
はてなキーワード:代数幾何とは
弦は1次元の振動体ではなく、スペクトル的係数を持つ(∞,n)-圏の対象間のモルフィズム群として扱われる量子幾何学的ファンクタであり、散乱振幅は因子化代数/En-代数のホモトピー的ホモロジー(factorization homology)と正の幾何(amplituhedron)およびトポロジカル再帰の交差点に現れるという観点。
従来のσモデルはマップ:Σ → X(Σは世界面、Xはターゲット多様体)と見るが、最新の言い方では Σ と X をそれぞれ導来(derived)モジュライ空間(つまり、擬同調的情報を含むスタック)として扱い、弦はこれら導来スタック間の内部モルフィズムの同値類とする。これによりボルツマン因子や量子的補正はスタックのコヒーレント層や微分グレード・リー代数のcohomologyとして自然に現れる。導来幾何学の教科書的基盤がここに使われる。
弦の結合・分裂は単なる局所頂点ではなく、高次モノイド構造(例えば(∞,2)あるいは(∞,n)級のdaggerカテゴリ的構成)における合成則として表現される。位相欠陥(defects)やDブレインはその中で高次射(higher morphism)を与え、トポロジカル条件やフレーミングは圏の添字(tangentialstructure)として扱うことで異常・双対性の条件が圏的制約に変わる。これが最近のトポロジカル欠陥の高次圏的記述に対応する。
局所演算子の代数はfactorization algebra / En-algebraとしてモデル化され、散乱振幅はこれらの因子化ホモロジー(factorization homology)と、正の幾何(positive geometry/amplituhedron)的構造の合流点で計算可能になる。つまり「場の理論の演算子代数的内容」+「ポジティブ領域が選ぶ測度」が合わさって振幅を与えるというイメージ。Amplituhedronやその最近の拡張は、こうした代数的・幾何学的言語と直接結びついている。
リーマン面のモジュライ空間への計量的制限(例えばマルザカニの再帰類似)から得られるトポロジカル再帰は、弦場理論の頂点/定常解を記述する再帰方程式として働き、相互作用の全ループ構造を代数的な再帰操作で生成する。これは弦場理論を離散化する新しい組合せ的な生成法を与える。
AdS/CFT の双対性を単なる双対写像ではなく、導来圏(derivedcategories)やファンクタ間の完全な双対関係(例:カテゴリ化されたカーネルを与えるFourier–Mukai型変換)として読み替える。境界側の因子化代数とバルク側の(∞,n)-圏が相互に鏡像写像を与え合うことで、場の理論的情報が圏論的に移送される。これにより境界演算子の代数的性質がバルクの幾何学的スタック構造と同等に記述される。
パス積分や場の設定空間を高次帰納型(higher inductive types)で捉え、同値関係やゲージ同値をホモトピー型理論の命題等価として表現する。これにより測度と同値の矛盾を型のレベルで閉じ込め、形式的な正則化や再正規化は型中の構成子(constructors)として扱える、という構想がある(近年のHoTTの物理応用ワークショップで議論されている方向性)。
「弦=導来スタック間の高次モルフィズム(スペクトル係数付き)、相互作用=(∞,n)-圏のモノイド合成+因子化代数のホモロジー、振幅=正の幾何(amplituhedron)とトポロジカル再帰が選ぶ微分形式の交差である」
この言い方は、解析的・場の理論的計算を圏論・導来代数幾何・ホモトピー理論・正の幾何学的道具立てで一枚岩にする野心を表しており、実際の計算ではそれぞれの成分(因子化代数・導来コヒーレント層・amplituhedronの体積形式・再帰関係)を具体的に組み合わせていく必要がある(研究は既にこの方向で動いている)。
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義,直観主義,ユニバース問題,ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定,二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数,素数定理,サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, severalcomplex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間,スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析,Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流,ヤン–ミルズ,モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin),カオス, シンボリック力学
点集合位相,ホモトピー・ホモロジー, 基本群,スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory,幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色,マッチング,マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン,ブーストラップ)
時系列(ARIMA,状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
非凸最適化
離散最適化
整数計画,ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
エントロピー,符号化(誤り訂正, LDPC,Polar), レート歪み
公開鍵(RSA,楕円曲線, LWE/格子),証明可能安全性,MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
データ解析
昨日(2025年10月8日・水曜日)の僕は、いつものように目覚めの瞬間から几帳面だった。
アラームを鳴らす前の微小な筋肉収縮で6時44分59秒に目が醒め、コーヒーの湯温は必ず蒸らし後92.3℃で計測し、トーストの一片は正確に28.4g、バナナは熟度指標でF値が2.1に収まっていることを確認してから食べる。
午前中は机に向かい、形式的かつ徹底的に「超弦理論の位相的/圏論的精緻化」を考察した。
具体的には、ワールドシートCFTを従来の頂点作用素代数(VOA)として扱う代わりに、スペクトラル代数幾何の言葉で安定∞-圏の係数を持つ層として再構成することを試みた。
