調子で本当に「NNN」なる組織があるというなら、一生であと何匹の猫に捕まるんだろう。今回と前回はただ偶然の、星5を連続で引いた事象であり再現困難であって欲しい。思えば自分の親も猫を複数回拾った人だった。末代まで祟るって、もしかして子々孫々纏わりつき倒すって意味だったんだろうか。
そろそろ家を買うのもありだななんて思って不動産探しをしていたところだから、複数飼育可の細則で、猫用ドアの設置も検討する必要が出てきた。嘘みたいなタイミング。こうして人は陰謀論者になるのかも。
元気かどうかは日によるけど、後輩どもを何とか立派な家猫にしてやるから、見守っていてくれよ。万が一の次の話だけど、君の生まれ変わり以外を送り込むのは、どうかご海容ください。