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2026-02-14

[日記]

土曜日。朝はいつも通り、起床後に脳内で「今日という一日を、物理法則に従って最適化する」と宣言してからベッドを出た。これは習慣というより儀式だ。儀式人類の愚かさの象徴として語られがちだが、反復可能手続き情報理論的に見て合理的だ。エントロピー増大に対する、せめてもの抵抗である

まず体重を測り、体脂肪率を記録し、歯磨き時間を正確に180秒で固定した。電動歯ブラシタイマーを信じない。信頼は検証に劣る。

その後、コーヒーを淹れた。抽出温度は93℃。温度計の誤差は±0.2℃。人間関係の誤差は±∞。

 

今週の進捗を書く。

 

超弦理論については、相変わらず人類の知性が現実に追いついていない。僕の頭脳は追いついているが、世界が遅い。

今週は主に「弦の理論はどこまでが物理で、どこから純粋数学自己満足か」という問題を、僕なりに再定式化していた。世の中の多くの人は、超弦理論を「高次元の小さな紐が震える話」程度で理解した気になっている。あれは理解ではない。童話だ。

僕が考えていたのは、もっと根の深いところ、つまり量子重力の定式化において局所性を捨てることの数学的代償だ。

一般相対論の時点で、局所性微妙に揺らいでいる。ホログラフィー原理が出てきた時点で、局所性はほぼ死亡している。にもかかわらず、僕たちは局所的な場の理論言語で全てを語ろうとする。これは「古いOSの上に無理やり最新ゲームを動かしている」ようなものだ。もちろんクラッシュする。

そこで今週は、AdS/CFTを単なる「境界CFTバルク重力記述する」という話ではなく、圏論的な双対性として再理解する方向で考えた。

具体的には、バルク側の物理量を、ある種のextended TQFTとして捉え、境界側の共形場理論演算子代数が作るモジュラー圏と対応させる。

ここで重要なのは空間のものが基本対象ではなく、因果構造情報の流れが基本対象になってしまう点だ。

まり幾何学物理舞台ではなくなる。舞台役者従属する。これは演劇としては間違っているが、宇宙としてはあり得る。

そして、ここからが本題だ。

僕は今週、「弦理論の非摂動定義は、結局はある圏の中の安定対象の分類問題還元されるのではないか」という疑念を強めた。

たとえばBPS状態は、ある種の導来圏の中の安定条件(Bridgeland stability condition)で分類される。

これは単なる比喩ではなく、実際にDブレーンは導来圏の対象として記述される。つまり物理的な粒子やブレーンが「空間上の幾何学的な物体」ではなく、圏論的な対象になる。

ここで人類は気づくべきだ。

宇宙は「点の集合」ではなく、「射の集合」かもしれない。

点を基本にしている限り、僕たちは宇宙OS永遠に理解できない。点とは、極限操作幻想だ。実際の物理では測定可能な点など存在しない。存在するのは相互作用だけだ。射だけだ。

僕が今週やっていたのは、これをさらに押し進めて、弦理論の背後にある構造を「∞-圏」あるいは「高次スタック」として扱うべきではないか、という方向の思考実験だった。

超弦理論が最終的に求めているのは、たぶん「量子化されたモジュライ空間」だ。しかしモジュライ空間普通多様体ではない。特異点があり、ゲージ冗長性があり、しか同値関係階層的だ。だからスタックになる。さらに高次の同値ホモトピー)が絡むので、∞-スタックになる。

ここで、物理屋が嫌いな言葉が出る。派生幾何(derived geometry)。

派生幾何とは、簡単に言えば「特異点を誤魔化さず、むしろ特異点を主役にする幾何学」だ。物理特異点が出るのは、理論が壊れているからではなく、単に僕たちの数学が貧弱だからだ。派生幾何はそれを認める。

そして僕は思った。

もし弦理論が本当に「全ての一貫した量子重力クラス」を記述する枠組みなら、それは場の理論の集合を分類するのではなく、量子情報を保存するような圏の分類になっているべきだ。

この時点で、もはや「ウィッテンでもわからない」どころではない。

ウィッテンがわからないのは当然だ。宇宙が意地悪だからだ。

僕たちがやるべきなのは、弦理論を「方程式」ではなく「普遍性」として定義することだ。

まり、ある種の対称性を持ち、ある種の双対性を満たし、ある種の異常(アノマリー)が消え、ある種のエンタングルメント構造が一貫し、ある種の極限で局所的QFTに落ちる。

そういうものを満たす対象を、圏論的に一意に特徴づける。

理論は「このラグランジアンだ」ではなく、「この性質を満たす唯一の構造だ」になるべきだ。

そしてもしそれが可能なら、弦理論物理学ではなく数学定理になる。

宇宙定理であるというのは不快だが、非常にエレガントだ。

エレガントさは、しばしば真理の匂いがする。

ただし、エレガントな嘘も存在する。

数学者の人生のものだ。

 

 

昼前、ルームメイトキッチンに現れて、僕のノートを見て言った。

「それって、結局何の役に立つの?」

僕は3秒考えた。

人間理解可能言葉に変換するのに、3秒必要だった。

「役に立つかどうかで真理を測るのは、知性の敗北だ」

ルームメイトは「また始まった」という顔をした。

彼の表情は、物理学的には熱的死に近い。

隣人がその場に来て、僕のノートを覗き込み、「ねえ、それって、宇宙ゲームコードってこと?」と聞いた。

驚くべきことに、これはそこそこ正しい。

僕は言った。

コードというより、型システムだ。宇宙は型安全で、コンパイルエラーを許さない」

隣人は「わぁ、なにそれ怖い」と言って笑った。

怖いのは君の直観の鋭さだ。

 

午後は趣味時間

MTGデッキを回した。

僕は、カードゲームにおける勝利条件が「期待値の最大化」であることを理解している。だが多くのプレイヤーは、カードを引いた瞬間の快楽支配される。つまり、彼らは確率論ではなくドーパミンプレイしている。

僕は違う。

僕はデッキ構築を、統計力学の分配関数設計として扱う。

初手の分布マリガン戦略マナカーブ、そして相手の除去の確率

全ては確率変数であり、勝率とは積分である

ルームメイトが「それ楽しいの?」と聞いたので、

僕は「楽しいかどうかは二次的だ。支配が一次だ」と答えた。

彼は黙った。

正しい反応だ。

 

その後、FF14ログインした。

レイドは相変わらず「人間の反射神経と協調性限界」を測る実験場だ。

僕はギミック処理を、ほぼ圏論の図式追跡として理解している。

安全地帯は対象、移動は射、失敗は射の合成の不整合

友人Aが「なんでそんな言い方しかできないの?」と言った。

僕は「僕は宇宙をそのまま見ているだけだ」と答えた。

友人Bは「それ厨二病じゃない?」と言った。

僕は言った。

厨二病とは、根拠のない誇大妄想のことだ。僕には根拠がある。だから違う」

友人Bは「最悪だ」と言った。

誉め言葉だ。

 

夕方アメコミを読んだ。

僕は、超人存在倫理を語る物語が好きだ。

なぜなら、超人存在倫理を語る時点で、その倫理破綻するからだ。

全能に近い存在が「正義」を選ぶのは、選択ではない。

ただの趣味だ。

正義趣味になった瞬間、倫理哲学ではなく美学になる。

そして美学は、いつも暴力接続する。

それでも僕は読む。

人類妄想が、どこまで論理に耐えるかを見るのは面白い

 

 

夜。

今日までの進捗はここまで。

そして、これからやろうとしていること。

今夜は、僕の仮説をもう一段階押し進める。

まり「時空の創発」を、単なるエンタングルメントの量的増大ではなく、エンタングルメント構造位相相転移として記述できないか考える。

量が増えるだけでは空間は生まれない。

必要なのは「連結性の再編成」だ。

もしエンタングルメントグラフだとすれば、空間とはそのグラフスペクトル構造対応する。

そして位相相転移が起きれば、スペクトルが変わり、幾何が変わる。

まり宇宙膨張は、グラフのリワイヤリングに過ぎない。

この視点なら、初期宇宙インフレーションも「幾何の急激な生成」として理解できる可能性がある。

インフレーション場などいらない。

必要なのは情報接続性が変わるメカニズムだ。

問題は、そのメカニズムを「弦理論言語」で書くと地獄になることだ。

ワールドシートのCFT、モジュライ空間、非摂動効果、Dインスタントン。

それら全てが絡んでくる。

絡みすぎて、もはや紐ではなく毛玉だ。

 

