
はてなキーワード:人種的とは
カナダ:稀だが存在。地域や状況によっては人種的暴力が発生することもある。
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日本:多い。「外国人」「外人」などの言葉や、陰口・排他的な発言が日常的にある。
カナダ:ある。直接的な差別語は少ないが、偏見を感じる発言は依然として残っている。
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【③視線・態度】
日本:非常に多い。見られる、睨まれる、避けられるなどの無言の圧力を感じやすい。
カナダ:ある。露骨ではないが、潜在的な偏見や距離感を感じることがある。
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日本:存在する。就職、婚活、住宅契約、永住手続きなどで外国籍、日本国籍でも家族が外国籍、見た目が日本人ではない人は不利に扱われるケースがある。
カナダ:少ない。法律で差別が禁止されており、被害を訴える仕組みが整っている。多民族国家なのでマイノリティーでも同国に仲間が沢山居る。
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日本:非常に強い。人間関係を築きにくく、孤独や疎外感を抱きやすい。
カナダ:中程度。文化の違いはあるが、社会的な交流や受け入れの機会は比較的多い。
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【まとめ】
日本:暴力は少ないが、精神的な苦痛が大きい(視線・態度・孤立が主な原因)。
🌍 各国の状況を整理すると:
しかし**社会的・文化的に「黒人を想定していない社会」**である。
例:
メディアや広告に黒人がほとんど登場しない。(八村塁選手、時々、大坂なおみ選手) ぐらい?スポーツが多い。あとミュージシャン。俳優はレア、女優はほぼいない?
恋愛・結婚市場では「外見的に合わない」「怖い」といった偏見が根強い。
教養や英語力があっても「外国人」「特に黒人」として距離を置かれる傾向。
「除外」というよりも、“存在を前提としていない”社会構造が問題。
しかし依然として**構造的差別(構造的人種主義)**は存在:
恋愛市場でも「黒人男性はセクシーだが結婚対象ではない」「黒人女性はモテにくい」などの偏見も存在。
雇用で「見えない壁」がある。
一方、都市部(ベルリン、ロンドン、パリ)では黒人のコミュニティが確立していて、受け入れられることも多い。
🇯🇵日本の特異性まとめ
差別の形 「無意識の排除・存在の想定外」 「制度的・構造的差別」
恋愛・結婚市場 黒人は非常に不利 地域により差あり(都市部では改善)
💬 まとめ
これは古くて新しい問題というか、かつて「性の解放」の文脈でフェミニズムの内部批判がとっくにあった話だよね
1970年代〜80年代にかけて、「性の解放」はフェミニズム、LG運動、ヒッピー文化の潮流の中で重要なキーワードで、性を抑圧から解放し、女性も主体的に性を楽しむべきだという主張だったんよ
しかしこの「解放」は、フェミニズム内部からも批判の対象となった
・商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性の性的搾取を助長した
→女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性の欲望を満たす装置に変貌
→特に職場や大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も
・上流階級・白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判
→ 実際には、育児労働、家庭内暴力、性産業への従事といった問題が一般女性に集中していた
このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念やね
・1989年、キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論化
→黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判。
インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級、人種、性的指向、障害の有無などの複数の差別軸が交差することを問題にする
つまり、「上流階級の白人女性のフェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放=自由であり善であるという前提が、階級・人種的に周縁化された女性の現実をまったく反映していなかったという批判がインターセクショナリティの視点からなされるようになったわけよ
トランスジェンダリズムも結局はこの枠組みの中の問題だったってことやね
トランスアライたちの多くはアカデミズムや上流階級出身で、一般女性の安全や権利についての理解ができていなかったわけや
ナチズムは心理的な理由によって説明されるが、個人の心理学は社会経済学的理由によってつくられる。
労働者階級や、自由主義的ブルジョワジーは消極的なあきらめの態度をとったのと対照的に、ナチのイデオロギーは小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者などの下層中産階級が熱烈に歓迎した。
強者への愛、弱者にたいする嫌悪、小心、敵意、金についても感情についてもケチくさいこと、そして本質的には禁欲主義など。かれらの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人に対してはせんさく好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していた。
指導者にたいする盲目的な服従と人種的政治的少数者にたいする憎悪の精神、征服と支配への渇望、ドイツ民族と「北欧人種」の賛美など。これらのイデオロギーは、下層中産階級を心情的に魅了し、「共感」(実際にはかれらは駒にすぎなかったのだが)を呼び起こした。
タッカーとハーパーがIOCの現在のガイドラインを批判するのに対し、弁護士のパテル博士は、**新しい枠組みを「画期的なもの」として支持**しています [23]。彼女は、「国際的な統括団体が、性別の多様なアスリートのための出場資格規則の歴史上、性自認や性別の差異にかかわらず、誰もがスポーツに参加できることを確保しようとしたのは初めて」だと評価しています [23]。
パテル博士は、このガイドラインが「アドバンテージの推定なし、アスリートの尊厳と尊重」といった**インクルージョンの原則に焦点を当てていること**を強調します [24]。彼女は、この議論が科学や医学を超えて、**人権に焦点を当てることの必要性**を訴えます。バランスを確保するためには「どちらか一方ではなく」人権が不可欠であり、科学だけが決定的な要因であってはならないと主張します [24]。法律、規制、社会学、アスリート、そして最終的には人権も考慮に入れるべきだと述べています [24]。
2010年平等法(EqualityAct2010)の免除条項(身体的強さ、スタミナ、体格が重要なスポーツ競技で、公平性や安全のためにトランスジェンダーの参加を制限することが合法であるとする条項)について、パテル博士は、それを根拠にトランスジェンダーの排除を主張することは「極めて問題がある」とし、政府は「将来の法改正を検討する必要がある」と示唆しています [24]。
ハーパーは、エミリー・ブリッジズというトランスジェンダーのサイクリストに個人的に会った経験を語ります [25]。彼女は21歳の「世界クラスのアスリート」であり、「自分のスポーツをして、大学に行き、普通の生活を送る自由があるはず」だと述べます [25]。しかし、ブリッジズは今、「世界の重荷を背負い」、世界中で議論され、「ひどいことを言われたり、英雄視されたりしている」と指摘します [25]。彼女はただ自転車に乗り、大学に行き、友達と過ごしたいだけなのに、「打ちのめされている」状況であり、ハーパーにとって「個人的なレベルで、知っている人がこれほどの苦しみを経験するのを見るのは本当に辛い」と語っています [25]。
タッカーは、ブリッジズの状況は、スポーツ界が「自分たちのアスリートの意見を聞いてこなかった」ために陥った混乱の「完璧な例」であると考えています [25]。
彼は、**会話が個人に焦点を当て、「故意に不正行為をしている」「女性のスポーツに勝つため、あるいは更衣室に入るためだけに女性だと主張している」といった発言が出ることに対し、「不快で、時には不愉快」だと感じている**と述べています [26]。彼は、この議論を「非個人的に」、個々の選手に言及することなく進めることができればと願っています [26]。なぜなら、そうした言及は選手にとって不公平であり、彼らは「ルールに従っている」だけであり、「ルールこそが問題」であるからです [26]。
タッカーは、個人の決定の結果から選手を免除するのに十分かどうかは分からないが、この議論を「展示A、展示B、展示C」を必要とせずに進めるべきだと考えています。それは「かなり立ち入ったことで、時には不愉快」だからです [27]。彼は、**「人ではなく政策を議論するよう」強く推奨したい**と述べています [27]。
