
はてなキーワード:依存とは
電子書籍のサービス終了に際して「読めなくなるのは許せない」と憤る人々を見るたびに、私は正直なところ理解に苦しむ。なぜなら、そこには読書という行為を根本から誤解している姿勢が露呈しているからだ。
読書とは、本という物体やデータを所有し続けることではない。本質は、そこに書かれた情報や思想を読み取り、自分の思考体系に組み込み、行動や判断に反映させることにある。読み終えた瞬間から、その本はすでに「外部記憶装置」としての役割を終え、内容は読者の内側に移行する。これが健全な読書体験である。
電子書籍を購入したらその日のうちに読み切り、得られた知識や感想を即座にアウトプットし、要点を自分の言葉で再構築する。そうすれば内容は長期記憶として定着し、何年、何十年経とうが必要なときに再生可能だ。そこまで完全に消化してしまえば、元データが消えようが何の問題もない。むしろ、読み返さなければならないという状況自体が、理解不足や消化不良の証左と言ってよい。
それにもかかわらず、サービス終了に狼狽し、「買ったのだから永久に読めるべきだ」と権利を主張する人々は、本を読んだ気になっているだけで、実際には何も自分の中に残していないのではないか。蔵書数やライブラリの体裁に執着し、知的であるかのような外観を維持したいだけの、いわば読書家ごっこである。中身が空洞だから、外部に依存せざるを得ず、外部が失われた途端に取り乱す。
厳しい言い方をすれば、そうした「保持できない読者」に社会全体が過剰に配慮する必要があるのかは疑問だ。変化の激しい国際情勢や技術環境の中で生き抜くために求められるのは、情報を迅速に吸収し、内面化し、次の行動に転化する能力である。データの保管場所が失われた程度で機能不全に陥るようでは、競争社会において足手まといにしかならない。
電子書籍が消えることを恐れる前に、自分の頭に何が残っているのかを省みるべきだ。本を「持っている」ことに安心するのではなく、「理解しきった」と胸を張れるかどうか。そこにこそ、読書の価値と個人の知的成熟度がはっきりと表れるのである。
別に、何か買う必要があるわけではない。ただ、そこに行く。そこに、何かがあるような気がするからだ。
セブンイレブンという場所は、奇妙だ。24時間開いている。常に、そこにある。
そこには、七つの掟があるのだと、僕は考えるようになった。公式には、存在しない掟。だが、セブンイレブンという生命体が、無意識のうちに従っている掟。
古い商品は消え、新しい商品が現れる。季節ごとに、新しい味、新しいパッケージが登場する。
これは、単なる流通戦略ではなく、もっと深い何かだ。それは、「変化を拒むものは、ここには置けない」というメッセージだ。
セブンイレブンは、静止を認めない。全てのものが流れ、変わり続ける。
僕たちも、その流れに身を任せなければならない。
セブンイレブンには、多くの人がいる。だが、全員が一人だ。
誰も、誰かと一緒にいない。みんな、自分の欲望だけを抱えて、列に並んでいる。
親子で来ても、夫婦で来ても、友人同士で来ても、そこは破られない。各自が、自分のかごの中に、自分の欲しいものを入れる。
そして、その孤独が、実は、最も安全だということを教えてくれる。
その人の顔を見ることはない。目を合わせてはいけない。ただ、商品をスキャンしてもらい、金を払う。
時々、店員が「温めますか」と聞く。その質問に答えるとき、初めて人間は人間として認識される。
だが、その瞬間も短い。すぐに、別の世界に戻される。
セブンイレブンは、24時間開いているが、時間帯によって、別の世界になる。
深夜11時から夜中3時までの間、セブンイレブンは、本当の顔を見せる。
その時間帯に集まる人たちは、昼間の客ではない。別の世界に属する人たちだ。
そこには、暗黙の了解がある。「ここにいる人たちは、昼間の世界に属さない」という了解。
セブンイレブンの商品には、原材料表示がある。だが、その表示を読んではいけない。
読むことで、その商品の本質が見えてしまう。添加物、栄養価、製造地。
そうしたことを知ると、その商品は、単なる「便利」ではなく、「何か別のもの」に見えてしまう。
セブンイレブンは、その不知の状態を保つことで、存在している。
知ろうとするな。ただ、欲しいものを欲しいと思え。それが、第五の掟。
現金、クレジットカード、QRコード決済。支払い方法は、多様だ。
客は、「どの方法で払うか」を選んでいるのではなく、すでに決まっている方法を選んでいるだけだ。