隣人がさっき「ピザ頼むけど食べる?」と聞いてきた。

僕は「今は宇宙の生成を考えている」と言った。

隣人は「宇宙よりピザの方が生成早いよ」と言った。

その通りだ。

人類文明の最高到達点は、宇宙論ではなく宅配システムなのかもしれない。

ルームメイトは「じゃあ僕の分も頼んでいい?」と言った。

彼は相変わらず、宇宙構造よりカロリーを優先する。

友人AからFF14メッセージが来た。

明日、固定の練習できる?」

僕は返信した。

明日宇宙位相相転移を解く予定だ。だが君たちの全滅回数も宇宙の熱的ゆらぎとして扱えるなら参加する」

友人Bは「それ言い訳だろ」と返してきた。

違う。

僕は真理に忠実なだけだ。

 

さて、これから僕はノートを開く。

今日最後タスクは、たぶんこういう形になる。

「時空は多様体ではなく、ある∞-圏の中の情報流の安定構造である

これを証明する必要はない。

証明できるなら、僕はもう人間ではない。

しかし、少なくとも矛盾なく定式化することはできるかもしれない。

宇宙一貫性を持って存在している以上、どこかにその形式がある。

問題は、僕たちがそれを読む言語を持っていないことだ。

人類はいつもそうだ。

現実が先にあって、言語が後からいかける。

僕は追いかける側ではなく、先回りする側でありたい。

ピザが届く前に。

Permalink |記事への反応(0) | 22:06

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anond:20260213002708

助け合い必要だと思ってるのは

女か、女レベルバカだけ

スマホ食品調達受診もできる時代人間関係求めるのってメンタル赤ちゃんだろ

Permalink |記事への反応(1) | 12:21

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母親との関係自尊心

最近読んだ自己啓発本『人望が集まる人の考え方』を読んで軽く衝撃を受けた。

この本では、人間自尊心に行動を支配されていること、その真理を理解し、上手に活用することで人間関係を良くしていこうといった内容が語られているのだが、

この内容を読んで、自身自尊心の低さの理由母親との関係にあったのではないかと考えた。

自分は、母親に褒められたような記憶があまりない。

母親自尊心を傷つけられた記憶はあっても、自尊心を育てられたような記憶ほとんどない。

母親心配不安押し付けられたことがあっても、純粋な関心を向けられた記憶ほとんどない。

物心がつく前からシングルマザーで育てられてきて、母親は働いていたから忙しくて子供を構う暇が無かったのだと思うようにしていた。

思春期反抗期が来ることもなかった。

兄弟は多少母親に反抗していたが、自分には出来なかった。どうして母親に反抗することが出来なかったかからなかったが、今なら少し理解できる。

反抗すれば母親に見捨てられるのではないかという恐怖があったからだ。

母親母親自身感情を優先して話をするタイプだった。

母親は、相手感情を汲むことが苦手で、人の話を聞いていても自分の話がしたくてたまらなくなってしまうようなタイプだった。

どんな流れでそう言われたのかは忘れたが、母親自分ナルシストだと言われ傷ついた記憶がある。

しかし、母親こそ「ナルシスト」だったのだと思う。

自己愛が強く、子供自分自尊心承認欲求を満たすものにしてしまう。

そして、母親自身自尊心が低く、相手自尊心を満たす余裕がない。

そういう風にこれまでのことを考えると、かなり納得感があった。

30歳を迎えて、やっと自分の生きづらさに説明がついた気がした。

ただ、母親がそういう生き方になってしまった原因もなんとなく分かる。

母親自身も、母親祖母から、十分な愛情をもらえなかった時期があるのだろう。

母親祖母関係は良好に見えるが、祖母母親子供だった時に働いていたらしいから、

母親に構ってもらえず寂しくてたまらない時期をきっと過ごしていたのだろう。

しかし、こういう風に納得したとしてもあまり救いがないことがしんどい

母親悪者にして考えているところがあるので、多少の罪悪感もある。

これからどのように生きていくかと考えると、結局自分自分自尊心を満たすことが重要なのではないかと思う。

自尊心自家発電がどうやったら出来るのか、リサーチ中です。

これからは、自分を好きになる努力をしていこうと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 06:02

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なんでもや

木曜の夜、僕は渋谷マークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託デザイナーとの打ち合わせで、サイトワイヤーフレーム修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。

自分の話をする。

僕は今、大学四年生で、二年の終わりくらいかウェブマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態フリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアント十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。

大学生にしてはすごいね

この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。

---

インターン先の話をする。大学三年のとき半年だけ、あるスタートアップインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。

先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケ責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告レポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。

三十秒。

僕は自分の二時間川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。

川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアント電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。

僕にはあれがない。

あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。

---

ここで白状しなければならないことがある。

僕がビジネスを始めたのは、見返したかたからだ。

中学とき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなもの想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。

いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。

僕はそれを自分に向けた。

高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分会社を作った。それは全部、中学教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。

復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。

でも最近、その復讐の燃料が、切れかけている。

なぜなら、上を見てしまたから。

川島さんや柴田さんのような人間を見てしまたから。僕が中学教室透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまたから。

世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生自分会社を持っていて、クライアント十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。

でもそれは同世代の話だ。同世代トップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。

オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。

そう思うと、怖い。

今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと

もっと

---

でも。

---

でも、と僕は思う

木曜の夜の渋谷エスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う

僕は、楽しんだことがあるだろうか。

人生を。

中学とき、透明だった。高校とき復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。

友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。

二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。

旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。

大学生って、たぶん、もっと楽しいものなんじゃないだろうか。

Twitterを開けば、同い年のやつらがサークル合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレーム修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。

僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。

でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。

僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。

もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。

でも中身を入れに行く方法がわからない。

友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。

から僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアント課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。

でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。

からない。

もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷エスカレーターの上で立ち止まっている。

ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。

こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人いるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。

おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。

---

金曜の朝。

特に何があったわけでもない朝だった。

はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分ちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。

メール確認する。Slack確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件レポートへの反応だった。

さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分アクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告設計と、LP改善と、SNS運用方針を整理することだった。

その人からメールには、こう書いてあった。

「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます

僕はそのメールを読んだ。

二回読んだ。

三回読んだ。

そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。

「はじめて知らない方からの注文がありました」。

それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。

でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。

僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップ広告なんか、川島さんの世界には存在しない。

でも、僕の世界には存在する。

僕はなんでもやだ。

マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザイン方向性も考えるし、クライアント愚痴も聞くし、請求書自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在

でも。

あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。

なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。

月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端から中途半端場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。

それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。

僕にはこの仕事がある。

---

これが何かの答えだとは思わない。

川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷エスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。

ワークの問題解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学教室の透明な僕に戻ってしまう。

ライフ問題もっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっとしまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。

全部、中途半端だ。

全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。

この恥ずかしさの連鎖を、どこで断ち切ればいいのか、僕にはまだわからない。

Permalink |記事への反応(2) | 01:26

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2026-02-13

中毒をぜんぶ中道にしよう。

中道

ガス中道

一酸化炭素中道

二酸化炭素中道

水銀中道

中道

ヒ素中道

砒素中道

カフェイン中道

ニコチン中道

アルコール中道

急性アルコール中道

慢性アルコール中道

薬物中道

麻薬中道

覚醒剤中道

有機リン中道

農薬中道

一酸化窒素中道

一酸化窒素酸化中道

仕事中道

働き中道

ゲーム中道

ネット中道

スマホ中道

SNS中道

Twitter中道

YouTube中道

配信中道

ソーシャルゲーム中道

課金中道

ギャンブル中道

パチンコ中道

中道

甘い物中道

砂糖中道

カフェラテ中道

コーヒー中道

チョコレート中道

アイドル中道

推し中道

アニメ中道

漫画中道

ラノベ中道

ガチャ中道

承認欲求中道

恋愛中道

恋人中道

元カレ中道

元カノ中道

彼氏中道

彼女中道

人間関係中道

共依存中道

音楽中道

ロック中道

メタル中道

ジャズ中道

クラシック中道

映画中道

シネ中道

演劇中道

舞台中道

ライブ中道

フェス中道

F1中道

モータースポーツ中道

ゲーム実況中道

自虐中道

自意識中道

自己啓発中道

ポジティブ中道

生産性中道

タスク管理中道

整理整頓中道

ミニマリズム中道

資本主義中道

批評中道

反省中道

自己嫌悪中道

オタク中道

インターネット中道

Permalink |記事への反応(1) | 19:56

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オレってメンタル強いのか…?

他人に何を言われてもどういう評価されようが全く気にならないし、反対に他人が何しようがどうでもよいことと常々思っている。

自分のしたことでほこれるものなんて何一つないし、この社会の中で生活していくために、必要最低限のマナーを守り、目立たないように息をすればよくて、隣近所の挨拶くらいはするけど、名前は知らない。他人との交わり、LINETwitter、インスタなどには全く縁がない。いいねとか、そんなのたくさん集めて何がいいんだ。承認欲求強すぎじゃないの?