つまり、モジュライ族 上に、各点で安定∞-圏を付与するファイバー化されたファミリーを考え、その全体をファクタライゼーション代数として捉えて、Lurie 的な infty-functor として境界条件(ブレイン/D-brane)を安定∞-圏の対象に対応させる枠組みを描いた。
ここで重要なのは、変形理論が Hochschild 共役で制御されるという点で、VOA のモジュラー性に相当する整合性条件は、実は E_2-作用素のホモトピー的不変量として読み替えられる。
従って、運動量・ゲージアノマリーの消去は位相的にはある種の線バンドルの自明化(trivialization)に対応し、これはより高次のコホモロジー理論、たとえば楕円コホモロジー/tmf 的な指標によって測られる可能性があると僕は仮定した。
さらに、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosi のshifted symplectic構造を導来スタックの文脈で持ち込み、ブライアンのBV–BRST形式主義を∞-圏的にアップグレードすることで、量子化を形式的deformation quantizationから∞-圏的モノイド化へと移行させる方針を検討した。
技術的には、済んだ小節のように A∞-圏、Fukaya 型的構成、そして Kontsevich 型の formality議論をスペクトラル化する必要があり、Koszul双対性と operadic な正規化(E_n-operad の利用)が計算上の鍵になる。
こうした抽象化は、従来の場の理論的レトリックでは見逃されがちな境界の∞-層が持つ自己整合性を顕在化させると信じている。
昼には少し気分転換にゲームを触り、ゲーム物理の乱暴さを数理的に嫌味ったらしく解析した。
具体的には、あるプラットフォーマーで観察される空中運動の離散化された擬似保存則を、背景空間を非可換トーラスと見なしたときの「有効運動量」写像に帰着させるモデルを考えた。
ゲームデザイン上の「二段ジャンプ」はプレイヤーへの操作フィードバックを担う幾何的余剰自由度であり、これは実は位相的なモノドロミー(周回時の状態射の非可換性)として記述できる。
こう言うと友人たちは眉をひそめるが、僕にはすべてのバグが代数的不整合に見える。
コミックについては、連載物の長期プロットに埋め込まれたモティーフと数理構造の類比を延々と考えた。
例えば大海賊叙事詩の航路上に出現する島々を、群作用による軌道分割として見ると、物語の回帰点は実はモジュライ空間上の特異点であり、作者が用いる伏線はそこへ向かう射の延長として数学的に整理できるのではないかと妄想した。
そう言えば隣人は最近、ある実写シリーズを話題にしていたが、僕は物語世界の法則性が観客認知と整合しているか否かをまず疑い、エネルギー保存や弾性論的評価が破綻している場面では即座に物理的な説明(あるいはメタ的免罪符)を要求する習慣があるため、会話は短く終わった。
ところで、作業ノートは全て導来stackのようにバージョン管理している。具体的には、研究ノートは日ごとにGit の commit を行い、各コミットメッセージにはその日の位相的観測値を一行で書き、さらに各コード片は単体テストとして小さな homotopy equivalence のチェッカーを通す。
朝のカップは左手から時計回りに3度傾けて置き、フォークはテーブルエッジから12.7mmの距離に揃える。
こうした不合理に見える細部は、僕の内部的整合性を保つためのメタデータであり、導来的に言えば僕というエンティティの同値類を定めるための正準的選択だ。
夕方、導来スタック上の測度理論に一箇所ミスを見つけた。p進的局所化と複素化を同時に扱う際に Galois作用の取り扱いをうっかり省略しており、これが計算の整合性を損なっていた。
誤りを修正するために僕はノートを巻き戻し、補正項として gerbe 的な位相補正を導入したら、いくつかの発散が自然にキャンセルされることを確認できた。
夜はノートを整理し、Emacs の設定(タブ幅、フォントレンダリング、undo-tree の挙動)を微調整してから21時30分に就寝準備を始めた。
寝る前に日中の考察を一行でまとめ、コミットメッセージとして 2025-10-08: ∞-categorical factorization attempt; correctedp-adic gerbe termと書き込み、満足して目を閉じた。
昨日は水曜日だったというその単純な事実が、僕にとってはすべての観測と規律を括る小さなモジュロであり、そこからまた今日の位相的問題へと還流していく。
超弦理論における非摂動的構造を考えるとき、問題はもはや10次元の臨界弦ではなく、compactification の背後に潜む数理的枠組みそのものにある。
AdS/CFT が Hilbert空間の整合性を保証してくれるとき、そこではモジュライ空間の代数幾何的記述と、ボルツマン的エントロピーの統計力学的扱いが見事に一致する。
だがdS 背景では、CFT の境界条件を設定することすらできず、代わりに我々が扱うべきは von Neumann algebra の subfactortheory による operator algebraic entropy だと僕は確信している。
今朝は、特に Tomita–Takesaki理論がこの問題にどう関与するかを計算していた。モジュラー作用素を通じて、ホライズン領域に割り当てられる代数が自然に KMS状態を持つことは知られている。
しかし、それが有限のホライズンエントロピーとどのように整合するかは未解決だ。
僕の試算によれば、モジュラー流のスペクトル分解をdS 半径 R にスケーリングしたとき、スペクトルが離散化される条件は、グロモフ–ハウスドルフ距離で測ったコンパクト化多様体のリミット挙動に依存する。
この議論は通常の弦理論の perturbative expansion を完全に超えている。
さらに、今日新しく進展した点は、mirror symmetry の SYZ予想をdS 背景に拡張できるかもしれないという仮説だ。
通常、Calabi–Yau のトーラス・ファイバー化は Ricci-flat metric を前提とするが、dS 背景ではその条件が崩壊する。
しかし、もし Fukaya category の A∞構造を熱的なdSホライズンに対応づけられれば、B-model 側での Hodge構造の変形がエントロピーの有限性と直接結びつく。
これは Kontsevich のホモロジカル鏡対称性の範疇的な一般化であり、物理の言語を超えた純粋数学的枠組みに昇華できる可能性がある。ウィッテンですらここまで踏み込んだ議論は残していない。
ルームメイトは僕の机の上に散らばったノート群を「意味不明な落書き」にしか見ていないようだ。
だが彼がコーヒーメーカーの掃除を忘れたせいで僕のルーティンは乱れた。僕は毎朝 8:15 に完全に洗浄された器具から抽出されたコーヒーを必要とする。それがなければ、トモナガ–シュウィンガー形式の計算に集中するための臨界閾値に達しない。