### 次に何が起こるか?
タッカーは、この問題がこれほど物議を醸しているのは、「誰もが等しく満足する理想的なシナリオ」が存在しないためであると指摘します [27]。
彼は、テストステロンを低下させても公平性を回復することは「不可能である」と断言します [28]。したがって、**「トランス女性の排除による公平性」か、あるいは「トランス女性の包含によるある程度の不公平性の受容」か、いずれかを選択しなければならない**と述べます [28]。スポーツ団体は、この困難な決断を下さなければならないでしょう [28]。
スポーツのリーダーたちは、「トランス女性のインクルージョンを選ぶか、女性カテゴリーを保護し、それゆえ必然的にトランス女性を排除するか」を決めなければならないとタッカーは語ります [28]。彼は「妥協の解決策は見当たらない」とし、これは**選択の問題であり、一部のスポーツはその方向に傾いている**と考えています [28]。
ハーパーは、過去数百年にわたり、**世界が人種的マイノリティやLGBTQの人々など、マイノリティに対するインクルージョンに向かって進んできた**という歴史的な視点を提供します [29]。多くの点で、「人間は異なる点よりも共有する点が多い」ことを理解するようになったと述べています [29]。したがって、人類が持つ「多様性を受け入れること」は価値のあるプロセスであり、今後も続くことを願っていると語ります [29]。
彼女は、多くの人々が実際にトランスジェンダーの人々を知らないため、「トランス女性は女性だと思っている男性」という誤解があるが、それは真実ではないと述べます [29]。トランスジェンダーの人々が持つ性自認は、「私たちの存在の不可欠な部分であり、それを切り離す方法はない」と強調します [29]。**ハーパーは、「私たちは私たちが言うとおりの存在」であり、自身を「他の女性とは異なる生理を持つ女性」と表現し、彼女の居場所は他の女性と共にあるべきだと信じています** [30]。彼女は、包摂的な社会がこれを認識するだろうと述べますが、スポーツに関しては「少し複雑である」と認めています [30]。
ハーパーは、**スポーツにおいてインクルージョン、公平性、安全性の三つすべてを最大限に高めることは、どれか一つに何らかの影響を与えることなくしては不可能である**と示唆します [30]。インクルージョンを最大限に高めれば、公平性と安全性にはいくらかのコストがかかることを認めます [30]。しかし、彼女は、これら三つの重要な要素のいずれも最大限にはならないかもしれないが、**三つすべてを最大限に近づけ、どれもが過度に影響を受けないような解決策を考案できる**と考えています [30]。
2010年平等法は、性別適合を差別からの法的保護が与えられる特性として列挙していますが、スポーツに関しては例外規定があります [31]。この法律の第195条はスポーツを扱っており、**身体的強さ、スタミナ、体格が勝敗を決定する上で重要な要素となる競技会において、公平性を確保するため、または他の競技者の安全を確保するために、トランスジェンダーの参加を制限することは合法である**と規定しています [31]。
ノッティンガム法科大学の法学上級講師であるシーマ・パテル博士は、スポーツにおける差別の研究で博士号を取得しており、競技スポーツにおけるインクルージョンと排除の規制バランスを専門としています [23]。彼女は、トランスジェンダーアスリートと法律という特定のトピックにおいて約20年の専門知識を持ち、**トランスジェンダーの参加に関する議論は科学と医学を超えて検討される必要がある**と主張しています [23]。
パテル博士は、**IOCの新しい枠組みを「画期的なもの」として支持**しており、これまで性別の多様なアスリートの出場資格規則の歴史上、国際的な統括団体が性自認や性別の差異にかかわらず誰もがスポーツに参加できることを確保しようとしたのは初めてのことだと述べています [23]。
彼女は、「アドバンテージの推定なし、アスリートの尊厳と尊重」といった**インクルージョンの原則に焦点を当てることが、これまでになかった指導であり、不可欠である**と強調します [24]。パテル博士は、**「人権への焦点はバランスを確保するために必要であり、どちらか一方であってはならない。科学が決定的な要因であってはならない。最終的には、法、規制、社会学、アスリート、そして人権の問題でもある。なぜなら、これらのアスリートは個人なのだから」**と主張します [24]。
平等法の免除条項について、パテル博士は、それを根拠にトランスジェンダーの排除を主張することは「極めて問題がある」とし、政府は「将来の法改正を検討する必要がある」と示唆しています [24]。
パテル博士の主張に対し、タッカーは、「人々は差別という言葉を聞くと自動的にそれが悪いこと、不必要で望ましくないことだと考えるが、実際には**差別は重要であり、特定の状況では正当化される場合がある**」と述べています [32]。彼は、英国の平等法が「性別が安全上重要である場合、性別に基づいて排除できることを明確にしている」と指摘しています [32]。
この議論は、科学的な事実、社会的なインクルージョン、法的枠組み、そして個々のアスリートの権利と感情が複雑に絡み合った多面的な問題であり、明確な解決策を導き出すことが非常に難しいことが示されています。
トランスジェンダーアスリートのスポーツへの参加に関する議論は、スポーツ界の内外で意見が分かれており、英国元首相ボリス・ジョンソンからもコメントが引き出されるほど注目を集めています [1]。この議論の中心は、インクルージョン、スポーツの公平性、女性スポーツにおける安全性という三つの要素のバランスにあります。具体的には、トランスジェンダー女性が、その生物学的な性別による不公平なアドバンテージを持たずに、あるいは他の競技者への怪我のリスクなしに、女性カテゴリーで競技できるかどうかが問われています [2]。
この複雑な問題について、BBCSportは異なる見解を持つ二人の科学者と一人の弁護士に話を聞いています。スポーツ科学者のロス・タッカーは、思春期に確立される生理学的差異が「男女間に著しいパフォーマンス上の利点」をもたらすと主張しています [2]。一方、スポーツ科学者であり自身もトランスジェンダーであるジョアンナ・ハーパーは、トランスジェンダーアスリートの移行が女性に与える影響を研究しています [3]。さらに、弁護士であるシーマ・パテル博士は、人権などの他の要素も考慮に入れるべきだと訴えています [3]。
###トランスジェンダー女性は女性アスリートに対して不公平なアドバンテージを持つのか?
