
はてなキーワード:他責思考とは
なんでおれが やらなあかんねん
なんでおれが しなあかんねん
なにもかくことがない
僕が考えた最強の人生
なにもかくことがない
なにもかくことがない
指針がない
なにもかくことがない
なにもいうこともない
指針がない
なんでおれが
なにもかくことがない
なにもかくことがない
なんでおれがしないとだめやねん
なんでいきないとだ
めやねんn
いやいきるけどさ
対話 じゃあ生きなくていいよ
選択制にしてほしい
それがクソゲー
しらねえよ 興味ねえよ うるせえよ
めんどいわ
いまどんな格好してるの ムラムラしてきた 一回切るわ じゃあね
言語化したくない
明言したくない
整合性とりたくない
生きるのつらい 死ぬのも怖い もうだめじゃん
私の下の子が最近元気がありません。どうしたらいいでしょうか?(しもねた)
明記せず のらりくらり生きていく
自己成長
このままでよくないですか
いまのままでよくないですか
実家でるとか昔強く思った気がするけど
電子レンジの基本操作も出来ない人は、その電子レンジに欠陥があると断定する。
1分20秒温める。
と疑問に思うこともなくはない。
とはいえ家電の基本機能の操作方法なんて、最初わからなくてもちょっと考えれば解決法は見つかる。
そして、なにをするのかというと、こんな機械は駄目だ。
複雑すぎる(温めと解凍機能しかついていないすごくシンプルな電子レンジ)と断定する。
すなわち他責に陥る。
このような人を見ると、電子レンジの操作くらいは息を吸うように出来る我々は実に愚かだと感じる。
だが翻って見るに果たしてそこで終わってもいいことなのだろうか?
我々自身も、「電子レンジの操作」程度のことなのに「出来ない」「わからない」「複雑すぎる」と判断して放置している事柄が多いのではないだろうか?
人間大抵のことは出来る。
そりゃ出来ないこともたくさんあるが大抵のことは出来る。
それなのに、ちょっと電子レンジを触ってみて、こりゃ駄目だ…、と諦めているようなことも多いのではないだろうか?
なんだってそうだ。
トライしてエラーすることで周囲や自分の人生に深刻な影響を与えるようなことでもないなら、なんだって出来るようになる。
そのことは忘れてはいけない。
筆者(30代)の母(60代)は片付けが全くできない。そしてそれを強く非難できる人間がいない。そのことが家族の様々な問題を滞らせている。
現状を詳細に書く。
5年前に筆者の母方の祖母が亡くなった。祖母が最後に住んでいた家は賃貸で、毎月の家賃を母と母の弟達で折半して払っていた。その家に(既に亡くなった)祖父と祖母が2人で住み、母が時折介護のために訪れていた。普通に考えれば祖母が亡くなったことで必然的に空き家になるので、すぐに解約して退去するはずだった。しかしここである問題が浮上した。
祖母は生前クラシック音楽を嗜んでおり、家には最期までアップライトピアノ、オルガン、更にはグランドピアノまでもが置かれていた。当然それらは祖母が亡くなったので処分なり売却なり譲渡なりを検討する段階に入ったのだが、きょうだい間の話し合いで母が泣き崩れて大反対したそうだ。曰く、グランドピアノは祖母が生前大変苦労して貯金してようやく購入した大切な思い出の品だから手放せないと。弟達は皆優しいので(お人良しなので)そんな母に無理強いして楽器類を処分させることはできず、結局祖父母のいない空き家の空家賃を5年間払い続けている。
母もそういった停滞した状況に一応は後ろめたさを感じているようで、片付けのハウツー本を何冊も買ったり(買うだけ)「早く片付けなきゃ」と口では言うのだが、(仕事や家事で)「疲れた」「忙しい」などと言い訳を並べ5年間のあいだ事態は一向に改善しない。更に厄介なことに母は片付けイコール「捨てる」ではなく「整理、収納」だと考えているフシがあり、今あるものを捨てずにそれらをしまう棚やケースを買ってしまって更に部屋の面積が減り、物は減らないままという悪循環に陥ってしまっている。