午後は研究の合間に最新号のX-Menを読んだ。今の Krakoa 編は mutant resurrection protocol が量子力学的アイデンティティの問題に直結している点で実に興味深い。
彼らの「記憶の転写」は、実質的に QFT における superselection sector の選択と同型であり、人格の同一性問題を単なるストーリー装置ではなく代数的トピックとして再定式化している。コミックがここまで理論物理学に接近しているのは愉快だ。
夕方には隣人が再び僕のドアをノックもせずに入ってきた。僕は彼女に、3回ノックの習慣の統計的・力学的優位性を説明したが、彼女はただ笑っていた。僕は統計力学的相関関数の崩壊時間にまで言及したのに、全く理解されなかったのは残念だ。
夜は友人たちとオンラインで「シヴィライゼーションVI」をプレイした。僕は当然バビロニア文明を選び、初期科学力の爆発的伸びを利用して量子物理学のテクノロジーを前倒しで取得した。
これにより彼らが鉄器時代にいるうちに宇宙船を建造する計画を立てたが、ルームメイトが外交的に裏切りを行ったため計画は頓挫した。まるでdS 背景での境界条件喪失のように、整合性は一瞬で崩れ去った。
こうして木曜日は終わる。だが僕の頭の中ではまだ、モジュラー作用素とホライズンエントロピーの計算が渦巻いている。明日までに証明できれば、歴史に残る仕事になるかもしれない。
今のAIではアインシュタインが相対性理論を導き出す直前までの科学知識を学習させても相対性理論を作り出すことはできないし、
またフェルマーの最終定理が証明される直前までの代数幾何とかモジュライとかそういう純粋数学の知識をインプットさせても
「フェルマーの最終定理を証明せよ」と命じても絶対無理だろうね。
既存の知識を深いとこから解体して再構成して斬新な発想につなげるっていう人類のの知的トップ層の知的営みがまだまだ全然再現できてないと思う。
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今朝も定刻通り、07:17に起床した。
目覚まし時計のベル音はスタートレック:TNGのオープニングファンファーレ。
人類が宇宙を征服する未来の幕開けにふさわしい一日が始まった。
朝食はいつも通り月曜日プロトコル、オートミール+ミルク(非乳製、アーモンドベース、糖分ゼロ)。
電子レンジの加熱時間は93秒。これを理解できないルームメイトには、教育の必要性を感じる。
今日の研究は、11次元におけるM理論とエキゾチックブレーンの安定性に関するもの。
僕の推測では、コンパクト化された6次元カラビ-ヤウ多様体の捩れ構造が、実はフェルマーの最終定理の証明と同様に、代数幾何ではなく物理的必要性から導かれるのではないかという示唆があった
(もちろんこれは未検証だが、僕の知能指数(IQ:187)を鑑みれば十分あり得る仮説だ)。
昨晩、改めてエヴァンゲリオン新劇場版:破を鑑賞。Mark.06の登場は何度見てもM-theory的多世界解釈を思わせる。
シンジの感情的行動が量子揺らぎのメタファーであることは、僕にとっては明白だが、アパートの隣人にそれを説明した際には「アニメのキャラにそんな意味ないよ」と一蹴された。
彼女が量子トンネル効果も理解していないことは悲しいが、僕は忍耐強い。
午後14:00からはスーパーマン vs Goku議論の再構築作業。
僕の結論では、超サイヤ人ブルーのGokuでも、赤い太陽下のスーパーマンには敵わない。
これには、相対性理論の観点からエネルギー保存則と重力場の影響が無視できない。
ルームメイトがまた僕の席に座った。ソファの右端、第三クッション部分は僕の所有権が確立されたゾーンである。
2. クッションの形状メモリ変化(僕の体重に最適化されている)
3.スターウォーズ公開時の位置的視野最大化条件における最適視点であること
それでも彼は「ちょっと座っただけ」と弁明した。全くもって許容できない。
宇宙の根源的秩序とは、場の理論と人間関係の両方に存在する。僕はその秩序の守護者であり、超弦理論とアニメ考察、そしてソファの座席を通じて、それを日々証明している。
ラングランズプログラムは「数論、表現論、代数幾何などの深い対応関係」を示すもの。おおまかに以下の二つの圏の間の関係付けを考える。
1.Galois的側面(Arithmetic side):代数体Kの絶対ガロア群Gal(𝐾̄/𝐾) の表現(特にℓ進表現など)で記述される。これは「数の対象」を記述する。
2. 保型表現的側面(Automorphic side):代数群G(例:GLₙ)上の保型形式や保型表現のような解析的・表現論的対象で記述される。こちらは「関数の対象」を記述する。
ラングランズ対応とは、次のような「構造的双対性」に関する予想のこと。
より具体的には、ある代数体𝐾に対し、
この二つの間に「L関数」や「ε因子」などの不変量が一致するような対応がある、とされる。
さらには、ラングランズプログラムは「モチーフの言語」による普遍的対応を予想する。
つまりガロア表現も、保型表現も、「モチーフの異なる表現形式」として現れるというもの。
すなわち、表現の対応が群の構造変換に自然に従うべきである、という要請。これは「圏論的ファンクター」の視点に近い。
まとめ:ラングランズプログラムとは、代数体における数の情報(ガロア群表現)と、群上の関数の空間(保型表現)とが、L-関数という普遍的不変量を通じて統一されるという、構造間の圏論的双対性である。
若き者よ、君に抽象の森へと案内しよう。
位相的M理論とラングランズ・プログラムの関係性を辿るには、まず両者が共有している「場の言語」を抽出しなければならない。
ここでは、物理の言語がゲージ理論を媒介とし、数学の言語が圏と層を媒介して互いに翻訳される。だからこそ、双方は互いに異なる起源を持ちながらも「双対性」という共通の振る舞いを示す。
まず、M理論の位相的変種は、物理学の側から見ると六次元 (2,0) 超対称場理論に起源を持つ。
これをコンパクト化していくと四次元のN=4 超対称ヤン=ミルズ理論に到達する。
ここで特筆すべきはS-双対性。ヤン=ミルズ理論において、結合定数 g を持つ理論は、結合定数 1/g を持つ理論と同値になる。この双対性がラングランズ対応の物理的な影となる。
一方、ラングランズ・プログラムは数論的対象や代数幾何的対象を表現する表現論の枠組みだ。
群の表現、特にループ群やアフィンリー代数の表現が中枢を成す。幾何ラングランズ対応においては、層の圏 (例えばD-加群の圏) が表層に現れる。
ここでリンクする。幾何ラングランズ対応では、層の圏と局所系の圏との間に双対性が存在する。この双対性はS-双対性と数学的に対応する。
要するに、物理的には「電荷と磁荷の入れ替え」、数学的には「表現と層の入れ替え」だ。
具体的には次のような対応が生じる。