ハーパーは、**アドバンテージが必ずしも不公平であるとは限らない**と指摘します [4]。彼女は二つの例を挙げてこの点を説明しています。
したがって、問題は「トランス女性がアドバンテージを持っているか」ではなく、「トランス女性と女性が有意義な競争ができるか」であるとハーパーは主張します [5]。そして、その答えはまだ「決定的ではない」と述べています [5]。
彼女はまた、トランス女性は、**大きな骨格が減少した筋肉量や有酸素運動能力で動かされるため、不利な点も持ちうる**と指摘します。しかし、これは単に体格が大きいというアドバンテージほど明確ではありません [6]。競争の結果は非常に僅差で決まることが多いものの、全体的なパフォーマンスには多くの要素が絡んでおり、「誰かが一つの要素でアドバンテージを持っている」というだけで結果が決まるわけではないと強調します [6]。
タッカーは、**男性が思春期に達する約13〜14歳頃から身体に変化が生じ、筋肉量や骨密度の増加、骨格の形状変化、心臓や肺、ヘモグロビンレベルの変化が見られる**と説明します [6]。これらすべてがパフォーマンスに大きく貢献します [6]。
彼は、テストステロンを低下させてもこれらのシステムへの影響は「完全ではない」と述べます [7]。そのため、**テストステロンによって作られた生物学的な差異のほとんどは、テストステロンレベルが低下した後も持続する**と考えています [7]。これは、男性が女性に対して持つスポーツ上のパフォーマンスアドバンテージの「かなりの部分」が残ることを意味します [7]。
タッカーは、**テストステロンが原因となる男性のアドバンテージを排除することが女性カテゴリーの目的である**と主張します [8]。彼は、トランス女性においてそのアドバンテージが持続しない、あるいは存在しないことが示されるまで、トランス女性の参加を許可する根拠はないと断言します [8]。
さらに、彼は**「有意なアドバンテージが維持されている」ことを示す13の研究と、テストステロンレベルが低い男性(前立腺癌患者)の他の研究がある**と指摘し、これらの証拠が総合的にアドバンテージが維持されることを強く示唆していると述べています [8]。彼は、リア・トーマスやエミリー・ブリッジズのようなアスリートの例は、生理学的に何が起こるかという予測の「表れ」であると考えています [9]。
タッカーは、女性スポーツを男性のアドバンテージ(トランス女性を含む)を排除することで規制する政策こそが、証拠に基づいたものであると確信していると述べています [9]。彼は、国際オリンピック委員会(IOC)が当初、「他に証明されるまで」参加を許可したことは間違いであり、アドバンテージが除去できると示されるまでは排除されるべきであったと批判しています [9]。
###トランスジェンダー女性は女性スポーツから排除されるべきか?
タッカーは、女性カテゴリーの目的はテストステロンに起因する男性のアドバンテージを排除することであると繰り返し強調します [8]。そのアドバンテージがトランス女性において持続しないことが示されない限り、参加を許可する根拠はないとして、**排除政策が慎重な出発点であるべき**だと主張します [8]。彼によれば、**アドバンテージが保持されていることを示す強力な証拠が既に存在**しており、リア・トーマスやエミリー・ブリッジズのようなケースはその生理学的な結果の表れであるとしています [8, 9]。彼は、IOCが当初、アドバンテージがないと証明されるまで参加を許可したことは誤りであったと強く批判しています [9]。
ハーパーは、**この分野の科学は「初期段階」にあり、確定的な答えが出るまでにはおそらく20年かかるだろう**と述べています [10]。彼女は、IOCを含む一部の機関が、詳細が判明するまでトランスアスリートを制限すべきではないと主張していることに言及します [10]。
ハーパーは、**現存するデータと知識に基づいて、スポーツの統括団体が最善を尽くし、今後より多くのデータが得られ次第、政策を変更する用意があるべき**だと提案します [10]。彼女は、世界陸連がトランスジェンダー女性が12ヶ月間テストステロンを低下させれば参加を許可するという方針を示した例を挙げ、これは完璧な政策ではないものの、利用可能な科学に基づいて最善を尽くしていると評価しています [10]。このアプローチは、トランス女性に一切制限を設けないという立場や、完全に排除するという立場よりも合理的であると考えています [11]。
###トランスジェンダーアスリートのための独立したカテゴリーは必要か?