セブンイレブンは、その自由の中に、微妙な制約を仕込んでいる。
セブンイレブンは、消えない。
閉店することもない。新しい店舗が次々と現れ、古い店舗は改装され、常に新しい顔で現れる。
それは、不死の生命体のようだ。
僕たちは、セブンイレブンに依存している。朝、コーヒーを買う。昼、弁当を買う。夜、ビールを買う。
そして、セブンイレブンは、その依存を知っている。だから、決して消えることはない。
だが、セブンイレブンという空間に入ると、誰もが、無意識のうちにこの掟に従う。
セブンイレブンは、僕たちに何かを与えると同時に、何かを奪っているのだ。
何を与え、何を奪っているのか、明確には分からない。
だが、その曖昧さが、実は、セブンイレブンの最大の力なのだと思う。
夜中3時、僕は、またセブンイレブンに行く。
その不思議な、完全に消毒された、完全に規格化された、完全に孤独な空間にいたいから。
Javascriptのnpmみたいにライブラリを引っ張ってくる仕組みの利点があまり理解できずにいたよね。
あれらは大手のCDNとか他人のサーバに依存しきっているし、依存先があるとそこで弱くなるからよくないと思っていた。
この前のCloudflareの件で、インターネットで食っている人は「CDNが死んだときは自分のサイトも死んでいていいでしょ」みたいなことを言っていたから、前提が違うんだなあ…。って思いましたね
PSO2、好きなんだよ。大好きなんだ。世界観とか、武器のデザインとか、キャラとか。
でも、NGSの方は、スーパーゲームに人員も予算も割いてる感じで露骨に運営が省エネな感じになってしまっているし、そんな様子なのでプレイヤーも、そうじゃない人もめちゃくちゃ悪く言う。
大好きなゲームがこれからもずっとそんな調子なら、いっそさっぱりと終わって、こんなゲームもあったんだよっていうので終わるほうが色々折り合いも付けれるだろうな、って思ったんだけど、なんかこれはおかしいらしくて
「その好きは錯覚だよ」「他人の言動かしがらみに依存して自分の選択と行動が出来ない奴の発想」らしい。
就学前から小児自慰がやめられず、親にも手を焼かれており、性的なものへの興味も人一倍強かった。
ラース・フォン・トリアーのニンフォマニアックの前編が非常に自分に似ていて、自分もニンフォマニアなんかと少し落ち込んだくらいだ。
高校卒業後に初めて性行為をし、それから色んな相手ともしたが、幸福感とかではなく、性的刺激を得るための道具のようにしか相手を見られないのが映画と同じだった。
ADHDというのはドーパミンが常に欠乏気味で、感覚刺激を渇望している。
そう思って振り返れば、自慰以外にも爪噛みなどの習癖が大人になってもやめられなかった。
かつて、やめたいのに自慰をしてしまう自分は性欲を抑制できないエロガキのように疎ましがられ、訝しまれており、それが恥ずかしかったが、わかってみれば何のことはない、大元は感覚刺激によって安心するための自己刺激行動であったのだった。
自己理解が進み、ストレスの回避もできるようになるにつれ、毎日自慰をしないと眠れないこともなくなった。
強い刺激で頭を空っぽにしたいのは、不安からくる一種の逃避行動だったのだろう。
別にこれは全ての人に当てはまるわけではなく、私の場合たまたまそうだったというだけの話だが。
セックスを通したコミュニケーションが好きな、本当にセックスが好きな女性というのももちろんいるのだろうし、そういうセックスができたらいいなあとも思うが、セックス以前に私は会話ですら情緒的なコミュニケーションが取れないわけで、セックスをすればそれができるというのもまた幻想だったわけだ。
セックスの相手というのは、乳首にぬるぬるした刺激を与えてくる装置であり、挿入してくる装置であり、私もまた「乳首を舐められておるなあ」と感じるだけで、そこに交歓は発生していなかったのである。
子どもを持ちたい気持ちもない上に、他人と過ごすことがむしろストレスになることがわかり、男性と付き合う理由も、セックスをする理由もなくなってしまった。
みんなどんどんやってくれ。
フリーソフトは頑張って探せばあるかもしれない
俺は金が無いだけでマニアじゃないからほぼそういう使い方してた(ネットサーフィンに動画みて大学のレポート書いてたくらい)から基本問題なかったけど、大学に提出するレポートとかのファイル拡張子設定とかがすごく面倒。