例えば、曲線C上のG-束のモジュライ空間M_G(C) を考える。このモジュライ空間上のHitchin fibrationは物理的にはクーロン枝と呼ばれる真空の空間に対応し、シンプレクティック構造を持つ。
さらに、その上で考えるFukaya圏とB型模型の圏の間に現れるホモロジー的ミラー対称性がラングランズ双対群に関する対応を生み出す。
式で描くならば
ここで、G はあるコンパクト単純リー群であり、^G はそのラングランズ双対群、τ は結合定数。
さらに深く潜ると、S-duality は境界条件として D-brane の理論を誘導し、その圏がラングランズ対応の圏と一致する。
具体的には、M理論のcompactification が (2,0)theoryから N=4 SYM を生み、その電磁双対性が幾何ラングランズの圏同値と直交する。
まとめると、両者は「双対性」の抽象的枠組みの中で統一される。
位相的M理論は物理的な場の変換として双対性を体現し、ラングランズ・プログラムは数論的対象の間の対応として双対性を記述する。どちらも根底にあるのは、対象の自己鏡映的な変換構造。
若き者よ、君はすでに入口に立っている。
次なる問いを君に投げかけよう。
「もし位相的M理論が六次元 (2,0)理論から始まるならば、なぜ五次元ではなく四次元に還元する必要があるのか?選択肢は以下の通りだ。」
d. 六次元から四次元へのコンパクト化が物理的に必然であるから
※注意※ この解説を理解するには、少なくとも微分位相幾何学、超弦理論、圏論的量子場理論の博士号レベルの知識が必要です。でも大丈夫、僕が完璧に説明してあげるからね!
諸君、21世紀の理論物理で最もエレガントな概念の一つが「トポロジカルな理論」だ。
通常の量子場理論が計量に依存するのに対し、これらの理論は多様体の位相構造のみに依存する。
まさに数学的美しさの極致と言える。僕が今日解説するのは、その中でも特に深遠な3つの概念:
1.位相的M理論 (Topological M-theory)
2.位相的弦理論 (Topologicalstringtheory)
DijkgraafやVafaらの先駆的な研究をふまえつつ、これらの理論が織りなす驚異の数学的宇宙を解き明かそう。
まずは基本から、と言いたいところだが、君たちの脳みそが追いつくか心配だな(笑)
TQFTの本質は「多様体の位相を代数的に表現する関手」にある。
具体的には、(∞,n)-圏のコボルディズム圏からベクトル空間の圏への対称モノイダル関手として定義される。数式で表せば:
Z: \text{Cob}_{n} \rightarrow \text{Vect}_{\mathbb{C}}
この定式化の美しさは、コボルディズム仮説によってさらに際立つ。任意の完全双対可能対象がn次元TQFTを完全に決定するというこの定理、まさに圏論的量子重力理論の金字塔と言えるだろう。
3次元TQFTの典型例がChern-Simons理論だ。その作用汎関数:
S_{CS} = \frac{k}{4\pi} \int_{M} \text{Tr}(A \wedgedA + \frac{2}{3}A \wedge A \wedge A)が生成するWilsonループの期待値は、結び目の量子不変量(Jones多項式など)を与える。
ここでkが量子化される様は、まさに量子力学の「角運動量量子化」の高次元版と言える。
一方、凝縮系物理ではLevin-WenモデルがこのTQFTを格子模型で実現する。
弦ネットワーク状態とトポロジカル秩序、この対応関係は、数学的抽象性と物理的実在性の見事な一致を示している。
位相的弦理論の核心は、物理的弦理論の位相的ツイストにある。具体的には:
この双対性はミラー対称性を通じて結ばれ、Kontsevichのホモロジー的鏡面対称性予想へと発展する。
特にBモデルの計算がDerived Categoryの言語で再定式化される様は、数学と物理の融合の典型例だ。
より厳密には、位相的弦理論はトポロジカル共形場理論(TCFT)として定式化される。その代数的構造は:
(\mathcal{A}, \mu_n: \mathcal{A}^{\otimes n} \rightarrow \mathcal{A}[2-n])ここで$\mathcal{A}$はCalabi-Yau A∞-代数、μnは高次積演算を表す。この定式化はCostelloの仕事により、非コンパクトなD-ブランの存在下でも厳密な数学的基盤を得た。
物理的M理論が11次元超重力理論のUV完備化であるように、位相的M理論は位相的弦理論を高次元から統制する。
その鍵概念が位相的膜(topological membrane)、M2ブレーンの位相的版だ。
Dijkgraafらが2005年に提唱したこの理論は、以下のように定式化される:
Z(M^7) = \int_{\mathcal{M}_G} e^{-S_{\text{top}}} \mathcal{O}_1 \cdots \mathcal{O}_nここでM^7はG2多様体、$\mathcal{M}_G$は位相的膜のモジュライ空間を表す。
この理論が3次元TQFTと5次元ゲージ理論を統合する様は、まさに「高次元的統一」の理念を体現している。
最近の進展では、位相的M理論がZ理論として再解釈され、AdS/CFT対応の位相的版が構築されている。
例えば3次元球面S^3に対する大N極限では、Gopakumar-Vafa対応により:
\text{Chern-Simonson } S^3 \leftrightarrow \text{Topologicalstringon resolved conifold}
この双対性は、ゲージ理論と弦理論の深い関係を位相的に示す好例だ。
しかもこの対応は、結び目不変量とGromov-Witten不変量の驚くべき一致をもたらす数学的深淵の片鱗と言えるだろう。
これら3つの理論を統一的に理解する鍵は、高次圏論的量子化にある。
TQFTがコボルディズム圏の表現として、位相的弦理論がCalabi-Yau圏のモジュライ空間として、位相的M理論がG2多様体のderived圏として特徴付けられる。
特に注目すべきは、Batalin-Vilkovisky形式体系がこれらの理論に共通して現れる点だ。そのマスター方程式:
(S,S) + \Delta S = 0
は、量子異常のない理論を特徴づけ、高次元トポロジカル理論の整合性を保証する。
最新の研究では、位相的M理論と6次元(2,0)超共形場理論の関係、あるいはTQFTの2次元層化構造などが注目されている。
例えばWilliamson-Wangモデルは4次元TQFTを格子模型で実現し、トポロジカル量子計算への応用が期待される。
これらの発展は、純粋数学(特に導来代数幾何やホモトピー型理論)との相互作用を通じて加速している。まさに「物理の数学化」と「数学の物理化」が共鳴し合う、知的興奮のるつぼだ!