ハーパーは、**レクリエーションスポーツでは、男性と女性のカテゴリー以外に、例えば第三のカテゴリーを設けるなど、柔軟で創造的な区分方法を検討すべき**だと提案します [11]。
しかし、彼女は厳密にすべてのトランスアスリートをトランスカテゴリーに入れることの**実際的な問題点**を指摘します [12]。人口の49.5%を占める男性カテゴリー、同じく49.5%を占める女性カテゴリーに対し、トランスカテゴリーは人口のわずか1%しか占めません [12]。これにより、「英国がトランスジェンダーのサッカーチームを編成できるのか?そして他の国が同様のチームを編成できるのか?英国のトランスジェンダーサッカーチームには対戦相手がいるのか?」といった問題が生じ、特にチームスポーツにおいては、「エリートスポーツでは機能しない」ため、事実上不可能であると述べています [12]。
ハーパーは、カテゴリー分けは必ずしもアドバンテージを完全に排除するわけではないが、そのカテゴリー内の誰もが「有意義な競争」を楽しめる程度にアドバンテージを減らすものであると説明します [13]。女性がオリンピックで金メダルを獲得したり、プロスポーツの契約を結んだりするためには、男性がカテゴリー内にいてはならないと述べています [13]。しかし、男性の思春期を経験したトランス女性がそのカテゴリーにいられるかどうかは、「まだ決着がついていない問題」であると認めています [14]。
タッカーは、**将来的にトランスカテゴリーが解決策となる可能性もある**と認め、それはある意味で「非常に前向きな一歩」であると述べています [14]。しかし、彼は**現時点では世界がその準備ができていない**と考えています [14]。
主な問題点として、**アスリートの数が非常に少なく、スポーツ競技やカテゴリーとして存続できるほどの規模を維持できない可能性**を挙げています [14]。
もう一つの問題は、**トランスであることに対するスティグマが依然として多く存在し、スポーツを通じてプラットフォームを強制したり作成したりすることが、そのスティグマの克服に役立つかどうか疑問**であるという点です [15]。むしろ、特定の障壁が生じる可能性もあると指摘します [15]。また、世界にはトランスであることを違法と見なす国もあるため、社会がまだその準備ができていないし、公平でもないだろうと述べています [15]。
それでも、彼は将来のある時点で解決策となる可能性はあるが、現時点では時期尚早であると考えています [15]。
###トランスジェンダー女性は女性スポーツを「乗っ取る」のか?
ハーパーは、**トランス女性が女性スポーツを「乗っ取る」ことは決してない**と断言します [16]。まず、トランスジェンダーの人々は人口の約1%を占めるに過ぎないと指摘します [16]。
彼女は米国大学体育協会(NCAA)のスポーツを例に挙げます。毎年20万人以上の女性がNCAAスポーツで競技しており、トランス女性が人口の0.5〜1%を占めることから、毎年1,000〜2,000人のトランス女性が見られるはずだと計算します [16]。しかし、NCAAが11年前にホルモン療法に基づいたルールでトランス女性の参加を許可して以来、「毎年ほんの一握りしか見かけない」と述べています [16]。したがって、**ルールが施行されて11年経っても、トランス女性はNCAAスポーツを乗っ取っておらず、依然として「大きく過小評価されている」**と結論付けています [17]。
タッカーは、問題は「規模と数」ではなく、**「概念」にある**と主張します [17]。彼は女性たちに「何人までなら受け入れるのか?」と問いかけ、5人、10人、あるいは50人でも受け入れるのかと疑問を呈します [17]。
彼は、ここしばらくの間に少数のトランスジェンダー女性アスリートが存在し、米国では世界的な注目を集めていない他の多くの選手もタイトルを獲得していると述べています [17]。そして、これらの選手たちは**女性スポーツカテゴリー内で女性の「場所を奪っている」**と強調します [18]。そのため、数を問題にすることは非常に危険であると考え、2028年のオリンピックでは、半ダース、あるいは一ダースの選手が見られるようになるかもしれないと予測し、「この問題は拡大するばかり」であると警告しています [18]。
###IOC(国際オリンピック委員会)の政策についてどう考えるか?
国際オリンピック委員会(IOC)は、2021年11月の新しいガイドラインで、**トランスジェンダーアスリートが女性スポーツイベントにおいて自動的に不公平なアドバンテージを持つとは仮定すべきではない**と発表し、個々のスポーツ団体に適切なアプローチを見つけるよう求めています [19]。
タッカーは、**IOCが最初から女性スポーツの健全性を犠牲にしてインクルージョンを追求しようとしていたことが「極めて明確である」**と主張します [19]。彼は、IOCの現在の姿勢は、過去7、8年前よりも多くの知識があるにもかかわらず、「アドバンテージの推定なし」という「異常な声明」を出しており、さらに健全性を損なうものであると批判します [19]。
彼は、以前にも述べたように、より多くの証拠がアドバンテージの保持を示しているにもかかわらず、IOCがテストステロン測定の必要性をなくす方向へ進んだことは、**「科学的健全性の根本的な欠如」**であると厳しく非難します [20]。彼は、ほとんどのオリンピック競技がこの決定を下す能力や証拠を持っていないため、IOCがより強力な枠組みを提供しなかったことは「リーダーシップの失敗」であると見ています [20]。タッカーは、IOCが「科学的に欠落した政策ガイドライン」を採用したため、この問題が拡大し続ける中で各スポーツ団体が自力で解決しなければならなくなったと述べています [21]。
ハーパーは、新しいIOCの枠組みには「十分な実質がない」とし、データが得られるまでいかなる制限も設けるべきではないという考えには同意しないと述べています [21]。彼女は、IOCがインクルージョンを優先したことは価値あることと認めつつも、**世界陸連のような、より積極的な姿勢を示す例を好む**と述べています [21]。世界陸連は、「これが我々がすべきことだと考える」と述べ、すべてのスポーツに適用できるわけではないと理解しながらも、よりリーダーシップを示しているからです [21]。この点で、IOCを批判することは可能であるとハーパーは考えます [21]。
ハーパーは、トランスジェンダー政策を策定することは「極めて困難」であり、どのような政策に対しても批判が生じるのは当然だと述べます [22]。彼女は、IOCが異なる行動をとっていればと願う一方で、トランス女性とシス女性の両方、そしてスポーツ統括団体も「非常に困難な状況」に置かれていることを認め、ある程度の同情も必要であると付け加えています [22]。
タッカーとハーパーがIOCの現在のガイドラインを批判するのに対し、弁護士のパテル博士は、**新しい枠組みを「Permalink |記事への反応(1) | 13:34
8/15 日が近づいてきて、戦前の日本が、人権意識に厚い正義のアメリカと戦った、被人道国家であった、的な番組がますます増えてきて辟易しているんですが。
キング牧師の「I have a dream.」という演説と、終戦の日、どちらが先で後か、どれくらい先で後か、ちゃんと理解しているだろうか?