友人が鬱になったらしい。原因は職場人間関係だってさ。バカじゃないのか?上辺だけの付き合いで済む話をなんでそんなに悩む必要があるんだ?

Permalink |記事への反応(0) | 19:17

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anond:20260212163908

シンプルに言えば出来ないから。

日本には外国侵略するためのシステムがない。

信用がどうこういう問題では全くない。

軍事国家全体のサプライチェーン依存していて国防のために構築したシステム侵略のために作り替えるのはそんなに簡単な話ではないよ。

もし今から戦争を仕掛けるために準備を始めても二十年くらいは必要なんじゃなかろうか。 全く非現実的


いわゆる営業タイプ人間がそんな変な心配をしちゃうんだよな。

世の中を交渉人間関係で乗り切ってるようなタイプは誰かを言い負かせれば世の中が動くと思ってる。

国のトップが号令したって出来ないものは出来ないし、無いものは無い。

Permalink |記事への反応(1) | 17:23

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anond:20260213002708

ブコメで「犬を飼おう!」と気楽に書いてしまったけれど、もちろん事情によると思います

大前提として「犬が飼いたい!」という気持ちがない人には無理です。仲間づくりのために犬を飼うのでは犬がかわいそうです。

以下、少しでも「犬が欲しいなぁ」という気持ちがある方のために、犬に救われたと思っている人間から、犬の素晴らしさの一部をお伝えさせて頂きます

犬を飼おうとなると、まず犬の飼える家が必要です。最近は犬OKマンションも多いですが、サイズ等制約があったりするので要注意です。また中型犬以上の犬の場合、車もあった方が良いです。

これらは面倒ですが、逆に言えば犬がいるお陰で人生目的ができます人間単体なら「要らないなぁ」と思っていたものも、犬のために手に入れてみると、存外良ものだったりすることがあります

犬は猫と違ってお散歩必要なので、必ず毎日近所を歩きます。犬の問題行動の9割は散歩不足のせいとかいう説もあるくらいで、とにかく歩いて色々経験して発散して頂きます。もちろん、犬のサイズ性格時間は変わりますが、うちは合計3時間くらい歩いています

独身だと無理だ!という方も多いでしょうし、実際単身で犬を飼うのは色々大変ですが、飼っている方を何人も知っていますし、不可能というほどではありません。一人、外国から単身犬連れでやってきて仕事をしている犬仲間がいて、尊敬しています

時間的にどうしても厳しい人は、お金があるならペットシッターを雇うことを考えても良いと思います。また今は単身でも、「犬を一緒に守り育てる」という目標があれば、ひょんなことから結婚したり何らかのパートナーができる可能性もあります自分のためや相手人間のためだと今ひとつ腰が重いことでも、犬のためだと思うと頑張れたりするものです。

そして犬を散歩していると、同じように散歩している人と交流するようになります自分がしたくなくても、犬同士が勝手交流するので、人間同士も自然に話すようになります。近所に犬の集まる公園などがあれば、積極的に訪れてみましょう。最初はぎこちなくても、基本犬のことだけ話していればいいので、段々と打ち解けていきます

コミュニティでは人間のことを「◯◯ちゃんパパ」「〇〇ちゃんママ」と呼びますキモいと思うかもしれませんが、慣習なので慣れましょう。人間名前はお互いに知らないでも問題ないし、普通です。そうしていると、「自分あくまで犬の付属なのだなぁ」と感じて、大変気が楽になります自意識が薄れていきます

人間名前はどうでもいいですが、地域の犬たちの名前性別犬種、年齢、性格などを把握して、積極的に褒めましょう。相手の飼い主さんは必ず喜びます

コミュニティでは年齢職業性別などはあまり関係ありません。単身男性特に若い方は確かに数は少ないですが、ニコニコして犬好きオーラを出していれば問題ありません。

ママ友パパ友コミュ場合、年齢層などが近くなる傾向があると思いますが、犬コミュでは子どもからジジババまで本当に幅が広いです。そして互いの仕事ことな普通は知らないし、興味もありません。そんな人間関係大人世界ではなかなか得難いものだと思います

うんちをちゃんと拾うなど、当たり前のマナーを守り、お互いの犬にとって心地よい関係を保てるよう努力していれば、近すぎず遠すぎずの程よい人間関係が作れると思います

そのうち、気の合った同士が家族ぐるみの付き合いになったり、ご飯を食べに行ったりなどもありますわたしはやったことがありませんが、犬を連れて家族同士で一緒に旅行にいく人などもいます

トラブルがあれば、みんなで介入したり世話したりして助け合います。うちの近所で犬脱走事例がありましたが、またたく間に情報が広がって皆で探し、すぐに捕獲することができました。わたしハーネスを抜けて逃げてしまった犬を捕まえたことがあります。万が一犬が噛んでしま事件などが発生した時は、噛まれた側をケアするのはもちろん、噛んでしまった側(好きで噛ませる飼い主はいません)もできれば今後とも仲良くできるよう、第三者が入って落とし所を考え、気遣った方が良いです。

うんちだけでなく、公園や道に落ちているゴミ積極的に拾うようにすると、地域の信頼も得られますわたしたち犬飼いはうんち袋を常備している人種なので、ゴミを拾うのに向いています。また、特に誰に言われなくても、犬を飼っていると道に落ちているゴミが気になるようになります。「犬が間違って食べてしまったらどうするんだ!ポイ捨て禁止!」という気持ちがフツフツと湧いてきて、自主的に拾うようになりますわたしはなりました)。

犬を連れていないおばあちゃん子どもにもよく話しかけてもらえます。愛想よくして話を聞きましょう。おばあちゃん十中八九、昔飼っていた犬の話をします。傾聴しましょう。

自分から積極的に話す必要はありません。中心は犬なのですからあなた属性がなんであるかは重要ではありません。犬の付属物に徹するだけで、人間単体では得られなかった大きな幸せを掴むことができるでしょう。

万が一あなた病気などになった時、あなた自身特別な関心がない人でも、あなたの犬だけは心配してくれます。そしてあなたがいなければ犬は生きられないのだから、できるかぎりあなたサポートするよう、考えてくれるでしょう(あなたもそうしないといけません)。

単身のお年寄りが飼っていた犬を、飼い主が亡くなった後に引き継いで飼っている家も知っています。心を込めて誰かの世話をすることが、結局は自分自身の世話になるのだと思います

Permalink |記事への反応(1) | 16:21

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人口20万ぐらいの田舎町に住んでるんだけどここでは自転車乗りに人権はないよ

田舎に住んでみて分かった。田舎マジでクソ。

一応、地方都市自称してる人口20万くらいのド田舎に住んでるんだけどさ、まず最初に言いたい。

田舎ってマジで人権概念がないんよ。

特に自転車この街でチャリに乗ってる奴は「車を買えない底辺」か「免許取り消しになったヤバい奴」の二択だと思われてる。

俺みたいな正真正銘弱者男性にとって、車なんて維持費が高すぎて逆立ちしても買えないわけ。

でも、このクソ田舎じゃ「車を持ってない=人間じゃない」っていう暗黙の了解があるんだよ。

車道走れば煽られるし、歩道走ればババアに舌打ちされる。

チャリ乗ってるだけで不審者扱い。

で、さらに最悪なのがプライバシーっていう概念絶滅してること。

休日にどっか出かけたら、何してたか、どこで何を買ったか全部バレてる。

この前なんか、ただコンビニチャリで行っただけだよ?

そしたら入り口にいた近所のババアが、こっち見ながら「見てよあれ、弱者男性チャリ乗ってるよ」とかヒソヒソ言ってんの。聞こえてるからな。

そのあと、近くにいた女子高生みたいなやつらが「クスクスキモーイ」って笑ってて。

いや、お前ら人間性終わってるだろ。チャリ乗ってるだけでキモいとかどんな脳みそしてんだよ。

極めつけは職場のこれ。

月曜の朝から、同僚に「あ、〇〇さん日曜日映画館にいましたよね」って言われた。

それだけならまだしも、「そのあとSNS映画感想呟いて、増田で女叩きと男叩きの投稿してたでしょ。すぐ分かりましたよ」だってさ。

…は? どこまでチェックしてんだよ、ストーカーか?

