Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「他者」を含む日記RSS

はてなキーワード:他者とは

次の25件>

2025-10-26

anond:20251026013808

やっと本性を出したようだな。

お前みたいに、論理煽り区別できねぇ奴が、ネットを腐らせてんだよ。

「尿と言いたいだけの変態」? 笑わせるな。

俺が言ってるのは「放尿」じゃねぇ、「自己放尿」だ。

まり、己の未熟な感情妄想を垂れ流して悦に浸る、知性の退行現象のことだ。

お前の反論はまさにその典型例で、論理の欠如と羞恥心の欠如のダブル放尿だよ。

論理とは、他者を説得する構造物だ。

お前のそれは、ただの感情の放水事故だ。

俺が論理講釈をしてるように見えるのは、お前が論理的思考という概念理解できてねぇからだ。

暗闇の中で光を見た猿が「火だ!魔法だ!」と叫ぶのと同じ構図だ。

そもそもな、「尿」という単語に反応して話の本筋を忘れる時点で、お前の知性は議論テーブルにすら着いてねぇ。

俺が扱ってるのは、言葉構造と知性の劣化分析だ。

お前が勝手変態認定してるのは、ただの理解力の自己放尿だ。

いか、お前がやってるのは議論じゃねぇ。

自分気持ちよくなるために音を立てて放尿してるだけ。

その姿、まさに感情無知ダブル放尿だよ。

俺はそれを冷徹に観察して、拭く気もねぇ。

Permalink |記事への反応(2) | 01:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-25

俺が『リベラル』を追い求めたのは『俺に生きていていいと言え』と問い詰めたか

人付き合いが苦手だったし、嫌われやす人間だった。必死になってやり取りをしてもすぐに自分コントロールが効かなくなって、馬鹿をやっては嫌われてを繰り返して無力感ばかりが募った。

生きている理由がわからなかったし、誰とも仲良くなれる気がしなかった。誰も味方なんかにはならないだろうと自分でも思ったし、思っている。

から、それでも生きていていいと言ってくれる何かを探していくうち、一番最初リベラリズムに触れたのはロールズの『正義論』あたりだったと思う。

『この前提を置けば、誰一人として不利にならないようにルールを作ることができる』『自分がその他者であったら受け入れられない差別排除しなくてはいけない』

自由人権正義という言葉の裏側に積み重ねられた様々な概念に救われた気になって必死になって追いすがって、あちこちで言われるあらゆる何かに反論ちゃんとできるのかどうかを試しては自分がここに居ても殺されないで済むのかをずっと探し続けていた。

吊られたくない、他人迷惑をかけることしかできないけれどそれでもどうにかどうか自分を殺さないでほしいと説得するがためだけの論理自分にとってのリベラリズムだった。

当然ながら、それは理論だった。俺も理論が好きだったから、少なくともそれ以上を求めなかった。

でも思ったより世間の『リベラル』はリベラリズム関係が薄かったし、理論いくら束ねても人間は思っていたよりも説得されてはくれなかった。レトリックで誤魔化して生きていく方法もあったのかもしれないが、俺にそういう実力はなかった。

何度も何度も繰り返し考えていくうちに逆に、逆説的に、俺を生きていていいと言ってくれるものが何も無いとするならやはり俺はいつかそのうち吊られてしまうし殺されてしまうし苦しむことを望まれて丹念に追い詰められて殴られて痛めつけられてしましかないということになるから辛くて怖くてなんとかしてほしいからずっとそう考えて理屈必死に追い求めているのに、誰も本当は、そんなことをどうでもいいと思っている人達ばかりが『リベラル』の話をしているような気がしてならなくて仕方がない。

ものすごく最近の具体的な話に落とし込むと、例えば労働時間規制緩和の話。

緩和に吹き上がるのは俺もそうだけど、労働時間が長くなると体力が少ない俺は余計に苦しむから嫌なんだけど、でもその『働き方改革関連法』をやり抜いたのは第2次安倍内閣だってことを解ってるんだろうか? 平成20年ごろからまともな上限規制のなかった労基法改正したのがそうだってことを解ってるんだろうか? (後で骨抜きにするつもりだったのかもしれないけれど)高プロ使用率が凄まじく低いままで、結局あの改正は素直に見て労働者に有利という点で、(新自由主義的な話はともかく)『リベラル』として決して否定するべき要素ではないし、むしろどうしてあれが過去にできなかったのかというのはあまりに恥ずべき話なんじゃないのかって思うし、それを否定することも(緩和を否定するのであれば当然に)すべきじゃないだろう。