また、母と懇意にしているある方が祖母のグランドピアノを某所の公共施設に寄贈して再利用させてもらえるように手配してくれたことがあったのだが、「お決まりになりましたらいつでもご連絡くださいね」という向こうからのLINEに対し母は今だに返信していない(できない)そうだ。筆者からすれば、誰もいない空き家でホコリをかぶって朽ちていくより何処かの施設で人々に奏でられ続ける方が祖母もピアノもよっぽど喜ぶと思うのだが、5年の歳月をもってしてもそういった境地に至れないらしい。
「筆者も手伝うから、とりあえず使ってない家具だけでも捨てよう」と提案したこともあるのだが、「重すぎて2人じゃ運べない」「捨てるにしても業者に頼まないといけないから今はお金がなくて無理」と言って意に介さない。
片付けに限らず、母は重要な意思決定をギリギリまで伸ばす保留癖がある。何かを決めるための大事な話し合いをしていても「今はまだその時じゃないから」とすぐにお茶を濁す。とにかく自分にとって不都合な現状と向き合わずに限界まで目を逸らす。「整理じゃなくて捨てないと」「これ以上弟達に迷惑をかけられない」「これは片付けじゃなくて終活なんだ」などの耳が痛い正論を並べ立てて詰めることもできるが、それをやると普段は温厚で優しい母の顔がたちまち強張り鬼の形相と化し、不機嫌モードとなって無言でその場から去ってしまう。建設的な話が全くできない。更に母は「責められる私が悪いんじゃなくて責める方が悪い」というスーパー他責思考なので始末に負えない。とにかく「責められる」ことに対して異常なまでの嫌悪感がある。
ここからは筆者の推測だが、恐らく母は「自分の実家が消滅する」という大きな喪失を受け入れることができないので、弟達の好意に甘えて片付けないまま自分が死ぬまで「逃げ切ろうと」してるのではないか。だとしたらあまりにも身勝手な魂胆だが、表向きは片付ける姿勢を見せながら実際は全く行動を起こさない点がその説の説得力を強めている。
今回の話とはあまり関係がないので詳しくは話さないが、実は祖父母の家だけではなく母の家、つまり筆者の実家の和室も使わない物(着ない衣服、行かないキャンプの薪、筆者の弟が高校時代に取ってきたぬいぐるみetc)で溢れ完全に物置状態と化している。
この停滞状態が続くと母が死んだ瞬間に祖父母の家の片付けと筆者の実家の片付けが同時に我々子供たちに全てのしかかることになる。かといって母には誰もダメ出しできず(というかしても逆ギレする)母が生きているうちに片付けることもできないので完全に八方塞がりである。似たような状況の人がもしいたらどう対処したか参考にしたくてこの記事を書いた。
以前、俺は最低の「弱者男性」だった。
正確には、弱さを盾に社会に悪意を撒き散らす、腐敗した寄生虫だった。
独りでいるのは嫌だが、他者と建設的な関係を築く努力はしない。
悪意を外に向けることでしか自己表現できない、ただの迷惑な存在だった。
彼らは甘ったれ、ただ努力を放棄し、その結果を社会のせいにする他責思考のクズである。
特に、氷河期世代弱者男性(アイスエイジヴェノム)は、努力しなかっただけなのに、景気のせい、国や女に責任転嫁している。
自分の人生を好転させる努力を怠り、その劣等感を若者や女性への憎悪に変える。
彼は活力に満ちており、俺の愚痴を聞いた後、こう吐き捨てた。
結婚したいなら、まず『普通』をちゃんとやれ。ただの『人間』として、相手の存在をちゃんと敬え」
これは、俺のような腐った弱者男性でも変われたという事実を突きつけ、未だに悪意を撒き散らす連中に、その醜さを認識させるためだ。
友人は俺が多用するアニメやネットの例え、スラングを否定した。