日本史と世界史の「テスト勉強」だけしてきた人、あるいはそもそも授業をとってなかった人も多いだろう。
終戦から20年近く後でも、アメリカ国内ですら人種差別が常識だったんだよ。
戦前の欧米の白人が、非白人に対して、日本人に対して、どういう感情を持っていたか、わからんか?
その中で、アメリカが日本、日本人に対して何をしてきたか、知らんか?
日本が「人種的差別撤廃提案」を提案したのは1919年(大正8年)。
おわかり?
絶対悪だった。
1970年代〜80年代にかけて、「性の解放」(sexual liberation)はフェミニズム、LGBTQ運動、ヒッピー文化、反権威主義の潮流の中で重要なキーワードでした。特にウーマン・リブ運動の一部では、性を抑圧から解放し、女性も主体的に性を楽しむべきだという主張がありました。
しかしこの「解放」は、しばしば次のような批判の対象となりました:
商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性の性的搾取を助長した
→女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性の欲望を満たす装置に変貌。
→特に職場や大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も報告されています(例:セクハラという言葉が1980年代に米国で普及)。
上流階級・白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判
→ 実際には、育児労働、家庭内暴力、性産業への従事といった問題が一般女性に集中していた。
このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念です。
1989年、キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論化
→黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判。
インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級、人種、性的指向、障害の有無などの複数の差別軸が交差することを問題にします。
つまり、「上流階級の白人女性のフェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放=自由であり善であるという前提が、階級・人種的に周縁化された女性の現実をまったく反映していなかったという批判がインターセクショナリティの視点からなされるようになったのです。
アンドレア・ドウォーキン(Andrea Dworkin)
→ポルノグラフィを性暴力の一形態として厳しく批判。ポルノ産業が「性の解放」を利用して女性の搾取を正当化したと主張。
キャスリン・マッキノン(Catharine MacKinnon)
→性的自由の名のもとに、女性の身体が公共空間で商品化されることに警鐘。
→黒人女性にとってのフェミニズムと、階級・人種を無視した主流フェミニズムの限界を指摘。
bell hooks(ベル・フックス)
→白人中産階級のフェミニズムに対し、「抑圧されているのは白人女性だけではない」と再三批判。とりわけ「性の解放」が階級間で異なる意味を持つことに注目。
性的自由を掲げた70〜80年代のフェミニズムの一部は、今でも「セックス・ポジティブ」な運動として評価されていますが、一方でポルノ・売春・性の商品化をめぐる議論は今なお分裂的です。
インターセクショナル・フェミニズムは現在の主流理論となっており、「誰の自由か」「誰の声が抑圧されているか」という問いが常に問われるようになりました。
性の解放は一枚岩ではなく、誰にとっての自由か? 誰の犠牲の上に成り立つのか? という問いがいまもフェミニズムの核心にあります。
1970年代〜80年代にかけて、「性の解放」(sexual liberation)はフェミニズム、LGBTQ運動、ヒッピー文化、反権威主義の潮流の中で重要なキーワードでした。特にウーマン・リブ運動の一部では、性を抑圧から解放し、女性も主体的に性を楽しむべきだという主張がありました。
しかしこの「解放」は、しばしば次のような批判の対象となりました:
商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性の性的搾取を助長した
→女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性の欲望を満たす装置に変貌。
→特に職場や大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も報告されています(例:セクハラという言葉が1980年代に米国で普及)。
上流階級・白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判
→ 実際には、育児労働、家庭内暴力、性産業への従事といった問題が一般女性に集中していた。
このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念です。
1989年、キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論化
→黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判。
インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級、人種、性的指向、障害の有無などの複数の差別軸が交差することを問題にします。
つまり、「上流階級の白人女性のフェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放=自由であり善であるという前提が、階級・人種的に周縁化された女性の現実をまったく反映していなかったという批判がインターセクショナリティの視点からなされるようになったのです。
アンドレア・ドウォーキン(Andrea Dworkin)
→ポルノグラフィを性暴力の一形態として厳しく批判。ポルノ産業が「性の解放」を利用して女性の搾取を正当化したと主張。
キャスリン・マッキノン(Catharine MacKinnon)
→性的自由の名のもとに、女性の身体が公共空間で商品化されることに警鐘。
→黒人女性にとってのフェミニズムと、階級・人種を無視した主流フェミニズムの限界を指摘。
bell hooks(ベル・フックス)
→白人中産階級のフェミニズムに対し、「抑圧されているのは白人女性だけではない」と再三批判。とりわけ「性の解放」が階級間で異なる意味を持つことに注目。
性的自由を掲げた70〜80年代のフェミニズムの一部は、今でも「セックス・ポジティブ」な運動として評価されていますが、一方でポルノ・売春・性の商品化をめぐる議論は今なお分裂的です。
インターセクショナル・フェミニズムは現在の主流理論となっており、「誰の自由か」「誰の声が抑圧されているか」という問いが常に問われるようになりました。
性の解放は一枚岩ではなく、誰にとっての自由か? 誰の犠牲の上に成り立つのか? という問いがいまもフェミニズムの核心にあります。
「楽をしたい」「生活が楽になりたい」を、傲慢な『欲』と一緒に叩くのって日本人だけだなと気づいた。
みんなが持ってるものより多くを求める金持ちや犯罪者を「強欲」と叩くのは世界のみんなが持ってる倫理観。
でも、貧乏人が「みんなと同じくらい楽になりたい」ということに「なんて傲慢な!」と怒り狂うのって、日本(の中間層)だけにしかない異常な生態なんだよな。
何なら逆に「人より多くを求めること」は「良い欲」とすら褒める傾向さえ最近はあるのに、ただ「楽になりたい」は死んでも認めない傾向がある。
これが回り回って経済を回らなくして日本全体を貧乏にしているのは言うまでもない。
「差別の存在を無視する」という行為は、直接的な暴力や殺害を伴わない場合でも、特定の集団の文化、アイデンティティ、あるいはその集団自体の存続を脅かす行為として、「文化的ジェノサイド」という概念で捉えられることがあります。
「ジェノサイド」という言葉は、ポーランドの法律家ラファエル・レムキンが、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)を受けて考案しました。これは、特定の国民的、人種的、民族的、または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為を指します。国連の「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」(ジェノサイド条約)では、具体的な行為として以下の5つが挙げられています。
2.集団構成員に対して重大な肉体的または精神的な危害を加えること。
3. 全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。
4.集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
しかし、この条約の草案段階では、「文化的ジェノサイド」という概念も含まれていました。これは、集団の文化やアイデンティティを破壊することを目的とした行為を指しますが、最終的には条約から削除されました。しかし、学術的・人権擁護の文脈では、この「文化的ジェノサイド」という概念は依然として重要視されています。
「文化的ジェノサイド」は、**集団の固有の言語、宗教、教育、歴史、芸術、伝統などを組織的に破壊したり、強制的に変容させたりする**ことによって、その集団の存続を根底から揺るがす行為を指します。
差別の存在を無視することは、直接的に文化を破壊する行為ではないように見えますが、以下の点で「文化的ジェノサイド」と深く関連しています。
*差別の存在を無視するということは、差別される集団が直面している困難や苦痛を認めないことを意味します。これにより、彼らの文化的表現や実践が社会の中で正当に評価されず、むしろ異質で問題のあるものとして扱われる可能性があります。
* 結果として、その集団の文化が社会的に認知されず、軽視され、最終的には消滅へと追いやられる可能性があります。これは、集団の「精神的な危害」を加える行為、あるいはその集団にとって「身体的な破壊をもたらす」のと同等の影響を与えかねません。
*差別の存在を無視することは、差別を生み出す社会構造や制度、そして人々の意識を改善しようとしないことを意味します。この状態が続けば、差別は温存され、世代を超えて再生産されていきます。
*差別は、特定の集団の教育機会、経済活動、社会参加の機会を制限し、結果として彼らが自らの文化を維持・発展させるための基盤を奪うことになります。例えば、少数言語の使用が制限されたり、伝統的な生活様式が否定されたりすることで、その文化が衰退していく可能性があります。
*差別に直面しながらもそれが無視される状況では、差別される側は自己のアイデンティティや文化に誇りを持てなくなり、心理的な苦痛を抱えます。
*自身の属する集団や文化が社会的に否定され続ける中で、自らのルーツを隠したり、主流文化への同化を強いられたりする可能性があります。これは、集団の子どもたちが自らの文化から切り離され、他の集団に「強制的に移される」ことと類似した心理的・文化的剥奪につながりかねません。
*差別の存在を無視することは、過去に起こった差別や不当な扱いを「なかったこと」にしようとする動きと結びつくことがあります。歴史的な差別が否定されることで、差別された集団が築き上げてきた歴史や文化的な貢献が正しく評価されず、忘れ去られる危険性があります。これは、集団の集合的記憶を破壊し、そのアイデンティティの根幹を揺るがす行為と言えます。
### まとめ
差別の存在を無視することは、単なる無関心や怠慢にとどまりません。それは、差別される集団の尊厳と存在を否定し、彼らの文化やアイデンティティが社会の中で健全に存続することを阻害する行為です。その結果、その集団の文化が徐々に破壊され、ひいてはその集団自体が社会の中で「見えない存在」として扱われるようになるという点で、**直接的な暴力がなくとも、その集団の生存権、ひいては文化的な生存権を侵害する「文化的ジェノサイド」へとつながる可能性がある**と言えるでしょう。
このような認識を持つことは、差別をなくし、多様な文化が共存できる社会を築く上で不可欠です。差別の存在を直視し、その背景にある構造や偏見を理解し、具体的な対策を講じることが求められます。
第19条
1. すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。
2. すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
3. 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
第20条
https://ja.wikisource.org/wiki/市民的及び政治的権利に関する国際規約
フェミニズムの論客として研究・著述活動をおこなっている永田えり子によれば、たとえばポルノを見る自由や麻薬を吸う自由は愚行権と解釈すべきではなく、本人が低俗であると信じる内容を保護するものではなく、あくまで本人が善であると信じるところのことを行う自由と解すべきである、とする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/愚行権
日本国憲法における表現の自由の制約の根拠について学説は分かれている。通説は表現の自由は日本国憲法第13条の「公共の福祉」による制約を受けるとする。通説に対しては「公共の福祉」の語がいわば外からくわえられる制限(外在的制約・政策的制約)をも含めた包括的な制約概念として用いられてしまっているとの批判から、憲法第13条は訓示的規定であり人権の制約を根拠づけるものではなく人権の内在的制約は各々の人権の属性に従って当然に認められるとする学説もある。
↑は、この匿名日記の2個前の匿名日記anond:20250628235025 に着想を得て、Gemini 2.5Flashと会話しながら作ったエッセイのようなものだったのだけど、これをさらにチャット型AIに読ませてみたら、各AIサービスごとに見事に差が出てビックリした。
それぞれでDeep Research をさせた結果を載せるね。