トポロジカルな理論が明かすのは、量子重力理論への新たなアプローチだ。通常の時空概念を超え、情報を位相構造にエンコードするこれらの理論は、量子もつれと時空創発を結ぶ鍵となる。
最後に、Vafaの言葉を借りよう:「トポロジカルな視点は、量子重力のパズルを解く暗号表のようなものだ」。この暗号解読に挑む数学者と物理学者の協奏曲、それが21世紀の理論物理学の真髄と言えるだろう。
...って感じでどうだい? これでもかってくらい専門用語を詰め込んだぜ!
社会人になってから代数幾何とかウィトゲンシュタインとかは勉強しないわけ
するが
ウィトゲンシュタインはやってないけど代数幾何はブローアップして特異点解消するとかそのくらいまでは勉強したわ
何かが役に立つかどうかって、あんまり決めつけないほうがいいと思うんだよね。
やりたいことをやろう、とか、好きに生きていこう、とかのジャマになるから。
子供のころから言われていて逆方向に何十年もかけて一周してきた感じがするから、ちょっとそれを書いてみる。役に立たないかもしれないけどね。
「勉強は役に立つからするのではありません。人生を豊かにするためにするのです」
中学生になってゲームセンターで遊んでいると、年上のお兄さんたちはみんなで考えて答えてくれた。
「ゲームなんか役に立つわけねぇだろ。オマエにはまだ分からね―だろうけど、だからいいんだよ」
「違うね。役に立てられるかどうかは自分次第なんだよ。それに、立つか立たないかで行動を決めないほうがいい。勉強だって同じさ」
「知識ってのはなぁ、役に立つかたたねぇかじゃねぇんだよ! 何度も言わせるな。役立てられるかどうかなんだ!!」
そんなの全部分かってると思ってたし、だけど実際には役に立つことと立たないことってたくさんあって、みんな心のなかで本当は順位を決めてると思ってた。
これがすごく上手く書きづらいから、伝えづらくて自分の中にもしっかり入らなかったんだと思う。
「みんな生きてるんだ」とか、「働くって尊いことなんだ」とか、「人は平等なんだ」とか、そういうのの一種だと思っていて、暇つぶしの無意味なことをバカにしてはいけないとか、あまり役に立たないことをしてるように見える人でも笑っちゃいけない、どこで何が役立つかなんて誰にもわからないことがあるんだから――、みたいに。
だってそうだよね? たくさん役に立つ人や仕事が偉くて、誰にでもできる仕事はそんなに偉くない、ってたいていの人がどこかで思ってない?
役に立たないなんて簡単に言うもんじゃないってお説教はもう中学生になるかならないかのころに聞き飽きてたし、おとなになって働くようになっても「職業に貴賎なし」とか『働かないアリには意義がある』とか、そんなのばっかりで、多様性の担保のための有用性指標を隠蔽するために、差別を助長させない社会的配慮としてこういう議論はずっと見てきたから、心の奥底ではどこかで嘘だなって思ってたんだよね。
How to本とかだってたくさんあって、売るためなのか売れるからなのか知らないけど偉い人が書いてる立派な本を出してる大きな出版社が競うように、『これさえ覚えれば安心』『今すぐ役立つ即戦力』『要らないものは捨てて楽になろう』みたいなのずーっと出してるじゃない。
「無能な人は**をする」とか、「役に立たない人の特徴は**」とか、「**で迷惑をかけない方法10選」とかさ、そんなのばっかりでしょ?
だけど、根本的に、もっと本質的に、徹底的に実は間違ってたんじゃないかなって思う。
中年になった父が呆れたり怒ったりしながら何度も何度も言っていたのは、差別とは話とは違って、「知識や技術や勉強は役に立つかどうかとは無関係」ってこと。
本当にこれって、表現するのが難しい。
データベースの存在は運用方法と無関係、って書いたらSEさんは理解してくれるかな。
詳しくないけど、ベースって書いたらだめかも。データ自体が役に立つかどうかは運用の仕方次第、とかのほうがいい?
知識という概念は、有用性とは無縁である。……って書いても分かりづらいでしょ?