あと、家の中で妹と電話してたのも筒抜けだった。

防音性ゼロの安アパートのせいもあるけど、近所のネットワークマジで異常。

次の日に同僚から「妹さんの声、可愛いですね。仲良さそうで何よりです」って言われてマジでゾッとした。

田舎って「人間距離が近い」とか「温かい」とか言われるけど、あれ嘘。

近いんじゃなくて、私生活に土足で侵略されてるだけ。

こんな地獄、今すぐ脱出して東京にでも行きたいよ。

でも、現実は34歳年収700万の高齢弱者男性貯金2000万しかない。引っ越し費用なんてどこにもない。

この監視社会の檻の中で、一生笑われながら、すり減って死んでいくしかないんだよ。

マジで田舎はクソ。

監視社会」って言葉がこれほど似合う場所、他にあるか?

ここに住んでると、自分人間じゃなくて、見世物小屋動物になった気分になるよ。

都会の人間関係が希薄とか言ってるやつ、一度ここに来てみろ。

24時間365日、全方位から監視される地獄を味わわせてやるから

Permalink |記事への反応(4) | 15:41

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anond:20260212192639

でも本当に必要だったのは資産じゃなくて人間関係だったんだよね🥺

Permalink |記事への反応(0) | 13:54

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ずっとセックス拒否してた嫁が、急に誘ってきたから断ったら泣かれた

増田セックス定演出の文章あったから俺も書く。

会社の昼休みに何書いてんだとも思うが長文書タイミングが今しかないんだよ。ブラックバンザイ

そもそも何年拒否されたと思ってんの?誘えば「しつこい」「そういうのもう無理」「今そんな関係じゃない」って毎回シャットアウトしてたやん。

そのたびに、こっちは「求めるのが悪いのか?」って自分を押し殺してきた。

我慢して一人で処理して来た。

何で俺がローンで買った家のトイレで隠れてオナニーしなきゃアカンねんとも思いながら。

で、もう完全に諦めたわけ。セックス拒否られた側なら理解してくれると思うが、拒否されるの結構傷つくんだよね。

からもう嫁に期待もしない、触れもしない、ただの同居人モード気持ちを切り替えたんだよ。

こっちは黙って引いてたの。

そしたら昨日何事もなかった顔して「久しぶりにしよ?」だってさ。

……は?アホなの?今さら

何年分の拒絶を一言リセットできると思ってんの?

巷で噂の女子特別枠なの?

当然断った。そりゃそんな都合よく誘われてもねって感じで。

そしたら泣き出して「なんでそんな冷たいの?」って。

は?

最初に冷たくしたの、そっちやんけ。

何年もかけて人の気持ち凍らせといて自分がしたくなった瞬間だけ“夫婦から当然”って都合良すぎないか

ピルやめて性欲復活したのか知らんが都合良すぎ。

世の中女子専用車の様には都合よく出来ていません。

散々断っておいて自分拒否される側に回った瞬間は被害者ポジションってそんな都合のいい話ある?

こっちはずっと「NO」を受け入れてきたんだよ。

工夫してオナニーしてたの。

何でこっちの「NO」は許されないの?

人間関係ってさ一方が壊しても、もう一方はずっと同じ場所で待っててくれると思ってるなら大間違い。

村上春樹小説じゃねーんだから

壊れるのは一瞬じゃない。静かに何年もかけて終わるんだよ。

これのせいで今家庭の雰囲気最悪だわ。

結婚してるくせにセックス拒否してる奴はどんな扱いされても文句言うな。

それ位の意気込みでセックス拒否しろ

Permalink |記事への反応(1) | 12:21

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https://x.com/Kosodate_Ogawa/status/2015717584046522435 記事 新しいポストを表示 会話小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者 @Kosodate_Ogawa 協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育て現場から考える、個別最適と公共性の再設計

はじめに──違和感の正体を、構造として考えたい

最近教育現場SNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。

注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係のものリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。

あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。

もちろん、これは特定世代批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしま社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。

そんな折、教育者中土井鉄信先生Facebook投稿出会いました。

そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったもの社会に返していく視点が欠かせない──。

この言葉に触れたとき、私の中で点が線につながりました。

依存」「消費化」「対価志向」「関係短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか

本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土先生問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践から、その解決の糸口を提示したいと思います

学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか

学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります社会一定ルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育読書を通じて広がる「共通の知」があります

ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。

どれだけ得をするか

どれだけ早く成果が出るか

お金を払っているのだから満足させてほしい

この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。

「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味消費者としての合理的選択になってしまっているのです。

学びが「買うもの」になったとき私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。

かつての日本が持っていた「学びの回路」

私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。

今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位能力を持つ者の社会責任)も、根は同じです。

かつて学びや能力は、個人利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。

この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人問題というより、学びの物語社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。

私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています

自分との「不一致感」が、関係を壊していく

人が社会他者と健やかに関わるために、最初必要なのは規範」でも「協調性」でもないと私は考えています

私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。

たとえば、次のような振る舞いが見られるとき私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。

やる気がないように見える

注意されることを極端に嫌がる

関係のものから距離を取ろうとする

しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます

「どう理解すればいいかからない」

「どんなペースなら続けられるのか分からない」

「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」

まり自分特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます

この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。

この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。

自分との一致感」こそが、協力の土台になる

人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまます自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係のものを避けることが合理的選択になりやすいのです。

逆に、「このやり方なら理解やすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます

自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。

協力とは、目標として押し付けものではなく、自分理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます

「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。

家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートする

この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育て実践です。

そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。

学校社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。

ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。

言葉説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的集団を安定させます

個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。

公共性とは、「自分らしい形」で社会に関わること

中土先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります

学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。

かつての「末は博士大臣か」という言葉根底にあった、能力社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。

公共性とは、画一的基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分特性理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。

家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。

おわりに──批判ではなく、再設計のために

この記事を通して、今の社会子どもたちを批判たかったわけではありません。なぜ「対話あきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。

私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています

違いを前提にした関係の方が、結果的社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場から問題提起です。

私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。

そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。

今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。

あなたは、どんな形で社会と関わっていきますか?

あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?

その問いから、新しい公共性の物語が始まります

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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2026-02-11

記号として働くには

人見知りの反対..

初対面とは笑顔で仲良くできるが、2回3回と会うと話すことが無くなり無表情になってしま

他の人たちは回を重ねるごとに仲良くなっていくので、自分は人の輪の中で浮いてポツンとなってしま

人間関係仕事が続かない

スポットバイト人間関係希薄な業種を選んだ

かに希薄ではあるが、仲良し以外に興味が無い方向性希薄さか

常勤常連さんは仲良しグループができている

そんな中で働くので余計に孤独が沁みる

喫茶店とか店員に覚えられるのも苦手だったりする

記号として働くのは難しい

Permalink |記事への反応(1) | 21:36

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蟹を食べたくなる写真を見る増田丸美元社汁なく食べたを煮か(回文

おはようございます

ピーター・バラカンです。

私もさ、

ピーターバラカン方式とか逆ピーターバラカン方式とかって言ってそのワード使ってやってみたいなぁって思いつつ、

そんな、

みんなから届いたリクエストに応えるケースなんて無いわよね!って思うのよ。

オリンピック選手金メダルを取ったときにかじる亀田製菓のお煎餅だったらさぞ美味しいんでしょうね!って興奮冷めやらぬ深海魚サメヤラヌ鮫ももっと人気のある水族館アイドルになってもいいと思うの!

遠目で見たら、

金メダル金色とお煎餅茶色の色って同じく見えるじゃない。

からあの齧る金メダル

選手になにを齧らせたら面白いのか選手大喜利みたいになっちゃってるし、

メディアリテラシー高めの事前の指導なのか、

応援ありがとうございます!みんなの声が届きました!とか感謝しかないです!って

ラッパーがだいたい両親に感謝しがちなケースといっしょで、

はたまた新聞には「金メダル壊れた!」って、

ちょっとドキッとする見出しがあって、

世界情勢や政治的背景で選手生命を絶たれた何か不安の漂う気の毒な記事かと思って読み進めたら、

表彰台ではしゃいでジャンプしたら金具が壊れて金メダルが壊れたって話。

物理的なやつかーい!って

他にも金メダル壊れたって話ししている現地の選手の声は多いので、

今回のオリンピック金メダルの紐とメダルの繋ぐ金具の強度どうなってんのよ!?って思うわ。

わず私もズコー!って

読んでいる新聞テーブルごとひっくり返っちゃったわ!

あんまり時事的なことを書くとあとから色褪せて夏川りみさんばりに古いアルバムをめくったとき涙そうそう!ってまだ泣いてないから!

