はてなキーワード:修学旅行とは
私は京都市内に住んでいて大阪府の職場に通っているので、毎日、京都の中心部を通りかかるが、確かにコロナが明けてから、外国人旅行客の数は激増していると感じる。コロナ前は東アジア系が多かったが、最近は、あらゆる国の人がいる。インドっぽい人や東欧っぽい人たちも目立つ。バスや電車が混むし、夜などはバカ騒ぎする若者も多いので、気分はよくない。
しかし、外国人旅行客が増えてよかったこともある。それは修学旅行生が激減したこと。修学旅行生は、ほんとーーーに迷惑な存在だった。群れる、もじもじして動かない、学習なのかなんかしらんが、1日券でバス使いがちなどなど、数多くの不快ポイントを有していた。いなくなってかなり快適。
まあ、なので、オーバーツーリズムについてはそれそのものが問題なのであって、国籍だけの問題でもないよな、という気がしている。
アニメ「ハイスコアガール」8話の、大阪のストII大会の帰りに河川敷で殴り合い(一方的に殴られ)をするシーン、おそらく淀川なんだけど淀川河川敷には何の用事もないはずなんだよな。
主人公達がいる側は低い民家などがあり、対岸に高層ビル群が見えるから、大阪駅の北で淀川の北側と考えられる。
そのへんであれば駅は淀川の北にも南にもいくつもあるから淀川に関わることなく会場からまっすぐ駅に帰ることができる。だから淀川沿いを歩くか淀川を渡ると遠回りになる。単純に橋を渡るだけでも700m近くになる。
修学旅行をこっそり抜け出してストII大会に来てるから、大会が終わってちょっと淀川見ていこうかという余裕はないはず。関東の中学生のような土地勘がない人間が夕方や夜に立ち寄る場所でもない。
それが、先に帰ったヒロインを主人公が走って追いかけてきて、河川敷で追いつく。携帯もない時代によくそんな通らないはずの場所で会えたものだよ。まるで隠しイベントを知ってたかのような動きだ。
殴り合いの後銭湯に行ってから阪急電車に乗って帰るストーリーだが、最初は淀川の北を東に向かって進んでたのが、銭湯の後は淀川の北を西に向かってることになる。目的地の駅(路線)を通り過ぎて銭湯に行ったのか?
それでも銭湯に行ってからもう一度河川敷を歩かなくてもよくね?
まあゲーセンがしゃどくろの時点でファンタジーだし、青春には河川敷が欠かせないから仕方ないよな。
いうて風呂厨兼任でしょ?ネットに出回ってる修学旅行の盗撮映像とか落としてるんでしょ?
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LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
1 週間のオープンチャットは **「食・イベント・ガジェット」の三大雑談軸**を中心に、住まい・健康・社会時事がスパイス的に混ざる構成。
参加者はリンクや実体験を交えてフラットに意見交換し、**ローカルグルメの熱量とガジェットの“詰まり”相談**が特に盛り上がったのが特徴でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
自分に友達がいた期間は本当に短いんだけど、小学生のころは友達の家でゲームをしたり、漫画の貸し借りをしたり、土日に弁当を持って公園で遊ぼうって約束してみんなで遊んだり、そういう何気ないことが本当に楽しかった。それまで友達がいたことなくて放課後に誰かと遊ぶって体験すらしたことがなかったから、楽しくて嬉しくて仕方がなかった。家庭以外に自分の居場所があるっていうことがどれだけ心の助けになったか。
クラスの中でも孤立せず仲間がいるってことがどれだけ心強かったか。
泊まりがけの林間学校とか修学旅行が、友達がいるというだけで、クラスの中で居場所があるというだけで、地獄じゃなくて天国になるって体験してしまった。
16〜17歳のときもバイト先でたまたま仲間や友達ができたんだけど、車でみんなで富士急ハイランドに行って遊んだり、友達に誘われてライブや舞台を観に行ったり、みんなで夜のファミレスに集まって駄弁ったり、独りだったら絶対に触れられなかった世界に触れることができたの。それがすごくありがたかったし貴重な体験だった。誰かと共にいる安心感と楽しさと世界が広がる感覚を知ってしまったら、それ以降は独りでいることは強がりでしかないと思わざるを得なくなってしまった。
https://anond.hatelabo.jp/20250604121627
相手の男がやりたそうな雰囲気だしてきて、きちんと断るのめんどくさい(機嫌悪くなりそう・特に今後も継続してつき合おうと思わないがめちゃくちゃ不愉快なわけではない・しつこくくいさがってきそう・ノリで帰りづらかったけど電車がなくなった)みたいなときはめんどくさいからやる
そもそもめっちゃ好きなわけじゃないからいたすことになった時点で次はないんだよな
たまにめんどくさいからもうやろうぜみたいなときに断る男いるけどそれもそれでめんどい
なんなんだよ修学旅行か?