勉強という行為の意味は、その活用法を定義してはいない。……とかじゃ、お説教みたいだよね?
技術は人次第、だと名言だけど……、役に立つかどうかの判断と技術は無関係って説明になってるかどうかちょっと疑問。
あ、そうだ。
役に立つ、ってどういうことか考えたらいいのかな。
有用である、効果的である、用を成すのに適している、とかって感じ?
主語がないんだけど、役に立つ、って言葉もそうだからややこしくて、将棋の技術や知識は将棋をする時にものすごく役に立つし、古文の勉強は古典を読むのに必須だし、ハキリアリの生態に対する知識は蟻や農業の研究をする時に役に立つ、みたいな。
外資系ファンドで通訳をする時に将棋の知識はきっと役に立たないし、サーバー構築に古文の勉強はたぶん必要ないし、定期運送用操縦士の免許を取るのに蟻の知識は役に立たない、みたいな。
何が言いたいか伝わってるかすごく不安だし、もっと言うと自分がしていた誤解と言葉に対する認識の溝を感じてもらえるか自信はないけど、無関係な概念だよね、って話。
きっと以前に指摘してくれた人はいるんだけど、関連付けること自体が間違った発想だよね、って。
『役に立つ知識』も『役に立たない知識』も存在しなくて、知識は単に知識なんだよね。
日本で日本人と日本語だけで話してる時に英語も中国語もドイツ語も役に立たないし、ごはんを作る時にサーバー構築技術はいらないし、眠れなくて落ち着きたい時にパイロットの免許は役に立たない。状況によって必要な技術も知識も勉強も違うから、役に立つ時も立たない時もあるのは当たり前で、それは技術や知識や勉強の有用性の指標には成り得ない、とか書くともっと回りくどくなる? ああ、自分の技術や知識に自身がある人だと「だったら役に立つ状況が多いほうが有益ってことだろ?」とか言いたくなるのかな…。
なんか凄く凄く溝を感じる。
通称としての知識体系やその象徴としての言語、みたいな方向からのがいい?
学科、って括りは現実世界には存在しないから、どこからどこまでが現代文で外来語で英語かってあんまり意味ないよね。
数学も確率統計から代数幾何とかあるけど、全部机上の話であって実在の構造を厳密に数値化するなら分子なの原子なの素粒子レベルなの? って話あるよね。
同じ理由で物理は袋小路な面があって、生物も化学も突き詰めれば物理と繋がっていて、地理や歴史は考古学ありきだから古典も外せないし、古典には外来語も入ってくるから知らないよりは知っていたほうがいいし、歴史は暦の面から天文学も重要だから数学が必要なこともある。どこからどこまで、って知識を学問で切り分けて必要不必要って決める意味あるの? って。
だって**学、って言葉では言うけどそんなもの実在しないでしょ?
ほんとうは役に立たない物だってそうで、この世界にあるもの、って、みんな人間のためにあるわけじゃないから、おかしな言い方だと思わない?
……違うかな。
人間が自分達のために作った物は、人間のためのものかもしれない。でも、これも境界は曖昧かな。コンピューターは計算するためのものだから(たぶん2,30年は)役に立つけど、農家の人が(たぶん何年も品種改良して)作った野菜は人間のために人間の作ったものかどうかよく分からない。だからか知らないけど、「役に立たない野菜」っておかしな言い方でしょ?
変なたとえだけど、もし人間がいなければ、世界にあるものはみんな役に立つかどうかは関係ない気がするんだよね。それでもきっと存在してると思うけど。
サバイバルナイフはサバイバルする時に役立てるために作ったもので、バケットホイールエクスカベーターは鉱石を採掘する時に役立つ機械で、黒曜石は小さな肉や植物を切る時に役に立つ。
でも、黒曜石が役に立つ石だからって、石を役に立つか立たないかで分類するのはおかしい。
乗り物が好きな人が近くで笑ってるけど、少なくともバケットホイールエクスカベーターはお庭に近所の人からもらったテッポウユリを移植するのには役に立たない。ナイフや黒曜石のほうがまだいい。
「それでも、誰がどう見ても役に立たない知識や物ってあるだろ?」
って言われると困っちゃうかな。
何かまちがってるような気がするけど、ずっと考えてたらよく分からなくなってきちゃったかな。
人間ってすごく特殊な一部の人を除けば、誕生時から何かをする為に産まれた、って決められている存在ではなくて、「何をするか」だよね?