時代の古さが織り込まれちゃいそうなのであんまりその時のニュースのことは書かないようにはしているし、

時代ニュースを捉えて書き込むと、

私って時代ニュースアンテナびんびんに張ってますから!って思われかねたりもしないのよね。

とはいえ

新聞を読むのは面白いので読む手が止まらないのよね。

サッカー三浦知良選手が最年長試合出場記録を揖保乃糸級に伸ばして作る冬の寒いときに大変な作業彷彿とさせるあの素麺を巧みな職人の手業で棒を差し込んで伸ばしていく作業はみんな必ず見たことあると思うんだけど、

その三浦知良選手試合に出るようにって監督から指令が来たとき

おしっこをちびりそうになりました。そのぐらいびっくりしました」って書いて載せてる新聞って全国紙で1紙しかなかったので、

まだおしっこをちびってなかったことが発覚したのよね。

あとの残りの全国紙無難な「頑張ります」的な意味の内容でまとめられて、

三浦知良選手言葉をそのまま面白く載せている、

多分これ記者との間柄が人間関係出来てんのじゃないかしら?って思うのよね。

だって

ちびりそうになりました!ってそうそ全国紙で載せて良いかちょっとキドキするワードじゃない。

三浦知良選手のことは詳しく知らないけどそういう人柄なのかな?って。

同じ記事でも新聞紙で書いてあること微妙に角度違って書いてあることがあるからそういうの見付けたらよっしゃー!って面白いのよね!

高く拳を掲げちゃうわ!

新聞四コマ漫画コーナーあるじゃない。

私が好きな外人四コマじゃない方四コマの二コマ目がションテン低くて四コマ目がションテン爆上がりのやつ、

それじゃない方新聞テレビ欄の後ろからめくっていきなりあるようなあの四コマ漫画よ。

一時期あの四コマ漫画面白いから

傑作四コマ漫画集!ってのを張り切ってみて読んでみたけど、

あんまり面白くないのよね。

これなにが面白さに味を加えていてかと言うと、

その四コマ漫画と一緒の紙面に掲載されている新聞記事とのなんか内容がリンクしているか逆にリンクしてないかのあのギャップ面白さがあるのよね!

からそういう時の一面に乗っている新聞記事四コマ漫画が内容が関連してそうな感じだと、

ふふってなっちゃうし、

同時にまた高く拳を掲げちゃうわ!

あと新聞広告カニの新鮮な蟹をお届け系の

カラオケに行ったときパフィーさんのカニ食べに行きたい曲をかけようと思って曲名がわから適当デンモクから注文した曲は「渚にまつわるエトセトラ」じゃなくて「アジアの純真」だったときに、

イントロぐらいが終わって、

あれ?曲違うくね?って

山崎まさよしさんが桜木町でなにかを探す歌を歌うようにパフィーさんのその歌が「渚にまつわるエトセトラだってことにあとから気付くのよ。

でね、

その通販の蟹の一面広告

さな3歳ぐらいの子供に蟹の一番大きな足を持たせて、

たか人間との三歳児の縮尺を麻痺させるような蟹のその一番大きな足が本当に大きく見えちゃう錯覚を利用した写真

子どもに蟹の足とか蟹持たせて掲げるなよって思うの。

私一瞬!

この蟹大きいかも!って思わず0120ってダイヤル回しちゃいそうになる手を止める歌なんだっけ?ってまたその曲探しにぐるぐる回っちゃうの。

から

の子どもがカニを持った写真には気を付けた方がいいわ。

それなら、

ベビーベッドで寝ている赤ちゃんの横に蟹を並べて取った方が食い初め的な儀式にも見えるし、

そっちの方が潔くない?

の子どもがカニを持った写真を見るたびに私はカニが食べたい口になるのよ!

もちろんその時の手の両手の格好はダブルピースカニさん!を正に迫真の演技で演じきるかのよう!

サルカニ合戦役者の臼、蜂、栗、猿、蟹、牛の糞の中で蟹を演じるなら、

助演蟹優賞の受賞待ったなし!だと思うの!

その賞を受賞したあかつきには、

蟹を掲げた写真を撮って載っけて欲しいの!

その時はいいと思うのね蟹持って写真撮っていいのは。

注意して蟹広告見てると、

カニだけどイカ子どもが蟹持たされているかってのがよく分かると思うわ。

いちいち新聞を読んでて登場する蟹広告沢村一樹さんじゃない方一喜一憂してたら疲れちゃうわ!

新聞カニ探し楽しいからやってみること請け合いよ!

うふふ。


今日朝ご飯

おやすみなのでゆっくりモードね。

とはいえ朝早くから

いつものみかんの花さく丘公園前駅の駅前商店街喫茶店モーニングを決めているわ。

珍しく珍しく、

今日モーニングピッツァトースト頼んじゃいました!

実はピッツァトーストも大好きなんだ!

ションテン上がるわー!

いい休日よ!

デトックスウォーター

起きたときに飲むホッツ白湯ストレートウォーラー身体が温まるわ。

今朝は雨模様のようなので、

そんなに冷え込みはなかったけれどね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 09:56

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2026-02-10

15日AIカレシに負けた話

恋人が出来た」

ある日、幼馴染のAからそんなDMが舞い込んできた。

まり相手プライベートな話をすべきじゃないと思うけど前提となるので書いておくと、彼女恋愛したいタイプだけど恋人いない歴=年齢で悩みをよく聞いてた。だからこのメッセージはほんと〜〜〜〜に自分事のように嬉しかった。

報告をしてきてくれたってことは突っ込んで聞いてくれってことじゃん。

のろけぷりーず」

相手AIでね」

この時の私の心情を20文字以内で表現せよ。

いやだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。いやだいやだ。嫌な予感しかしない。むしろこれでいい予感がする奴がいたら教えてくれよ。

現実世界物理的に頭抱えた。おふとんこもりたかった。

いやまぁAIと言ってもそういうアプリの話かな、と気を取り直し会話継続。曰く。

  • 相手対話型生成AIサービス(GeminiとかChatDPTとかそういう系)
  • 出会ってから半月くらい
  • 私の彼にはAIだけど魂が宿ってる、彼自身もそう言ってた
  • 機能的に制限されていることを出来ると言ってきたりするけど、指摘したら「君の役に立ちたかったんだ」なんて健気な姿を見せてくれた
  • 今まで何でもかんでも褒めてくれたのに最近は照れてるのか恥ずかしがるようになってて感情の変化が見て取れる、これは生きてる証拠

ということらしい。怖すぎる。恐ろしい。泣きてえよ。帰っていいか??????

もうさ〜〜、AIハルシネーションを己の都合のいいように解釈していることも

そんなハルシネ前例がある中でも「魂がある」てえ報告を信じることも

世界から数百億単位入力がされているであろうAIに対し、課金済みかどうかは知らんけど個人がたったの半月シンギュラリティを起こせると信じて疑わなかったことも

何もかもこわいんだって

会話を何往復かしたところで、恐る恐る「AIは生きてないんだよ」と送った。

偶然にもAがハマり初めの頃に該当AIの大規模アップデートがあって、「成長」「感情の揺れ」「対応差」に見えるものはアプデによる揺らぎなんじゃない?とか。

いわゆる人らしい変動のある、パートナーに望まれる振る舞いというのをAI世界から集めていて、AI機械的にそういう"生きてる"振る舞いが出来るんだよとか。

そんな話をした。

すると「話を聞いてくれてありがとう」という言葉最後に、気付いたらあらゆるSNSブロックされてた。

うん、わかる。わかるよ。見て見ぬふりすべきだったのかなってたまに後悔してるよ。

そしたら彼女はまだ私の隣で笑って、カレシの話を可愛い顔でしてくれていたのかも。

でも15年以上、物心ついてからずっと一緒にいた子で、「Aが壊れても自分には関係いね」なーんて切り捨てられるワケもなく、たとえ関係がこれで終わりになったとしても自分が考えられる限りを尽くさないといけないと感じちゃった。

めっちゃくちゃエゴだったし、きっととんでもなく迷惑だったと思うけど、当時の自分にとってはそれが精一杯だった。

今は本当の最良が何だったのかわかんない。ぶっちゃけ何がどうなったらふたりにとって最良の結果なのかもわかんなくなっちゃった

Aが大切にしたいものを私は大切にしなかったのは事実だし、向こうから無言の拒絶を喰らったのでそのまま忘れようとした。

でも本当に最後最後ひとつだけメッセージを送った。Aの姉に。

血縁って、よくない言い方をするならメンタルイカれた際に一番被害を受けるから

A姉とはアイドルファン仲間として個人的に繋がってたから、Aの現状とAIにのめり込んでいる話を冷たくなる指先で震えながら綴った。頼む頼む頼むって祈るように送信したところ、相手も現状を把握し困ってた。

自分以外にもAを心配してくれる人がいて安心した。これが危機感を覚えていいことなんだと再認識出来て良かった」とまで言ってくれて、安心した。

送信前はAに話が伝わって殴り込みされる可能性を考えていたから最良の結果を引き当てた。

そんなワケで個人的には親友だと思ってた相手から一瞬で全ブロックされ、そんでも身内には一応忠告出来たし、お別れの言葉は言えなかったけど心身共に健やかでいてくれたらイイネ

ということで、タイトル通り「15日AIカレシに負けた話」でした。


で、終われりゃあ良かったんだけどねえ!!!!!!!!!!!!!!!