でもするんでしょ。党派性からって、仲間のためだからって。俺は仲間なんて作れないか自分理論が間違っていないかだけしか興味がないからずっと自分の言うことが矛盾してないかいつも怖いし、実際いつも矛盾しているのがすぐにわかる。いろんな内容を見ているうちに自分の考えることが感情だけで理屈が立たなくてその感情で殺されるしかないんだから必死にそれを止めるしかないのにうまくいかなくて今もまともに頭が整理できないままこうやって書いてるんだけど。

わかるんだよ。信頼できないメディアがどっちにも大量に溢れかえって、情報価値がとんでもなく重たくなったくせにそれを吟味するだけの余裕も余暇普通人達にはない(それは生活のための必然であって罪なんかじゃない)んだから、そうなれば人は信じたい方を信じるっていう積極的相対主義みたいな有り様になってるってことだからさ。

でもだとしたらあまりにも俺が救われない。俺のことしか興味ないもの。俺は吊られるしかないと思うと怖くてなんとかならないかって必死理屈を探しているのにそれでもどうにもならないっていう結末ばっかりが目に入るし眼の前でそれを振るおうとする人たちばっかりで俺は怖くて何も言えない。

どうして俺は生まれしまったんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 20:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

アスペあるある

ガチアスペから言うんだけど、失礼を指摘する人のほとんどが何が失礼だったか解説してくれないかアスペ側は何に謝ればいいのか分かってない
何なら失礼を指摘してただ謝ってほしいとか言われたら、まずよく分からんお前都合の「失礼」をぶつけてきたことに謝れよと思ってる
それを繰返すと↓になるhttps://t.co/ymj36y5Mw4— ぬー (@centoromer77)October 23, 2025

私が買ったばかりの鮭の瓶詰めを夫に捨てられ、「買ったばかりなんだけど」と言ったら夫は「賞味期限切れたから捨てた」と言ったので、瓶詰めを見せて「切れてない」と言ったのに、最後まで謝らなかった。
月日しか見てなくて年を見てなかったとの事なのだが。
そして買って来ることすらしない。https://t.co/PnvGYKNGhg会社員はな (@hanahana2427)October 24, 2025

私の足の指が折れてる時に一緒にバスに乗ってて、夫がよろけて私の折れてる足の指を踏んだ時に、夫が笑ったので「何笑ってるの?ごめんなさいでしょ」と言ったら、凄く小さい声で「ごめん」と言った。
夫が謝ったのは私が謝れと直接言ったこの時だけ。—会社員はな (@hanahana2427)October 24, 2025

夫に言わせれば「わざとじゃない」との事。

わざとだとしたらたち悪いよな。わざとやった時だけ謝るん?
謝罪ってのは、相手を傷つけた事を反省し、今後はやらない様に気を付ける、という表明。
謝らないと言う事は、今後も同様の事をやるかもしれないんだ、と相手に思わせるから、離れてくのは当然。—会社員はな (@hanahana2427)October 24, 2025

不思議なのが、そうやって周りが離れていく事は嫌だと感じる所。
周りに離れて欲しくないなら定型だって周りに合わせてるんだからそうするべきだし、自分が変わりたくないなら前述の様に周りが離れてくのを引き止めるのは無理。

相手を傷つける事は厭わないけど離れて行くなって、どういう理論?—会社員はな (@hanahana2427)October 25, 2025


謝らない、その割には嫌われることは嫌だと主張する

アスペあるあるすぎて

これ書くとなんで見抜けなかったんだぁー見る目ないお前が悪いって言われるが、実際アスペと関わった身として書いておく(障害者差別だと言われそうだが増田自身も診断済みアスペであることはここに明記しておく、もちろん上のアスペやこれから書くアスペほど酷くはないが)