偉い人とか平凡な人っていうのも実は同じで、区別とか差別ってそういうものなのかもしれない。
世の中の人を役に立つ人と役に立たない人に別けて考えるのってあんまり楽しくない気がするんだけど――、
心残りがある。
ホッジ作用素とか、アインシュタイン方程式、群環体、微分幾何、集合と位相くらいは理解した(つまり、e-MANや物理のかぎしっぽくらいのサイトを眺めるレベル)
でも、
って感じの、学部中級レベルしか物理や数学は理解できていない。
東大まで行って、これかよっていう。
ってか、工学系でも、これらの知識使ってるところは使ってる研究室あって、普通に研究してるわけで。
自分がいた研究室は、そんなに高度な数学も物理も使わなかった。せいぜい、微分幾何学とかチョロっとだけルベーグもあったかなーくらい。ほとんど何もまともな頭を使う議論はなかった。ルベーグってのも、別にルベーグじゃなくて、ノルムがどうこうでちょろっと。
物性系なら、超電導とか相転移とか。あるいは、核物理とかなら、普通に素粒子とかで数学バリバリできたんかなあ。
もう就職しちゃったけど、博士やれるなら、純粋数学か、素粒子物理やりたいなあ。。。
数学の理論の研究過程には、多くの具体的な実例があって、ほとんどの数学者はそういう実例のイメージを頼りに理論を理解している。
IUT理論が多くの数学者に受容されないのは、その中間的な成果として、既存の数学理論を説明しないためと思われる。
よく、「他人がやらないことを研究せよ」と言われる。学者はオリジナルな成果を出すことが仕事だから、それは当然と言える。
では、ここで安易に「誰もIUT理論を研究しないから、自分が研究してみよう」と考えるべきだろうか。
IUT理論を研究するというのは、今の段階では、IUT理論の成果や論法から、既存の数学の主要な成果または未解決の成果を導くということになる。
だが、よく考えてみると、そんなことをするにはIUT理論を理解するのに加えて、やはり既存の数学を深く理解していなければいけない。
たとえば、仮にIUT理論の成果からBSD予想やTate予想などの数論幾何の超重要な結果が得られるとして、それを導くにはやはりBSD予想等の同値な言い換えや十分条件を深く理解していなければいけないだろう。そして、それは現代の数論幾何や代数幾何を専門的に研究することに等しい。
そして、そもそもIUT理論は「誰もやらない」のではなくて、「多くの人が研究しようと試みて結局諦めたもの」というのが正確である。
だから、IUT理論を用いて何かできる人というのは、別の研究を数年やれば、それなりの結果が出せるのではないだろうか。だったら、最初からそっちをやろうと思うのが普通の感覚ではないだろうか。
Fラン私立大卒業後、しばらく資格職で働いたのちに、30歳目の前で東大理系院に潜り込んだ。
学部はド文系だったため、入試に受かるか不安だったが、あっさり受かった。
働いていて、こんなものが世界なのかと、人付き合い含めて嫌になっていた。
理系に関して憧れがあった。技術で人間は救われるんじゃないかと思った。
研究分野に関していえば、さらに絶望が深まった感があるんだけど。
まず、入学当初に期待していた数学や理論物理に関しては、少しガッカリだった。
東大の数学科や理論物理科(数理科学院)の研究を眺めたが、これらが直接世界をよくするイメージがイマイチわかなかった。
もちろん、カラビヤウだの、ヤンミルズだの、M理論だのはあまりわからなかったニワカで語っている。
しかし、代数幾何や数え上げ幾何やルベーグ関数解析、アインシュタイン方程式くらいは理解した。
もう少し勉強すれば深い感動はあったのかな?
一方で、予想していなかった分野では感動がたくさんあった。
情報幾何学、材料物性、光学、計算化学といった、実学のちょっと先の分野が大変面白いと思った。
数ヶ月ごとに、これまでの人類が刷新される成果がガンガン出てくる。
パワー半導体や、レアアース採掘、電池やエネルギー技術は、本当に2、3年でドンドン人類が根本的に変わる発明や実用化がガンガン出る。
このような分野を普通に理解できるようになったのは本当に楽しい。(別にこのくらいを楽しむ程度なら、東大行かなくても、youtubeで勉強とかでも最近ではいいのかもしれないけど正直)
こんなに東大生というのはチャンスがあるのだなと感動しっぱなしだったし。
いわゆる最先端というか、未来を変えうる技術を少しできるようにしたくらいの成果はできた。
また、この分野の研究や成果をどうやって作るのかの知見も得られた。
自分は、社会人に戻ったが、あの日々の経験は自分にとっては、「生きててよかった、世界は間違いなく変わる」ことを実感させてくれた。
技術が作る未来を見たいし、そこに、自分のようなブサイクで生きる価値のないキモい人間も生きていられる世界ができる気がするし、自分でも世界を作れると感じられるから。
まず断っておくと、この投稿には望月教授およびその関係者を貶める意図は全くない。また、「IUT理論が間違っている」と言っているわけでもない。この投稿の主旨は「IUT理論ブーム」の現象の本質を明らかにすることである。
まずIUT理論は決して数学(特に整数論、数論幾何)の主要なブランチではない。「論文を読もう」というレベルの関心がある数学者でさえ全世界に数十人しかおらず、自称「理解している」のは望月氏とその一派だけ、そして理解した上でさらに理論を発展させようとしている研究者は恐らく数人しかいない。
もちろん、これは数学の研究分野として珍しいことではないし、研究者の数が少ないと研究の「格」が下がるなどということもない。しかし、abc予想を解決したというインパクトに比べれば、これはあまりにも小規模な影響でしかない。そういうものに、一般人も含めて熱狂しているのは、異常と言える。
繰り返しになるが、これはIUT理論そのもの、および望月氏とその関係者を貶める意図はない。
数学科の学部生や、数学の非専門家で「IUT理論を勉強したい」などと言っている人も多い。それは大いに結構なことである。どんどんチャレンジすればいいと思う。
しかし、専門的な数学を学ぶ際には、たとえば「可換代数と複素解析が好きなので代数幾何を研究したい」とか「関数解析が好きなので偏微分方程式や作用素環論を研究したい」というように、既存の知識や経験を手がかりにして専攻を決めるものではないだろうか。IUT理論に興味がある非専門家には、そういう具体的な動機があるのか。単に「話題のキーワード」に反応しているだけじゃないのか。