あと結構な割合で初対面からやりたがるやつは次も狙うし、そんなかでも真面目なタイプは結婚におわせてくる
チャラそうなヤリ目からはそういう雰囲気になる前に逃げちゃうからしらんけど、本物のヤリマンはそのままやるんだろうなぁ
いずれにせよやった時点でねーのよ
そもそもいろいろめんどくさいから切りたくて罪滅ぼしな感じで体提供してるわけ
古代中国の書物である『易経』に「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)[注釈 5]」との一節があり、「観光」はこれを略した成句であるというのが定説である[1][5][8][13][34][35]。したがって、明治期に西洋から輸入された多くの概念が和製漢語に当てはめられ理解されていったのに対し、観光という言葉そのものの起源は東洋にあるということになる。
「観光」という用語の使用が確認できる最も古いものは、1855年にオランダから江戸幕府に献上された洋式軍艦「観光丸」である。誰がどのようにしてこの艦名をつけたのか明らかになっていないが、珍しさや誇らしさを表したり「国の威光を海外に示す」という意味が込められていたと考えられる[1][34]。また、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視は、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫している[注釈 6][37]。岩倉は後に、東京奠都により衰退した京都の経済再生の一環として、洋風迎賓館を建てて外国の賓客をもてなすことを政府に献策している[36][38]。なお、「観」という漢字には「示す」という意味もあり、「外国の要人に対して国の光を誇らかに示す」という意味も込められているとする説もある[1]。
このほかに佐野藩の藩校「観光館」や国産品奨励を目的として設立された「観光社」など固有名詞の中での使用例があるが、用語として広く普及したとは言い難い[注釈 7][34]。
1872年の日本の鉄道開業以降、各地で鉄道のネットワークが広がってゆき、これにより国内旅行が盛んになるが[33][39]、このころは「遊覧」や「漫遊」の語が使われるのが一般的であった[注釈 8][5][34][40]。1886年に東京府師範学校が「長途遠足」を開始し、内国勧業博覧会の開催などとも合わせて修学旅行が促進された[39]。1905年には鉄道を利用して高野山と伊勢へ参詣するパッケージツアーが南新助(日本旅行の創業者)によって始められている[39]。
1893年、渋沢栄一と益田孝の旗振りにより、日本で始めて外客誘致に取り組んだ民間団体である喜賓会(英: WelcomeSociety)が設立され、設立目的に「旅行の快楽、観光の便利に」が掲げられた[34][40]。喜賓会は1912年にジャパン・ツーリスト・ビューローとなり、日本交通公社の前身となっている[5][40]。
1923年・1924年ごろにはアメリカ移住団の祖国訪問について「母国観光団」と大々的に新聞報道されており、観光の語が現代的な意味として一般に認知されるようになったのはこの頃からともいわれる[1]。
濱口内閣は、元帝国ホテル副支配人で熱海ホテル経営者の岸衛[注釈 9]の働きかけを受け、外貨獲得のための外客誘致事業を目的とした機関の設置を決定した。これが1930年4月24日付け勅令83号によって創設された鉄道省の外局「国際観光局」である[5][1][35][40][41]。名称の候補には「観光局」「国際局」「外客誘致局」などがあったが、当時の鉄道大臣江木翼により決定された[40][42]。なお、英文名はBoard of Tourist Industryとなっており、ツーリズムの語を用いず、国際にあたる表示もなされていない[注釈10][34]。
「観光」の語は原典を紐解くとアウトバウンドを指すものとも解釈できるが[35]、このように戦前の「観光」を冠する事業はインバウンドを中心としたものであった[注釈11][5][40]。
国内旅行も包含した今日の意味合いでの「観光」が定着したのは、マスツーリズムが到来した1960年代以降であるとする指摘もある[34]。宮崎バス(現・宮崎交通)が、「名勝」「遊覧」といった表現が享楽性を連想させるとして、戦中戦後に「参宮」「観光」へ名称変更した事例が報告されている[5]。
庶民に普及した当初は観光に行くことそれ自体が贅沢でありステータスであったが、観光が身近な存在になるに連れて「どこに行くのか」「何をするのか」が次第に重視されるようになっていく[23]。
