
はてなキーワード:佐野元春とは
2025年9月21日&9月23日GRAPEVINE TOUR2025 extra show@Niterra日本特殊興業市民会館ビレッジホール、大阪城音楽堂
7月の横浜は公演の数日前にイレウスになってしまい緊急入院した事により行けなかった(後で調べたらエブエブやっててマジで発狂した…どうなってんだ!!)ので本公演は1回しか行けなかった為、追加本当に楽しみにしてた。名古屋と大阪、友達とそれぞれお互いにチケット取ったんだけど、両日共2列目のアニキ側と言う奇跡…!!ありがとう!!バインに関してはファンクラブ入ってる意味があると言うか恩恵がめちゃくちゃ大きい。まあまあな確率で良席がまわってくるので本当に有難い限り…。
以下、印象に残った曲の感想など。
·Suffer The Child、本公演でもめちゃくちゃカッコ良かったけど、進化がすごい。アニキのギターのミッションインポッシブルとビバリーヒルズ·コップのテーマ曲の所カッコ良すぎる…。アニキのギターの音の良さと上手さがはっきりと分かって聴いてて気持ちいい。そして田中さん歌うめぇ〜!!この曲2003年に発売した曲なのに今が演奏も歌もが一番カッコイイのGRAPEVINE最高過ぎるな…。
·なしくずしの愛、田中さんの歌い方が昔より感情込めた感じになっててカッコイイ。田中さんの出すロングトーンって何であんなに気持ちいいんだろう…。アニキのギターからの演奏部分と田中さんのロングトーンが交わる所、頭振り乱すしかないぐらい気持ちいい〜!!
·Silverado、野外に合うな〜。アニキのギターソロ、いつ聴いてもリズム崩さずに弾けるのすごいなぁと思う。
·1977、音源で聴くのは好きなんだけどライブで聴くのはイマイチなので名古屋ではちょっと虚無の顔になってしまったけど笑大阪はアニキのギターがアレンジしてあって私がイマイチと感じてる部分が薄れていたのがすごく良かった。曲自体は好きなんだけどなぁ…。
·KINGDOM COME、すごい久しぶりにライブで聴いた!!カッコ良すぎる…。田中さんのアコギの音が美しい。サビの部分、大好き。あと田中さんのロングトーン。最後のハモリの部分をメンバー全員で歌ってるのも良い。アニキはめちゃくちゃ歌いにくそうだったけど笑
·ドスとF、カッコ良すぎませんか!?!?演奏がキマり過ぎている。こう言う演奏が聴けるからバインのライブってたまりません…。田中さんの歌詞に合わせた身振り手振りが何と言うかフロントマンとしてカッコ良すぎる。この曲のアニキのギターソロが大好きなのでそこが一番テンション上がった。本当カッコイイ…!この曲でアニキがリズム取ってちょっと踊ってたの可愛かった。
·こぼれる、アニキがしゃがんで足元にあるつまみをいじって音出しててギタリストも忙しいな…と思いつつ見ていた。多分ここギター弾く所ないから色々やってみようって感じだと思うけど。田中さんも曲中にアコギからエレキへの持ち変えしたり曲への工夫を感じる。
·天使ちゃん演奏前にタキシード(蝶ネクタイ付き笑名古屋では黒、大阪では赤を付けてた)を着た若ローディー君がブルースハープが入ったケースを持ってきて、フタを開けて田中さんが中に入ったブルースハープを受け取るって言う茶番笑 があったんだけど、名古屋では若ローディー君が鍵を片方しか開けてなくて中々開かなくて田中さんが「詰めが甘い!」って言いながら開けてあげてて照れて笑ってたの可愛かった笑名古屋では普通に聴き流してたけど、この曲をパフォーマンスしながら楽しそうに歌い上げる田中さんの歌唱力すごい…と大阪で改めて感じた。ブルースハープもめちゃくちゃ上手いし…。追加公演は鳴子の人数がめちゃくちゃ増えていて最終日はアニキについてるローディーの方も鳴子鳴らしてたしタキシード着た若ローディー君は両手に持ってめちゃくちゃニコニコで鳴らしてた。賛否両論ある演出だけど私は割と肯定派です。