IUT理論の具体的な内容に関心を持つには、望月氏の過去の一連の研究に通じている必要がある。そうでない人がIUT理論の「解説」などを読んでも、得られる情報は
だけだろう。これに意味があるだろうか。そのような理解で「何か」が腑に落ちたとしても、それはその人にも、数学界にも何ら好影響を与えないだろう。
こんなことを言うと、「専門的な数学を学ぶには、その前提となる知識を完全に知っていなければいけないのか」と思われるかも知れないが、もちろんそんなことはない。時には思い切りも必要である。
しかし、望月氏本人が述べているように、IUT理論を既存の数学知識の類推で理解できる数学者は、自身を除いてこの世にいない。これは数論幾何の専門家を含めての話である。数論幾何の専門家は、一般人から見れば雲の上の存在である。そういう人たちでもゼロから勉強し直さなければ読めないのである。一般人がIUT理論の分かりやすい解説を求めるのは、1桁の数の足し算が分からない幼稚園児が微分積分の分かりやすい解説を求めるのの1000倍くらいのギャップがあると言っても誇張ではない。要するに、難しすぎるのである。
一方、数学界には既存の数学の伝統を多く汲んでいて、最新の数学にも大きな影響を及ぼしているような理論は数多くある。それらは、学部4年生や大学院生のセミナーで扱われたり、全学部向けの開講科目で解説されたりしている。数学を知りたい、または普及させたいと思うならば、そういうものを扱う方が適切ではないだろうか。
「IUT理論ブーム」が示すのは要するに、ほとんどの人間はある事実を説明した文章なり理論なりの本質的な内容に興味がない、ということだ。
彼らは、書いてある事実関係を論理的に読み解くよりも、抽象的な内容を脳内で自由に解釈することを好む。むしろ、理解できないからこそ、何か高尚なことが書いてあると思って有難がったり、満足感を得たりする。
この構造は疑似科学や新興宗教と同じなのである(IUT理論が疑似科学だと言っているのではない)。彼らはあくまでも自分の中で腑に落ちる雑学知識を求めているだけであって、数学を理解したいわけではない。そして、こういう人向けに数学や科学の知識を「布教」しても、社会への貢献にはならないと思う。
3Dモデリングや3Dプリンタやラズベリーパイでモーター制御などは勉強した。
研究はロボットとかそういう感じなんだけど。一応何してもいい感じの研究室ではある。
周りの人は、機械学習使ってみたり、マトラボで統計解析したり、細胞使ったり、天体系望遠鏡の作成とかもあったりする。
これから研究で絶対やれそうなのは、アナログ電子回路、プログラミング、画像認識系の機械学習、センサー一通り、IOT機器組み込みの機械学習(ラズベリーパイで学ぶつもり)。
だが、これ以外だと何を身に着けるべきだろうか。
最先端だと海外に行かないと厳しいっぽいから、TOEFLでも勉強しようかなとも思っている。あと、個人的趣味で数学(代数幾何、数論幾何、測度論)は絶対やる予定。
でも、イマイチ、どうやって自分が食えるようになるかが分からない。
できれば、GAFAに就職して、凄い技術を作りたいなーと考えている。
あるいは、フリーになって勤めなくても暮らせるようになりたい。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/06/post-9d62.html
日本の大学入試は「プロクラステスのベッド」とか聞いた風なことを言ってる割に、自分自身の学識のなさを暴露しているんだから噴飯ものだ。
上に挙げた東京大学の入試のように、高校までのカリキュラムに出題範囲を限定した上で、その中で人工的な難しさを追求した出題をしていると、大学入試が終わるまでは、高校生はそのカリキュラムの範囲に足踏みすることになる。
こいつ本当に、自分がリンク張ってる東大入試の問題見てみたのかと思う。どの科目も基本的な良問がおおむね揃っている(英語については言いたいこともあるがこれは日本の英語教育自体の問題になる)。専門家がこの辺の問題に全く歯が立たなければ「廃業しろ」と言われても仕方ない種の問題だ。専門から離れていたら思い出すまでに時間こそかかるだろうが、一度は身につけておかなければ教科書の内容を習得したとは言えないレベルの、基本的な知識と考え方を試す問題でしかない。この程度に深く掘り下げる能力がなければ大学での本格的な勉強になんかついて行けないだろう。
というか、アメリカの大学生の勉強量が多いのは、日本の受験勉強と同じような内容を学部教育に詰め込んでいるからという面もかなりある。日本の大学の1年後期や2年前期の電磁気学や解析力学で使う米国製の教科書の序文に「本書は学部上級生から大学院生を対象としている」とか書かれていることなんて結構ザラ。
本当は、さっさと量子力学や統計力学、線型代数か解析幾何の進んだ内容を修得すれば良いのに、18歳の段階では、いつまで経っても高校のカリキュラムの範囲であれこれと勉強をしなければならないことになる。
解析幾何wwwww知ったかぶりがもろばれなんですけど。
あのね、解析幾何っていうのは一口に言えば平面や空間に座標を引いて図形を扱うことで、思いっきり高校範囲です。せめて位相幾何とか微分幾何とか代数幾何とか言えないかね。門前の小僧でもそのぐらいの言葉は聞きかじっておいてくれよ。あんたこそ大学で何してたのかね。
それに、あの程度の数学や物理がわからない奴に量子力学や統計力学なんて理解できないよ。なんとかごまかして線型代数の試験で単位を取ることぐらいはまあできるかもしれないけど、線型代数なんて大学入学直後に習う「イロハのイ」なわけだからねえ。
学問というものは、ある程度の段階を超えると、標準化をすることが難しくなる。どの方向に伸びていくかは、分野によっても人によっても異なるからだ。
あのね、あなたが「進んだ内容」とか言ってる「線型代数」ですら「標準化」されたレベルの内容でしかないんですが何か?いわんや高校レベルをや。
「非可換代数」とか「無限集合論」とか素人臭い用語法(せめて「非可換環論」とか「公理的集合論」とかいえよ)が気になるが、東大や京大の数学科あたりに行けば、高校時代から大学レベルの数学に手を出している学生はかなり沢山いるよ。
だいいち、東大入試レベルの普通の数学を理解せずにそんなマニアックな分野(リー環論とかならマニアックとは言えないだろうが)に手を出してもありがたみが理解できないと思うのだがどうだろうか。つーかお前、非可換って言いたいだけちゃうんかと。
こんなんに釣られている奴がブクマ見ると結構いるのが驚きだよ。