知り合いが伊勢に旅行したというので「赤福食べた?豚捨は?伊勢うどんは?」と尋ねたら「うちって食べ物に興味ないんだよね。親もそうだし子供たちもそう。だから旅行行っても別に地元の名物とか調べないし食べないんだ。何食べたかも覚えてない」と言われて呆然と街をさまよっている— じろまるいずみ「餃子のおんがえし」(晶文社)発売中🥟 (@jiromal)May 29, 2025
まあそうだよね、食べることに興味ない人だっているよね。あらゆる事象に興味あるなしがあってしかるべきだよね。ただ不意打ちの致命傷だったのでなんかいろいろ考えちゃって— じろまるいずみ「餃子のおんがえし」(晶文社)発売中🥟 (@jiromal)May 29, 2025
あァンッ💕 🈵
@Ophelia__o0O
食にこだわりすぎてる日本が異常だからそういうのが羨ましい反面、その土地の食べ物料理って文化や歴史が背景にあるわけで、食べないにしてもそれに全く興味がないって何の為に観光した…?とは思う
その土地ならではの食べ物に関心がないという事は、旅行の楽しみの何割かを最初から失っているのでは?と私は思ってしまいます。(食いしん坊なので)
本人が満足であれば良い事ですけどね。—うなぎ (@Fujiko1008K)May 30, 2025
食欲は人間の最後の欲求だからそれがないということはあらゆる事に興味がないと思う
赤福より二軒茶屋餅かくうや餅の方が好きです— ぱぴりお🌙💜@ゲ-ムは1日1時間 (@altemis765)May 30, 2025
食べ物に文句を言わない、ならいいと思うのですが、興味がないとなると、文化資本的何かが欠落しているように感じてしまいます。—にゃんこほん‐全打席フルスイングモード (@nyankophone)May 30, 2025
今まで旅行は食優先の子達しかいなかったし美術館とか施設を目当てにした事なかったから引用にいるヤツらとは全く気が合わないしこういう人達と旅行するとお互い損するから今後も絶対出会いたくない
施設とか全く興味無いし風景なんて海外にでも行かないと国内は割とどこも見た事ある感じで面白みないhttps://t.co/yyYgIHOe6S—ゴリラ (@uhouho_galaxy)May 30, 2025
私もかみさんも、旅先でのご当地の美味しいものが楽しみなので、子供もそういう感性で育ちました。
沖縄での修学旅行でグループ行動のとき、グループで昼食をどこでとるか決める時「マクドナルドでいい」という女子グループをねじ伏せてソーキそばを食べてきた、と長男が(笑)— しののめ@あんバター (@snnm5328)May 30, 2025
Permalink |記事への反応(96) | 18:00
・「8.6」秒「バズーカ―」というコンビ名・ネタ中の連続した言葉「トリュフ・スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダー」という掛け声を訳すと 「きのこ・くも・閃光・米軍作戦」となる・上記の掛け声の時の相方の動きは、「火がぶわーってなってるところを避ける動き」と相方本人が過去に説明。・上記の掛け声言われて、「そんなん嫌や、そんなん嫌やと」という感じだと本人が言ってる。・ネタ中で「ラッスンゴレライ」や「~~ローリングサンダー」を言われてる側の相方は、 「日本の父、日本の母のボク純粋な日本人!」と日本人アピールをするくだりがある。・ボケ側の方は、夜の原爆ドーム前で、1人でピースサインをしている写真がある。 ※中学校の修学旅行などではなく、二十歳前後の頃の出来事・ボケ側の方はコンビ結成より前の年に、「8月6日になんかやりたいなー」とツイート。
疑われるだけの事がいくつも重なってしまっているのに、「ネトウヨ」「妄想」「病院行け」と決めつけ発言をするはてなーこそが、
自分自身の話なのだけれど、ディズニーランドに興味が無いのだ。
以前、会社で「ディスニーランド・シーに成人するまで行ったこと無かったんだよね」みたいな話をした際に「えっそんな日本人居るの!?」と驚かれた。
いやこの人がデリカシーが無いとかそういうわけでなく純粋に驚いていたようだ。
そりゃそうだディズニーランドに興味が無い自分ですらディズニーランドは家族旅行とか修学旅行の定番だし大半の人は成人前に行ったことがあるんだろうと感じる。
まぁ幼少期の実家は比喩でなく貧乏で両親は自分にそういう体験をさせられる余裕が無かったという要因はあるけれど、ディズニーランドへ行く機会を逃し続けた結果として成人するまで行ったこと無かったのだ。