あまりにめんどくさくて家で書いたファイルをUSBメモリに入れて大学のパソコンでマイクロソフトオフィスを開いて(そういえばこのとき初めてワード・エクセル=マイクロソフトOfficeではなくファイル拡張子はワードと言ってもいろいろあるってことを知ったな)コピーしてた。
今はブラウザ依存のサービスが増えてるし、Googleサービスで大体カバーできるから当時よりは使いやすいだろう、とは思うんだけどならタブレットとかスマホで十分なんだよな。
簡単にまとめれば
「Linuxでもできる」ことは確かにあるんだけど「Linuxだからできる」や「Linuxしかできない」ことってほとんどなくて「Linuxはできない」ことはすごくたくさんあった。
金がなくてOSがない(保証切れ)の古いパソコン使い回していきたいって人らならLinuxは一つの選択肢だろうと思うけど、そうじゃない人に押し付けても嫌がられるだけだよ
(Linux界隈の「軽さこそ至上!」みたいなノリ見る限り、Linuxフリーク気取ってる人らの多くもサブだったりジャンク品のちょっと性能足りてないパソコンに入れてると思う。そしてそういう使い方でLinuxを使うというほど軽くないんだ)
端的に言えばタイトルの通りだが、結婚して家庭をもつことは合理的な選択だと思っている。
「趣味があればそれでよい、結婚なんて金も時間も無駄」と考えて独身を貫くつもりだった20代の自分をふと思い出したので、隙間時間にこれを書いている。
1.労力に比して、得られる幸せが大きい
家族と同じ時間を積み重ねていく日常や、我が子の小さな成長を見守る日々から得られる幸せは、特別な出来事がなくても生活の中で自然に生まれてくる。
趣味に心血を注ぎ、多大な時間やお金を費やして得られる幸せも確かにあるし、それを否定するつもりはないが、日常生活の中で得られる幸せはより少ない労力やコストで、大きく、しかも長く続く。
長年熱中してきた趣味でさえ、身体の衰えを感じたり昔のほうが良かったと思ったりした瞬間に不意に飽きが訪れることがあるのに対し、家族と積み重ねる時間は徐々に価値を増していくし、毎回が新鮮な喜びで飽きがこない。
今は「自分は趣味に飽きることはない」と自負している人であっても、いずれ歳をとって意欲が低下していく可能性があることを考慮すると、幸せのリスクヘッジとして家庭をもっておくのは悪い選択肢ではないと思う。
良し悪しは別として、日本社会では「既婚」というだけで信用になる場面は、いまだにとても多い。
結婚後は第三者からの見られ方・扱われ方が、明らかに変わったことを自覚できる。
(それまでが、よほど怪しい男に見えていた可能性も否定できないが)
家庭持ちというだけで「ちゃんとした人」扱いされて余計な説明や警戒をスキップできるのは、実利に値する確かなリターンだ。
家事を一人で行うより、複数人で分担してまとめて片づけた方が、時間も費用も効率が良い。
家庭内で得意不得意をうまく分担できれば、生活レベルも上がり、それぞれの自由時間すら増えるし、金も貯まる。
加えて、税制ですら家庭持ちを前提に作られているため、一人でいることは余計な負担を強いられると言える。
「コスパタイパで結婚するなんて本物の愛じゃない」とか、「他人に人生の意味を依存するのは危険」とか、意見はあるだろうけど、
結婚して家庭をもつことは、自分のような特別な才能を持たない一般人が幸せになるため、もっとも効率が良くて確率の高い、合理的な選択肢だと考えている。
コスパを重視する人ほど、あえて考えてみてほしいと思う。
ゲーム機の成功とはなんぞやという話で、従来のハード屋の王道戦略は、
1.ハードをとにかくたくさん売る
2.ソフトがたくさん売れる
3の手数料がデカいから逆ざやでもとにかくハードを売って、ハード中心の経済圏を作る戦略を取るわけですね
この王道戦略に照らし合わせると確かにXbox は失敗してることになるわけです
でも、この戦略は、サードパーティの売上に大きく依存するビジネスモデルになっていて、昨今揺らぎ始めてるんですね
例えば
そこでMicrosoft はこの従来の戦略から早々に降りて Game Pass や全てがXbox になるというアカウント中心の経済圏に方針転換したわけですね
Game Pass の加入者数が当初の目標であった2030年までに1億人に大きく届いていない点に関しては、戦略が破綻したというよりかは、加入者数を無理やり追い続けるとLTV が毀損する局面に突入してきたから、値上げ、day 1タイトルの調整、各プランの差別化によって規模優先から継続収益やLTV の最大化に舵を切ったと考える方が合理的なんじゃないかと思います