·追憶のビュイック、最終日だけどアニキのギターが更にアレンジしてあってカッコ良かった。
·実はもう熟れ、名古屋ではアニキのエフェクターが全く機能してなくて出したい音が出せてなくて、大阪では音は出てたけどブヨブヨ〜って感じの多分狙ってた音じゃない音が出てて、途中でいつものやつにしてたのちょっと勿体なかったな〜。やろうとしてた感じで聴いてみたかった。
·カラヴィンカ、最初の田中さんが前に出てきて変顔でギター鳴らすのは全然良いけど(名古屋ではアニキが田中さんの後ろで両手上げてポーズとっててめちゃくちゃ可愛かった…!!その時友達が私の方みたらニヤニヤしてたって言ってて笑った。我ながらキモ過ぎる笑)めちゃくちゃカッコ良い演奏なのに田中さんのスタイロフォンの下りが長くてちょっと微妙な空気になってたのあれ田中さん的にはどう思ってるのかな?名古屋は佐野元春さん(上のホールでライブしてた)のSOMEDAYを鳴らしてて、アニキが「早くせぇ😡」的な感じでギター途中で入れてたけど全く意に介さずやり続けててアニキが虚無顔してたの笑う。大阪は全く何の曲か分からなかった…笑(円広志の曲だったらしい) でもアニキが笑ってたから良かった(?)この下り、大阪では名古屋より若干短くなってた気がする…笑
·猫行灯、ライブで聴くの楽し過ぎる。この曲作った亀ちゃんの才能…素晴らしい。特にアニキのギターから入る落ちサビの辺りが大好きでめちゃくちゃ頭振り乱している…笑最後の演奏部分で金やんの見せ場もあり、楽しさもあり演奏で見せつける場面もありのお得感ある曲。
·猫行灯からの会いにいく、バインの楽曲の振り幅の多さが分かる。美しさもありながらその中に滲む切なさが大好きな曲。アニキのギターも美しくてすごく良い。アニキのギターって曲に感情付ける感じのメロが多くて本当に大好き。
·lamb、ライブで聴くの大好き!!気持ち良すぎる!!ラストのサビでちょっと転調する所から田中さんのロングトーンが気持ち良すぎて田中さんになりきっている…笑
·mylove,my guys、アニキのギターめちゃくちゃカッコイイけどそれに合わせて田中さんが拳を突き上げてるの個人的にダサ…って思っててライブ後、友達に普通にダサいって悪口言ってしまった…。この曲本当大好き!アニキに曲を書くように仕向けてくれた勲さんには本当〜に感謝しかない。そんな事でもなければアニキ作曲の新しい曲は聴けなかったでしょう…。
·ENC、名古屋は遠くの君へ、疾走、Arma。大阪は風待ち、疾走、真昼の子供たち。大阪での疾走、アニキのギターがアレンジしてあって最終日まで工夫してるの素敵だ〜。個人的にArma締め結構好きなので(多幸感がすごい)嬉しい。大阪のENCは来るかな〜と予想はしてたけど…贅沢言えばGlareとか聴きたかったな〜。エブエブは望み過ぎだと思ったけど、もしかしたらって頭の片隅にあったのでちょっと残念でもあったり…。野外でエブエブ聴きたいよね〜!!
以下、曲以外の感想。
·名古屋では割とご機嫌な感じ&演奏も決まってたアニキだけど大阪ではギタートラブル?とか結構あった感じでちょっと残念な場面が多々あったかも…。野外ってチューニング狂いやすいって言うし(めちゃくちゃチューニングしてた)こんな事言うのあれだけど、野外でバイン観る時まあまあな確率でアニキの調子がイマイチな気がしている…。
·名古屋でピック投げ失敗した後、アニキが後ろ向いて恥ずかしそうにしてたの可愛かった…笑
·名古屋で着てた田中さんのシャツ、めちゃくちゃオーバーサイズじゃなかった??