成人するまでと言ったが、正確には結婚をし子供が生まれ、小旅行できるまで子供が育った段階で初めてディズニーランドへ行くことになったんだ。
もちろん妻は過去に何度もディズニーランドへ行った経験があり、幼少期の思い出話として家族旅行でディズニーランドへ行った話をしていたので「これは親として子供を連れて行くべきなんだろうな」と考えて計画したのだ。
実際にディスニーランドへ訪れてみると、妻はニコニコ、我が子もニコニコ、他の客もニコニコ、スタッフだってニコニコだ。
擬音が見えて来そうなくらい「わー!」みたいな妻と子供の表情を見て「あぁ連れてきて本当に正解だったな」と思った。
妻はずっと「子供の頃ココでどうのこうの」と思い出を我が子と自分に話し続けていて本当に楽しそうだったし、子供は子供でキグルミを指さしては「ミッキー!」みたいに名前を呼んで喜んでいた。
あとディズニーランド内は視界が凄く広い。何故こんなに視界が凄く広いのかと考えたら男女比の差がかなり大きいからだった。
女性と子供が多く成人男性が少ないので身長差から自分の視界が広く感じてしまうようだった。
ディズニーランドへ来てわかったことは、ディズニーランドには思い出補正が必要なんだということ。
ディズニーランドへ来ている人たちの大半がそうなのだと思う。今現在のディズニーランドと思い出の中のディズニーランドを比較しながら今現在を楽しんでいる。
でも、自分にはそういうものが無くて空っぽなんだなと妻と子が楽しんでいる様子を見て思った。我が子はまさに今思い出を作っているんだろう。
成人するまでディズニーランドへ行ったことがないと本当に今更感が出て、何かきっかけが無いと行こうと思えなくて、きっかけを与えてくれた妻と子には良い経験をさせて貰ったなと感謝したい。
こんな空っぽな自分のディズニーランドの楽しみ方は妻と子が楽しんでいる様子の写真を撮る、もしくはライドで使われている技術を推察して「応用の発想が素晴らしいな」と関心することだ。
例えば「美女と野獣“魔法のものがたり”」を体験できる機会を得られたが、このライドは製造業などで利用されるAutomated Guided Vehicle(AGV)と称される無人配送車の応用だ。
床面へ磁気もしくはメタルテープを設置し、それを磁気センサでレールとして判定することで指定されたコースを走る。
更にAGV台車の上のカップは回転するようになっているが中心点から偏心された位置に回転軸があり、偏心回転の速度を反比例曲線で制御することでAGV台車は等速で進行しているのに踊っているかのようなフワフワとした動作を実現している(偏心負荷を解消するカウンターバラストをどのように搭載しているのかは不明)。
更に終盤のドレスはプロジェクションマッピングと透過型スクリーンフィルムを組み合わせたものだろう。この発想は自分の中に一切無かったので非常に感心した。
妻から「はじめてのディスニーランドどうだった?」と聞かれた際に「2人が楽しんでる様子が凄く良かった」という回答に加えて機械工学のエンタメ応用で自分の理解が及んだ点を上記を含めて話したら「変わった楽しみ方だけど、つまらないわけでなかったんだね。また行こうね」と言われた。
自分自身でも意外だったが遊園地みたいなところも自分は案外楽しめるようなので家族との思い出つくりにまた計画しようかなと思っている。
ディズニー自体にはまだなかなか興味を持てないが、夫として父親としてディズニー自体にも少しは興味を持つ努力をしないといけないな。知らないキャラが居るのは流石にまずい気はした。
Permalink |記事への反応(10) | 21:33
おそらくマチュはずっと「世界に関わるないことのできない若者」として描かれるよ。
現代の若者描写としてそれが自然。歴代ガンダムみたいにガンダムを与えられて嫌々ながら世界に関わっていくならクランバトルは挟まない。
つまり討ち滅ぼすことはできないけど、自分たちの計画は台無しにする存在。たぶんマチュの知り合いに死人もでない。「最悪のことが起きたけど生きてて良かったね」が出来なくなってしまうから。
マチュの計画が「地球へ行くこと」というのは丁度アガンベンがコロナの時言ってた「移動の自由」の議論に通ずる。
マチュが地球に行く理由はくだらなければくだらないほどいい(視聴者からバカにされるくらい)し、隣にニャアン=移民という「移動の自由」が本当に切実な存在がいることにまた妙味がある。
移動の自由と義務としての生が対立するほどマチュに若者感がでる。
まぁとにかくマチュは修学旅行が中止になった高校生だから、サイコガンダム騒動に巻き込まれることはあっても、事態を左右する一手は絶対に打たせてもらえない。他の誰かが処理する。