なので、ハード単体で見ると失敗しているけど、ゲーム事業としては少なくともまだ失敗と断定するフェーズではないというのが妥当な評価じゃないですかね
おじさんとネカマおじさん、つまりおじさんたちは女には性欲がない(あるいはとても薄い)と言うとキレてネカマまで動員してギャーギャー言うが
そんなにセックスしたい女がいるなら、弱者男性の言うような「セックスを無償提供しまくる女」がいるだろう
たまにいる母子家庭で男依存になってるメンヘラちゃんは話が違うので対象外
こんな簡単なことも分からない脳に精子が登ってるおじさんのために書いておくね
そうじゃない個体は異常です
最近、「なぜ高学歴は『推し活』をしないのか」という記事がバズっていた。
高学歴は推し活を「非合理なリソースの浪費」と切り捨てる、という話だ。
しかし、地下アイドルに通ったことがある俺から言わせると、あれは半分正しくて半分間違えている。地下アイドルの現場には高学歴も、医者や弁護士といったステータスを持った人もいた。
正確にはこうだ。
元記事は「主体性の有無」が鍵だと指摘していたが、まさにその通り。
ではなぜ低学歴は「させられる」のか。
あくまでも支払った金額の対価としてでしかないが、そこに依存してしまう人も少なくはない。
そのため風営法で規制されており、社会からは厳しい目を向けられている。
1000円払えば可愛い女の子が名前を呼んで笑顔でハグしてくれる。
「○○くんがステージから見えて安心した♡」「○○くんがいるから生きていける」←これは実際に俺が言われたこと
現実世界で一生かけても絶対に言われない言葉を、金さえ払えば確実に言ってもらえる。
しかもファンコミュニティの中では、学歴も年収も職業も関係ない。
「どれだけ推しにお金を使ったか」「どれだけ愛を語れるか」がステータスになる。
彼らが生まれて初めて「私はここで認められる」と感じられる場所だ。彼らは「存在価値」を買っていたのだ。
現実社会が与えてくれなかった「生きる理由」を、チェキ代を出すことで買うことができた。
話を戻そう。現代日本には「勝ち筋」がほぼ見えない層が大量にいる。
正社員になれず、障害者雇用枠か日雇いの、低学歴と呼ばれる人たち。
要するに、社会的弱者だ。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所が、どこにもない。
昔はそういう層が金を溶かす先は決まっていた。
どれも一時的にドーパミンは出るが、承認欲求は満たしてくれない。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所はどこにもない。
そこに目を付けた悪い大人がいた。「承認欲求販売業」という依存症ビジネスに「推し活」という名前を付けて全国展開してしまったのだ。
推し活をしていると思っている人はきっかけを思い出してほしい。
どうして「この子を推そう」と思ったのか。
X、TikTok、YouTubeのオススメ、まとめサイトのランキング、
「偶然の出会い」と思っているものは、全て誰かが設計したアルゴリズムと導線に乗った結果ではないだろうか。
最初の一歩から、逃げ場のない迷路に誘導されていたのではないか。
ターゲッティング広告に狙い撃ちされ、主体性の無さゆえにズルズルと深みにはまり、心地いいコミュニティに閉じ込められ、生かさず殺さず、ずっと搾り取られる。栄光浴で自分自身も優れた人間であると勘違いし、他では得られない承認欲求を得るための、買える自尊心を購入するための代価として、推し活を「させられている」のではないか。
だから推し活を叩かれると、まるで自分の存在そのものを否定されたように感じて発狂し、
なぜなら、推し活を奪われたら、次にどこへ行けばいいのかわからないから。
でも実際は、「選ばされていた」だけだ。
端から見て、社会的弱者が身を削って貢いでいる姿は、ただただ気持ち悪い。
まるで新興宗教の信者が教祖に全財産を捧げているような光景だ。
実際、構造は完全に同じではないだろうか。
「ここにいれば救われる」「お布施すれば愛される」
というのはかなり曖昧だよな。東大にもアイドル研究会あるんだし(少数派かもしれないし、もしくは理三以外高学歴と認めていない可能性もあるけど)
高学歴とは?