アスペ上記の通り傍若無人行為を繰り返して人が離れていくが、アスペ学習能力がないわけではない、自分言動がまずいとは学習する

しかし、ここで学習するのは人の心の機微でなく「親しくなるまでいかアスペを誤魔化すか」だ

健常者と初めて接したアスペは非常にオドオドしている

それはこれまで健常者にたっぷり叱られ嫌われた後だから

オドオドしてる相手に「オドオドしてんな、いじめよw」とはならない、一般的感性をしてるならね

「そんなに緊張しなくていいよ^_^」と声かけもあるだろう、そして親しくなってからアスペは本性を出す

アスペ世界に親しき仲にも礼儀ありという言葉はない

親しくなった=俺の全てを受け入れてくれたんだ!と誤認しこれまでの擬態が嘘かのように失礼な言動を連発する

当然健常者側の方は混乱する

あれまで異常なほどに臆病で失礼な発言しなさそうな人間からノンデリカシー発言が繰り返されるんだから

注意しようにも、必要以上にオドオドした時期を知ってるため注意もしにくい

そして擬態期に貯めた信頼貯金が底をつくまで失礼な言動を繰り返され、健常者の我慢限界が来たら人間関係破局を迎える

そしてアスペ自分言動が悪いと悟るが、根本的な他者への理解はしないためいつまでも同じことが繰り返されるという悪循環

友人関係ならサクッと切れるが、夫婦タイプの中には妻が出産してから本性を表すタイプアスペもいるらしく、本当に恐ろしい

こうしたアスペを避けるには、コミュ障を全て跳ね除けるしかないのだが、コミュ障は場数を踏んでない健常者にも十分なりうるので線引きが難しいところ

あのな、健常者ってのは相手立場になって頭を下げたり身を削ったりするんだよ

ここ最近、士業とやり取りしてるんだが郵便局が完全に悪い郵便事故大事書類を紛失したことがある

再発行にはウン万かかる書類で、もし見つからなかったら追加で金がかかる、ということも想定しないといけない事態だった

その時相手の士業さんが、「もし見つからなかったら私が出します!」と言ってきたんだ

それは悪いから、増田側が出しますと言ったんだが私が出しますと譲らなかった

最終的には書類は見つかり(調べたら別の家に投函されてた)無事解決したのだが、このエピソードのお陰で士業さんは信頼できると確信した

こうした信頼関係のやり取りで健常者社会は成り立っている

もちろん信頼してるからと言って相手に失礼なことは言わない、言わないからこそこちらも信頼されてる

こういうのってどこで学べるんだろうな

人と円滑に付き合っていきたいなら、健常者をよく観察したほうがいいよ

アスペ法則性が好きで、他人感情機微に鈍感だと言われるが、人の感情だって法則性がある

からいきなり怒り出す人はいない(そういう人がいたらおそらく病気

貶されたら怒るし、褒められたらお世辞でも喜んだり照れたりする

アスペ自身感情がないわけではないのに、他者になるとどうしてここまで横暴になれるんだろうな

アスペ当事者として疑問に思うわ

Permalink |記事への反応(1) | 16:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-24

anond:20251024151407

うむ俺も男女の話はしてないで。

 

他者感情は意外と操作できるで! 実際自分がされてるしな! という主張なんだよな、お前は。

ちょっと俺とは主義があわないね

Permalink |記事への反応(0) | 15:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251024150557

ことが感情からよ、他者操作するの限界があるよ。

しろ「その気にさせる」を、お前は自分の手柄とほんまに思ってんのかという話。絶対確実な催眠アプリでも持ってんの?

女側がその気になってくれているんだと思うわ。せいぜいそれに協力するぐらいか

 

からな、その「その気になってくれようとする」の一歩が有るか無いかで、愚痴の一つも言いたくなるってのはあるよ。

相手してくれるだけで感謝、それはある。

だが感謝余地がないこともあるし、それが問題になってるのとちゃうんかね。

Permalink |記事への反応(1) | 15:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251024022100

育ちが良くて優秀で、正義感が強くて努力ができる。あなたはそれを彼の「内面」だと思っていないですか?たぶんこれは間違いないと思うので断言するのだが、彼の内側にはそれはもう深い地獄があるよ。あなたはその地獄共感したことがありますか?あなたこそ「彼はそういう人間なのだ」と思ってそこで歩み寄りを止めてしまっていませんか。

育ちが良くて自律した人間ってたいてい、超自我支配が強いんですよ。言ってしまえば内面化した親とかそれに類するものね。それは自我自分固有の欲望)を抑圧する力なわけだけど、これが行き過ぎると、自分欲望を持つことすら困難になってくる。

社会的動物である人間にとって、欲望というのは、本質的に、他者に対して優越することです。その衝動キャンセルされるとどうなるか。自分というもの特別視すること自体に罪悪感を覚えることになります特別視するというのは、なにも「俺はすごい」とナルシシズムに浸ることだけではない(むしろこの種のナルシシズム社会的基準を受け入れている点で自己を非特権化するものですらあります)。たとえば社会的には正当とされる程度の「被害意識」を持つことだって自分他者に対して特権化しなければ成立しない。彼が口癖のように「人間ってこういうものでしょ」というのは、彼が自分を含めて人間を「平等に」見ざるを得ない心理を反映しています。彼は彼の意志世界に立ち向かうことを禁じられているのです。

からそういう人間はとにかく努力をする。努力した結果として救いが「訪れる」ことを望むわけです。彼が意志した(要求した)結果ではなく、ただ自然の摂理として自分が救われるようにね。

ねえ、こういうふうに生きている人が心の底で何を思っているか知っていますか?彼の努力、品行方正な態度、寛容、言ってしまえばすべてこの世界に対する復讐なんですよ。正しさによって世界が(あるいは自分が)滅べばいいと思ってるんですよ。そういう気持ち共感したことがありますか?