それは、「共通言語を持つ仲間」以外を排除するための、醜い防衛線だったからだ。
「自分から相手に歩み寄れ。お前の汚い価値観を理解してもらう義務なんて、誰にもない」
俺が多用する自虐は、最も卑劣な「他者支配」のツールだと友人は断言した。
「お前がそう言うと、相手は『慰める』という役割を押し付けられる。
「卑下する暇があったら、他人の時間を汚すな。他人を居心地よくさせろ」
「お前が他人を落とすたびに、お前自身の人間性が底辺に落ちる。」
悪意を抱え続けるのは、結局、自分自身の心を醜く腐らせるだけだ。
「清潔感の欠如は、『俺は他人の評価なんてどうでもいい』という傲慢な意思表示だ」
見た目を整えるのは、「俺はまともな人間だ」という社会への宣誓であり、自分に自信を持つための最初の一歩だ。
それは、「他者への憎悪」を「他者への善意」に変えるという意識だ。
お前の存在が、誰かにとっての「公害」ではなく、「価値」になるかどうか。
俺は運よく結婚できた。
だが、運を掴める位置に自分を置くことは、「醜態を晒すのを辞める」という努力から始まった。
変われたことが嬉しい。
某人気記事になってたのを読んで。
割と最近まで私の中では当たり前すぎてわざわざ言語化する必要すらないことだと思っていたけれど、それに関連することで切れた人間関係があったので書いてみる。
でもその選択肢の中には完璧なものがあるとは限らなくて、というよりむしろ色々なトレードオフの中から選ぶはず。
Aという選択肢にはA'というデメリットがあり、同じくBという選択肢にはB'、Cという選択肢にはC'・・・というようにそれぞれどうしてもデメリットは存在してしまう。
でもその一方でそれぞれにはメリットもあって、どのメリットを得るためならどのデメリットを我慢して受け入れるのが最もマシかを考えて選択するわけだよね。
そしてそれを選んだ以上はそのデメリットについては当然受け入れなければならないよね。選んだのは自分だしメリットを享受しているんだから、自己の責任としてデメリットも受け入れて我慢するのは大人としては至極当然だと思う。
でも他責思考の人はどうも違うらしい。
何を選んだとしても、そこに付いてくるデメリットを他人のせいにする。というよりも「デメリットのある選択肢しか存在しないのは○○のせいだ」という考え方らしい。
例えば仕事、例えば人間関係、例えば結婚相手・・・どんなものに対しても自分で選択したはずのことなのにデメリットを自分で受け入れるということが出来ないようだ。
会社が悪い、旦那が悪い、そこまで言うなら辞めるなり離婚するなりすればいいじゃんと思っても辞めたら・離婚したら生きていけないと言う。
じゃあその会社で働いたり旦那の稼ぎで生きていく選択をする以上はそこに付いてくるデメリットはあなたがその選択をした結果なんだから多少なりとも受け入れなよ、という話も理解できないようだ。
全てが自分の思い通りにならない限り不満が爆発するというのは、駄々をこねて泣き叫ぶ幼児と何ら変わらないと思うんだ。折角選択肢は持っていて何とでも出来るはずの大人なのにね。
私が付き合いを絶った相手もそういう感じだった。
利益を享受したいんだろ、じゃあその代わりこれぐらいは我慢しなよ、という話が理解できない人だった。
別に我慢するのが嫌なら関わらなくても良いんだよ、その代わり利益は失うけどその選択権はあなたに与えられているんだよ、というのが本当に分からないらしい。とにかく自分の思い通りにしようとして周りの人間を疲弊させていた。
最初に述べた通り、私にとってはそういう考え方は言語化するまでもない当たり前すぎる話だった。考えるまでもなく分かることだった。
でも考えても理解できない人種というのが一定数存在するらしい。残念ながらそういう人たちとは大人としての付き合いは不可能だ。
