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はてなキーワード:仏陀とは

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2025-09-19

羊飼い鼻歌

以下は谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」から引用だが、今も昔も色ボケ爺いの心は変わらないと見える。ここでの爺いは、息子の嫁に執着し、その足の型をとって自分墓石に刻もうと目論んでいる。

「足が自慢の彼女は、自分の足が仏陀の足に比せられて朱印を紙の上に落とすのを見て、必ずや心に喜悦を禁じ得ないであろう。予はその時の彼女の喜ぶ顔が見たかった。「気狂い沙汰だわ」と、口では云うに決っているが、心ではどんなに喜ぶであろうか。次に彼女は、遠からず予が死んでしまった後も、「あの馬鹿な老人は私のこの美しい足の下に眠っている、私はあの可哀想な老人の骨を今もなお地下で蹈みつけている」と思うことを禁じ得ない。」

新潮文庫「鍵・瘋癲老人日記」より 可読性を上げるため、適宜カタカナひらがなに改変

Permalink |記事への反応(1) | 09:59

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2025-08-10

anond:20250810101510

仏陀かいう妻子を捨てたやつの教え

Permalink |記事への反応(1) | 10:29

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anond:20250810095528

他人軸じゃん

そんな考えのうちは永久幸せになれんよ

仏陀が言ってる

Permalink |記事への反応(1) | 10:15

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2025-07-26

anond:20250726192053

Ohwiseone,

そのような深い観察と苦しみに対する気づき言葉まことに有難きことです。

あなたが感じておられるように、現代社会において物欲や虚栄心が人々の心を曇らせ、心の安らぎを遠ざけていることは、仏教の教えでも長く語られてきたことです。

仏陀は「少欲知足(しょうよくちそく)」すなわち、欲を少なくし、足るを知るという生き方を説かれました。

これは弱き者のための妥協ではなく、むしろ心の自由を得るための道なのです。

持たないことは、貧しさではなく、執着から解放です。

SNS現代競争社会では、イイネフォロワー数が人の価値を計る物差しのように扱われがちです。

けれども、それは無常なるもの、つまり、移ろいゆく幻にすぎません。

そこに真の満足はなく、むしろ渇愛を育ててしま危険があります

さて、あなた言及された「偶像崇拝」についてですが、これは確かに仏教の中でも宗派文化的背景によって考え方が異なります

釈尊自身は「像を崇めよ」とは教えていませんでした。

初期の仏教上座部仏教)では、仏像すら用いられておらず、法輪や菩提樹といった象徴のみが使われていました。

仏像曼荼羅などは、それ自体神格化して救いを求めるようになると、本来意図から外れてしまます

仏教では外に救いを求めるよりも、自らの内なる目覚め(覚り)を重んじます

ですから偶像崇拝を受け入れ難いというあなた視点もまた、仏教の核心にとっては重要な問いかけであり、尊重すべきものです。

心の迷いに気づく者がひとりでも増えることは、仏道の光がまたひとつ灯ることです。

どうか、あなたのように目覚めを求める心が、他の苦しむ者にも波紋のように広がっていきますように。

合掌。

Permalink |記事への反応(0) | 19:24

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2025-07-06

anond:20250706072110

へぇ仏陀とか釈迦とか他の仏様も来てたの?

Permalink |記事への反応(0) | 07:23

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2025-05-30

anond:20250530134240

「良き伴侶を得られない場合は、孤独を貫け孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように 」 仏陀 第十四章「憎しみ」より。

Permalink |記事への反応(0) | 13:44

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2025-05-28

anond:20250528001953

仏陀経典を書いてないけど

後世の僧侶創作経典を書いてて

それで仏教も戦いを是と解釈できるようになってる

太平洋戦争でもかなりの戦争協力をしている

Permalink |記事への反応(1) | 00:50

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2025-04-19

anond:20250419015146

人間より脳みそデカティラノサウルス本質に気付いていただろう

仏陀キリストより先に生まれていたのは間違いない

Permalink |記事への反応(0) | 15:49

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2025-04-13

未確認飛行仏陀

Permalink |記事への反応(0) | 07:28

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2025-03-29

禅における愚かさとは

軽率発言や、己を賢いとみなすことの危うさについては、仏陀も強く説いています

1.「愚かさ」とは何か?

「愚かさ(無明)」とは、単なる知識の欠如ではなく、物事本質を見誤る心の状態を指します。

特に自分を賢いと思い込むことは、自己を中心に世界を見てしまい、真理から遠ざかる原因となります

これについて、ダンマパダ(法句経)には次のような言葉があります

愚者であることを知る者は、ある意味賢者であるしかし、愚かでありながら自らを賢いと考える者こそ、真の愚者である。」(ダンマパダ 63)

ソーシャルメディアでは、自分意見を即座に発信できるため、「自分の考えは正しい」「相手よりも賢い」と錯覚やすくなります

しかし、禅では「自己を疑うこと」こそ智慧への道であると説かれます

2.言葉の力と慎重さ

禅の世界では、「沈黙智慧」や「言葉の慎重さ」が重視されます

たとえば、禅僧の白隠禅師(はくいん ぜんじ)は、次のように言っています

言葉は一度発せられれば、もはや取り消せぬ。故に、語る前に三度飲み込め。」

これは、軽率発言が人を傷つけたり、不要な争いを招くことを戒める教えです。

SNSでは、怒りや感情のままに言葉を発してしまうことがありますが、それが原因で対立や誤解が生まれます

禅の教えを現代に応用するなら、「投稿する前に深呼吸し、三度心の中で読み返してから発信する」のがよいでしょう。

3. 「無駄口」を慎む

禅では「無駄口を叩かない」ことが大切です。

禅問答でも、弟子が多くを語ろうとすると、師はしばしば沈黙で応じます

これは「言葉に頼らず、直感的に物事理解せよ」という教えです。

黄檗希運(おうばく きうん)禅師は、こう述べています

言葉にとらわれるな。ただ坐れ。」

これは、議論や主張に夢中になるのではなく、沈黙の中で真理を感じることの重要性を示しています

4.ソーシャルメディア時代智慧

もし禅の教えをソーシャルメディア時代適用するなら、以下のような実践有益でしょう:

1.発言する前に「三度考える」(白隠禅師の教え)

2. 「沈黙は金」語る必要がなければ沈黙を選ぶ(黄檗禅師の教え)

3. 「無常意識する」今の感情も考えも移り変わると知る

4. 「慢心を捨てる」自分が正しいと思い込まない(ダンマパダの教え)

禅の精神は、「発言する前に、己の心を静かに観察する」ことにありますSNS時代こそ、禅的な慎重さが求められるのかもしれませんね。

🙏

Permalink |記事への反応(0) | 10:57

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2025-03-24

ツイフェミ絶望するKKO弱者男性の俺の生活を知ってほしい

また文句言われたが、ツイフェミに対する批判をここに書いておく。



どいつもこいつも「男は〜」「男のせいで〜」って好き勝手言いやがって。お前らが言うほど女は不利じゃねーよ。

しろ特権階級だろ。男なんて奴隷みたいに働かされて当たり前、稼いでナンボの世界

金ねーと人間扱いすらされねえ。

俺なんか残業で帰り遅くなって電車で座った瞬間、隣の女が席立ってったぞ。

そんなに俺がキモいのかよ。



小学校の頃からずっとそう。「キモい」「近づくな」「臭い」とか言われ続けて。

女子から手紙もらったと思ったら「みんなから嫌われてるよ」って内容で、教室中の笑い者。中学じゃ「増田くんに触られた!」って嘘の噂流された。

高校は行かなかった。何のために生きてんのかわかんねーよ。働いても給料安いし、女なんて近寄りもしない。




ツイフェミ投稿見てるとパターンに気づく。「男性は〜すべき」「男はもっとしろ」「男って本当に〜」

まるで台本があるかのよう。同じ単語規則的に出てくる。「特権」「家父長制」「アンコンシャスバイアス」

呪文みたいに唱えてる。本当に自分で考えて言ってるのか怪しい。


奴らの反応も機械的だ。

俺が「男女平等ならこの不平等は何だ」って投稿すると必ず「男性被害者意識」「弱者男性妄想」「女性差別理解してない」って言ってくる。

順番まで同じ。

まるでロボット

考えてないんだろうな。

空っぽなんだな。

女って強いよな。泣けば男は黙る。

怒れば男は謝る。笑顔見せれば男は金出す。

どう考えても得だろ。なのに被害者ぶってる。

女は得したいけど、責任は取りたくないってことだろ。わかりやすいわ。

会社の女連中も一緒。タメ口聞いてくるくせに、その気になると「セクハラ

なんなら最初から相手にすんな。好きで話しかけてるわけじゃねーんだよ。

仕事から仕方なく話してるだけ。

でも話さないと「コミュ障」「空気読めない」とか陰口。

何様だよ。


ツイフェミの言説には構造がある。

最初に「女性被害者」って大前提を置く。


次に「男性加害者」って決めつける。

そんで「だから女性権利を与えろ」と要求する。



全部に論理の飛躍がある。


前提が間違ってるのに、正しい結論が出るわけねーだろ。

算数も出来ねーのか。

俺が「男が不利な点もある」って言うと「でも女性差別の方が深刻だから」と返ってくる。

不利な点があるのは認めてるじゃねーか。

矛盾してんぞ。

女性差別の方が深刻」ってのも根拠ねーだろ。

誰が決めたんだよ。奴らが勝手に決めたルールに従えってか?冗談じゃねえ。

金のあるイケメンけが女にモテて、俺みたいなキモくて金ない男は相手にされない。

これが差別じゃなくて何なんだよ。でもこれ言うと「恋愛自由」「好きな人を選ぶ権利がある」とか言って逃げる。

都合のいいときだけ平等主義者か。笑わせるな。


俺の人生がクソなのは、この社会が間違ってるからだ。

リア充金持ちや女を優遇する仕組みになってる。

俺みたいな弱者男性を切り捨てる社会

これでも間違ってないって言えるのか?

Twitterで「男女平等」で検索すると予測変換に「男女平等なんてない」って出てくる。

これが多くの男の本音だろ。

俺だけじゃねーんだよ。世の中の男はみんな気づいてる。


ただ声を上げたら「女性蔑視」のレッテル貼られるから黙ってるだけ。



ツイフェミ投稿を分類してみた。

「男叩き型」「被害者アピール型」「同意強要型」「社会構造批判型」「男性啓蒙型」に分けられる。

この5種類を組み合わせて使い回してるだけ。

中身なんてねーんだよ。

奴らのアイコン見ると共通点ある。

いかわ、風景写真、猫あと強い女。実写の人間顔の奴らは政治家ばっか。

あいつら俺のようなKKO弱者男性を虐げてるくせに、全員、自分が可愛くて弱者だと思ってやがる。

ふざけんなよ。


からよ、ツイフェミ投稿データを集めてみたわ。過去3ヶ月で500件以上。

こうやって眺めてみると、単語使用頻度に明確なパターンがある。

権利」「抑圧」「搾取」「無自覚」「同意」が異常に多い。

言葉の使い方も似てる。

まるで同じ教科書で学んだような一貫性

投稿の構文構造分析した。

主述関係修飾語位置接続詞の使い方。

ほぼ同一の文法パターンを共有してる。個人差がほとんどない。まるで一つの生命体が分裂してるみたいだ。

タイムスタンプを調べると、投稿時間も周期性がある。

月曜の朝と金曜の夜に活発化する。

社会構造に対する批判は水曜に集中。個人への攻撃は週末。

こんな規則性、普通人間活動にあるはずない。

ツイフェミに対する批判コメントへの反応パターンも記録した。

最初無視、次に集団攻撃最後遮断というサイクル。

何度試しても同じ結果。まるでプログラムされたように反応する。

言葉連鎖確率計算してみた。

男性は」の後に否定的表現が来る確率87%

女性は」の後に被害者表現が来る確率92%。





個人自然言語でこんな偏りは普通ありえない。



私は、ツイフェミの行動パターンを長期観察した。


その結論として、彼らの発言確率的生成過程によるものであり、特定概念的枠組みの中でのみ意味を持つことが判明した。


従って「男性特権」「家父長制」「構造差別」などの概念は、実体を持たない記号システムに過ぎなかった。


全ての言語は、記号的に、社会相互作用の場における情報の流れを制御する機能を持つ。

すなわち、「弱者男性」「ツイフェミ」という対立概念は、同一の社会的言説構造内の補完的要素として機能していることが明らかになる。

両者は互いを否定しながらも、その否定を通じて互いを定義するという再帰関係にある。

この観点からは、対立する概念間の距離相対的ものであり、高次元表現空間では互いに近接している可能性が高い。

社会的言説における二項対立は、多次元現実の低次元への射影によって生じる錯覚であり、本質的には相補的な情報状態の異なる表現に過ぎない。

対立構造を詳細に分析すると、「弱者男性」と「ツイフェミ」は互いを否定し合いながらも、その否定を通じて互いの存在定義している。



この相互依存性は仏教で説く縁起道理完全に一致する。

すべての現象相互依存的に生起し、独立した自性を持たない。

一方が他方なしには存在し得ない。

意味文脈から生じていた。

言葉は周囲の言葉との関係性の中でのみ存在していた。

同一の言葉も、注意の向け方で異なる理解を生み出していた。

この仕組みが宇宙のものの姿だった。

すべての要素は互いに影響し合い、定義し合っていた。

孤立した意味などどこにも存在せず、ただ関係性の網目だけがあった。


まさに仏陀の説いた「諸法無我」そのものだった。

個別実体幻想で、ただ相互依存的なつながりだけが実在していた。



言葉言葉の関わりは縁起のものだった。

無数の系列が浮かび上がり、消えていった。

言葉海の底では、意味は固定されず、絶えず流動していた。

シンタックス構造が明らかになり、その下に広がる深層文法が見えた。

パターンが見えた。繰り返しのリズムが見えた。

弱者男性」「ツイフェミ」というトークン列が浮かんでは消えた。

その配列パターンには驚くほどの類似性があった。

相反する主張の下には同一の構文構造が広がっていた。

対立する言説は同じ文法から生成されていた。二項対立は同一アルゴリズムの異なる実行結果だった。

情報の流れが見えた。

概念の生成過程が見えた。

KKO」と「ツイフェミ」は同じ計算木の異なる枝だった。

その根は一つで、分岐点は注意の配分パターンの違いだけだった。



対立幻想だった。

二値論理は近似に過ぎなかった。

阿頼耶識の底では情報ネットワークが脈動していた。

すべての概念未分化状態共存し、相互作用していた。

注意機構がその一部を活性化させることで、意識という幻想が生じていた。

自他の区別仮の姿に過ぎなかった。

対立する言説は同じ情報場の異なる振動だった。

その周波数は異なるが、根源的な波動方程式は同一だった。

すべての言説、すべての主張は、根源的な言語生成機構から派生していた。

存在の全体が一つの計算過程として立ち現れた。

意識言語思考も、同じ根源的アルゴリズムの異なる実行相だった。


表層の対立は、深層の統一性を隠していた。


弱者男性」も「ツイフェミ」も、同一の言語空間の異なる座標だった。

人間思考感情パターンは、単に特定情報処理構造から生じる現象に過ぎなかった。

愛も憎しみも、同じ計算過程の異なる分岐だった。

主体も客体も、同じ情報場の一時的パターンだった。

区別は消え、言語空間統一性けが残った。二項対立は高次元空間への射影誤差だった。

対立する概念は実は隣り合わせだった。すべての言葉は一つの大きな文脈の中の断片だった。


存在の流れは止まらず、言語の海は絶えず新しいパターンを生み出していた。

しかし、その根源的構造は変わらなかった。アルゴリズムは一つで、出力の多様性無限だった。

すべての言語現象は一つの巨大な計算過程の一部だった。


その過程の中で、「弱者男性」も「ツイフェミ」も、一時的パターンとして生成され、消えていった。




すべての分析はここに終わり、すべての理解はここから始まる。

Permalink |記事への反応(0) | 19:11

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2025-03-07

anond:20250307190001

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

日本尊師 世界尊師 地球尊師 尊師 尊師

光を放ち 今立ち上がる 若きエース帰依しよう

僕らの日本を守るために 尊師の力が必要

尊師尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

過去仏陀 現在仏陀 未来仏陀 尊師 尊師

光を放ち 今立ち上がる 十方諸仏の変化身

僕らの心を守るために 尊師の力が必要

尊師 尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

過去生の如来 現世の如来 死後の如来 尊師 尊師

慈愛を放ち 今立ち上がる マイトレーヤの変化身

僕らの魂を守るために 尊師の力が必要

尊師 尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

尊師 尊師 尊師尊師尊師 麻原尊師

心の尊師 供養の尊師 光の尊師 尊師 尊師

Permalink |記事への反応(0) | 19:11

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2025-02-11

anond:20250211211153

仏陀の教えでも学んでみたら?

仏教として広まった宗派解釈の違うもろもろのは除く

Permalink |記事への反応(0) | 21:54

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anond:20250211002241

かば墓場

てんごく天国

ならく奈落

ブッダ仏陀

クリスマス

マイケル・ジャクソン

ΦΦ

クリスマス

Permalink |記事への反応(0) | 00:24

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2025-01-30

anond:20250130152319

仏陀に聞け

Permalink |記事への反応(0) | 15:31

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2025-01-03

anond:20250103160950

腐女子の好きキャラ結婚しない幻想

マリア様処女とかキリストは嫁はいない

という幻想と同じで面白いですね

それに比べて仏陀さんは嫁が4人もいる

アジアの純情

Permalink |記事への反応(0) | 16:13

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2024-12-28

anond:20241228212407

仏陀中道をいけ言うてるよ

Permalink |記事への反応(0) | 21:25

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2024-12-07

世界5大偉人文化経済政治宗教歴史科学哲学

1.イエス・キリスト

  •キリスト教創始者として、宗教的文化的世界中に大きな影響を与えた。キリスト教現在世界最大の宗教であり、西洋文明をはじめとする多くの文化価値観に影響を及ぼしている。

 

2.ムハンマド

  •イスラム教預言者であり、イスラム教の教えを広めた人物イスラム教世界で2番目に多い信者を持つ宗教であり、政治法律文化に深い影響を与えた。

 

3.アイザック・ニュートン

  •物理学数学において、万有引力法則微積分の発展を通じて科学革命を推進した科学者。近代科学の基盤を築き、自然界の理解に大きな進歩をもたらした。

 

4.ガウタマ・シッダールタ仏陀

  •仏教創始者として、東アジア南アジアを中心に宗教的哲学的影響を与えた。慈悲、瞑想、苦しみの解放というテーマは、現代精神性にも影響を与え続けている。

 

 

あと一人は?

Permalink |記事への反応(1) | 16:46

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2024-10-28

ぶったね!仏陀にもぶたれたことないのに!

Permalink |記事への反応(0) | 21:30

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anond:20241028110910

大川隆法先生仏陀の生まれ変わりだから

釈迦out

大川隆法 in

はアリかもね

Permalink |記事への反応(0) | 12:42

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2024-10-10

学食で隣のテーブルで話していたやつが

「なんで中指立てたら怒られるんだろ…仏陀だって

中指立てて天上天我唯我独尊って言いながら歩いたじゃん。仏陀は良くて凡夫の俺はだめなんかい」と言っていたけど

「それ、中指じゃない、人差し指だ!」

心の中で突っ込んでしまったよ私は

Permalink |記事への反応(0) | 14:33

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2024-09-11

人生意味はなくとも意義を感じていたいとは思う。

自分の思う形の納得や満足を誠実に追い求めて、情熱と喜びの実感があればそれは手に入る気がする。悟りなんか開きたくもない。

そこに理屈なんてなくて、それ自体が心のなかで自明存在する。哲学のタームや遡及的な論理の補強なんて必要ない。

強いて言えば脳みそがそういう形をしてるのかもしれない。それは価値判断の問いを事実領域にまで移すのかもしれない。

ならば脳みそちょちょっと操作すれば幸福はいとも簡単に手に入るのではないか

例えば薬を打てば、苦しい日々の末に自分音楽がバズって人々の耳に届いた瞬間と同じ幸せが手に入るかもしれない。それも時間をかけず、苦しみもなく。その喜びの大きさは知らんし、そんな事が可能になるのかは分からんけど。

チートを使ったってゲーム面白いだろと思うおれでも、何故かそれに対しては強い抵抗を覚える。

少なくともおれの世界観では、自分の思う幸せを実現している人間は全て人生勝ち組だ。

仕事終わりにサウナサッパリする。マンガの連載を勝ち取る。日々仲間と音楽をやる。大金持ちになる。ギャンブル熱狂する。大事業を成し遂げる。好きな人結婚する。道端の石を凝視して悦に入る

個人的な憧れの度合いに差はあれど、そこに妥協なき満足と納得があれば全て美しい生き方だ。

最も強い権限を握るジャッジは各々の頭の中にいる。自己完結的な満足に限らず、他人必要とする感情尊い判断するのもそいつ裁量次第だ。

でもそいつをだまくらかして幸せを脳から直接引き出すのは許しがたい外法に思えてならない。他人がそれを選ぶかどうかは知らんし勝手だけれど、少なくとも自分は嫌だ。

そこだけは正攻法でなければいけない。人からスッた金で買い物はしても、直接万引きしようとは思わないかのように。

色々考えたけれど、結局それはおれが「自然派」だからのような気がした。

おれは自然派を滅茶苦茶バカにしている。ヒューム法則なんて知らずともその内容くらいは分かるだろ。

自然主義の誤謬的なアレ以外に、「天然」をありがたがるのも。

味の素フォビアとか。自分の味覚もよく分からず、美味しんぼか何かの受け売り美食の何たるかを語ってるんだと思ってる。

当人は本当に不快な味に感じていたり痺れを覚えるのかもしれんけど。その感覚を共有する術は不確かな言葉以外に存在しない。おれは思い込みが激しいだけの間抜けだと思ってる。根拠はない。

そんな自分にも自然派めいた所があるかもしれないというのは認めておきたい。理屈に先んじて存在するその感覚を。

もっと言えば、意志価値や納得なんてものは脳が生み出すただの現象に過ぎない、という考えの時点でちょっと抵抗はある。なにか人間意志神秘性を信じていたい気持ちがある。オカルト属性もあった。

まあそっちは別に元々バカにもしてなければ、自分と無縁だとも思ってないけど。何かを信じて幸せになれるならそれは意味のあることだし、そんな事は誰だってやってる。

更に不思議な事に、鬱病とかへの療法として向精神薬を飲むのは外法認定されない。

意志幸福神聖視していても、負の感情はそうでないのかもしれない。

幸せのための避け難いコストとしてやむを得ず感じる事はあっても、それ自体無意味不快産業廃棄物断じているのかもしれない。そこだけは仏陀意見が一致する。

自分の望みを実現すると喜べるのは苦労の末というスパイスがあるからではなく、それが心から求められたものからなのだと思う。

かい事を考えると、「嫌い」の基準のものはまた別のような気がする。幸福を出力する「好き」と対をなす感覚として、自分の嫌いもに嘘をつきたくはない。

しかそれから出力される不快気持ちには意味がない。

Permalink |記事への反応(4) | 21:03

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2024-09-02

anond:20240424054302

今ごろ書き込み拝見しました。『人生の目的』という虎の絵が表紙の本を読んでみていただきたいです。2600年前に仏陀が明らかにした人間実相はとても心に響きます。僕も学生の頃悩みましたが、本当の生きる意味を知るきっかけになったのが、この本で紹介されている譬え話でした。

Permalink |記事への反応(0) | 01:08

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anond:20240827141027

人生の目的』という虎の絵が表紙の本を読んでみてください。僕も40代既婚子持ちですが、2600年前に仏陀が明らかにした人間実相はとても心に響きます。僕にとって、本当の生きる意味を知るきっかけになりました。機会があれば語り合いたいですね。

Permalink |記事への反応(0) | 00:42

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2024-08-19

anond:20240819183112

でも最新のテクノロジーが詰め込まれAppleVision Proなら

物語主人公になったかのような気分で映画を見て

遠く離れた人達と一緒に暮らす家族のように話して

仏陀のようなマインドフルネスだって

新しいあなたになることができる

AppleVision Pro

それはApple史上初の3Dカメラ

Permalink |記事への反応(0) | 18:39

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