まあ、こういう人たちは得てして優秀なので、この地獄に対しても折り合いをつけて生きてゆきます。より高次の行動に昇華させてゆく人たちも多い。あなたはたぶん、慈善事業とかする人たちに対して「口では聞こえのよいことを言うが、しょせんは金もうけのためだろう」とか思ってるでしょう。全然違います。彼らは本心からやってます復讐のためにね。もちろん、それを復讐意識している人はそんなに多くないと思うけれども。

ところであなた彼氏さんは(言葉通りに読むなら)自分よりずっと水準の低いあなたと付き合っている。それはなぜかといえば、彼の中で抑圧された彼の(ある意味で)幼稚な部分が逃げ場を探した結果なのだと思います。これもまた非常によくあることです。彼は雁字搦めになった精神を解きほぐすきっかけを無意識に探している。だからあなたが、彼の子供っぽい部分、原始的な部分をうまくすくい上げ、彼の自縛に風穴をあけ、彼固有の欲望を育ててゆくことができるなら、あなたの望む関係に近づける可能性はあります。なかなか困難な道だとは思いますが、それはそれで、人付き合いの楽しみというものです。

Permalink |記事への反応(9) | 13:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251022231336

結局こういう立ち回りがいい感じに見える女って幸せを掴んでいるけど、個人的には他者を食いものにしてその後なんの禊もないのはムカつくので、増田と一緒にその女がいつかまとめて悪行のツケを払うように願っておくね

Permalink |記事への反応(0) | 06:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-23

まあつまりはそういうことよ

他者に敬意を払えない人間が言う「自由」って、未就学児がスーパーお菓子コーナーで地団駄踏みながら「こ゛れ゛か゛っ゛て゛よ゛!!!」って泣き叫んでるのと同じだって気づいた

喚いて叫んで自分の思い通りにしようとする幼稚さを大の大人がやってるんだよ、あれっ?これよく空港荷物確認とかで見る光景ですね……?

Permalink |記事への反応(1) | 20:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

弱い人間にも自由が認められるためには、他者権利侵害する自由制限される必要がある

それを制限するのが法だ

言論の自由表現の自由がどこまでも拡大されるべきであり、方による規制は悪、と考えるのは明確な誤り

多くの人を不快にさせる表現の自由など認められはしない

Permalink |記事への反応(1) | 12:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

田原総一朗高市総理は死んでしまえ」発言デマです

自民党支持者にまんまと乗せられ、田原さんが高市さんに「死ね」と言ったかのような切り取りと誤読が広まっており皆さんの貧弱な情報リテラシーに頭を抱えている。

高市さんに「死ね」なんて言ってない

大前提として発言高市さんに対して言ったものではなく出演した福島さんと辻元さんに向けたもの

「死んでしまえばいい」とも言ってない

発言内容は「“あんなやつは死んでしまえ”と言えばいい」。

これは高市さんと意見が異なるという福島さんの発言を受けて、もっと激しく反対しろ・戦えと発破をかける意図表現で、流れを見ていれば誤解のしようがない。

ちなみに言われた二人はちゃんとやっていると反論している。

謝罪撤回必要発言

乱暴言葉遣いではあるもの他者を傷つける暴言中傷の類ではまったくない、ただの「放言」でしかない。

例えば「安倍元首相暗殺されてよかった」のような思想的にも倫理的にも批判されるべき問題発言とは次元が違う。

フワちゃん処分に比べ甘い?

取り上げるのもばからしいが、「死んでくださーい」で芸能界から消えたフワちゃんを引き合いに出し、田原さんは厳重注意では軽すぎるなどとする主張が一部で見られるのは本当に意味がわからない。

フワちゃんのそれは相手に対して放った暴言中傷であり、人気商売であるから好感度を下げる発言をした彼女スポンサー番組採用する理由がなくなっただけの話で、芸能界追放処分にされたわけでもない。

田原さんの発言は質の異なるもので、人気商売ではないので好感度関係ない。

 

このように捻じ曲げた解釈がまかり通り処分まで下るようなら実質的報道規制思想統制の時代に逆戻りしたも同然で、日本の将来を憂慮せざるを得ません。

国民レベル戦時中から進歩してないならいずれまた戦争に突き進むことになるでしょうね。

Permalink |記事への反応(9) | 09:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-22

子どもがいる人が、子どもを持とうか迷っている人に「子どもはいいよ」と勧める意見をよく目にする・耳にする。

子どもを持つことが他者生殖を促すように作用するのか、はたまた元から同質化意欲の高い人が子どもを持ちがちなんだろうか?