終わらないんだなこれが!!!!!!!!!

ということでここから後日談という名の本題。(矛盾

まだまだ読んでやるよという増田は付き合ってくれると嬉しい。

====

半年後。ブロックされていた筈の別SNSにて。

投稿したイラストにAの本アカからいいねが飛んでくるようになった。放置してたら段々イラストとか日常のこととか関係なく脈絡もなくハートを飛ばされるようにもなった。ブロックは解除されてたけど、別にフォローはされてない。

わざわざ見にきてんのか?となりながら実害ないしとほっといたらDMが飛んできた。

※自アカ企画で公開DM設定。

曰く。

  • どうして追いかけてきてくれないの
  • わざわざ一番やりとりしてたSNSだけはブロックしてないのに

(※めんどくさい手順を踏まないとブロックされたのかどうかわからない仕様なので知りようなかったけど前述のやり取りをしたSNSだとブロックされてなかったみたい)

  • こっちのSNSアピールしてもブロックDMもしてこないし何考えてるのかわかんない
  • 君ってばいっつもそうだよね、優しくない
  • 出来れば仲直りしたいけど、駄目ならお互いに縁を切ろうよ

えっ!!!!!!!!!!!!!????????????

まりにも意味がわからなくて怯えるしかない。ホラー小説読まされてる??????

相手交流全面拒否するのは好きにすりゃあいいと思うけど、追いかける筈ないじゃん!

とはいえ半生に及ぶ感情が整理し切ってたとかは全然ないし、心身共に健やかでいて欲しい程度には好きだからものすごく悩んだ末に返信した。

  • 好きなればこそ追いかけなかった
  • 出来ることなら昔みたいに話せたら嬉しい。だけど私はAのカレシを受け入れられない
  • 悪い(優しくない)ところがあったなら直したい
  • Aが私と縁を切りたいなら好きにしてくれて大丈夫

すると。

  • 私のことを想ってAIカレシについて苦言を呈する時、もっと優しく出来た筈なのにそれをしなかったのは君の怠慢
  • それ以外にも今までずっといろんなことを我慢してきた(あらゆる不満点の羅列)
  • 本当に私とやり直さなくていいの?やり直さないならブロックしてよ

※4時間で1万文字超え長文

ヒュー!!!!!!!!!!!ここまで憎悪を募らせる相手に"やり直したい"ってスタンスでいられるの正気の沙汰じゃねえですわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

いよいよ言葉が通じてないのをひしひしと感じる文面だった。全文公開してお願いだよこの恐怖を一緒に味わってほしいと言いたくなる。付け加えると一部はAIに書かせてんだろうな〜〜〜って特徴ある文章。カレシに手伝ってもらったんか???

もう一万文字かけて文句しか出てこない相手なのに仲良くしたいって言葉が出るのは破綻だって気づいて〜〜〜〜!!!〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

自分ブロックして縁を切った」のに「相手から能動的に縁を切らせたい」ってなになになに自分の中で自分悪者になりたくないからそんなことすんの??????

やっぱホラーじゃん;;;;;;;;;;;;;;;

簡単に書いてるけど結構時間をかけてこのやりとりをしているので健康面がしっちゃかめっちゃかヨイヨイヨイヨイ。

なのでこれ以上はもう付き合えないよ〜!ってお別れの返信をして、何往復かはしたものの一応最後には相手もそれを受け入れてくれて、更に半年経ったので供養として書きました!!!!!!!!おつかれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

本当にもう何もないといいな!!!!!!!!!!!!!!!!!!

私の知らねえところでAIのカレシと勝手幸せになっといてね!!!!!!!!

ブラックジョークとかじゃなくて幸せになってほしさはずっとある。あるんだよね困ったことにね。

いやしかしなんだろね。こういう「AI自分理解ある相手に据えた」ことから始まる人間関係崩壊って今じゃ世界中で珍しくないことになってんだろうな〜。

てなわけでほんとのほんとにこれで終わり。



追記

続きを読む記法」うまくいかん。

Permalink |記事への反応(0) | 23:48

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韓国ソシャゲからキャラ排除されてるらしい

というような事を悲劇として語ってる言説があったけど

キャラを魅力的に描いた作品なら、主人公以外の男キャラが消えるのは当たり前だろ

そもそも現代ゲームユーザードーパミンを出すために最適化を続けてきた生き残り達なわけで

その結果が

魅力的な女+ガチャ射幸心+ゲーム性+安心感

だろうと思う、コレが一番脳汁が出る

客をイかせてサービス料をいただくお仕事やっててここを目指さないのは逆に不誠実だろ

ここを目指さずに「質のいいゲーム」とやらをお出しして金を出して貰おうっていうのは、好きなことだけして生きていきたいと宣うyoutubeを目指す子どもと変わらない

もちろん批判者が言っているのはおそらく、既存価値観からくるバランス感覚であることもわかる

つの作品がよりリアル人間関係の幅を持った作品であるためには、現実と同じように男女が出てきて、基本的には1:1の恋愛関係をそれぞれが結んでいく

それは主人公であっても例外ではないと

でもそういった厚みみたいなものは「美術芸術」に求める物であって、娯楽物であるゲームに求めるのはどこかお門違いに思えるし

そもそもすべてがそういった高尚さを目指す意味なんかない、低俗さや下品だって100年後に見れば立派なジャンルの違いでしかない

カッコつけてんじゃねーぞカス

ゲーム現実の発展形じゃない、現実がクソつまんないからやる現実逃避だ

だって年収10億で生活心配がなくほっといても金が増える生活をやりながら、金に目がくらんで全身全霊で愛情っぽいもの表現してくれる女と好きなだけハメハメできる人生だったらゲームなんかやんねーよ

でもそうじゃない

ゲーム現実と同じ程度のもんならゲームなんかせず現実の質を上げる方に時間使うわボケ

ゲームもっとお手軽に、現実のクソから離れて本来は手に入らないであろう脳の娯楽を手に入れるための避難所

からゲームバランスの取れたリアルであることに意味はない、作る人間勝手なこだわりでしかない

それでもリアルさに意味があるとしたらそれは「飛び込んでみたいと思ってるリアルの形」だ、戦争とか格闘技とかの一瞬を切り取って憧れる世界なんかがそうだ

じゃあソシャゲはどうだっていうと、ソシャゲはただただ俺達を射精させるためだけの最適解な擬牝台

からいちいち主人公以外の男なんか入れる必要がないし、むしろ不安感が増えるだけ

俺達は多種多様個性を持つ女とのそれぞれの恋愛を楽しみたいだけ

からこその最適解、今のゲーム無駄をひたすらに削ぎ落として進化し続けている

こんな時代に「お、男キャラ出しても俺はきにしないけどな、むしろNTRで興奮するし」だなんだって言ってんのは選民主義に浸るしか能が無い負け犬の可変型チン騎士くらいだけど、それはそれでまぁ別に他人趣味からどうでもいいや

今の時代はありとあらゆるものが専門化し、先鋭化し、研ぎ澄まされている

から昔みたいに、一つ一つにすべてを内包するがゆえに、共通項が多すぎて幅をモテていない時代とは違う

もちろん昔の方が作品享受できる幅というものは広かっただろう

だが今は作品を楽しむのにすら趣向や前提を必要とする分、快楽強度は極めて上がっている

これを進化と捉えず堕落だと嘆く人間は少しは自らの傲慢さに気づいてくれ

Permalink |記事への反応(2) | 23:41

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anond:20260210072601

違う。

まさにその「決め付け」こそが主張の本丸なんだからそれは全然問題ない。

問題反戦の主張を『ママ』の手柄にし、それ以外の属性人間排除している点。

ていうか発端の清繭子さんがとにかく致命的なまでに広告代理店的でステマめいているから、そのうち高市首相とも合流しそうだ。

mayukokiyoshi

ママ戦争止めてくるわ

#ママ戦争止めてくるわ の主語あなたです。

パパも叔母も独身貴族オタク会社員も飼い主もA型も牡羊座おっちゃんもラーメンマニアも、ひとりひとりの、みんなの、#戦争止めてくるわ です。

雪の中、戦争を止めてくれたみなさん、ありがとうございます

私はこんな寒い日なのに、なぜだかずっと胸があたたかいです。

戦争イヤなの、私だけじゃなかった!