プライベートではまず関わるべきではない。仕事だと面倒な相手になるけど、なるべく距離を取り必要最小限の関わりにする。もうそうするしかないよね。
若者の恋愛離れは異常な域にあるから恋愛支援や若者への教育(性教育や礼儀を含む)をすべきだと思うんだけど恋愛を避けたい女が多すぎて直接的に恋愛支援をやろうとするとフェミ系から批判されるのも事実だよなあ
女叩きばっかしてる人間は逆に恋愛や出会いを支持しがちで他責思考、支援が必要だと主張する人間が多いっていう
女性蔑視と間違った性規範を拗らせてたら支援があっても恋愛、結婚なんか無理なのに教育が必要という利害が一致している点には誰より反対する
そりゃ女からしたら非モテや弱者男性を名乗る集団を見てこいつらと出会わせられるとかごめんってなるわな、実際は交際できてない人間はもう少しまともで謙虚だと思うが
せっかく忘れてたのに嫌なこと思い出したー
こゆのってなににもどうにもならなくて最悪だよね
楽しいことは許可してないのに勝手にするする抜けていって、嫌なことはいつまでも記憶の中に留まり続ける。
楽しいことを思い出しても、嫌なことを思い出しても同じようにドキドキするのに後者から得られるドキドキって最悪
血の気が引いて目の前が真っ白になったり真っ暗になったりする。手足は冷たくなるし、頭は痛いし、呼吸は浅くなる。これがまるでどうして起きたか分からない現象のように錯覚する。ただ血の気が引いたからそうなっているだけなのに。
あなたってなんでそういうこと言うのー?
インターネット(ぼかし)を見てて、
いや、色恋営業なんてしてなくね?わたしたちオタクが勝手に色恋を感じてそう解釈してるだけじゃん。都合の良いように普通の返事を書き換えてるだけでしょ。それ誰でも言うよ。職場の同僚が同じこと言ったって響かないでしょ。相手が演者だから響くだけ
とか思ってたけどさーーーー
きみのそれ、は狙ってるじゃん。色恋営業を。
色恋営業のつもりで言ってないことは百も承知だけど、結局、結局結局結局、結局
わたしみたいなのが勘違いするのは分かって言ってるでしょ?言ってない?どう?言ってないんだとしたら天性のタラシすぎる。あのさ、そういうところも好きになったんだよね
なにされてもしてても結局好きなのかもね
それって好きなのかな?本当に?好き?
盲信じゃない?
好きって肯定も否定も存在してなきゃいけないんじゃない?なにもかも盲目になっているのは全ての人間関係において正しくないんじゃないの?
ていうかさ、そうやって、あなたに対して盲目的に肯定して好きになっている人、ここではわたし、をあなたはどう思うの?何も知らない癖に(笑)って思ってる?うん、そうだよーなんにも知らない!全然!ひとつも知らないんだー活動している表層のことしか知らない!そもそも新規だしw(やばマックって単芝にしかならない?)新規だし茶の間なのに大暴れしてるんだーでもあなたに出会わなければ大暴れもしなかったんだよ。お、出ました他責思考。勝手に信じて勝手に好きになって勝手に責任取ってよなんて思っている。あなたはそういうわたしのことどう思う?救えないなーって思ってる?キショって感じてる?多少なりとも金落とすならなんでもいいっすってなってる?どう思っててもいいよ。どう思われててもいいよ。それでも好きだよ。これって本当に好きなのかな?ここにあなたっているのかな?わたしの何か得体の知れない何かを好きと思い込んでいるだけでここにはあなたは存在しなくてわたしだけなんじゃないのかな?ここにはわたし以外誰もいないんじゃない?でもやっぱり今だけはあなたのことが好きだから大暴れしてるんだって勘違いさせて!いいよね?
ねえ、もう、嫌なんだけど
つまんないこんなことで一喜一憂したくない何も好きになんかなりたくなかった
きもいきもいきもいきもいマジできもい新規の癖にほんときもい。あなたが天性のタラシならこちらは天性のキモイ。きもすぎキショ何食ったらこうなるの?