Permalink |記事への反応(0) | 20:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

プロプロ志望がSNS愚痴思想を言うなって話

商業上全てのクリエイター愚痴思想SNSに限らず他者に向けて出さない方が良いと思う。

クリエイター個人には憲法保証されてる自由があっても、クリエイター言動作品プロモーションに繋がってしまう。

メインのスタッフだろうと端っこに名前が載る程度であろうと、どんな良い作品でも些細な事でケチを付けられる。

Permalink |記事への反応(0) | 17:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251021175424

はい、まずこれ読んでな?

日本弁護士連合会刑法の一部を改正する法律案国旗損壊罪新設法案)に関する会長声明

https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html

国旗損壊罪」はなぜ「表現の自由」の問題となるのか(志田陽子) -エキスパート -Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b619d0442a41d4f0329ddbd262f6c252ba2e9fdb


って読まないだろうから重要なとろこだけ

刑法における外国国章損壊罪規定された理由は、それらの罪に当たる行為外国侮辱するものであることから国際紛争火種となり、外交問題にまで発展する可能性があり、ひいては日本対外的安全国際関係地位を危うくするからとされている。他方、上記国旗損壊罪」の保護法益は明確でないが、少なくとも外国国章損壊罪と同様の保護法益存在しないことは明らかである

しかしこうした法案が提出されるとしたらその焦点は、そうした公務上の国旗を守ることではなく、一般人国旗日の丸)の表象自分表現に使うときに、その使い方(そこに込められるメッセージ)を統制する、ということだろう。この場合には、表現者が自分で作った布や紙の国旗や、作品中に描き込んだ国旗表象が法適用対象となる可能性も出てくる。

 これには「侮辱する目的」でなければこの罪には該当しない、批判表現にはこの規定適用されないので「表現の自由」には抵触しない。という反論があるかもしれない。しかし、「侮辱する目的」は、運用次第で外側から認定される可能性がある。警察による事情聴取の段階で「このような表現侮辱的だということは当然に認識できたはずだ、だから侮辱目的があったと認められる」といった論法で問い詰められた場合、この「目的」の絞りはたいした歯止めにならない。

以前に提案された法案に対するものからちょっとは違うだろうけど、まぁそんなに変わらないはずだ。

で、「国旗損壊罪」の想定対象について考えたんだけど、他者所有の国旗毀損する行為は既に器物損壊などで罪に問えるよね。

からデモなんかで自己所有の国旗を燃やすとかの行為を想定しているんだろうけど、これが罪になるかって話。

「私のお気持ちが傷ついた!有罪!」でいいのかってこと。

あと、日本で行なわれたデモ日の丸をどうこうってあんまり見ないよね。(俺が知らないだけかもなのであるなら例示してもらいたい

そんなに数がないもの、実害が少ないものに対してわざわざ法律作る?って話。

もうひとつ外国国章損壊等罪(刑法92条)は第2項の規定があるのよ。

2項 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

外国国章損壊等罪と整合性をとるなら、この部分はどうするのって話。公が恣意的運用できるような法律制定は慎重にならないといけないの。

まぁ、もし制定された場合お子様ランチ日の丸であっても「はい国旗損壊罪ー」みたいな煽りをしてくるヤツが出てくるのが一番ウザイいんだけれども。

Permalink |記事への反応(1) | 09:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

なぜ日本人には海外の『左右』がわからないのか

海外極右とされるものが、日本人には「極右」と認識できない。

海外中道とされるものが、日本人には「極左」と認識されてしまう。

これは何故か?

答は簡単だ。「真ん中」が違うからだ。

 

海外では、欧米でもそれ以外でも、道義的宗教に基づく自然な「道徳観」が真ん中にある。

「親や家族は大切に」「他人にも優しく」これはキリスト教でも仏教でも、宗教道徳観が真中にある場合、誰にも自然に「出発点」と理解されるもっと自然感覚になる。

この場合極右極左とは、人種主義に走って他者への寛容を忘れること、多様性(あるいは極端な平等主義)が暴走して社会歴史を傷つけること、という意味になる。

 

しかし、仏教を捨て、道徳教義のない国家神道、そして物質主義無神論へと社会の「真ん中」が移った現代日本は、そもそもの「中道価値観」がまったく違ったものになっている。

現代日本を正直に観察すれば誰にでもわかることだが、現代日本人の「真ん中」は、明らかに「野性」である

本音」「欲望」「弱肉強食

そういうものが「世界真実」だと信じる破滅主義こそが、日本の「真ん中」にある。

 