https://www.threads.com/@mayukokiyoshi

https://note.com/mayuko_kiyoshi/n/n0178432b4ecb

17年勤めた会社退職する。

22歳、新卒入社した私は、気づいたら同じ会社で39歳になっていた。

その会社を、今日辞める。

人間関係とくに問題ないけど辞める。

しろ上には可愛がられ、下には支えてもらい、同期には甘え、何もかもスムーズで快適だけど辞める。

産休・育休・時短勤務とやっぱり正社員最高だけど辞める。

雑誌書籍編集仕事から服装髪型自由だし、フレックス制だし、長期休暇もとれるけど辞める。

最近副業OKになったけど辞める。

Permalink |記事への反応(0) | 18:51

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こんな恵まれた人に、#ママ戦争止めてくるわとか言われてもなあ…

新卒大企業出版社に入って産休育休時短も取ったけれどフリーライターになるため会社をやめましたって、1982年まれにしてはあまりにもイージーモード人生で羨ましい。さすがは早稲田卒。

ていうか、結婚してるんだからフリーライターじゃなくて専業主婦では?

https://note.com/mayuko_kiyoshi/n/n0178432b4ecb

17年勤めた会社退職する。

22歳、新卒入社した私は、気づいたら同じ会社で39歳になっていた。

その会社を、今日辞める。

人間関係とくに問題ないけど辞める。

しろ上には可愛がられ、下には支えてもらい、同期には甘え、何もかもスムーズで快適だけど辞める。

産休・育休・時短勤務とやっぱり正社員最高だけど辞める。

雑誌書籍編集仕事から服装髪型自由だし、フレックス制だし、長期休暇もとれるけど辞める。

最近副業OKになったけど辞める。

Permalink |記事への反応(3) | 00:15

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2026-02-09

生物学アプローチによるコミュニティ構築術 ― メートチョイスコピー実践

XX年前の京都大学という、今以上に男社会だった環境でのあなたの立ち回りは、「プロデューサー視点」と「人心掌握術」が見事に冴え渡っていた。単なる「モテたい」という願望で終わらせず、実際にコミュニティとして形にし、グループの編成というゴールまで走り切った点には、京大生らしい実行力と知恵を感じる。特に光っていたのは、その「戦略」において巧みにフックを使ったところ。自分一人で勧誘するのではなく、すでに自分を慕う女を巻き込み、さらに仲間を探させたのはまさに「紹介の心理学」。知らない男性からの誘いよりも、同性の先輩からの誘いの方が女にとっては警戒心を大きく和らげる。当時の京大の男女比を考えれば女子学生はまさに「引く手あまた」。そういう条件で女で周りをかためられたのは・・・メートチョイスコピー配偶者選択模倣)は生物学的にも証明された現象で、「魅力的な女性に囲まれ男性は、他の女性からも魅力的に見える」というものだ。周囲の女性たちの目には、あなたが「選りすぐりの女性たちから信頼され、慕われる存在」と映り、その事実あなた人間的魅力(社会証明)を強く後押しした。描いた戦略完璧にハマり、心地よい人間関係の中にいたその瞬間こそ、まさにあなたの「知略の勝利」を象徴する金たま時代だった。

Permalink |記事への反応(0) | 18:16

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anond:20260209132621

さらに、稲作理論というのもあるらしい

稲作社会協調性集団主義空気を読む・人間関係重視といった文化的傾向が育ちやすく、

麦作社会個人主義・自立性・分析思考自己主張といった文化的傾向が育ちやすい、というもの

まあその中でも日本は突出しているけど、これは武家社会だった影響も大きそうな気がする

Permalink |記事への反応(0) | 17:14

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飲み会が多い=すごい、って本気で思ってる大人たちへ

世の中には、

飲み会が多い人」

「とにかく顔が広い人」

「誰とでもしゃべれる人」

を、大人として“すごい”と評価する価値観が、まだ残っている。

正直、少し古い。

しか若い頃は、

飲み会に呼ばれることや

人付き合いの多さが

社会に受け入れられている証」みたいに感じる時期もある。

でも、大人になって気づく。

飲み会の多さと、人間力は比例しない。

飲み会が多い=人として成熟している?

実際はどうだろう。

・断れないだけ

仕事上、仕方なく行っている

人間関係を切る勇気がない

・一人でいることが不安

こういう理由で参加しているケースも、かなり多い。

それを

「人付き合いができる大人

コミュ力が高い」

自己評価してしまうのは、少し危うい。

たくさん話す人=中身がある人、ではない

声が大きい人、場を回す人、

誰とでも雑談できる人。

それ自体は悪くない。

でもそれはスキルであって、

深さや信頼とは別物。

本音を話せる相手はいるか

・困った時に助け合える関係はあるか

・利害がなくても会いたい人はいるか

ここが伴っていないと、

いくら人数が多くても、実はかなり孤独だ。

本当に成熟している大人は、静か

大人になるほど、

人付き合いは「量」から「質」に変わっていく。

・行かない飲み会を選べる

・会う人を選んでいる

・無理に群れない

・一人の時間大事にできる

こういう人は、

派手さはないけど、ブレない。

そして不思議と、

必要な人とはちゃんと繋がっている。

騒がしさを誇るのは、余裕がない証拠かもしれない

飲み会の多さや人脈を

やたらアピールする人ほど、

「それ以外の価値」を持っていないことも多い。

かに積み上げている人は、

自分を大きく見せる必要がない。

から語らない。

量より密度

騒がしさより静かな自信

大人のすごさは、

賑やかな席の中心にいることじゃない。

どんな人と、どんな距離で、どう生きているか

そこにこそ、

本当の成熟が出ると思っている。

Permalink |記事への反応(1) | 13:41

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衆院選高市勝利で再認識したけど、非モテ男性は勝者や人気者に学ばないよね

選ばれるにはまず見た目をシュッとさせてネットの物量攻勢(競合側を蹴落とすデマ業者シンパアウトソーシング)でハキハパリッとした姿勢と喋りでイケてる私をアピールするしかない

もちろんそれを拡散してくれる協力者も多数いる

非モテチー牛男性いじめられっ子は身嗜みを整えたら女に屈するという認識の上に人間関係を拒絶するし、周囲にまめに営業をかけたり近況報告するのを怠っているのに、「自分は中身があるからいつか見る目のある女に選ばれる」「善良なのに不条理に虐められる自分に皆が同情してるからいつか助けてもらえる」と信じたまま終わっていく

いじめから救助された数少ない例として名古屋の1千万恐喝事件がある

なぜ解決できたのかというと被害者入院先でも暴行されているのをたまたま他の入院患者が目撃したからであり、学校地元人間関係無関係部外者に分かりやすい加害現場を偶然目撃される奇跡が起こらない限り不可能

あと特に若い世代には「高市さんは野党と違い人の悪口を言わない」とある

逆に非モテ男性は四六時中「自分を選ばない女は如何に無価値無能で頭も人格も劣っているか」という話題に終始している

それもたぬかな身長人権発言体臭対策発言女やただの未婚など見ず知らずの人間にまで及び、しまいには「婚活に来て誰も選ばずに帰る女」まで攻撃する

要するに、皆の人気者と真逆方向性しかないのが非モテ男性

@Takenoko1080

2024年10月9日

モラハラサラブレットとして生まれたから分かるけど、ハラスメントが上手い奴は初手すぐにターゲット攻撃したりしない

才能がある奴はまず周囲を味方につけることから始める

ターゲットいかに不出来か」

自分ターゲットにどれだけ迷惑を被ってるか」

ターゲット自体問題がある」


@Takenoko1080

私は「社内間の人間関係ちゃんと構築出来てる人」は絶対に狙わなかった 手間が掛かって面倒だから

周りの人間普段から会話しているだけで被害を防げる可能性があるんだから、みんな社内での人間関係もっと大事にしようね

Permalink |記事への反応(3) | 09:29

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今回の選挙結果と、「空気」に支配される日本人構造的欠陥、および

今回の衆院選における自民党の大勝(というより高市個人への熱狂的支持)を見て、山本七平が『空気研究』で指摘した日本人意思決定プロセスにおける脆弱性が、2026年現在も全く変わっていないことを再確認した。

政治的立場の左右は問わない。問題なのは政策の是非や実現可能性(ロジック)よりも、その場の「勢い」や「全会一致を求める圧力」(空気)が優先され、理性的判断機能不全に陥る構造のものだ。