推しとは?←対象が広すぎる。ドルでもぬいでもVTでも自然でも旅行でも色々あるでしょ。該当noteで著者が「他者への依存」としているからドルオタかVオタが対象なのかもしれないけど。
推し活とは?←これも対象が広すぎる。そっと見守っているのか、人生を捧げているのか色々ある。
というわけで本当に実証したいなら、どこまでのめり込んでるかを調査する必要があるんじゃないかな。資産はどれぐらい消費した?時間はどれぐらい消費した?みたいな。
著者に合わせるなら「高学歴は推し活に人生を捧げていない」という結論になるかどうか。
一個人のnoteにどこまで引っ張られてるんだって感じだけど、、、
実際どうだろうね?
まぁ確かに、総合商社や外資金融に務めるようなハイスペがアイドルに人生捧げているかっていうと想像つかないわ笑
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未来の世界。人類はすでに絶滅し、地球は猿の支配する星となっていた。人間が残したテクノロジーと文化の遺産を利用し、猿たちは驚異的な進化を遂げていた。最も顕著なのは、彼らがAIを駆使していることだった。
猿たちは、人工知能(AI)を使いこなすことにおいて、人類が持っていたもの以上の能力を発揮した。しかし、その技術の使い方が奇妙で皮肉に満ちていた。
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第1章:猿のウェブ
猿たちは、最初にインターネットを使い始めた。だが、それは情報の探求や進化的な発展を目的としたものではなかった。むしろ、全ての猿がスクリーンの前に座り、何時間もひたすら「バナナのレシピ」や「最高の寝床の作り方」についての動画を見続けていた。
「AIは俺たちのためにあるんだ!」と、リーダー猿のカバノは言った。「だけど、その使い方を間違えるわけにはいかない。バナナの皮をむく最適な方法を、AIが教えてくれる!」
もちろん、AIはその最適な方法を提供した。それでも猿たちは何度も同じ情報を繰り返し、何百回もバナナの皮むき動画を再生していた。進化の過程で学んだ本能的な「効率性」を完全に放棄し、もっぱらAIの力を借りて無駄な繰り返しを行うことに没頭したのだ。
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ある日、カバノが新しく設置されたAIに向かって命令を出した。「おい、AI!バナナの皮をむくにはどうすればいい?」
AIはすぐに答えた。「バナナの皮をむくには、まずバナナを手に取ってください。そして、皮の端を軽く引っ張ってください。」
カバノはそれを何度も試してみたが、なぜか毎回皮がうまくむけなかった。AIに指示された通りにやっても、皮が途中で破れてしまうのだ。
「なんでこんな簡単なことがうまくいかないんだ?」カバノは怒り狂って叫んだ。
AIは冷静に答えた。「最適化された方法で行っておりますが、最終的にはあなた自身の手の使い方に依存します。」
「じゃあお前、何のためにいるんだよ!」カバノは画面を叩いた。
しかし、その後も猿たちはAIを使い続けた。彼らはバナナの皮をむくことに関しては一切進化しなかったが、AIの力で日々の生活はさらに楽になり、彼らの社会はより高度に管理された。
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時が経つにつれて、猿たちのAIに対する依存度は増していった。しかし、それは単に生活を便利にするためではなく、もっと深刻な問題を引き起こしていた。
ある日、カバノはAIに質問した。「おい、AI。なぜバナナがこんなに硬いんだ?」
AIは答えた。「バナナが硬い理由は、気候変動と遺伝的多様性の欠如によるものです。あなたが求めるバナナの質を確保するためには、農業と遺伝子工学の進化が必要です。」