からこそ、日本において、林原めぐみが恥ずかしげもなく叫ぶような「私がガイジンを怖いって思うんだから排除するのは当然でしょ」という、恐ろしく幼稚な、自分本能被害妄想に基づいた極論をどれだけ唱えても、それは「強い思想」とは思われない。

それは思想でなく、「本音」だからだ。「本音」は「自然」であり、「真ん中」である

これが世界でもほとんど現代日本独自の(昔の日本でも仏教だったからありえない)異常な道徳的出発点である

 

日本人にとって「極右」とは、「思想的な(論理的追及としての)民族主義」であり、それは「日本人として誇りを持って、恥ずかしくない行動を」というような、世界的にはむしろ当たり前の「真ん中」にある、自制としての民族論のみをさす言葉である

現代日本人にとって極右極左の差は自制と成長を求める論理の起点の違いに過ぎないのであって、自制や反省を求めた時点でそれは「中道」にはなり得ない。

それが「思想が強い」という言葉である

思想」さえ強くなければ、どれだけ薄汚い、本能憎悪にまみれた屁理屈、極論、他者への強制を求めようとも、それはまったく「過激」ではない…

 

それが、この十数年、いや、戦後何十年もかけて、日本人の中に育ってしまった、モンスターのようなマインドセットなのである

Permalink |記事への反応(0) | 02:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

元カレと別れて半年立つ

十年付き合った男だった

お互い初カノ初カレだった

時間差でじわじわ死ねよ、という気持ちになってる

楽しい思い出もある

かにしかったし確かに笑いあった日もある

でも死ねよと思ってる

私が原因で新しい彼女ができても苦労してくれと思う

十年付き合った彼氏だった

高卒で働き出した私と、学生彼氏

毎回出してたデート代、8割ラブホ

飯食う場所決まってたな

ラブホの中でカップ麺食ってた

大盛り系が好きだった

外食が嫌いな人だった

嫌いなものの話が多い人だった

時間電話できるくせに、十五分で来れる一人暮らしの私の家に「離れがたくなるから」「明日が早いから」(←昼過ぎバイト電話は午前3時までつながる。私は7時半出社)「やることがあるから」(←いまでも謎)

来ない人だった

やらない理由最初に言う人だった

私はあいつの嫌いなものを沢山知っているし、何が嫌で、何があってトラウマになっていて、どういう理由で嫌いなのか沢山知っているが

何が好きか知らない人だった

マクドナルド払えないくせにハルウララ限定ガチャに金突っ込める人だった

ラブホゴム代乗っかるくせに、年越しガチャとか言ってFGOに金突っ込める人間だった

私へのクリスマスプレゼントとやらに吸うやつを出せるくせに、そのクリスマスデートのお泊り代〜飯第全部のっかってた

結婚の話をするくせに親の悪愚痴言う人だった。名字自分のにする話をした口で、親父と私を合わせたくないなぜならうちの親はウンタラカンタラいうにんげんだった

子供を孕ませたいとかいうくせに、金の話をすると全く違う話題を出す人間だった

正社員で働かない理由公務員試験公務員の枠の話をする人間だった

枠があくの何年後だよっていうとキレた人間だった

好きな食べ物ダブルチーズバーガーティ

嫌いなご飯辛口と酒と野菜全般

居酒屋どころか昼の飯屋も嫌い

飲んだこともないスタバを毛嫌いしてる

フェミを憎みヴィーガン馬鹿にし

二次元アイドルプロデュースするくせにPと俺は違うだのゴルシトレーナー顔つきが許せないだのうだうだいう

うるせえよ、てめえ一緒だよ

現実存在してないデコっぱのストレートバラ褐色二次創作に鼻の下伸ばしてる時点で同じ穴のムジナだよ

死ね

白い先生セクハラしてもいいけど美化系顔つき先生は許せないだのうるせえよ

お前も一緒だよ

ケツ穴シスター二次創作いいねしてる時点で、お前もしっかりお客だよ

あぁー

時が経てばいい思い出になるのかな

今のところは時間差でしっかり恨みつらみになってる

別れた理由彼氏正社員登用だった

上司悪口がでたんだけど

たとえ社会人経験が私の三分の一なんだとしても、お前それは自分のことも振り返れよ

社会においてゼロヒャクなんてねえよ

わかるだろ、わかっていてくれよ

ていうかてめえバイトときにさんざん私に説教と「俺の思うお前の弱点と他者との距離感のとりかた」的な話ししてただろ

人様に言えててめえは無理とかなめてんのか

うわ無理だ、私、この人のこのレベル愚痴仕事への姿勢を一生聞き続けなきゃいけないんだ

親に飯食わしてもらって親の干した布団で寝てるこいつを私の家から私の車で迎えに行くようなデートをあと何回したら結婚になるんだろう

あぁ無理だ。もう無理だ

てなって

ごめん、君と家族になれないから別れたいって切り出して別れた

Permalink |記事への反応(0) | 00:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ブクマカ自分と異なる思想への理解がなさすぎる