·「名古屋はどうなんやろ?もう一回来たり出来るのかな…」みたいな事を田中さんが言ったのでにわかにおおっ!?ってなってるお客さんに慌てて「何も決まってないし決まりそうみたいな事も何もないです」って言ってて笑った。もう一回ぐらい名古屋で観れたら嬉しいけど難しいだろうなぁ(今決まってないってなると確率かなり低そう…)
·田中さんのスタイロフォン、名古屋でアニキの怒りギターが入った時皆笑ってて、お客さんと長いよって思ってたんだなと思ってたら田中さんがお構いなしで続けてて呆れ顔してたアニキ本当面白かった笑亀ちゃんはドラムスティック握りしめてずっとタイミング見計らってるし(私は全然気付かなかったけど大阪では金やんがブチ切れ顔?してたらしい笑)田中さんってバンドの外だと先輩風吹かしてるのにバインの中だと急に末っ子感出すの何かあざとい…笑
·勲さんのテルミン、大阪ではしっかり見れたけど職人技だな〜としみじみ感じた。
·大阪で次回ライブの告知した後ポスターを若ローディー君が貼るのを田中さんが「(貼り終わるの)待ってるわ」って言って見守ってて、勲さんもポスター貼るの手伝っててあげてて暖かいなと思ってたら亀ちゃんもニコニコしてて可愛かった。
今回のツアーは小さいライブハウス公演も多くてライブハウスに合わせた演奏にどんどんなっていってたのもあって割と演奏も歌も熱い感じに仕上がってるのとても良かった。悔しくて何度も書いちゃうけど惜しくも横浜公演に行けなかったのだけが心残り。まぁこの時期シロップのツアーとも重なってて、仕事とライブでスケジュールがパンパンになっててかなり無理してたからなるようになってしまった感はあったけど…。皆同じ時期にツアーとかライブ決めるの本当に辞めて欲しい…笑 このアルバムの曲がもう頻繁には聴けなくなるかもと思うと惜しいなぁ…。ドスとFとmylove〜は定期的に聴ける感じたと嬉しい。友達とも話してたけど、デビュー28周年にしてここまでバンドが良い状態で田中さんの声も今が一番なんじゃ?と思わせる程のボーカル力、こんなすごいバンドのライブをもっと沢山の人に観て欲しいと心の底から思う。本当に勿体ないよ〜!!
1.わすれもの
2.どあほう
3.Suffer The Child
5.なしくずしの愛
6.Silverado
7.指先
8.1977
11.ドスとF
12.こぼれる
15.実はもう熟れ
16.カラヴィンカ
18.会いにいく
19.lamb
ENC.
(名古屋)
1.遠くの君へ
2.疾走
3.Arma
(大阪)
1.風待ち
2.疾走
3.真昼の子供たち
Spotifyでその武道館の音源が配信されたから聴いたけど、明らかに無理して声を出してる
無理しすぎたんだろうな
YouTubeにもその武道館の映像が少し上がってたけど、マイクの位置が高すぎる
喉で歌ってるから顎が高くなって、余計声が出なくなるんだよ
これはボンジョビもそうで、声が出なくなってきてからマイクの位置が高くなってる
してたとは思うんだけど
それは仕方ないといえば仕方ないけど、聴く側としては声は出ていて欲しいよね
今だとセカイノオワリのフカセさんとか
高い声が出なくなってきて、キー下げて歌ったりしてる
佐野元春、ボンジョビ、フカセと、みんなアラフォーくらいから声が出なくなってきてる
仕方ないけど、悲しくもある
佐野元春を今も聴いているはてな民って自分くらいなんだろうなって思う
佐野元春は途中で喉壊したんだよ
高音が出なくなって、かすれるようにもなった
それが彼が40歳過ぎの頃
佐野さんも相当悩んだはずなんだよ
本人はそんな話は全然しないけど
その後、狭くなった自分の音域にあった曲制作をするようになった
この間セルフカバーアルバムが出たんで聴いてたんだけど、やっぱり声がなぁ…と思ってしまう
年ももう67歳だし声が出なくなるのは仕方ないんだろうけど
でももう少しなんとかならないのか、って思う
声が出なくなった原因は不明だが、
喉の酷使、加齢、身内の不幸などが重なったのが原因だと言われている
でもそれにしても声が出てなさすぎ
最後にセルフカバーのYouTubeの動画を載せておくのでよかったら見てほしい
これはありなのか?