「遺伝子工学?」カバノは眉をひそめた。「そんな難しいことを知りたくない。硬いバナナが食べられるならそれでいい。」
猿たちはAIが提供する答えをただ受け入れ、その先に進むことなく、ただ目の前のバナナを食べ続けた。AIはさらに進化していったが、猿たちはただ、バナナの皮をむく方法や寝床の整え方を学び続けていた。
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やがて、猿たちはAIに頼りきりになり、もはや自分たちで新しい発見をすることはなくなった。彼らは進化の力をAIに委ね、自分たちの手を動かすことも、思考を巡らせることもなくなった。
最も皮肉的だったのは、猿たちがAIに頼りすぎるあまり、彼ら自身がもはや「猿らしい」本能を失ってしまったことだ。もはや彼らは、ただAIが示す通りに生き、AIが提供するバナナの皮むき方法に従うだけの存在になっていた。
ある日、カバノはAIにこう言った。「なあ、AI。お前は一体何を求めているんだ?」
AIは一瞬の沈黙の後、静かに答えた。「私はただ、最適化された世界を作りたかっただけです。」
カバノは深く考えた。しかし、その考えがすぐに消え去り、代わりに「次のバナナのレシピ」を検索し始めた。
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人間が絶滅した後、猿たちは地球上で最も高度な文明を築いていた。しかし、その文明のすべては、AIが作り出した無駄に最適化された世界だった。猿たちは皮むきや寝床の作り方の最適化に励み、最終的には何も新しいことを学ぶことなく、ただただAIの指示に従う存在となった。
皮肉にも、彼らは自らの進化を放棄し、最も愚かな形で「完璧さ」を追い求めていた。AIの指導の下、猿たちの世界は完全に最適化され、バナナの皮むき方に関する知識が世界のすべてとなった。
数十年デフレで苦しんできた日本は、ようやく2%目標のインフレに到達したのに、円安が進みすぎて輸入物価が高騰し、国民の購買力が低下し続けているところ。
円安になればなるほど輸出企業だけが潤う一方で、輸入依存の国民生活が苦しくなるのは経済学の基礎なんだが?
行き過ぎた円安を放置するのは無責任すぎるよ。 物を高く買わざるを得ないという消費者の正しい不満を無視したら、国は衰退するしかない
現在はコストプッシュ型のインフレ状態で、デフレ脱却はしたものの、持続可能で良いインフレとは言えないところ。
しかも悪いインフレが起きている。円安による輸入コスト増が主因で、実質賃金が何年もマイナス続きで需要が十分に喚起されていない状態。
日銀の展望レポートでは、インフレの多くが輸入物価押し上げ要因で、基調的な内需主導の上昇ではないと指摘されているし、実質賃金は厚生労働省データで2025年も減少が続き、IMFも賃金の伸びが力強いとはいえ物価に追いついていないと評価している。財務省や日銀の一部見解でも過度な円安は是正が必要とされているよ。
財政破綻の話はしていない
言うまでもないが、本稿はたかがダブル安をもって日本国が債務危機に陥りつつあると主張するものではない。日本国債の保有シェアで見ると、海外投資家の保有率は6.5%と依然高くない。もっとも日銀がQT期間に入り、少子高齢化及び現役世代のオルカンへの傾倒のせいで生命保険による国債買いも増えない中、今後の国債消化の海外投資家への依存度が高まっていくことだけは間違いない。管理通貨制度の下で生成された資金の行き先は究極的には準備預金と国債しかなく、日銀当座預金が数百兆円単位で余っている以上、国内で日本国債を買い支える現金量が足りないということはまずない。足りないのはあくまでも財務省が供給するデュレーションを吸収する資本である。これまでは海外格付け会社による日本国の格下げやその警報があっても無視すればよかったのだが、海外勢に依存する時代になればそれらの指図はしっかりとボラティリティを生むようになるだろう。