WLBの件で高市厚労相労働時間規制緩和検討指示って時事通信ニュースに対する反応とこの前の総裁選演説に対して言ってるんでけど

今の日本は働きたくても働けなくなってしまってて自分はそれに不満なんだよ

働くことを他者強制したいんではなくてWLBってのはその人に合った仕事私生活バランスを取れるようにするって意味なのに

なぜか都合よく仕事は極力減らして私生活を充実させるって意味しか使わなくなってるよね

いっぱい働きたい人は働くしそうじゃない人は最低限しか働かないでいいはずで

選択肢が広がる」ことをいつもなら歓迎する人が働きたい人が働く選択肢が生まれることは否定する

結局ポジショントークしかして無いくせに自分が正しいことを言ってるみたいに振る舞う人は滑稽だよ

Permalink |記事への反応(2) | 00:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-21

学生論文で生成AI使うの仕方ないわ。「小論に整理して」だけでこれ

下の山手線催涙スプレーに関するツイートを読みこませて、

多少ChatGPTと議論して「小論に整理して」とお願いするだけでこれなら

凡人の俺様がちんたらキーボード叩いて書く必要なんてないじゃんもう!

https://togetter.com/li/2618627

 

ただしここはハルシネーションぽいのでよろしくない

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

 

1.弱者防衛暴力の線引き

今回の事件で多くの人が揺れたのは、「恐怖を感じた人の防衛行為」が、どこまで許されるかという点である

身体障害透析など、外見では分からない「見えない弱者」が社会で繰り返し軽視されてきたことは事実だ。

からこそ、彼女の感じた恐怖や屈辱には共感が寄せられた。

しかし、口論の段階で武器使用し、無関係他者まで巻き込んだ瞬間に、それは防衛ではなく攻撃へと転化する。

法的にも倫理的にも、暴力他人を傷つけた時点で、その正義は失われる。

 

2. 「40-50代じじい」――言葉に滲む敵意の構造

彼女SNS上で相手を「40-50代じじい」と呼んだ表現は、単なる感情の発露にとどまらない。

それは、相手行為ではなく属性のもの(年齢・性別)を攻撃対象とする言葉だ。

この瞬間、個人的トラブルは「中高年男性という集団」への敵意にすり替わる。

フェミサイドが「男が女を属性として殺す」構造だとすれば、

この言語構造はその**鏡像――“ミサンドリー的反射”**と言える。

弱者が自らを守る物語の中で、他者が“敵の象徴”として消費されていく現象は、暴力の形を変えた再生産に他ならない。

 

3. 恐怖と屈辱の混合

人が暴発する時、そこにあるのは純粋な恐怖だけではなく「屈辱」も強く関与する。

若いから座るな」「病気でも見えなければ認められない」という社会視線に対する怒りが、

個人攻撃者を超えて「社会全体への報復」に変わったのだろう。

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

生存防衛ではなく名誉回復を求める衝動を示している。

まり彼女の行動は、社会的な不平等への“象徴報復”として遂行された可能性が高い。

 

4.弱者の「正義加害者」化

近年のSNS言説では、「女性」「障害者」「被害者」といった立場道徳的免罪を得やすい。

しかしその構造固定化すると、

被害の語りが暴力正当化する装置になりかねない。

「やり返して当然」「スカッとした」という共感連鎖は、

弱者を“聖なる報復者”として祭り上げ、暴力責任を薄めてしまう。

だが、恐怖や怒りが他者身体を傷つけた時、

それはどれほどの弱者であっても「正義加害者」となる。

この線を超えた瞬間、社会被害者を守る仕組みを失い、

誰もが「自分で裁く社会」へと堕ちていく。

 

5.銃社会予兆としての事件

もしこの事件銃社会で起きていたら、催涙スプレーではなく発砲事件として報じられただろう。

「怖かった」「迫られた」と主張する発砲者が免罪される構造は、

アメリカの“スタンド・ユア・グラウンド法”の問題と同じである

恐怖を根拠にした先制攻撃が認められる社会では、暴力の独占は失われ、

全員が「潜在的加害者」として武装正当化するようになる。

今回の事件は、銃社会論理が非銃社会の中で萌芽した象徴的な出来事でもある。

 