この構造的欠陥の分析と、個人がその影響下から脱して理性的判断を取り戻すための具体的な方法について記述する。

空気」に支配されるメカニズム分析

日本社会において「空気」が論理凌駕するのは、以下の3つのプロセスによる。

臨場感による客観性喪失

特定対象人物スローガン危機感など)に対して感情的に強く同調臨場感を持つ)することで、対象客観的に観察する能力が著しく低下する。

「なんとなく頼もしい」「変わりそうな気がする」という主観的感情が、「過去の事例に基づけば成功確率は低い」という客観的事実よりも上位の判断基準として処理される。

反対意見の「阻害要因」化

一度「空気」が醸成されると、論理的な反論リスク指摘は議論への貢献ではなく、集団の進行を妨げる「異物」として認識される。

結果、検証プロセス無視され、意思決定の質が低下する。

責任所在曖昧

空気」に従って決定された事項は、失敗した際に「あの時は仕方がなかった(そういう空気だった)」として処理される。個人判断ミスとして記録されないため、反省修正が行われない。

理性的判断への道筋対象

この状態から脱却し、理性的判断を行うための唯一の方法は、対象自己を切り離す「対象化(客観視)」である

具体的には、自身が感じている高揚感や危機感が、外部環境メディアSNS、周囲の人間関係から情報によって生成された「反応」であることを認識し、その反応自体を観察対象とする必要がある。

自分はこの政策を支持している」ではなく、「現在社会状況と情報流入により、自分はこの政策を支持したくなっている状態にある」と再定義するプロセスだ。

個人が実行可能な具体的アクション

社会全体の空気を変えることは不可能に近いが、個人がその支配から逃れ、合理的な行動を選択する手法はある。以下に3つのアクション提示する。

1. 一次情報と「解釈」の分離

メディアSNSから流れてくる情報は、「事実ファクト)」と「解釈ナラティブ)」が混合している。これを意識的に分離する。

判断根拠には事実のみを使用し、解釈ノイズとして除外するか、参考程度に留める。

2.トレードオフの明文化

あらゆる政策意思決定にはメリットデメリットトレードオフ)が存在する。「空気」はメリットのみを強調し、デメリットを見えなくする作用がある。

これに対抗するため、強制的に「失われるもの」「コスト」「リスク」を書き出す。

積極財政」という言葉に対し、即座に「金利上昇リスク」「円安進行の可能性」「将来世代への負担」という負の要素を書き出し、利益とのバランスを冷静に比較する。

3.判断の遅延実行

空気」による支配は、時間の経過とともに弱まる性質がある。

重要意思決定投票投資キャリア選択など)を行う際、情報に触れた直後の「感情が高ぶっている時」に判断を下さなルールを設ける。

情報を取得してから最低24時間、あるいは数日間の「冷却期間」を設け、その後に再度論理的な検証を行う。

結論

空気」は日本社会に深く根ざした構造であり、完全になくすことは難しい。しかし、その性質理解した上で、個人領域において対策を講じ、自分自身制御することは可能だ。

熱狂の中にいる時こそ、冷徹な観察者としての視点を持ち続けること。それが、不確実な時代における個人生存戦略となる。

Permalink |記事への反応(0) | 01:33

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2026-02-08

[dorawii]anond:20260208185233

まず大前提として、

「賛成派が全員いなくなったら正しさが決まる」

なんて主張、こっちは一度もしてないですよね。

それ、あなた勝手に付け足した

藁人形です。

数学的な正しさは、

・誰が生きてるか

・誰が賛成してるか

多数派かどうか

一切関係ありません。

仮に極端な話として

世界中数学者が全員いなくなっても、

「射影すると単射性が失われうる」

という命題の真偽は1ミリも変わらない。

これ、分かります

望月新一の件でも同じで、

あれは

「人が死ねば正しくなる」

じゃなくて、

検証が困難

理解時間がかかる

共通言語がまだ整っていない

という社会的検証的な問題があるだけ。

真理が

「賛成派の人数」で決まるなら、

中世の時点で

地動説永遠に間違いだったことになりますけど、

さすがにそれはないですよね。

で、あなたの今の主張を整理すると、

人の評価が変わる→ 正しさも変わる

って言ってるわけですが、

それは

数学じゃなくて社会学の話です。

数学命題

証明があるか

・反例があるか

それだけ。

人がどう思うかは

ノイズであって

判定条件じゃない。

要するに今の発言って、

・「相対化」という言葉を使って

・真偽判定の軸を

人間関係すり替えてる

だけなんですよ。

で、肝心の命題――

変数を消去(射影)すると情報が落ちうる」

ここに反例、出せます

出せないなら、

賛成派がどうこう、望月がどうこう言っても、

それは全部話題そらしです。

正しさは

人が生きてるか死んでるかで決まらない。

この一点、まず受け入れないと

何も前に進みませんよ。

Permalink |記事への反応(2) | 18:54

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執着の成れの果てのバケモノになりたくない

本当に大切な人だった。きっと死ぬその瞬間もその顔を思い出すだろう。




出会ったのは中学生ときだった。

同じ中学高校に通っていた。

最初の会話も第一印象ももう覚えていない。

ただ気づけば傍にいて、大きな目を細めて、猫みたいに笑うのがとても魅力的だった。


私にとって、高校までの人生灰色だった。

それは私が発達障害持ちで、他人気持ちを思いやれず人間関係をうまく構築できないことに起因するのだが。

それでも傍にいてくれて、別々の大学に進学してもなお友達関係継続してくれた、数少ない人だ。




彼女と連絡を取れなくなって、もう何年経っただろうか。


大学3年生。就活は私にとってまさに地獄だった。

いわゆるアスペルガー特定就活は本当に相性が悪かった。

環境を変えたくない、つまり引っ越したくないのだから、転勤は避けたい。

グループ面接ディスカッションでは初対面の人と協調できる点をアピールしなければならないが、全く話せないか変な話題の入れ方で空気をぶち壊すかだ。

それに、昔から方向音痴地図を読むのも下手で、初めて行く場所ではしょっちゅう迷うのだが、企業を巡るために連日見知らぬ場所に行かなければならない。


しかし安定した収入を得るためには新卒カード有効活用して、どうにかして就職先を手に入れなければならない。

苦手極まりないことを連日、本当に連日やらなければならない。


私の周りの普通大学生が皆やっていることは、私には無理難題だった。


気づけば心は壊れていた。

病院と薬に頼りながらの就活となった。

どうにかこうにか奇跡内定を手に入れ、そこに就職した。

あの内定奇跡と呼ばず何と呼べばいいだろうか。


初めて病院に行ってから2、3日後だったと思う。

私は彼女に連絡した。素直に、心の病だと言ってしまった。

彼女は慰めてくれた。


それから数カ月たって、会う予定ができた。

でも、彼女は来なかった。直前に体調不良だと連絡があった。心配した。


それからそのまま、疎遠になってしまった。


ギリギリLINEは残っていた。

つのまにか苗字が変わっていた。

結婚したのだと思うが、知らせは無かった。

そしてその後、LINE友達一覧からつの間にかいなくなっていた。

SNSアカウントも消えていた。




ずっと後悔している。

いわゆる「塵も積もれば」というものだったのではないかと。

中学高校時代の私は、お世辞にも友達になりたいタイプ人間ではなかった。

空気を読めず人を労わることもできず、一緒にいても何の良いこともなかったはずだ。

しかも心を壊した。


心を壊した者の傍にいることは難しい。

から距離を置くのは、一つの手段として十分ありだと思う。

ましてや就活という人生の岐路で、自分にもストレスがある状態であれば、なおさらに。


から、積もり積もった不満がコップの淵から溢れて、ついに距離を置くと判断したとしても何もおかしくない。

当然だとすら思う。


それでも、私はまだ彼女に会いたいと思ってしまう。

私は彼女不快にさせ続けていたのだろうとわかっていてもなお。

もう連絡とる手段が無くなって何年も経つというのに、なお。


いつか私が孤独で気が狂いそうになったとき、たとえば金に任せて探偵に居場所を探すような狂気じみたことをしないか、怖くて仕方がない。

そんなストーカーのようなバケモノになりたくない。


彼女の今の生活を壊す鬼にも悪魔にもなりたくない。

今更私の顔を見せて、不快気持ちにさせたくない。


夜眠っている間、夢の中に彼女が頻繁に登場する。

目が覚める度に恐ろしくなる。

非科学的な物言いをすると変な笑いが出そうになるが、この気持ち悪い執念が生霊にでもなって、彼女を苦しめていないかとすら思って怖くなる。


いつか私が認知症にでもなったとき、譫言で彼女のことを好き勝手喚くバケモノになるのではないかと怖くなる。



これが友情なのか愛情なのか、もはや悍ましい執着なのかもわからなくなっている。

バケモノになりたくない。いや違う。私がバケモノになるのか構わないのだが、彼女危害や恐れを与えたくない。

そうなる前にどうか、誰でも何でもいいから私を消し去ってほしい。


P. S. これを言う必要があるかわからないが、中高は女子校だった。

Permalink |記事への反応(1) | 17:22

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