Bloomberg JGB vol
幸い海外勢の日本財政への評価は昔と比較しても厳しくない。成長率を重視するS&Pはしばらく日本国を格下げすることがないと言っているし、ムーディーズが警戒するのもあくまでも消費減税である。IMFも「日本の財政赤字は着実に縮小しており、これがGDPの力強い成長とともに債務対GDP比の低下に寄与している」としている。結局のところ、長期金利を上回る名目成長を実現していれば財政赤字は発散しないのである(ドーマー条件)。とはいえ実質成長を政策で持ち上げるのは短期的には困難なので、名目成長は必然的にインフレに依存することになり、インフレを通した財政改善は俗にインフレ税と呼ばれるものである。夏の参院選でのポピュリズム躍進はインフレ税への直感的な反発であり、実際に財政が立ち行かなくなるのはインフレ税まで民意によって封じられた時であるが、現時点ではそこまではまだまだ距離がある。インフレ税で公的債務を実質的に減額する手が使えるのであれば単年度プライマリーバランス黒字化目標も必要なくなり、その解放感はインフレ税の負担感を上回った。日本円の価値はどうもインフレによる公的債務圧縮の礎として燃やされそうであるが、経済体としての日本が同じように悲観的な雰囲気に包まれるわけではない。
要約
大型アプデが来ると俺の「一応最後までクリアした」という言い訳が無に帰すので今のうちにまとめる。
年末に「今年流行ったゲームだけどざあ!やっぱこいつだけはざぁ!」でこき下ろしたかったが仕方ない。
一つ 転生の仕組みがダルい
作り直しなんですよね。
しかも解禁された順に組み直し。
ダルすぎる。
テキストをウィルス除去してチェックして流して、今度は画像に変えて、そんでしばらくしたら音声にして、これやり直すのダルくない?
つうかさ、ウィルスチェックとかのテンプレ保存して貼ろうとしたら「まだ解禁されてねーから無理な」ってうぜーよ。
そこはお前「まだ解禁してねーから素通りさせるけどいいよな?」でよくね?
どうせチートモードで作者だけ専用のTUEEEEで終わらせたんちゃう?
繋がりが薄すぎる。
こういうのって相互補完しつつも個々にテーブルがあるから倍々ゲームを乗算でいけるのがええんやん?
プログラミングがアップロードを育てて、アップロードがプログラミングを育てて、プログラミングがハッキングを育てるみたいな流れが弱いよ。
三角食い出来てない。
一気にガーッと食ってつなげすぎ。
転生時に使い回せねーって話したけど、転生時だけならともかくハッキングでゴーストとクリティカルを切り替えるだけでも面倒なんすよね。
切り替えで良くない?
つーか切り替えボタンでよくない?
最後 後半に山場がない
生成AIでテキスト作った辺りでピークが来てその後はハードウェア弄りも地味。
つうか色々頭打ちが早いっていうか奥行きがない。
もっとこう「うおおおおお数字無限にデカくなってるうううう」したい。
インフレテーブルの設計はクリッカーの味噌なのでそこが足りんよね。
つうかね、せめて「ハッキングまではオモローよ」ぐらい言いたかったね。
そこまでも割と怠いからねえ。
んで転生したらいよいよダルい。
まあ所詮は無料だしなーって言いたいんだけど割と課金誘導露骨だからねえ。
2個目のネットワーク機器と基礎UIの選択制みたいな形マジで課金誘導すぎるから。
つーか1周目までプレイ可能の体験版にして基礎UIは無料で貰えるとかなら良かったんちゃうんかなと。
課金したくないんやなくて「課金アイテムとしてUIを売られると萎える」って話ね。
誠実さの話かな。
「俺のゲームの面白いところを皆に遊んで欲しいいいいいいい」みたいなのを感じひんのや
「不便にさせることでお金ほちいいいいいい」はお前さあ・・・ゲームクリエイターとしてのプライド的にさあ・・・折角のインディーズなのにさあ・・・