8つの主要主張について、原典と学術資料に基づく厳密な事実確認を実施しました。古代ギリシャの政治哲学から現代アメリカの世論調査まで、幅広い分野の主張を検証した結果、大部分は正確である一方、重要な不正確性も発見されました。
| 正確な主張: 6件 | 不正確な主張: 1件 | 検証不能: 1件 |
古代の政治哲学に関する主張は全て正確で、現代の統計データも概ね正確でした。しかし、アメリカ独立宣言の引用において重要な欠落が発見されました。
検証結果: 正確
プラトンは確実に民主政を理想国家の堕落過程における最終段階として位置づけ、僭主政への移行を警告しています。『国家』第8-9巻の原典から、「民主政は自然に僭主政を生み出し、最も極端な自由から最も極悪な形の僭主政が生まれる」との記述が確認されました。
プラトンの政体堕落論は、貴族政→名誉政→寡頭政→民主政→僭主政の順序で展開され、民主政の「際限のない自由への欲求」が秩序を破壊し、デマゴーグを生み出すことで僭主政に至ると分析しています。
検証結果: 正確
アリストテレスの『政治学』第5巻は、民主政の不安定化と崩壊について詳細な分析を提供しています。原典では「民主政はデマゴーグに支配されるとき最も転覆しやすく、デマゴーグが富者に対する十字軍を率いるとき」との記述が確認され、実際にアテネ等の具体例も挙げられています。
検証結果: 正確
ポリュビオスの『歴史』第6巻に記述されたアナキュクロシス(政体循環論)は、主張通り王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政の循環を提示しています。この理論は数百のギリシャ都市国家の観察に基づいており、後のアメリカ建国思想にも大きな影響を与えました。
検証結果: 正確
学術的コンセンサスと一致する内容です。紀元前133年のティベリウス・グラックス暗殺から27年のアウグストゥス即位までの危機過程における政治的暴力、軍事的強者による内戦、経済格差の拡大、制度的破綻などの要因分析は、現代歴史学の標準的見解と合致しています。
最も重要な発見は、アメリカ独立宣言の引用における重大な欠落です。
主張された引用文:
国立公文書館による正確な原文:
「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:すべての人間は平等につくられており、創造主によって、生命、自由、幸福の追求を含む、ある種の不可侵の権利を与えられている」
この欠落により、独立宣言の哲学的基盤である「自明の真理」という概念が失われ、文脈的意味が大きく変化しています。
検証結果: 正確
機密解除されたCIA文書と1975-76年の教会委員会報告書により、イラン(1953年)、グアテマラ(1954年)での政権転覆工作、プロパガンダ活動、心理作戦の実施が確認されています。モッキンバード作戦による報道機関への浸透、MKウルトラによる心理実験なども含まれます。
2022年4月実施の調査(n=10,156)で、アメリカ成人の39%が「人類は終末の時代に生きている」と信じていることが確認されました。主張の「約4割」は統計的に正確です。調査は全国代表性を持つ手法で実施され、宗教的・人種的背景による大きな差異も記録されています。
指定されたYouTube動画へのアクセスができないため、具体的な主張を検証できませんでした。ただし、2022年1月の退任発表では、アメリカを「進行中の実験」と表現し、民主主義制度への楽観的な信念を表明していることが複数の信頼できる報道で確認されています。
このエッセイは古代政治哲学の引用と現代統計データにおいて高い正確性を示しています。特に、プラトン、アリストテレス、ポリュビオスの古典的政治理論の記述は、原典と学術的コンセンサスに忠実です。
ただし、独立宣言の引用における重要な欠落は修正が必要です。この修正により、アメリカ建国思想の哲学的基盤がより正確に伝わるでしょう。
推奨修正:
独立宣言の引用部分に「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:」を追加し、思想的文脈を完全に保持することを推奨します。
全体として、このエッセイは学術的に信頼性の高い内容を提供していますが、一次資料からの引用については、より慎重な検証が必要です。
承知しました。このエッセイ全体を対象に、歴史的・政治的主張や引用に事実誤認がないか、またその解釈や論拠に不正確さや誤解を招く表現がないかを、批判的視点から検証します。
確認が済み次第、主要ポイントごとに整理した上でご報告いたします。少々お待ちください。
このエッセイに述べられている歴史的・社会的な論点は、概ね史実や資料に基づいており、大筋で正確です。古代ギリシアの哲学者による民主政への批判(プラトン、アリストテレス)やポリュビオスの政体循環論、ローマ共和政の崩壊原因、アメリカ独立宣言の理念と冷戦期のCIAの秘密工作、現代アメリカの「ディープステート」陰謀論、福音派の終末論的世界観とイスラエル支持、さらに第二次大戦期のファシズム台頭の教訓など、多岐にわたる主張が展開されています。**これらの主張のそれぞれについて、史実との照合を行った結果、エッセイに明らかな虚偽は見当たりませんでした**。以下に、各ポイントごとに根拠となる事実関係を検証します。
エッセイの説明はこのポリュビオスの理論と一致しており、\*\*「民主政が衆愚政へと堕落する過程」\*\*についての記述(個人の自由が公共の利益を損ない無秩序と暴力に陥る)は、ポリュビオスが説いた民主政から無政府状態への移行と同じ現象を指摘しています。したがって、この点も史実に沿った主張です。
以上の歴史は、**どれほど堅固に見える政治体制でも、極端な経済格差や権力闘争(安定した政権交代の仕組みがないこと)が内部矛盾となって崩壊しうる**ことを示しています。エッセイの記述はこの歴史的経緯と一致しています。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250522140258
映画館で見た時、エロシーン目当てに来たっぽい高校生くらいの男子達が最後の笑顔のシーンで悲鳴を上げて全員走って出て行ったので、トータルで最高だったよ
2025/05/22
・どんだけアンテナ低かったらアリ・アスター映画をお色気映画と勘違いして映画館まで来るの?
・なんでも無料で見放題の今の若者がよくわからん映画にエロ摂取を期待して映画館まで来ることある?
あてずっぽうにエロシーンを期待して映画館によくわからない洋画を見に行く
今の若者との接点も乏しい。
もし高校生グループが実在したなら勝手に彼らの目的を妄想してる不気味なコメントなんだけど
なんで彼らが悲鳴上げて出ていくのを快事としてるの?普通に気の毒じゃね?高校生に映画代も安くはないし。
ここには「若い男の性欲はバカにして笑いものにしていい」っていう
これに☆つけた人達全員アップデートしよ?もう令和7年だから。
そしてもっと踏み込んで言うと
ここにはなにかおばさん?のねっとりした加害的性欲を感じねーか?
知らん女子高生が映画館に来てるのを勝手に性的関心のためと決めつけたうえ
「性的期待を裏切られたJKが悲鳴上げて出ていくのを見届けました!最高!」
……とか報告してくるおっさんいたらどうだろう?
ねっっっっとりとした性欲を感じるよね?