いつまで経っても他責な上に自分のことを愛せなくて誰かを愛することで誰かから愛を得ようとして自分を納得させようとしている。やっぱりここにはわたししかいない。わたしはわたしを愛したいがためにあなたを利用している。えーーー?でもそれってさもしいかも!演者にガチ恋してます♡よりもさもしいしさみしいしむなしいしカス。なんだかそっちの方がなーんにも残らない気がします。じゃあ、やっぱりあなたのことを恋愛感情で見ています♡にしようかな
ずっとずっと演者でいてねそこにいてね誰とどうなってもいいよいいわけないけどでもその誰が誰であってもわたしじゃないことだけは分かるしていうか自分が本当にその誰になりたいのかどうかも分からないしわたし自分が真に何を望んでいるのかいつも分からないんだーだからファンのわたしはとにかくあなたがそこにいて楽しいって思いながら活動してくれていたらファンのわたしはね、うれしいからさーファンのわたしはねでもさいまの感じならきっとあなたが誰かとどうかなったらぜったい会場で自殺するから!
彼は、深刻な心理的苦痛、社会的孤立、そして強烈な怒りを抱えた個人として浮かび上がります。投稿は表面上、ITエンジニアや弱者男性への「批判」ですが、深層では自己の苦痛の外在化であると解釈できます。
彼が批判する「承認欲求」「現実逃避」「他責思考」は、皮肉にも投稿者自身の特徴を強く反映しています。これは典型的な投影防衛機制であり、耐え難い自己イメージを他者に転嫁することで、一時的に自我を保護しようとする心理プロセスです。
最も懸念されるのは、暴力的イメージへの固着と他者の非人間化です。これらは実際の暴力行為の予測因子ではありませんが、心理的危機状態の指標となり得ます。
一文で言えば: 彼は、自己の痛みを他者への攻撃として表出することでしか自己を維持できない、深い孤立と苦悩の中にある人物である。
学力やスポーツなどの成功の要因は、持って生まれた才能か?本人の努力か?それとも周囲の環境か?という議論はいつも盛り上がっている。
先に結論を言っておけば、遺伝的要因と環境的要因が半々くらいと言われている。全く面白くない結論だが、
キャスリン・ペイジ・ハーデン『遺伝と平等』などを読んでほしい。これらは関心がある人も多いので、研究もそれらを説明した一般書もかなり多い。
さて、それぞれの要素がそれなりに、という面白くない結果を受け入れずに、持って生まれた才能か?本人の努力か?それとも周囲の環境か?がなぜ盛り上がるかと言えば
「中高一貫校などの環境の良い学校に通わせてもらっていて、自分の成績が振るわなかった場合」本人の努力が足りないためと持って生まれた才能が足りないための2つの要因が考えられるが、
自分の努力のせいにしたくないので、持って生まれた才能が足りない(例えば親が高卒である、親が東大卒ではない)などを理由にしたい。他責思考である。
同じように「親が東大卒であったり、医者であったりして、しかし、自分は地方都市で育っていて、成績が振るわなかった場合」本人の努力が足りないためと環境が良くないための2つの要因が考えられるが、
自分の努力のせいにしたくないので、自分の置かれた環境が悪い(例えば周囲が東大や医学部を目指さない)などを理由にしたい。他責思考である。
逆のパターンもある。
自分が東大卒や医者であるが、自分の成功を「親からの遺伝要因」「筑駒や開成、桜蔭などの難関高校の環境」によるものではなく、「自分の努力」によるものと考えたいため、
遺伝や環境要因を低く見積もることもある。これは他責思考の裏返しで、失敗は人のせい、成功は自分のおかげという思考である。
どちらにしても、人がどう考えやすいかというと自己正当化しやすい考えに流れるのであり、
科学的・実証的な答えは、それぞれの要素がそれなりに、という面白くない答えになるのだから、この手の議論やってもあまり得るものはないと思う
Permalink |記事への反応(13) | 15:21
女側からは「飯誘うな、気持ち悪いとかでなくこっちにはこっちの事情もあるのだから」って言われてるのに、何でブチ切れて仲間で取り囲んで断りづらい雰囲気を作ればとか、権力勾配を使えばとか正当化初めて嫌がらせみたいなアプローチに固執してる訳?
うん?そんなこと言ってないよね?「男は女がYesと言っても本音はNoだと悟れ!Yes means No!」って言ってるだけだよね?