6. 結語:正義の名を借りた暴力を見抜くために

この事件が投げかけたのは、

「恐怖と正義境界をどこに引くのか」という普遍的な問いである。

彼女の置かれた弱さには共感できる。

だが、その弱さが他者への攻撃免罪符になった瞬間、暴力正義模倣し始める。

フェミサイドミサンドリーも、根は同じ――恐怖を根拠他者人間として見なくなること。

私たちが考えるべきは、個人暴力報復しなくても済む社会的回路、

すなわち「恐怖を理性的に処理できる支援環境なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

親が死んで


保育園に行く道を肩車をして歩いてくれたなとか

その時にヨーグレットを一粒だけくれたなとか

実家がある町にかつてあったドラッグストアは店先に象のキャラクター人形を置いていて

その頬にキスをした幼い私の思い出を

ドラッグストアの跡地の前を通るたびに話していたこ

病気をして県外で大きな手術をしたとき私はもうとっくに大人だったけど、車で迎えに来てくれたこ

携帯の待受がいつまでも成人式着物を着た私の写真だったこ

遺品整理で出てきたかつての私が贈った絵や手紙

かつて家族みんなで冷蔵庫に貼ったシールを、冷蔵庫を買い替えるタイミングで1枚1枚剥がして保存したクリアファイル

そういう思い出全部、こんなことがあったねと共有できる他者がいなくなってしまった

私の記憶時間をかけて消えていく

実家のある駅に立ち寄って、ドラッグストアの跡地の前を通っても、何も感じなくなるだろう


はいくつで死ぬんだろう

そのときどうなってるんだろう

どんな私でも、また車で迎えにきて欲しい

そのとき私は今の私に戻ってくる

家族みんなが乗った車は、実家がある町を走るだろう

懐かしい道を通って、あんなことがあったねと話すだろう

そのとき、思い出がもたらす悲しみとか寂しさはなくなって、ただ穏やかに全てを振り返ることができるだろう

Permalink |記事への反応(5) | 18:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251021143229

他者の心を前提として考える」ことと他者に優しくすることは何の関係もないぞ低能w

Permalink |記事への反応(1) | 14:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251021140005

性教育もそうだけど、道徳領域だよね

他者の心を前提として物事を考える能力がなさそう

Permalink |記事への反応(2) | 14:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251018145000

ここで言う「性欲」は「性交欲」なんだろうけど、本当にそれが無い人間というのは、他者からの見られ方に一切の頓着が無いから、容姿社会的地位趣味生活環境においておよそまともである人間はいない。

よく「ぬいペニ」とか言うけど、お前らがぬいぐるみだと感じている時点で他者からの見られ方に意識があるわけで、当然ペニスはいきり立つ。

自分理想を尖らせるのは勝手だが、もうちょっと現実を見た方がいい。

Permalink |記事への反応(1) | 11:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

中年の情操教育

情操教育目的

他者を思いやる気持ち協調性を育む

道徳心物事善悪判断する力を養う

知的好奇心を刺激し、自ら考える力を育む

・豊かな感受性想像力創造性を育む

・命を大切にする心を育む

 

情操教育必要おっさんおばさんが多すぎて嫌になるよね

Permalink |記事への反応(0) | 10:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

また女がミラーリングミスってるけどさ

https://anond.hatelabo.jp/20251020225506

 

結婚マッチングによって階級上昇出来る」と言う認知を持って常にそれにより駆動してるのは女であって、男は配偶者階級が上がるというイメージは持ってない。これはどんなクズみたいな男でも持ってないのでまさに性差なんだと思う。   

 

そのことの良い悪いとかはど~~~でもいいんだけど、女は頼むからもうちょっと他者の行動をフラットに観察できるようになってくれ。

 

女の感情欲望をそのまま反転して男を説明できるわけがないじゃん。何故かって体が違う、生殖形態も違う、動物役割も違うからだよ。そこを踏まえずに単純反転で想像するのは全て無意味。 

  

男がより若い女を求めるのはまた別の都合や欲望によるのであって、階級上昇願望ではない。配偶者を持ち物のように同性への自慢や威嚇に使うのは圧倒的に女性に多い習性。どっちの欲望が正しいとか高尚だとか言うんじゃなくただ別物。

 

なんか「私男のことわかってます!」みたいな女に限って単純反転の誤謬を見せてることが多い。婚活で沼ってるタイプにもそれは多い。

 

男女の違いを考慮にいれて狡猾にやってる女もたくさんいるけど、そういう女は男に関して上手くやれるから男女論の哲学者にならない。



 

Permalink |記事への反応(2) | 08:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp