
はてなキーワード:今川義元とは
惨憺たる結果の小泉陣営、更に投開票前日にもかかわらず祝勝ムードだった「政界の今川義元やんけ」「ドラマとかでやるフラグやないか...」
海道一の弓取り今川義元を知らんニワカかよ。こういうのは登山家馬謖とか生兵法の趙括やろ。
2025/10/07
「海道一の弓取り」。
その最後のやつでも10年以上前だけど、そこからアップデートされてない感じね。
名門なので公家文化も取り入れてるし輿にも乗る。(文弱のデブ、みたいなイメージはここから)
(この規模の大大名なのに戦場で首取られるのは割と珍しい。あとは龍造寺隆信とか?)
でもでも、桶狭間の最期のため・信長家康と対比でsageられたために必要以上に暗愚扱いにされてきたんじゃないか?
当時は海道一の弓取り(東海道一の戦上手)と呼ばれて恐れられたんだ!
義元は有能!
今川家の合戦の大将ってだいたい義元の師僧の太原崇孚(雪斎)がやってた。
つまり「海道一の弓取り」今川義元はそもそも出馬をしていない。
なんか義元ってなんでも雪斎に相談して二人で物事進めてたのね。
雪斎は60歳ぐらいで亡くなるんだけど当時としては長生きの寿命。
義元としても今川家としても当然「雪斎死後」の準備をしているべきだった。
でも雪斎亡き後、大きな合戦の大将を任せられるスタッフは育ってなかった。
それは義元との関係性も含むよね。
充実した国力を背景に大軍団を自ら率いて尾張に侵攻したんだけど(上洛しようとしてた説もある)
大将の自分自身が泥にまみれるような危険な接戦や敗戦を経験するけど
配下部将たちとの呼吸や連絡も上手く合わなかった。
沢山スタッフがいても誰が使えるか、誰が気が利くかは分からない。
妥当な指示を出しても頓馬なことして陣営を窮地に陥らせる者もいる。
いきなり大軍勢を率いていきなり決死の突撃を受けたせいで今川軍はきちんと機能しなかった。
義元は30後半の頃に雪斎に死なれて
雪斎死後国政整わずと評されてたぐらいで
惰性で拡大しながらもグズグズと崩壊の兆しが見えていたのかもしれない。
全体的に進次郎は今川義元に似ている。
似てないのは死んでないこと。
あとこのまま既定路線に乗ってるだけでいつかはトップに立てそうなこと。
あとは党内または野党に、織田信長と言えるほどのライバルが現れるのか。
現れてくれなければ国の未来は暗そう。
平和な日々が続くと思っていた矢先、ある日、KAMEGAOKA PARFAIT -駿府 - の扉がガラッと開いた。そこに立っていたのは、全身を黒で統一した、マジでオーラが違うお方!鋭い眼光で、何かこう、圧倒的なカリスマがハンパない!
「…ふん、今川か。随分と気楽な商売に精を出しているようだな。」
え?マジで?あのうつけ者にして天下統一を目指した第六天魔王、織田信長様!?って店員たちがざわつき始めた瞬間、その威圧感半端ないお方、もとい信長様は、店内の雅な雰囲気を一瞥し、フンッと鼻で笑った。「たかがうなぎで天下を獲るなど、たわけたことを…」って、マジで一言目がディスり!
義元様、信長様の登場にマジで顔面蒼白!「な、信長!?なぜここに…!?」って、完全にビビりまくってる!信長様は、義元様を無視して、店内のうなぎパフェを指差した。「これを見ろ。うなぎをパフェにするなど、もってのほか。うなぎは、戦の糧として、米と共に食すべし!」って、マジで古典的な意見!
義元様は、信長様の横暴っぷりにマジで呆れ果ててた。「信長!わたくしの築き上げてきた文化が…!」って訴えても、信長様は「黙れ!そのような軟弱な文化など、天下には不要だ!」って一蹴!そして信長様は、いきなり店の奥の厨房に入っていくと、自らうなぎを焼き始めたんだって!
「うなぎとは、こうして食すものだ!」って、信長様が作ったのは、なんと山盛りのご飯の上に、香ばしく焼き上げたうなぎの蒲焼きを乗せた、超シンプルなうな丼!しかも、デカい器にデカ盛り!「これこそが、真のうなぎの姿よ!」って、ドヤ顔で義元様に見せつけたんだって!
周りのお客さんは、信長様の勢いに圧倒されつつも、そのうな丼のあまりの香ばしさに思わずゴクリ。一口食べたら…「うまっ!マジで最高!」「これが本当のうなぎだ!」って、みんな信長様のうな丼に魅了されちゃった!
信長様のうな丼は、あっという間にSNSでバズりまくり!「信長のうな丼、マジ最強!」「うなぎパフェなんかより、断然こっち!」って、悪評が広まりまくって、KAMEGAOKA PARFAIT -駿府 - は、信長様のうな丼人気に完全に食われちゃったの!
義元様は、信長様のうな丼に客を奪われ、マジで呆然自失。「わたくしの築き上げた文化が…夢が…!」って、マジで泣きそうな顔してたらしい。結局、天下も、パフェも、全て信長様に食われちゃったっていうね!
こうして、今川義元は、令和の日本で、うなぎパフェで天下を取ろうとしたものの、織田信長にまさかのうな丼で討たれ、盛大に失敗!めでたしめでたし…じゃないけど、マジで波乱万丈で可哀想な物語、完全燃焼したわ!うなぎパフェ、マジで無念!
時は令和、空前のグルメブームがヒートアップ!高級食材を使った斬新なフュージョン料理とか、映えまくりのスイーツがSNSでバズってた20XX年。そんな中、表参道のブランドショップ街に、マジで浮世離れした貴公子が現れたんだって!雅な十二単…ではないんだけど、なんかこう、優雅でゆったりした雰囲気の着物っぽい羽織をまとったお方。「え?セレブ?お忍び?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その洗練された(?)オーラに、ちょっと目を奪われてたらしい。
「わたくしは…今川義元と申す。」
え?マジで?あの桶狭間の戦いで織田信長に討たれたとされる、海道一の弓取り(自称)義元様!?しかも公家趣味で京風かぶれな残念大名って歴史好きのギャルたちがスマホでそっと検索し始めた瞬間、その優雅(笑)なお方、もとい義元様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…京ではない、か…?ずいぶんと華やかな場所になったものよのう。」って、マジで世間知らず感ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その品のある佇まいに、なぜか惹きつけられてたらしい。
そんな義元様に、恐る恐る話しかけたのは、表参道のカフェでバイトしてる、超絶トレンドに敏感なギャル、リナ。「あの…もしかして、迷子ですか?」「…迷子、と申しますか…見慣れぬものばかりで、少々困惑しております。」って、マジで上品な言葉遣い!リナ、その優雅な雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、リナ!表参道のことなら、何でも聞いて!アンタ、マジでオシャレだから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、リナに連れられて、義元様は初めて現代の東京を体験!高級ブティックとか、最先端のカフェとか、マジで全てが新鮮!でもね、義元様が一番興味を示したのは、デパートの催事場で見つけた、ちょっと豪華な試食コーナー。「…うなぎ…とは、どのようなものでございますか?」って、マジ真剣な眼差し。リナ、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、うなぎですよ!ちょっと高級だけど、すっごい美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
義元様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、このとろけるような美味は!?香ばしさと、甘辛いタレの絶妙な調和…まるで、天下を治めるにふさわしい、至高の味である!」って、マジで天下統一を意識した表現で感動してたらしいよ。
そこから、義元様のうなぎ愛がマジで覚醒!毎日色んなうなぎ屋さんを巡って、うなぎ料理を食べ比べまくってたんだって。「うなぎの焼き加減、タレの秘伝、米との相性…奥が深すぎまする!」って、もはやうなぎ評論家レベル!
でね、ある日、義元様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくし、このうなぎをもって、天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、新たな高みを目指し、世に驚きと感動を与えてみせましょうぞ!」って!
え?うなぎで天下統一?マジで斬新すぎる!でも、義元様の公家趣味とプライドがあれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってリナも思ったらしいんだけど、義元様の目はマジだったんだって。京へ上洛する夢が、令和のうなぎに新たな目標を見出したのかもね!
そっから、義元様のうなぎパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#今川義元のうなぎ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作のうなぎパフェの画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、義元様の優雅なコメントが、一部の好奇心旺盛なギャルたちの間でじわじわバズり始めた!
「戦国時代の将軍が作る高級スイーツとか、絶対美味しいやつ!」
SNSは義元様のうなぎ愛でじわじわ盛り上がり!しかも、義元様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地のこだわりのうなぎを探し求めたり、伝統的な調理法を学んだり、マジで研究熱心!「天下のうなぎパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!義元様は、表参道のど真ん中に、自分のプロデュースするうなぎパフェ専門店「KAMEGAOKA PARFAIT -駿府 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、京風の雅な雰囲気と、モダンなデザインを融合させた、マジで洗練された空間。店員さんも、十二単風のミニスカートとか着てて、マジで可愛い!
オープン初日から、グルメ好きギャルや、映え狙いのインフルエンサーが、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のうなぎパフェ、マジで挑戦してみたい!」「義元様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘辛いタレと濃厚なバニラがマジで合う!」「うなぎの概念が変わった!」「義元様、マジ天才!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、KAMEGAOKA PARFAIT -駿府 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、義元様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!全国のうなぎ養殖業者さんと協力して、持続可能なうなぎの養殖に取り組んだり、うなぎパフェを通じた地域活性化イベントを企画したり、マジでうなぎスイーツ界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の今川義元」「うなぎパフェの革命児」とか呼ばれて、マジで時の人!義元様の優雅なセンスと、うなぎパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!義元様のうなぎパフェは、全国のスイーツ好きに愛される新定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「義元印のうなぎパフェ」が発売されるほどに!まさに、うなぎパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、表参道に静かに佇んでいた公家かぶれの将軍が、令和の時代にうなぎパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、公家趣味がうなぎの蒲焼きに染まり、新たな伝説を創り出した瞬間!
リナも、「まさか義元様が本当にうなぎパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動!」って、ちょっと泣きそうになってたらしいよ。
義元様は今も、さらなるうなぎの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わがうなぎ道に、終わりはない!」って、マジで情熱的!
今後大河ドラマで取り上げられそうな人物について考えると、いくつかの候補が挙げられます。
戦国時代:
立花宗茂、最上義光、三好長慶、長宗我部元親、今川義元、北条氏康、藤堂高虎、島津義弘などの戦国武将が注目される可能性があります。これらの人物は戦国時代の重要な出来事や戦いに深く関わっており、ドラマ化の素材として魅力的です。
幕末:
小栗上野介、河井継之助、木戸孝允、高杉晋作、小松帯刀、伊藤博文といった幕末の志士や政治家も候補としてあげられます。彼らは日本の近代化や維新の変革期を象徴する人物であり、ドラマとして描かれる価値があります。
板垣退助、一休宗純、世阿弥、浅井三姉妹、葛飾北斎、坂本乙女といった多様な時代の人物も取り上げられる可能性があります。特に最近の大河ドラマは、単に戦士や政治家だけでなく、文化人や女性の視点から歴史を描くケースが増えてきています。
また、刀伊の入寇の際に活躍した平為賢(ためかた)や、小田原北条五代に影響を与えた北条幻庵のような、特定の歴史的出来事に深く関わった人物もドラマ化の候補として考えられます。
山本五十六、井上成美、米内光政のような第二次世界大戦前後の海軍や政治の中心人物を描くことで、戦争の悲劇や個々の人間ドラマを描くことも考えられます。
これらの候補は、歴史的な重要性やドラマ性、視聴者の関心を考慮して選ばれている可能性が高いです。ただし、NHKの選定基準や制作側の意向次第で、予想外の人物が選ばれることもあります。
アイムウグァー、アイムガー、アイムガール、アイムギューア、アイムギューレ、アイムギュアー、アイムギュラギュラ、
アイムギュリー、アイムギュル、アイムグー、アイムグール、アイムグアー、アイムグァー、アイムグェー、アイムグラ、アイムグワー、
アイムジャー、アイムジャグラー、アイムジャグランター、アイムジュアー、あいむじゅる、アイムモグラージュ、
【イマ系列】
イマージュ、イマガー、イマグー、イマグアー、イマギュー、イマグラ、イマグル、イマジャー、
【イム系列】
イムゥグァー、イムゥグゥール、イムガ、イムガー、
イムギュール、イムギャー、 イムギューレ、イムギュア、イムギュアー、イムギュラ、イムギュル、イムグール、イムグア、
イムグアル、イムグアー、イムグゥアー、イムグゥォア、イムグラ、イムグラァ、イムグル、イムグルアー、イムグユール、イムグロ、いむじゃー、イムジュラ
【イメ系列】
イメージャー、イメイガル、イメイジーア、イメイジャー、イメジュール、イメイジュア、イメガー、イメガル、イメギュア、イメギュラー、イメグラ、イメグラー、イメグラール、イメグル、
イメグルー、イメグァー、イメグラ、イメグラー、イメグリ、イメジャー、
【イモ系列】
イモーグラ、イモータルムーバーグレートアップローダー、イモグー、
イモグール、イモグラ、イモグリ、イモグル、イモゲウアー、イモゲウラ、
イモゴル、イモメグラ
【イン系列】
インガー、インガル、インガーラ、インガァ、インギャー、インギュー、インギュウ、インギュラ、インギュラー、インクルシオ、イングーア、
イングラ、イングリモングリ、イングル、イングリ、インジャー、インスタグラム、インムギュアー、インムグ、インムグアー、インムグラ、
インモゲラ
今川義元、芋がぁ、芋が売り、いもげ裏、淫夢ガール、陰毛ガール
【その他】
アイアムグール、アイアムアグール、アイエムギュー、
アイエムジーユーアール、アイジャグ、アイミンガー、アイメージャー、アイマー、アイマグラ、アイモグラ、アムグーラー、イミガー、イミグール、イミグアール、イミグォア、イミグラ、イミグラー、イミュギュル、グングニル、ケルナグール、ミミガー
今川義元→家康を教育していた、泰平の世のベースはここでできた
鵜殿長照→元康殿とは戦いたくなかった… The武士として誉高く散った
田鶴→The武士として誉高く散った
三河一向一揆衆→悪かったのは年貢取った俺だ…民を苦しめてごめん…
浅井長政→いい人
武田信玄→ただただ強い
武田勝頼→有能だったが親の呪詛「お前は俺にできなかったことをやれ」に縛られたことで自滅(家康を裏切ったということでは嫌な奴だが、ただ嫌な奴ではなく呪詛に縛られていたから仕方ない感)
水野のおっさん→振り返ってみたらなんだかんだ家康のために動いてくれてはいた
瀬名→有村架純ならみんな好きになるわ…悪女になることで家康を守り、家康に泰平の世のビジョンを授ける
織田信長→家康に戦国で生き抜く術を教えた。てかとにかく家康が好き、でもお父さんのせいで伝え方がわからないの(瀬名に勝てなかった準ヒロイン)
アナ雪→裏切り者ではなく瀬名の意志を継ぐ家康のために身代わりになったとっても良い人
ここからは予想
豊臣秀吉→百姓が幸せになる世の中は武士には作れねぇから俺が天下を取った!検地もめちゃくちゃな年貢を要求されないためにやった!→(瀬名のビジョンを秀吉に明かす)家康なら百姓も幸せになる世を作れる!秀頼を頼んだ
石田三成→義の男、いい人、家康も好き(今相関図に書いてる紹介文的にそんな感じ)
確かに立場が変われば正義は変わるから勧善懲悪のような悪者がいないのはわかる
とはいえあまりに(家康にとって)優しい世界過ぎないか?てか愛されすぎやろ
こんな恵まれた世界で辛い辛い言ってたらマルチバース(過去の大河)の家康から怒られそう
今のところ悪い奴は明智だけだし
ただ、みんなが家康に優しい世界だと秀吉が死んでからの悪い奴は家康になっちゃうのでラスボスは出てきそうな気がする
淀殿かな?
| 年 | 名称 | 概要 |
|---|---|---|
| 1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
| 1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
| 1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
| 1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
| 1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
| 1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
| 1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
| 1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
| 1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
| 1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
| 1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
| 1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
| 1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
| 1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
| 1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
| 1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
| 1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
| 1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
| 1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
| 1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
| 1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
| 1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
| 1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
| 1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
| 1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
| 1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
| 1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
| 1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
| 1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
| 1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
| 1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
| 1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
| 1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
| 1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
| 1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
| 1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
| 1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。