女さんって甘えすぎでしょ?
他責思考直してよ
「男で無職の44歳(ろくに働いたことなし)なんだが、何からしたら良いのか分からない」
https://anond.hatelabo.jp/20250929122909
の反応を見ててさ、
「おじが誘ってくる増田」からの、「しつこいはてブおじさんたち」の流れ
https://anond.hatelabo.jp/20250929205354
との違いはなんだろうと思ったわけよ。
原因が相談者自身にあれば、相談者が変わることで解決できるからわりかし有用なアドバイスが集まるし、相談者も実践しやすい。
原因が他者にあるのなら、その「原因となっている人」に適切な対応ができる人でなければ根本的解決は望めないよね。
インターネッツからできるのは相談者へのアドバイスだけで、それは直接の原因解決にはならない。「相談者が変われ」っていうのは的外れでクソリプにしかならない。
他人にヨチヨチ察してされないと生きていけない社会不適合者の寝言。
他人を変えることは難しいけど、自分を変えることは比較的簡単なのに、人生経験の乏しい幼児がそうであるように、
自分の都合や感情で他人(親)を動かすことを当たり前と捉える幼児性が抜け切れないまま大人になると、増田みたいな愚物になる。
現実にはエスパーなんて存在しないし、他人の考えなんて読めなくて当たり前なので、大人はアプローチやコミュニケーションでそれを量るんだよ。
そこで明確に断らなければ合意したと看做されるのは当たり前の話で、
「本当は嫌なのに断れなかった」が通用するのは、明確な上下関係が成立する関係、つまりハラスメントが成立する場合だけ。
「元会社の同僚」?
「前職などで知り合った別会社の知り合い」?
そもそもこれ、現在の増田にとっては単なる「過去に面識のある人」程度の関係性で、上司部下でもなければ、義理立てを要する友人・知人ですらないよね?
そういう人たちと未だに付き合わなきゃいけない理由って何かあるの? ないならキッパリ断れよ。
かつて世話になったというだけで、今現在の増田の人生や社会生活に何も影響してないなら、断っても何も問題ないはずだろ。
何の利益もないのに勝手に義理立てを感じてるなら、どういう理由で気に入らないおっさんとの関係性を残そうとしてるの?
本当は「元会社の同僚」「元英会話教室などの趣味のXXで一緒だった生徒」「前職などで知り合った別会社の知り合い」に少なからず貢がれていて、
それを手放す気はないけど誘われるのは嫌だから愚痴ってると考える方が(増田が幼稚な事実は変わらないものの)まだ話の筋は通る程度に不自然な話。
仮に、おっさんが今現在の増田に何かしらの利益や影響をもたらし続けてるというなら、
月イチの飲み会の誘いくらい(応じるにせよ断るにせよ)その対価≠コミュニケーションと諦めて付き合うしかねえだろ。
その付き合いがどうしても嫌だというなら、利益を捨てて関係を断ち切るしかねえだろ。
利益は欲しいけど対価は支払いたくない? ただの自分勝手なエゴイストじゃねえか。
断ったら殺されるかもしれない? ストーカーになるかもしれない? それ、増田の被害妄想でしかないことに気付いてる?
確かにそういう事件があるのも事実だが、増田が相手しているおっさんがそうだという確証があるなら、
増田がやるべきは警察や弁護士、女性向けの支援団体などへの相談であって、ネットで愚痴こぼすことじゃねえだろ。
そこまでするほどの確証はないというなら、それこそが被害妄想って話。
確証はあるけど何らかの理由で相談はできないというなら、その理由を明文化しなさい。
その理由と今現在増田が抱えてる不満を天秤に賭けて、どっちがマシなのか自分で選択しなさい。
いい年した大人なら、人生とは困難な選択肢の連続だって事くらいわかるでしょ。
それとも、今までの人生がずっと察してちゃんで、何一つ自分で責任取って選択した事すらない人なの?
察してちゃんや他責思考が許されるのは、それを受け入れてくれる恋人や家族だけで、全くの他人に通用すると本気で思ってる事自体が、