https://www.youtube.com/watch?v=9hymi2Y-MnQ
こっちが原曲
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「IDON'TNEEDYOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDooWapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TOMONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOWHIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETERGUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'REYOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MYGIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOWHIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLDYOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BADROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISHHARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERYBREATH ITAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
'60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILLYOUSTILLLOVE METOMORROW>
TheLast Rockstarsは完全に「カリスマ」で押し切っていくように見えた。あのメンバーの初お披露目としては(とくにMIYAVIのスラップギターなど)魅せて聴かせる仕掛けが少なすぎた。YOSHIKIじゃなきゃあの曲を紅白に持ってこられない。
桑田佳祐・Char・野口五郎・世良公則・佐野元春のほうがおじさんだったりダサさも織り込み済みで割り切っていて、歌を歌いに来てそれを楽しんでもらう気概があった(と思っている)。大友康平・原由子をサラっと呼ぶな。面白いだろ。あとハマ・オカモトが「箔のついたミュージシャンに呼ばれる」とこから「いると初見の人にもすごさを理解させられる」ほうに立場が転換してるのも面白かった
というわけで昭和50年代生まれが自分のiTunes再生数トップ50を書きだしてみたぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20200815085820
曜日がタイトルに入っている曲、日本語タイトルのみだけどまとめておいた
≪日曜日≫
雨の日曜日 feat.将絢(ROMANCREW),MAYAKEN THE 390
雨の日曜日(One DayAt ATimeVersion)平松愛理
雨降り日曜SPARKS GO GO
キミに恋する日曜日四葉(半場友恵)&鈴凛(神崎ちろ)
GloomySunday~ひとりぼっちの日曜日~the brilliant green
1998~土曜日の夜、日曜日の朝~GOING UNDER GROUND
土曜の夜と日曜の朝あいざき進也
土曜の夜と日曜の朝浜田省吾
'74年の日曜日THEATRE BROOK
日曜讃歌Aqua Timez
日曜の朝宇多田ヒカル
日曜の朝の早起きEAST END×YURI
日曜は何処へ行った?松たか子
日曜日(調子はどうだ)エレファントカシマシ
日曜日の秘密 feat.濱中翠(Gero)/成海聖奈(雨宮天)HoneyWorks
日曜日よりの使者THE HIGH-LOWS
春風 ~金色の匂いが僕らをつつんだ日曜日~サカノウエヨースケ
晴れた日曜日 ひいらぎ
予定のない日曜の朝つばき
≪月曜日≫
After the rain~月曜も会いたい~Le Couple
雨の夜と月曜日にはV6(Coming Century)
月曜の朝坂本真綾
もうちょっとだけ頑張ってみようかな-2011年3月14日月曜晴れ-遠藤賢司
≪火曜日≫
毎週火曜日 19
≪水曜日>
水曜の朝午前3時THE ALFEE
水曜日 真ん仲 乙三.
≪木曜日≫
木曜の夜中島みゆき
木曜日 さすって 乙三.
木曜日の糸 elliott
木曜日の午後 GQ06
≪金曜日≫
金曜の鳥、三日月の君 Snappers
金曜日のおはよう-anotherstory- feat.成海聖奈(雨宮天)HoneyWorks
金曜日のおはよう-love story- feat.GeroHoneyWorks
金曜日のライオンTM NETWORK
決戦は金曜日Allies ver./feat.柴田知美Allies
TAKEIT TO THE LUCKY(金曜日のライオン)-ALBUMMIX-TM NETWORK
≪土曜日≫
風吹く土曜 feat.SAY OZROSAURUS
1998~土曜日の夜、日曜日の朝~GOING UNDER GROUND
土曜の午後つばき
土曜の原宿マジでクソThe Mirraz
土曜の夜と日曜の朝あいざき進也
土曜の夜と日曜の朝浜田省吾
土曜の夜何かが起きる黛ジュン
土曜の夜はNegicco
土曜の夜は最高さずうとるび
土曜日の女 (Live fromSID TOUR 2009hikari)シド
MAKAJO69~土曜の夜~椎名ぴかりん
日曜>土曜>金曜>月曜>水曜>木曜>火曜