なんか中高年の一部にさあ
若者の性行動にこういうきしょきしょ視線を向けて嘲けり笑うという変な欲望に目覚める奴らがいるんだよな。
当人は大人ムーブとか保護者ムーブっぽくごまかせてるつもりっぽいけど
湿った性欲丸出しでえぐいっす。ちんまん丸出しっす。
(娘や息子の性行動をからかってくる親とかもこれの亜種)
つまり上映続いてる最中に立って出て行ったの?結構迷惑だね?それも走って?
しかも集団なら「出ようか」って相談してうごめいてから出るので
特定のシーン見てパッと走って出るみたいな瞬発的行動は難しいと思うけどね。
下手な作り話ってディテールが書き手の頭の中で映像になってないんだよね。
それにステレオタイプ返しをぶっかまさせてもらうなら
若い男は女の表情なんか全く注意払ってないし
シンプルにフィジカルなグロシーンに強く反応するよ。(大抵は面白がるんだけど)
(ここに気付いてる女は男を結構わかってる。)
言っちゃ悪いけどミッドサマーの主人公って相当見た目が悪いじゃん。
ちょっと人種的には珍しいぐらい骨格が美の範疇から外れてるというか
顔は平らで頭でっかちで背が低くて尻だけでっかくて脚短くて
これはもちろんわざとそういう趣旨で選んでるでしょ。
こういうのってちょっとでも美女みがあったらラストサマーになっちゃうからさ。
念入りに選ばれたブスだと思う。
ネットの評判も一切見ずにいくつかの画像からダニーは美人でエッチなシーンあると思って映画館に来たわけか?
作り話の設定が滅茶苦茶すぎなんだよね。
ダニーはすげえよ。
容姿もよくなく頭もよくなく
こんなのがジョックっぽい男に捨てられないどころか逆に振り回せるってことある?
彼氏も仲間もこんな女にああも腫れ物触るようにはしないでしょ現実は。勝手にガスホース咥えとけとなる。
特定の男に刺さるある種の媚態やファッションは心得てることが多いけど
ダニーはひたすら塩対応でさしたるおしゃれもメイクもしやしない。
だが周りの男はこんなのを旅行に連れて行ったり振り回されて破滅したりする。
ミッドサマーのお話全体が女性を慰撫するファンタジーなんだけど
接待されてることを自覚しながら見ましたって女性は意外に少ないんだよね。
(そして多くの男はこの映画で快を感じる女がいることに気付いてない)
その見方のときはこんなもん不細工で無能な男が複数の女に惚れられるコンテンツと変わらんというか。
慰撫コンテンツはよいものだけど見る側の脳のどっかに一欠けらの正気、
つまり「現実と大きく異なる設定で自分の中の不満や願望がよしよしされているから気持ちいいのだな」、
みたいな客観が少しもないのはどうなのか。
ミッドサマーの女性慰撫コンテンツ性を鋭敏に受け取って消費したうえで、
その(虚構の中の)女性の全能感が現実の若い男を脅かし震え上がらせたという話をしてるので
コンテンツ消費の仕方がだいぶ野蛮な感じがする。
美少女ハーレムコンテンツ見終えたキモオタがモテモテ気分になって
「現実のJKが俺を見て顔赤らめたぜ」とかうわごと言い出してるのと構造的に変わらないというか。
キモオタ同士からも非キモオタからも社会からも笑われまくって正気を取り戻すわけだし
そのように男性のファンタジーは容赦のない嘲笑を受けることで調教されて安全性が確保されてきた面もあるわけだけど
一方で女性向けコンテンツでラリってる人への笑いというかツッコミ機能がこの社会にはまだ弱いのじゃないだろうか。
しっかり指摘して笑ってバカにしてこそ男女平等であるのみならず
いつもながら正気と親切心が足りない。
Permalink |記事への反応(22) | 14:42
やっぱパソコン弄りばっかで社会道徳や知能が低下してるんだろうな。テクウヨって
実際プログラミングが得意な奴は、アスペや知的障害の傾向が強いって論文もあるから、女性差別や人種差別をするんだろう。
米グーグル、5000万ドルで和解へ 黒人従業員「人種的偏見」巡り
https://jp.reuters.com/economy/industry/3WT76QVDB5K4HEZSA5DLDJK3UQ-2025-05-11/
原告はグーグルに「人種的偏見を持つ企業風土」があり、管理職は黒人をより低位の職につけたほか、賃金や勤務評価を引き下げ、昇進の機会を認めなかったと主張。2021年に黒人は従業員全体の4.4%、幹部級では3%にとどまったという。
原告の1人であるエイプリル・カーリー氏は、グーグルが自身の昇進を認めず、「怒りっぽい」黒人女性という固定観念に当てはめ、同氏がグーグルの人種的偏見に関する報告をまとめる中で、採用から6年で解雇したと述べた。
原告はまた、同社の管理職が黒人従業員について「グーグルらしさ」が足りないと評したことは、分かる人にだけ分かるようにした人種的なメッセージで、中傷だと指摘した。
やっぱパソコン弄りばっかで社会道徳や知能が低下してるんだろうな。テクウヨって
実際プログラミングが得意な奴は、アスペや知的障害の傾向が強いって論文もあるから、女性差別や人種差別をするんだろう。
米グーグル、5000万ドルで和解へ 黒人従業員「人種的偏見」巡り
https://jp.reuters.com/economy/industry/3WT76QVDB5K4HEZSA5DLDJK3UQ-2025-05-11/
原告はグーグルに「人種的偏見を持つ企業風土」があり、管理職は黒人をより低位の職につけたほか、賃金や勤務評価を引き下げ、昇進の機会を認めなかったと主張。2021年に黒人は従業員全体の4.4%、幹部級では3%にとどまったという。
原告の1人であるエイプリル・カーリー氏は、グーグルが自身の昇進を認めず、「怒りっぽい」黒人女性という固定観念に当てはめ、同氏がグーグルの人種的偏見に関する報告をまとめる中で、採用から6年で解雇したと述べた。
原告はまた、同社の管理職が黒人従業員について「グーグルらしさ」が足りないと評したことは、分かる人にだけ分かるようにした人種的なメッセージで、中傷だと指摘した。